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イースター島へ

ワンワールド世界旅行(71)
08年3月30日(日)イースター島へ
 6時30分にタクシーを呼んでもらっていたから起きてフロントに降りたら、時間が今朝から1時間遅くなったという。だから5時半ということになっている。空港もその時間に間違いないだろうかと確かめてもらった。早く準備したのだから仕方ない。空港で朝食も済まそうとタクシーを呼んでもらい出発した。荷物はこじんまりして、大きいのは預けることにした。
タクシーはメーターを出さないからメーターにして走ってくれ、とたのんだがメーターは最後までONにしない。気持ち悪く落ち着かないが乗った以上仕方がない。空港に着いたら12,000ペソだという。まあ2500円相当だから予想していたよりも安いから、ホテルから、呼でもらったので空港までだと決まっているのだろう。
朝食を空港のバイキング料理ですます。出発は8時10分の時間通りだった。300人位乗りだがほぼ満席である。日本人らしい人が、僕も含めて6人だった。
僕の隣の席に韓国の女性がいたが、彼女は小学の先生を停年で辞めて1年間の一人旅をしているという。相当の費用がかかるだろう、と聞いたら、ホテルには泊まらずテントで済ませているしい。すごい人もいるものだ。
 日本人女性の席が空いていたから話に行くと、二人連の名古屋からで、3ヶ月の、やはり世界旅行である。僕と同じ「ワンワールド世界旅行」の航空券での旅らしい。年齢は30近いぐらいだが、二人とも会社を辞めての旅らしい。隣がいずみさん、その隣が舞子さんだ。同じ外大の同級生だったらしく、時々一緒に旅行しているらしい。
みどりさんは、コンピューターの学校の先生をしていたという。
僕はちょうど昨日からパソコンが容量の限界になっていたので心配していたから、相談したらなんとかなるかもしれない、とのことだ。もしよければ見てあげます、とういう。ホテルもユースホステルを予約していて、出迎えにきてくれてるという、僕もユースホステルだから、もしそのユースホステルが空いているようだったら泊めてもらうように頼みたい。
これは願lってもないチャンスだ。なんで僕はこんなに幸運だろう、と自分でも驚く。一挙にホテルもコンピューターも解決できそうだ。
飛行機は5時間でイースター島についた。彼女たちの航空経路の表示を見ると、どうも太平洋の真ん中に向って飛んでいるようである。そして5時間の距離だから、日本へ4000キロも近ずいている勘定だ。
YHホテルの受付カウンタがあり、頼んだらOKだったので4日間の滞在が確保できた。そして20㌦というから2000円の4で8000円である。
出迎えの車でホテルに着くまでに石像のあの沢山並んでいる海岸をもまわってくれる。この像は馴染みがあるし同じ形がぽつぽつと各所にたっている。大きさも色々形もいろいろである。
バナナ園といえる奥まった広大なホテルである。ベランダの軒下にバナナの房が垂れ下がりその上の方のは塾しているから自由に食べなさい、と言ってくれた。歓迎のオレンジジュースも出してくれたが自家製のようで、なかなか濃度が濃くて美味しい。
みどり、舞子と早速散歩にでる、やはいり夏の暑さで、すぐ汗ばむが、日陰が涼しい。空港までも歩いて10分ほどの距離だ。海岸に出ると泳いでいる人たちがいるが、砂浜は岩と岩との隙間ていどにあるが、その水は澄みきっていて、底まで見える。こんな綺麗な水だと魚は棲めるのだろうか、と思えるぐらいだ。沖から太平洋の大波がくるのだが、たくさんの岩で白いしぶきとなり、それが海の青さに輝って気持ちよい。
 海を見た方向にたくさんの石像があるが、背を向けているのもある。この石はおそらく海岸の溶岩石を工作したのだろう。海岸の岩と同質でできている。帽子を被ったのが多い。日本の石仏には見られない現象である。目だけは白い石なのか別の石であろう。見たところ山というのが見えないが台風などの襲来には平屋で防備しているようだ。
 先日博物館でこの建造の想像図があったが、たくさんの人々が斜めに土を盛り綱で引いて直立させたことになっている。高さが5mぐらいの像があるのだから苦労したことだろう。おそらく宗教の理念で民を守るための外敵からの脅威に神を頼んだのだろう。
 それにしても太平洋の真ん中にこんな文化があるとは不思議でまだ解明されていないらしい。
今日みただけでも100体に近いし、島全体では果たしてどれだけあるのか、
今日は日曜だから店は半分ぐらい閉まっている、日本人もポツポツ合うが、その人たちが皆長期の旅行者である。同じ飛行機の昇平君(28歳)は海上自衛隊をやめてもう1年の旅で、まだ1年続けるしいし、光規君(25歳)は、商社に勤めていたのをやめ、もう3ヶ月の旅だが、あと9ヶ月の旅をするらしい。海岸で会った若い女性はもう1年の旅を続けているという。
 夜はラーメンとヨーグルト、ビールなどで3人の夕食をしていたら、昇平君と光規君がやってきた。彼らは今日出会っただけだが、一緒のテントで寝るらしい。だから宿泊費はいらない。やはりこんな工夫をするから2年もの旅ができるのである。逞しい生き方であるから、我々の時代は食糧難で苦労したと思っていたが、この若者たちは、自分で困難に挑戦してなにか新しい自分の生き方を見出そうとしているようだ。きっと長い人生では活かされ彼ら自身の素晴らしい人生を創るに違いない。
 食事が終わったら、星を見に歩こうとなった。光の無い夜空だから沢山の星が見える。子供の頃もこんなだったのだろうか。感激していると、昇平君が「軍艦の上ではもっと沢山の星ですよ」と言った。海上自衛隊出身だから訓練に出るときは全て明かりは消しての海上の航海だそうだ。なるほど、この島でもまだまだ道には街灯があるからそれを避けて星をみなければならない。
僕は11時になったから、若者たちと別れてホテルに帰る。 

# by akinishi1122 | 2010-02-02 14:14 | 旅行

世界中が9条の精神で

升味準之輔
東京都立大学名誉教授
大賛成です。会のアピールにあります通り武力の行使はなんら紛争の解決にはなりません。「戦争の放棄」が光る憲法九条をもつ日本は、その事だけで、すでに世界の平和、人類の生存発展に役立っており、これこそ大いなる国際貢献である、と、もっと世界中に宣伝する必要があります。その上で他の国々、とりわけ国連から「そうだ!その通り!日本の平和憲法を守れ!改悪反対!」の強い支援の声を寄せてもらいたいですね。せめて「日本を見習ってさしづめ”先制攻撃はしない”と憲法に加筆する」国が生まれるよう、祈りたい気分。働きかければ新生イラクや台湾の新憲法に実現するかも。周辺の国々も安心するでしょうから。(妻久子)

# by akinishi1122 | 2010-02-01 21:23 | 九条の会

イースター島



73ワンワールド世界旅行
08年4月1日(火)イースター島レンタカーで観光
 昇平君、光規君、舞子さん、みどりさんと一緒にレンタカーを借りて観光にでかけた。一人5000ペソ(1100円)だから安い。モヤイ(石像)の探索である。
運転は昇平君、かれはなかなかの慎重派でスピードも常にゆっくりで安全運転してくれたから、危険を感じることはない。
モヤイについては、まだ何を目的にどの時代に建造されたか解明されてないらしい。どのくらい残っているのか分らないくらい無数にある。人物像が殆どだし、その顔も平べったいのに、鼻がすべて長く通っている。目は掘りがふかく、あごがちょっと長めで、しやくっている。帽子というか冠というか乗せているものもいる。海岸を向いているのもあるし、内陸向きもあるから、外敵を防ぐまじないとばかりはいえないようだ、一番沢山並んでいたのは15体で、高いのは10m以上もあるのではないか。一列に並んでいる。山の中腹に100体ぐらいがあるが、山自体に彫りつけているのもあるから、巨大である。倒れていたり、埋もれているのもあるが、歴史の中で復元されるというより、どんどんその時代の人々が新たに建造したと思う。日本では仏像が共通した顔をしているが、ここのは逞しさが共通している。
今日みただけでも1000体ぐらいはあるのではないか。この巨大な石を削るノミは、どれほど大きい、強いものだったろうか。
太平洋の真ん中に他の国から干渉されづ、交流もないのに独自の文化と技術を備えるということは、人類が道具を発明すれば地域は違っていても、大体同じ様な文化で発展の過程をたどるもののようだ。島全体は淡路島より少し小さいのではないかと思う。現在では人々は空港のある近くに集中して住んでいるが、昔は各地に点在して住んでいた集落後があり、そこにモヤイがつくられていることでいえる。
車でおよそ100kは走ったのではなかろうか。
昇平君はコックさんらしいので、魚の刺身

# by akinishi1122 | 2010-02-01 21:16 | 旅行

バルパライソからサンチヤゴへ

ワンワールド世界旅行(70)
08年3月29日(土)バルバライソからサンチヤゴへ
今日は移動日で、4時にバスがでるから、近くを歩くことにした。国会議事堂がここにあり、政府機関はサンチヤゴにあるのだからやはり首都の機能を両方で分け合っているらしい。一時首都であったから産業、貿易、防衛の機能のあるこの街を尊重してのことだろう。
市場の通りを歩いていたら初めてスリにあった。ポセットのファスナーが開かれたのを素早く気付いたら、中年の身なりの綺麗な服装の男性が自分のセーターを半分広げて僕の前のポセットを覆うようにし、外から見えないようにしてファスナーを開いたのであった。おそらく僕を暫くつけて狙っていたのだろう。幸いにお金はズボンの後ろに入れていて被害はなかったが、そのスリの人物を見ることができた。僕が、市場の人込にカーボーイハットをかぶり、背中にバッグ、前にポセットをしたスタイルであれば、すぐ旅行者だと分る格好であるから、狙われるのも無理はないと思う。
やはり人込は覗きたいし、旅行者のスタイルを急に変えるわけにもいかないし、そこらがどうしようもない矛盾である。
この街は、コンピューター店が多いので探すのに楽だ。面白いのは電話が公衆は少ないがこのコンピューター店にたくさん設置してありそこを利用している人がおおい。また沢山の露天の個人販売店が大きな通りに沢山あり、道にござを敷いいての販売である。だから高級品はない。使いふるした靴やカメラなどありとあらゆる品が並べられているが、商売人でない人も不用品をだしているのではないかとおもえる人もいる。安いのであろうが、あまり売れている光景には出会わなかった。日本ではもう見かけない風景だが昔「廃物利用」という言葉で急成長の前の日本でこんな時代もあったことを思いだす。
骨董品も沢山でていて、家にもあった明治時代の蓄音機で、針でならしていたが懐かしい。こんなのを見てあるくのも面白い。なにか懐かしい思いがたどれるし、珍しい物はないっかと探す気持ちになるものだ。
ホテルに預けていた荷物を取りに行ったら夫妻がいて、僕の部屋で3人で写真を撮った、おばさんが両方の人指し指で目の下を下げて別れるのが寂しい、というジェスチュアーをしてくれ、抱擁もしてくれた。大きい人で丸まる肥えているほほをあて、こんな抱擁は日本人は少ないから、なんか硬いマットを抱くような感じである。そして旦那とも抱擁したがほほをあてたら髭でざらざらする。こんなことを外人は毎日しているのだが、若い女性とならまだしもあまり馴染まないものだ。
だが、たった4日間だったのに、こんなにしてもらって忘れられない思い出になる。
バスは6時にサンチヤゴについた。ホテルまで地下鉄に乗ったら、2つ目までの車内で女性の大きな悲鳴が聞こえた。そして「電車を止めて」というような声だろう。満員でなかったが人々がその声の次の車輌を見に動く。なにが起こったのだろう、やがて電車も止まる、女性が運びだされてホームに倒れている、それをホームで見ていた若い女性が顔を覆って泣いているようだ。すると30代の男性が上を裸になり何か大声で倒れている女性の方にかけよろうとしていると、別の男性がそれを引きはなそうとしている。やがて警官がきたが裸の男は警官の手をふりきって抵抗している。電車は動かないし爆弾騒ぎにでもなったら怖いなと恐くなる。逃げるべきかそのまま座席にいるべきか、聞くにも言葉がわからないし困ったが、10分ほどした電車も動きだしてやれやれだった。言葉がわからないということはこんな時の対応がむずかしいものだ。
ホテルで明日の早朝6時半にタクシーを手配してもらい、今夜の部屋代22,000ペソ(4,630円)カードで支払う。
パソコンが容量が少なくなったとの表示が出ているので心配だ。たくさん写真を収納しているからかもしれない。







 


 

# by akinishi1122 | 2010-02-01 19:51 | 旅行

今日の一句

梅咲いて生きる力を知る一輪

2月になって沢山の蕾の中から一輪の梅が開いた

# by akinishi1122 | 2010-02-01 08:58 | 俳句