スカンジナビヤの旅(31)

スカンジナビヤの旅 (31)8月17日
アンデルセンの生家訪問 日本人ソプラノ歌手中島彰子さんと会う
11時前にホテルを出る。目標はアンデルセンの生まれた島である。11時50分発車でオーデンセ島に着いたのが1時丁度であった。ファーストクラスに乗ったら1人しか乗っていなかったし、コーヒー、リンゴ、チョコレート、水などを車掌が持ってきてくれる。これだったら、列車はハファーストクラスに乗れるのだから、ずっとこれがいい。それに知名人が乗っていることに気付く。二人だけだから話しかけたら、この人はサイエンスフィクションの作家だという。41歳で今まで小説を出しているのが6冊あるという。一番売れたのは、「MARIA PARADIS」という本だとのことだ。オーストリヤのピアニストの生涯を書いたらしい。日本で見かけたら呼んでみたい。
また、バスの待合で中央駅まで行くのにバス停を聞いた人が日本人でオペラ歌手、ソプラノをやっているという。今ここのオペラ劇場に出演するために日本から呼ばれてきているが、日本人は一人というから、オペラ界では日本人では知られている人だろう。中島彰子さんといった。おあいした記念に写真を撮らせてもらっていいですか、言ったら、化粧していないから、と言ってサングラスかけてでもいいですか。といわれたが撮らせてもらった。ホームページも書いてもらったので、帰国したら開いてみたい。「僕はオペラといったら、50年も前に「椿姫」という映画でその曲に感動したのでその曲はいまでもすきだ、そして今旅行するのに日本の歌曲をCDで毎日聴いています。といったら、「そのくらいの知識でいいですからからたくさん聴いてもっとすきになってください」と言ってくれた。
なかなか愛想の良い感じのよい美くしい人だった。多分50歳ぐらいではないかと思う。
 アンデルセンが生まれたのはコペンハーゲンの近くの島で、海底を列車でいけるぐらい陸とは近い島である。アンデルセンは、「マッチ売りの少女、みにくいあひるの子、赤い靴、裸の王様などで世界中で知らない人はないぐらいの児童作家だから、わくわくしながらの訪問である。貧しい靴屋職人の家に生まれ、その家がそのまま残されている。14歳まで、この家に住んでいたらしいが、狭い部屋で靴の仕事場の隣が彼の寝室である。少年時代は友達は少なく家にこもり、人形などと遊んでいたという。そして、空想的なことが好きで、貧しい家だから金持ちの生活を羨やんでいたようだ。学校にも行ってなかったというが、演劇の役者になりたかったという。俳優にはなれず、「俳優になりたいな」という文を書いたのがきっかけで、激を作るようになり、そのために学校に行ったというのだから、空想が先で、勉強が後というから、勉強が身についてきたのだと思う。本来勉強というものは目標があってやるもので、その目標にむかっての勉強が身についえ沢山の名作を生みだしたのだと思う。
僕も講演などで話す時、今の世の中のことを「裸の王様」の例で話すことがあるが、ブッシュや小泉などがまるで裸の王様だとたとえているから、アンデルセンには親しみが深い。国民はブッシュや小泉の本心を「ちゃんと見抜いているが、取り巻く社会、政治家などの組織が王様の側近の役割をしているのがこの童話とかわらない。アンデルセンは、遥か200年前に見抜いていたのである。彼の生家をみながらこんなことを考えた。
アンデルセンは貧しい家庭だったから、上を見ぬく正確な目が養われたのであろう。本当にここへ来てよかった。
 ホテルに帰り、外の椅子でカナダ人の学生と話したら、彼は大學で建築の勉強をしているという、トロントだが日本人の建築家の安藤忠雄を尊敬しているという。大學でもよく安藤忠雄の作品がテーマ資料になるというから、僕の知らないことまで知っている。たしか安藤忠雄は建築については全く独学で学び、世界的な建築家になったのだから、アンデルセンと同じく人間のロマンが安藤忠雄をつくりあげたのだから、今日は二人の素晴らしい生きかたをした人にめぐりあった思いだ。
僕も建築家だから彼と共通の場が持てるかもしれないから楽しみになった。彼は日本の仏教建築に興味があるというから、寺院の釘を使わない建築技法を写真で送る約束をした。
DAN MCTAVISH   Canadian Architecture  Student
dmctavis@uwater100.ca
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# by akinishi1122 | 2008-10-03 13:10 | 旅行 | Comments(0)

スカンジナビヤの旅 (30)8月16日

スカンジナビヤの旅 (30)8月16日デンマークへ
10日間のスエーデン滞在は、ストックホルムを拠点としてだった。ストックホルムの美しさは僕が見た地域や都市では一番美しいように思う。古い建物が完全に保存され、新築工事が規制されているからである。日本の京都や奈良がどんどん開発か改造されているのとえらい違いだ。
ストックホルム発8時20分長距離の移動だから指定席をとる。ユーレルパスではファーストクラスに乗れるからありがたい。コーヒー、水、ジュース、果物などが備えてある。それが自由に飲める。座席は3割ぐらいしか乗っていないから快適だ。暫くしたら朝食まで持ってきてくれるから飛行機なみだ。
やはり気になるのは今日からのホテルである。これを解決しなければ落ち着かないから、前の席にいる中年の人に「僕の携帯でホテルの予約電話してもらえなおだろうか」と頼んだ。僕は昨夜も今朝も電話するのだが先方はデンマーク語で何を言っているのかわからなかった。彼が2軒ほどは電話してくれたが満員だったらしい。僕が電話した時もその説明の留守番電話のようだった。3軒目でやっとOKがとれたからホットして本を読むことができた。電話を頼んだのは、コペンハーゲン市内を先に掛けてもらい、無ければ次にある郊外でもよい、と頼んだので、僕はどんなところかよりも、泊まれるかどうかが第一だと思っている。
 コペンハーゲンに着き、案内所でホテルへの道を聞いたら、案内嬢が全然場所が解らない、と相手にしてくれない。「列車を使って行きなさい」と時刻表をくれるだけだった。なんとか粘るのだが、次の客を呼んでとりあってくれない。僕を無視する態度だ。-別の駅員に住所を聞いたら、「多分列車で5~6時間かかる」という。なるほど案内人がわからないのも無理はない。さっきの列車内でホテルの予約してくれた場所が名簿の次にあるホテルに電話してくれて、コペンハーゲンとの距離間隔の無い人だったというわけであった。
 仕方ない、自分でまた電話するしかない、昨日繋がらなかったホテルが即OKとなるではないか。やはり他の国から僕が掛けて電話の掛け方が間違っていたのかもしれなかったようだ。やはり諦めずに自分でも電話してみることだと知った。
だから、案内所で場所を聞きいたら「バスの②に乗って運転手に聞け」ということなので乗った運転手は「⑤番に乗り換えなさい」という。だいぶ走ったところで、また「4Aのバスに乗り換えろ」と何回も乗り換えさされてやっとホテルにたどり着いた。
ホテルでここの場所を聞いたら、「バスの30番か地下鉄だったら、乗り換えなしで来れるのに」とのことだ。駅の案内人も完璧には知らない人もあるし、僕の語学力の乏しさもあって、えらい時間がかかってしまった。
佳子からのメールが入っていた。「報徳は残念やったね。日本は毎日暑いです。朝顔は暑いからすぐ萎んで可哀想、赤いバラがまだ蕾がたくさんあり、見事です。念願の百日紅が満開、ベッドから見え満足しています。添付あり」画像とあったが、僕は画像の見方が分からないでいる。
ホテルは3日間しかとれず、次は予約でつまっているいうから、4日目から次の国へ移動しコペンハーゲン中央駅周辺から中央大通りを歩いた。今日は祭りなのだろうか、大変な人込みである。街は古いが、なんか大変汚れいる感じがする。掃除が行き届いていない。緑も中心街には少ないからかもしれない。
運河をめぐる観光船に乗ったが、ストックホルムから来たところだから、美しさが劣る。近代ビルが混ざっているから、都市計画がストックホルムのようにうまく機能していないのではないか。運河にボートやヨットが両岸に繋がれて、そこで生活している人があるようだ。
 7時半ごろ駅の近くの広場で、舞台を組み1万人ぐらいの群集の前で歌と演奏しているのに出会った。人々がビールを飲みながら一緒に踊ったりしてる人もいる。今日は同姓同士が愛し合う祀りという。男同士が長い長いキスをしたりしているから気持ち悪く顔を背けたくなる。そんなのがあちこちにある。仮装して男性が女装したりしてもいるが、みんな立ったままで舞台をみたり。飲み物を片手に唄ったり踊ったりである。僕などこんな人と一緒に熱狂する気にはとてもなれない。
このすぐ隣に有名なチボリ動物園がある。
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# by akinishi1122 | 2008-10-02 23:31 | 旅行 | Comments(0)

スカンジナビヤの旅 8月15日(29)

スカンジナビヤの旅 8月15日(29)
報徳学園負ける  Norrkoping街
なんか来たことがあると思っていたら4日前に来ている。街の名前がごっちゃになって忘れていた。着いてみたら(似た街もあるもんだ)と最初は思っていたが、100mぐらい歩いてみてやっと思いだした。大変無駄をしてしまった、だがこの前は大雨で殆ど見れなかったが、今日は天気もよいしこの前見れなかったところが観ることができた。この列車はデンマークへ行く方向で明日もここを通ると思う。

芝刈りの香プンプンと朝日受け
アヒル等はもう早昼の眠りかな
授乳終え母子もやいの昼寝かな
「報徳4:7大阪桐蔭に負けました、明日は決勝です」とメールがはいっている。だったら報徳は準々決勝まで勝ちあがったのだろうか。もう一息で優勝かと期待していたのだったが。
今日は8月15日敗戦記念日である。そして昨年の今日はパリでパスポートを紛失した日でもあった。そういえば、この4年間の8月15日は全て外国に居ることになる。日本は負けてよかったが絶対に勝つことなど有り得ないことが、このように外国を観て分かる。文化や軍事技術が違いすぎる、それにこんなことは分かっている人もいたはずなのに、自分の考えで判断できる教育もされてなかったし、意見すら表明できなかったのだから、無謀な戦争をしでかしたと思う。こんなことを分かっている人もあったはずなのに、天皇に絶対服従の教えだったから、学校教育というのは恐ろしいものだ。考えていることが自由に言えないことほど恐いものはないと体験したから、そのように進まないようにしなければならない。憲法を変える方甲向にすすみつつあるから、今が頑張りどころだと思う。
早くストックホルムに帰り最後の観光バスに乗った。今日は晴れていたから、写真もたくさん撮っておいた。
今日は6人部屋が完全に僕だけになった。

ここえの交通は、Sabway toward ALBY T bus 707 or708 Get of at HACEL BYPARKEN
というところ  中央駅からトラムで35分バス12分、歩いて10分である。
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# by akinishi1122 | 2008-10-01 20:08 | 旅行 | Comments(0)

スカンジナビヤの旅(28)

スカンジナビヤの旅 (28)Gavleに行く
Cameroon Guy Kontchou君と友達に
同室の若者は昨夜は確かに寝ていたのだが、僕が目覚めた4時半には、もういない、毎日早朝はいないし、寝るのも早い、何か早朝の仕事をしているようだ。次に早いのが、僕のベッドの下の人だ、この人が5時に起きだして5時半には出て行く。その次が2段ベッドの上下に寝ている50代と20代の連れが7時前に出ていく。最後は僕だけになる。だから気楽だが、一体こんな人たちは何をしているのだろうか。
朝食の時一緒だった女性はブラジル人で、3週間の旅の途中らしく、教師をしているといっていた。だが学生ではなく社会人を教えているというのだが、英語は少々できるがポルトガル語だから僕にはあまり理解できない。だが誠実そうな人で50代だ、今日で最後らしいが、自分の部屋を雑巾がけしていたから、国民性というより、個人の習慣であろう。
駅に出て、9時30分の列車でGavle 街に向かう。目的があるわけではないが、バルチック海の沿岸を1時間半ほど走った。この前、世界囲碁フェスチバルの時乗り換えたら、「古風な建物が見えていたから、ここに決めたのである。ここは昨日行った街より少し小さい。賑やかさも少ない。昨日と同じようにバスに乗り終点からまたひき返す。繁華街のショッピングセンターなどは近代的な店で古風な建物がない。だが銅像に1500年代の人物が近代的な服装をしているから、わが日本よりはるかに歴史はあるに違いない。
2時間ほどできりあげ、駅に出たら椅子の後ろにいた黒人の若い男性が話しかけてきた。彼はフランスから来て、2日間のストックホルムらしいが、彼も目的無しでやってきたらしい。僕と同じような人もいるものだとまんざら僕の旅も型破りでないことと知る。こんなのも「自分流の旅」と言えるのだなとおもう。彼はカメルーンの大学を出てフランスに留学中らしい。体育の研究をしているというが、国費留学生だから自分はほとんど費用はかからないという。時間があるからビール飲み帰りの列車はずっと話しながらで退屈しなくて済んだ。サッカーの選手だったが、自分は25歳だからオリンピックに出られないといっているから、若ければ出れる素質はありそうである。
彼の家にはラクダを飼っていて、ミルクはラクダのお飲むらしいいから、モーリタニヤと同じ生活様式らしい。友達になり、今後、彼の国の写真なども交換することにした。駅で一緒にマクドナルドを食べた。明日フランスに帰るから僕のおごりだ。
Guy Kontchou 君25歳(emeil)
カメルーンの小学校のクラスは60人が普通だという、だから先生も全体にはなかなか目が届かない、先生不足で早く教師を育てるのが課題だといっている。

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# by akinishi1122 | 2008-09-30 22:08 | 旅行 | Comments(0)

スカンジナビヤの旅

スカンジナビヤの旅  8月13日 Karlsta 街
ヴェトナム女子医学生と語る  報徳7;3鹿児島実業
朝は5時に目覚めたら、部屋の若い青年はもうベッドにいなかった。僕のベッドの下の人も、もう起きて仕事に出ていった。何か近くで仕事してるようで、出張で来ているいのだろう。6時16分にホテルを出て7時に駅に着き朝食。今日の予定の列車の時間を聞いたら、8時30分初のKarlsta行きがあるというから、これに乗ることにした。日本人の女性で山口県の小学教師をしている人が乗っていたが、日本人だから、話そうとしても、「疲れていますから」と無視されたので、不愉快だから、さっさと1等車の自分の席にひきあげた。
今日、報徳が鹿児島実業と対戦するから、列車からメールをいれた。7時間の時差だから、もう対戦中であろうから、様子を問い合わせたら、信顕から、第1報で、「2回を終わり3:0でリード中」入る。このままいけそうだから、待っているとまた1時間して「7回に5:1でリードしました」とはいり、1時半に駅に着いたら。理香から「報徳7:3鹿児島実業で勝ました。今信顕たちと買い物の帰りです、明日墓参りに行きます」とあった。「僕か昼食中です、おめでとう、この分だと今年はいいところまでいけそうね、墓参りご苦労さま」と返信しておいた。
この街はオスローの方に近いぐらいの要所となっている。地図に出ているところだ。
市バスに乗り、一巡したところで、公園に女性像があるから、聞いたらたくさんの小説を書いた、ノーベル賞をもらった人らしい。そんな話しをしていたところ、若い女性が来たので一緒に聞くことにした。若い女性はヴェトナム人で、オスローから来たらしい。オスロー大學の医学部の学生で、6年生の来年卒業して医者になる人だ。もう21年前に家族といっしょに来たというから、丁度ヴェトナム戦が終わったとき、難民としてきたらしい。家族も全員こちらにいるということだ。彼女も一人だから一緒に少々歩き、喫茶店でケーキとコーヒーをとり、しばしばらく話すとなかなか感じのよいいい娘さんだ。医者になったらノルウェーの医療制度など聞くことができるし、メール交信しようということになった。
僕は日本の四季の写真を送る約束をし、現地の医者と友人になれば、社会保障制度などを直接聞くことができる。いい人と知り合いになれて嬉しい。僕が日本の土産の扇子と日本文字のはいったソックスをプレゼントしたら、彼女は買ったばかりの足のかかとの皮膚を削るやすりを僕にプレゼントしてくれた。一緒に写真も撮りあったから、送ることにした。18日から授業が始まるというから、今日は日帰りで来たらしい。
この街には女性の像が多い。その中の一つに公園の10mぐらいの女性が刀を半分に折り足ではヘルメットをかぶった兵士を踏みつけているのは、明らかに反戦の像である。どんないわれがあるのだろうか。この街は湖の近くとなっているが、川しかみることができなかった。
片道3時間で、街を見ただけだったが、ヴェトナムの女学生と知り合えたのが最大の収穫だった。
ホテルに帰る地下鉄で、前に座っている男性の髭が綺麗に手入れされているから、「いい髭だね」と話したことで友達になり、彼が名刺をくれて、理髪店をやっているとのことだ。イラクから来て、バグダッドは今危険だから、逃げてきているとのことだ。家族は今シリヤに逃れていてるというから、バグダッドは戦争状態で危険だという。戦争が終わるまでは帰らないらしい。「アメリカは戦争でないと言っているが、これははっきりアメリカの戦争である。フセイン大統領は悪いことをしたが、アメリカのブッシュ大統領はそれ以上の人々を殺している」と明らかにアメリカを憎む口調である。「散髪料金はいくらか」と聞いたら、200と言うから、3500円ぐらいである。大体一日10から12人ぐらいの客があるというから、一日4~5万円の稼ぎで、月収80万ぐらいになる。なかなか良い収入だとおもう。
昼食は、焼きそばをやっている店があり、そこには提灯に、炭焼き、食事処、寿司などと日本文字が書かれてある。大きな店で100席ぐらいあって、結構人が入っている。日本人が経営しているわけではないらしいのに、スーパーにも日本女性の和服姿絵が大きく描かれている。スーパーには日本文字のカタカナで店名もでていた。何故だろう。
中央駅のスーパでビール2缶、マスカット、パン、ソーセージ、牛乳、オレンジなど買い、ホテルのキッチンで料理して食べる。
駅でパソコンを開いたがYahoo Japanが出ない.
もうオリンピックが始まっている。テレビで日本が水泳の平泳ぎで優勝したのをみた。

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# by akinishi1122 | 2008-09-29 13:01 | 旅行 | Comments(0)