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1982年の旅

オランダ・ドイツ・エーゲ海の旅 1982年12月29日
年末と新年はこの3年旅行で始まっている。
今回はオランダ・ドイツ・エーゲ海という読売旅行社のパックで出発した。29日の午後2時家を出て明子ちゃんが大阪空港まで送ってくれた。3時集合、12名の参加者でいつものツアーより少ない。単身者ばかりで夫婦者は二組、明子さんは三時半の搭乗場でさようならをした。空港でアイスクリームのハワイ製というのを買ってシスターに差し入れに行くそうである。信顕も見送りに行こうかと大分考えていたが、アルバイトの時間に間にあいそうになく、帰りに出迎えに来てくれるそうである。
四時伊丹空港出発、いつものことながら、甲山の麓でこの飛行機を信顕とおばあちゃんが見送ってくれているなあ、と思うとなんだかその時、親子ということを感じ、西宮の家という特別の感慨になる。大阪のシスターあたりも見渡す。
羽田着が五時ぐらい。ただちに成田へ向かう。高速道路で全然あたりが見えない。一時間半ほどで到着。(ここでアムステルダムホテル行きの集合時間30日9時前10分)
成田発が21時30分KLM航空、日本人乗客が圧倒的に多い。隣に韓国人の船員グループがいたので、この船長の李居徳と言う人と日本語で話すが、彼の研究欲というのはたいしたものだった。日本文の手紙の書きだし方、季節の挨拶の書き方などを熱心にきいてくる。英語も喋るそうで我々は英語のみでもマスターしようとしているのとくらべ大違いだ。イスラエルに行ってアフリカまでの運行を1年間やり湖国するという。
 今度の旅行ほど疲れることを知らない。眠くて、しんどくて、時間が長くて、だからビジネスクラスの座席が空いていたのでここで3時間ちかく足を延ばして寝た。だがそんなことぐらいで疲れがとれるものではない。
アムステルダムでは信顕の希望があったFマークのソックスをみつけたので買う。10ドルで帽子もペアーでどうですかと勧めるのでそれも10ドル。
最初に着いたのはアムステルダム、オランダという国は僕の認識の中には殆ど無かった。アンネがここに住んでいたこと、海面下の都市だということい、いたる所に運河があること、風車の力で排水を続けていること、社会保障が徹底していて、外国人の定住者も多い。黒人の労働によって地下下水、地下鉄等を作ったのでその人らが住みついているので黒人も多い。
それから、フリーセックスの国だということも知った。若い男女が同棲して子供ができるがあまりこだわりなく、同棲中に結婚するかどうかをお互いに決めるそうである。ぼくなどはこの考えになじまないが、これも一つの生活様式に違いない。
 この国の一番高い山は300数十mで殆どが平野だそうだ。17世紀にできた建物が多く建ったからフランスやローマなどの建て方と似ている。やはり電柱、電話線などが無い。だから街が綺麗だ。治安もそんなに悪くはないらしいが、子どものイタズラが多くて自転車や車などがよく被害にあうらしい。
オランダ語が日本語化しているのが、ズック、オテンバ、コップ、ケンケンといったものらしい。そういえば鎖国時代長崎に出入りできた唯一の国でもあるのだから。
 朝ホテルに着いたのが6時過ぎでアメリカンホテルという、風呂に入って疲れをとろうとしたのが悪かったのだろう、ゾクゾクして一日中寒気がしてとうとう風邪をひいてしまったようだ。夜中もこの寒さをとろうと思ってまた風呂にはい入りベッドに入ったら夕食の7時に起きれなくなり、添乗員にお越された。だがもうしんどくてたまらない。熱があるのだろう。食事がほとんど食べたくない、ビフテキなんぞ全然食べる気になれない、街に出て蜜柑と葡萄を沢山買って食べた。喉が油ぎってもうたまらない。これで少しは喉の油が忘れられたが、熱はきえない。夜中に薬があったはずだと思い鎮痛剤を佳子が入れてくれていたので飲んでみると夜中の夢のなかでだんだんよくなっていくのが解る。もうこの旅行は明日から心配である。皆さんに迷惑をかけ、悪いけどバスで皆と一緒に行動できるか不安になった。
 アムステルダムの運河めぐりを船で楽しむ、隣に座っている人はロスアンゼルスから来た夫婦写真を撮り、日本のハンカチーフヲプレゼントして住所も書いてもらい送ることにした。飛行機のパイロットをしている人だそうだ。もう相当の齢に見える。

by akinishi1122 | 2016-07-02 04:25 | 旅行

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