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今日の一句

10月13日

頼まれもせずの無花果買いにけり  今の季節で最高の味の果物と思うから、メモ書きに無い無花果を買ってかえる


2015年8月9日(日)(19)10歳で見た長崎原爆思い出す

10歳で見たきのこ雲今80歳 今日は長崎に原爆が投下された日、小学5年、10歳で天草まで爆音と、きのこ雲が見えた

旅行をすると、どうしても見るもの、聞くものが多くなるので相当歩くことになり疲れがたまるものである。だから思いっきりこの気持ちをセイブするようにしているつもりだが、疲れがたまってきたのだろう。夜中に足の痙攣が2日ほど続いた。だから今日は思いっきりゆっくり部屋で本を読む時間をとることにした。

松本善久夫氏の「明日への坂道」である。この本にとりつかれているということがわつた。真之という小学の新任の先生の苦悩と成長、生徒との関係の日々、これが自分の子供時代を思い出しながら引き込まれていく。この小説は僕が社員と接したときに社員との間の心のそれぞれの思いが生徒の考えや動きとして重なってくる。

教育の現場は社会の両親の経済的な環境によって大きく教室にあらわれてくることも知る。

母子家庭で1年生の子が母親が夜の仕事のために、10時まで下の子の面倒を見る家庭。

学校を週に何回も休むので真之先生が家庭訪問で「学校を休むということは親の責任でもありますよ」と言ったことで、母親はより責任を感じ校長に相談にくる。そして先生がたは真之先生の気持ちは理解できるのだが、小宮山先生が「不登校に子ははっきりしたきっかけがあってそうなる場合もあるが、そうでない場合もある・…どうして行けないのか自分でもわからない。身体がついていかない。行きたくても行けない、そんな子は自分に行けない理由を論理的に説明するなんてできへんのや。親や教師がいくらいらだってもどうにもならん。がんがらなくていい、と言ってあげることが必要なんや」と先輩教師は教えてくれた。そして小宮山先輩は真之のかわりに家庭訪問で迎えに毎日行ってやるという「ぼくが訪問に行くのは、学校に来させてほしいと頼みに行くんやない。その反対や。学校なんか来なくても大丈夫やでと言いに行くんや」といってくれる。学校の現場はこのような先生方がいてこどもたちを育ててくれているのだな、と僕は感動する。こんな話を読んで松本さんに是非お礼のールを書かねばという気になる。

また教室ではほとんど算数で100点ばかりをとる子供の母親は学校のクラスに期待せず、もっぱら塾に毎日行かせ、中学から私立に進学させるという。その子は自分の靴に画鋲を入れて誰が入れたか教室のみなに疑いをかけさせることをした。進学についての苦悩がこんなところに表現されてでている。

また母子家庭の1年生が夜の10時すぎ母親が帰宅しても家に居なくてPTAや先生方が深夜まで探し回った結果やはり母子家庭の友達の家に遊びに行き眠ってしまて警察の聞き込みでやっとみつかるといこともあった。こんな小学の先生がたが一生懸命頑張っていることを初めてしった。そして先生がたが、助け合ってこどもたちをそだててくれていることの暖かさをしった。

これは真実の記録だと思う。そして子供にたいしての愛情にあふれている橋本善久夫さんの小説に、僕か感謝の気持ちをかかずにはいられない。

こんな時間をとって1時過ぎまでホテルですごし、それから、市内の一日乗車券でバスと地下鉄でまわった、今日は日曜なので、市内の中心も人が少ない。いずれにしても無理をしない日として過ごしたので、体の調子がいい。

家に電話したら、天草での中学の同窓会を9月11日にあると案内が来たいうから、友達の顔がみたくなったので、出席に返事をだしてくれ、と頼んでおいた。

今日、長崎で直接原爆をうけ、同じクラスにいた宮崎行雄君で優秀な生徒だった。同級生のうめかさんと結婚したが、若くして亡くなったが、長崎原爆は僕の身近な友達をも奪ってしまった今日の原爆の日である。

また中学の時の岩川照雄(西助役)さんについ思い出すが、彼は隣町の二江中学でたしかピッチャーをやっていて、僕は鬼池中学でライトを守り、二番打者であったが、彼と対戦した経験がある。その時の他校の選手の名前を憶えているということは、彼が相当速球投手であったからだと思う。苦戦したから覚えているのだろうと思う。それが高校に進学してまと思いだしたし、今度は町村合併で同じ町になつて、僕はもう天草にいなかったが、西助役はなかなかの人物だと時々の帰省のとき兄から聞かされていた。それが僕の

本の出版に対して有難い感想をいただくことで、より敬意をもつようになった。天草にいて、そして町を事実上運営している責任者が、かくも世界に関心をもち、しかも優れた視点で僕の本にたいして共感的な感想を、しかも国際感覚のある感想だから、やはり彼は只ならぬ人ではなかったと知ることになった。

2015年8月5日(水)(15)マルセーユからニースへ

作家 松本善久夫さんより

坂口さん、いろいろありがとうございます。くりかえし読んでいただいて感謝です。お体十分にお気をつけください。日本も猛暑です。戦争法阻止の闘いは暑いです!

あまくさ9条の会事務局長 中山健二さんより

マルセーユといえば、私は、映画「カサブランカ」の酒場でナチスに抵抗して大合唱になった情景が浮かんできます。

この映画を何回見たことか。  そのマルセーユからのお便り有難うございます。

参議院では連日、論戦が展開されています。特に、小池、井上、仁比参院議員の連係プレーは自衛隊の内部資料を

駆使した追及になっており、しばしば答弁不能で中断されています。安倍首相の表情がさえなくなってきているのを感

じます。「平和」のための戦争を再び起こすなどという安倍首相の欺瞞を打ち破る国民的な運動も広がってきています。

天草でも「九条の会」をはじめ、「女性の会」、各種団体、党支部等々多彩なアピールが街頭で展開されています。

民衆革命の歴史をもつフランスに思いをはせながら、「九条」の真の具現化をめざして頑張ります。

くれぐれもお体に気をつけて一人旅をお続けください。

中山健二

中小企業家同友会全国協議会会長  鋤柄修氏より

フランスでの旅、相変わらずいろんな人と交わりながらタフに移動されていますね?

日本は連日35度以上の猛暑日が続いています。

3冊目に頂いたイギリスを自転車で旅する本にあるページで高校時代の歴史で

ポーツマス条約を思い出してポーツマスに行く事にすると記してありました。

ちょと気になり調べたところ日露戦争後のポーツマス条約が締結された

ポーツマスはアメリカ東海岸にあり軍港でした。

イギリスにも同名のポーツマスという町が有ることも確認しましたので念のため

お知らせします。

元気でフランスからモナコあたりを移動中と推測しています。

事故の無いことを祈念しています。


2015年8月7日 (金)(17)ニースからイタリヤ・ミラノへ

8月や原爆を若き医師に教えけり ミラノに行く列車で若い医師と知り合いになり広島のゲンバクを教えた

予定では9時49分にニースを発ち、ベントで乗り換えてミラノに着くのが1450分と顕が指定席をとってくれていた。ところが早く準備ができたので8時半に駅についてしまったので、「ミラノに行くのだが」と言ったら、「今止まっている列車に乗りゼノバで乗り換えなさい」と教えてくれたので、1時間早く出発することになった。

地中海の海岸線を走るから、綺麗な海岸ばかりで、そして1時間少々でモナコ駅についた。ニースからモナコはそんな近いところだったとは驚いた。

普通車で最初は僕だけと自転車を持ち込んだ青年2人だったが、ゼノバに近くなる頃から、たくさんの人が乗り込み、隣に若いカップルが犬を籠の中に入れてほほを舐めてもらったりして可愛がっている。彼らにどこからですか、と訊いたらLUXENBAIRG

という国からという、そんな国がとイタリヤの間にあるという、人口は200,000人で領土は500K平方というから、モナコと同はじような国があったのを今日初めて聞きた、ゼノバについてしまったのでそれが

残念だ。そんな話したからジェノバから乗り換えのミラノへの列車も調べてくれ、ミラノ行のホームまで荷物を運んでくれて大変助かった。

ジェノバからは冷房が効いていて、快適だが、個室6人部屋なのにどうも満員のようだ、アメリカ在住の中国婦人がいた部屋で話していて車掌がくるまでここに居なさいということだったから、彼女らと話て車掌をまった、すると「貴方はミラノまではいけるが指定席をとれているのは別の路線で間違って乗っている、だがここで空いた席で乗っていていいいですよ」といってくれた。

この話を通路で聞いていた青年が、通路ですわりましょう。1時間ほどで着くのだから、と誘ってくれた。そこで彼と話していると、彼は医師でジェノバで勤務しているが、母のいるミラノに向かうところという。27歳で彼女はいるが、まだ結婚はしていないらしい。お母さんも医師でミラノで開業しているらしく、彼の専門はEMERGEWCY DEPARTMENT

と書いてくれた。どうやら、精神科に近いような感んじだ。。そのうちに日本にもいきたいといっているから、いつでも」歓迎する。僕は世界を旅しているが、60歳でエベレストの4800mまで上ったことあるし、今は毎日水泳で300m泳いでいる、それは一人で海外旅行をまだ続けたいための体力保持のためだ。と言っておいた。

昨日がヒロシマに原爆が投下されて、70年になるが僕は10歳のとき、長崎の8月9日のゲンバクを見た経験者だ。など説明し、貴方とあった記念にポエムを書くから送るといっておいた。自分の名前はレオナルド

というから覚えやすいでしょうと書いてくれた。僕のブログを自分のパソコンですぐ出して僕の本が出ていることも」知ってくれた、

俳句はブログで毎日更新しているから、イタリヤ語に翻訳して読んでもらうことにした。

Leonardo

Ghezzi88@gnail.com

ミラノに着いたらホテルの地図があるので暑いからタクシーにした。それがなかなか遠いのである、いつも近くをとってくれているから、騙されたのかな、と思ったが、ある程度は覚悟していたが、警察が20分はかかるだろう。と言っていたから、それほど不安もなくちゃんと送り届てくれた。そして領収書も自分で書いてくれた。だからここは正直だと自分を恥じた。26ユウロであった。

ホテルはNHミラノコングレスセンターというから一流の会議が行われるところで、広い公園のなかにあり立派なものだ。いままでに最高の設備と綺麗さである。よいところをとってくれてありがたい。

シャワーを浴び、5分ぐらいのところに、大規模なショッピングセンターがあり、みたところおおきいいとは見えないが、スーパーあり、家具、衣類、ファッション、なんでもある。

ここで日本の寿司をかった。サーモン中心の握りだが、この米の旨さは日本に引けを取らない旨さだ。これらが、TPPで輸入されると日本のと見分けがつかないのに」安いのでは日本の」農業が太刀打ちできないだろうから、そもそのもTPP など交渉は日本農業を潰すものだとわかる。

岡山の旭東病院院長 土井先生から

 ニースの海岸での若い女性との交流、素晴らしいですね。 明日はミラノ楽しみです。 日本は、猛暑です。

     東京に出張して、昨夜帰って、朝メールを拝見して返事しているところです。

     広島・長崎の原爆 当時の人たちのことを思うと、心が痛みます。 

                                 土井章弘

政府の高官婦人から

尊敬するのぶさん

こんにちは!

私たちは、ノルウェーのロフォーテン諸島から、

スウェーデンのストックホルムに行って、

今日、帰国しました!

北欧は、自然が雄大で、センスが良く、オシャレで、

生活がシンプルで、とても良いところでした!

のぶさんのいらっしゃるフランスのニースは、カンヌに比べると

静かで、のどかな海岸ですよね!

さて、

のぶさんのお話は、とても勉強になりました!

貴重なお話を伺えてよかったです。ありがとうございました!

今の日本は、なんだか戦前のようになってきていますね。。。

では、のぶさん、どうぞ無理をされずに、ゆっくりと過ごしながら、

海外を楽しんで下さいませ。

また、旅日記を楽しみにしています。

前助役 西さんから

8日の朝刊、岩手県知事選(96)に自公の全面支援を受けて立候補を表明していた平野元復興相が、立候補を断念、野党が支援する達増知事の3選が決定?しました。 広島の原爆記念の日の首相挨拶にヤジが飛び、非核三原則に言及しなかったことに世論が反発したため、長崎では言及するそうです。 公明党の山口代表は首相との会談で、戦後70年談話に「おわび」や「植民地支配と侵略」を明記するよう求めたようです。 はたしてどのような言い回しをすることやら? 安保関連法案審議で、「他国軍への後方支援」では「核兵器の運搬」も法文上は排除していないが、非核三原則を理由に要請があっても拒否する防衛相だそうです。 車のバンパーは衝突する為にある。数少ない外国旅行で小生も実感しました。車をピカピカに磨くのは日本人の特性でしょうか? 70歳から本格的に学び始めた英語で、世界を舞台に自在に飛び回っている貴兄を羨望の眼差しで見ています
。いや、ただ単に、外国のご婦人方特に若い女性と話したいだけですが 次報を楽しみにしております。

大阪中小企業家同友会編集長 西岡洋子さんより

ますますフランスを知りたくなりました。

私はフランスとイタリアは未経験です。

ヨーロッパで一番文化の集中したところなのにね。

しかしこんな風に一人旅ができるかなと感心します。

やはり家族の方の心配とフォローに支えられていますね。

西岡

概要[編集]

ミラノはイタリア全土では首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。観光地としても名高い。1982年に1,607,804人いた人口はその後ドーナツ化現象で長く減り続けたが、ここ数年はおよそ130万人前後で落ち着いている(2013年時点の人口は1,324,169人)。2013の近郊を含む都市圏人口は526万人であり、イタリア最大の都市圏を形成している。日本稚内市とほぼ同緯度に位置するが、最寒月の平均気温がおよそ5℃程度と、比較的温暖。

ミラノ・コレクションなどで知られるように古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄であるが、近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しておりイタリア最大級の経済地域を形成している。

2014、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第44位の都市と評価されており、同国ではローマに次ぐ第2位であった[1]

歴史[編集]

2015年8月10日(月)(20)ミラノ・ドーモ・広場、ドーモ博物館・市内観光バス

塔幾百紺碧の空を割りて立ち 教会ドーモは幾百の塔を紺碧の空に林立している

今日は「L・ダビンチ記念国立技術博物館」と「最後の晩餐」に行ったが二つとも月曜は休館とのことだった。急遽ドーモ広場に行った。ドウオーモというのはミラノのシンボルで最大のゴシック建築の教会であるらしい。1386年から500年かけて建築されたというのだから、規模といい芸術作品といえる建物である。高さが108,5M、奥行き157M、面積が1万1700平方メートルというから桁がちがう。美しさにみとれてしまう。見たところ、沢山の

尖がった塔が200以上も林立しているのだから、お伽の国にきたようだ。観光客も広場をうめつくしている。この前がドーモ広場、丁度ベルギーの広場とおなじように教会の前の広場で、500M平方ぐらいあり、その中央に騎馬像が30Mぐらいのたかいのが立っている。ベルギーの広場は広場を囲む建物がきらびやかだが、ここはその周辺はきらびやかではないが、規模が断然に違う。モスクワのクレムリン宮殿は広いが特徴はねぎ坊主のような建物の教会で色彩で特徴があるので、それぞれの美しさである。

500年も同じ設計で工事が続けられたということは、やはりキリスト教が歴史的にも国民の心をとらえていたからであろう。普通政権が変われば建物の性格まで変わっていくのが多いが、ここでは政権がキリスト教を取り込み、またお互いに利用しながら生きてきたのだろうと

僕なりに解釈している。

隣にドウモ博物館があり、ここでキリスト教の主とした備品や牧師の歴代の取り巻き人物がおそらく数万はあるだろう。最初から写真を全部写しだしたものだから、途中でフイルムが満杯になり、絵画のところは撮れずじまいで残念だ。そこを出てから思いついたのだが、携帯電話でも写せるのだったのにと、これもあとのまつり。

ここへ来る前に観光バスに乗り、市内をひとまわりしたが、やはりここがいちばんのみどころである。

観光バスで降りたところに、今から乗り込もうとしている日本人夫妻で赤ちゃんをだいている人で、よくも赤ちゃんを連れた旅行ができますね。といったら、ドイツにトヨタからの勤務員だとのことだ。僕の観光バスの券がまだつかえるからプレゼントしておいた。もう一組地下鉄で日本人夫妻で50代の人がまたこの教会でであった。ご夫婦で、ツアーではなく、大阪の大学の教師をされているという。大勢のなかにこの二組だけ日本人にあったが、極端に日本人が少なくなったのを日に日に感じることだ。

日本では今日川内の原子力発電の再会のスイッチが押されたというが、2年半ぶりに原子力発電の再会だが、毎日新聞の’世論調査では再開反対が57%だし賛成は

23%というのに、今の安倍政権は、国民に与論と反対の事を突き進むことばかりしている。いつまでも与論と反対のことをやれば、早晩内閣崩壊は近まることだろうという気がする。

同友会全国協議会長に僕が尊敬する理由として通信した。

尊敬する理由

1)行動力が抜群である

2)深い理論に裏打ちされている

3)未来に確信を持たれている

4)言われる言葉にいちいち納得できるから、気楽に運動に参加したくなる

5)言っていられる言葉はきついが、嫌味がない

6)会社も業績を伸ばされている。(でなければ人は見抜いてしまう

7)いつも朗らかである

だから尊敬しているのです

それに対しての鋤柄さんの返事

外国からのメールで誉めてもらい嬉し恥ずかしい気持ちです。

日本では安倍政権の支持率が急降下しています。

ミラノは過去に1度だけ駆け足で観光したことを思い出さいました。

毎日々移動して新しい土地で多くの人との出会いを楽しんでみえる姿が

メールを通じて伝わってきます。楽しい旅行が続くことを祈っています。

京都の作家 とうてらおさんからの便り

(19)受け取りました。

ありがとうございます。

相変わらずの健筆でお元気の樣子を再再再確認しています。

引きつづき、メール発信、よろしくお願いいたします。

吉田典夫

文学阪神前支部長 木下道子さんより

     お久しぶりです、いまどこでどうしておられるのか、もしやお身体でも壊していられるのでは、

     と思っておりました。たしかに、少し休まれるのがいいですね。休むといっても「明日への坂道」

     をよく、深く読んでおられるのに感心します。好きな小説は何度も読まれるのですね。ご自分の

     仕事の場での体験と重ねたりして、すごいです。では、どうぞよい旅をお続けください。

     今月の「文学阪神」例会は欠席者続出で7人でした。でも合評はしっかりやりあとの会も楽しく

     盛り上げました。                             木下道子


株式会社ライフプラザパートナーズ   
社長 浅野 真弓  より

残暑お見舞い申しあげます。

まさか、フランスやマルセイユに行かれてとは

本当に驚きと尊敬と心配をいたします。(笑)

どうぞ、お身体を大切に旅をお楽しみください。

文学阪神前支部長 木下道子さんより

坂口哲生様(ペンネーム)

    ミラノからのおたよりありがとうございます。行きたいところが休館日とは、残念でしたね。

    ところで、ほんとに今日は川内原発が再稼働とはなんという日でしょう。朝日、毎日は懸念を表明

    しているようです、まだ詳しく読んでないのですが。

    今日は夫と「日本のいちばん長い日」を塚口に観にいきます。もっくんが天皇の役らしいのでいまいち

    ですが昨日の赤旗文化欄では長い記事で天皇の戦争責任は描かれていないそうです。しかし、力作の

    ようであまり戦争の本は読まない私ですので、不満があっても観ておきます。ついでにサンサンタウンの

    地下の「田毎蕎麦」でお昼をします。おいしい蕎麦がたべられます。ではお元気で。   木下道子

2015年8月11日(火)(21)ダビンチ記念国立科学博物館

8月や反戦争法へ野火の波 毎日全国で戦争反対ノデモや集会が日を増して拡大しているという

今日は、11時に

ダビンチ国立科学博物館に着いた。入場券を申請したら、お歳は何歳ですか?と聞いてくれ、おそらく65歳以上は割引になるのであろう。そして「コンニチワ」と声をかけてくれる。どこでも券を買うときは年齢を聞いてくれることはあるが、「コンニチワ」といってくれるのは日本人と見てのことだから、嬉しいものだ。沢山の東洋人の中では中国、韓国が圧倒的に多いのにどこが日本人とわかるのだろう。不思議だ。僕でさえ韓国と日本人の見分けが難しいのにやはり僕がそれと分かる容貌をしているのだな、と嬉しささえ感じる誇りでもある。

街に物もらいの人が手のひらをだしてお金乞をする人が多いが、不思議に黒人がいないが何故だろうか。酔っ払いで髭ぼうぼうで道路に眠ったりしている人の中にも黒人がいない。これは、僕のみるところでは黒人は仕事を探せばいくらでもあり、いわゆる掃除や人の目に汚れが目立つ類の仕事であれば仕事には困らないから、乞食をする人は黒人に少ないのだとみるのが分かり易いと思う。

僕も財布に小銭がたまってきたから、今日この博物館への途中で小銭をプレゼントしてやった。するとこの乞食は帰るとき、僕を憶えていたのだろうもう手をださなかったから、彼らなりに、くれたひとを識別しているのだな、と感心した。彼らなりの知恵なのだろう。

ダビンチは、家にも「モナリザ」があり親しんでいるが、彼が画家であることがあまりににも有名で、医学者であり天文学者であり、哲学者であるということはしらなかった。たしか1400年代の人でルネッサンスの象徴的な人だと思うが、何か物事について疑問を持つ人というのは、際限なく次々と研究分野を広げていくもののようだ。この博物館を流れとしてたどれば、ダビンチの発想がおぼろげながら理解できるものあ。

モナリザにかぎらず、風景画も繊細だし、人体の

解剖した絵も現代の医学の本にでているのと違わない。世界の地図はまだまだ完成した認識はなかったが、天体については望遠鏡などもつくっていて、その天体観察からくる地球の動きもすでに理解していた記録が保存されている。

いまから600年前という時代に一人の個人でどえらいことをできた人物に今日会えて感激している。

会場で日本人夫妻にあった。コペンハーゲンから万博の出展しているオムロンの社員さんで、40代だとおもう。僕が広場のベンチで昼食をしていたら、ベンチに夫妻でこられ、オムロンという会社は立石電機という時代にうちの会社に女性が就職が決まってアルバイトに来ていたが、何を創っている電気の会社か知らなかったが、いまではハイテクなどで世界に輸出をして、円安だから非常に儲かっているらしい、中国には2万人の社員がいて、そのほかの世界に

1500人が出て活躍しているという。

僕が中国に2万人もいるということだと、現在の安倍政権が安全保障法を決議したら、中国を意識して軍備や戦争の準備している事態で会社として困るのではないですか?と聞いたら、「いや中国と日本は戦争しないでしょう、中国は日本と戦争したら困るのは中国ですから」と非常に楽観的である。

大企業の社員の考える安保法案はちがっているようだ。自分の製品がなければ中国は困るのだから、という高姿勢の考えというのは、ある程度大企業は日本が敵対的態度をとっていても中国の方が経済的に弱いのだから、中国は日本に」手出しできないというのだ。企業の意識の高ぶりは安倍首相もそれに近いかんがえで、中国は手出しできないと思っているのと共通しているようで、怖い気になってきた。前の日中戦争の時の考えと全く同じ考えで企業と政府が突き進む戦争への道がはしなくもこの人から感じとることになった。

今日の日本からのニュースによると、「徴兵制も憲法に違反しない」という自民党の議員が言ったというのだから、毎日どんどん憲法を勝手に解釈し、そこまですすんできたか、と怖くなる。

松本善久夫さんの「明日への坂道」を200ページまで読みすすんだ。息をつかせない小説とはこんなものか、と毎日読む時間を惜しまず読んでいる。小学6年の担任の真之先生のこどもを通しての人間的に成長していく姿をうなずきながら、なるほど人は職場の先輩の優れた面に驚き、驚くことで自分が変化していく、これは僕がいま外国でそれぞれの国の’文化に驚き、そして少しずつ変化していくような自分と同じ道を真之先生はどんどん変化しているな、と自分におきかえて読んでいる。子供も社員も人間は環境の変化に起因してに変化していくものだな、と教えられることばかりである。小説をかくということは、深い哲学をもって人物をえがきだしていくことだなとかんがえる。このような小説がいつかはかいてみたいものだ。

大阪同友会前副代表理事 前西佳信さんより

ミラノは とても暑いのではと思います。

7月1日に 2時間ほど ドーモの近辺を

うろうろ しましたが、とても暑かったです。

お体を大切に。

民主文学京都支部作家 とうてらおさんより

問い合わせ、ありがとうございます。
日記が届いているのは、1,18,19,20だけです

よろしくお願いいたします。

吉田典夫

大阪中小企業家同友会前代表理事 中島幸子さんょり

 おはようございます。

 私に対し具体的に8項目も挙げて、お褒め頂きうれしいと共に恐縮です。

 行動力は、私よりも宮崎さんの方が何倍も優れておられます。

 お一人で、海外旅行されるとは、考えられないことです。

 それなりに私も歳を重ねてきておりますが、いつも、宮崎さんに刺激を受けております。

 今回も、有意義な旅で、無事にお帰りになられること祈っております。


2015年8月12日(水)(22)ミラノ。スフォルツァ城博物館観光

鶏と母晩年の日ダビンチの画に  昨日ダビンチの絵の中に母の晩年に鶏と過ごした時のような絵にであった

明日スイスに発つのが11時23分だが、ここの中央駅に間違いないだろうか、確認せねばと出掛けた。大体同じ時間を見計らってインフォメーシヨンに指定席券を見せてここからで良いか聞いたら、間違いないとわかったが、何番ホームかと聞いたらそれは明日にならなば分からないという。こんなところが、外国の列車の案内が普通である。大体15分ぐらい前になり電光案内版に表示されるから、人々はそれを見て一斉に

動きだすから、僕もホームを察知して知ることが多いものだから、だいぶ僕も慣れてきて、ホームがわからなくても平気になった。

時間があったから、昨日のドーモ広場に行ってみた。すると

日本の団体15人がいて、どこを回ってきたのですか?と聞いたら、この先をまっすぐ行ったところのスファルッオ城を見たところです。と教えてくくれたので、そこまで歩いてたどりついた。観光バスでは外からみたが、中に入るとすごく高い塀にかこまれて大っきい。日本の城といえば、大体高い山か丘の上に多いのだが、ここは平地にできている。ここの建築にはダビンチも設計に関与したというから、1400年代にできたことになる。地下室が考古博物館で、1階はたくさんの城の装飾品や王やお妃の石棺などであり、2階が絵画が多い。絨毯が10mの5mぐらいのが色がさめかけているが沢山あり、ダビンチの絵らしいのも人物画がいくつかある。ここでも200枚ちかくカメラに収めたが、帰国後改めて丹念に観察したいと思う。幸いに日本語の解説が各階においてあるから、今日はとりあえず写真に収めることにした。

中でも印書に残るのが騎士たちの鎧が今のステンレスのように目る鉄板で全身がつつまれているので剣でつついても刺してもなかなか、死なないようにできているのには感心する。日本の鎧でここまで鉄板で保護されたのを見た記憶がない。これだと、戦闘は投げ倒して刺すぐらいしか戦法はないかと思える。また騎馬兵は馬を刺して落馬したところを刺すことになるだろうな、とみた。

また現在は黒人がフランスと同じように30%以上街でみかけるのに、ここでの人物の像に黒人がいないというのは、まだ14世紀ごろはアフリカとの人的な交流や奴隷という制度はなかったのだろうか、日本でも労働者が築城にかかわった職人や

作業が完成後は敵に秘密が伝わらないように殺害していたというから、恐らく白人の奴隷たちはそのような運命をたどったのではないだろうか。これはパリのルーブルでも同じ白人の奴隷の像をいくつかみたから、これだけの築城には作業員たちの悲劇はあったのだろう。

ここでもう一つ印象にのこったのが、バイオリンを弾いている女性の絵がたくさんの人々の中にいたことだ。他の美術館であまり見たことがないから、少し記憶にのこる。そしてバイオリンの制作作業の絵もあるから、珍しい。

ホテルに帰ったら、香川同友会の三宅さんから、手紙がきている。僕と同じ歳だが、まだ現役で100人ぐらいの会社の陣頭指揮をされているから、大した人物である。そしてまだ香川県の’産業界やシニアの会のお世話をされているというから、僕は30年来いつも三宅さんから学ぶことが多かったし、どこからあの経営エネルギーが生まれるのだろうと思っていたが、近年髄筆誌「飛翔」で自叙伝を連載中だから、若い時僕も読んでいた「人生手帳」の読の解説が勇気をもつようにかかれていたから、僕と共通の時代と共通の正義感だから、親近感が持てるし、あの時代の若さを現在も継続されていることで尊敬できる人だ。

また作家の風見梢太郎さんから、僕のミラノについての記述から風見さんもミラノの思い出を書いてくださったし、尊敬する作家がいつも読んでくださっていることは励みになっている。

香川の三宅昭二さんから

独り旅 ミラノの匂い 届く夏

80の 友の 便りの 虜かな

シニア会 秋の帰国を 待つ企画

 メール、ありがとうございます。

 私は、メールが出来ないので、事務員さんがプリントアウトして私までもって来てくれました。

夕食をとるのも忘れて、の句の心境となりました。

 貴兄は、若い頃からの学びや体験が哲学的な血肉になって、今では、世界のどこへ行っても通用する

「いぶし銀」のような光を放っていると感じます。人見知りしない性格と、健康に恵まれ、しだいに

「世界のノブさん」として、人々に愛されて行く事でしょう。

 こちらからメールを出すのは、なかなかですが、貴兄からのメール楽しみにしています。

 実は貴兄の出版に刺激されて、私も「私の生い立ちと歩み」を8年6ヶ月書き進めたものを、1冊に

まとめて、9月12日の弊社60周年記念式典の日に合わせて出版することにしました。

 貴兄が日本においでるなら、出席して頂きたいところです。

 の句は、今日8月12日に、香川シニアの会の役員会で、宮崎さんの講演会の計画をねりました。

講演の日は10月20日(火)か21日(水)あたりでいかがでしょうか。そして、その前に打ち合わせの

ため、大阪の貴社へ、3~4名で訪問する日は、9月16日(水)17(木)18(金)のどれかで、

どうでしょうか。野田さんからもメールあるやもしれません。講演の返事は、野田さんにして下さい。

(私の会社の社員向け講演は、来年1月11日午前です。予定願います。)

 「戦争法案」なのに、タイトルだけ「平和法案」と変えて、この日本を何が何でも、戦争する国に

もって行こうとしている現政権は、国会議論でも、破たんが明らかになりつつあります。また国会を包む

国民各層の何万と云う連日の声が増えつづけています。最近、特に若者の「憲法違反の法案をつぶせ」の

声は日を追って大きくなっています。

 日本の若者も捨てたもんじゃない。正義は必ず勝つとの信念を強めて行こうとしている昨今です。どう

すれば「平和の主体者となっていられるか」自問する日々です。

民主文学作家 風見梢太郎さんより

敬愛する宮崎信敏様。

旅行記をとてもたのしく読ませていただいています。

ミラノは一度行っただけですが、とてもよい印象を持っています。
町の様子がしゃれていましたね。

ドゥオーモやスカラ座、ガレッリアが見事だったのを覚えています。

「最後の晩餐」は結局みることができませんでした。
 
 どうぞお元気でよい旅をお続け下さい!!
 
 
                       風見梢太郎


山の会かじか 事務局長 野津秋雄さんから

こんにちは。体調のほうは如何ですか。ニース生活は如何でしたか?次はミラノですか?
かじかの会報9月号(8月29日発行)の「コンパス」B5・1ページに掲載したいと思っています。
20日頃までに送っていただけないでしょうか。現地からのホットな情勢をかじかの仲間達に
伝えてください。連日のメールのほんの一部で完成します。楽しみに待っていますよろしくお願
いします。

   野津

すぐ原稿として送信しておいた。

「旅先で思うことども」  宮崎信敏 2015年8月13日スイスにて

今回の旅は80歳になってからの初めての長旅です。健康のための山歩きが近年はみなさんについて歩くのが負担になり昨年11月からスイミングクラブで毎日300m泳ぐことで、健康維持したいと続けているところです。本当のところをいえば、海外の一人旅がしたいための体力維持といったことが本音かもしれません。

7月22日から、パリ、マルセーユ、ニース、ミラノ、スイスときたところです。日本の’夏は今年は特に暑くて35度が続くと聞いていますが、今度の旅で特に気付くことは極端に日本人が少なくなった気がします。やはり円安が響いたのでしょうか。もう一つこの旅で毎日気になって日本のニュースを見ていますと、どんどん戦争のできる国に突き進んでいることの怖さです。名前は安全保障法といっていますが、明らかに戦争の火種をつくるアメリカの戦争への後方支援といっていますが、後方支援ほど相手は狙うのが一番効果的ですから、必ず後方支援が狙われることでしょう。先の日本の戦死者として320万人が戦死とされているのに、この後方支援の食糧、弾薬などが攻撃され後方支援が途絶えたための餓死だったのが半分以上ということが戦争の実態だったのですね。

私は今ヨーロッパにいて、アラブの人々とも毎日仲良くし、親切を受けていますが、この

人たちが大部分イスラム教でアメリカのイスラム敵視に反発しています。私のイギリスでのクラスメートは大部分がイスラム教でした。この人々が最近日本を見る目がそっけなくなつてきています。

「だってあなた方はアメリカと同じことをいいだして信用できにくなりました」。というのです。個人的には良い人々ばかりですが、こと戦争となるとこんなにもわれわれに対して態度が変化してくるものはかと肌で感じます。

写真を撮らせてもらうとき、はっきり日本人のカメラに映るのは嫌だと拒否されることが、たびたび経験することになったのに、驚きを関じています。

もう一つは、若い女性が2か月の夏季休暇をとって旅行しているのにたくさんであいます。日本で2か月の休暇がとれる会社が一つでもあるでしょうか。世界は自分の人生を楽しむために、と動いていて、日本は段々働く環境が厳しくなり、長期休暇どころか、正規の社員でない人々だ2000万人以上とは、いったい若者が将来の夢を描くことができにくくなり、世界の動きとは反対のことばかりの動きがよく見えてくるのが今回の旅で感じます











by akinishi1122 | 2015-10-14 05:47 | 俳句

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