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社内新聞

第5327号 日々新聞  2014年9月8(月)
同友会前会長 赤石義博
労働者をパートナーと捉える
 昭和三七年十月に熱海で第三回全国活動者会議が開かれました。全国に同友会はまだ三つしかありませんでした。五~六〇名が集まりました。当然私は労使問題の分科会へ出ました。当時二九歳。熱気ある面々の中で口も挿めませんでした。明け方、意思統一されたことは、我々は確かに店や工場を持っており、資本家には違いないが、何ほどの者かと。皆と同じ釜の飯を食い、暮らしをなんとか維持する程度だ、資本がどうのというものではない。ただ一点、給料を決めて払う側と決められてもらう側という利害が相反することははっきり認めよう。その上で、最も信頼できるパートナーとなっていくにはどうしたら良いかを考えていくことになります。
 翌年、「春闘に際して訴える」という文章から、労資の「資」を「使」に変えました。今ではこれが一般的です。
経営指針は社員とともに作る
 労使見解の一番最初が経営者の責任という項目で始まっているのはご存じの通りです。経営者である以上、いかに環境が厳しくとも時代の変化に対応して経営を維持し発展させる責任があります。その次に「経営者は企業の全機能をフルに発揮させて、(中略)何よりも実際の仕事を遂行する労働者の生活を保障するとともに高い志気のもとに」と続きます。この「志」は経営指針とつないで考えて理解していただきたい。「士」を使わずに「志」を使ったのは、理念を共有するという意味を強く込めているのです。田山さんも、経営指針を、「社員の知恵を集めて」と書いています。  
 最終的な決定は社長がやるとしても、理念に基づいた行動の具体化をする時に、経営指針の企画段階から社員が参画することが、より深く理解し参加の意識をもつことになります。社長がすべて作りあげてから、意見があるか、無いなら賛成だなと決めて、反対が出なかったのだから計画を遂行するのは全員の責任だと言っても押し付けになってしまいます。あげく自主的にやれ!と怒鳴っても自主的にはやれないでしょう。自らの気づきをどう持たせるかが大事なのです。
 先ほど申し上げた渡辺トクさんにこんな話がありました。八二~三歳のころ、身障者の方が八〇名ほど会社の宿舎にいて一緒に暮らしていました。食堂で全員一緒に食事をします。ある時、無意識にふと、「社長をやっているのが疲れちゃった」と言ってしまった。業界の情勢が変わる中で新鋭機の導入に億単位の設備投資をしなければならないのに銀行がうんと言わない。そんな時期にふと、「疲れた」と出てしまった。これは「社長を辞めたい」につながるわけです。すると周りの人たちが箸を置き、あっと言う間に食堂内の全員がシーンとなった。私としたことが、なんということを言ってしまったのかと思ったが、口から出てしまったものは引っ込まない。思わず立ち上がって両手をあげて歌って踊り続けた。すると一人立ち、二人立ち一緒に踊り出し、皆にすーっと安堵の表情が出てきたそうです。それだけ慕われていた。
 トクさんは皆にものすごく自立を要求した方でした。絶対に甘やかさない、だけど社員と共に命を全うしていく。自分は企業家として妥協しない。身寄りのない従業員の為にお墓も作りました。そして、社長が先に行っているからね、あんた達は頑張って頑張って生き抜いてそして終わった時に社長の所へ来るんだよと言っていました。
 八〇歳半ばで億単位の設備投資をした後、お訪ねしたら工場には、企業秘密だということで入れてもらえませんでした。あの歳になっても企業の先行きを見ている。先に行っているからね、社長の所においでと言い切れる凄まじさ。これが本当の意味の人間尊重です。自主性を重んずるくらい、人にとって厳しいことはない。これを社員に認識させるような育て方をしていく必要があると思います。

第5328号 日々新聞  2014年9月9(火)
子どもの心

はってあげた
利始ちゃんの日記

ゆうべおとうちゃんと、おかちゃんが、
なんでかしらんけど大げんかした。
おとうちゃんがおこって
おかあちゃんのかわいいときの
しゃしんをやぶってしもうた。
おかあちゃんがないたので、
ぼろぼろにやぶけたしゃしんを
ひろってセロテープで
はってあげた。


ふく
やすえ

おばさんが
「きていきなさい」っていう
ようふくは
あたしがあんまりすきじゃないの
だけどおばちゃんの
いうことをきかないと
おかあさんが
「おまえににている」って
おこられるから
あたしがまんして
きるのよ。







by akinishi1122 | 2014-09-09 11:53 | 社内新聞

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