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ラトビヤ「花」の力

(44)2013年9月2日 リガ市内雨、花の力を感じる国
花を抱く娘を隠し撮りにけり 花を抱く自然の姿を撮りたいと築かれないように写真にとる
ホテルで紹介してもらって、リガ市内観光バスのバス停に行き、雨の中待つのだが、1時間まっても来ない、僕は背が低いから、時刻表を背の高い青年に読んでもらうのだが、その時刻が過ぎてもバスが来ない。カッパを着て、傘をさすのだが靴まで浸みてくる。観光バス停の看板は出ているのだが、僕以外だれも待つ人がいないとゆうのは、何か間違っているのだろうが、次々に来る人に訊くのだが観光バスに用の無いひとで、地元の人は観光バスのことは知らないのである。1時間まったが諦めて、普通のバスでどこでもいいから、市内を見物することにきりかえた。だがやはり普通のバスでは観光になるよりも生活道路だから、30分ぐらいのところで、果物やチョコレートを買ってひきかえさいた。
路に花屋がいっぱいあるから、この国は花の好きな人の国であろう。バスに乗る人や子供たち、高校生ぐらいの男性でも花束や一輪の花をもっている人をたくさんみかける。
こんな花の好きな人々に悪い人はいないのではあないか、と思うようになってきた。花の手入れをしたり、眺める時は僕も心が和ごんでいるときだから、きっとこの国の人々は心の優しいひとたちが多いにちがいない。
バルト3国とゆう言葉は耳にするが、この3国とゆうのは、共通の何かつながりがあるのかもしれない。ハンザ同盟の有力な構成員らしかったのだが、ハンザ同盟の歴史は紀元1200年後半から、バルト海沿岸を中心に、国の武力や権力と違った商人のつながりで、商売の発展が船での流通商品だったから、その土地の製品はその土地の利権をまもるとゆう商人の約束のゆるやかな約束だったようである。これは商品社会の発展とともに流通するには、交通機関である船の役割の同盟で、商人の活動を各国の権力者の王が保障するとゆうかたちの同盟で、利益が出ることで国王も恩恵に預かるとゆう関係で発展したようである、多い時には200の都市がこのハンザ同盟にくわわっていたとゆう。イギリスや地中海まで沿岸都市がこの同盟に加わっていたとゆうから、まさに資本主義の発達とともに、商品流通の同盟だったのではないか。日本でも長崎や大阪の堺が商業の発展のための流通の拠点になったことで、その地域の自治も権力者から保障されたとゆうことが似ているようだ。
そのハンザ同盟の中心的存在がこのバルト3国であるようだ。これらの国は海岸の地形に恵まれているとゆう特徴があると思う。だが商売が目的だから闘いは困るので力は弱いために強力な国がでてきたら、屈服するが、それは商売のためにみせかけの屈服だったかもしれないと僕は思う。やがて権力者たちに頭を下げさせることになっているのも共通のように思う。めだたないが、力は蓄えて生きる国と僕の独断だが考えるようになってきた。
エストニヤが「歌」の力だったら、このラトビヤは「花」の力で国を支えているのではないか。とこれも僕の独断だ。僕は最近人間の力の源泉は最初か感性(感動)共感、そして行動になり足が前に出るのが人間のエネルギーの源泉ではないか、と思うようになっている。その僕流に感性に触れたのがこのガリの街の花だ。こんなに考えると僕流に観察できるとゆうものだ。
1989年8月23日にまだソ連の統治下にあったとき、バルト3国(エストニヤ、リトワニヤ、ラトビヤ)の人たちが独立のための運動に200万人の人々が手をつなぎ、歌と花をもってソ連に独立を求めたいわいる「人間の鎖」運動で強力なソ連からの独立を勝ち取ったとゆうことがここにきて知った。
「人間の鎖」とゆう言葉が最近日本でも、圧制に抗議するために「人間の鎖」とゆう手に手をとって連帯の心を表し、平和的に市民の願いを表現する行動として、知られるようになったのがこの1989年8月3日が起源だったこともしった。
人間の心は、底時からが眠っているもので、人は歴史的にみなければ本当の力はわからないものだな、と思う。

家から携帯にメールが入った。
「久しぶりに我が家に帰って着ました。綺麗にかたずけてくれました。今日から床をはがすらしい。wさんが職人の手配もしてくれてます。お父さんが帰って来るまでには間に合わないと思います?。思ったより大事でした。庭木、階段のつつじは全て枯れています。雨不足と留守がちで、可哀想なことでした。私と同じ脱水症になってしまった!。と思います。市内観光はいかがですか?楽きてくださいね。私のことは元気に過ごしています。心配いりません。また工事のこと連絡します。」とあった。僕がこの出発5日前に熱中症で救急車を呼び緊急入院し、僕の旅のために前日退院して、この旅を実現させてくれたことで、申し訳ない気持ちで出発したのだった。
毎日気にしているが、マンションに居て子供たちが面倒をみてくれているから、感謝しているところだ。留守にしているから、植木などが枯れるのは仕方ないし、なによりも自分の身体を大事にしてもらわねばならない。
日本の常識からいって、病気の(脳梗塞と熱中症)妻をおいたまま旅に出るなど非常識であることは重々承知しているのだが、秋子の「行きなさい」とゆう言葉に甘えての出発であった。こんな妻も滅多にいないだろう。感謝している毎日である。
文学阪神のKさんから
 エストニア最後のたより、ありがとうございます。歌で独立と平和を勝ち取った民族に
    共感、敬服です。私はまだ、最後まで読んでいないですが『静かなドン』の前半で
    ツアーに仕えるコサック兵たちが戦に出ていくとき、自らを励ますかのように、隊から
    隊へと歌いかわすその歌声のすばらしさ、それを文学であらわしているのがすごいな、
    と思っています。できればコサックの歌というのが今でもロシアにあるのなら聴いて
    みたいものだとずっと思っていますので、エストニアの歌声の歴史に心ひかれたわけです。
    いつも新鮮な旅便りをありがとうございます。どうぞ良い旅をおつづけ下さい。
大阪同友会の役員M氏から
2013年9月1日 15:53
宮崎さん、今度はエストニアですか。侵略の歴史がある国なのですね。何年か前にたしか「エストニア号」の沈没で1000人くらいの方が亡くなられた時に追悼で発売されたCDでネーメヤルヴィ指揮の
マーラーの2番だった様な気がしますが、買いました。
お元気旅を続けて下さい
2013年9月2日 6:46
宮崎さん、マーラーの2番でなく交響曲8番「千人の交響曲」でした。1994年9月にバルト海でエストニアのフェリー「エストニア号」が沈没し、1000人近くの人が亡くなりました

こんなお便りをいただくことによって、僕の旅に深い意味が増えつつあると感じるようになってきた。日本とのつながり、人々との共感を知る機会にもなっているようだ。

by akinishi1122 | 2013-09-03 15:50

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