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アイスランドに着く

(26)2013年8月15日 アイスランドへ 終戦記念日
空襲の無き日の始り十五日 十五日は初めて空襲警報の放送が止まった日であつた
僕が小学5年10歳の時の今日戦争が終わった、あれから69年になる。その日に僕はいままで軍隊とゆうものを持ったことのない国に向かっている。そんな国があったことも今回調べてみて初めて知った。
小学5年で、戦争とゆうものの激変に驚いたものである。天皇の玉音放送があるとゆうことで、家の裏庭にたくさんの人が集まって放送を聴いた。だが何をしゃべっているのか全然わからなかったが、明日からら、アメリカの空襲が無くなるらしい、とゆうことは嬉しく思ったものであった。毎日空襲警報で勉強どころでなかったが、電気もつけられるし、だいいち空襲警報のサイレンを聞く怖さから解放されたのが嬉しく思ったものである。
そしてアメリカ軍が島原半島の口之津から船でなく戦車で海を渡ってきて、チョコレートやチューインガムを道路沿いにいるわれわれに投げて与えてくれたのが、アメリカ人と接する初めての経験であった。
昨日まで「鬼畜生」と教えられていた人間が食べ物をくれる、とゆうことは考えたこともなかったことだった。
それから教科書に墨を塗る教室の授業で、いままでの教科書は間違いでウソだったそうであることも教えられた。その教える先生は前の先生であった。
その1週間前に僕は長崎の原爆を天草から直接見て、隣に爆弾が落ちたのではないか、と思えるような音と地響で、外に出たら、僕の印象では落下傘のように見えた。それが原子爆弾とゆうことも後で知ることになった。
そんなことが69年前の今日である。
だから戦争とともに育ったから、軍隊の無い国など正直に言って今回まで知らなかったものである。そんな国に今日来ることになった。
来ることになったといっても、アイスランドにとっては遠い国、太陽が沈まない国、そして息子がイギリス留学の時、クラスメートの父が外国航路のキヤプテンで、その友人に招待されて夏休みに遊びに行った土地だから、僕も見てみたい、といった程度の動機での旅行である。
軍隊を持たなくて、しかも人口が36万、北海道と四国をあわせたぐらいの小さな島国である。それが建国以来戦争をしたことがないとゆうのだから、戦争をしないで生きてこれる、世界の国があったのには驚きだ。
ストックホルムからの飛行機は200人乗りぐらいだが、日本人誰いない。2時20分に発ち僕の時計で5時30分に着いたのだから、3時間ほどである。着いたら2時間バックする時差だから、日本とは5時間の時差で日本が先にすすんでいる。
空港からはバスが出ていて、市内の中央で各々のホテル行の客別に小型のバスでおくってくれた。空港からレイキャベック市までは50キロぐらいあるが、途中は平原で木が無い、冬の厳しさで育たないのであろうか。だから砂漠ではない平原を走るから、写真も2,3枚しか撮ることもない。今は曇りで暗い。だが寒くないのだ。雪に閉ざされているイメージで寒さを予想していたがこれでは防寒着を買う必要はなさそうだ。
ホテルは2日間顕が予約してくれていたが、インターネット観光地を調べてみると、どうやら点々とかくちに温泉や滝があるようで、いちいちホテルを移動するのは大変な気がして、このホテルにあと2日延長してもらうことにした。ホテルもなかなか眺めもよく気にいた。
外に出てシンガポールの3人のグループに聞いたら、ここではレンタカーを借りたが便利である、と教えてくれたが、免許も、国際免許ないし、ここの旅行社に相談すするしかないだろう。
レストランの談話室でスエーデン人の若いカップルとウイスキーを飲みながあ語りあった。彼らもレンタカーで3日間まわるらしい。両方とも30歳で結婚はしていないがもう3年半一緒に生活しているとゆう。
彼女の’名前がMALINとゆうから、日本語では「真林」と書く、(真っ直ぐに伸びる木々を意味するといっら、日本文化とは凄いねと大切い自分の名前に誇りを持つといってくれた)彼の名はPATORIKUとゆうから、(破登立久と当て字を書き、破し登り立久しくと解説した、自分に込められた意味など考えたことがなかったが、そんな名前の意味にあうような生き方をしたいと写真にも撮っていた。そして夜僕のメールに英語で解説した名前を書いてメールしてくれた)日本の文化に’興味を持ち、友達になってくれるようである
彼らは学生のとこからの友人である。彼は父の会社が地図をつくるための海底の深さを測定する仕事をしていて、バルト海では海底がいりくんでいるから、船の運航に欠かせない調査とゆう。そんな専門の会社があることをはじめてしった。彼女はファイナンスの会社だから保険か金融の会社だろう。君たちスエーデンではなぜ一緒に暮らすのに結婚をしないのか、そして国や社会はそれをどのように思っているのだろう文化をフランスの市民革命によってやっと手に入れ、国家に個人が統制されるのでなく、個人が大切にきること、生きる選択をやっと手に入れたのだからそれに国家が干渉すべきでないとゆう考えをこどものころから教えられて、それが当たり前になっているから、一人一人が自分らしい幸せをつくるのが当たり前、それを国が干渉するどこ法律とゆうものは国民の気持ちの表れだと思っているとゆうのだ。30歳でこんなことを教えてくれるし、われわれの発想とゆうのとは逆で、個人があっ国家であるとゆうのだ、こんなにズバリといわれてみれば、我々は自分の主張がいつも後回しになっていないか、気付かされるものである。そして、こんなに生きられたらすっきりすることが多いだろうな、とも思える。これが学校教育だけでばなく国会の構成が、日本では、今、倍政権が日本国憲法の精神である「国民が国規制する」憲法からから「国が国民を規制する憲法」に変えるように動きだしているが、これはスエーデンの彼らの生き方と180度違った方向をむいているようだ。
自民党の憲法改正案には「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と国に従えと書いてあるのだから、怖い怖い。
今日15日、安倍首相の戦没者慰霊の言葉に「アジヤへの多大な御迷惑をかけた戦争だったことの陳謝の言葉がひとことも無かった」との」ニュースがでている。アジヤの2000万人に被害を与えた戦争に’たいしての日本の首相としてはじめて陳謝しなかった首相だ。中国や、韓国ばどのように感じることだろうか。一方経団連の米倉会長も安倍首相の強行な態度に中国への経済が止まっていると懸念もした発言もでているが、この右への暴走にブレーキを掛けるのはどの勢力になるのだろうか。
軍隊の無いアイアスランドに来てこんなことを考えた。

by akinishi1122 | 2013-08-16 18:27

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