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ヘルシンキへ

(14)2013年8月4日 ペテルグラードからヘルシンキへ列車で
日本は豪雨の被害そんな季語  報道のトップに豪雨の被害が各地にでだした、もうそんな季節になったのであろうか
ペテルグラードのホテルへ9時半の迎えの車が来た。ヘルシンキ駅(こちらでは行き先終点駅のことを駅名にしている。これはロシヤの制度のようだ)すると日本人の団体20人が間もなく到着した。ロシヤで初めての日本人である。まず日本語が喋れることの嬉しさだ。僕と同じくヘルシンキに行くらしい。日本人がいると、荷物を一緒に置かせてもらいトイレにも身軽に動けることで、こんなに日本人であることの有難さを感じることに気付くものである。
僕は2号車でみなさんは5号車であるが、僕の隣の男性はアイスランド人で70歳、そして現役時代はジャーナリストで新聞社の記者をやっていて、ヨーロッパを取材してまわっていたとゆう。僕が次に行くアイスランドのレイキャビックに住んでいるらしいが、すぐ本を読みだしてしまったから、僕は荷物を置いたまま日本人のいる5号車へ話にゆくことにした。
日本人で大阪大学をこの4月に停年で退職した夫妻、それに尼崎の親子娘がおられたから、2週間ぶりで日本語を話す嬉しさをこんなに感じたことがないくらい同胞とゆうことは安心がでるものだ。
大阪大学の事務職員だったといわれたから、われわれの文学阪神の仲間の名前を言ったが記憶にないといわれているので、年代が離れすぎていることと、職員が数千にんいるとゆうから、それもそうかなと思う。
女性の娘さんが結婚した先が加古川でまだ子供がいないから一緒の旅ができているらしい。若い娘さんだから、僕のカメラの日付が違っているから、お願いして今日の日付にセットしてもらえ大変ありがたい。なかなかチャーミングの娘さんで、僕の旅の話や出版の話をしたら、持っていられたパソコンで僕の本がでている写真を開き、みなさんに見せてくれていた。「有名な人にお会いできた」と大げさに宣伝してくださっている。今後僕の旅日記も開いてみてくれるらしい。列車レストランで一緒に日本語を語りあえて、スーっとした。Nさんといい、今後メールも交換できそうで早速今夜テストメールをだすことにした。
日本のみなさんから、おやつもいただきながら会話ができて3時間半ほどのヘルシンキまでの時間が気にならないで着くことができた。途中で、パスポートの検査と出国、入国の手続がロシヤとフインランドの両国の検査官がきて列車内で出入国をすました。
フインランドはユーウロ通貨だが、ロシヤルーブルの残金を交換したら、ロシヤの方が僕の換算で7500円ぐらい残だったが、ユーロでは6000円ぐらいになったから、ユウロの価値が少し高いようである。
インフォメーシヨンでホテルの場所を聞いたら、歩いて10分で行けるし、日本語の地図や日本語の市内案内パンフもくれた。僕の磁石で地図を頼りに歩いたのだが、磁石はほんのちょっと空いた緯度の違いで違った方向に行¥たおりつけた。
このホテルは日本から顕が予約と払い込みを済ませてくれていたから、料金はいらないが、おそらく500室はあるだろう。部屋の鍵やホテルに入るにも番号式である。部屋も小さくてもダブルベットで非常に清潔で明るい。
ヘルシンキはペテルグラードよりもまだ暖かだ。それに荷物をもって大分歩いたから、汗だくになり早速シャワーを浴びてでかけた。昼食は列車でいただいたおつまみだけだったから、中華料理にした。やはり米のあるご御飯はうまいものだ。
ここは10時ころまで明るいらしい。そして朝5時に日が昇るから、夜の闇が短いとのことだ。
歩いて公園にでたら、高齢者の婦人がベンチで寛いでいられたから、日本から来たが、ここの見どころはどんなところがあるか聞いたら、彼女は64歳でいま年金で一人で暮らしているが、現役の頃はアーケテク(建築家)だったとうゆう。僕も建築をやっていたが、日本の木造家屋の昔からのも面白いから、あなたの設計した建物などと写真で交換しませんか。となり彼女の設計の建築物に興味がでてきたし、質問もできるとなれば嬉しいことだ。20年まえに離婚したがいまはボーフレンドと毎週行き来しておるから結構楽しくすごしている。彼もやはろ年金で暮らしているがおたがいに独身だから、会うけれども自分は料理があまり好きでないから、彼が作ってくれているとゆう。みたところ50代にはみえるがこんな離婚はフインランドでは普通で、50%以上が離婚経験者あるとも教えてくれた。自分の人生は自分で楽しみたいからともいっている。彼女が明日からの3日ぐらいの観光の見どころを地図で教えてくれた。ありがたいことだし、ここは英語が話せるからロシヤでの会話と全然ちがって緊張がないのがいい。写真を撮ってくれたカップルがデナーであろう食事を広げていて、僕にもなかに入って食べろと誘ってくれたが、今夕食を済ませてきたから、辞退したが、彼らのシートの横に座りこちらの生活ぶりなど聞くチャンスができた。彼女は32歳彼は34歳らしい、一緒に生活して12年になるが結婚はしていないとゆう。だから子供もいないのであるが、結婚するかどうかは多分するだろう。とゆう答えには驚いてしまう。驚くのがここではおかしいのではない、と先ほどの婦人の話も似たような話を普通にしてくれるのである。彼女が20歳から一緒の生活であるし、日本だと12年ぐらいもしないうちに離婚とゆうこともあるのだが、結婚しなくてよく続けられるものだ、と理解にはじむずかしい。こんなことを当たり前と解釈しながらでないと会話が進まないであろう。ここの国の学力が世界一と聞いたことがあるのでその話はどのような教育なのか、と聞けば、自分たちも学校で宿題など出されたことがなく育った、と二人とも言っている。そして「私たちは友達と競争することをしないとゆう習慣だ、自分には自分のしたいことがあるのだから、競争する同じことを考えていないのだから」とゆうのである。
なるほどこれが個性のある子供が育ち好きなことに熱中できる環境を学校が宿題を出さないとでつくっているのかもしれない。
だからどれだけ一人一人が自分でやりたいことに時間を集中することができるか、も時間の選択を子供に任せているのであろうか。その結果トータルとしての学力が上になるのかもしれない。
彼女の名刺もくれ、写真もみせてくれた店でそれこそ個性のある食器やガラス製品の販売をしているとゆう。男性はコンピューターで地図の製作や変化など世界の地図を次々に変化に応じて作り変えているらしい。最近はカーナビなどで、地図は動くものらしいから、全世界では次々に変化しているから、忙しいらしい。彼も名刺をくれれた。そして彼の職場にも女性がたくさんいるが、子供を産んでも託児所があるから、子育てしながらいっぱい勤めているとゆう。
彼らともそれぞれのアドレスを聞いてその後の連絡をとることにする。彼らとは生の市民の生活をもっと聞きたいので進んだ国の社会のシステムの実際が聴けるから役にたつだろう。
女性のあらゆる分野での働くことは特別説明の必要はないとゆうのが彼らの自然の環境なのだ確認するための歩いていたら、、日本人のような女性がいたが、タイのバンコックから研究のためにきているとゆう。25歳とゆうがコンピュータソフトの開発の研究で2週間の滞在らしい。一緒にコーラを飲みながら聴くと、大学をでてからコンピュータの会社に勤めそして会社から研究のために派遣されたとゆう。両親は父が体育の教師、母親は英語の教師をして自分は一人娘だとゆう。今回の海外旅行は初めててとゆうが、語学ができるから、あまり心配していないし、日本と違い英語を使う帰ったら、教えてもらっていた番号では部屋が開かないので困っていた。とゆうのは、このホテルは立派な設備なのだが、完全に番号管理で、番号を渡したら、もう事務所も閉まって、どうにもならなく、困っていたら、、ロシヤ人の若者男女が心配して、じぶんの電話で事務所に電話してくれ、僕の部屋の番号を告げていたら、どうやら僕が44765を44675と間違えて記憶していたらしいのだ、開かないはずである。だけどもロシヤ人が3人も僕のためにあちこち動いてくれ助かった。これに30分も僕のために付き合ってくれたのだから、感激だ。部屋が開いたら3人ともスーットいなくなった。こんなに僕は助けてもらうことばかりで旅をしているのである。だから感激することも多いとゆうことかもしれない。
部屋でも自分のパソコンが使えるからありがたい。昨夜東京同友会の前代表理事の井上氏にヴェトナムの事務所を紹介してほしいとたのまれていたことの問合井上さんは即行動派でそれに親切だから、ありがたい。すぐこれをこぴーしてヴェトナムのMisaに知らせておいた。
また静岡同友会の 知久税理士から「今度はロシヤですか、行動力にびっくりしています」「大阪の中村ブロック長は、宮崎さんみたいなベテランにさぞ気分を害されたことが想像できます。とあった。同じく中央支部の川原氏が20年前にウラジオストックからモスクワに飛んだことがあるから、その頃をおもいだしながら読んでいること、文学阪神の木下さん、沖縄同友会の川畑氏も精力的にイタリヤ、ポルトガルのなどの旅、奈良の6年前オックスフォードで一緒だった先生の佐々岡さんも久しぶりにきたが最近は山登りにせいを出しているらしい。山の会かじかの編集長の水口さんは宮崎さんの歴史、文化、政治などにわたっての博識ぶりにおどろいている」などときている


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by akinishi1122 | 2013-08-05 18:29 | 旅行

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