アンコールワット

(20)2013年5月26日 アンコールワット観光
夏の空遺跡の日の出群れて撮り アンコールワット遺跡は5時半が日の出になる。世界からの日の出風景を撮る人々が集まっている
アンコールワットの日の出を見るために、5時に単車タクシー。ドンがホテルに迎えに来てくれた。
まだ暗いし、バイクタクシだから涼しい。ホテルから20分ほどで着いた。もう既にたくさんの人々が来ている。
城壁のまわりは堀になっていて、日本の奈良にある古墳のように堀とゆう池に囲まれている。日本の古墳よりはるかに規模が大きい。なにしろ、1500m×1300mぐらいの寺院になっているし、その中央に聳える石でできた塔がいくつも雲の中に突き出ているのだから、城壁の入口からは遥かかなたに見えるといったところだ。ローマのバチカンは大きさが宗教の規模としては知られているが、ここと比べると問題ないくらいバチカンは小さいのである。
5時40分ぐらいで、東から太陽がこの石の城を除々に照らしだして浮かびあげてくれる。一番写真に撮りやすい池の周辺に1000人ぐらいの人々がカメラをかまえている。
ここえきたら、日本人も大分見かけるようになった。この寺院と太陽が昇る瞬間には自分の入ったポーズが撮っておきたいので、日本人らしい3人にシャッターを切ってもらったら、親子で、姫路からから来た人で、3日間のここが目的らしい。昨年亡くなった兄も遥か天草から、ここを見にきたことがあるから、一緒の場内を歩いてたのだな、と兄が生きていたら、この感想を伝えられるのになと思いながら歩く。
世界一の規模の寺院なので、しかも森の中に石だけで積み上げる技術があるとは人間の歴史とゆうものがアンバランスな発達をするものだなと思う。
現代からみれば、カンボジヤの人々の生活水準は後進国の部類に見てしまうのだが、これを9世紀の人々が見たとすると、最高水準の文化なのである。だから文化とゆうものはあることでは、早かったり、あることではゆっくりで、現代は心よりも経済が進んでいることを文化と見がちのようだ。
大体200mぐらいの基礎の長さが同じレベルで数千万トンの積み上げられる重量を沈むことなく1000年以上支えている基礎。その土台を作る計算がなされていたから、不等沈下のひずみがでていないのである。たいてい現代でも、どこかにひずみがでて、崩れていくのであるが、これが1000年以上崩れずに支えている。表面にあらわれていない見えない基礎がどんな構造で作られ、それを考えた頭脳がすでにあったのである。継続した工事期間を同じ理論で工事が進んでいるのだから共通の知識があったことになる。
僕などは大阪城や姫路城の石崖の積みあげ技術と比較してしまうのだが、日本の石垣は積み上げるのに、隙間が多いために隙間詰めの石が多いのだが、ここの石積には隙間石積がなく、上下左右の石が隙間がない積み方をしている。とゆうのは、石を刻む鑿の刃物が完成した鍛冶屋の技術があったとゆうことになる。すべて積み上げる段階で次の石との隙間のない刻み方をすべてしていたのである。しかも積むだけでなく、すべてが宗教にもとずく物語の彫刻がなされているのだから、力だけでなく、芸術的感覚もなければならないはずだ。
建物の中には仏像が壁や置物としても設置されているのだが、この仏たちの首から上の顔がことごとくあのポルポトの兵士たちによって破壊、切り取られているのを見たが、ポルポトが如何に文化的認識がたりなかったか、がわかる、1200年の歴史的文化遺産を破壊したことに腹がたつ。今修復されつつあるが、あくまでも建物であって、仏像などはできないのである。
人類の文化が戦争によって破壊されるのは、常で、アフガニスタンの内戦で仏像の破壊もタリバンの軍隊だったのは、僕でも知っている近年であった。
この遺跡についてはじっくり見れば何カ月も滞在しなければ見尽くせない規模である。
1632年に日本から来た森本右近太夫一房の書いた墨書はどこらあたりにあったのだろう。墨書だから、おそらく風化しているのではないだろうか。
寺院の2階を歩いていたら、日本人の家族と会った。娘婿夫妻が、ヴェトナムに駐駐在されているから、一緒にお母さんもヴェトナムから来られているらしい。話していると、僕の本も取り寄せて読みたいといっておられた。僕のブログの説明の時、憲法9条のタイトルになっていることを知り、東京の墨田区の9条の会に所属されていることも知った。こんなところでそんな人にあえて嬉しい。住所と電話も書いてくださったから、帰国してからもおつきあいができそうだ。
他に日本人の青年で横浜で半導体の会社に勤めていて、3日間の休暇で来たとゆう人にあい、僕の一人旅に興味があり、ブログも是非みたいとのことである。
アンコールワットの見学は5時半から8時までにして、帰りもタクシーがまっていてくれたのでホテルまで帰る。シャワーを浴びて朝食にする。
天草高の同期生の山崎さんから、退院して1週間になるが、体力回復の鍛錬中である、また旅日記が開けないのが4日ほどあるから、できたら、送信してほしいとの便り。大阪同友会の集英社の会長から、自分もネパールに3か月滞在したことがあるから、日記を楽しく読ませてもらっている。とある。
文学阪神の前支部長から、ヴェトナムには夫婦でいったことがあるが、あなたの日記を読み随分変化しているようなので、また行ってみたくなったこと、そして6月の例会で柴垣さんの小説の合評会で僕が担当している柴垣さんの小説についての発表を期待している。などがとど書いてあった。
昼食は昨日の韓国レストランに行き、ドルで支払う。ここではドルのほうがいい、と言ってくれた。
3時ころ歩いて川辺までいったら、28歳の女性でマッサージの教師をしている女性とベンチの日蔭で話す。生徒は若い娘さんばかりで、女性のマッサージは旅行者の男性に喜こばれるから、若い女性の生徒も次々にきてくれるとゆう。殆んどがホテルと契約していて、ホテルから呼んでもらえ、収入もよいらしい・それをきいたから、夕方の食事前に僕もマッサージ嬢をよんでもらった。1時間で10ドルったから、安いが、僕は中国整体を知っているから、頼りないマッサージであった。
夕食も韓国レストランに行き、もう馴染みとなって、ママさんや来ている韓国人のお客とも話し、こちらでもう韓国レストランをやって20年になるが、韓国人が多く住んでいるから、殆んど韓国のお客ばかりで結構繁盛しているとゆう。
テレビの韓国放送と韓国映画をやっているから、それを見にくるための客らしい。

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by akinishi1122 | 2013-06-06 00:06 | 旅行 | Comments(0)

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