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ヴェトナム2013年5月

(2)2013年5月8日 南部ホーチミン海のリゾートブンタウ
渡り蟹日本を向いて喰いにけり  生きた渡り蟹を海岸で生きたまま煮立てたててもらい、遥か日本の方をむいて食べた
昨夜8時過ぎに寝たから、1時半ごろ目覚めた。日記をパソコンに打ち込むのだが、どうも保存できていないらしい。容量オーバーで保存できません。と表示される。えらいことになった。僕の旅は行った先を記録して家や友人に送ることを楽しみにしているし、ブログにも載せるのが目的でもあるし、楽しみでもある。だから、パソコンができないとゆうのはいちばんの悲劇である、3時間ぐらいかけてもできないから、手書きで残すしかない。それを帰国してから、打ち込むしかない、そうきめたから、ノートに同じことを思い返しながらまた書きなおした。ワードには打ち込めたのだが、保存ができないのだから、2度手間をしていることになる。マイドキュメントをひ開いてもなんにも出てこない、昨日HISの事務所から、パソコンで無事到着したことだけは送信しておいたから、薫から、安心したとゆう返事があった。そのとき、会社の南隣に10階建てのビル建設計画があるらしく、その対応のために相談したい、とビルのオーナーからの話がきているとのことだ、20日に建設会社から説明に来るららしいので、僕としたら、それに間に合うように返事してやりたいのだが気になる。だから差し迫ってパソコンが必要になってきた。また福岡同友会の代表理事国協議会の副会長のN氏から「ホーチミンからマニラとは凄い!」と来ているし、出版社の奥村さんからも、「旅便りを楽しみに待っています」山の会かじかの機関紙部長の水口氏から「次の便りを待っています」同じく会計の谷川さんから「今年は監査を早く済ませせたから、心配いりませんよ」と来ている。メールは見れるが日本語で返信ができないのがつらい。
7時15分本日の観光ガイドのミン君が迎えに来た。先に乗っていた日本人は、細田夫妻で千葉の人らしい。僕と合わせて3人である。ミン君は日本語ができるから、目的地まで説明と、こちらからの質問に答えながら走る。
ホーチミンから、120キロの海岸に向かうのだが、えらいスモッグである。このホーチミンは人口が800万で、昼は1400万になるとゆうから、郊外から都市えの移動人口とゆうのは、どこの国でも同じようである。殆んどがバイク通勤で、バイクを買うには、銀行が貸してくれ、銀行に払っていくとゆうから、日本のローン制度とみればいいだろう。だからだいたいだれでも買えるようだ、ヴェトナムは近代まで中国に支配され、フランス、そして日本に6か月支配されたとゆう、1945年以降はフランスに支配され、ヴェトナムはでビエンビエンフーの戦いで、フランス軍を撃滅した。フランスが撤退したあと、アメリカが南にゴーヂンゼム政権を作り、フランスに代わってアメリカが事実上支配することになったため、民族の完全独立を目指す北ヴェトナムと南のヴェトナム人がアメリカとその傀儡政権にたいして、戦いがはじまったのだった。
1975年4月30日がアメリカを撃退して、傀儡政権もアメリカ軍艦に逃げ込み、戦争は終結したとゆう歴史を持っている。
ファランスの支配したが、その後ヴェトナムは全土を統一して、ホーチミンを大統領に選出したが、アメリカはホチミンが共産党だったために、ゴヂンゼムを南部におしたてて、南部のサイゴンに国を分離してつくったとゆういきさつがある。それはまったくアメリカの世界戦略でソビエト、中国などの社会主義国の影響を阻むための政策を肩代わりする役目を担わされた傀儡政権であったため、ゴヂンジェム一族は私服を肥やして、国民の福祉を考えなかったために、国民の反発がつよくなったのだったとゆう。だから南ヴェトナム解放戦線が結成され、農民や、労働者、宗教人、文化人などで構成されたとゆう。
これはフランス軍が、ベトミン軍にヂエンビエンフーで敗れジュネーブ平和条約で停戦され、その2年後に統一選挙を行うように協定されたにもかかわらず、アメリカはそれをボイコットして、統一をさせなかったことの結果がヴェトナム戦争の原因だったようだ、
このような解説を聞きながら、ブンタウのリゾート海岸まで走った。途中バイクがいっぱいだが、これは煉瓦工場があるため、働く人たちが、電車がないために、バイクだとゆう。平坦な道なのに、自転車がないのは、暑いから、自転車は汗がでるからで、その点バイクは、風が暑さを和らげるからと理屈にあっている。
とちゅうに大雨が降ると、すぐカッパを着ているから、カッパは必需品である。不思議なことに、雨は、集中しても、一定の範囲内で、おそらく、1000平方メートルぐらいに見える。これをスコールとゆうらしい。
ミン君に失業率はと聞いたら、、失業とはどう有意味ですか?と逆に聞きかえす。「ヴェトナムには失業者はいません」とゆうではないか。「だって仕事がなければ、道端で、果物や、民芸品、食べ物が販売できるのですから」とゆうのだから、たまげてしまう。だれでも働ける、とゆうのだ。僕らの認識とは全然違う。そういえば道でたくさんの人々が何かを売っている。これで生活できるとゆうのだ。
また人々が夕食など家族でも道に出て食事しているが、なぜだ、ときいたら、部屋の中は暑いから、外の方が食事にはいいからだそうだ。これもわかるようなきがする。
国は、子供を産むのは2人が理想だとしている。たくさん産む人もいるが、3人以上になれば、国の役職に就けないようにな仕組みになっているらしい。子供を育てるには、手がかかるし、子育てに集中しなさい、とゆう考えらしい。これも面白い。そして、手当も出さなければならないかららだともゆう。
休憩のとき、牛乳を買ったら、171000ドンだから、びっくりするのだが、それが日本円にすると100円以下とゆうのだから、まだこの国の感覚になれない。
医療制度だが、全部保険の制度はあるのだが、病気を早く直したければ、金を出せばよい薬を使ってくれるから、まだ完全に保険の信頼を得ていないようである。
最近はドイモイ政策で、市場経済を重視しているから、個人企業もどんどん生まれているらしい。個人企業では利益がでるところでは給料やボーナスがでるから、個人企業の人気が高くなってきているらしい。
道を走っていると、建設機械がいたるところにおいてある。建設ラッシュのようだ。
マンションも30階ぐらいのがどんどん立っている。平屋住まいから、高層マンションに住む方向に進んでいるように見える。これは、中国の上海が変わってきたのと似ている。もう1年もしてきてみたら、ホーチミンは相当変わっているだろうとこんなに建設や産業がすすんんでいくのに、賃金が上がっていかないから、ミン君は不満を言っている。もっともなことだと思うから、近いうちには賃金も上がるのは間違いないであろう。
だいたいサラリーマンは、月収2万ぐらいらしいから、マンションの家賃、バイクの月賦、テレビなど必需品んが増えていくから、生活は苦しくなるはずである。マンションは平屋と違って、エヤコンも必需品だから、経済が発展すると、収入とのアンバランスで調整が政府に求められるのは必然だと思う。それがこの国の課題だと思う。
きょう一緒の細田氏は、政府の内閣府に40年勤めていて、民主党政権に代わったときは、上からの命令ばかりで、事情を知らなさすぎだったために、職員は返事はするが、動かなかったとゆう。こんな内部の人があけすけにゆうのだから、政府が官僚を動かすのは相当困難であることを知った知った。実際に政策を作るのに、下からの話を聞かない、命令だけで動かそうとしたから、動くはずがなかった。といっている。なめられていたといえるようだ。その点で田中角栄は、この人たちを含め人の心をうまく金で動かしていたとゆう。人間だから、彼と接する人で、恩恵を受けた人は彼を悪くゆう人はいなかった、とも言っているが、金の恩恵を受けた人は、信者にはなるだろうが、金がなくなったら、去って行く人でもあるはづだ。そこに田中の限界があったと思う。
「ブンタウ」は、南シナ海に面した砂浜だが、今日は平日で人は少なく数十人が泳いでいるだけであった。砂浜は、オーストラリヤのゴールドコースト並の大きさで、砂浜の果てが見えないほどである。
ここでは、渡り蟹の生きたままをいきなり熱湯につけて食べさせてくれた。見学コースになぜここがあるのか不思議なくらいだった。

by akinishi1122 | 2013-05-18 12:50 | 旅行

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