人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2012年夏の旅

(61)2012年9月16日(日)フランクフルト市内観光バス(61)
美術館を3つまわる

ライン河つれあいなくば恥ずかしき 日曜のライン河の畔は若者や家族ずれでいっぱいだ


今日はフランクフルトの観光バスに乗ることにした。日本語でヘッドホーンが聴けるからこの土地柄を少し知ることができた。ベルリンの前はここが首都だったという。そして戦後はアメリカの影響でヨーロッパの経済の中心になるマーシャルプランの本拠地だったらしく、経済の交易に便利な地形のようだ。
1947年に国際見本市が初めて開かれ、世界の見本市の会場がここに定着したらしい。われわれ同友会のメンバーも毎年常連として出展してるので、このルにも返信をいただくM氏などはその話をされていたことを聴いたことがある。

ライン河に沿って美術館がたくさんあるので一番大きいのに入ってみた。
最近美術館に興味をもちだしたのは、絵や彫刻を観ていると安らぎを感じるようになったからであろう。
漱石が「あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。住みにくき世から、住みにくきわずらいを弾き抜いて、有難い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」といっている言葉がわかりかけてきた。
STADEL MUSEUMだったが、僕はただ飛び込んだだけだったが、日本から「美術館めぐり」というツアーできている団体がここを目的に来ていたから、有名なのだろう。僕は知らない絵かきの絵で観た覚えのある絵がいくつかあった。写真におさめてブログに、僕の旅のシリーズにして記録してもいいなと思った。
僕はやはり風景よりも婦人像と彫刻がすきだから、その前に足を止めるのである。
一つの離れたJEFF KOONSとゆうのは近代美でグラフィックが多く面白くはなかった。
沢山歩いたので賑やかな広場で、ビールを飲んでいる人々が多いというのはさすがビールの本場である。昨日までのモロッコと全く違い女性も大きなジョッキでテーブルについての憩いの風景である。

明日からのドイツの旅の相談をするためにフランクフルトに日本の旅行会社があれば調べてメールで知らせてくれるように電話したら、早速夜携帯にJCBの支店があると知らせてきてくれたので、明日行って相談してみたい。

昨日カサブランカ空港で別れた東京のS子さんからfais bookのテストメールが届いていた。日本に着いてすぐのメールだったようで、機敏さに感激している。彼女はコンピューターの仕事をしているので対応が早く、僕が昨日飛行機の乗り遅れたあとをどうなぁたか気にしてくれていると思うので昨日の日記を送信し知らせておいた。

フランクフルトのホテルは部屋も良いし、朝食のメニューが豊富で感激した。これだと、毎日朝食はここにきめよう。おそらくレストランや結婚式場を兼ねているからであろう。




(62)2012年9月17日(月)フランクフルト・ゲーテの生家(62)

あと十日ひと日ひと日をたぐる秋 もう帰国の日が見えてきた大切に用心しながら無事に仕上げたい気持ちになってくる

フランクフルトのJCB事務所を家から地図を送ってもらっているが、パソコンの印刷ガホテルではできなくて、住所をたよりに、探すしかない。こちらではビルに看板がだせないので、ビルを見つけ、ビルに入り案内板で見つけねばならないから、日本的な目印看板という探し方ができなく、ところ番地を丹念にたどる探し方をせねばならない。
結局電話して路面電車で降りたところに迎えにきてもらうことになった。
これには外国で使える8携帯電話が絶対必要品である。
僕の駅で列車を待っていたら、日本人のような二人の女性がいたので声をかけたら、中国の香港の近くの珠海市から国際見本市に来た貿易会社のひとで29歳の女性が商談もするために責任をまかされてきているという。英語はできるが日本語も少しできる。中国の息吹というのはすごい。若い女性が会社や国を代表して商談にくるのだし、日本語も勉強するというのだから、若い力を活用するというのが意気込みを感じ、未来がw感じられる。「日本のことをもっと知りたい」というにいたってはもうその迫力に驚く。これは僕が中学生に囲碁を教えていていつのまにか追い抜かれ、かつこちおができなくなった、あの時の気持ちと音字ような脅威すら感じる。そしてにほんんいも行っていずれ勉強したい。というから日本のことでお手伝いできたらいいなとおもう。メールも教えてくれた。

日本のJTBとJCBは同じ事務所でお互いに代理業務をしているようである。そこのスタッフの白人青年が僕が入室したら、起立して日本式に日本人以上に腰を曲げて「イラッシャイマセ」と挨拶してくれた。白人が必要以上に腰を直角に近いように曲げて挨拶すると、滑稽に見える。日本人相手だから、教育されているのだろうが、僕にしたらこの青年のぎこちない日本式の礼が気の毒になった。本人はそんなに思っていないかもしれないが、僕にしたら、犬を躾けるため調教した頃のことを思いだした。
 明日18日から28日までの日帰りの観光プランを相談し29日は休養の日で帰国の準備に空けておきたい。そのプランをを作ってもらう間、近くにゲーテの生家が歩いていける距離にあったから時間つぶにいくことにした。
 ゲーテは「若きヴェルテルの悩み」を60年前に読んだことがあり、青春時代、「恋をすること」それ自体に憧れていた頃だった。今思い出すと青春の言葉探しだったのではないか。自分の心をロマンチックに表現する言葉に憧れむさぼったようにおもう。
それに漱石の「こころ」というのがゲーテと同じように心をうつものがあった。
そんな青春の悩みを表現してくれたゲーテがどんな家で生活していたかというのは、観てみてもいいなという程度に、今は懐かしいといった気持ちだった。フランス革命の成功の感想で「ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる」ということを予言した時代の先駆者であったということも今日知った。またスケッチもたくさん描いているし、詩や戯曲ファウスト、などは名前だけは知っているが読んだことはない。またその後政治にもたずさわったというのも知った。昔の人はギリシャ時代でも哲学や医学、天文学などと幅ひろくやった人たちがいたし、中世のダビンチでも絵や医学もやっていたのだから、学問というのは昔は関連があったのだなと知る。
 この生家には日本人が数人みかけたが、若者は青春の心の故郷として訪ねてみたいのだろう。
ゲーテの生家を出ようとしたところで日本女性と一緒になり、今日帰国するのに 時間があったから来たといわれたので、ビールでも一緒しましょう。となり昼食にした。彼女は神奈川で大学の准教授をされているという。学会で来られて、専攻は「国際文化比較論」ということらしく、僕も興味があり、僕の旅も国際文化の比較を体験的に感じ、自分なりに考えらしいのを毎日日記として残しているように思う。そんな話をすると、この優子さんとよく意見が合うのである。文化の比較では歴史的に奴隷制度や人種差別、男女差別など関連し、それは現代でも社会保障制度との関連によって文化も違ってくる。そしてその解決の方向への提言まで進まざるをえないという。これは単に研究というばかりではなく、今後の人類や日本の社会制度のありようにとつての問題提起となる必然性があるようにおもう。
僕は紀元前50年前イタリヤのポンペイがバスビオス火山の噴火で一蹴のうちに火山灰のしたに埋もれ、その後の歴史の発展がストップして、150年前ぐらいから発掘されて、奴隷が、しかも白人奴隷が鎖に繋がれて発掘されているのを観て、文明と社会システムのアンバランスについて衝撃を受けた話しをしたら、彼女ものまさに文明と社会制度のギャップが文化の違いなのです。といってくれた。
そして僕が取り組んでいる「憲法9条」を守る運動は人類の生存するための文化を守るための運動である。と共感をしていただいた。

JTBに行って次の行程ができていた。
18日 ハイデルベルグ これは景色が良いのでもういちど行ってみたく、僕の提案
19日 ヴユッブルグ  列車日帰り
20日 ロテンブルグ バスで 列車日帰り
21日 ライン河クルーズ ロレライの岩など船からみる観光バス
22日 ケルン、ボン 列車日帰り
23日 バーデンハーデン 列車日帰り
24日 ストラスブール列車日帰り
25日 シュトッイトガルト 列車日帰り
26日 ワイマール列車日帰り
27日 ライプチヒ列車日帰り
28日 ニュールンベルグ列車日帰り
29日 休養帰国の準備
30日 帰国の途へ
10月1日 関西空港着
中央駅に行って列車のチケットを注文したら、「10日も旅行されるのだったら、外国人のサービス制度があるドイツのフリーチケット制度を利用されたら、60%の割引になるから、パスポートを出してください」と駅のカウンターで教えてくれた。「普通券で貴方の料金を計算すれば950ユウロになるが、その外国人向けのチケッオだと320ユウロです」となった。有難い制度である。これも知らずに毎日買っていたら知らないままだったが、10日分一括で買ったから教えてくれたのである。これで賢くなった。

同友会のM氏から、フランクフルトにいられるのだったら、自分が行きつけのホテルが日本人に優しく、日本の九州大学の教授をしていられた人のホテルがありますよ。と紹介してきていただいた。M氏は国際見本市でフランクフルトにこられるから新設に知らせてきいただいた。
岡山のD先生からは、中国との尖閣列島問題で先生の病院から医師を派遣することになkつていたがその行く末がきがかりであるとご心配のようだ。
船橋信用金庫の裁判の事務局長から、国連人権委員会での証言にたち、ニューヨークから帰国され、今最高裁判所への書類作成の作業中と、憲法を守り生かす表現の自由の問題にとりくんでがんばっていられる知らせがきた。彼女は女性でこれだけの仕事をされていることは尊敬に値する人だ。



(64)2012年9月19日ヴユルツブルグWUEZBURG観光(64)
レシデンス世界意遺産とシーボルトの生まれた街

独市場昔の桃に会ひにけり 昔食べた本当の桃の味がする桃を市場でみつけたもう日本ではなかなか探せない

列車で東北大学の2人の女子学生とあう。彼女らは大学院に進むという。ヨーロッパ各地をまわっている。僕の旅で感じることは人間は一人で生きているのではないのだな、と知ったこと、沢山の人々に支えられて生きていること、それは日本人ばかりではなく、人類として生き、生かされているのだなとの実感を毎日経験して、人々の有難さを知った。また自分も人々の中で当てにされて、役にたっているのだなと知ったことなど感想をはなし、社会は貴方を当てにしているのだ、「私も当てにされている」との意識をもちましょう。などと話しながら着いた。
シーボルトの生まれた町、彼は鎖国時代に日本で医師として長崎で診療にあたり、日本を世界に初めて紹介した人だが、どうしてこんなところから日本に来ることになったのだろう。
世界遺産のレシデンスという宮殿はイタリヤのベネチアから来た画家が天井に書いた絵で世界最大という。残念ながら、写真が禁止されている。ベルサイユ宮殿のような王の屋敷でおそらくビスマルク?の@時代はヨーロッパを支配した力でできたのであろう。防備の壁がない平野にある宮殿だがら絶対の力に自信がなければ出来ない王宮である。
そこからトロッコ電車で市内全体をまわる。ほぼまわってみると、ここは一度来たことがあるような気がする。レントゲンが生まれた街だし、広場から橋をわたる丘の上の城砦に見覚えがある。
この街は昨日行ったハイデルベルグに似て美しいが、ここも好きになった。
道を聞いた夫妻がなんと東北大学で2年ほど教授をしていたことがあり、奥さんも日本にいたことがあるし、大阪や京都も知ってるという。偶然にしてはあまりにも偶然だ。日本も長い歴史のなかで世界とのかかわりがでてくるものだ。また噴水のそばにいた若い夫妻が僕が先月いたスイスノチューリヒからの観光に2週間きているという。旦那は大工というが2週間もよく休めるものだ。英語が全然できないから奥さんが通訳してくれたが、建築労働組合に入っているから休暇は保障されているという。奥さんは店舗装飾のデザイナーというからアーチストと自分で言っている。
橋の上で写真を撮ってもらったグループはモスクワからというし、この街はかなり知られているようだ。僕だけ知らないできているといった感じだ。

フランクフルトに早く帰ったから少し歩いていたら、先日のJTBの近くにでた。そこのユーロの大きな表示広告の前で10人ぐらいがテントを張りなにやら沢山のスローガンのような抗議のポスターを出しているから、何をやっているのか?とその人たちに聞いたら、この後ろにある30階ぐらいのガラス張りのビルがEUの本部で、その本部に抗議しているという。ドイツ語を交えて話すから詳しくはわからないが、EUの本部に抗議しているらしいことはわかった。もう少しで1年になり、このテントで野宿生活をしているという。EUに反対する何かの理由が聞きたかったが何かやはり問題があるのだろう。ギリシャなど同じユーロ貨幣を使っているのに経済危機だからお金の価値が違いすぎてくることは考えられるが、やはり反対勢力もあるということを知った。

その帰りに韓国料理店を発見できたので早速夕食にした。「石釜焼き五目めし」
と日本語のメニューもあったのでそれにした。石鍋みたいで熱いままグツグツ煮ているのを食べる。それが美味い。キムチも6種類ついているが、今日のキムチはあまり美味しくないから、キムチといっても店によって味が違うようだ。でも明日からもこの店にしようとおもう。

スーツケースのファスナーが美味く閉まらないようになっていたから、新しいのを買いかえた。
パソコンにゲーテ館で会った女性の大学教授から「楽しい時間を語りあえてありがとうございました」ともう一人韓国の女性翻訳家からフェイスブックに挨拶がはいってきていた。

パソコンのメモリーが不足で保存できません。と表示されているから、日記が送信できずに困っている。





 
(65)2012年9月20日ローテンブルグ日帰り(65)
フランクフルト→ヴュルツブルグ→Steinach→ローテンブルグ 

毎日が感動と共感の春のよう 毎日新しいことの発見は心を若返えらせるものだ

ロデンブルグは丘の上にある城砦の明るい美しい街である、明るい花が古い家の窓にいっぱい飾ってあり美しい。それに賑やかで外国からの観光客も多くくるらしい。

大分寒くなってきた。紅葉がはじまり落ち葉もではじめている。もう長袖にジャンバーをきなければならなくなる。今日は列車を二つ乗り換えなければならないことになっている。丁度同じローテンブルグに行く日本女性が隣にいた。豊中出身で彼女は高校の英語の先生をしていて辞め、現在は現在スペイン語の勉強のためにスペインにいるという。先生の仕事もうちの明子ちゃんが同じく高校で英語の教師をしていたから、相当ハードな仕事らしいですね、と明子が癌の発見が遅れて45歳で死んだ話をしたら、自分もほぼ同じような環境でよく分かるといっていられた。高校の講師というのが案外多いらしく、講師にしわ寄せがくるから進学校など特に厳しい労働になるらしい。先生というのは夏休みや春休みなど多いとおもっていたがその内情は違うらしい。そんなことで辞めてスペインに渡られたようである。それは長い人生のなかで良いことだったかもしれない。
林光のことばで「希望は裏切られる、なんどでも裏切られことに@よって、希望は確かなものになっていく。うあたしたちは裏切られ、試されるたびに根拠ずけられものとなる「希望」」に鼓舞され、道を示されひと所に安住することなくそのたびに限界を踏み越えていく」と励ましておいた。彼女はローテンブルグで泊まるらしい。

 ローテンブルグという街では駅に日本語の案内パンフがあるくらいだから、日本人がくることも多いようだ。東京の絵の教室からという高齢者婦人の5人が街並みをスケッチしていたし、ここは古い町並みで写生にも良い。絵を描くことでより深く印象にのこることだろう。その点では俳句も似ているように思う。

「犯罪博物館」をみた。紀元900年代から城が出来ていくたの王の時代ごとに城を守るためと宗教改革以前の魔女狩などによるその時代に反する人々を制裁する取り締まりが犯罪として厳しい牢獄や弾圧することや処刑する器具類が展示されている。3階にわたって展示されているのをみると、宗教が権力とむすびつけば、たくさんの人々が犯罪者にされてしまい、心を変えるための弾圧は機具が際限なく開発されている。そして弾圧も拡大していったことが歴史にきざまれている。 
首と手、足に鉄の分銅、手錠、足錠、首吊り、地下の牢獄、針の椅子、鉄の檻、首と足を引きちぎるなどありとあらゆる苦しみを与え、日本の「踏み絵」を思いだした。宗教の異端者弾圧はみせしめのため、殺すより人々の心を変えようとする弾圧だから人々を恐怖にさせるためのが目的である。その法律と弾圧道具の公開であったょうに見える。
宗教改革は起こるべきして起こったのだとしる。

歴史博物館、聖ヤコブ教会は1300年代に作られ、城砦門、の中に街ちがある。新築でないようにように見えるが第二次大戦でイギリス軍の空爆で破壊されたらしいのにみごとに復元している町だ。こんなきれいな街にいくつもの教会がある。不思議に思う。

帰りは2人の日本女性で大阪と長野から3ヶ月の旅というから、看護婦を退職してきたという。日本人は長期旅行するには退職しなければ来れない社会であるが、いつになったらヨーロッパのような社会になれるのだろうか。そんないわば決死の気持ちで若いひとたちが新しい生き方を探しに来ているのに、感動すら感じ拍手をおくりたい気持ちだ。

今日韓国料理店で夕食、満足する。
今日は2人の日本人女性とのメール友達ができた。


(66)2012年9月21日ライン河クルーズ(66)

また来いとラインの葡萄熟れてをり カイン河の葡萄が色つきかけてまた機体心に灯をつけてくれている


ライン河の源流がスイスであることも初めてしった。なるほどあのスイスに高い山々の雪が解けて流れる水があればこそ、これだけの推量が絶えず豊かなのであろう。ラインといえばローレライの歌で僕も知っているが、「なじかわ知らねど心わびて 昔の伝えは心身にしむ 淋しく 暮ゆく 歌の声も いつくし伝えに 心迷う」その曲の流れのなめらかでうつくしいいのは、おそらく中学ぐらいだったと思うから忘れることのなく残るのはローレライに魅せられたからであろう。
このラインの流域に60の城があるらしい。城の目的はラインの流れに沿って物のりゅうつうう8や、人々の交通に最適だったし、国を支配する武力の行使の便利だったのでそれぞれの時代の支配者が通行税を取るのに便利なお関所になる狭さと浅さが役だったからだそうである。
各時代の権力者はこの税金が権力者の財源だったのでたくさんの@城を攻めることが権力の維持や存亡にかかったということだ。また権力者だけでなく、盗賊もしろを構えていたのでその盗賊を討つための戦も沢山あったので、争いも耐えなかったということだ。
フランス革命後はようやく国々が協が生まれ定を結びラインの;管理が穏便になり、その画は観光としての価値がでてきたようである。
ロレライの岩のところが河幅が狭くなっているために船の難所であったことで遭難することで、河底に神がいるものとロマンが生まれたのであることがよういに想像できることだ。
ロレライの詩はハイネがつくったということである。
ラインをを挟んだ山々の斜面に武道畑が斜面の拓かれ、南をむく斜面は日当たりがよいために葡萄の生産に最適だつたのでワインが世界一の品質や量ができるのが自然環境からきているのである。
われわれの同友会の徳岡商店が振るからのワイン醸造元を買収して生産しているのも安定的に美味しいワインを供給できるために考えたことでその醸造工場を20年前に見学にきたことがあったが、名門の小さな醸造の工場が沢山あるようだ。

今日の観光は11時にフランクフルト駅前に集合だった。10時頃ついたので駅前にを歩いていたら、日本人女性がいて、声をかけたら、大阪府立大学生だという。昨日ついたばかりで今日から観光というから、日本のJTB支店を紹介しそこで観光のプランをたててもらったらいいだろうと教えておいた。時間があるので喫茶店にはい僕はコーヒー彼女はビールにした。やはりドイツではだれでもビールをまず飲んで見たい気持ちがわかる。
彼女がここには3日だけの旅行というが主な目的はサッカーを見るためだそうだ。
若いからできることで3日ではすぐ帰るのだが、サッカーというのはそれだけ魅力があるものらしい。あ擦
ライン河クルーズは観光バスにそれぞれが集まってくるのだが、日本婦人が一人いた。山梨の人で一緒に同友会に連絡したいとおもう。話ながらの釣れができた。彼女はあとから分かったのだが、学校の先生をしていたが社会保険労務士の資格をとったので、事務所を持って独立したという。
同じバスに日本語をに話す北朝鮮出身のYoung Suh Kimさんという人がいた。
彼は昭和29年まで日本にいてアメリカのプリンストン大学を出て学位をとり、ワシントンのMARYLAND大学の物理の教授をしていたという。同氏の話だた「私たちはヤマトダマシイを教えられたが今の日本人はヤマトダマシイが無い」というのだ。
自分が教えていたに日本人がみなそうだという。戦前の教育を受けてそのまま日本を離れているのでその後の日本の変化というのが伝わっていないようなかんじがする。人間というものたいむカプセルに入ればこんな時代の誤差が生じるものかと、少々驚いた。1935年生まれというから、僕より1つ下だから76歳ということになるから、僕と同じ教育を日本で受けて、そのままアメリカに渡ったのだから、そんなに違うものなのか。
美空ひばりや渡辺はま子、高峰美枝子などを鮮明の覚えていて、「サンフランシスコのチャイナタウン」などの歌をくちずさんでみせてくれた。自分は湯川秀樹先生に刺激を受けて物理をするようになったという。
日本語で文通できるから最近の日本の様子を知らせてくださいということになり僕も願ってもないことだ。名刺もいただいた。
またマニラの女性がバスの隣にいて、親しくなり、叔母さんはイギリスのロンドンに住んでいて、自分は看護婦、54歳で子供はいないのでづっと働いていて、夫はオランダ人で建築家らしい。姪とドイツの旅をしているところらしい。僕が歓呼0区料理をやる食べているといったら連れていってくれ、といって一緒にいくことにんなった。
姪は日本に行ったことがあるというし、k0温度行くときは連絡してくれることになった。

彼女は電子機器の技術者をしている。マニラに来るときは連連絡してくれたら@案内す8ると言ってbくれた。



 

by akinishi1122 | 2012-10-02 12:49 | 旅行

<< 2012年夏の旅 NO60 >>