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(38)2012年8月24日 ヘルシンキからスエーデン・ストックホルムへ(38)

初秋や同じ時間に着きし国 ヘルシンキを発った時間と同じ時間にストックホルムに着く
時差の面白さである

スエーデンのストックホルムといえば僕が高校1年のとき「ストックホルムアピール」とゆう原爆禁止のアピールがこのストックホルムで起草された地、として僕にとっての思い出の地である。
これは朝鮮戦争が始まり、アメリカが参戦して、原爆を使うような軍部の発言が飛び出した時期で、これに危機感をもった世界の知識人たちの呼びかけで再び原爆の投下の危機に反対しようと、イギリスの哲学者でノーベル平和賞の受賞者ラッセルの呼びかけで「原爆反対」の運動が起こり、日本でもその世論を起こすために「原爆反対の署名」運動がなされた、僕は高校生であったが、長崎の原爆を見た経験もあったためであろう、反対署名を集めてまわり、たしか高校生の相当な人数や大人たちから署名を集めていたら、地方の新聞に僕のことが載った。その時の教頭で「トンカツ先生」というのが、僕を校長室に呼んで、「高校生がやるべき問題ではない、やめなさい」と注意をうけたことがあった。
もう戦後6年にして、原爆反対運動に対して、学校が神経をとがらせていたのだということを感じた体験として、このストックホルムについては忘れられない想出がある。

 ヘルシンキを11時25分に発ち、ストックホルム時間も11時25分だったので、僕はこの時間表をもらったとき、ミスプリントではないかと思っていたのだったが、着ぃてみて時差が戻ることを知った。
空港でのバスに乗ろうとしたら、ここはユーロでないらしい。200ユーロを両替したら、なんと1551の貨幣に換えてくれた。だからユーロの単位が7,5倍の計算になるようだから、いままでの感覚を切り替えねばならない。
ヘルシンキのホテルでストックホルムのホテルを予約してくれと頼んだら、住所を書いてあげるが、予約はできない、駅の近くだから行って自分で頼みなさい、今だと空いているようだから。とのことで安心していたのだった。
すぐ駅の近くの場所のはずだが、聞く人が方向の違うように教えてくれ、結局10人ぐらいと今までに最高の人数に聞いてたどりついた。ところが、もう満員だという。スーツケースを引いて探すのに疲れてしまった。
もういちど駅に引き返し、どうしようかと考え、ホステルに電話しようとして、この国の電話へ切り替えるセットをするのだが、何回やっても切り替えできない。だから、近くにいたここの男子学生が集団で人を待っているような看板をもっていた一人に、「ホテルに予約したいのだが、僕は電話を持っていないから貴方の電話で予約をお願いできないですか?」と頼んだら、気軽に引き受けてくれた。そして、僕の持つているホステルに次々かけてくれるのだが、ストックホルムのホテル五ツ全てのホテルは満員だということである。
この青年の何回も掛けてくれることが気の毒に思っていたが、僕にはこの好意にすがるしかなかった。本当に感謝で胸が詰まる思いであった。だからお礼に彼の仲間を含めて五人お礼の「暖簾」をプレゼントした。たくさんの土産を用意してきたのでこんな時に役立った。
仕方ない、ツーリスト、インフォーメイションに行きホテルを頼むことにした。もう場所を言っていられるものでない、相談したら、明日から沢山会議がストックホルムであるので市内のホテルはみな一杯だそうだ。これから4日連泊を頼んだが、最初のホテルも一日だけという、次のホテルが場所はまた違う方向で列車で移動しなければならないが見つかることができた。最初のホテルがスエーデン円で487現金で払い、次の25,26,27日のホテルが1970をカードで払った。いずれにしてもユーロの2万円相当の金では不足するから、大分高いような気がする。でもこれで安心だ。

ホテルは列車で3つ目の駅前でなかなか良い部屋である。キッチンもあるのでスーパーでカレーの入った肉丼のような冷凍されたもの、それにスモクサーモン、水などを買った。ステーキを食べたかったが、ご飯がついている丼ものに気がかわった。
昨日買ったジョニーヲーカーの水割りと、この丼が美味いのであるで。これは成功だった。

満足した夕食で、6時前だったが、ストックホルム市内に向かった。ここにくる時駅員さんが「貴方はシニアーですか?」と聞いてくれ、「だったら普通の人だと44だが貴方は28でいい」と教えてくれた。3割安いのである。自動券売機で買わずに尋ねたから教えてもらったのであった。社会保障がこんな短距離でもあるし、それに外国人である僕にもかかわらず教えて割引してくれるのだから、社会保障といっても自国民だけでない保障というのは見上げた精神である。どこの国の老人に対して提供するとは、自分の心が洗われる思いだった。昨日もスーパーで自然水を買うために尋ねた婦人が、「ここにはごくわずかし自然水は売っていなく、ほとんどがガスが入っている炭酸水だから、貴方が水が必要だったら、ホテルの水が十分飲めるから、それにしていいいですよ」とわざわざレジーに並んでいるところから抜け出して僕が探している売場まで教えにきてくれるのである。ホテルえの駅で老人がいたので、ホテルの住所を聞いたら、「私についてきなさい」と先に歩いてくれ、そしてここだ、と別れたが、ホテルのドアーが開かないでいると、この老人また引き返してきて、玄関の外に表示したある呼び鈴の押し方まで教えて帰るのである。こんなに親切な心の持ち主の人たちがいる国とはなんと気持ちのよいものか。日本ではあまり見かけないのではないか。教えてはくれるところまでは日本人もあるがその教えが、ちゃんと見届けるまでするという一歩踏みこんだ心が僕の心をうつのである。

ストックホルムの町では歩いていたら、日本人らしい女性がいたので声をかけたら、モンゴルから来ていITを学んでいる留学生だった。「いまモンゴルでは日本の相撲の人気が高く日本が憧れの国です」と白鵬や僕の知らない力士まで話してくれた。モンゴルは日本人の顔をしているからつい話しかける。顔が同じであることは親しみがでるものだ。
大道りにでて、前来た場所を思いだした。人々の表情をおさめたいとたくさんの人並みを写真に収める。突然大雨の粒が落ちてきた。粒といった太い雨を始めてみた。最初は数えられるほどばらばら落ちてくる。落ちた雨の形が直径3センチぐらいで1平方メーットルに3個ぐらいである。それから3分ぐらいしてどんどん大雨になってきた。だからデパートに飛び込んだら、化粧品売り場で黒人女性がステージの上で、白人男性に化粧の実演してもらっている。ぼくには黒人の口紅はあまり目立たないから、化粧してもあまり変化があっいたようにはみえないのだが、見物している黒人の女性も熱心に見ているから、黒人同士では化粧の違いが分かるのだろう。ほかのメーカーのステージでもやはり黒人がモデルになって化粧してもらっていた。これだと僕も写真に撮るのに気をつかわなく撮れた。

大雨なのでまだ明るいうちに市内をバスで見てみようと飛び乗ったら、「どこまで行くのか?」と聞くから市内の見物だ、といったら行く先が分からないのでは乗せられないとことわれた。
しかたない、大雨だからホテルに引き返すことにした。

by akinishi1122 | 2012-08-27 02:30

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