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Fev 16

2012年2月16日 レイク・テカポへ(23)
パソコンを開いてみたらYSさんのお母さんから,僕が昨日送った文学阪神の久保さんのお悔やみの手紙を、転送しておいたからのお礼の返信だった。「このようにYSさん沢山の人の心に生き続けているのです」。と添え書きをしておいたからであろう。
クライストチャーチのホテルに8時にタクシーを呼んでもらった。来てくれたドライバーがなんと御婆さんで顔には深い皺があり、腕も瘠せていて脊も高くはなく僕の目には80歳ぐらいに見える。スーツケースの20キロぐらいを車のトランクに持ちあげてもらうのに気のどくに思うぐらいだ。やはり歳を聞きたくなり、「御元気でうね、お幾ツですか?」と聞いたら、66歳という。子供が4人孫が5人いると答えてくれ、ご主人は?と聞いたらとっくに死んだ。とのことだ。こちらの停年は60歳ときいたことがあるが、こんなお婆さんが働くということはどんな訳があるのだろうかすこし気になるものだ。
 テカポへの発車バス乗り場に着いたら、日本女性がいた。彼女も同じバスで僕よりまだ先ノマウントクックえ行くらしい。8時間かかるといっている。
千葉県からの学生で昨日着いたばかりだという。一緒の連れができてよかったです。とも言ってくれ、僕もありがたい。大学4年で銀行に就職は決まっているというから今年は就職難の時代なのに優秀な人なのだろう。
60人乗りの一日1便の定期バスというのに、乗客は10人ぐらいしか乗っていない。あまり採算が合うように思えないが、シーズンが違えば多いこともあるのだろう。
彼女は杏奈(アンナ)という名前で珍しい名前だからきっと両親が国際的にも通用するようなことを考えてつけた名前であろうと微笑ましく思う。
銀行に勤めたら忙しくなり、また新入社員は憧れて入社しても暫くして仕事にかかったころに先輩などから失敗を注意されたりする頃に5月病ということがでだすから、その克服の仕方、僕流のやりかたを助言したりした。それは(教えられるばかりの受け身でなく、先輩を自分が育てるのだという教育てき立場、先輩の良いところを見つけ、それに感謝の言葉をかけることだ、すると先輩も嬉しくなり貴方にたいして愛情のような気持ちで教えてくれるものだ、自分でそのような環境をつくることで、そうすることによって、自分もゆとりを持った気持ちの5月病を克服できるかもしれない)と提案的な話などして時間をすごした。
テカポの湖が見えた途端、ああ素晴らしい!湖面の青い色がなんと美しいことか。もう一人で観るのは勿体ない!という感じだ。杏奈さんもバスを降りたら、いきなりシャッターを切りまくっている。水の色が3色ぐらい違う。空の青いのとはまた少し違う青だ。
テカポには3時間半で12時丁度に着いた。ここで彼女はまだ4時間ちかくかかるクインズタウンまで行くのである。一緒に昼食をとり、ここで彼女と別れた。バスのドライバーも代わり引き返しのバスに乗る。ここはクインズタウンから来たバウとの中継地点のため40分ぐらいの停車地点でもある。クインズタウンから来た人がクライストチャーチに向かうひとの中に日本人が3人いた。僕と逆コースである。
ホテルはYHAだとすぐ隣だったが20分ぐらい歩く距離だった。クライストチャーチと
ちがい晴れていて気温が高いからスーツケースを運ぶのにびっしょり汗がでる。道を聞いた人がホテルの掃除している車のようで載せてくれたから助かった。
ホテルは個室で1階、すぐ前に湖が木々の間から眺められる。もう体がそれだけで癒される気分になる。そして気温も30度以上なのは盆地だからだろうか。
すぐ湖に出てみたらイギリスから来たという若い娘さんらがビキニで泳いでいる。水は少し冷たいが透明で美しい。万年雪が向こうにあるらしく、そこからの湧水だから奇麗なのである。
散歩に出た。6年前にも来た宿はたしか、もっと丘にあり、そこの老人夫妻が経営していて、ピアノを弾いてくれたことが印象に残っている。そして羊もたくさん飼ってもいるといっていた。もう元気でいるかどうか分からないぐらいの年齢であったが、大変気持ちのよい民宿のようなところだった。ここの町に相応しい宿であった。
そこから湖にくだったところに小さな小屋といっていい教会がある。この教会は御伽の国にでもあるような石を積み重ねた造りでなんとも和むものだ。そして祭壇の後ろが大きな窓になっていて、湖が見える。椅子も20ぐらいしか無い。
ここを たくさんの角度から写真に収めておいた。東京から20人の団体の中の2人の婦人も歩いてきた。他に関西からの14人のツアーもこのきていた。
夜のスターウォッチングというツアーが山の展望台まであるらしいが、もう今日の夜は満席らしく、明日も11時からというし、このホテルの近くで夜空を見ることにする。そのツアーの案内人は日本人らしく、ここに住んでいるらしい。
ホテルに日本人の青年が一人いた。県立岐阜商業高校を出たというから、そこの体育の教師をしていた宮崎達夫と言う人が僕の高校の先輩で僕の中学の時の野球部の監督だった人だ、中日ドラゴンズの監督だった高木なども教え子だったのだが、と言ったらあの先生は名物先生で名前だけは知っています。という。こんなところで懐かしい先輩を思いださせてくれた。
深夜(17日朝4時)トイレに起きて空を見たらまさに満天の星だ。これは僕が子供の頃天草の海で夏休に漁師の小船で寝て空を眺めた時のあの星空である。流星が走る。もう流星など観ることは70年近くなかったものを見た。
もう僕が育った頃の星空というのはここでしか見れないということらしい。どこにも街灯ができたからである。ここの星空を世界遺産にしようとの運動もあるというのだから、世の中もかわったものだ。だから僕の子供のころは今でいえば、世界遺産の中で生活していたことになる。

by akinishi1122 | 2012-02-17 10:22 | 旅行

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