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from Rotrua

2012年2月6日オークランドからロトルアへの観光バス(13)
暖かき牧場昼寝を誘いけり  牧場の牛たちの昼寝に誘われて観光バスの婦人も昼寝
菜の花やトーテンポールの案山子かな マオリ族のトーテンポールが案山子となる
椰子林またトンネルの椰子林  椰子林のトンネルが過ぎたらまた椰子林のトンネルだ
夏の野や輸出を待ちし鹿の群れ 輸入した鹿が増えすぎて逆輸出するまでになっている
土蛍満天の夜に舟を漕ぐ   満天の夜のような土蛍の下をボートでゆっくりと
流感や妻は避難したのメールかな 一人留守の妻は流感が蔓延してマンションへ避難したという
ハネムーン牧場は観ざる昼寝かな のどかな牧場は新婚には関心が無いらしい
菜の花を出て兎点々と挽かれけり 高速道を横断するのであろう、兎が挽かれている

朝6時55分に観光バス会社がホテルまで迎えに来てくれた。ロトルアまでの観光をしながらの移動である。豪華な60人乗りのバスに乗客は10人ほどである。
そこに日本人の60歳大阪堺の夫妻、それに東京からの新婚旅行のカップルの二組と僕。車内の接待兼ガイドの婦人乗務員が乗る。採算は合わないだろうが今日は団体がないからなのだろう。
このロトルアという町はロトルア湖という北島で第2の大きさで、そこまで行く途中に世界で初めてエベレストに登頂したヒラリーの生家があり、オークランドは48の火山に
囲まれた街らしいが現在は2つ以外は死火山になっているという。
たくさんの火山があっために伊勢湾のように島の景色ができたのである。ニュージランドの人口は420万、ここの北島が320万というからこちらが僕のいた学校ノクライストチャーチのある南島より人口が多いというのを初めて知った。ニュージランドで一番高い山はマウントクックといい富士山より20m低いだけというから高い山があるものだ。ニュージランドにはインドネシヤ沖などに散らばっているポリネシヤの人々が1000年代に渡ってきたのがハワイやイースター島などと同じ人種だというから、その顔や皮膚からしてなるほどと理解できる。まあ小錦を小さくしたような体系と肌色をしている種族である。
ニュージランドという名前は「人類が生息できる最後の土地」ということでつけられた名前だそうであるが、僕にしてみれば反対に楽園のように思えるのだから、発見したヨーロッパ人がそう思っただけの思いつきでつけたのだろう。
本当はここを発見したのはオランダ人だったが水を求めて上陸しようとしたがマオリ族に抵抗されて上陸できないぐらいの勢力があったらしい。その後127年も遅れてイギリス海軍のクックが1769年に再発見して、世界に知れわたったという。
ニュージランドが正式にイギリスの統治下になったのは1840年の「ワイタンギ条約」だったらしいいが、一部の酋長が契約したために部族が認めず相当の期間戦いが続き結局1863年まで戦争が続き23年の戦争でイギリスとマオリの死者はほぼ同じぐらいでて、武力によって鎮圧されて植民地が完成されたという。
「土蛍」のいる鍾乳洞までは200キロぐらい走った。「土蛍」はここニュージランドにしか生息しない虫の洞窟があるところである。7年前に確か来たのであるが、中に入ってみて初めて思いだした。「土蛍」というのは夜行虫で幼虫期に光を出し成虫になると口を失うというから不思議な虫である。だから食べることができないから数日しか生きられないという。この間に交尾し洞窟の天井に卵を生み、卵が孵化すると幼虫は絹のような粘膜状の糸をだしてハンモックのような巣を作り尾の部分から化学反応を起こして光を放つという。
これが暗闇の中だから光のである。昆虫が光を求めてこの網にひっかかり餌になるという
これが満天の星のようでまるでプラネラリュウム館にいるような状態である。
鍾乳洞は日本にもあるのと同じだがその中の土蛍だけが違う。
ロトルアの町は温泉の町で発展したようで温泉が噴水のように10mぐらい絶えず吹上ている場所や泥田をぶくぶく50センチも吹き上げている泥池もある。雲仙や別府を見る思いである。ここが公園になっていて、マオリの集落の家の跡やマオリの民族踊りをみる。
ハワイのフラダンスに似た踊りである。マオリ族も大分白人の血が混じっている人が多くなっている。
ロトルアに着いて、羊の牧場に行ったら、案内の女性に「日本人ですか?」と言って少し喋ったら「日本はどちらから来られたのですか、」と聞くので西宮と言ったら「私は熊本です」という。だから「僕は生まれは天草だ」と言ったら、「そうだと感で分かりました」というのだ。僕はもう天草を離れて60年近くなるのにやはり訛りというのは抜けることはないものらしい。
羊を犬が一定のオリの中に追い込む技は見事である。楽しみながら追い込んでいるようだし、獲物を狙うような姿勢である。また毛の刈り取りの実演もしてくれ3分ほどで完了するが見事な手際である。慣れない人がすると30分以上かかるらしい。刈り取りの専門学校もあるぐらいである。
一匹の羊から採れる羊毛がなんと3ドルというから気の毒だ、日本円で210円である。これでは牧場の経営はなりたたないだろう。10年前までは6ドルだったというからおそらく化繊にやられたのだろう。
どうして短い毛が糸になっていくのか不思議であったが、実演で分かったが、綿をひねりながら巻いていくと繋がるものだと知った。
ここが終わったら僕のホテルへ送るバスが迎えに来てくれている。僕が外国で経験する不思議なことは、どうしてホテルまで迎えたりとどけてくれることができるんだろう、ということだ。ありがたいことで、サービスが行き届いているし感心しているところだ。
ホテルは予約してある処に届けてくれた。部屋は狭いが一人部屋にダブルベットだから寛げるが、壁の色が木目とレンガ色だから暗く感じであまり好きでない。
スーパーに買い物に行くために地図をもらって歩くのだが人が一人も通らないから地図の方向で間違いないか聞く人が道にいない。だから走る車に手を上げて止まってもらった。すると老人が降りてきて、そのスーパーだとこの車に乗りなさいと載せてくれた。助手席には奥さんが乗っている。大きなスーパーだったが、「何分ぐらいかかるか?帰りも送ってやる」と言ってくれる。だから急いで買い物をし、ビールを4本かって老人にお礼にと思った。ステーキ、2枚、ハム、パン、牛乳、オレンジ、桃、姫トマトなどを買っていたらさっきの老人がついてきたらしい、自分もファンタの大瓶を下げている。それも一緒に精算した。そして車に帰りビルをお礼にと渡したら、自分は飲まないからいらないという。それでホテルまで送ってくれたのでこれでは僕の気がすまないので、「ちょっと待ってくださいお土産がある」と待ってもらった。そして日本から持つてきた、のれんの旗2枚とキーホルダーを2つ、「お孫さんにプレゼントしてください」といって渡した。
片道2キロぐらいはあるところだから本当に嬉しかった。
老人?は71歳というが、僕には老人にみえたが僕より若かったのである。こんな親切が外国ではよくあるから外国の旅行の感激するところである。
夕食はステーキ、にトマト、パン、桃などにした。ボリュームのあるステーキだから大分残し捨てた。
向かいの席にスイス人の37歳という青年と話しながら食べた。彼はカーペンターをしていて、この旅は8週間だという。奥さんはいないという。8週間も旅行して建設会社に勤めているがよく休めるものだ。帰国したらまた元の会社に帰るという。仕事は大工というが日本では考えられないことだ。だいいち大工という職人は日本では日給だから働いた日数しか賃金がもらえないから、休むことは即収入にかかわることだから、8週間も休めないものだ。建設労働組合に入っているから仕事の復帰には心配ないというのだ。
こんな話こんでいたからじむ所が閉まってしまってパソコンができなくなってしまった。

by akinishi1122 | 2012-02-07 05:52

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