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 待つ心優しく
現代の子育てや人そだての典型は「早く早く」だそうです。昔の教育は人育ては早くて5年、一人前になるには8年かかったと言われています。
ですから現代では名工と言われるひとが少なくなりました。それは製品が見かけだけは昔の名工が作った作品と同じように見える作品が工場で仕上がって、しかも早く安くできてくるからでしょう。
また市場も名工の作品というものにこだわりがなくなったからでもあるのです。
考える将棋などでもコンピユータと対戦するとアマチュアでは殆ど勝つことはできなくなったと言われています。
たしかにパソコンであらゆることができ、それを使ったコンピュータの管理で自動車や工場の機械も動かされていて人間の塾連などで積み重ねられた技術がコンピユータ技術で一級品が出来上がるのは間違いありません。
しかしこれらの物はすべて人間が無くてはできなかったものですね。機械やコンピューターは未来のことを開発することはできません。そこにどうしても人間が必要になってくるのです。
では人間はどうして育てあげられたかといえば、人間には一人一人の意志というものがあるからです。
意思というのはどうして育ちつくられていくものでしょう。
決められたことをただ忠実にこなすことは機械ができても、これから起きるであろうことを予測したりその予測にたいして対策をあらかじめ準備して対応するのが人間で、機械やコンピューターにできないことなのdすね。
では自分の意思や予測というのは人間は、どこから生まれるのでしょう。
それは自分の経験、他人の経験や失敗を重ねることによって予測というのが働くようになるのです。それと人間は利害というものが将来自分に利益になるかどうかという利害の予測も人間の行動に移るおおきな基準になるものです。
ですから人を育てる時には「早く早く」は効きにくいのです。

うがより近い言葉になるのです。
人間にたいする期待や要望、それに人育てというのは、理解してもらいたい目的を理解さすこと、そしてその仕事の重要性、そしてかならずその相手の人の理解度、意欲、過去の経験そして今の立場をどのように的確に把握しているかがその人を行動に移させるかの重要なポイントになるでしょう。
ですから、教育や人育てには「早く早く」という言葉がもっとも不似合いなことばになるのです。優しく理解して待つこころが必要となるのです。

by akinishi1122 | 2012-02-02 06:54 | 思い

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