社内報より

 誰でもミスはあるが謝る心
人間は失敗することで沢山のことを学んできたのが歴史なのです。やることなすことが成功することばかりだったらみんな理想とした人間になったり、喜びに満ちた人生ではないでしょうか。
私たちはむしろ失敗やミスが人生の大部分だったればこそ成長してきた、と言えるのいかもしれません。沢山のミスや失敗をいかに克服したかによって人間の奥深さが出ているかもしれません。
ところが、ややともすると失敗を恐れて行動することすらしないことが一般の社会的な風習のようになっているようです。この風習は人間のやる気というものにブレーキを掛ける働きになっているようです。そのために誰かが新しいことに成功したら、「実は僕でも考えていたことだった」ということは、誰でも経験で知っていることです。この成功した人と自分との違いは、自分も同じようなことを考えていたのだが、もし失敗したら誰かに迷惑をかけるのではないか。
あるいは人がやらないことをするからだ。と言って笑われるのではないか。もし失敗した場合は責任を追及されるのではないか。などと考え足を踏み出さなかったから、同じことを考えていながら、足が前に踏み出す行動をしなかったことの差ではないでしょうか。
私たちには毎日同じように見えることが沢山ありますが、昨日のことと今日のことは同じように見えていてもどこかが違うものです。どこかが違うという根本的な物の見方をすることによって対象物が違って見えてくるものです。
違ったことへの新しい考えをもって対処してみよう。というところに環境を変革する気持ちと視点が見えてくるのではないでしょうか。同じ物をみても同じ物と見えない、何かが変っているはずだとみる人は沢山のアイデアが生まれるものです。
その昨日と違ったアイデアを新しい考えと行動をもって対処していくことが出来る人が失敗やミスということが起きるものです。
だれもやったことが無いことには新しい考えや工夫が必要ですから自分だけの世界になりミスや失敗が起きることは当たり前なのではないでしょうか。
そのミスや失敗したときの対処の仕方をどうするか。ということによってその人の今後に取り組む態度が天と地ほどの差がでてくるのではないでしょうか。
1)失敗の原因を率直に公表する、そして先人の知恵や助言を求め、失敗については率直に謝る。
2)失敗の原因について事実を隠す、弁解をする。自分はただ言われたことをやっただけだった。従ってその責任はない。
このどちらにその後の成果や協力者がでるか、とはもう明らかですね。
人類の進歩発展というのはいつもこの両者の解決の仕方によってもたらされたものです。

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by akinishi1122 | 2012-01-05 20:57 | 思い | Comments(0)

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