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世界旅行(33)

ワンワールド世界旅行(33)
2月22日(金)ケネデイー空港は大雪で飛行機は欠航、別の空港に替え、ダラスに深夜着く
 昨夜早く寝たから、目覚めたのが11時だった。3時には準備せねばと思っているから、カセットを聞いて待つことにしよう。横になっているだけで、眠ってはならないと4時間ぐらい横になっているだけも辛いものだ。僕が目覚めたころ同室の悠平君と芸術家?も帰ってきたから僕と入れ違いに眠りについていた。
3時になって外を見たら、真っ白の雪である。近くの地下鉄の駅までは4ブロックぐらいあるが、3時代というのはまだ深夜である。
大きなスーツケース2個をもって歩くべきか?タクシーを呼んでもらい空港まで走るべきか?大分迷った。そこえゴミ収集車が動きはじめた。人はぽつぽつと2・3分おきに歩いている。街灯が非常に明るい。こんなんであれば、雪の中の遊び人はいないだろうと判断、歩くことに決断した。3時30分にホテルをでた。200mぐらいの道のりだったが、雪の上は僕の足跡ぐらいしかまだない。
5分ほどで駅につけてやれやれだった。終夜運行しているということだったが、30分間隔できた。これでタクシー代60ドルぐらいが助かった。この駅からは5・6人しか乗らず、その中の黒人の青年に乗り換え駅を聞いたら、列車内の電車路線地図をしめし丁寧に教えてくれた。やはり飛行機の時間が決まっているから緊張するものだ。彼の説明だと、空港駅までが45分、それから空港内列車が20分ほどだろうとのことだ。
彼が下車したあとに、日本語の新聞を読んでいる30代の男性がいたので聞いてみたら、大阪の富田林から来てもう15年になるという。3時代の勤めだから商店につとめてる感じの人だ。「なかなか勇気のある旅ですね」と言うから、彼のように15年もここにいて英語が出来る人で、僕の旅に「勇気」という表現をしてくれたが、他人からみれば、勇気と映るのだろうか。僕にしてみたら、毎日がスリルと発見の楽しみなのだが、この人も、自分で実行してみたら、そんな表現は使わないかもしれない。
 この男性は、下りるとき「私が下りた次から5つ目で空港列車に乗り換えてください」と日本語新聞も置いていってくれた。大学を出て語学学校に入りそのままここにいるがまだ結婚はしてない風である。
空港線列車に乗り換えで、待っていると、日本人の若い女生が5人ほどいた、日本航空のニューヨーク勤務だそうだ。やはり4時代だから忙しい勤務のようだ。僕の地下鉄の回数券の残り3枚あったから、プレゼントしておいた。
 この空港列車は5㌦である、走りだしたら、ドアーの隙間から雪が舞い込んで、たちまち15センチぐらい車内に積もり、まだ強く雪が続いている。こんなのは珍しいのではないか。この日航の女性社員も僕の一人旅が珍しいようで「自分ではとても出来ない」といっていた。
 5時に搭乗券を発券してもらったが、この雪で大幅に遅れ、7時50分のが、午後4時30分に変更となった。仕方ない8時間の待合になる。空港中を見えるだけでも40台ぐらいの雪かきのブルが動いている、国内線の10便ぐらいが取り消しになっている。
空港で久し振りに電話が繫がり、今のニューヨークの様子を知らせたら、哲顕も薫も何回もメールいれてくれてたらしい。応答ないし、大変心配してくれていたようだ。秋子からも、薫からも即電話が来てこの一週間、気をもんでいたらしい。僕が昨日も1昨日もインターネットで様子の日記を送っていたが、添付の書類が文字化けして読めずにいるらしいから、こちらの様子は全く解からなかったのだから、無理もなかろう。
秋子も元気そうな声だったから安心した。「もう暖かい国になるのだから、冬物は全部処分して身軽に行動するように」とのことだ。僕も荷物は一つだったら行動にゆとりができるので、小さいケースにしても良いのではないかという気になってきた。
哲顕から、ダラス、マイアミのユースホステルの所在地と電話番号が知らせてきた。今日の哲顕が予約してくれているから、明日からのを手配するのにありがたい。

これから、ダラスのホテルで書いている。(2月23日朝10時)
ケネデイ空港からのダラス行きは全て雪のため飛べなくなり、3時すぎて、全面運休となったのがわかり、もう搭乗手続すまし荷物も機内に積み込まれていたから、今度はその引取りの時間がかかる。その荷物を受け取った段階で、もう「明日の便しかない」との説明だ。だから困った顔をして「ニューヨークには泊まるところがないから、なんとかならないか?」と相談してみた。搭乗カウンター婦人が大分コンピューウターのキーをたたいて、何か検討し始めてくれた。(キャンセルになったから、ホテルでも世話するのだろうか)僕の後には100人ぐらいが並んでいる、だがここで引いてはその後が大変だから、その人の誠意にすがろう、あまりその人の顔を見ないようにして祈るような気持ちで待った。あちこちに電話もしてくれてもいる。もうこの婦人に頼ろう。など様々なことを考えてカウンター越に20分も向かい合って彼女の努力に期待して待った。
 すると、「ここからはダラスに飛ばないが、別の空港だったら今日の最終便が乗れる、だがここからの次の空港までのタクシーは自分で支払わねばならないが、いいですか?」というから、僕にとって異存のあるはずはないから、それを頼むことにした。
 次の空港はここから20分ほどらしい、最終便が7時50分というから、時間は十分にあった。ダラスのホテルは哲顕が予約してくれてあるから仮に深夜であっても、電話しておけばよいはずだから、ダラスに行くことが大事であった。タクシーは26㌦でチップを1㌦にした。
 この空港はローカル空港でアメリカ国内だけだ。日本人は殆どいない、とりあえず昼の混乱で昼食もとっていなかったから、サンドイッチにビールで夕食を済ます。今朝は3時起きだし、いま6時半だから眠たい。
ケネデイー空港の雪の余波で、ごったがえし、こちらに移動の客であろう。
夜7時50分の出発、4時間のフライトらしい。荷物を受け取ったり、タクシーだったりしたら深夜にホテルとなるから、その旨電話をいれておいた。同じA/A航空だから料金は要らない。乗ってみたら、日本人青年が隣にいて、大阪の天神橋出身、高校を出て語学学校に一年、それからニューヨークの大学を卒業。こちらで日本人経営の写真関係の会社に勤めているという。僕も眠り込んでしまったし、彼もヘッドホーンを聞いていたからそれだけの話だった。
ところが、目覚めてみると11時である。隣の青年の説明だと(急患者が出て緊急着陸)になったらしい。テネシー空港という。
やがて救急隊員が3人乗り込んできた、頑丈な男性で拳銃もつけている。一番後ろの席から30代後半の女性が酸素マスクをつけ病人用の椅子に乗せられ、機外に運び出された。夫と子供もいて一緒に下りていったか、別の部屋に運ばれたのであろう。「酸素ボンベが不足しているから、他の航空会社から調達して間もなく出発する」との機長が説明したら、乗客の中から拍手がおこった。思ったより良かったことへの暖かい励ましの拍手である。
こんな深夜に誰ひとり不平らしい言葉は出ないどころか、「よかった、よかった」との労わりの心が機内にあふれていて僕も気持ちが和んできた。この夫や小学生ぐらいの息子はさぞありがたかったに違いない。暖かい心というのは皆で作り出すものなんだ、と気付かされるひと時だった。
1時ぐらいに離陸した、もう眠くてダラスに着いたのも知らないぐらい眠っていた。日本人の青年に「深夜の2時に着いたがまだホテルは空いているだろうか?泊めてもらえるか?」と僕の電話で掛けてくれるように頼んだら、自分の電話で確かめてくれ、OKがとれた。
空港前に乗り合いタクシーがあり、僕のホテルはコースに入っているから乗せてくれ、ホテルのフロントまで荷物を持ってはいってくれた。18ドルであった。
ホテルはなかなか立派で今までの中で1番良い部屋である。ゆっくり風呂にはいり、スーツケースも開かないまますぐベッドにはいる。3人ぐらい寝れるスケールの大きなベッドで気持ちがいい。3時半(こちらの時間で2時半)だった。

by akinishi1122 | 2010-11-14 22:03 | 旅行

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