9条の会ニュース
2010年 09月 27日
天 木 直 人 さん
元駐レバノン大使
イラク戦争支持に抗議して辞職
昭和20年8月敗戦。当時11歳、小学5年生の私は、台湾台中市にいた。2ヶ月前までは、軍港のある基隆近くの町に住んでいた。沖縄開戦の1年前は、米軍は台湾攻撃に入り、毎日、B25機の空襲で防空壕住まい。通学途中、グラマン戦闘機の機銃攻撃を受け、夢中で溝に飛び込み、九死に一生を得たが、学友数人は死亡した。
昭和20年、父が病死。同年8月敗戦。日本に引き揚げのため、収容所へ。帰国船を待つこと6ヶ月。アメリカ貨物船で10日間、21年4月和歌山県田辺港に帰国。船中、マラリア等の病死者も続出。毛布に包み、夕暮れ船尾から海中へ。汽笛がボーッと鳴る。今でも耳に残っている。
母の生家、羽倉崎にたどりついたが、当時の食糧不足は深刻で、母と5人の子どもでは生活ができない。口べらしのため長男の私は、父の故郷の鹿児島へ。10年間、家族と会うことがなかった。
戦争が普通の市民にどれだけの悲惨を強いるのか、戦争体験者が少なくなっていく中で、孫子に生命の大切さと不戦を訴え続けていきたい。
(「九条の会・泉佐野」No.1から転載)
by akinishi1122 | 2010-09-27 05:11 | 九条の会