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07sai

(5)ケンブリッジ語学留学 2005年7月14日(5)
学校に行ったら事務の人がメモを持ってきて、昨日7時30分まで帰宅しなかったので、ホストファミリーから心配して電話があったとのことだ。「どうしていたの」と言うので、「ロンドンからの帰りで遅くなった」と説明したら、学校も安心したようだが、やはり帰宅が遅くなれば電話を入れるのが当たり前であるのは、イギリスであろうと同じであることを気付かなかった。
日本を発つ前に家でも言われていたのに、忘れてしまっている。こちらの日没が10時頃で、まだ明るいから昼のような気分でいたのだった。夕食の用意をしてくれてる人の身に考えが及ばなかったのだ。
家を出る前に薬をスーツケースに入れているから出そうとしたが、鍵がどうしてみお見つからない。ウエストポーチに確かに入れたはずだし、鎖につないだはずだが、そのうちに見つかるだろうと家を出た。すると30mぐらい歩いたところに僕の鍵が落ちているではないか。丸一日落ちた、いや2日かもしれないのに、ちゃんとあった。ここは5~6軒の中庭になっていて人通がそんなに多くないからよかったのだ。繋ぐ紐がほどけていたからすっぽり抜けたのだった。小銭入れにくくっていたのだが、こんなことは滅多に起こらないのだが、起こるものだなあ、とやはり何かが違った気分にさせているのであろう。しかも最重要な鍵をである。起こるはずがないのに起こるというのは、やはり特殊の緊張がさせているのであろう。
今朝は台所を探したら一つだけ昨日開いていなかった棚が真上にあり、それを開いたら7種類の朝食用のコーンがあるではないか。やはり説明を聞いた時の英語を十分聞きとれなかったのである。自分のリスニングの力が不足しているためである。「なんで朝食が無いのだ、朝起きて準備するのが当たり前ではないのか」などとミッセルに不満を持ちかけていたのだが、自分の語学力のせいだと、大方の不満というものは自分のせいや文化の違いからの誤解であるようだ。このことを前提にして先ず腹をたてることは戒めねばなるまい。でなければ自分が住みにくくなる可能性があるだろう。文化の違いなどで腹を立てたらこの国にいられなくなる。異文化に接するのが目的の一つなのに、やはり現実に直面すると、日本の価値観がまず出てくるものだ。そして感情になる。これはいけないことだ。
だから相手と違うことを認めるということを先日太田先生の講演で学んだはずなのに忘れている。
昨日午後の授業を欠席したから、朝バスの中でと、駅のベンチとでプリントを書き込む。どうも家の中では勉強をやらない習慣だから、外の方がいい。バスで30分、ベンチで20分の方が僕の性格にあっているから、早く家を出てこの方法でやりたいと思う。大体勉強といい、本を読むといい、僕のやり方は電車の中がいままで圧倒的だった。どうも、机に座った勉強というのは、いかにも「勉強」という方に力が入るからである。だから僕の本を読むのは今でも電車が多いしそのほうが他の用事から隔離されるからはかどる。
机に座ると、すぐ色々なことを思いだし、わき道にそれてしまう。家の机だと材料が多すぎるからであろう。
昨日の授業の中で、僕の早起きが話題になったが、「あなたはどうみても60歳ぐらいにしか見えない、自分の父が74歳だが、それと比較すると、とても70歳には思えない」ということだ。若く見えるというより、色々動いて行動的だという。そういわれればそうかもしれないが、僕自身が、年齢で人と比較したことがないかもしれない。Nobutoshiという呼びかけで先生やクラスメートが呼ぶから、覚えにくい名前と思っていたら、他のクラスの生徒がNobutoshi!と呼んでくれるから、そうでもないようだ。他の国の生徒のカタカナ語は覚えられないでいるのに、感心しているし、嬉しいものだ。僕も彼らの名前を覚えなければ、悪いなと責任を感じてきている。明日からノートしておこう。
モーリタニヤの50位の女性は大学で生物学の教授をしているという。フランスの大学を出ているというから、道理で英語の理解が早いのだ。やはりスペルや文法などは僕と違って基礎があるもんだ。48歳というが、僕には55歳以上ではないかと見える。毎日サリーを変えて着て他の生徒より地味なデザインだ。
2ヶ月英語を僕らと勉強するというかが、大学は大丈夫なのだろうか。研究もあるだろうに。
また隣に女性の生徒がやはりモーリタニヤだが子供が4人いるという。一番小さい子が7ヶ月というのに2ヶ月も勉強に来ている。よくもまあ来れたものだ、と聞いたら、「主人が面倒見がいいから」と当たり前みたいに言うのだから、驚いた。彼女もフランスの大学をでてフランスに長くいたことがあるらしい。フランスの植民地だったからだろう。
今日は一日眠くてしようがない。先生が「Nobutoshi、目をあけて!」と一回言ったから眠りかけていたのだろう。昨日は沢山寝たつもりだったが、午後の授業で、もう目を開いているのがしんどかった。早く帰って寝たい気持ちだった。
この旅日記を学校でコピーして、もらったら15枚になり、200円ぐらい払った。電話よりこの日記だったら、日常がよく解るだろう。
20日は娘の誕生日だから誕生カードを別便で送っておいた。一週間先だから今日送れば丁度着くだろうから。
英語ばかりの生活だから、不思議に英語をつぶやくようになるものだ。解る解らないは別として、英語で話さねばならない必然性というのが一番よいというのが体でつたわってくる。そしてなんとか用足ができてくるものだ。
帰りのバスの中で、僕と同じぐらいかと思える婦人に僕の住所を言って、ここに行く、と言ったら、「何をしにきているのか」と聞くから、「英語を学ぶ生徒だ」と言ったら、えらいね!と言ってくれた。64歳だという。白髪で顔は皺が一杯だった。彼女が運転手に僕の下車バス停を告げて、この人を下ろしてやってくれ、と言って先に降りていった。やはり人に聞くものだ。ここのバス停には名前が無く番号だけあって、次に下車する時にボタンを押すことになっているから、よほど注意しておかねばならない。だけど大方今日で近くの風景がわかるようになった。
夜の夕食は鶏肉に骨つきのかたまり、2個とポテトをマヨネーズでまぶしたもの。ポテトは小さく一口で2個ぐらい口に入るくらいの大きさである。それが大変美味しいのだ。それに野菜サラダ。
これを頂いてすぐベットに入る。多分8時頃である。眠くて眠むくてたまらないから、食事前にロシヤのステハンと五目並べをした。彼は五目並べを知るっていた。ここの息子にノートに書いて教えてやった。
早速息子のトシュとステハンは対戦している。
ステハンにロシヤ語の原語で「カチユーシャ」と「一週間」それに「モスクワ郊外の夕べ」を歌ってきかせたら、褒めてくれた。おそらく大分発音は間違っていると思うが、彼と一緒にいるあいだに発音など訂正してもらえばありがたい。

by akinishi1122 | 2010-09-22 19:58 | 旅行

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