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70歳の語学留学

ケンブリッジ語学留学 2005年7月10日(1)

まずヒースロー空港に着くまでに、座席の隣にみどりさんという女性が居合せたことが考最高の幸せだった。彼女は家の娘とほぼ同じ年代のようである。イギリス人と結婚し7歳と5歳の子供がいるという。ロンドンの郊外に住んでいて夫が高校の教師をしているらしい。自分は子供が学校の間パートのようなのを二つばかりしていて、育児の資格があるから刑務所の受刑者の女性用施設で入所している受刑者の子供を育てる仕事。他にボランテイアの資格がありそれで家庭を夫と共に支えているらしい。
「イギリス滞在中で困ったことがあれば、いつでも来てください」というので「電話でよければ相談させてください」と頼んでおいた。僕が70歳で留学することで自分の父は1944年生まれだが、とても比較にならない。と驚いている。だから役にたつことがあれば手助けしたいという本当の心遣いである。
今度の帰国は祖母の危篤のためで、今日も含めて3日間の日本滞在だという。祖母は88歳で昨日亡くなられ、今夜が通夜だというが、意識がある間に会えてよかったという。子供をイギリスに残しているため、急いでの帰国である。だから昨夜は寝ていないので、少し話しただけでアムステルダムに着くまで眠っていた。なかなか好感のもてる人である。
アムステルダムで乗り換えが気になっていたが、一緒に乗り換え搭乗口まで連れてくれ、出発1時間前に落ち合うことになった。
その間に僕は空港のカウンターバーで、日本人が経営するにぎり寿司とビールを飲む。日本円で2800円だった。まあまあ美味しい。時間つぶしだった。外人も次々にカウンターに座り、寿司も一般化されてるようである。
いつも海外では、飛行機の食事が僕にはあわないのだが、今回の機内食は豚肉をご飯の上に載せ、ちょうど鰻弁当のような味であったので美味しくいただけた。
待合場所に行ったら岩重さんも帰っていた。時々飛行機の時間や場所が変更になるというが、案内板に次々に表示されているから、間違いないということだった。大きな空港でそんなに歩かなくても表示板がたくさんあるから、僕のはHrowと掲示板にはでていて、それがいくつもある。だから岩重さんがいてくれて本当に助かった。アムステルダムのその待合室で出発ギリギリで彼女と一緒の写真も撮らせてもらった。一人旅でこんなに親切にしてもらった最も印象に残るであろうこの人は残しておかねばならない。
アムステルダムからイギリスまで1時間15分ほどだが、彼女はずっと前の席で、僕は真ん中ぐらいだった。「ヒースローに着いたら出迎えの人が来るまでお付き合いします」と待ってくれた。また自分のアドレス、Emeiruも全て書いてくれた。そして「いつでも来てください、お役にたつことがあればいつでも電話ください」と重ねて言ってくれた。7月31日から8月28日まで家族全員で日本に帰っているから、それ以外であればいつでも、とのことだった。大変心強い保護者ができた思いだ。
スイスのBurryからも出発前からメールがくるし、本当にみんなで見守ってくれていることが嬉しい。この岩重さんは今日知り合ったばかりなのにこんな親切だとは、この旅の成果が大成功するだろうとの予感だ。ヒースローでは日本人スタッフが迎えにきてくれ、社のマークで僕もすぐ見つけることができた。タクシーの運転手も一緒だという、ロンドンの事務所のこと、地図など手際よく説明してくれ、タクシーにはもうチップは払ってあるから、なにもする必要はないという。
ケンブリッジまで約1時間半100㌔を走ってくれるというから相当な金額になるだろうが、留学会社Wishuに頼んでよかったと思う。この話を見ていて岩重さんは出迎えに主人と子供たちと、「さようなら、気をつけてください」と挨拶しに来てくれた。
7歳の女の子は大変可愛らしい子だ。下は5歳で男児だったが、主人には気付かなかった。女児は本当に可愛らしく「おしん」のような顔をしていた。
タクシーの運転手は50歳というから、随分老けて見える。鼻髭もはやしている。1時間半ほどの車の中だが、自分から話し掛けてこないから、僕が次々に質問したら、応えはしてくれる。小麦畑が続き高速道路なのだが、この小麦というのを引き出すのに苦労した。ブレッドの草か?とか、畑のことをフィールド、とかアースとか、グラウンドとか、生えている植物は何か、などと質問してやっとパンの原料元だというところまでたどりつけたのだから、運転手も大笑いである。
ケンブリッジまでの距離は100㌔ぐらいというが、平原が続いて一面が小麦畑だ。空から見ると土の色をしているから何だろうと思っていたら、小麦が色づいて黄色になっているということだ。一面の小麦だから土に見えてくる。そして背はあまり高いようには見えない。パン食の国だから小麦が多いのは、さもありなむといえる。日本の方が異質ということだろう。日本人は毎日パンを食べていながら、パンの原料を知らないで過ごしているうかつさを知る。
ケンブリッジに着くまで交通信号がほとんど見当たらないほどの農村地帯だから、なぜ交通信号が無いのか?と聞いても返事がない。何回も聞いたら、それは、車が農村では少ないからそんな必要はない。という、ガソリンがイギリスではいくらするのか?聞いたが、どうもガソリンというのが通じない。僕はガソリンというのは英語だと思っていたら、ペトロのことか?と反対に聞きかえすのだから、こちらではペトロと言うらしい。解らないはずだ。ケンブリッジには公園が多く、空気が濁っていない。本当に来てよかったな。ケンブリッジに決めて良かったな、と街に入って意を強くした。
ケンブリッジ大学のキャンバスは公園の中に見える。僕の学校も公園の中にあるようである。「ここがあなたの学校だ」と教えてくれた。僕の下宿はどんなところであろうか、ワクワクして走る。
家に着いた。Ms Mishellさんが笑顔で迎えてくれた。この瞬間から、この人は僕とうまくいきそうだ、と感じた。親しみに満ちている。話してくれるのがゆっくり、僕が解るように話してくれる。中国人、ロシヤ人、サウジアラビヤ人が一緒の家で、いずれも語学学校生らしいことも説明してくれた。そしてサウジの生徒が僕と同じ学校だから、明日あなたと一緒に行かせる。とも言ってくれた。
ミッセルは43歳で子供が7歳の男児であるらしいが、まだ合っていない。
夕食を僕のために作ってくれていたが、皿洗いは自分でしようとしたら、「残飯を捨てるだけでいい、洗うのは私の仕事だから」と言ってくれ、気持ちが楽になった。
その後彼女の友人が訪ねてきた。その人にも挨拶して、日本から持ってきた団扇をプレゼントした。するとこのお客さんが、僕の部屋まできて、
コンセントの使い方など教えてくれる。だから随分親しい関係なのだろう。ミッセルに、家で用意してくれた日本の浴衣、下駄、帯などをプレゼントした。着てくれるかどうかは解らないが、大変喜んでくれている。彼女の年齢は聞かないように哲顕から言われていたから、聞かないようにした。哲顕の話によると、結婚しなくて、子供だけ欲しいという婦人もいて当たり前の時代だからだそうだ。子供にも浴衣をプレゼントしておいた。
部屋は1階で冷房もいれてあり、快適だ。洋服掛け、整理棚もある。洗濯物入れがあり、ここにいれておけば、何日かごとに洗ってくれるらしい。
洗濯は気になっていたが、これも解決。だが下着だけは自分で洗おうと思っている。
香梨からメールが入って「アムステルダム、ヒースローからのメール着いたけど、こちらからのは着きましたか?」
と着ていたので、ぼちぼち携帯メールを自由に使えるように練習しなければなるまい。

by akinishi1122 | 2010-09-18 07:34

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