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(11)ベルリンへ

(11)旅日記 10年8月7日 アムステルダムからベルリンへ
空港のホテルで目覚めたのは4時だった。あまり強行軍はやらないでおこうと思っていたが、昨日の緊張もこの豪華なホテルだったせいか一変に開放感に変わってしまった。
 ここにいても今日はベルリンまで行くのだから、もう何もすることはないのだから、早く出ることにした。シャワーをあび、準備してフロントに行ったらホテルのバスは6時10分が始発というからタクシーを呼んでもらった。空港ホテルといってもやはり2キロぐらいある。15ユーロだった。
 空港からアムステルダムのセントラルステーションまでも始発の5時に乗る。
ベルリン行きの列車は6時27分だが、5時半に着いたから1時間もの待ち時間だ。やはり駅には列車に乗れなくてリックを枕に寝ている若い旅行者も50人ちかくいる。やはり昨夜の僕と同じような乗り遅れの人もこんなにいるものかと、僕もホテルがとれなかったら、こんな姿でいなければならなかったのかと、ぞっと寒気がした。また同情もしたいような気もする複雑な気持ちになった。
 6時27分の列車だがここ発で、すでに止まっているが5分前まで扉はひらかないから乗客は待期しているのだが、日本人はだれもいない。それらしき人は韓国人学生である。
 3年前ぐらいまでは日本人学生がヨーロッパには夏休みに多かったが、日本人学生がすっかり姿を消している。日本の景気の反映と韓国の経済の発展との差がはっきりと見えてきているようだ。日本ではアルバイトで来れる状態になったのが解るし、日本の将来を暗示してるようで恐ろしいように感じる日々である。
 昨日S君の話によると、ソニーを韓国のサムソンという会社が世界市場で追い越したと言っていた。日本と似たような経済成長のスタイルだった韓国だからそれも分かるような気がする。
 香梨からメールがきた。「こちらは暑くて大変です、お母さんも元気です」とあった。こちらから何回か送信していたが、新しいアドレスに変わっていたらしい。
 今日は時間も十分あるし、昨日のどたばたの一日を時間をかけて日記に記録した。途中を知らせると心配するから、てんやわんやしたことは携帯メールには入れないでおいた。
 だから最終的にホテルに泊まれるまでのいきさつは日記で読んでもらうことで、いらない心配をかけないでおこうと。
だが日本にいる時はいつもこんな調子の失敗は僕の特技になっているから、またかぐらいで済ましているのだが、外国ではそんなわけにはいかないから、知らせないことが皆の平穏な気持ちを維持できるから。
 「現代短編小説編」の櫂悦子の「謝辞」を読む。薬品会社の研究員だが研究成果が世界から認められ、イタリヤでの学会で発表になるのだが、その研究発表を上司が自分が報告者になるという、学者の世界でもみにくい横取りするようなことがある。それを日頃から見ている派遣社員が報告書に本当の研究者の名前で印刷して、上司の横暴を許さない抵抗をしてくれるが、その派遣社員はそれを期に会社から解雇される。そんな現実の悲劇は、当たり前のことですら自分の職をかけてでなければ発言できないのである。これに対しての「謝辞」であった。オクスフォード時代の友人で大学の助手をしていたN子が、やはり教授でも嫌がらせをし、教育の世界でもそんなことがあるのかと驚いたことがあったが、そのような現場の小説である。
 アムステルダムから30分は走ったところで乗り換え時間30分。そこからストレートでベルリンだ。
 列車からは緑と牧場、それに沢山の川や湖などみながら走るが、同じ列車に乗っている人の青年男女はおおかた出発からすぐ眠っている。朝がはやかったせいである。なかには、5時間ぐらい眠りっぱなしの青年がいたから、おそらく昨夜は駅ですごした青年たちだったのだろう。夜行列車でもあればよいのだがと僕も思っていたが、この線は夜行が無かっいたから、無理もなかろう。
 ベルリンまでは本を読んだり日記を打ちこんだりで過ごした。
ベルリンに着いたのは13時20分だった。もう3回目のベルリン駅だからあまり新鮮な感じはうけなく、まだ駅前は開発するべき広場がいぜんとして残ったままである。戦争の跡がまだどのようにするか思案しているには長すぎると思う広場である。
昼食にピザを食べていたら、隣のドイツ女性が「私、日本のすし大好き、だがワサビはきらい」と話しかけに来たから、貴方が日本に来たら、「ワサビのない寿司屋を探すのに苦労するだろう」僕が「ワサビのない酢は日本では酢とはいわないよ」といってやった。そして近くに日本料理がありますよ」と教えてくれた。
 ホテルは駅から30分ほどの郊外の森の中にある。さっそくシャワーを浴び、5時ごろから市内にでてみた。日本語説明のついた観光バスはもう夕方だから終わりのため、市内の循環バスに乗ってみた。ここは9時頃まで明るく写真が撮れるから夕方でも観光できるから助かる。
 ベルリンといえばやはりブランデンベルグ門である。先の大戦で連合軍のアメリカ、イギリス軍、かたやソビエトの軍隊がこのブランデング門に両方から合体しドイツ軍を完全に殲滅し、ヨーロッパでの戦いが終わった地点だから世界でも知られている門である。1945年5月7日だったと思う。この陥落を聞いてヒトラーはこの近くの今ソニービルが建っているビルの地下室で愛人(36歳)二人でピストル自殺をとげたのであった。
 日本の終戦はそれより3か月もあとの8月15日だったから、このときもうすでに連合
国とソビエト、中国は日本の戦後処理について日本を完全に軍事大国から武装解除し、戦争できないような国にしようと合意していたという。イタリヤのムソリニー政権が43年9月に連合国に倒された時点でもう日本の敗戦は連合国は時間の問題だったと思っていたから、戦後処理を協議していたのだった。僕らはヤルタ会談やポツダム宣言についてはよく聞くが、それ以前からもう日本の負けはヨーロッパ連合国では当たり前の認識であったことが、このヤルタ、ポツダム宣言の流れで知ることができた。
 日本の敗戦も沖縄が6月24日に米軍が上陸して事実上敗戦し反撃能力がなかった日本軍であったのに、ポツダム宣言で、早く降伏するように再三要求っしたのに応じなかった日本は天皇の「もう一度戦果をあげてからに」と、天皇の地位についての維持を条件に降伏が遅れ、そのごひと月の間に200万人が死んでいったことを誰も責任をとらないでいて、しかもその時の内閣で通商産業大臣などをしていた戦争犯罪人がその後日本の総理になるのだから、日本という国は大分変な国ではないか。そしてこの前の戦争について、「そんな文学的なことは私は専門でないから分からない」というような天皇はどんな人間的な頭の持ち主か。
 ドイツではもう二度と戦争はしないために「戦争に導いた指導者には時効はない」と歴代の内閣で決め、いまだにナチスの内閣での閣僚の亡命先のアルゼンチンからつれもどし、裁判、罪をつぐなわせているのと、日本とはえらい違いである。
 今日も見た「ベルリンの壁」の残骸にマリリンモンローばりの美人の絵を書き、戦争でできた、東ドイツの作った「ベルリンの壁」を滑稽に風刺しているのがあるが、これは戦争で勝利した側のスターリンの影響をこんな皮肉で告発している。その「ベルリンの壁」にひきもきらない人々が見学に来ているのは、もう戦争はしてはならないという人々の願いであろう。
 ホテルに帰ってパソコンを開いたら。三日分の便りがきている。
南アフリカのケープタウンのR子(アフリカのジンバブエでサファリーを一緒に回った女性で一級建築士)
(いまはヨーロッパなんですね、ルクセンブルグの次はどの国を訪ねてみえるのでしょうか?やはりどの国も不景気なのは同じで、ここケープタウンも建築の仕事は充分にはありません。今も同じ設計事務所で働いていますが、たまに仕事がなくなって、休みをとる羽目になっています。時間はいくらでもあるのですが、そろそろ、何所かに旅行でも行きたいなーと思うのですが、休んでる間はお金が稼げないので、今後のために蓄えておかなくては・・・となかなか思い切って行動に移せません。日本に住んでいる時はお金はあっても、それを使う時間が無く、こちらは時間はあるのに、お金は無いという状況です。のぶさんの日記を読んで自分が旅をしている気分を味わっていたいので、よかったら続きの日記を送ってくださーい。お体に気をつけて旅を続けてくださいね。)

岡山のD先生から
(ルクセンブルグの写真ですか?余裕の表情で旅を心から楽しんでいられる良い写真ですね。八月六日は広島原爆の日で広島では記念式典があり、番基文国連事務総長、アメリカ大使ジョン・ルース氏が出席、それぞれ初参加です。核のない、争いのない世の中にするにはお互いにのぶさんのように知り合い、助けあうしかないと思いますが)

「文学阪神」の和泉氏から(大阪大学)
(旅行記、たびたびいただきありがとうございます。
それにしてもた旅先からいただくとは思いもしませんでした。こんな旅ってあるのだろうかと、ただただ感心しています。いろんな人との出会い、信じられません。しっかり「文学阪神」も読まれているようですし、とても真似できません。お元気な坂口さんの顔も拜見しました。日本は全国猛暑が続いています。そちらはいかがですか?)

サンパウロの 智子さんより(もとニッケイ記者)
(元気そうな姿を拝見しました。静かな町という空気が伝わってきます。)

ロサンゼルスM子さんより (アメリカ在住五〇年)
(これはオランダの町のお写真でしょうか?とてもお元気そうですね。なんだか涼しそうな感じで、ボストンの猛暑に僻易した者は羨ましいです。カタールなんて聞いたこともない国やヨーロッパからのお便り送っていただきありがとうございます。
のぶさんの一と月とか2か月一人旅行の体力と勇気か祝杯ですが、途中、人情味あふれた出会いが次々に起こりますね。その出会った人からでも、興味深い話を引き出されますね。そして私たちはそのお話を楽しんで読んでおります。
それにのぶさんて本当に驚きの人です。あの小さなトランクに一体何冊本が入っているのですか?昼は観光をして、疲れているのに、夜は本を読むエネルギーがどこに残っているのですか?私は3週間も旅行していると、無性に家が恋しくなってきます。そして時間に追われるからでしょうか、遂、欲の皮がつっ張って、おっしゃる通り「せっかくだから何もかも」となってあれも、これも見なければということになるのですね。
だから夜は疲れて本を読むなんて・・・・でも主人は行き先を決めないで、風来坊旅行にとても興味あるみたいです。
 ルクセンブルグの田舎町のレストランののんびりとしたお食事の話はとてもいいお話でした。私たちもスペインやベルギーの田舎のレストランがとても美味しく、ウエイターやウエイトレスも感じのいい人というだけでなく、隣で家族が食事を楽しんでいるのを見て、同じようにいつもの2倍以上の時間をかけていただきました。
人のペース、特に食事の時間が私たちと違いますね。
 今夏ボストンにも猛暑が続きフーフー言っています。そのお陰で菜園はいつになく順調です。ところがせっかく赤くなったトマトをかじるのがいて、シマリスかおおふくろう?
柵の周りにネットをかけたりと目が離せません。
 お体にはくれぐれも気をつけてください。そして旅を満喫されますように。
お便りお待ちしております。)
秋子から
(何度目かの国ばかりだから安心しています。行く度に変わっていますか?
今日から高校野球が始まりました。そちらで見られるんでしょう。ちなみに報徳は4日目の第一試合、砺波とします。昨日ひさしぶりで夕立凄い雨部屋に吹きこんで大変でした。そちらは涼しかったり暑かったりの様子体に気をつけて体調管理しっかり頼みます。私のことは心配いりませんからベルリンの旅を楽しんでください)
こんな各地から僕の旅に関心をもってくださるのも僕の旅の楽しみの大きな部分をしめている。
今まで手で洗っていたのを全てホテルのランドリーで洗濯。さっぱりとさらになった。5ユーロだった。

by akinishi1122 | 2010-08-29 07:59 | 旅行

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