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ケンブリlジ 2005年

(7)ケン(7)2005年7月16日(土)Brighton旅行
たしか土日は食事は無かったのではないかと娘が言っていたようだったので、自分でする積りだった。すると、8時ごろメキシコと中国、ロシヤの生徒が食事していた。僕はもう出る予定だったので、食事せずに家を出た。
どこに遊びに行こうかと今の今まで考えていなかったが、子供達が留学していたBrightionは第一に行ってみたいところとして浮かんだ。一度行ったが雨と風で、海岸が有名だが良い印象ではなかったし、子供の下宿先もそんなに記憶にない。もう20年も前のことだから。
サンドイッチとフルーツセット、水を買い、Brightionまでの往復で70フラン、14000円相当だと思う。片道2時間の7000円であれば日本より大分高いような気がする。
9時20分にケンブリッジ発ノンストップロンドン行きだった。日本人女性がいたので話しかけたら、徳島大学の4年生で、9ヶ月いるつもりで、今1ヶ月過ぎたところらしい。母を迎えにヒースローへ行くところだという。彼女はパソコンを使っているというから、使い方は留学の会社の案内で僕がもらった説明書のとおりやれば出来るとのことだ。早速学校でやってみなければならない。それにしても9ヶ月いるということは、もう単位をとりきったのだろうか。「お母さんは遊びですか」と聞いたら、仕事半分です。というから、お母さんもなかなかの人のようだ。
ロンドンに着いた。乗り換えで外に出たところに、すぐ外に生花が一杯積まれている。ここはあの7月7日地下鉄爆破された人たちへの見舞いの花だ。丁度尼崎事故の時供花されていたあの風景だ。そこに40センチ角ぐらいの日の丸の旗に寄せ書きしたのが2mぐらいの高さに掲げられている。その前で敬礼している人で一目で日本人だと分かる。不動の姿勢だ。背に日の丸を縫いつけている。少々異様で右翼のスタイルである。「日本から来たのですか?」と聞いたら3日前に着いたという。埼玉S市の消防士だという。歳は50歳を少々すぎた感じだ。日の丸の旗にも、自分の背にもイニシャルが書いてある。熱心な慰問者である。だがイギリスの人たちは彼に無関心であった。僕の目の前で2~3回敬礼してアピールしていたが、誰も彼に話しかけない。だからパフォーマンスのようだ。
彼の敬礼と花束の山を一緒にカメラに収めたら、彼のカメラで自分を違った角度で2枚撮ってくれとのこと、接写と全体を撮ってやった。
僕は急いでいたので、それ以上話することはせず、次のブライトンへの駅に向かった。国鉄といっても同じ構内から乗り換えるのではなく、3分ほど歩かねばならない。地下から暫らくして地上にでると、ロンドンブリッジらしいのが遠くに見えてきた。「Welcame to the Brirgg」と看板が出ていたから、そうである。いよいよ娘たちが何回も乗ったであろう景色も共有できて感慨ふかい。
ロンドンとケンブリッジとは少々風景が違い、こちらは工場地帯が続くので、ケンブリッジの方がイギリスという僕のイメージにあっている。
50分ぐらいでブライトンに着いた。駅は鉄骨の高い屋根でドームになっている。高い屋根で20mぐらいもある。そこに数本のホームがある。娘からお送られてきた写真もここだったから懐かしい。娘からのメールで、「見物するのだったら、チャーチルスクエアービーチがいいよ」とあった。そこを聞くとまっすぐ行って、右の賑やかな通りがその名前らしい。人混みで、若者が多い。僕は店はあまり興味はないが、日本の若者はここでイギリスらしい何かを発見するのだろう。大きな時計台を右に曲がった通りだ。4ブロックぐらい歩いて左に曲がり坂を下りていくと、海が見えてきた。ここがビーチであろう。坂の途中に中華レストランがあったので入った。盛り付けの海老と、オニオンを中華風に炒めたライスだ、5フランと書いてあるのとビールを注文したら、イギリスと中国のがある。中国製にしたら、まあーまあー美味しい。冷たいからいい。料理は大変美味しい。米は細長くて、カリフォルニヤ米だろうか。ねばり気がなく、うまくない。だから、「もしこの米を日本から輸入して中国料理とセットでだしたら繁盛するだろうに」と言ったら、「may be 」 と言っていたが、「日本米は高いだろう?」と言うから、「今日本では過剰だから、輸入する気があれば容易だし、易いよ」と言ってやった。
勘定書きを見たらT30と見たから、数字を読み違えて、違うのではないか、と言ったら、丁寧に「食事が5、ビールが2,3」と説明してくれた。手書きだから読みにくい。僕の錯覚であった。
ひとつひとつこちらの生活のやり方も覚えられるが、違った習慣で最初は誤解するので、なるだけ聞いて解るまでの努力をしなければなるまい。
海岸にでたら海に突堤が壊れているのは息子がいた時の20年前での見覚えがある。100mぐらい沖に設置されていたのが、火災で鉄骨だけになっている。おそらく遊技場かレストランだつたかもしれない。
焼け落ちた感じだ。当時の写真が展示してある。あの時は曇りで海も荒れていて、あまり良い印象ではなかったが、今日は若い人たちが、海水浴に来て、女性がビキニスライルでパンツだけになっていて上向きになって乳房も干しているのがかなりいる。だが平気で傍を通れる。だから写真も楽に撮れた。日本であればさしずめセクハラと言われかねないが、相手もそんな人ではないのだ。
ここは砂浜でなく、小さな丸い石ころの浜であり、よくもまあという、人工の浜ではないかと思えるぐらいに石の粒が揃っている。波打ち際まで砂がない。ブリッジ語学留学

by akinishi1122 | 2010-07-23 18:08 | 旅行

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