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ルーマニヤ

ヨーロッパかけある記(62便)
9月12日(木)ルーマニヤ国境
目覚めたら雨だった。弱ったな、と思っていたら、9時にホテルを出る時には、小雨になって良かった。ビニールのレインコートだけで済んだ。今日は傘をどこに置いたのか探してもない。どこに置き忘れたのだろう。また、万年筆も、この数日見当たらない。時々気付くのだが、ポセットや、バッグのファスナーを開いたまま歩くことに気付くので、盗られたのでなく、落としたのであろう。自分の不注意である。
 昨日三宅君が、ブルガリヤ貨幣に換えてくれたので、80ドルを銀行で両替頼んだ。その中の20ドル1枚が破れているのを、セロテープで継ぎあわせてあったら、交換できない、と返されたから、60ドルだけの交換になる。今日はルーマニヤ貨幣が200ある。これで、気分が楽になり、セルビヤのベオグラ-ドまでは、この金でいけるのではないかと思う。
Sigghisosra駅で、登山姿の青年に話しかけたら、チエコの大学院生で、25歳、地理学の勉強をしているという。卒業したら、多分学者の道に進むと言っている。英語ができるから、3時22分まで、ずっと2人きりの部屋で話すことになり、退屈しなかった。2週間の予定で山歩きをして、昨日まで、2500mの山で泊っていたらしい。テントでの一人だから、危険だと思うが、若いし、今まで危険なことの経験がないのだろう。僕も山に登るが、一人では登ったことがないから、アドバイスしておいた。荷物を僕が動かしてみたら、すごく重く、30kぐらいはある。なかなか感じの良いよい青年だ。僕が、パン、ハム、ビール、バナナ、ミカンなど沢山買っていたから、彼と二人で食べた。
プラハの大学らしいが、山の愛好者同士だから、お互いに山の写真をメールで交換しよう、という約束をした。
Roman Kovar君という。
3時22分着だから、僕の時刻表で調べていたら、待ち時間があると読んでいたが、駅員に聞いたら4時4分である。幸いに列車が遅れ、15分の待ちで出発だった。乗り場を聞いて、2番線にホームを渡り移った。というのは、ルーマニアのプラットホームは、非常に低いから、ここは、みんな線路を歩いて渡っている。すると、後から来た男性が、列車を指さして、あれだ、と僕を誘い、荷物を上げるのを手伝ってくれて、大変助かった。
 部屋まで、僕を誘ってくれたが、座ってみて、彼が聾唖者であることがわかった。聾唖者だから、ルーマニア語を使う必要はなく、1時間20分の間、2人でジェスチュアーでの会話だった。38歳という。毎日通勤しているらしく、駅員と合う人ごとに話しかけている。なかなか友人が多い。子供が一人いるといおう。隣に35歳の男性がいるが、僕と彼だけの会話で、話のできる人よりも、僕にとっては、好都合である。「Timisoaraにホテルを知っているか?」と聞いたら、「自分についてきなさい」と言うから、有難いと思って降りて、付いて行ったのだが、立派なホテルで、探さなくてもよいくらいすぐ駅前にある。だが、これは、高いに決まっている。そして、満室であった。他のホテルを探すためにバスに乗った。3ツ目ぐらいに止まったら、市内の中心で、賑やかだ。そして、 さっき以上に立派なホテルに案内してくれるではないか。聞いたら200という。これでは、とても泊まれない。だから、彼とここで別れ、タクシーの運転手に聞いて探すつもりになった。だが、彼の親切なお礼に、マクドナルド店で二人夕食にした。27・5だった。
また、バスで駅に引き返し、今度は、彼にお礼を言ってから、タクシーの運転手に、安いホテルを紹介してくれ、とい尋ねたら、120でどうか。というから、もっと安いのが良い。と値切ると、60のもある、というから、OKにした。
送ってもらったら、大分駅から遠くて、15・5だったが、嬉しかったので、20渡して、5はチップにした。やはり、素人はホテルを知っているといっても、こちらの、希望の安さのホテルとなると、無理のようだ。やはり、餅は、餅屋ということだ。
ホテルは、ツインを一人で使えて、なかなか良かったから、高くないと思う。
明日は、5時にタクシーで、駅まで行くことに予約した。

by akinishi1122 | 2010-07-14 08:41 | 旅行

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