中南米の旅

(45)2010年3月30日ウルグアイからパラグアイへ
2日ほど風邪ぎみだったが、今朝はもうましになったから、シャワーを浴びる。ホテルに居ても時間をもてあますから、バスで空港まで行くことにした。ホテルで近くからバスが出ているというから、出たところで、60歳ぐらいの婦人に空港行きのバス停を聞いたら、彼女の行く方向と反対に逆戻りして「私に着いてきなさい」といって、大分歩いて連れてくれた。この人は僕が全くスペイン語が解らないのに沢山喋ってくれ、僕はただあいずちをうつだけなのに喋り続けてくれた。なかなか親切なひとで、うれしいものだ。お礼に日本の扇子をプレゼントしようとしたが、そんな貰う筋合いはない、とでも言っているのだろう。だが最後にはうけとってくれ、抱いて頬ずりをしてくれた。
タクシーは来たとき、空港から780レアルだったのが、なんと27レアルだからやはりバスを覚えることで30分の1ぐらいで済むことになる。今日は時間があったから出来たことだが、どこでも余裕を持った旅行であれば安くて行けることもわかった。
空港で手持のウルグアイ、レアルをパラグアイの金に両替したら、なんお3653が860000となるではないか。僕がウルグアイで日本円をレアルに変えたのが3万だったが、少し使ったとしても、2万ぐらいが、86万となるのだから驚くばかりだ。パラグアイは極端なインフレなのかもしれない。
空港で6時間もまったが、昨日街をバスで縦横の終点まで乗り見物したから大体のようすで景色は観たつもりだったし、空港に5時までには着きたかったから、仕方がない待時間だった。空港に行けば誰か日本人あえるかもしれないという期待もあったのだが、とうとう日本人らしい人には会えなかった。この国はそんなに沢山の飛行機もでるわけではなく、1時間に1便ぐらいどこかに旅発っていたが、立派な空港の割には少ない便である。
南米の今までの空港ではダントツに良い近代的な洒落た空港である。
パラグアイへは29人しか乗客はなかったが、TAMという航空会社の係員が日本語ができて、ありがたい。だけどもたった29人の乗客とは国際線にしては少なすぎるのではなかろうか。
僕の隣の男性に機内のアンケートの書き方を聞いたことから、話がはずみ、彼がチリの出身で、サンチャゴ大学を出てから、フランスに留学し国際経済学を学びいまではサンチャゴの大学で国際経済を教えるエコノミストだと自己紹介してくれた。生まれがバルパライソという僕にとっては1昨年訪問して想い出に残る土地だけに、詩人ネルーダーの家を訪問したこと、40年前にアゼンデ大統領がピンチエット将軍のクーデターで殺されたことの僕の記憶などを話したら、「自分はその時代にはまだ生まれてはいなかったが、日本人であるあなたが私たちの国のことを覚えてくださって驚きだ、自分もネルーダや、アゼンデ大統領の業績について尊敬している」と話しがはずんだ。
現在では軍事独裁のピノチエット将軍を選挙で倒し、民主国家に40年ちかくぶりに復元したのだから、チリの国民の底力に感動していることも話しておいた。
「もうチリは大丈夫です」とも言っていた。たしかあの当時はピノチエット将軍がアメリカと経済界のトラック業界と組んで交通機関をマヒさせて民主政権を倒し、大統領府でアゼンデ大統領に辞任を要求したのを断固拒否したから、殺害したのであった。
これを国民的詩人のネルーダーもアゼンデ大統領をまもり、戦ったのだったが、軍部のちからに倒されてしまったのだった。僕は「こんなことが許されていいものか」と義憤していたから、あの40年前のことが鮮明に記憶に残っていたから、そんなことを話した。
彼とそんな歴史認識が共有できたので、楽しい飛行機の2時間だった。
彼の名前はGONZALOと言ったから、日本語で「言座朗」「ごんざろう」「ゴンザロウ」と書いてプレゼントしてやった。日本については「日の丸」と「海軍旗」を知っていたし、どうゆうわけで海軍旗などを覚えているのだろう。
名刺もくれ、そのうちに是非日本にも行きたいとのことだった。一緒の写真もとり送ることにした。
空港からホテルまでのタクシーを聞いたら、10万というだが米ドルだと20ドルというから、1800円ということになる。
9時50分についた。もうおそかったが、夕食がまだだったから、近くのレストランに行ったら、バイキングでビール大ともで3、6万だった。
ホテルはなかなき良いホテルで冷房も効いている。これはサンパウロの旅行会社で一括の支払をしたから、いくらのホテルかわからない。

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by akinishi1122 | 2010-04-24 06:16 | 旅行 | Comments(0)

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