中南米の旅(20)

(20)2010年3月5日ハバナに帰る
ここサンタマリヤを発てるのか、僕はどうしてもわからない。飛行機のチケットが僕の手元にはないからである。3日の出発の時、迎えのバスの人がチケットを預かって、空港で見送って別れたままで、僕の手元には何もな控えがなくなっている。
だから昨夜からホテルのカウンターに「僕の明日の出発は何時なのか、僕はチケットが手元に無いのだが」と聞くと、「明日のハバナ出発は8時半だ」というだけだった。
今朝は7時半まで日記を書きそれから朝食をしたら間にあうだろうとの計算した。そしてカウンターに行って昨夜と違った人にハバナ行きの時間を聞いたら、「7時半の出発だ」というではないか、だったら朝食する時間はない、こんなこともあろうものかと、いつでも出れるように準備はしてきたが、朝食は抜いても帰る飛行機の方が大時だと玄関で待つ。
しかし7時半が過ぎてもバスは来ないどころか、20分過ぎても来ない。だからもう一度カウンターにバスが来ないと聞くと、だったら旅行会社の受付デスクで聞いてみなさい、と無責任の応対である。
そこで旅行会社の受付で聞くとやはりハバナ行きは8時30分が出発だから、玄関でまちなさい。とのことだ。だから朝食ができる時間がとれた。
朝食には顔馴染みになったウエイトレスに「今から帰るところだ」と言ったら、飲み物は何にするか?かお代わりは?とかコーヒーにするか?とかいつもの心遣いをしてくれる。そして心なしか淋しいような顔をしてくれた。「ありがとう、また来るね!」と言葉だけでもと言っておいた。そんな言葉を掛けたくなるくらい親切なウエイトレス嬢だった。
言われた8時半を過ぎてバスは来るのだが、行き先が違うバスである、昨日会ったカナダ人の人は「ケベック行き」と言って、団体だ。どうもおかしいと思うのが、バスが空港に行くはずなのに僕を空港までも乗せてくれないのである。バスの運転手の言うには「ハバナ行きはここで待ちなさい」というのだ。どうやら空港がいくつもあるのではないか。
そんなバスが3台も通り過ぎて行った。
9時になってやっと、「ハバナ行きか?」と問いかけてくれたバスの助手が来てくれた。
だけども僕には飛行機のチケットが無い。不安はまだ続いている。空港に着いた。僕のバスには10人しかいない。空港にもその10人だけしか乗客はいないのである。さっきホテルからケベック行きの団体の姿も見えない。
着いたら空港のでは検査係が並べといってすぐ荷物や体の検査にかかる。そしてパスポートの提示を求める。チケットが無くてこのパスポート番号だけで搭乗できるというのが初めて分かった。自分がどこでどう管理されているのか不思議である。
空港の検査係は女性であったが、「僕はキューバがアメリカの制裁をうけながら49年も元気に耐えてしかも国民が明るい顔をしているからすごい国だと感心している」と言ったら、「そうだ私たちは今は貧しいが希望を持っている、よく来てくれました、日本に帰ってもキューバを忘れないでね」とこの黒人の30代の女性がしっかりした口調で言うのには驚いた。彼女は自分で共産党員であるとも自己紹介してくれた。
出発まで40分もあったので、今朝の日記が中途までだったから、打ち進めることができた。
飛行機にはわれわれの10人しか乗っていない。そして、今度は1時間10分もかかって着いたのはハバナ国際空港であった。
空から眺めていたら、あのサンタマリヤ島は点々と島を伝って海の上を道路で繋がれているのが見える。その道路もちょっと日本では見れないほどの海の上の道である。海が浅いところを選んで掛けているのである。
国際空港ではタクシーを拾いホテルまで着いたが、最初の来たときはなにも聞かずに乗って25ペソでインフォメイションが教えてくれたからその通りだったが、今日は交渉したら、20ペソで来てくれた。乗ってみるとちゃんと僕のホテルまでとどけてくれるのだからありがたかった。
ホテルに着いたのが12時過ぎだった。若奥さんがちゃんと洗濯してくれていたが、「すまないが今日は満室なの、だけども近くのホテルを探してあげるから明日は帰ってくればいい」とのことだった。そして何軒かに当たってくれていたのだがみんな満室のようだから、内のお爺さんが使っている部屋を空ける。と言ってくれた。
もうハバナに拠点を構え次のメキシコまでここのホテルに落ち着いて体も休養しながら観光したいと思っている。
昼食は最初にきたときの近くのホテルレストランにいってみた。すると今度はスパゲチー、スープ、グラタン、コカコーラなどで12,5ペソである。これで僕はこの前86、5ペソ払ったのが桁間違いで支払、それをいいことにしてボーイも受け取ったのが間違いない。いまさら自分の間違いを相手を責めても仕方ないと思って勉強だと思っている。
ホテルで3日分の日記を送信しておいた。受信メールに俳句の会の淑子さんが「インド(インドと感違いされいられるようだ)の旅は順当に進んいらっしゃいますか?今月の句会には信敏さんのホムページから出句しましょうか、それとも今詠まれた句があれば頂けばみなさんにご披露いたしますが」とある。整理して間にあわせたい。
午後から、ホテルで勧められたカテドラルという一番の繁華街に行く。ブンタ要塞や旧国会議事堂と続いているから、すぐわかるところだ。日本人かと思い声をかけたら奇麗な日本語で中国からグループで来ました。とのこと、お1人でですか?とそれも立派な日本語である。どこで学んだのですか?と聞いたが日本には行ったことないですとのことでびっくりした。「お1人で寂しいでしょうが気をつけてご旅行ください」と日本の挨拶言葉までしっかりしている。
このカテドラルは約500mぐらいの賑やかな人が混みあっている。そこに2人連れの日本婦人が歩いていた。17人のグループで来ているらしい、一人は大阪の人である。僕も日本人に合うのは4・5日ぶりである、先方も驚き、時間があったらお茶でも飲みながら旅行の話聞きたいですのに、3時半の集合ですのでと急いで別れた。帰国したら「旅日記」のホムページ読ませてもらいますね。といってくれた。
次に国立美術館、革命博物館を見て夕方やく帰る。
ホテルには5,6,7日の部屋代と洗濯代、それに今日のパソコン代を払う。52,5ペソだった。あと8,9日の部屋代は換金してから支払う予定だが、この主人がユーロは換金してくれるというので銀行までいかなくても済むから助かる。
5日間の行動費と空港までのタクシー25ペソの費用などがいるあら、計画して使わねばまたメキシコのリラに換金せねばならない。
ここの主人は70歳だが英語が通じるから、アメリカと断絶してから生まれた息子の若い奥さんよりも英語は上手い。
夕食も近くのホテルのレストランで済ます。

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by akinishi1122 | 2010-04-17 20:58 | Comments(0)

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