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中南米の旅(19)

(19)2010年3月4日サンタマリヤ島ホテル
朝食の時、昨日話こんだカナダのGerry夫妻が食事を終わり、僕のテーブルに来て「今からカナダに帰るところだ、楽しい旅を続けてね」と挨拶にきてくれた。
食事後、ホテルに自転車が沢山置いてあったので、聞いてみると無料で使えるというので乗って近くを走ってみた。海岸の景色が見えるというのでどんどん走るのだが、コンクリート工場と沢山のバスの駐車場に出て、方向を間違ったようだ。引き返して別の道に入ったら、今度は行止まりの、別のホテルについてしまった。この分だと道を間違えて帰れなくなったら恐いという気になって引き返す。マングローブの林だけあり、今日は曇だし時々トラックが走るだけで、景色も判別できないのである。そして少し肌寒い。
ホテルに帰り、プールを見てもぽつぽつとしか人は出ていない。寒いからである。僕は上着を着て丁度よいくらいの気温である。本を読みだした。すると30分ほどしたら雨になってきた。急いで椰子の小屋の下にはいる。大きな雨にはならなかったが、とても今日は海岸に出れる状態でない。だが雨もすぐ止み、今度は雲も切れ目ができて太陽で出る、すると各部屋から一斉に裸姿でどっと人が出てくる。ホテルの部屋は公園の中にバンガロー式で2階までのがポツポツと建っていて、マングローブ林の中の家といった感じである。
黒人の若い夫妻に話かけたら、カナダからで、奥さんは政府の子供たちのカウンセラーをして、旦那さんは空調設備の仕事をしているらしい。今はカナダは寒い季節だから、暖房の仕事が終わり、次の冷房の仕事までの暇なので来ているという。子供たちは4人だが、一番下が4歳で保育園が旅の期間中は預かってくれるから二人で来れるとのことだ。1週間も預かる制度があるというのは、信顕等が聞いたらうらやましいだろう。
朝食時も昼食時にも昨日のウェイトレスが顔を覗くようにして話しかけてくる親しさだ。飲み物が終わると次はコーヒーはいかがですか?とも声をかけてくれる。二人の人が交代で聞きにきてくれるほど行きとどいている。
4時頃スナックのカウンターに座り隣の人が飲んでいるのを注文した。ブレンドされたのは自分では解らないから、人が飲んでいるのを注文するのが早わかりで理解できるからである。いろいろブレンドされて、中に臭のする緑葉のついたのがさしこんである。少し焼酎のような味がするし、砂糖も沈んでいる。草も香りもよい。
隣の席の夫妻は婦人がすごく体重があり、おそらく100キロは超えている。足は僕のふとももぐらいおおきい、だが靴のところで普通の足になっているから、特徴のある婦人だ。夫はほっそりしていて僕よりもスマートである。カナダのケベックらしい。この飲み物は家でもよく作りのむという。名前は聞いたが忘れてしまった。
主人は政府の役人だったが、61歳で、いまは年金らしい。奥さんは67歳といっているがなかなか話好きで親しく話してくれたら、旦那もそれ以上に話好きで、奥さんと僕の間に立ってきて話てくれる。子供がいないからこんな自由の旅が、務めていた間もやっていたらしい。
外のテーブルで夫婦でいた人もやはりケベックから来たという。主人はマスコミ関係でマネージヤーをしているが、自分の意見が反映されるような社会でない、やはり資本主義の枠内での仕事だから自分の考えと矛盾することが多いが、スポンサーの意向に反するような報道ができないから、マルクスの言う賃金奴隷だという規定は正しいと思い。そんな仕事をしているが、日本の貴方の話を聞くと自分たちは将来についての生きていくのに、日本のような不安はない。医療については不安がないし、年金で暮らしていけるからだ。
だけどもカナダも若い人々の結婚年齢は高くなってきているのは事実で、遊ぶことが多いからと思う。奥さんも日本が男女格差が激しいことに驚き、何故そんなのに女性はあまんじているのか、と質問してうるから、日本の家族制度の歴史から話さねばならなくなる。
これは日本の豊臣や江戸時代の税金制度が土地から取れる米が税金のはじまりで、土地が貨幣的役割をし、その土地は家に着いたもので長男である男性が受け継ぎ、女性はよそに嫁に行き、財産を持つことが許されなかった歴史があること、そのため家族・土地といった関係の社会でそのことを明治の近代社会になっても民法で女性は財産の所有者として認めない法律がつくられ、65年前の敗戦まで続いてきて、女性は権利を主張することができないと法律できめられていたから、社会制度もその仕組みが隅々まで徹底していたのだ。
戦後になるまで、女性は選挙権すらなかったので、家庭でも主人を補佐するだけの役目で、家庭労働が主な仕事のため労働に対して賃金をもらうという習慣がなかったことが、女性が金銭的に主人に従属せざるをえなかったのだ。
それを現在は法律では平等とされていながら、その運用面でまだまだ実施されていないのが実情である。
などを説明したら奥さんが「そんなことって信じがたいことだ、日本の世界に誇る産業の発展の原因が少し解ってきた」と言っている。
「帰国してもまた質問してもいいか?」というので「こちらこそ望むところだ」と返事しておいた。僕が次の計画はアラスカになるだろうと言ったら、是非ケベックでまた会うおうと言ってくれた。彼は52歳だから、僕の子供ぐらいである。
 10時からキューバの踊りのショーがあるから、風呂に入りそれにそなえた。踊りはキューバの踊りにバレーを組み入れたなかなか活発である。昼に予行う演習の時少し舞台を覗いていた時、舞台監督が一番前の席で僕の隣に座ってきた。監督と同じ目線でみていたことになる。よい想い出だ。
このホテルではコンピユータがあってもYAHOOが日本語にならないので、日本のニュースが分らないし、こちらの様子を知らせることが出来ないでいる。

by akinishi1122 | 2010-04-17 20:56

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