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中南米の旅(7)

(7)2010年2月20日ハバナ旧市街 次の島などへの飛行機手配
メールでは言える労わり寒さかな
星月夜寝るには早きハバナかな
ホテルのマスターに次の旅の相談をしたら、ハバナホテルの中に旅行会社があるから
相談したがいいだろうと、ホテルの場所も教えてくれた。近くだというが、歩いて30分ほどかかる。丘の上に20階建ぐらいの、おそらくここでは最大のホテルであろう。
メキシコのホテルで一緒だったキューバの学生が勧めてくれたCayo Largo島とイキシコ湾に近いPinar Del Rioという街へのプランを立ててもらった。
22日から23日Cayo Largo島に泊と飛行機、24日ハバナ、25日Pinar Del Rioに飛行機で1泊となる。ここも日帰りは無理らしいので飛行機になった。
ところが、22日のホテル発が朝の4時45分というし、25日もホテル出発が7時45分という、そんなに早く起きることができるか少し気になった。そのことをうちのホテルのマスターに相談したら、タクシーで迎えに来さすから大丈夫と言ってくれたので、ホットしている。
このホテルの前に丁度観光バスが来たので、旧市街コースに乗る。昨日のコースは新市街だったから、要塞はあったが、スペイン時代の古い建物はなかった。今日のコースは海岸に沿って300年ぐらいの建物や、役所や劇場、図書館などがそのまま残り、ちょうどスエーデンのストックホルムのような感じである。やはり海洋国のペインだから、港が先にできてその周辺に町が発展するというパターンである。
海岸に面した建物は一応整備されているが、その浦はゴミゴミした住宅で昔そのままだから、道も狭く、洗濯物などが道の上にさしかかったりしている。これはイタリヤのナポリの浦の町で、ソレントなどとよく似ている。
賑わっていたから少し歩いてみた。ベンチに座ると中年の婦人が帽子に花をいっぱい飾り、自分を写真に撮れという。すぐ話しかけてきて、なかなか友好的だ。国会議事堂から海へ向かった大きな通りが賑やかでその並木道の下で画家たちの露天展示会があり、キューバならではの個性的な人々や、町並を想い出すためにたくさんカメラに収めておいた。
黒人であご鬚が真白で、しわの深い老人にカメラを向けたら嬉しそうに了解してくれたし、高校生ぐらいの娘たちも喜んでカメラに向かってくれた。
昨日のモロ要塞を対岸から眺めたがこの運河の下を3万トン級の貨物船が運航している。昨日はその下をバスでくぐったのであった。そしてゲバラが執務していた対岸の要塞もす眺められた。今日は晴れていたから全景が美しい。幅1000mぐらいの石垣はあるだろうか。
その岬に日本人がいた。早稲田の4年で福岡出身、3か月の旅行のしめくくりをこのハバナだという。就職が決まりあとは卒業式のための帰国のようだ。
彼にアドレスを書いてもらうために手帳を開いたとたんに、僕のメモ紙が海に飛んでしまった。すると黒人の高校生ぐらいの少年二人が波に浮いた僕のメモ紙を一生懸命釣竿で引きよせて引き揚げてくれるではないか。感激で涙がでそうになった。優しい少年に出会って、今日のハバナ湾は忘れられない日となりそうだ。
また国会議事堂の前の公園で日本人二人と合ったが、男性の方は今日着いたばかりでホテルを今から探すが今日は土曜日だからなかなかみつからず、キューバの青年に探してもらっているという。僕の部屋は一人でベットもツインだからもし見つからなかっいたら、来たらどうですか、とホテルの電話を教えておいた。
夜まで電話が無かったから、うまくみつかったのだろう。
ここキュウバではカストロの写真は少ないが、ゲバラはどこにでも似顔絵や切り絵がある。そしてスペインの大学にはゲバラ哲学いう講座もあるし、ここハバナにはゲバラ研究所というのがあるのだから、革命の理論はゲバラが建てたのではないだろうか。革命が成功したのちはまだまだ南米で同じような境遇で苦しんでいる国をキューバの武力革命方式を普及するためにキューバを離れたのである。
そして、ボリビヤの山中で捕らえられ、銃殺になったという。そして彼の霊園がここハバナにできている。
革命の輸出というのはおかしいと思うが、ゲバラの人気というのは、昨年スカンジナビヤに行ったときも、若者がゲバラの写真を印刷されたTシャツをたくさん見たい、他国でも壁などにポスターがよく見かける。
カストロは自分の肖像を禁止していると聞いたことがあるが、とかく英雄的に毛沢東や金日成、などは掲げたがったものだが、個人崇拝を禁止しカストロは一歩偉いと思う。
世界一の経済力、軍事力をもっているアメリカに対抗して、独立を護りぬき、現在では80%にのぼる中南米の国々がアメリカの政策から離れカストロ路線が流れになっている。国連ですらアメリカのキューバに対する経済封鎖を解除すべきだと決議するまでなったのだから、逆にアメリカを孤立へおいこんで、勝利したことになる。
カストロは自分の肖像が無くてもちゃんと国民が支えていることに自信を持っているのだろう。
これは、なんといっても、彼の愛称の「フィデル」と呼んでいることからも推察できる。
今は貧しくても、国民の教育水準が高く、貧困がなく、医療費が只であること、人種差別がないこと、男女平等であることで支持されている自信なのだろう。
国民が明るいというのは、将来の生活に不安がないからであろう。
ここにきて感じることは、物質文明と人間の幸せ観というのは必ずしも一致しないのだなということだった。
自殺者が一人もいないというのには、日本人の年間自殺者が3万人いるのと対称的ではないだろうか。
ホテルで洗濯できるというので、みんな出しておいた。

by akinishi1122 | 2010-04-17 05:26 | 旅行

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