(5)中南米のたび

(5)2010年2月18日カンクンからキューバのハバナへ
朝食を7時にとらねば今日のハバナ行きの飛行機が国外便だから、2時間前までに空港にはいるように昨夜フロントで問い合わせてもらって分かったことだった。
やはり外国に渡航となれば時間がかかるのは解っているが、僕の場合はどんなハプニングが起こるかわからない要素を抱えている。まずキューバのツーリストビザというのが初めてだし、入国の時書き込む書類がスペイン語だろうから、相当時間も見ておかねばならないと思う。
食事を終えて、ホテルのパソコンを開いてみたら、信顕と岡山の土井先生、イタリヤの時の麻里からメールへの返事がきていた。
信顕からは(メールは届いている、様子はわかりました。きあらちゃんは今日囲碁教室に連れていきます)とある。僕の電話メールが送信できていないから、様子がつかめずにいるのではないかと気にしていたが、メールで毎日詳しく書いているから、家にも知らせてくれているものと分かった。また、きあらちゃんが、せっかく囲碁の楽しみを覚えかけているから、僕が留守の間も続けて連れてくれるか気になっていたから、仕事を工夫して連れてくれるのがありがたい。
土井先生からは、(先日の京都全国研究集会ではあまりお話ができなくて残念でした、中南米の旅の日記を楽しみにしています)とある。先生は前日東京での会議から帰られ京都へ夜駆けつけ、しかも来年の岡山での研究集会の責任者という任務から全国の代表への挨拶まわりで忙しくしていられたから無理もなかったのを僕も知っていたから、宴会で時間がとれないのはよくわかっていたのだった。
麻里からは(日記読んでまーす、のぶさんはすごいですね、のぶさんが頑張っていられるのを見て、自分は辛いこと、悩むことがあっても、イタリヤで教えていただいたことを忘れないように、4月からの入社後社会生活に生かしていきたいです)とある、自分の良いところの発見しそれに誇りを持つこと、それが自身の尊厳となり視野もひろがり、他人の尊厳も尊重できる人間になる、などを覚えていてくれたようである。
営業職につくらしいが楽しみながら生きてほしい。明朗な娘だったからきっと活躍するだろう。
空港には4時間前に着いた。キューバにはツーリストカードが必要だし、入国についての書類の書き込みがある。これは全く分からないから、待ち合い席にメキシコの団体のガイドさんみたいな女性が人を待って暇そうな格好だった人に思いきって書き方を訊くことにした。
テキパキと教えてくれ、助かった。もたもたしていると時間がたってしまうから、あまり考えることなくすぐ行動しなければならない。人に聞くことを僕の信条としてきたから、
そんなに苦にならないし、自分の知っていることは限られていているのだから、訊くほど便利なものはないと思っている。これが外国では効果がでるものだ。この女性もにこやかに応対してくれたし、こんなとき壁掛けハンカチの土産が役にたった。
ゲートに入ったらさすがに日本人は少ない。日本人夫婦の方に話かけたら、世界図書出版の展示会があり、そこに今、自社で出版されている本を400冊ばかり持って展示するために来られたらしい。この方は東京だから、キューバの大使館に行かれて、この国の事情を聞かれて、調べてこられたらしく、日本人は年間5000人ぐらいしか来ないらしい。だから少ないはずだ。地球の裏側で、しかもアメリカと敵対関係を続けて四十九年にもなるかららしい。社会主義を目指していて、ずっとアメリカから経済封鎖され、アメリカの息のかかった中南米からも隔離されていたのが四十年ちかくあり、一番遠いソ連が存在していた時代は援助もあったが、ソ連の崩壊後は中国が力を入れての援助、そして、最近十年の間にアメリカの影響から逃れて次々に「新自由主義」を離脱する国が増えたので、もうキューバを経済封鎖する国がアメリカ以外になくなったという時代になり、一番アメリカと仲のよいカナダからは大量の観光客がくるようである。
観光立国ともなり助々に経済もよくなったという。キューバはカストロ革命政府が最初から手掛けたのは、教育と医療の完全無料化だったというから、教育水準が非常に高いらしい。社会保障が徹底しているから税金も高いらしく、それが社会保障に使われているから、国民の不満は少ないという。もう一つの特徴は黒人が差別されてなく、完全に人種差別が無いということらしい。こんな話を聞くと、この人は学者か労働運動家かと思っていたら、なんと日本では出版関係の老舗でトップクラスの経営者だということが後で分かった。
なるほど二人とも飛行機はファーストクラスに乗っていられた。
飛行時間はわずか一時間半ほどでキューバのハバナに着く。一九五二年にカストロやゲバラがメキシコからヨットでたった150人で軍事独裁政権バチスタを倒しに上陸したというだけあって、近いところだ。
昨年ベネゼーラに行った時、いずれはこの国を訪問したいと、空から眺めた思いをしたが、こんなに早く実現できるとは昨年は思いもよらなかったものだ。

入道雲カストロの顔が二ツ三つ と詠んだのをお思い出した
ババナ空港に着いたのは二時24分だった。
両替はユーロで400を替えたら484ペソだったから、ユウロ単価とあまり変わらないと思う。インフォメイションでホテルの住所を聞き、タクシーで行けと言われ、25ペソと金額まで教えてくれた。そしてタクシーの案内人に聞いてもやはり25ペソと同じ値段を言うから、市内までは共通の価格なのだろう。そしてドライバーにも値段を聞かずに30ペソを出したらちゃんと5ペソの釣銭をくれた。他の国ではタクシーとの駆け引きや騙しに神経を使うがここではさすが安心できる。
やはり経済封鎖が効いて建物はみすぼらしい、車も50年ぐらい前に日本で走っていたようなアメリカ製のしかも錆や傷がついたままの車が走っている。トヨタの車を見た窓が割れたのにビニールを張りガムテープで止めて走っている。それも古いタイプである。バイクでも日本では見たことのない形だが、それも錆ついあり汚れている。日本のような新車はない。服装も女性でもカラフルでない、20年前の中国の服装である。
建物に広告がないから、やはり宣伝する必要がないからなのだろうか。
ホテルに着いたがここも看板がないから、タクシーでも住所をたよりに来るのだから、区画が整備されてるのだろう。
ホテルには4日分で59,2ペソ払った。個室でツインのベットがあり、十分だ。
外を歩いてみたら、住宅が密集しているところで、店がないところだ。夕食を探すのだが、ホテルしかないというし、そこで夕食にビールをとったら、86,5と勘定書きがきた。そんなものかなと90ペソを渡したら10ペソは返してくれた。だが後で考えてみると、ホテル代が4日で59、2ペソなのに夕食が86、5ペソとはあまりにも高いのではないか、そして、10ペソも返してくるとは、少し変だ。ひょっとしたら桁を間違えて渡し、それを相手が教えずに受け取ったのではなかろうか。
散歩していると、自動車が止めてあるバイクを突き倒した、すると倒された持ち主の青年が駆け寄って倒れた単車を自分で起こしいたが、倒した方のドライバーは降りてみているだかで、トラブルにならずにそこを去ってしまった。バイクのほうも古くてサドルなどが飛び散っていたのに抗議もしないのである。日本だったらえらいことになるはずだが、のんびりしているというか、寛容というか、日本は手入れがいきとどいているために傷でもしたら許せないのである。
こんなことも日本的な殺伐とした人間関係を考えさせられる風景にあった。

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by akinishi1122 | 2010-04-16 23:04 | 旅行 | Comments(0)

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