中南米の旅

(2)2010年2月15日カンクーンからバスでTULUM町
やはり時差ぼけである。昨夜早く寝たのに、今朝は1時に目覚める。日記を打ちこむのに2時間ほどかかるが、これでは、今日の行動に支障がでたらまずいと思い、あまり眠たくないが電気を消して眠ることにする。だがまたまた4時に目覚める。だから「風車の見える丘」の本の続きを読む。こんどは1時間ほどしたら眠くなったので眠れた。
夢の中で(まだまだ寝なければ体に悪い)と自分に言い聞かせているが、目を開けてみた、すると今度は外が明るく、時計を見ると、なんだ10時を10分も回っているではないか。
慌てた。ホテルのカウンターが「朝食は7時から11時までやっています」と言っていたのにもうぎりぎりである。
もう掃除の娘さんが廊下を掃除にかかり、僕の部屋も掃除しようとするところまできている。この娘さんに「朝食はどこですか?」と訊いたら、どうも英語あまり分からないらしくジェスチュアーで食べる真似をしたから分って、「別棟の2階」とスペイン語かポルトガル語とジェスチュアーで指さしてくれた。僕は、この国がどちらの言語なのかも分からないでいる。
食堂に行く時若い女性が二人大きなリックを背負い、もう出掛けるのであう。もうそんな時間である。2階は女性の部屋なのかもしれない。13号と番号が部屋についていて、複数の人が泊まっているようだ。僕の隣は確かベッドが4ツ以上あるように見えて、まだ青年が寝ているからユースホステルかバックパッカーのようなホテルであろう。
食堂の隣には厨房があり、大きな冷蔵庫もあって、滞在者が料理できるようになっている。もう僕以外には誰もいなかったが、きれいにかたずけてあり、食パンがまだ20枚ほどボックスにあるのと、オレンジシジュースがポットに満杯に入っているのが置いてある。コーヒーも大きなステンレスの器具に沸かしてあるし、大分人数が泊まっていることがうかがえる。 
トースターで4枚焼き食べた。日本のパンより少し小さいし薄いから昼食兼用にした。
部屋に帰るともう娘さんが風呂とトイレの掃除をしてくれていた。4日間も滞在するから、日本からのネックレスの土産をプレゼントしておいた。まだ20歳ぐらいで可愛い美人である。僕の部屋は一人部屋で壁天井が真白で清潔、それに庭も見える1階だ。食堂の隣に屋上が物干しの紐が張られてるから、昨日の下着を洗って干す。
今日の受付に聞いたら、パソコンが使えるようにしてくれたから、昨日の日記を家族と友人に送信しておいた。だが日本文字が打てないので通信はできていない。
メールが来ていて、昨年10月にイタリヤのミラノで会った西宮の苦楽園のM子から「中南米に行かれるのですね、羨ましいです、私はメールいただいたとき丁度ロスアンゼルス、サンフランシスコなどにいて返事が遅くなってすみません、もう来月から就職ですが、のぶさんから教えていただいたことを忘れないようにして頑張るつもりです」とあった。
おそらく、自分の良いところを2000ほど、誰にも見せない、言わないで書き、自分の尊厳を大切にすることが、先ず仕事に対する主体的な取り組みができるし、自分の判断した行動は例え失敗しても必ず次の行動に役立つものだ。主体的に行動することはゼロではない。と話したことを覚えていてくれているようだ。
大手の製薬会社の営業部に配属されるらしいが、「日本一の製薬の営業ウーマンになりなさい」と励ましてやった娘である。
ホテルからバスのターミナルまでは近いらしいが、ホテルを出たところで道を聞いたら丁度スコットランドから来ている婦人で「私についてきなさい」と案内してくれた。
15分ほどで着いたが、ホテルは町のほぼ中心にあるから助かる。
インフォメイションで聞いたら、パンフに古い街の観光地があるから、まずそこのTULUM町というところにした。バスチケットは86リラである。レートが8、94円というから868円である。また明日は観光コースで海岸をたくさんまわるコースを勧めてくれ、1287リラをVISAカードで支払った。11544円だからいいところだろう、楽しみである。
今日のバスは2時15分発だが、乗客は途中からのを含めて15人ぐらいだ。郊外に走りだしてすぐ大雨だ。この雨だとあまり観光できないなと思っていたら、30分ほどで止む。そしてまた降りだすのだが、道を歩く人たちが傘や雨具を殆ど持っていないところをると、どうやらすぐ止むのを見通しのようだ。だがこの雨はバスのワイパリングでも見えないぐらいの土砂降で、日本だったら大洪水間違いなしといえる降り様だ。
どのくらいの時間か聞いていなかったのでバスの運転手に任せていると1時間でも2時間でも降りろと言わない、これだったら着いたとしても観光する時間はないなと諦めの心境になってきた。バスも3回しか止まらなくて、とうとう2時間半も乗ったところで下された。すると降りた途端にまた大雨だ。傘は持っていたが、止むまで町は歩けない。
帰りのバス時間を聞いたらあと1時間は町を歩ける、
このTULUMという町は観光といっても萱葺きの商店街がいっぱいで、途中見えた民家がたくさん揃っているというだけの、南国の椰子やハイビスカスなどが多いというところのようだが、土着の背の低いインデアンのような顔をした婦人が多いだけで、もっと時間があれば奥には珍しいものがあるだろうが、雨と時間の無いことで、あまり印象深いものにおめにかかることはなかった。
トマト、キュウリがロシヤでの農村で美味しかったのでそれを期待して買って食べたがロシヤほどの味なかった。日本でのあの水臭いのと同じだ。だからマスカットとバナナ、それにピザを買い帰りのバスで食べる。
6時発だったが、もう真っ暗である。来る時外を見たら高速道路の信号がないところに2~3キロおきに鉄で出来たような丸球を横線に並べてあり、ここで車の衝撃を起こさせスピード制限しているようだ。だからその少し前方にその予告表示がされている。
なるほどこれでスピードは制限できるなと感心した。
メキシコといえば、昨年グアテマラに行ったとき同じホテルでメキシコの歌手に僕が日本民謡の「貝殻節」を唄い聴かせたたら御返しにラテン音楽を歌ってくれた人があの麦わら帽子をかぶって歌ってくれたのを思いだした。そのメキシコハットがたくさんの種類で店に出ていたが、その時もらったCDはまだ聴かうじまいである。
メキシコは28年前にロスアンゼルスからバスでアメリカの国境を越えて入ったが、あの頃はアメリカの優福な生活にあこがれて続々越境者がいて、その取締が厳しくされたのを覚えている。そして、ロスアンゼルスの生活とティファナの貧しい家や服装の汚さを、(貧富の格差に驚かされたものだったが)見て、衝撃を受けたものだったが、あそこにはやはり貧しい人々がいいまでも集まっているのだろうか。
ここカンクーンを見ているととても貧しいとは見えないのだが。
治安についても全く不安を感じないどころか、バスターミナルで僕がインフォメイションなど探していると、駅の掃除の人が親切に掃除を止めて連れてくれるぐらいだ。
待ちあいのベンチでも若い20歳ぐらいの乳飲児をかかえた母親が席を勧めてくれたりする。日本の若者と比較したくなるほど友好的である。

降るがまま任せて濡れる2月の娘
カンクーンは2月でも暖かだ、だから大雨なのだが、濡れることにも抵抗しないで娘は歩いている
こども等へ土産に迷う藁帽子
メキシコの印象に残るのは山高の藁帽子なのだが、これは土産には嵩がたかすぎる

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by akinishi1122 | 2010-04-16 17:41 | 旅行 | Comments(0)

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