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ダブリン市内観光

ふたたびのオックスフォード(28)
理香に電話繫がる 8月5日(日)ダブリン市内観光
朝から雨だ。ホテルの主人が、近くに駅があるが10分で行けると教えてくれた。雨だから自転車は止めた。ビニールのカッパを着て歩いていると、婦人が一人だけ通りかかったから、駅を聞いてみると、自分も途中までもその方向に行くからと、一緒に歩いてくれた。そして、暫く歩いたら「私はここから右へ曲がるから、この傘をさしていきなさい」という。大雨のなかで、自分の傘を僕に上げるというではないか。それでは彼女が濡れるのに、頂くわけにはいかないではないか。ここは無理にでも辞退した。親切な人もいるものだ。見知らぬ人だし、貸すのでなく、プレゼントするということである。大感激であった。「真っ直ぐ行ってすぐ左に曲がりなさい」と指示してくれて別れていった。
沢山の角があるから、何処で曲がるのかがまた大雨のなかで迷う。そして自動車を3台ぐらい手を振って止めようとするが、止まってくれない。4台目が止まってくれ、[すぐ近くだが乗りなさい]と助手席に乗せてくれた。200mぐらいだったが、大雨だから、ありがたかった。人間はどこにも親切な人がいるものだ。僕も日本で、こんな心を持たねばならないな。
駅に着いたから、今日からユーレルパスを使おうと、駅員さんに開始のスタンプと有効期限の日付を記入してもらおうと頼んだら、「大きな駅でないと出来ない」と言われ、キップは買つていないのに、乗りなさい、と改札を通してくれた。これも親切である。無賃で乗せてくれるのだから、駅員の業務としては正しくないのだから、その心がうれしい。
日曜とあって、僕以外は二人しか乗る人はなかった。大雨だから、今日の予定はどうしようと考え、時刻表を持った中年の男性に「観光のためには、どちらの方向が良いだろうか?」と聞いたら、「市内の観光バスに乗ったほうがいいだろう」と提案してくれ、「私についてきなさい、乗り場を教えてやる」というのだ。僕らが話していると、隣にいた婦人が話しの中にはいってきて、二人で相談しはじめた。昨日降りたフェリーポート駅をどんどんすぎて行く。二人で僕に勧める観光プランを相談していて、観光推奨地を4箇所ばかりメモし、「これを示して観光したらいいよ」とプランまで作ってくれた。
下車するときも、自分の後に僕をつけて出してくれた。次の市内バスでは、運転手に僕のことを色々説明してくれているようだ、バス賃も払わなくていいという。運転手は下車するときもお金の請求はしなかった。この人は僕のことを何と説明してくれたのであろう。この二人は市内観光バスの発車場を教えてくれ、ここで降りなさいといったが、自分たちはまだバスに乗ったまま、僕だけおろした。自分の持っていた列車の時刻表も僕にくれて、「貴方の乗った駅はここで、今度帰る駅はここから乗りなさい」と時刻表の見方まで教えてくれた。こんなたくさんのメモで、また分からなかったら誰かに聞きなさい。ということである。
この親切はどこから生まれてくるのだろうか。僕は合う人ごとに親切にしてもらえるのだが、僕を老人として見るためなのか。英語がたどたどしいためなのか。日本人のためなのか。あるいはアイルランド人の国民性なのか。またこの全てを含んでいるのかもしれない。一人旅の良さというのはこんなことの連続だから良いのである。この二人を乗せたバスに深々と頭を下げたくなった。
2階だての観光バスだが、大雨だから、屋根なしの2階での展望はできない。日本人用の日本語案内イヤホンがあるから助かった。8種類の言葉があるから、英語も含めると9カ国の観光客が多く来るということだろう。
ナポレオンがここまで侵入してきたとき、打ち破った戦勝の記念碑や、その時戦死した人々をメモライズしてあるのは、国を守ってくれた尊敬の心であろう。またイギリスから独立した時の戦士の墓も特別に区画されてある。原住民もいたようであるが、いまはほとんど同化されてあまり問題はないようである。議会や首相もイギリス人であったりイギリスと兼任したりしてジグザグの歴史があるみたい。高校をアイルランドで出て、大学はオックスフォードやケンブリッジなどに進学するケースも多いというし、言葉も英語だし関係は密接のようだ。オーストラリアやニュージランドみたいなイギリスの産業の発展と植民地政策での統治され、後になってそれぞれ独立した連邦の国家であろうかと自己流に判断している。
産業革命時代の1800年代にアイルランドとしての個性が出来たのだろうか。ギネスというビール工場で降りたのは現地のビールを飲んでみたかったのが主な理由だった。20階ぐらいのところに市内の展望できる場所がつくられているから、ほぼ全域が理解できた。ビールも大ジョッキーでのサービスがある。黒ビールで麹の臭いがする。一口は美味いと思うがあとは変わらない。入場料が8・5ユーロであった。市内観光では何回も下車できたから、中央駅でユーレルパスの使用開始日と終了日の10月4日の記入をしてもらった。
イギリスでは携帯電話が「圏外」とでるが、ここではよく通じる。理香に何回も掛け、スイスのバリから19,20日が休暇だから都合がいいとメールがきているらしい。だからその日に寄せてもらうことを理香に伝えたら、スイスに電話してくれ、バリからすぐ僕に電話がきた。何回も僕に電話してるみたいだが、イギリスは通じないようであった。今度は列車で行くことも伝え、時間はまたあとで連絡することにした。理香には学校が終わったらフランスに1週間ぐらいいて、スイスに入る計画でいることを伝えておいた。
これでバリ宅を訪問する日程が決まり、あとは列車の時間を知らせるだけとなった。
観光バスの運転手にフェリーの駅は何処で降りたらいいかと聞いたら、「20番で下車したら歩いていける」というから歩きに歩いてもなかなかみつからない、フェリーの港はいくつもあるということが分かり、僕はとんでもないところに来ているらしい。だからタクシーに乗った。すると非常に遠いことがわかった。20分ほどもかかって僕のフエリーに着いた。料金は17.92ユーロだ。財布から10と5ユーロ紙幣をだしてあと小銭を探したが無いから、50ユーロ紙幣を渡そうとしたら、「15ユーロだけでいい」と2,92をサービスしてくれた。こんな大金をサービスとは。この人は歩合だろうに、気の毒だった。またも感激である。今日は感激いっぱいの日だった。
ダブリンは小さな街だと勝手に思いこんでいた。フェリーボート乗り場が市の中心と思い、たいしたこと無いとの錯覚だった。郊外であったため色々のドラマも出来たわけであった。
ダブリンの人口は140万人だから大都市であるし首都でもある。アイルランドでは列車に自転車が積めないことで、ここからの横断もかなえられなかった。
ギネスのビール工場で、理香、信顕、由希、きあら、まなのTシャツを土産に買った。アイルランドのネームが入ったので、これにした。

by akinishi1122 | 2010-02-13 19:23 | 旅行

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