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私も決意しよう  小6年 高山唯

夏休みには戦争に関する本を読もうと思うっていた私は、図書館で「ガラスのうさぎ」という題を目にしたとたん、6月に修学旅行で訪れた原爆資料館で見た光景が思いだされたからだ。
主人公の敏子は、そのとき天皇への忠誠と戦争に勝つことを第一とする教育が行われる国民学校6年生だった。
「日本の国は米英軍からアジヤを守るため戦っているのだ。一億一心となって米英軍の侵略を防がねばならない。みなさん国を思い、天皇陛下に忠義をつくせ」とおしえられていたので、敏子はただ純粋にそう思っていたのだそうだ。
私は、私と同じ6年生の敏子たちが同じことを考え、同じ行動をしていることにおもわずぞっとしてしまった。もし私がその時代に生きていたら、私も敏子と同じように何の疑問も持たず、忠義をつくすのが当たり前と思いこんでしまったかもしれないと考えると、急にこわくなってしまった。
戦争が始まると、食べ物の配給制度がはじまった。米は一日に一合、およそコーヒーカップ一杯ぶんしか渡されなかった。もちろん衣服も自由に買えなくなった。
今の時代に、また戦争がおこったとしよう。今のように真っ白いお米が食べられるのだろうか。肉も魚もおなかいっぱい食べることができるだろうか。衣服も自由に買えるのだろうか。
私には、手をのばせばいつでも欲しいものが手にはいる今の生活が無くなるなんて、とても考えられなかった。
1945年3月10日の東京大空襲で12歳の敏子は母と妹を失った。その焼け跡には、ガラスのうさぎが燃えさかる炎に身を焼かれながらも戦争の悲惨さを見つめ続けていたという。そのガラスのうさぎを想像するたびに、私は広島の資料館でみた光景を思い出す。
っ原爆の熱線で焼けこげたボロボロになった洋服、真っ黒にこげてしまったお弁当箱、ぐにやりと曲がり、溶けてくっついた一升ビン。
それらは、ものを言わないけれど私の心に戦争によって苦しんだり、悲しんだりしたした人の思いをうったえてきた。東京、広島、場面は違っていても、戦争がもたらすものはどこも同じなのだ。
家族を失った敏子は、決意している。
戦争は人と人との殺しあいだ。私たちが大人になった時の政治は、みんなで話あって決めよう。
戦争はどんな理由をつけようともやってはいけないのだと。
私はいままで言いたいことがあっても、何も言わずにすませてきた。誰かが代わりに言ってくれるのを待っていた。私も敏子と同じように決意しよう。私の周り何かあったとき、勇気を出して、みんなの前で、自分の意見を言う努力をしたい。
その第一歩が戦争をやっていけないという敏子の思いにもつながるような気がする。
この本を読んだ今は、それができそうな気がする。

(毎日新聞読書感想文阪神版11月25日より)

by akinishi1122 | 2009-11-26 09:25 | 九条の会

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