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ノヴォシビルク着

(16)シベリヤ鉄道の旅(16)7月31日ノヴォシビルスク着と一日
昨夜はおそかったから同室の女性とあまり話しができなかったが、今朝はいろいろ話すことができた。彼女は41歳でお医者さん、心臓を専門にしていて、ひと月に一回ぐらいイルクーツクに出かけるらしいが、今は病院では監査のような仕事で関連のイルクーツクにそのためでかけるらしい。モスクワにも学会などで年に数回はでるらしい。英語ができるから話せる。両親は健在で68歳というがあなたみたいな元気ではないという。娘さんが6歳だが僕が孫娘7歳を来週スイスで迎えると言ったらびっくりしている。そんな長旅を小さいこどもさんがよくできますね、というから娘が一緒だからといったがやはりすごいことだ。と感心していた。長い旅に奥さんを何故つれてこないのかとも聞いてくれたが、3年前に倒れたので長い飛行機の旅には体調がま回復してないからと説明し、お医者さんだから、家内の病気もそれまでよく回復できましたねと驚いていた。お互いに孫や家族の写真を送りあいましょうとなり、是非日本にも来てくださいと招待しておいた。ロシヤは病院の費用がいらないし、学校教育も無料の一番最初の国だから羨ましい。と話したらそんなのは不思議ではないといった応対である。われわれは老後が気になる社会だからあなたの国のようになりたいものだ。そんなことを聞く僕のほうが拍子ぬけがするような応対だった。
名刺もいただいて今後メールの交換もしましょうとなった。
僕は、日本は四季がはっきりしていてロシヤとはすこし違うから折々の写真を送りますねと約束した。おたがいに孫と子の成長も送ることになった。この人はなかなかの好感のもてる人で美人でもある。主人は航空機などの設計をしているエンジニヤらしいが、駅のホームまで迎えにきていて、僕にも紹介してくれた。
この人はユリヤYuliaといって名前も覚えやすい。この前同室だった婦人が自己紹介のしてくれたメモを彼女に訳してもらったら弁護士らしいこともわかった。ロシヤにいる間に何か困ったことがあったら電話ください、とも言ってくれたわからるのが寂しい気持ちになった。
ノヴオシビルスクのホームには僕の名前をかかげて迎えの人が待っていてくれた。ユリヤさんが気にしてくれたがそのことを示し、そこで別れた。
このドライバーの車がエンジンがかからない、何回もキーをいれるのだがついに歩くことになる。僕にしたらタクシーに乗るのかなと思っていたらなんとホテルまで歩くのだ。そんな距離だったからよかったが、日本では昔はこんなことがよくあったがエンストというのを久しぶりで体験した。やはり中古を買ったのだろう。面白いのは今日も「佐川急便」「日本段ボール」「引っ越し専門熊木運送」などと看板をつけた車にであったから相当日本の中古車が走っている。乗合バスのドアーに韓国文字があるのもある。よその国の車で看板もそのままでプライドなど気にならないらしい。
ホテルはなかなか立派で日本のロイヤルホテル並だ。気になるパソコンは僕のパソコンにワイヤレスで接続してくれた。だからいままでの5日分をブログにうちこんだ。鳥居さんから、出発のときのドラマを楽しんで読ませてもらいました。こんどおあいするときロシヤに4年留学していた女性といっしょに旅の話聞かせてもらいます。とか
中同協の小川さんからブログみて楽しんでいますが、自分が10年前にロシヤに行ったときの空港の対応があまりよくなかったのでロシヤについてはこりごりでよい印象がなかったが、宮崎さんの人柄なのかホテルはよかったですね。やはり地方は違うのですね。中同協新聞に息子さんの総会感想文が載っています。とあった。寺尾さんというハバロフスクからイルクーツクまでの団体の添乗員さんから、昨日無事新潟にかえりました。宮崎さんはいまごろどちらでしょうかね。モスクワ放送の岡田君はちかく里帰りするので会うことになっています。と二人で映した写真とグループと一緒の写真も送っていただいた。なかなか親切な人であった。同友会の山口さんはびっくりしたようで「今度はシベリヤですか、驚きました、日記は今から読ませてもらいます」とある。俳句の淑子さんからは、ブログの中から私が勝手に選ばせてもらった句をださせてもらいました。茂子さんにきいたらなんか3か月近くもの旅と聞いて驚いています、気をつけてくださいとあった。
家に電話して今日パソコンでメールおくったからいままでの日記を開いてもらうように言ったら、今はみんな忙しく理香は旅行までに仕事をかたずけねばならないか毎日12時近くに帰宅だし、信顕は引っ越しした荷物の整理に追われ子供たちは大橋の家に預けてかたずけに二人とも忙しくしているらしい、だから日記もそれがすんでからゆっくりと開くことになるだろう。と僕様子よりそちらのほうに気をつかっているようだった。
だから3時すぎから市内の観光にまわることになった。
ここの地名は「新しいシベリヤの町」という意味らしい。ちょうどロシヤの中心の位置にあるらしい。人口も139万というからえらい大規模のまちで大阪市なみの人口のようだ。僕のホテルがほぼ中心にあり窓から河が見えていたのでその方向にバスにのった。ところが期待していた河はあまりきれいでなくなんか工業都市の河のようで、港にタンカーや荷物を上げる船、土砂運搬船などがたくさん繋留されていて美しいといったイメージでない。
河は幅が500mもあるだろうが景色というよりも工業都市の活動的な町といった感じだ。そこからバスの終点まで乗ったが工業地帯を過ぎたら住宅ばかり。外を観るよりもバスに乗り降りする人、酒に酔う青年もいればホステスのような華やかな服装の着飾った女性。皺のふかい顔をしたおばあさん、それに切り花をかかえた婦人、若い娘さんが乳房のふくよかな谷のそこまで見えそうなひろげた胸など興味ふかい。あまり気付かれないようにそれらの車内の写真を撮っておいた。新しい街といってもこんな大陸の真ん中によくも工業都市ができたものだと思う。なにか鉱物資源でもあるのだろうか。今朝一緒だったユリアさんは「モスクワは嫌いだ、ノヴォシルスクが静かでおちついていて、なによりも私が生まれた町だから住みやすいい」といっていたが、今日外見でみたところではなんか埃っぽくかんじる。
バスの往復で2時間ばかりかかり、中央にひきかえしたら、デイミドロフ通りが大きい。デイミドロフとは聞き覚えがある名前だがたしかレーニンとともに革命の初期の活動家だったのではないかという気がする。彼よりレーニン通りが脇道になっているところをみるとこの地方にゆかりがあるのかもしれない。
明日ゆっくりと中心は歩くことにして夕食のためにスーパーに入る。ここでもスーパーが24時間と書いてある店があるのだから、人々が多いとその仕事によって店も開くことになるのだろうか。
魚の酢の南蛮漬けのようなのを2つ、野菜と鶏肉の酢のもの、それにトマト、キュウリ、フランスパン、ビールをかって帰る。これでなんと400pほどだったから、500円ぐらいだろうか。食料品は安い。
先日鳥の丸焼を外で買い食べたらなんかお腹の調子が悪かったのでこんどはあまり変わったものは食べないことにする。
ホテルの部屋でその料理を食べたが夕食にしては多すぎて残る。ビールと思って飲んでみたらどうやらジンである。そして強い。
夕食後まだ明るいから散歩に出るつもりだったがジンの強さで出歩く自信がなくなって9時には床についた。

by akinishi1122 | 2009-08-04 01:29 | 旅行

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