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今日の一句

7月30日
話済み土用鰻で待つ家族 岡山の旭東病院で「一人旅の講演」夜は土用鰻で家族が待っていた

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by akinishi1122 | 2016-07-31 06:49 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月29日
夏の夜やゲラ校正が未明まで 次の本のゲラ刷りが届き深夜を過ぎて未明までかかった

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by akinishi1122 | 2016-07-30 07:44 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月27日
応援の校歌三回夏野球 夏の大会の勝利の校歌をスタンドで3回聴くことができた今年
7月28日
まだ元気八十路電話に蝉の声 大和郡山にいる中学同級生の電話は元気な声である

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by akinishi1122 | 2016-07-28 08:48 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月26日
テロでなく異状殺人今朝の夏 神奈川で障碍者病院に侵入した元職員が19日人殺害し26人刺した今朝のトップニュースである

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by akinishi1122 | 2016-07-27 10:56 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月25日
興奮をしないまま負け夏野球 兵庫県ベスト4を掛けて対戦した報徳は1対0で尼崎北の負けた

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by akinishi1122 | 2016-07-26 08:17 | 俳句 | Comments(0)

7月の社内新聞

第5755号 日々新聞  2016年7月7日(木)
もう一人の自分を創る  舞の海秀平
大学を卒業して、大相撲の世界にはいろうとした私は、いきなり大きくつまずきました。相撲協会が定める身長に足りなかったのです。当時の大相撲では身長173センチ以上であることが入門の条件のひとつでしたが、私の身長は169センチ、4センチ足りないため新弟子検査に落とされてしまいました。このときは精神的にどん底でした。プロの世界大相撲でどこまでできるか。身体の小さい私がどこまで通用するか、どこまで番付を上げられるか。小学の時から相撲を続けてきた私はそのことを自分自身が知りたいと強く思っていました。
挑戦したい、絶対諦めたくないと思った私は、あの手この手を尽くして相撲界に入門する方法を考えました。
身長を伸ばすため鉄棒にぶら下がり友達に足を引っ張ってもらったり、バットで頭を友人に叩いてもらったり・・・背を伸ばしてくれるという評判の人物を熊本まで訪ねたこともあります。身長は一ミリたりとも伸びませんでしたが、そんなとき美容外科の先生に頭にシリコンを入れる方法を提案されました。
頭の上にシリコンを埋めこんでそこに水をいれれば、その分身長が高くなります。検査が終われば水を抜いて、シリコンを取り除けばいいのです。これは良いアイデアだと思った私は、迷わず手術をうけることにしました。
ところが手術が終わってからが大変でした。帰りのタクシーの中でおもいきり吐いて、激痛のあまり3日間まったく寝られなかった。痛み、めまい、不整脈、脱毛、嘔吐・・・と次々に苦痛に襲われました。その後は美容外科で生理食塩水を頭部のシリコンに注入してもらう日々。これもまた激痛で痛みは一月ほど続きました。しかしおかげで二度目の新弟子検査に合格し、大相撲の世界に入ることができました。どん底はひとまず脱することができたのです。


第5756号 日々新聞  2016年7月8(金)
もう一人の自分を創る(2) 舞の海秀平
相撲界に入り、関取に昇進してからも、どん底にちかい状況を味わったことがあります。平成8年名古屋場所での小錦関との対戦で、左膝の靱帯2本、断裂してしまいました。274キロあった小錦関が私の左膝に載るようなかたちで倒れこんでしまったのです。ケガをした自分の身体能力の低さにはらがたつとどうじに、辞める理由ができた、と少しホットしました。当時28歳で現役生活6年以上。あちこち痛んでいて、引退の時期も考えるようになっていました。
ところが周りの人たちは復帰するものだとおもっている。「まだやらないといけないのか・・・」正直なところ気が重くなりました。でも病院のベッドの上でふと思ったんです。「このまま止めてしまったら、のちのちの人生を振り返ったとき、大好きな相撲を力のかぎりやったといえるのか」と「逃げたと悔やむんじゃないか、と。
 自分の心は騙せない・・・よし、このケガを乗り越えよう。復帰にむけてもう一度挑戦しよう。そう決心するに至りました。そしてリハビリの先生に協力していただいて、私は再び土俵に戻ることができました。
 その後迎えた、忘れもしない平成9年の夏場所、私は再び小錦関と土俵の上で対峙しました。こみ上げる喜びを噛みしめ、充実感と爽快感につつまれました。ここまでがんばってきてよかった。この思いをむねにこの先も生きていける。そうつくずく思いました。
何かあると、いつも“もう一人の自分”が現れます。もう一人の私は私に問かけます。「このまま逃げて無様に人生を終えていいのか」と。「世界には明日食べるものがない人もいる。でもお前は、好きな相撲をやれる。それなのに、この程度で諦めるのか」とリハビリに取り組んでいた時も、もう一人の自分が現れ、私を叱咤しました。
あらためて振り返ると、どん底など何もなかったように思えます。


第5757号 日々新聞  2016年7月11(月)
我に言う「ごくろうさま」脇坂勝幸」
昨日は選挙でしたが会社の慰安旅行と重なり、選挙に行けなかった人もあ
ったことでしょうね。新しい選挙制度で18歳から選挙権が与えられた最初の選挙でした。あらかじめ投票日が解っているのですかえら、事前の投票制度がありますから、もし次の機会に仕事などが重なった場合は、期日前の投票をすることにしましょう。
大事な選挙は自分の意思を表明し、権利を行使して自分自身の生活環境を守ったり、変革したりするのに使うことを是非してもらいたいものです。
自分の運命は自分で決めることは出来る条件が現在の日本には制度として保障されているのです。
自分を大切にするということは、その意思をもつことから始めなければ、他人は自分の意思はわからないのですから、しっかり自分の将来の夢を持ち、描くことからはじめれば、叶えられる条件はいくらでもあるものです。
小さいことから叶える事の習慣をつけることで、目標は追い続ければ叶うものだと気付くものです。
そして叶えららたら、いくらかの努力にたいして、自分に「ごくろうさま」と労わる習慣もはじめましょう。
なぜかといえば、日本社会は人を褒めるという習慣が殆どないので、他人は自分の努力と成果を気付かなかったり、知っていても自分の計画ロマンがいかに自分にとって大事なものか、ということは他人は解らないものなのです。
自分の成果に「ごくろうさま」ということで、自信も生まれていきます。
だいぶ前にマラソンの女子の選手で優勝したとき、「自分を褒めてやりたい」といった有森さんというランナーが公衆の前で発したことばが「自分をほめてれやります」といって「なんと爽やかな言葉と行動だろう」と日本中に感激を与えたことでした。だれでも自分を褒めてやる、ごくろうさま、といってやることでなるほど元気がでるものだ、ということを気付かせてくれました。
自分を伸ばし発展させることは、ほかならぬ自分自身でできることなのですね。





第5758号 日々新聞  2016年7月12(火)
がむしゃらに  原辰徳
ぼくのプロ野球とのかかわりの最初は、昭和55年11月26日のドラフト会議です。自分の運命が他人の手の中にあるということで、「ドラフトなんて」と思ったりもしましたが、その日は「どうか巨人に入団できますように」と云える気持ちだけでした。そして指名されたその日からぼくは巨人軍の一員としての自覚を持ちました。
 しかし今だからこそ言えるのですがたとえ他の球団から指名されても、やはりぼくはどこかのチームで野球をやっていたと思います。野球がやりたいという気持ちは捨てることはできなかっただろうから。
父は野球をやっていましたが、僕に強制したことはありませんでした。小学3年の時少年野球チームに入ったわけですが、今思えばプロまで一直線と言えるかもしれません。ただ好き好きで常に前をみつめて「野球に頂上はない」とおもってがむしゃらに続けていました。事野球に関しては、「挫折感」を味わったことは有りません。
 学生時代のそれは、クラブ活動としての、プロから見れば甘い野球ですが、それなりに口では言えないほどの厳しいものがありました。もういちど高校生になって野球をやるかと聞かれたら、苦しさを知った今は、やりますと自信を持ってはいえないほどです。
 辛くてやめたいと思った時にも理屈ぬきで好きだったから、やめないでしっかりと目標を見つけてやってこれました。
好きな事であれば、人間苦しみに耐えられるものです。ぼくが辞めたいとおもったらいつでもやめれる状態にありながら、やめないできたのももう好きだという気持ち以外に在りません。
高校の時の甲子園、大学なら全日本選手権という目標にむかっていましたから、あっと言う間に過ぎたような気がします。

第5759号 日々新聞  2016年7月13(水)
がむしゃらに(2)  原辰徳
苦しい練習の中で、ときには遊んでいる友人を羨ましんだこともありましたが、逆にふと、彼らには目標があるんだろうか、何を考えているんだろう、大丈夫なのか・・・と、目指すもののあることに力を得たものです。
高校3年の、皆が進路を考え始めるころに、プロ野球を、それまでの憧れから、自分の職業として意識するようになりました。が、そのためにああしよう、こうしようという変な欲はありませんでした。ドラフトに関していえば運がよかったわけですが、これも自分がそれなりに目標に向かって全力を尽くしたからこそ道が開けたのであって、最初から道があったわけではないと思います。
棚からボタモチとは思っていません。
 プロ1年目に納得のいく成績をおさめることができたのも、結局はただ「これがぼくの仕事だ」と無我夢中でがむしゃらにやってきた結果ではないでしょうか。ぼくは「一生懸命」と「忍耐」ということばが好きなのですが、がむしゃらにやるということは、とても尊いことだと考えています。
素っ裸になって打ち込んだ時には、たとえ結果が悪くても納得ができます。
気を「ぬいてやっても、一生懸命やっても、どちらにしても結果と言うのは出てくるものです。おなじ出るなら、やっぱり一生懸命悔いなく、がむしゃらにやって出したい。
そして何をやるにしても、忍耐強く根気がなかったら人間はおおきくなれないのではないのではないのでしょうか。
忍耐のないのは綺麗におみえても直ぐ剥げるメッキのような物に思えます。
どんな世界でも、どんな小さなことでも、自分自身で夢や好きなものをみつけだして、それにむかって全力で突進していく、ダラダラと生活するのではなく道をきわめるとか、そうゆう大げさなことではなくても、何かの目標をもつてつきすすむ、これが大切なように思います。
いやいや時を過ごしても人生面白くないじゃありませんか。


第5760号 日々新聞  2016年7月14(木)
6月の業績【営業会議】
6月の売上
工事部
船場メヂカル構造調査と補修       岡本
道頓堀1丁目プロゼクト         岡本
(他1件)
畑本ビル各所補修            和田
(他1件)
ビッグボーイ守山店改修工事       山下
(他3件)
コムボックス光明池足場架設工事      山下
船場メヂカル補修工事           青木
(他1件)
十川ゴム本社ビル外壁工事         村尾
コカコーラいずみ大津           村尾
御堂筋ミナミビル清掃員控え室       村尾
(他12件)

SL部
万代法隆寺店駐車場改修工事        結城
(他1件)
天理駅前広場空間整備           上原
堺し三原複合店舗             大西
天見様開発造成工事              大西
(他5件)
大和物流港センター              濱田

7月売上計画
工事部
インタルシオ武庫之荘             岡本
(他3件)
木下さま店舗新築工事             和田
ウエルシア海図化店新築            和田
(他1件)
船場メヂカル補修工事             青木
(他2件)
リーガル立売堀                村尾
総合技術研究所                村尾
(他6件)


第5761号 日々新聞  2016年7月15(金)
安心は時間の計画から  脇坂勝幸
わたしたち建築に携わる者で一番大事にしなければならないのは、時間の計画です。建築の現場というのは、色々の職種が前後との関連によってでなければ建物は完成しないものですね。そこには順序を飛び越えて進むことは許されないのです。基礎がなければ上部構造は建たないし、そこには人が関与しなければならないのです。
人が計画し、その順序を決めるのはマネージメントすることですね。マネージメントには建築の場合図面が用意されるわけで、この図面が時間によって進められるのです。建築は人の動きがなければ一つも前に進まないわけで、人の動きは、時間によって管理されるのです。私達の会社は人を動かすマネージメントが中心なのですね。
人が動くということは、時間に従って動くともいえるのです。ですから時間を配分する計画をするために私たちは行動しているといえるのです。
この時間計画を正しく作ることができるか、というのが優れた管理者になれる条件ともいえるのです。
時間管理ができることで、私達は工事の進行に安心して完成を期待できるわけです。安心とは未来を正確に予測できることからうまれるのです。
この習慣を身につけることで、一般の日常社会にも適用できる能力がうまれるものです。従って人々は信頼して任せられる人だとみてくれるようになり、言っていることがいつも的を得ている人、と見られるのです。
時間を守る人のことを信用できる人、または会社でも信頼できる会社となり、安定した受注できるのです。
現在の社会は信用社会と言われるのは、この時間を守ることから生まれるのですね。自分も会社も安定して日常が回っていけるのは、この時間の計画が出来る人や会社のことを言っているのです。



第5762号 日々新聞  2016年7月19(火)
支えてくれる人を忘れない  立浪和義(野球解説者)
人に慕われる人、頼られる人、尊敬される人・・・こうした人は、器の大きい人が多いですね。それから気遣いができて、礼儀正しく、他の人やモノに感謝できる人、根気があって我慢強い人もやはり器が大きな人が多いような気がします。と同時にそうゆう人は、人としてのふところも深そうです。
 ではどうすればそうゆう器が大きく、ふとことが深い人になれるのか。それにはやはり苦労や困難に逃げずに立ち向かい、乗り越える努力が大事ではないでしょうか。苦労した数が多いほど、あるいは困難を乗り越えた数が多いほど、人は磨かれ、人間性も高められていくような気がします。
 私は高校卒業の18歳から40歳までの22年間プロ選手として野球をしてきました。野球を始めたのは小学4年生ですから、そこから数えると、約30年間、選手として野球に打ち込んでいたことになります。野球はまさに私を育ててくれ、数々の大事な経験を野球を通じてさせてもらいました。
 たとえば、基本の大切さ、努力の大切さ。これは口で言うのはたやすいですが、実際基本を大切にして努力を続けるのは並みたいていのことではありません。
 野球ではヒットヤホームランという“成果”がたて続けにでることがよくあります。でもそこで慢心すると成績はアット言う間に落ちていく可能性が高いし、思わぬケガに見舞われることにもなりかねません。
 反対に、成果がなかなか出ないと、いくら頑張っても無駄だ、と言う思いになりがちです。だったら適当にサボッテ、手を抜いてもおなじじゃないかと考えてしまうかもしれません。でも、何処の世界でも、成果はそう簡単にでるものではないですよね。成果が着いてこない時こそ、「なにくそ」と「負けんきで頑張る。その心の強さも大切だと思います。
 成果が出てもでなくても、地道に鍛錬し、基礎練習を怠らない、そうした人は長く第一線で活躍できるとつくずく実感しています。


第5763号 日々新聞  2016年7月20(水)
支えてくれる人を忘れない(2)  立浪和義(野球解説者)
礼儀正しく、周りに感謝の念を持つ
伸びる人、伸びない人を比べると、礼儀や感謝の念などの有無なども大きく関係しているように思います。プロ野球の場合、選手の周りには、身体のケアをしてくれるトレーナーや打撃練習の際にボールを投げてくれるバッチングピッチャなどがいます。彼らは裏で選手を支えてくれていて、彼らの存在なしに、選手が活躍することはできません。だから当然、感謝すべき人たちで、傲慢な態度で接することなどもってのほかです。
例え野球が非常に上手くても裏でささえてくれる人たちに感謝の一言も言えないようでは、誰からも段々応援されなくなって行くでしょう。それこそ、人としての器に欠けけているから、ついてくる人もやがてなくなるのではないでしょうか。
お金の使い方にも、其の人の器があらわれるかもしれません。プロ野球で活躍すると、1億、2億、3億といったお金は、勿論大金です。でもその大金は。支えてくれた人たちがあるからこそ得ることのできたお金でもあります。その事実を解っているのなら、そうした人たちのために、御馳走したりするのも、形としては大事なことのように思います。でもせこい人は、おごらない。自分のためだけにしか使わないから、こうしたことにも、人としての器の違いがでてくるようです。
控えに回ったことがいい経験
振り返れば、私の野球人生はずっと厳しい環境でやらせていただいてきました。「やらせていただいた」という言い方は、正に私の正直な思いで、厳しい環境にいられたことに、とても感謝しています。
 PL學園高校時代には、一般的に非常に厳しいといわれる寮生活を送りつつ、礼儀や仲間との絆の大切さを身にしみて学ぶことができました。
プロに入った時の監督は星野仙一さんで、本当に厳しかった。でもその厳しさが、私を育ててくれたと思っています。


第5764号 日々新聞  2016年7月21(木)
控えに回ったことがいい経験(3) 立浪和義(野球解説者)
有難いことに、18歳の1年目からレギュラーとして試合に出させていただきました。ケガをした2年目には二軍にまわりましたが、その後はずっと一軍レギュラーでした。
ところが、三〇代後半になると、控えに回ることが多くなりました。試合に出るとしたら、代打、これまでの野球人生のなかではなかったことです。まだやれるという思いがあったから、内心穏やかではありませんでした。でも、現実は受け入れなければいかない。一打席たりともおろそかにできない。その思いは一層強くなり、一打席に全ての気を入れ、集中するようにしました。
 控えにまわったことに落ち込んだ日もありましたが、今となれば、いい経験をさせてもらって、本当に良かったと思います。レギュラーだけで選手生活を終えていたら、控えの選手の気持ちは解らず、驕りに繋がっていたかもしれません。
 そもそも好きな野球を仕事にできていること自体、とても幸せなことです。
 ある病院の小児科病棟に慰問で伺ったことがあります。細かい腕に点滴の針を刺したり鼻に菅を入れたりしつつ、懸命に病気と闘っているこどもたち。その子たちに接すると健康な体で野球ができる自分がいかに恵まれているかを知らされましたし「がんばろう」という気持ちも新たになりました。
プロ野球の選手に会えたといって明るい表情を見せてくれたこどもたちには、プロ野球の社会的使命を教えられた気持ちです。
 現役を引退して6年経ちますが、いずれもう一度ユニホームを着てグラウンドに立ちたい思いがあります。今度は指導者と言う立場で、そして願わくば選手時代と同じ中日ドラゴンズで。ただいま、ただいている野球解説などの仕事に一生懸命取り組みたいです。


第5765号 日々新聞  2016年7月22(金)
今日がスタート   脇坂勝幸
私達の日常はいつもと変わりないように見えても細かくみていけば何か少しずつ変化しているのですね。だがその変化に気付くことと素通りすることとの違いが人々の値打ちが違ってくるようです。
物事の変化を読み取るということは、目に見えない動きを読み取るということといえるようです。目に見えない動きは次の変化を予測することに繋がるもののようです。
次を予測するというのが人間の知恵になって環境に対応する人間を生み出してきたのでした。
方丈記の冒頭に鴨長明が「行く河の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず」と書きだしていますが、このように物事を昨日と今日は違うのだという考えは昔から人々は心得ていたようです。
なにをするにもこの心を持ち今日がスタートだと考えて物事に取り組むことは、新しい次の変化を発見したり予測したりする心構えのようです。
いつも何事にもこのように思って行動すれば緊張でたまったものでない。といえるのですが、時々はこの心を頭にいれておくことで、世間のあらゆることに柔軟な姿勢で対応することができるのではないでしょうか。
何か大事なことを決める時の心構えとして「今日からがスタート」とその時思い出す基準にしていれば、いろいろな問題の取り組みの姿勢が定まるのだとおもいます。この意味は、過去にとらわれず、経験に頼らずという意味が含まれているのですね。
そしてそれを問題の時の習慣にしていれば、「信念のある人」とか「頼りがいのある人」などと周囲から尊敬され、当てにされる人になるようです。


第5766号 日々新聞  2016年7月25(月)
迷ったとこはやってみる 澤穂希(前ナデシコジャパン)
私の人生の最大の決断といえば、昨年末に発表した現役引退です。実はここ1,2年はそのことでずっと悩んでいました。
職業としてのサッカー選手をやっている以上、常に実績が要求されます。1年1年が勝負です。シーズンが終わると来年はどうすべきか真剣に悩んでいました。
自分の人生は自分で決める
特に昨年はしんどかったですね。カナダでワールドカップがありましたが、私は一時期代表を外れていました。それまでずっと試合に出続けていましたので、どうやって自分の気持ちや身体を維持していくのか、手探りの状態でした。
 夫には常に相談していましたが、「最終的に決めるのは自分だよ」と、私自身もそう思っていたので、「トップレベルで戦えるのか」と何度も何度も自問自答し、昨年心と身体が一致しなくなったことを認識しました。
 発表したとき、周りからは「えっ!なんで」「リオ五輪をめざしてやっていたのに」と驚かれました。でも自分で一度決めたことは、誰がなんと言おうと揺るぎませんでした。
「自分の人生は自分で決める」というのは、幼ない頃からそうでした。3歳で水泳を始めたのも、6歳でサッカーをやると決めたのも、アメリカのチームに移籍するために、せっかく入った大学を中退したのも、最終的には自分で決めました。そういえば夫との結婚も「結婚する」と決めてから両親に伝えたので、驚いていましたね。
 自分で「これだ」と決めたら譲らない強さは母親譲りかもしれません。母も頑固なので、似た者同士、今もよくぶっかります。
そんな私も、もちろん迷うことがあります。でも思うのですが、迷うのは、自分がそれをやりたいときではないでしょうか。やりたくなければ、そもそもはじめから迷うことすらないと思うんです。やりたいと思っているから迷う。それならまずやってみればいい。やって後悔したほうがやらずに後悔するより何百倍もまし。そう考えてこれまで駈けてきました。

第5767号 日々新聞  2016年7月26(火)
迷ったとこはやってみる(2) 澤穂希(前ナデシコジャパン)
試練が人を強くする
当然やってみて後悔することもたくさんあります。「失敗した」と思うことはしょっちゅうあります。
 たとえば大学のとき、教師になるために進学したのはいいけれど、やっぱり、サッかーをメインにやりたくて、悶々としていた時期がありました。アメリカのチームからオファーがきたのです。
 海外でプレーしたいという思いに火がつき、母の反対を押しきって大学を中退。本当に身体ひとつでアメリカに渡りました。
 しかし、いざ行ってみると、言葉は通じないし、お金はない、相談する人もいない・・・猛烈なホームシックに襲われたんです。
 今のようにインターネットが身近になかったので、日本に助けを求める手紙を送っても、返事がもどってくるのは、2週間後。ワーキングビザではないので、働くこともできません。しかたなく他のチームのスコアラーを引き受けて、時給でお金を貰っていました。自分で決断したことでしたが、あのときは、辛かったですね。
 でも人間とはなんとかなるものです。現実をつきつけられて落ち込む毎日でしたが、3カ月もするとすっかり慣れていました。
 4年後のアメリカのプロリーグが財政破たんで消滅してしまい、帰国を余儀なした。日本を発つ前よりお、ずっと自分が強くなっているいることに気画つきました。
 今では、あのとき踏ん張った経験があったからこそと、その後の私があると断言できます。嫌なことや失敗がないと、人は成長しません。失敗するからこそ、次はこうしようという選択肢が増え、視野が広がります。
 人生は全て学びで、一つとして無駄なことはない。アメリカでの生活でそんな思いを強くしました。

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by akinishi1122 | 2016-07-26 05:53 | 社内新聞 | Comments(0)

今日の一句

7月24日
夏料理17回忌に揃いけり 大学の下宿でお世話になった義理兄の17回忌に親族が揃う

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by akinishi1122 | 2016-07-25 07:15 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月23日
雨朝も起こしてくれる蝉の声 蝉は雨の日でも鳴いてくれる

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by akinishi1122 | 2016-07-24 07:49 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月21日
極暑中謀略「文春」知事選挙 投票前の都知事選挙に「文春」は謀略記事を載せて宣伝し鳥越氏を誹謗している
7月22日
黴(カビ)剥ぎて食卓に出る釘煮かな それくらい釘煮は美味しい

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by akinishi1122 | 2016-07-23 07:33 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

7月20日
遠まきに蝉の亡骸囲む子等 さっき鳴いていた蝉であろう蝉が落ちて亡骸になつているのを子等遠まきにして眺めている

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by akinishi1122 | 2016-07-21 08:02 | 俳句 | Comments(0)