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今日の一句

4月24日

筍とめかぶとろろが日替わりに 筍が美味しい、海のめかぶのとろろも美味しい夕餉である


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by akinishi1122 | 2016-04-25 09:23 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

4月21日

二条城パリのお客と春深く 二条城でパリからの若い夫妻と俳句談義、夜メールで感想をもらった

4月22日

プールまで井戸端会議春婦人 プールを歩きながらお喋りを楽しむ婦人たちが毎日だ 

4月23日

百年は生きねばならぬ春の夕 文学の編集長乙部氏の講演を聴き書くことが百年いきねばならぬことになる


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by akinishi1122 | 2016-04-24 09:24 | 俳句 | Comments(0)

日々新聞

第5707号 日々新聞  2016年4月22日(金)

新らしき事白で始り(804)脇坂勝幸

私達の日常で同じことをやっているように見えますが、何一つ昨日と同じものはないのですね。ただ自分が気付いていないだけで、時間と場所、空間が違えば、何一つ同じものはないものです。

このことを気付くことで、毎日が新鮮になり、そして物事に対しての判断と決定がほかならぬ自分が決める立場にいるということといえるのです。

自分の毎日を自分の意思できめるということはなんと素晴らしい人生ではないでしょうか。

物事を他人が決めた方向で動くことは窮屈であるし、力も入りにくいものです。物事に対する取組に自分の意思がどれだけ入っているか?でその仕事にたいする情熱も違ってくるということをわたしたちは沢山経験してきました。

自分が決めたことにたいしては情熱が湧き、そして苦労というものも感じないものだということも経験してきました。

仕事に情熱を持つというとき、いかに自分の意思が動いているかによって仕事にたいする楽しみも違ってくるものです。

そして仕事に対しての関心と喜びも湧いてくるものです。そしてその成果も自分の知的財産になるものです。

わたしたちの会社は創業以来たえず新しいことに挑戦してきたという歴史であるのです。この輝く伝統によって今日にいたっているのです。

毎日が新しいことであることを認識することで創意は生まれるものでしょう。

物事に対して創意ほど楽しい、やり甲斐が出る事は有りません。

私達の日常は毎日が白紙の上に自分の意思を描くことなのです。これこそ貴方をあなたらしい人間に創りだしていくものです。そして会社にとつてもそれを期待しているのです。


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by akinishi1122 | 2016-04-22 05:16 | 社内新聞 | Comments(0)

今日の一句 

4月18日

糖尿の予防食事や春野菜 野菜を食べる毎日になつて春の野菜の味をかみしめている

4月19日

鴨川に菜の花の中園児くる 京都の鴨川を妻と散歩していたら大勢の園児たちも一緒になった

4月20日

参観日息子は時間創りだし 5年生になった孫の参観日に息子は時間を創り参観したようである


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by akinishi1122 | 2016-04-21 06:03 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

4月17日

スイスより震災見舞い春深夜 Burryより熊本震災のお見舞いのメーッルくる


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by akinishi1122 | 2016-04-18 08:30 | 俳句 | Comments(0)

ニュージランドの旅

2012年1月27日 ニュージランドの旅(3)オークランド市内

今日は朝から雨である。すずしささえあり、第一日目の朝だが雨が降っているからだろうか。真夏にしては肌寒さすら感じる。真夏の服装ばかりを持ってきたが、ここ現地の人でも長袖を着ているところをみると、朝晩の温度差が大分あるのかもしれない。昨日はさすがに眠くてあまり動く気になれなくて、夜も良く眠ってしまった。

朝食は近くのスーパーでトーストと牛乳ジュース、フルーツを買って部屋で済まし、日記や会社の新聞の原稿を書いて送信しておいた。

今日の新聞のテーマは「今考えよう、何をするか」で書いた。これは社長が毎日書いている表題の解説をしていて、僕もその解説するのに勉強になる。毎日が社長のメモから刺激をもらっていると言う感じで書いている。

社長というのはたとえバトンタッチして不安がないでもなかったが、社長に就任したとたんに僕と同じ気持ちになるもので、自分が任せると言いながら任せきっていなかったことを今の社長の行動と考えを見ていると自分が人を観る目がいかに無かったのを恥じているぐらいである。

人を信頼するといいながら70歳まで任せることをしなかったことを申し訳ないといった気持ちでいる。任せれば人はこちらの思い以上にやるものだとつくずく思っている。

僕は彼の毎日の決意や希望を如何に社員に解り易く解説するかを毎日工夫している。全く僕は彼の考えに異論がないどころか、学んだりしているこのごろである。

外国旅行してもパソコンで毎日原稿が送信できるから便利だ。

雨もあがったので午後からオークランドの市内観光にでた。市内周遊が40ドルと書いてあったが、巡回バスの1日券が10ドルで良いと言ってくれたので乗ってみた。するといきなりここのメインであるスカイタワーが目にはいりここで下車、328mまでエレベーターが直通で登ってくれたのにはビックリした。展望台から真下を見下ろすとへそがこそばゆくなるぐらい緊張する、見事な360度の絶景でここを見たらオークランド全体が箱庭のようだ。揺れているような感覚になる、上海の430mのタワーができるまではここが一番高かったのではないかと思う。

突然人の叫ぶ声がしたのでその方向をみたらなんと空中をロープ一本で泳ぐように真下まで大の字になって女性が飛んでいるではないか。もうびっくりでこちらが冷や汗が出てしまった。たしかテレビでも日本で観たことがある生を見ると恐いものだ。

このタワーの近くが繁華街で30、40階のビルが林立している。そして港も大型客船が停泊していて、もう景色としてはシドニーを思わせる。来て登ってよかった。

僕の姿を見て70歳以上は割引かれると15ドルのところ10ドルにしてくれた。

夕食に昨日食べた韓国料理がうまかったので韓国レストランにはいる。韓国語がわからないので一番上にかいてあるメニューを注文する。日本の焼き飯のようなのだったが、5種類のキムチがついてこのキムチだけでも値打ちがある美味しさだ。それに韓国ビールも旨い、この旅行では今後も韓国料理があればこれにしていいなとファンになってしまった。

ホテルに帰ったのが8時だったが、眼鏡が何処を捜しても無い、最後にかけたのが韓国レストランだから探しに行かねば、とまたバスに乗った。同じ周遊バスなのに今度は1時間半も遠くに走ってしまい終点で降ろされてしまった。たしか11時30分までバスはあると出ていたのでそんなに心配はしなかったが、韓国レストランはまだ開いているだろうか?また眼鏡はあるだろうか?などとそわそわしながらのバスだった。韓国レストランについたのがもう10時近くであった。店をしまい掛けていたが、マスターは、僕のことを覚えていてくれ、「あなたが発たれたあとには何もなかったですよ」という。

僕の思い違いなのかと釈然としないままホテルに帰ったのはもう11時半だった。

何回も探してでたのだから、あるはずはない、と思いリユックを全部ひっくり返したら、なーんだ一番隅から転げでるではないか!また失敗をしてしまった。

3時間の無駄なそわそわと時間の無駄使いをやってしまった。「くれぐれも慌てないように」。と娘から送りだす言葉を聞いていたのに、また忠告が的中である。これだからこの頃家では娘や妻に反論できなくなっているのである。

ホテルのパソコンを開いてみたら、なんと衝撃的なメールがきている。

「突然のメールで失礼いたします。大阪に住むOKと申します。亡くなったYS(京年26歳)の日記の中から貴方様のアドレスを知りメールさせていただいております。貴方様のことは息子の世界一周旅行の途中イタリヤでお会いしお話させていただいたことは彼のブログから知っておりました。あの旅行を続けておりましたが、2010年2月下旬に南米チリのバイネ国立公園で連絡が絶たれ行方不明となりました。その後約2か月後にフランセス川の中で発見され日本に連れて帰れたのは3ヶ月後でした。遺品の中から日記やパソコンが出てきて貴方様のお話に影響を受けていたことを知り、私自身が連絡をとらせていただいております。このアドレスで届くかどうか分からないので、届くようでしたら、後日再度メールさせていただきたく思います。OK、YSの母TZ。」というのがきていた。

たしかにYHホテルで語りあって激励したように思う。人間の値打ちは日本の学校で褒められることがない学生生活をみんなおくっているから自分の優れたところを自分でみつけることをしたらどうだろう。人には絶対言わなくて、見せなくて自分の優れたてところを書き始めようではないか。そして2000ほど書くまでかき続けたら、もう自分がこの世で一番信頼できる特徴のある人間だと発見することができるでしょう。そのことで自分の尊厳に気付くことになるでしょう。あなたはこの世の中で自分をよく知っている最高の理解者であり最高の管理者なのです。そのことを書くことで発見し自信がでるでしょう。これがあなたの尊厳なのだ。これを大事にしましょう。そしてして途中経過を知らせてほしい。と話ししたら、たしか何か月か後に「500まで書きました」という知らせのメールがあったように気憶している。

だから僕は印象にのこっている。またお爺ちゃんといっしょの写真も送ってきたような気憶がある青年だったように思う。

どんな事故になったのか残念でならない。

早速お母さんにお悔やみのメールをいれておいた
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by akinishi1122 | 2016-04-17 09:55 | 旅行 | Comments(0)

2000年オーストラリヤの旅

2000年5月22日 オーストラリヤ・パースの旅

朝食はバイキング、佳子は朝食は普通とらないが、バイキングだったら何でもあるから、好きな物がなければ食べなくてもいいではないか、と誘った。
パース市内観光は10時出発というので、楽な行程だ。ホテルでゆっくりできて疲れないようにしてあるのかもしれない。
ここ西オーストラリヤは冬に入った時期で、冬は別名雨季ともいうらしい。そして雨が降ったら寒くなるらしい。季節については日本と逆だ。
目覚めたのが5時半ごろだった。雨が降りだしている。ホテルは808号だから相当高いので窓から下を向いたらひどい風もあり、雨風が共にきた。
今年はまだ雨がないと言ってたのでこれが初めてのようだ。
バイキング朝食が終わる頃は大雨でしかも横なぐりのようだ。
朝食はトーモロコシで作られた小さな破片みたいなのに牛乳をかけシャブシャブにして食べる。これは信顕がよくやっていて名皿いっぱいにとった。さすがに物足りないからベーコンとソーセージを追加でとった。
佳子は果物とヨーグルトだった。部屋に帰っておにぎりが残っていたから佳子と半々にして食べる。
大雨だったので出発までにホテルで用意してくれた傘を借りる。この傘は骨が網のようにいっぱいあって丈夫にできている。日本のは直ぐ壊れる仕組みで、安いから消費材と考える創りかもしれない日本は雨の多い国だから考えられたことだろう。
ここの傘は実用的で壊れないようにしなければならないのであろう。

10時10分発で約10分ほど走ったらキングスパークに着く。ホテルからかすかに見えていた小高い丘にある。ユーカリの並木、しかも大木である。ここは数年前火事で焼けた木々がた芽をふいてきている。幹だけが黒いのだが、ユーカリは皮が焼けても中から水分を枝葉に送り再生するらしい。こんな木も珍しい。
丘の眺めは素晴らしい。スワン河と島になっている。両岸を見下ろした地形だ。記念撮影を皆でそれぞれ写して時間をかけて値打ちのある美しさだ。それに雨。うちは撮らなかった。
ハワイの海岸を思わるせるホテルと中の島をプラス河と組み合わせた感じの公園からの眺めである。
モンガー湖まで走ったらスワンがいた。アヒルの大きなものでしかも黒い。現地案内人の桑野さんが食パンをもってきていて各人が餌として与えてくれた。
すると一杯寄ってくる。アヒルの口と同じで、ぱくついてもギザギザがある程度で痛くない。直接手でやっているのは僕ぐらいだったようだ。皆やはり怖がって投げて与えている。
鴨も名前も知らない鵯ぐらいのも、カモメもいっぱい寄ってくる。
スワン河は西インド洋の潮水だから段々ンスワンはいなくなり、上流になるとモンガー湖に上がってきたらしい。
ロンドンコートという高級住宅街をバスで走る。治安が良いのだろう垣根も柵も無い。水辺に面した土地を離れた土地とは数倍値段の差があるという。やはりヨットを繋ぐだけの違いである。
オーストラリヤは日本の面積の22倍で人口は1700万、日本の8分の1、土地は西オーストラリヤ州だけで日本の7倍あるという。
エリザベス女王の代理が棲んでいる家もこのロンドンコートだ、そしてパースは兵庫県の姉妹都市だそうである。
25階建のビルができて日本の鹿島建設が建てたのだが、30%が借手がないほど不景気で停滞しているようだ。庇の着いた客室になっていて、日本にはない太陽の国にあうように建てられたのだが、個々の風俗はパーチーをよくやるが招待された人は自分の飲み物は持ってこなければならないという。招待する側はパンやサラダラダだけ。肉などバーベキューはお客持が持参するという。だから主催者も気楽のようだ。そこではあ話すのが主な目的というから、長く続クコミユニケーシヨンを楽しむということで、本当の付き合いができるのである。
もう一つ面白いと思ったのは、家は新築より古い家を買って修理して住むのが誇りというし、高くつくらしい。日本では高くつくというのは当たらないが誇りに思うというのは部分的には理解できないこともない。どうでも理解しにくい面がある。第一大土地の値段が違う、環境が違うという条件が日本と根本的に違うからであろう。
 イギリスから来たという囚人が殆どだったというから、囚人んであったということを隠そうとせず、むしろ生粋位のオーストラリヤ人としての誇りを持つ人が殆どらしい。
1850年代はここに入殖させるために罪人を国策として作るほどだったというから」今日の罪人と言う認識とは大分違うようで、彼らは被害者であったとさえ思っているからである。だからこれらの認識は歴史の批判として正当性があるのかもしれない。
 夏の暑いときで、45度で、夜は3度ぐらいに下がるというから極端である。
電車に乗る時のチケットの制度もかわっていて、買う時の2時間先の時間が刻印されて、その間は自由に乗降できるらしい。物の考えかたが、距離ではなく、時間単位で考えるというのは面白い。 またここは地震や台風がないためきわめて民家の建築が簡単だ、ブロックの積み上げに鉄筋が入っていなくてもいいらしくだから早く安くできる理屈である。
 車の通行は日本と同じでハンドルも同じ、違うのは、ナンバープレートが数字でもよし名前でもいいという。
土日しか開かれてないフリーマントル街に連れてもらった。人で賑やか、野菜果物骨董品、衣類など一杯だ、ここでカンガルー毛皮を2枚買う。僕は山歩きのお尻に敷くのによかろう。日本円にして3500円ぐらいである。
佳子はスパゲチーの掴む鋏のようなのを買っている。80セントだから安い。日本円で60円ほど、ステンレス製なのに安い。
大学生は授業料が安いから、親の援助をうけずに自ら学費を払うのが普通という。ベビーシッターや皿洗いなどで払えるぐらいの学費らしい。大部分が国立で勉強が好きな人しか行かなく試験も高校の時の点数で学課や専門が分けられる、定数よりも成績で合格人数がきまるというから、年によってアンバランスの学生数異なることがあるらしい。
僕はこれは合理的だと思う。
 学校を卒業しなければよい会社に就職できないといった日本と違うのがいい。失業しても失業保険が誰でももらえ、就職しなくっても失業保険がもらえるとはなんと国民を信用していることだろう。日本は失業中に少しでも仕事や収入があれば失業保険が中止されるというのは国民を信用してないからの制度のようだ。やたら競争意識をもやさなくても週に140ドルもらえるという。
学校は10年制で大体中学をでると親から独立する人が多いという。世間体とか生活出来んあいとか気にする必要がないから勉強しなくてもそれが生きることの妨げにならないいとは、その人々が個性て生ていけるかもしれない。
 われわれのガイドの桑野さんは高校で日本語を教えていたが、勉強をあまりしない生徒も多いので嫌になったこともあったという。
3時にホテルに帰着、それから自由行動だから、免税店の方に歩いていく。ホテルの坂を下りスワン河岸を通って街へ。今日は日曜だから殆の店は休み。20分ぐらいで商店街についた。何も買う物は無く中華料理をいっぱい買ってきた。ホテルで夕食したが余ってしまった。暑いしビールは部屋の冷蔵庫の分を飲み最後におにぎりの残りを食べたらもうお腹いっぱいになった。部屋を移動しないいのがいい。疲れがでないように6時半の床についた。こんなゆとりの旅が良い。


2000年5月23日() オーストラリア旅行(月)(2)

朝0時30分に目が覚めたのは昨夜が速かったからだ。それからトイレに2回立ち、最終は5時半だった。昨日の日記を書きはじめたが、この日記帳は僕の字がはみだしてしまい書きにくい。

2時間ちかく書き進んだところで、出発の「時間を間違えて佳子を起こしてしまった。7時15分。

モーニングコールが7時45分であった。メモが昨夜遅く部屋にいれてあったのを読み間違えて(出発だと読んでしまったのである)悪いことをしてしまった。佳子はぐっすり眠っていたのにである。

今日も朝から雨である。バイキング朝食に佳子を誘ったが食べたくないという。一人降りていったら、われわれのグループは誰も来ていない。外人ばかりだった。

外は風が強く傘さしている人が多い足も急ぎ足なのは雨風だからであろう。バナナを手に持って歩いている人がいる、日本ではこんな風景はみることがない。食事にパンは止めてコーンフレークにした。これがあっさりしていい。

9時15分ホテル出発、約15分でスアワン河観光船出航場、ここで全員の記念撮影、4~5名のゴルフを除いて全てこちらに来ている。

相互信用金庫の別のツアーがシンガポールから着いて合流した。こちらも30人ぐらいだからたいした旅行を企画してくれたものだ。

スワン河は平均水深2mというから、たいへん浅い。曇り日で風もあり雨もある。メインコースにしては、残念な日和にあった。

岸と水際との土手が石やコンクリートがなくて緑そのままがいい。日本はどこえいっても護岸がコンクリートになっているから、ここにきて自然の河に出逢えたことになる。

昨日は大雨で、水嵩が増え橋の下が通れなくなり、急遽バスを呼んで乗り換えになった。

100年前のレンガ造りの美術品を集めた家を観る。丁度長崎のグラバー邸の感じ、長崎とおなじぐらいの歴史しかないのがオーストラリアであろう。

昼食はワインの生産地で試飲させてくれた。買う人もある。僕も佳子もワインは飲間ないから感激というものはない。

夜は7時から9時までパーチー、この時初めて人々がどんな人達だか知ることになった。自己紹介するなかで、三和貿易という二〇年くらい前仕事を頂いた社長がいた。昨年僕がキューピクルを勧めた社長夫妻は知っているひとであった。それも自己紹介したから思い出だしたという程度の人だ。

このお別れパーチー中もずっと雨と風で台風のように荒れている。だからすっきりした バースにはめぐりあえなかったことになる。

今日ゴルフに行ったメンバーは雨にやられて、明日も降られたら着替えがないと言ってるひともいる。また別の人は、ゴルフ場にカンガルーがでてきてウロウロしていたから想い出になるといっている。

このパーチーが終わったら、カジノに行く人を募集していたが、大分が手を上げていた。どうも僕にカジノはなじめない。部屋に早く帰る。それでも風呂に入って寝たのは一一時になっていた。

2000年5月24日オーストラリヤ旅行(3)

8時45分オーストラリヤ自然動物園に向かう、コアラとかカンガルーがオーストラリヤだけにいるから、その動物園だ。自然に近い環境で見せるというのが本来の動物の姿が見えるのだからいいことだと思う。途中のバスで林を観ると山火事で木の幹が焦げている地域がある。殆どが過去に山火事があったという形跡があるということは、山火事が多いということであるらしい。地面は焦げているのに、ユーカラの木は新しい芽を出しているから、一過性の火事にユーカラは強いようだ。いつだったかテレビで、山火事がなかなか消えなくて1週間続いたというニュースを見たことがあるが、ここオーストラリヤは雨が少ないから山火事が多いのかもしれない。

動物園の樹木も焦げている、その時カンガルやコアラはどのように保護されているのだろう。

ガイドの桑野さんが、オーストラリヤの社会生活を説明してくれたが、夫婦は殆ど勤めていて、家事の料理は夫が作るのが多く、作らないほうが皿を洗う。また庭の手入れも夫の仕事、そして離婚率は世界で最高水準だとのことだ。社会保障が徹底しているし育児や、妻の収入も男女平等だから気軽に比較的離婚がし易いのが原因のようだ。離婚の場合の財産の分割は完全に50%という。

オーストラリヤの開拓初期の頃の集落をモデルにしたところに入ったが、歴史が浅いので建物はそんなに独特の物はなく、今でも見られる平屋である。砂金を掬う仕事場でみんなもやってみたが何も採れないから仕事の体験だけである。でも昔は河に砂金があったということである。

1時に河の上のレストランで伊勢海老の昼食、それが蒸してあるし、御飯や漬物がないからやはり伊勢海老だけでは日本料理という味も感じもでない。

3時ごろ買い物に案内してくれた。免税店の周辺でみんな買い物をしている。家はケンドーンという若者に人気があるらしいTシャツなどをたくさん買った。日本には未だないから土産には喜ばれるだろうと佳子は知っていた。

土産はこの3日間で7万円ぐらいかっているようだ。理香が餞別に5万くれていたから他に2万ぐらい買ったのだろう。

椅子座布団のコアラと、カンガルーの絵が刺繍されてある5枚、その他はコップの敷物5枚などである。理香にはペンダントでコアラがガラスの中に金でできているのが110㌦だった。信顕にはTシャツでウインドに飾ってあったのを100㌦で買った。

パース空港発22時10分

夕食はホテルの近くの中華料理店でラーメンを食べる。ゴルフ組は10人だった。


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by akinishi1122 | 2016-04-17 09:50 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

4月16日

炊き出しに被災者の列春の夜 熊本の大地震で16万人の避難者の炊き出しを待つ列が夜中まで続く


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by akinishi1122 | 2016-04-17 08:27 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

4月14日

妻と書く嫁誕生祝言葉 今日は嫁の誕生日、妻も書いたらしい祝いのことば

4月15日

熊本城破壊せり春地震 昨夜からの熊本地震が熊本城を破壊しまだ夜まで続きている


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by akinishi1122 | 2016-04-16 23:21 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

4月11日

庭手入れ風邪と腰痛去らいけり 庭で汗をかけば、風邪も腰痛もなくなっていた

4月12日

アベ政治許さぬ看板花曇り 全国に「アベ政治を許さない」の看板とデモが全国に

4月13日

物忘れ一つか二つ菜種梅雨 出かけると何か一つや二つ忘れ物の
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by akinishi1122 | 2016-04-14 10:45 | 俳句 | Comments(0)