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70歳の語学留学1年生(14)


2005年7月24日(14) カンタベリーLeed城
朝から少々気まずさがでた。昨日気付いたのだが、バスの時間が日曜は始発9時05分という。昨日僕は帰宅が早かったかがLeslyは10時になっても帰らない。だから、サーバントのMariaにLeslyが帰宅したら、明日は僕は8時15分のポリスステイションに集合のエクスカーション旅行だから、タクシーの手配を頼んでくれと伝言していた。ところが6時20分過ぎて、タクシーの手配は済んでいるのだろうかと、Mariaを起こしたら、自分が起きている間にLeslyは帰宅しなかったから伝えていないという、困ったことになったから、仕方なくLesly を起こしたら、機嫌がわるいことが人目でわかる。昨夜は遅いし、今日は日曜だし、ゆっくり寝たいだろう。それに今までになく早く起こされる。条件がそろって悪い。普通でもなにも事情がわからなければ怒こるはずである。でもそれはわかっていても、僕にしてもタクシーを呼んでもらわねば、初めてのエクスカーションに一緒に旅ができないから、覚悟の上だった。予想通りである。まず僕の要件を聞く前から、階段の足音が高い、ドアーを閉める音がひどい。それからおもむろにタクシーを呼んでくれた。
僕も面白くないことだったが、前からの準備をしておかなかったことと、日曜日のバスが朝は遅く動くとは知らなかったのだから、勘弁してもらうしかない。
帰宅して、いつもの通り大きな声で「ハロー」と言ったがいつもの笑顔とは違うからまだ不機嫌のようだ。これも文化の違いとして自分に弁解しておきたい。僕は普通の態度で努めて振る舞うつもりでいる。でなければ、ここに住みにくくなる。原因は僕にあるのだから、僕がここの生活習慣に慣れるしかないのである。
バスの出発は他校の学生も一緒だから大型2台だ。3時間ほど走って、カンタベリー寺院についた。非常に大きい寺院、大僧正というなまえは記憶があるし、古い建物だし、名前はよく聞。代々の僧正がここに眠っていて、その彫刻が棺の上にでている。石積で50mぐらいある天井の高さのドームで、1000年ぐらいも崩れないでいる。すごい建築技術である。バスを降りてから2kぐらい歩かねばならないが、一行とは別に食事をしたから、集合時間に遅れてはいけないと早くバスに帰ったらくねくねとした道だったがうまくたどりつけた。
そこを出発してから、今まで隣にいたのがアルゼンチンの学生と分かった。僕に話かけてきたのは日本人で東京大学の3年だという。僕が電子辞書を開いていると自分もそれを持っているから日本人と解ったという。佐藤一樹君、両親が学校の教師をしていて、ほぼ僕と同じ時に日本を出発し、同じ頃帰国するという。かれはケンブリッジから30分ぐらい離れた学校らしい。このバスには途中で乗りこんだらしい。
彼から、帰りのバスの中でホットメールのつなぎ方や携帯電話の発信の仕方を教えてもらった。うまくいくだろうか。これまで何人かの人に習ったのだが、いいところまできていながら、パソコンにつながらない。
今日由希さんからメールが入った。励ましやら子供たちは元気に「していること、そしてまなちゃんが便秘で、綿棒で二人がかりで助けてやっていることなどだ。由希さんには僕のメールが繋がったらしい。
 午後からの見学はLedds城であった。1100年代に出来た城で平野の中に湖があり、その中に建てられている。あまり高くはないが、古い建物だということがひと目でわかる。とんがった屋根でなく、平たい屋根に煙突が数本あるといった感じ。昔汽車を遠くから見たような感じに似ている。高さは4階ぐらいだが、これも1000年近い歴史をよく耐えているものだ。歴代の王様の2代目ぐらいから絵が残っている。驚いたことに、3分の1ぐらいは女帝である。イギリスにはこのような伝統的に女帝を容認する風土があるかもしれない。たしか日本も縄文時代、弥生時代までは母系家族であったということを京都大学の建築学部の上田教授の発掘で分かったと読んだことがあったものだ。だから歴史の流れでは文化というのは子育ての女性が定着して文化を発達され、それが武士階級が争いで力を持つに伴って父系家族になったのかもしれない。
城からの眺めは湖水と平野がゴルフ場のように、綺麗に手入れされていて、築城時の古木が今もポツポツと聳えている。屋久島の屋久杉とほぼ同じ年輪のようだから、幹もあの屋久島杉とほぼ同じ太さである。そのようなのが数本あるのは、環境がよければ、人間の20倍ぐらいは生きれるということであろう。
全体が公園になっていて、鴨やガチョウ、孔雀がいっぱい歩いている。入口に突然孔雀が現れたからビックリし、哺乳動物かと思ったぐらい大きい。
ケンブリッジから3時間ほど走ったところだが、途中に大きな船が繋留されていて、河になったところがあったから、海の近くに違いない。どこらあたりを走っているか、大きな地図が無いから解らない。運転手も説明してくれないし、自分で想像するするしかない。途中で乗りこんだリーゼントスクール学生が15,6人でアルゼンチンと佐藤一樹の学校をあわせると40人のバスになった。佐藤君は東南アジヤやタイにボランチアに行ったことがあるという。大学は教養学部で、1年の時英語が週10時間ぐらいあり、外人教授だったから、随分役に立ったという。今いる学校は全員寮生活で、各国からの学生といっぱい友達になり、楽しくやっているらしい。
外国旅行は、日本でのしがらみがなく、のびのびできるから、良いというのは僕と同じ認識である。年齢差を気にせず、バスでずっと話すことができて若返った。途中で彼が降りる時慌てて自分のアドレスを書いてくれ、メールくださいと言って別れた。僕メールは知らないから、僕が忘れないように送らねばならない。僕の携帯電話を写真に入れてあるから忘れないようにしたい。
ケンブリッジに到着は、8時頃だったので、夕食は降りた公園の近くの中華で食べた、ビールを飲む。この店は立派な店で感じもいいから、明日も昼食はここにしよう。学校からバス停で3つ目だからそんなに遠くないし美味しい。

今回の旅で補聴器を新調してよかった。兵庫医大で測定してもらい、店も紹介してもらったから、耳に入れても自然の音にちかく、大成功だった。耳の中に埋め込みだから、外からもほとんどわからない。両耳にいれているから、遠近間隔も選択してくれ、自然の耳に近くなった。やはり時代は進歩しているものだ。耳に入れてからコンピューターで調節してくれる。ただ器具を入れるだけでなく、耳に合った周波数というのだろうか。又時々調節に来てください、調節します、といってくれ本当に良い補聴器にめぐりあえた。お金も大分たかかった。

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by akinishi1122 | 2013-12-31 09:35 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

年の暮今年も山へ30回  病を撃退の気持ちで山は続けるつもり
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by akinishi1122 | 2013-12-31 09:30 | 俳句 | Comments(0)

2013年12月の俳句

2013年12月の俳句日記

2013年 12月 01日
うっすらと冬の雑草揃ひけり  庭に冬の雑草が出揃う、冬の草は土を這うように小さいが緑は新鮮だ
2013年 12月 02日
十二月もっと読みたしひさし本  井上ひさしが生きていてくれたら、どんなに励ましの言葉を教えてくれただろうに。(特定秘密保護法について)
2013年 12月 03日
寒き世やデモ請願をテロと呼ぶ  政権党の幹事長がデモをテロと同じだとブログに書いている、「秘密保護法」の本音であろう
2013年 12月 04日
まさかとは思いもよらぬ癌告知  12月3日検査の知らせを聴く淡々と告知されこれからより)いっそう充実した人生を送れと告げられた思いだ
2013年 12月 05日
見え見えの口封じ法寒国会  「特定秘密保護法」は国民の目と口を塞ぎ国民を監視する法律であることが審議するなかで見えてきた、これが今日明日に強行採決されそうな雲行きになっている
2013年 12月 06日
保護法や世論恐怖に寒立法 世論の反対を押しきり逃げるように成立させた「特定秘密保護法」を可決した
2013年 12月 07日
暗闇に走りだす日や山眠る  6日深夜に参議院で「特別秘密保護法」が可決された。自民、公明だけでの賛成、採決、国民を監視し、国民主権の憲法を政府が主権へとに68年前の道へ突き進んでいく
2013年 12月 08日
新型のストーブ思いがけなく届きけり  息子が我々老人に安全な電気スt-ヴとして届てくれた
2013年 12月 09日
出版祝ポインセチヤの植木鉢  文学会で出版祝いをしてくれ、ポインセチヤの植木鉢をいただく
2013年 12月 10日
冬衣装てまどりして病院へ  病院へも冬の衣装は手間取りながら出かける妻である

2013年 12月 11日
「秘密法」句会にそわぬ師走かな  我が俳句会は時事俳句は避けて通る雰囲気である
2013年 12月 12日
今年風邪律儀に妻は受けにけり  冬に入ると毎年風邪になるのだが、その風邪を妻がひきつぐのも恒例のようだ
2013年 12月 13日
大根煮や病の過ぎし夕餉かな  熱々の大根煮を家族で食べる夕餉が2か月ぶりに戻ってきた
2013年 12月 14日
出版の縁がとりもつ年の暮れ  大阪同友会の副代表理事が出版祝いに訪ねてきてくれた

朝掃いて夕方も掃く落ち葉かな  ビヤクレンの葉がここ2,3日一斉に散りはじめている
2013年 12月 15日
冬蒲団足のぬくもり夢に入る  今日から冬蒲団になった、新しく夢も描ける悦びもできた
2013年 12月 16日
癌に生き検診朗報待つ師走  明日が検診結果を待つ日になったが、前立腺癌は多いことで、励ましの話が多いからそれを期待している
2013年 12月 17日
冬ざれや転移無き癌笑顔かな 癌の転移がないことが知らされ、我が家に笑顔が満ちた
2013年 12月 18日
なりわいもからだも明かり年の暮れ 44期の決算が好調で、気にしていた身体も世間並の診断で年の暮れになりつつある
2013年 12月 19日
娘の話年末調整聴きにけり  会社で全社員に年末調整の説明を娘がしていた。人前で話す娘を頼もしく思う
2013年 12月 20日
風邪治り次は癌退治の旅にでる  冬の始めの風邪を治めたので、次は前立性癌を退治の長期の挑戦になる
2013年 12月 21日
ふるさとのお寺さんより冬便り  旅日記の愛読のお礼にと里のお寺さんから冬の花咲貝が贈られてきた
2013年 12月 22日
歳暮買う病いの妻が活き生いきと  電車で歳暮を買うためにでかけていった。帰宅の顔が活き生きとしている。
2013年 12月 23日
腰痛やようやく治り年賀状  腰痛が中国整体で直してもらい、年賀状に精をだす
2013年 12月 24日
碁に負ける聖夜の客となりにけり  孫娘の碁の相手になるための聖夜のパーテイに招かれる
2013年 12月 25日
目をつぶりサンタの贈り物受けにけり  二人の孫娘はサンタからのプレゼントをうやうやしく頂いている
2013年 12月 26日
この頃の暴走安倍や冬木立  普天間基地を金と脅しでおしつけるやら銃弾を提供するやら、憲法破壊の暴走で寒気がしてくるが、寒気ばかりでなく、終わりの始まりもみえだして、支持率50%を割ってきた。
2013年 12月 27日
孫たちはジジババの家餅つきに  孫たちは年末ジジババの家に餅をつきに行くのを楽しみに出かけ
2013年 12月 28日
政権の終わりの始まり去年今年  新しい政権ができたがもう毎日が崩壊に進む世論と反対のことばかり、もう先が見えてきたようだ
2013年 12月 29日
お正月竹馬つくり丈競い  子供の頃は自分で竹を切り竹馬を作り背丈をきそったものだ

2013年12月30日
思うままにさせまじと年の暮れ  秘密保護法、沖縄基地、TPPと、靖国参拝とまるで67年前の子どもの頃に似てきた

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by akinishi1122 | 2013-12-30 20:02 | 俳句 | Comments(0)

70歳の語学留学1年生(13)

2005年7月23日(13)(土)ロンドン観光
市バスの運行が土日は遅くから運行するのを知らなかった。平日と同じ時間だと思ってバス停に行ったら間隔が30分ごとになっている。これでは明日集合が8時15分なのに、タクシーしかないことになる。ここの始発も9時05分というので、バスでは間に合わない。今日は自分の計画だから、遅くても良いが、明日はタクシーしかない。
ロンドンのキングスクロス駅が中央駅と思うが、ここで市バスの一日のフリー券を買った。案内に尋ねてこれが良いことを知った。先日ロンドンに来た時、地下鉄の 爆破の見舞に埼玉の消防士が日の丸の国旗を奥の木に掲げていて、それに敬礼している姿を写真に撮ってくれと頼まれ、写してやったが、たくさんの献花や、手紙が供えてある。そしてまだまだ献花が溢れて絶えないようだ。片平という消防士さんだったが、消防士の制服であった。日の丸の旗は今日もまだ残っている。おそらく、日本人もたくさん見ることで、印象深く見てかえることだろう。
わざわざ埼玉の人が、しかも消防士だから職業としても自分も思いが重なるのであろう。
市バスの一日のフリーが14£だから、2800円、これは一日としては少々高いように思うが、タクシーに乗ることを思えば安いことになる。実際に使ってみると、中々便利である。どこでも乗り降りできるから、間違っても平気だ。どんどん知らないところを発見できるので、僕には価値がある。
ロンドンブリッジと聞いて行ったら、違っていた。タワーブリッジというのがあの有名な橋だったのだ。だがロンドンブリッジも大きいし、見どころがある。テームズ河幅は1000も無いが、それに近い幅である。軍艦も停留しているから、海が近いのであろう。橋げたも高いのは、大型の船のマストより高くなければならないからだ。
急いで乗り替えてタワーブリッジに着いたが、初めは気付かなかった。なんだ、明石大橋入口みたいな橋だな、と思っていたが、歩きながら上を向くとどうやら、これは古風だぞ!と思い石が積まれて塔になっていて、高いのに驚く。
知らないまま、カッコイイ橋だと写真を撮ってもらったのが、台湾人夫妻だった。日本人と同じ顔だったので日本語で頼んだのに「ワタシ、タイワンです、私も観光できています」といって気持ちよく撮ってくれた。「私は語学研修にきています」と英語で言ったら、なかなか良い発音ですよ。と褒めてくれた。第1号の人であった。話も通じるし、この人はニューヨークに10年もいたという。この夫妻と橋を歩いた。
テームズ河に降りてクルーズに乗ろうと船着き場にいったとたんにビックリした。あの写真で遠くから見たタワーブリッジではないか。その下を歩いていたら、大きな建物が川の上にできている。というぐらいにしか思っていなかったのに、これは遠くから見るのと違い、どえらい大きさだ。そしてこのタワーの上を人が歩けるという。これは観光ガイドに案内されずに自分でバスに乗り継いできたから、全く気付かない感激を自分でつくったことになった。この橋は此処を先にみて遠くから眺めるのが実感を味合えると思う。自分では気付かないままで大きなビルの下にいたようで、実はこれは橋だったのである。
テームズ河のクルーズに乗る。すごく観覧船が多い。そして先ほどまで上から下に流れて護岸の方では貝を掘っている人がいっぱいいたのに、もうどんどん水が走って上がっていくではないか。すごい速さの水ののぼりである。浮遊物が反対の方向にながれて登る。大阪の淀川では見たことのない水の動きをみた。
ここテームズでは、地球の動きが身近に見える。干満の高さがわかるのは護岸に4,5mの青海苔が生えているからその差が解る。
ところが、この水は泥水である。上流からいつもこの色が流れているから、もうテームズの色とこれに決まっているので、それが似合っている。これに真水の海水であれば、誰もテームズのイメージに感じないかもしれない。これがテームズらしい品格とでもいえる。
ビールを飲みながらのテームズクルー、そしてマイクを持った解説者が、また変わっている。黒のTシャツだ。そして足を投げ出して、足を組ながら、おおきな声でキョロキョロしながら話す。日本の観光ガイドだったら、誰かがすぐ会社に批判の声でもいれそうな態度である。日本はお客さんにどこのガイドでも礼儀が共通しているのである。
乗客にたいして帽子をまわしチップを要求してまわるのだから、こんな態度はなかなか理解しにくいものだ。着いたところが、ビッグベン、あの時計台のあるビルである。ここは議事堂らしいが、えらい古風で、ここで、あのイラクへの参戦が決められたのだから、今回の戦争もアメリカと共同だから、ホワイトハウスを思い浮かべた。
ブレア首相の顔とこの古風な建物は似合わない気がする。そして労働党というのだからなおさら、この建物とはにつかわない気がする。いずれにしても、こんな古い建物で近代の生々しい政治判断が決められていくのが不思議だ。
ここから歩いてもそんなに遠くないところでバスに乗ったら、えらい行列である。古い寺院だな、と思い降りた。そしてウエストミスター寺院か?と聞いたら、そうらしい。表の入り口にはとても行列が長くて入れないから、裏口にまわったら、門番がいて、逆方向には入れない。だから写真だけ通行人にとってもらった。
カメラは婦人の二人ずれに頼み、その中のひとりとも一緒にはいってもらうことで記憶に残るようにしている。
次にもまた大きな寺院の人だかりだ、報道写真のようだから、下車して今度は中にはいってみた。すると結婚式だった。100人ぐらいは入っている。黒人が殆どであった。相当名のある人でなければカメラの放列はないだろう。
車に大きな結婚する人の写真が掲げてあり、黒人の男前だ。中に入ってみたら、新婚の夫妻が、えらい長い挨拶をしている。おそらく両方ともタレントではないかとおもわれる。振る舞いが慣れている。式の最中に日本の顕から電話が来たので慌てて外に出た。
次はバッキンガム宮殿だ。その前にトイレに行きたくなりケンタッキーに入って食事を済ませた。ウエイトレスがトイレまでついてくる。服を預かっておきます。と出るまで待つのである。僕にしてみたら、きぜわしいのに、何かを警戒するためなのだろうか。やはり、列車爆破があったからなのだろうかとピリピリしている感じである。ケンブリッジとえらい違いだ。
バスに乗ってバッキンガムは近いといわれていたが、それらしいのが見えなくなり、郊外まで来てしまった。その途中で、奈良公園の10倍もあるような大きな公園がある。聞けばこれが有名なハイドパークであった。行き過ぎて逆戻りしてやっとバッキンガムに着いた。ここは来たことがあるから、見覚えがある。こんな人だかりがあるのをエロザベス女王は奥の奥にいて、ただ日本の宮城と違うのは、堀がなく、平地にあり大分違うようだ。この前日本国憲法を学んだ時、知った。ポンド札の表に顔が出て皆知っていて馴染があるはずなのに、ほんの近くまできても、バッキンガムを知らないという人がいるから驚いた。
僕の撥音がおかしいのかもしれない。バッキンガムキャッスルと言ってみたり、クイーン、エリザベス、キャッスルといってみても通じないのである。
名物は衛兵の黒の帽子に赤の服、それに時間がきたら、機械人形のようにパッパッと両側の門が寸分たがわず動きだす荘厳さだ。静まりかえった中に突然この動きがあるから、皆が注目し絵になる風景だ。まるでオモチャが動きだして、オモチャの兵隊という表現が似合う。
イギリスで感じることは、日本人のような顔をしていても殆どが中国人や韓国人が多いと気付く。今中国がどんどん外国に学びに来ていることは、日本の開国時にヨーロッパに学びに来た若者のあの意気込みと同じではないだろうか。これは、きっと中国は世界を動かす国になるような予感がする。
随分日本人も外国に行っているように日本にいるときは感じていたが、世界の動きの中での日本人の比率はこんなに少ないものだったのかと知った。
今、日本は世界一と思っている人が多いが、未来については、もう中国に追いつき追い越しが確実に始まっている。僕が持ってきた土産の扇子、電子辞書、鍵、ホルダー、人形
など、皆中国製であるようだ。だからクラスの隣の崔さんにプレゼントするには気がひけた。
今日話かけた日本人らしい人は、皆中国人であった。日本人は一人で行動するのでなく、集団で観光したり、観光名所にたくさんいる。個人での行動があまりないのが日本人の共通する特徴かもしれない。集団の中にいなければ落ち着かない。人と同じことをしていなければ落ちつかない。みんなと同じことをして満足感を持つというのが国民性になってしまったようだ。
明治以来この流れが学校教育で仕組まれ、みんなと同じ人間作りされて、戦争に突入し、みんなと同じ教育目標を持って、良い学校、良い会社、良い軍人へ向かって殺到し、国民が同じ価値観を持つことで、戦後も10余年前まで成長してきた。そして、物は確かに豊富になった、だが一人の人間としての心の豊かさは、果たしてあったのだろうか?外国人の毎日の生活に接することで考えさせられる。
どこにでもある笑顔や語らいがあるが、日本に語らいの集団がみられないし、笑顔というのが日本にはないに等しいと思う。
個人が幸せに生きていること、自分のために生きることでなければ、不安を秘めた生活は悲しいのではないだろうか。
これには、ヨーロッパは国境が接し、いつも国家が分断され一緒になったりし、国支配者によって右往左往させられてたまるかという考えができて、個人の尊さを守ることが実現したのだろう。
家で、今日はLesly は夜遅くまで外出していたので、Mariaと二人だけになった。いろいろ聞いてみて、彼はルーマニヤで大学を出て一度も就職できなかったという。経済学を専攻したのだったが、仕事がないのが今ノルーマニヤらしい。社会主義の国であったのだが、経済を学んだ人達がこうやって、外国に出稼ぎにでているという。スペイン、イタリヤ、ギリシャなどが多いというが、これは一体どうゆうことなのか?
将来は他国で仕事をしたいと思っているということは、ルーマニヤに未来はあるのか?とう東南アジョヤの人々が日本に来ているのと同じ現象がヨーロッパにもある。物の動きだけでなく、人の流動が商品化されているのは、まさにマルクスが予言した通りである。
これが地球的視点でみれば見ればやはり進んだ国と遅れた国の国際分業か格差分業である。
レーニンが帝国主義論で予言したのが一国だけでなく、世界的な動きが必然的になるのが資本主義である。日本で言えば過去に武者小路実篤が「新しき村」を作ったが失敗したのは、彼が社会科学的な物の見方でなく、単に空想的な社会ロマン慈善心を持つて実験しようとしたたからであろう。それに似たようなルーマニヤでもまだ社会主主義が模索の段階でソ連にしても社会主義とは言えない社会で、模索と失敗での中で育った彼は気の毒なような気がする。
マルクスの理論から生れるはずのない個人崇拝や物事の変化発展を一人よがりで解釈し、市民の本当の願いとは離れた観念論といういわば逆の政策の犠牲者ではなかろうか。Mariaはその具体的な体験者として僕の前に現れてくれ、気の毒なような気がする。

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by akinishi1122 | 2013-12-30 09:57 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

思うままにさせまじと年の暮れ  秘密保護法、沖縄基地、TPPと、靖国参拝とまるで67年前の子どもの頃に似てきた
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by akinishi1122 | 2013-12-30 09:50 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

お正月竹馬つくり丈競い  子供の頃は自分で焚けを切り竹馬を作り背丈をきそったものだ
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by akinishi1122 | 2013-12-29 10:34 | Comments(0)

70歳の語学留学1年生(12)

2005年7月22日(金)(12)若い女性が教師をボイコット
昨日コピーした写真100枚ぐらいを、それぞれの学生に分けてやった。大変喜んでいる。まだデジカメを持っている人が少ないようだ。午後の授業で、若い男性教師が要領得ない教え方で、授業が下手でちゃんと話しせずプリントに書かせるだけだけなので、アラビックの女性たちが私語が多くなった。すると教師が「私が抗議しているのに、静かにしなさい!」といったものだから、「それだったら、ちゃんと解る授業をしなさい!」と若いゼイナブとアイシャチュが席を立って教室を出ていってしまった。するとセクレタリーが上がってきて、教師を呼び、廊下に呼び出して何か注意したようだ。するとこの若い教師が泣き顔に なって戻ってきた。あの二人が厳しく抗議したのだろう。若い二人の行動の早いのに驚ろいた。彼女らは授業をちゃんと受ける権利があるとでもいったのだろう。なるほど言うべきことは日本と違い権利として行動するようだ。僕も感心し、なるほどと思う。僕にはやはり出来ない行動である。日本では教師に対してこのような行動ができるだろうか。
考えてみると、彼女らの行動は僕も心の中で共感しているのである。
彼女等の言っていることはよくわかる。たいしたものだ。そう思うだけで僕には行動できないことで、大いに学ぶことになった。
この32歳の男性教師は教えることが下手でプリントをなぞっているし、声も小さいし、第一情熱がみえない。僕も物足りないと思っていたのだが、僕の出来ないことを彼女等が行動してくれた。ことの発端は二人でやりとりする場面で、人数うが端になったので、一人と教師がやりとりして他の生徒をほったらかしていたから、私語が大きくなり、みんなすることが無くなっていたからだ。それもちゃんと他の生徒同士やりとりしなさい、と言っていればそんなことにはならならなかったのである。
おそらく解雇を言い渡されたのではないか。
日本では考えられない風景である。生徒は授業を正しく受ける権利があるという行動であった。
午後の授業はアブダビとドバイの3人、16~19歳は欠席している。中国女性も午前中だけだ。ドバイの少年の中にスターンと云う名がいるが、スターンと云うのは王様という意味らしいが、王様と関係があるのか?と聞いたが、全く違うという。良い名前だな。と褒めてやったら胸を張って喜んでいる。
中国の雀君鳴さんの会社のホームページを見せてもらったら、やはり鉱山の何かの部署のトップの名前が並んで彼女も出ていて、そして鉱山の他の部門のトップの名を連ねているのが自分の旦那という。職場結婚で二人ともトップの経営者なのである。
帰りにバスを途中下車したら大きなチャーチがある。チャーチというより公園と言った感じである。ローマのバチカンに匹敵するぐらい大きい教会だ。この周囲が川になっていて、丁度ベネチュアの舟遊びみたいだ。堀を観光客を乗せて、手竿で指しながらゆっくり廻っている。運河のようになっているが、城といってもいいくらい美しい。
この街が綺麗だな、と思うのは、高い建物が無く、全て2階建という住宅地域である。そして緑に包まれているから綺麗。
ケンブリッジ大学の周辺も緑に覆われて、公園といっていい。公園広場がいたるところにあるから落ち着くのだ。電気工事の関係者だという。そういえば、電線が見当たらないが、どこにあるのだ。と聞いたら地下に配線されているらしい。費用は高くつくが、日本は電気と電話線が街の美感として学ぶところである。
昨日Leslyが速く起きてテレビを見ているから、早いね。と言ったら、ロンドンで又爆破が同時にあり、犯人が一人射殺されたたという。明日ロンドン行きを計画しているのに、気味が悪くなった。人混のところを避け、地下鉄には乗らないようにしよう。
ホームヘルパーのMaria君は社会主義の国だったルーマニヤから来て、ホームヘルパーとして働くことに矛盾んは感じないのだろうかと思う。人をサーバントとして使うというのは社会主義の国ではどのように位置ずけてみているのだろう。しかも家庭に入って洗濯、食事、皿洗をする。昔に逆戻りということにならないのだろうか。僕にしてみても、お手伝いさんに身のまわりをしてもらうことに大変気がひける。だから、僕だけ飲んでいたオールドパーの水割りも僕が飲むのと一緒に作ってやっている。
すると「自分はいいです」と一応辞退するが注いでやれば飲んでくれる。また、今日もビールが飲みたかったので、彼の分まで買ってきて食事の時ついでやった。
やはり一人だけ飲むのは気がひけるし、また彼の心を傷つけたらいけないので飲む時は一緒に飲むことにしたい。
若い少年はいいが、Mariaは別だ。ただLesryがどう思うか、気にはなる。といって、夕食にアルコールが無いのは続けにくいし、これがこの家にMariaが来てからの僕の気になる問題となった。指示しているらしいが、サーバントと雇い主という関係は上下関係になっているだろうから、居心地はしっくりいっているようにはみえない。
社会主義国で教育を受けて来た、根本的な人間の上下関係を無くしようとする思想と、サーバントになるということがどうもぎこちないように僕の心は重たくなる。
彼の気持ちを理解しようとするからである。

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by akinishi1122 | 2013-12-29 10:33 | 旅行 | Comments(0)

70歳の語学留学1年生(11)

ケンブリッジ留学2005年7月21日(11) (木)パソコン操作理解、完了
複雑と思っていたパソコンがほぼ理解できるようになった。
バス路線もほぼ理解できるようになり乗り換えて行くことに自信ができた。今日secretary
が一緒だったので、行帰りが大分早くなる。今まで乗り換えせずに駅まで行っていたから、学校のバス停近くまで行くことができる。これで路線についての理解がほぼ完了である。
バスの中で気付くことは、車椅子や子どもずれ、そして老人に対してのマナーがいい。必ず運転手が混んでくると席を譲るように大きな声で、座っている人に席を譲ってください。と呼びかけている。また座っている人も言われなくても子どもずれがきたら、サット立つから感じのいいものだ。日本の若者はすぐ眠ったふりをするし、中年の人も日本にはこのような礼儀が劣っているように思う。だからこの乗合バスは爽やかである。
そして、席を譲ってもらった人が、降りるとき御礼の言葉をかけている。若者もバイバイと応えている風景を何回も見かける。
また乳母車を押して乗ってきた人が、堂々と席を要求し、それに若者が即、応えてその場で立っていることもある。日本だったら、席を譲ればすぐ離れて遠くに行くが、そこに立ったまま友達と話を続けている。これが自然態で両方がわだかまりのない付き合い方でなかなかいい。この国の文化として嬉しくなるものだ。
昨日、女性の地質学者と話していると、一番下の子が4歳といっていたし、6ヶ月この国で勉強するというから寂しいだろう。一番可愛いさかりなのにと言ったら涙を浮かべていた。
国からの留学生なのだから、若い国がこうして国を背負う人たちを育てているのだろう。お婆ちゃんがみてくれている、という。
この国の人たちは授業の修了ベルが鳴ると先生がまだ喋っていようがさっさっとカバンにノートを仕舞ってしまうから面白い。僕がモタモタしていると一番最後に僕が残る状態にある。素早い動きが実に面白い。
またアブダビの青年が二人いるが、二人とも教室で授業中でも帽子をかぶったままだ。先生も脱げとも言わないところをみると、こんな自由がイギリスでは当たり前なのだろうか。
そういえばサリーを着ている女性も全部頭からサリーの布をかぶったままだ。これはわれわれの感覚と違うのだろう。イスラムの宗教の習わしとして教師も理解しているのであろう。であれば僕が不思議に思うことが日本の宗教観で見ているのかもしれない。
先日僕がモスクに行った時女性がにないのに、今日前を通ったらわれわれの女性がモスクに入って行くのを見た。だから暫くして、僕も入ってみたら今日はパラパラの人だ。そして祭壇も見えた。若い青年が「貴方もイスラムか?」と聞いたから、no!
と言ったが、どうぞ、どうぞという。女性が入ったはずなのに午後の授業の時に「モスクに入ったのを見たが、と聞いたら「私たちは2階で祈りをしている」とゆうことである。女性と男性は祈りの場所が違うようだ。
私たちはここに長くいるから写真をコピーしてくれ、と経済学士の美女がいうので、今日コピーする約束をした。沢山撮ったので100枚ぐらいになった。毎日サリーの衣の柄が変わるので、これもカラフルで良いからどんどん写している。柄は変わってもサリーの形はずーっと一緒である。一枚の布を頭から地面すれすれの着ながしである。なかなかうまく調節できるものだ。
アイサトとアイサチュという撥音が同じようで、なかなかどちらの名前か撥音だけでは覚えにくい。
アイサトは先生が何か話すとすぐ質問し答えると、必ず何故だ。と先生に少々反対らしい意見を述べる。しかも額に立て皺を寄せて必ず言うのだからまた始まったとおかしくなる。日本にも似たような人がいるから、どこの国にも同じ性質がいるものだ。しかも女性だから日本ではあまりみかけない。でもこの女性は探究心が旺盛なのであろう。
うちの会社のSさんに似ている顔だちである。彼女は最初カメラを向けるとペケ印をしていたが、最近は気持ちよく撮らせてくれる。僕の向かいの席は地質学者だ。この人は静かで顔は動かさずに目だけ動かして少々斜めに構えて座って授業を受けている。なかなか静かで冷静で美心だ。だから向いあって授業を受けているだけで楽しくなる。それと対照的にアイサトさんだから授業が楽しい。
その隣がゼイネブといって、この人だけがサリーを着ない、石油大臣だ。Oile Ministryと説明に書いてくれたから辞書では大臣とでているから間違いないだろう。うちのマザーに聞いたらminister とministryは少し違うということだった。だが国費留学生に違いない。28歳の黒人でこの人だけは黒人の特徴の唇が厚く髪もちじれている。目玉もまん丸く眼は黒い。いつもチューインガムを噛んでいる。今日も赤い口紅だが肌が黒いから、そんなに目立たないのに口紅が必要なのだろうか。Tシャツを着たりコートを着たりするから、若い女性のようにヘソの見える服も着てくる。
この3人が僕の向かいの席だ。決めてあるわけではないのだが大体こんなに並んでいる。一番向いの端が黒人の美人でNobutoshi Nobutoshiとよく話かけてくれる。写真を送れ、とか自分はまだ長くここにいるからコピーしてくれという。経済学者である。彼女もなかなか好感のもてる、感じが良い。
今日、エクスカーションの日曜旅行を申し込んでおいた。26£。写真コピー22,5£だった。
写真屋が、「日本人か?日本人はなかなか賢こくて好きだ」と言ったので、僕のことを言われてると思いNO ! NO!と言ってしまった。これは謙遜したつもりで行ったのだが、これはまずい返事になるかもしれないと後で思い、やはり「有難う」と言うべきだったな、と反省している。ここにきて思うのだが、「いいえそんなに」という謙遜の言葉は相手に対しては不快な返事になるかもしれない。こちらではno probren といって、thank youゆうことばがかならずかえってくるから、感じのいいものだ。僕たち日本人だって本当は有難うといいたいのだが、それなのに「いやいや」と返事すれば相手も良い感じは本当はしないかもしれないのだ。
これから、素直にthankyou ということに努めなければなるまい。
学校でのパソコンも完全に日本語が使えるように一人でできた。だから、もう送ってくれなくていいと秋子に電話した。だが昨日送ったのがトラブルで未送信となって残っている。これが課題だ.

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by akinishi1122 | 2013-12-28 10:48 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

政権の終わりの始まり去年今年  新しい政権ができたがもう毎日が崩壊に進む世論と反対のことばかり、もう先が見えてきたようだ
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by akinishi1122 | 2013-12-28 10:45 | 俳句 | Comments(0)

70歳の留学1年生(10)

ケンブリッジ留学 2005年7月20日(水)NO10
なんといっても今日の収穫パソコンがほぼ使えるようになったことだ。接続も完全にいけた。教えてもらって自分も接続できた。
3時半に授業が終わって集会室へ行ったら、日本人の女性が日本語で打ち込んでいるから、話しかけて教えてもらった。昼休みに操作してもらって、薫に誕生祝いのメールを送信したのだった。自分で操作しうる時間までなかったので、習得とまではいかなかった。ところが、今度の人はさっき送ったメールが届いていたのか、チェックをして接続を丁寧にしてくれ、自分でもやってみなさい、と僕自身ができるまでやってくれた。これでもう一人でできると思う。大変助かった。お礼にパブに誘い、彼女はジュース、僕はビールにし、各々2杯飲んだ。9,5ポンドだから安い。ちょうどつまみがリックにはいっていたからそれですませた。
三重県の伊勢神宮から来たという。25歳で4年生大学を終え、大阪に出て3年で会社を辞めてきたらしい。少し前までこの学校にいて、いま habetu noga 別の学校にいるが、この学校は日本語がいけるパソコンがあるから時々来ているとゆう。「無料で使えるから便利だ」といっている。
人生、僕流の話をし、誰でも天才的なところを誰でも持っているから、それぞれが自分らしい生き方をしたらよいと思うと彼女の選択に賛成しておいた。日本ではしがらみがあって、なかなか生きるのは難しいが、ここ来ていれば、自分の生き方が実現し易いからそれでいい。
外国の旅の良いところは日本のしがらみからの解放だろうと思う。そして日本での自分を再考してみるチャンスだと思う。他の国の人々の生き方に驚き、それが、結構自分のやりたと思ってできなかったことを自然に共感でき、行動している外国人を見ると、開放感が味あえるのは、自分もその潜在感が常にあるからだであろう。これが感激や共感になって、毎日が自己発見として自分に蓄積されてくるのではないだろうか。そして、日本の良さも知り、自分の良さや欠点も素直に受け入れられたりして勇気も生まれると思う。
人間は他の動物と違い、環境を作ることもできるのだから環境に従属するのは、人間らしさを捨てることになりはしないか。日本で余り考えたことのない、自分は何をしたいのか、をこの機会に考えることを僕も気付く毎日である。
人間が人間になってきたのは、自分で環境を変えることができたからで、これから遠ざかることは、段々自分らしさがなくなるし、苦しくなる。困難から逃げても、対面しても、どこにいても問題はある。それは踏み越えて克服することによって、人間らしさがあるのではないか。そして爽やかさと自信、確信は、自分自身の考えで挑戦し乗り越えて確信になっていくと思う。
教育では、人は変わらない。自分がその気になったとき、人間は変わるものだと思う。
僕は努力と苦労とゆうのはしない主義で生きているが、自分がやりたい気になったときは何事も続けられるし、そのほうが楽なように思う。中小企業の役員を10年ばかりしたが、僕が素晴らしいと感激する人々は「自分ができることをただ続けたからだ」といってるのが共通しているように思う。だから僕でも経営が続けられるのであった。自分しかできないことや、自分らしい経営しか続けられないものであえる。それとおなじように社員も、ひとりひとり違って当たり前、その点を実現させ、そしてその成果に感謝している。会社が不況の中で仕事がありあまるほどあるのは社員の個性で、それが相手につたわり信頼となっているからだと思う。こんなに外国旅行を2か月も『させてもらえるのも、社員が自分の仕事をやり続け開発しているから』できることだ。
僕には何も「出来ないが、個性ある人生を自分たち自身が持ち、それぞれが、じぶんらしいいきかたができる土台を創ることはしたつもりである。
会社はみんなのものとよくことばでは言うが、それに近いところまで行ってる気になっている。そんなことを吉川真由さんに話たから、二時間ちかくになっていた。
彼女は6時14分の電車に乗るといっていたのでそこで分かれた。メールアドレスを互いにかわしたので、もし大阪で何か僕にできることがあれば助言はできるから、どうぞと言っておいた。(お金はないですがね)と。
パソコンの感謝で勇気と自信を得たので、お返ししたいつもり。本人も勇気が出ましたと言っていた。
今朝教室で友達に、「good morning」と大きな声で挨拶しあったので、握手しようと手を差し伸べたら、アイサヤチュが手を引っ込める。何故だと言ったら、イスラムは男性と握手することは赦されないという。自分の結婚相手とだけしかできないのだという。先輩の生物学の教授が説明してくれた。道理であのモスクに女性がいないということも共通の考えにもとずくものであると解釈できる。
あんなにNobutoshi Nobutoshiと親しく言っているのに手を触れること、親しく話しすることとは違うらしい。
7時頃、夕食前に下宿の人全員とLesly(ホストマザー)それに昨日ルーマニヤから来た青年、中国人、サウジアラビヤ、ロシヤと一緒に写真を撮る。
李意(中国人)はデジカメを自分のパソコンに移すから、貸してくれとのことだ。家に送るらしい。
Lesly に、今は伸のびのびしているが日本に帰って2週間たつとまた日本の習慣に戻らねばならない。ここは本当に自由に自分が表現できて、若がえっている。と言ったら、「何故だ」という。「日本では経済的な絆があるから」といっておいた。
これだけではなかなか理解できないだろうと思うが、日本では全ての社会生活で、経済的な主従関係を意識しながらだから、そのことはなかなか理解できないだろう。
8月24,25日にスイスの友達のところに行くと言って、これで外国人の友達があなたもくわわって増えることが嬉しい。といっておいた。彼女も自分もそうだ、と言ってくれ、僕も仲間に入れてくれ、と握手してくれた。
僕がスエーデンやデンマークにも行きたいといったら、自分はスエーデンに1年間勤めていたという。コンピユーター関係の仕事だったらしい。英語が使える国で英語の仕事が必要な秘書見たいなことをしていたという。
スイスに行ってまた帰りこの家にくるから、よろしく、と言っておいた。
この街のはずれに空港があるが、ここからスイスに行けるだろうとも聞いたが、小さな空港なので多分ダメだろう。「スイスだとヒースローまで行く予定にした方が良いだろうと」いっている。

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by akinishi1122 | 2013-12-27 14:09 | 旅行 | Comments(0)