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エストニヤの田舎へ列車で

(41)2013年8月30日 タリンから1時間の農村へ列車で
ヴァイオリン路地の一人占め秋はじめ エストニヤは音楽の国、路地で一人でも聴かせてくれる
家からメールで「久しぶりで雨が降れば、あちこちで大被害、花火大会では死者がでる大事故、残暑ではなく猛暑で恐ろしい夏です。そんな折我が家台所のはやり直しのため、顕は泊ってくれ、整理してくれています。みんなのおかげと喜んでいます。由希さんは嫁でなく、娘として居心地よく、孫たちも、優ししい心配りが素晴らしい性格に、このまま育ってほしい。我が家は最高。先日土井先生より私に暑中見舞いをいただき恐縮しています。上手く字が書けないから出すの止めようかと思いましたが、やはり出さないのは気持ちが許さないので、今日だしてもらいました・先生にメールする場合は、よろしく言ってください。無茶や、慌てず、楽しい旅にしてく私は元気に過ごし手います。心配いりませんから」と携帯電話のメールできたから、携帯のついては、僕以上にできてたいしたものだと有難く思っている。
今朝朝食の時、僕の前に座った女性が話しかけてきて、僕が飲んでいる「グリーンのヴェジタブル」と梅干しに興味を示したので「僕にとってはこれが元気の素だ」といっったら、興味を示したので、梅干しを1個たべさせたら、「これは健康によさそうだ」といって、恐らく酸っぱい顔をするだろうと思っていたのに、兵器なかををして食べた。だから驚いたくらいだ。また「グリー」についおても飲んでみるか?とスプーン一杯飲ませたら、これもうなずきながら飲んでいる。聞いてみると、このホテルでマッサージ室を開いている、とゆうから健康に感心があるのであろう。だから今夜マッサージしてもらうことに頼んでおいた。2階のちゃんとした治療室があり夜1時間全身をしてもらったら、途中で眠っていたらしい。中国整体とは違うが、全身にクリーム状の液体を塗ってそれこそ頭から足の先まで、マッサージだから気持ちがいいものだった。多分50歳を過ぎているがちからもある、こんなマッサージには初めて経験したものだった。
今日かホテルに聞いて、田舎で1じかんんぐらいの日帰りができる地方を紹介してもらった。列車で目的の無い田舎で何か人々の生活を見てみたいのが動機である。列車の隣に18歳の音楽大学2年生の男性がきた。彼は大きな楽器ノケースを持っている。名前を聞いたが忘れた楽器で、卒業したら、グループをつくり音楽活動をするのが夢だとのことだ。さすがにエストニヤは音楽の国だなと、将来音楽を職業にすると、市民が音楽のなかにいるし、それでしみんも市民も支えてくれるのだろう。日本は音楽で食べるのは難しく、日本フィルハーモニーですら政府の援助打ち切りで生活が団員はなりたたないとゆうぐらいなのに、えらい違いだ。この国は市民もささえるし、国も音楽が底力とかんがえて、世界に発信しているらしいから、文化についての政府の態度が違うようだ。日本は最近文化についての予算をどんどんカットし、文楽の予算もださないとゆうから、文化の力よりも目先の経済ににシフトを変えてすすんでいるから、長い目でみたら、国民のエネルギーを摘み取っているようだ。
また世界遺産の路地の奥にバイオリンの音がしたから、いってみると、細い路地の奥の喫茶店の前で女性がバイオリンを弾いている、だが僕一人しか来ない。僕のためにクラシックの聞き覚えのある曲を弾いている、そして僕が来たら、「ヴェサメムーチョ」に替えてくれた。
そのヴァイオリンが実に上手い。僕だけのために引いてくれるのだから感激である。もう50代半ばの太った女性バイオリニストだが、ニューヨークでも活動していた、といっている。一人だからいっしょに写真もとった。
音楽の国に来たとゆう気持ちを一人であじわった。名刺もくくれたから、今日の出会い、僕一人のために弾いてくれた悦びをメールで伝えたいと思う。
AEGVIIVとゆう駅にさっきの学生と一緒に降りた。彼の話だとここから5キロは奈良田ところに大きなみずうみがあり、自分の父はそこで貸しボートをやっているらすうらしい。景色がいいが、時間的にバスが無いからむりだろうとゆうので、この付近の受託を歩いてみた。
大きな敷地ばかりで印象的なのが、屋根に苔がはs生えている家が多いとゆことだ。森の’中にあるからで、にわにrリスが見えかくれして走っている。どこの家にも薪が割られて積んである。冬の暖房がこの薪であることだ。人がかすかに’見える家で薪をわる音が聞こえる。僕も子供の頃薪を割ったけいけんんがあるから、なつかd懐かしい。
ここを歩くあdけでも心が和みなごみ和むものだ。この国にきて、自分の中に眠っている心、それに音楽の心をかんン次させてくれるかとを気付いたといえる。ひとりたびだからきままに考えるなかで、こんな時間を与えてくt与えてくれるのも人生には必要であるように思う。
そんな小旅行であった。
この度も、本当に素晴らしい旅行ですね。
若い時から培われた貴方の信念をひとつ一つ確認するように歩いておられるように思います。  大阪同友会編集委員Nさんより

アイスランドは昨日も今日も雨がしとしと降って、かなり肌寒くなっています。エストニアはどうですか?昨日から本格的にボランティアが始まりました。現在の内容は、使われなくなった農家の方の家を綺麗にして、次のボランティア参加者の宿舎を作ると言うものです。
慣れないペンキ塗りをしたりしましたが、ポーランド人の女の子が丁寧に教えてくれたので下手なりに頑張れました。宮崎さんの仰っていた通り、アイスランドの人口はほぼレイキャビクに集中しており、離れた町では過疎化が進んでいるそうでこれは日本にも同じことが言えるなあと思いました。土曜日曜は、ボランティアはお休みで観光をするそうなので今から楽しみです!
宮崎さんのブログを読み、エストニアの歴史に興味を持ちました。次の更新を楽しみにしています!
アイスランドへのりボランタチアの農大性より

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by akinishi1122 | 2013-08-31 13:26 | Comments(0)

タリンの郊外の観光バス

(40)2013年8月29日 タリン郊外
寿司を喰うせめて日本の秋に染む どこでも寿司が日本の御飯と同じ味になっている。
今日はタリン郊外の観光バスに乗った。ところが、日本語の解説の放送がなく、もどかしい思いで景色だけ見ることになる。海岸沿いや動物園、300Mのテレビ塔などおもに景色ばかりであった。その後、世界遺産である街を歩いたら、なるほどここには教会、寺院が集中して、ソビエト時代も破壊されることなく、保存されている。宗教とゆうのは、人間の生活のなかに悩みがあるところに、誰かに頼り、救いを求めたい、理解者として自分の願望を神とゆう客体に置き換えて、全ての理解者としての神を創造するのであるから、理屈で否定しようとしても個人によって悩みが違うのだから、いわば自分が描いた神だから、神をいくら否定しても、仮にスターリンにの圧制に抵抗し、圧制の理解者がキリストであり、アラーでに自分の理解者として求めるのだからゆう意味では、逆にソビエト体制を押し付けることで神による救いを増やすことにもなったのかもしれない皮肉である。
路地で民族衣装を着てピ-ナツに衣をつけた駄菓子を売っている婦人に試食しておいしいから、買った。そしてその箱を破って食べようとしたら、「歩きながた食べるのだったら、持っていきなさい」とまたひと握りぐらいのピーナツをみ持たせてくれた。そして一回りしてまた寄り、二人の写真を撮らせてもらったら、こんどはもっといっぱいノピーナツク菓子をくれたのでさっき5ユウロだったので5ユロわたそうとするがいらないと受け取ってくれない。金よりもこのこころがうれしい。だからせめても忘れないように彼女と写真を一緒にとってもらった。49歳とゆうがまるまる太った貌で愛らしい。この土地の美しい顔として値打ちの‘ある魅力である。
なんでもあないようだが、ここの印象に残るとおもう。
同友会の相談役前会長からの便り
矢張り、読み進む程に感動を覚えます。同年代の人間であればこその強い思いであるかもしれません。文章の素晴らしさとは別に、そこを歩き、そこで人と会い、そこの風物から、そこの歴史から、そしてそこでいのちを輝かしている人達を感じて、涙をにじませたりしています。
 今日は、新宿に近いところで全国の社員教育委員会の会合があり、それを育てるに大きな役割を担った故大久保さんの追悼集会もありました。一昨年、札幌での中同協総会の後、宮崎さんや河野、井上さんとご一緒した大久保さんを囲む昼食会さんが元気な大久保さんとの最後でしたですね。そんな話も今日しました。
 元気で帰ってきて下さい。話も一杯聞かせて下さい。私は来週から12月の半ばすぎまで、毎週全国のどこかに出かけますが、12月12日は大阪にいます。ゆっくり話を聞かせて貰えるような時間が持てることを願っているのですが。
 とも角元気でこのシリーズの旅も終えられるよう祈念致しています。

熊本同友会の税理士Yさんから
エストニアについてはほとんど無知でした。
歌で変える。学生時代を思い出しました。私は、1967年入学ですが、東大紛争をはじ
めとする学生運動が盛んの時でした。(実際には搭載紛争より少し後です。)
大学管理法が審議されていたこともあり、夜間学生であったのですが、毎日学生自治
会でスト権を確立し、デモ行進などをしていました。その際活躍したのが
合唱部のアコーディオンによる歌唱指導でした。国際学生連盟の歌、インターナショ
ナル、ワルシャワ労働歌など恣意活動の際は必ず歌の指導があり、みんなが歌ってい
ました。
歌は、団結を勝ち取る上でとても良いものですよね。野外セミナーのキャンプファイ
ヤーなど事あるごとに歌っていました。イタリア映画の「鉄道員」のバーでの歌も印
象的でしたね。
昨日、熊本同友会の「同友会を知る会」(これはゲストを迎えて同友会とはどういう
会?を説明し入会を促す催しです。)で、青年部の人たちが寸劇を披露してくれまし
た。
付け焼刃ではありましたが、3部作で会員は中身を理解できました。(ゲストは怪訝
そうではありましたが・・・、それでも2名の入会表明がありました。)このような
寸劇をやる意気込みを買いたいと思います。団結が強まります。もちろん同友会はその理念、目的の学習と
実践にありますが、入り口はたくさんあってもよいのではないでしょうか。
10月3日4日開催の地球環境問題交流会、400名の目標に対して、昨日現在162名です。
県内82名ですので県内で後118名、県外で120名で目標達成です。九州各県の理事会な
どへ出張宣伝をしているところです。大阪では大西さんが10名ほど参加を集めてくれ
ています

エッセイ誌「飛翔」編集長から
8月28日発エストニア旅行記をいただきました。ありがとうございます。
地図でタリン市という町の位置を確認しました。海に面し、対岸はヘルシンキ、
距離にして70~80キロ、美しいバルト海の風景が広がっているのでしょう。
美しい海を思うと、いま日本で起こっている放射能汚染水の海洋流出に愕然とします。
東電という巨大企業と、憲法擁護義務違反の日本政府に
最も高貴であるべき倫理性が欠如しているのがこの原発事故の
悲惨さを倍増させています。日本は完全に「非常事態」にあるといわねばなりません。
日本に今欠けている人間的連帯がエストニアにはあるという現地報告に
日本社会の真相が見えてきます。宮崎さんの海外見聞記を読ませていただくと、
日本の胎内にいただけでは見落としがちなことが見えてきます。
日本の格差と貧困のいやます広がりは、単に経済問題であるだけでなく、
東西の文明のなかにおいてみると、社会の崩壊につながる由々しき問題ではないかと
思えてきます。
大航海、世界の奥の細道紀行、旅の安全をお祈りしております。 

高校同期の山崎さんから詳細ヘッダー
親切なご婦人の話に感動して、数日前長いメールを書いていたのですが、携帯の何処かのキ‐に触ったら、全文が消えてしまいました。息子がたまたま来所したので、何処かに残っていないか見てもらいましたが、残っていないとのこと。パニックになり、触るのが怖くなりました。パソコンでキ‐ボ‐ドを打つのも遅く、貴方みたいに旅先で長い文章を即座につくれるのは羨ましいです。貴方は世界中で素晴らしい人達に出合いする運命があるみたいですね! こちらは東北三大半島巡りを無事終え、演歌をBGMにしたP・Pを作り終え、体操仲間などに試写会するのを計画中です。では、又、旅行記を楽しみにしています。山崎

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by akinishi1122 | 2013-08-30 16:19 | Comments(0)

エストニヤ、タリンの観光バス


(39)2013年8月28日 タリン市内観光バス
秋晴れや革命の輸出は「歌」に負け  エストニヤの自由「歌」によって民族の誇りをとりもどしている、「歌」の力の爽やかさ関連といえば、大学の同期生で親友だった福島一雄君の下の娘がイギリス留学中に知り合った男性と結婚し、その相手がたしかエストニヤ人だったから国の名前だけ記憶している。福島は昨年死んだから、若いときの新聞部でのいっしょだったこと、そして僕が勤めていた会社に呼び寄せて、また職場もいっしょだったから、その関連を思い出しているところだ。
エストニヤは今日観光で回ってみて、歴史のあるまちで、ロシヤや、デンマーク、ドイツに占領され、ナチスドイツに占領されていたため、1945年のナチスドイツの連合国軍によって倒されて、その時ソビエト軍が占領地だったことで、ソビエトに併合されたとゆう歴史があることを知った。その後1990年のビエト崩壊によって独立し、現在にいたったとゆう。
ここはバルト海になっているから、おそらく経済圏が似たような形態だからかもしれない。
ここの解説によると、幾多の外国の占領から独立を勝ち取るために「歌」で勝ち取ったとの説明がされている。とにかく歌をよく歌いコーラスが盛んらしい。1819年のデンマークからの独立で農奴解放も歌が力になったとゆうし、ドイツからの独立と3国まで手をつないで勝ち取った。歌は心をひとつに結ぶ力をもっているものらしい。作曲家の池辺晋一郎さんの言葉に、「音楽は大きな岩を動かすことはできないが、岩を動かす人々を動かす力があるものだ」と言っていられたが、戦後の復興の時、日本中に歌が響きわたったものだし、1950年代の労働運動、それに1960年の安保闘争も歌の力が連帯や運動を広げる役にたっていたように思う。
ここは人口は少ないが、人々の連帯があるとゆう。広場で歌うのに800とか1000人が一緒に合唱し、一番多い記録は34000人の合唱だったとゆう。まさに世界のトップの歌の国であろう。
そういえば最近、歌を外で皆なで歌うとゆうことが全くみられなくなったとゆうことは、日本が新しい未来の創造とゆう希望がみえないからではないだろうか。
エストニヤの革命が「歌」で行われたとの解説をききながら、日本の未来の希望が何であるかの国民的な希望が無いから、「歌」がないのかもしれない、と思った。
それにもう一つソビエトがナチスを倒して後、何故エストニヤやラトビヤ、リトワニヤを併合したのか?社会主義を理念とする国にあるまじき蛮行ではないのか。これは日本の千島列島を占領しているのと同じことをヨーロッパでやっていたとゆうことを知った。僕は大学の卒業論文でレーニンの帝国主義論に学び、資本の蓄積、寡頭制、資本の海外輸出、領土拡張とゆうのが資本主義の本質であり、もっとも人類の進歩発展に悪い欠陥の表れだ、と学んで、それで資本主義国を分析してきたから、非常に明快に納得していたし、日本の戦後の発展の形態がよく理解できたつもりだった。だが腐敗者になっていたのがスターリンであったことをここで知ることができた。
僕のオックスフォードのクラスメートだったポーランドのジエーシー君が言っていたが被抑圧の人々はソビエトロシヤについて「言っていることと実際はやっていることは違うではないか」と言っていたことを理解した思いだ。
ソビエト政権時代は、ヨーロッパとの交易は殆んどなかったらしい。ゴルバチョフ政権になり、ペレストロイカ政策で市場が開放され、現在は年間500万の観光客がくるらしい。それにふさわしい寺院や町並みである。気分が和む雰囲気である。世界遺産にこの街が指定されていることは理解できる。中世のそのままの街だからであろう・
砂浜で泳いだ後の女、ビキニのままの女性にバスを待つ間話したら、大学でマスコミ論を専攻したが、いま夜の6時から12時までレストランでウェイトレスをしているらしいが、昼近くまで寝て昼の時間を自分のすきなことにつかっているとゆう。ソビエト時代のことはあまり知らないが大学まで授業料がいらなかったから、学生に‘ついてはソビエトの制度が残されたままだし医療も無料だから、ソビエトの制度の良いところはそのまま現在の政府は継承しているらしい。言葉もロシヤ語はほぼ同じぐらい使われているとゆう。
だが個人商店は自由に開業できるから、商業活動は活発で、ことに観光客の仕事はこの国の財源になっているらしい。
昼のレストランで僕に愛想よく、僕の写真を撮っていいいか?と話しかけてくれた女性がいたので、会話になった。一緒に夫もいてインド人だがアメリカに23歳でわたりアメリカの大学で医学の学位をとり、心臓医師として病院ではたらいているとゆう。僕との会話では夫が携帯パソコンで日本語の文字を使って、会話ができた。彼女は看護婦で、なかなかの話好きで、今娘が買い物に出ているところだから、ここに座りなさいと席もとってくれた。インド人だから貌は黒い、彼女は白人だから白いが娘は黒い顔をしていた。僕のいつもの遊びで彼女らの名前を漢字で書いてやり、意味をつけてやった。これは結構僕のアイデアの遊びでコミユニケーションの時間が持てるし、喜んでもらえ、日本文化の名前の由来などが話できて役にたつ。
ホテルに帰ったら、彼女から早速メールがきていて、楽しい時間が過ごせた、自分の名前の意味も覚えて誇りに思った。ときている。
オスロのオペラ歌手のLivさんからもフェイスブックに自分のでている舞台の写真が沢山掲載されたのを送ってきた。彼女の舞台姿を今後も見ることができる楽しみができた。
岡山のD先生から
多くの素晴らしい出逢いの日々、 読ませて頂いています。 8月23日~28日まで友人三人で、ミヤンマーに行っていました。 
   大戦の犠牲者、日本人墓地に行ってきました。 綺麗に整備されていて、日本人は日に10人は訪れるとのことでした。戦争の悲惨さを   改めて思いました。 市電に乗って町を見ましたが、貧しい人達が逞しく生きています。 これから、発展していくでしょうが、格差社会に なっていくのではないかと危惧します。
アイスランドの農業ボランチアのNさんから
エストニアは暖かいのですね、最初ボランティアの候補に入れていたので、とても興味があります!
早速フットワーク軽く、楽しんでいる宮崎さんのブログを見て、私も昨日はレイキャビク市内の観光を楽しみました。確かに寒くはありましたが、高原のような爽やかな寒さで心地よかったです。
バスを降りた当初は小雨が降っておりどうなるかと思いましたが、ホテルを出て散策を始めた時には気持ちの良い青空が広がっていて、幸先が良いなあと一人で喜んでいました!
今日からボランティアと合流し、ハプナルフィヨルズルに向かいます。宮崎さんのエストニア旅行記、そしてその先の国々の様子、楽しみにしていますね!

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by akinishi1122 | 2013-08-29 18:29 | Comments(0)

オスロからエストニヤへ

(38)2013年8月27日 オスロからエストニヤのタリンへ着
秋風を招きいれピザを喰う  ここタリンでは秋風が気持ちいい店もドワーを開いてくれている
朝食を済ませ、オスロのホテルの前50mぐらいのところに空港行きのバス停があるから助かった。約50分で空港に着く。10時20分発だが44番ゲートにいたら、時間15分前になっても人が来ないので、不思議に思い、係り員に聞いたら、出発ゲートが変更になったから、急いで下の階に降りなさいと言われ、慌てて降りたら、もうバスには僕だけを待っていてくれたようである。放送で変更になったことはあったのだろうが、僕の44番ゲートに、アイスランド行が先に出るためにいた中に日本人の東京農大の女子学生がいたので、話している間にゲート変更の知らせがあったようだ。
この学生は、2年生だが、アイスランドの農業にボランテアで行くために一人で来たらしい。なかなか勇気のある素晴らしい行為だと感心し、僕のアイスランド滞在の話をしてやっていたのだった。アイスランドに農業のボランチアとは、僕にしたら、畑らしいのが見かけなかったが、どんなことをやるのだろうか。彼女は造園の勉強をしているとゆうから、植木なのかもしれない。でも森や林などもアイスランドでは雪の国だから育ちにくいのだが、新しい研究材料になるのであろうか。大分寒いと予想していたらしいが、僕の話を聞いて安心してくれた。2週間の予定らしい。
飛行機は僕一人を待って離陸した。隣にロシヤ人のサンクスペテルブルグの女性である。心理学の研究会議で5日間オスロに来ていたらしい。29歳と言っていたが、病院でなく役所などからの依頼で心の病の相談をしているらしい。日本でも岡山のD先生の病院にも心理療法の先生が2人いると先のたよりで教えてくださっていたが、世界では大分普及しているのであろう。相談指導を受けている人は年齢に関係なく多くきているらしい。やはり心の病とゆうのが、文明の発達に合わせて新しい病として、世界的にでているのかもしれない。
「僕も知り合いになったから、頭の相談ができる先生にあえて心強い」といって笑いあった。なかなか話も好きで、ずっと退屈しなくてタリンに着く1時間半が楽しくすぎた。タリンからペテログルブに今日の夕方には着くらしいから、あなたのメールの便りを待つていますと言ってくれた。結婚して3年になるが子供はいないとゆうことだった。お互いの国の文字で文通することになった。
多くの外国人の友達ができたから、ホテルに着いてから、自己紹介やお互いの趣味などを知らせあう共通の手紙文を作った。最初はみなさんにこの文章を送り質問に答えてもらいながら、深めていこうと思う。
     お友達になれて嬉しいです。   
               日本の みやざき のぶとし  より
私はたくさんの国の人々の生活や文化に興味があり、たくさんの国々を旅しています。年齢は、今78歳ですが、大変健康です。健康であるために、日本では山を歩くことで、体を鍛えることにして、もう950回も山に向かっています。
そのほかに、日本で「100歳の会」とゆう、元気に生きて、この人生を楽しみ尽くしたいと考え、グループも作っています。
たくさんの楽しい目標を持てば、今日のやることが見えてくるものですね。
今一番の楽しみは、世界の人々と沢山お知り合いになり、その国の文化や、考えを知り、日本との違いなどで、教えられて、そのたびに、年齢を忘れてしまい。あなたと同じ年齢になったような気分になるものです。どうか、貴方の国の習慣や、あなたのご趣味など教えてくださいね。
今日はまず、あなたのお好きな言葉がありましたら知りたいです。よろしくお願いいたします。

数えてみると、外国人だけで36人になったから、この文章で出発してみたい。
ホテルで夜パソコンを開いたら、朝オスロ空港で別れた女子学生から、アイスランドに無事着いたことの知らせがきている。
オスロで話しかけてくださり、ありがとうございました!
私は無事にレイキャビクのホテル(とは言ってもドミトリーですが)に着いて
たった今宮崎さんのブログを拝見させて頂きました!宮崎さんの行動力、積極性には本当に憧れてしまいました…
私はお恥ずかしながら未だにホームシックになったりしてしまうことがあるので、その素晴らしい勇気と実行力を少し分けて頂きたいほどです!無事にエストニアに到着しましたか?
宮崎さんのブログを見て、その国の知識を深め、旅行気分を味わいさせて頂きます!これからもお体気を付けて、ご旅行楽しんでください!
私も2週間のアイスランドを必ず思い出に残る楽しいものにします!

大阪同友会の編集員Nさんから
ソプラノ歌手との出会いはまるで竜宮城のようであった......
情感がこもっています。こんな素晴らしい旅行を誰が出来るでしょうか。
あぁ私も日本を飛び出てこんな自由旅行をしてみたいです。
会社のことを後継者にまかせられる段取りをしてこられたからこそ、ですよね。

宮崎さん、月刊誌のあんな旅こんな旅のシリーズが始まります。アジア紀行①はベトナムから
締切は9月9日です。
もし、パソコンにベトナムでの写真が入っていたら、メールに添付して送ってください。

タリンは暖かである。Tシャツで十分でシャワーをあびて街にでた。早い夕食にしてピザにしたら、非常に安いように思う。ユーロがここの通貨で3,8ユウロだから、オスロの半額か3分の1ぐらいである。寿司が5、5ユウロで種類も豊富だ。写真をのような綺麗な寺院がある。モスクに入ったら、キリスト像がないから、おそらくイスラムではないかと見える。だが、イスラムの祈りとは違ったお祈りをしている。
ホテルも立派で、僕にしたら、最高クラスであるから、5日間気持ちよくいけそうだ。
山の会の宮本編集員さんかから、
こちら僕の周りはこの暑さにひーひーふーふーの人が僕を筆頭に目立ちます。
鉄腕アトム以上にあちこち飛び回り元気に活躍されている様はとても僕には考えられません。
昨日受け取ったオスロでのすばらしい思い出の一日、感激の一日読ませていただきました。
この宮崎さんの一日ををかじか会報9月号に多少修正の上皆さんにご紹介したいと思いますのでご了承下さい。

ありがとうございます。みなさんにもよろしく。と返信しておいた

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by akinishi1122 | 2013-08-28 12:21 | Comments(0)

オスロ最後の日

(37)2013年8月26日オペラ団員の練習を見学招待される
秋風やオペラに目覚めさせてくれ オペラはやはりこんな機会げ鋤になるのだろう
オペラ歌手のLIVさんが、今日4時から会いたい、メールが昨夜のうちにはいっていら。だからそれまでにもう一度彫刻公園に行き、人々の生活に接しようと出かけた。すると、二人の子ずれの若い婦人がいたのに声をかけた。二人とも30歳でまだ1年にもならないような子供をあそばせていた。こどもを産んだら仕事はどうしているのか、と聞いたら、1年は休暇負担することがないから、気兼ねがいらないのである。これが日本では保障の問題と、仕事の継続できるかが問題で、復職とゆう制度があっても、同僚に仕事のしわ寄せを企業はさせる結果に’なっているから、雰囲気に耐えることが問題である。その点国が80%も保障することと、夫の収入があれば問題なさそうだ。この婦人は一人が医師でもう一人が弁護士である。弁護士の方は結婚してないが、子供を産んでいるが、同棲していて、産むのだから、籍が無いとゆうだけで、ボーイフレンドも面倒をみてくれるとゆう。彼女らと話すのに結婚してない相手をゆうのにどのように言ったらよいのか、わからないから一人にはボーイフレンドと言い。もう一人には夫と呼んで会話をしている。
この二人とも文通ができる’約束ができた。
今日で記帳されている。その人々と文通するのだが、さしずみこれまで異文化でなかなか理解までいってないことがらを纏めてみたい。
5時前にオペラ歌手のLIVさんがホテルに迎えにきてくれた。今日の招待は彼女のオペラの練習風景を見せてくれることたらしい。その前に夕食に寿司を招待する、と僕がメールしていたら「ありがたいが、実は今日は寿司はあまり食べたくないから、練習がおえたら家で食べるからありがたいが結構だ」とメールの返事だった。
だから「貴方が食べるのを私も体験になるから食べてみたい」と彼女の好みレストランにした。
彼女はハンバーグ2つにポテト野菜など着いていたが、僕はハンバーグがあなあまりにも大きすぎて、ひとつはサーモンにしてもらった。僕にはボリュームがありすぎて半分もたべれない。やはりこの国の人は日本人のとだいぶ違うようだ。
オペラの練習所に行ったら団員が100人ぐらいあつまった。楽譜はワグナーの300ページぐらいの厚さの本である。
初めの15分ぐらいは発声練習でその後、楽譜を初めからうたいだした。指揮者とピアニストがホールの前にいて、何回もわるいところで手をたたいて止め、注意してやりなおす。クラックでオペラの練習とゆうのを初めて見せてもらえて、こんな経験も彼女が団員であるからホールにはいれたのである。彼女は相当のレベルの上の役をしているようで、みんなが挨拶をしにきてくれていたし、その度たびに、僕を「日本から来た友人だ」と紹介sしてくれるから、握手で挨拶をすることになった。
当初は30分ぐらい付き合って帰るつもりでいたのだが、彼女のち隣に座って彼女の歌をきいていると、こんなにも歌曲とゆうものが素晴らしいすばらしいものか、とだんだん引き込まれ、たくさん聞きたくなった。オペラをじかに聞けるのだから、こんんい有難いことはない。しかも1時間隣にいて彼女の歌を聴けるなんて、最高の悦びである’段々彼女の魅力にひきつけられて、席を立つのが勿体なくなった、音楽の魅力とゆうのはこんなことをゆうのだなと、わかりかけたような気がする。これは身近にいるLIVさんがいてくれた効果であろう。
今回の旅に持ってきた、世界の10大作曲家の音楽はひらかずに、もっぱら日本民謡だき聴いているが、認識を変える動機をあたえてくれた。lIVさんのおかげである。
うっとりと、音楽に溶け込むとゆうことを、LIVさんから教えていただいたから、もう彼女とオペラについては忘れられない存在となるだろ。
1時間半ほど聴いて失礼しようとしたら彼女も出てきて別れの’抱擁をしてくれた。本当に彼女と最後の抱擁だからおもいっきり強くだきしめた。そしてわかれる寂しさがどっとわいてきた。
日本に実際来てもらい、もういちど彼女にあいたい思いである。48歳だから僕の息子とおなじ年齢であるがこんなに近しく思った人も、昨日からの延長である。
オスロは彼女と会ったことだけでももう価値は十分である。
9時のホテルに帰りパソコンにこの気持ちを打ち込み、ノルウェー語に賓薬して、今夜のうちに彼女にこの気持ちを伝えたい。

今日きているメール
句会の淑子あんから
宮崎さん、オスロからのお便りありがとうございます。芝生にりんごがおちている、なんて想像しかねますが気持ちのなごむ風景なのですね!なんともいい景色のようです、そんな場所で是非句を練ってみてほしいです。こちらは突然の大雨、雷警報が西宮に出まして昨夜から夜中は肌寒いばかりです。すぐに暑さがぶりかえすそうですが。そちらはすっかり秋の気配でしょうね。いい田保をお続けください。9月のむつみ句会は9がつ9日です。お待ちしています。
私は今、「地球バス紀行」という番組を見ています。
人も子どもたちもたくさん出てきて、みんなが生まれた土地、故郷を愛し大切にしています。
「世界まちあるき」の番組もそうです。私も西宮を離れることはないでしょう。
私の終末に見る景色は自宅の13階から見える甲子園浜の干潟の風景だと思っています。
さて世界を歩く宮崎さんの週末に見る風景はいずくにあらんや!です。
昨日、ゲリラ豪雨(西宮ではじめて78ミリの豪雨が降りました)まっただ中、「渡されたバトン・さよなら原発」という映画を見に行きました。
新潟県巻町の原発反対の住民運動の映画です。そこで怒りを感じたのは金儲けに邁進して電力会社と裏工作し、すこしでも保障額を引き上げようとする、
郷土愛も人類愛もない大人の醜い姿です(とくに反社共のおっちゃん連中)。
自分たちの住んでいる地方を卑下し、東京中心の考え方、権威にすがり、おこぼれを預かろうとする姿です。
日本のこんな連中がお金をもらって選挙に行くのでしょう。これではいつまでたっても日本は旧態依然のままの江戸時代です。
長くなりました。    旅のお邪魔虫より   

 大和です。

 ノールウェイの事を少し調べて驚きうっかりしていました。『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル 著/
須田 朗 監/池田 香代子 訳 が有名で大人が読んでも楽しい哲学書で映画も良くできていました。夢
中になって読みました。
また、エドヴァルド・グリーグの組曲『ペール・ギュント』聴いたことがあるのですが、お恥ずかしい話ですが
劇作家ヘンリック・イプセンの戯曲『ペール・ギュント (Peer Gynt)』の劇音楽だった事を今知りました。
 
 オペラの感想を楽しみにしています

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by akinishi1122 | 2013-08-27 06:46 | Comments(0)

オペラ歌手の招待を受ける

(36)2013年8月25日 オペラ歌手の家や山に接待wける
            (彫刻公園で友達も7人できる)
歌手と共スキージャンプの台に立つ オペラ歌手と友達になり、オリンピックのジャンプ台に立つた
なんと素晴らしい日になったのだろう。昨夜オペラ歌手からの招待のメールが入っていたから、「25、26日のご都合の良い日のお会いできたら嬉しい」とメールをいれていた。そして電話でそのことを伝えた。時間を調整してあとでまた連絡する。との電話だった。
僕は今日は旅とゆうより、人々との知り合いをつくり、帰国してからの交流のために、彫刻公園にもういちどでかけることにした。公園では寛ぐひとたちが多いから、話やすいからだ。
夕食を寿司屋で食べ、ホテルに’帰ったらLivさんからメールがきている。「今日の夜ではいかがですか?」とあったから、早速電話をいれ、今日お会いできる」と言ったら「30分ほどでホテルに行くから待っててください」とゆうことになり、ホテルに車で迎えにきてくれた。夫のMortenさんが運転してくれている。
日曜だから彼も休みだからだろう。Livさんが満面の笑顔で現れた。こんなことってあるだろうか。たった一度公園で会い、数分会話しただけなのに、僕を招待してくれるなんて日本でありうるだろうか?
夕食をとの誘いだったが、僕はさっき食べたところだったから辞退したら、ここで眺めの良い山に案内したいとゆうことになる。僕もありったけの感謝の気持ちと嬉しさの表現を体全体で伝えた。彼女もわかってくれたようで、もう僕も気分がウキウキの会話になった。この人とはいつまでもつきあえれる人たちだ!と本当に心からそう思える人である。
オスロの町全体が見渡せる430mの山で絶景に満足だ。彼女らとも沢山写真を撮った。この山の続きに、1992年の冬季オリンピックのスキージャンプ台までも連れてもらった。ジャンプ台で日本の選手の猪谷だったと思うがここからの中継を僕も見た。そこに来ているのである。凄い規模だ。中間ぐらいから下を見ると、目舞彼女が歌うこともあるといっている。
もう60年も前にできたジャンプ台。それから、眠くないか?と自分の家に案内してくれることになり、家はふたりだけのようだ。ピヤノ、ドラム、木琴のような電子楽器もあり、自分のCDなどが棚につまっている。彼女が歌ってくれ、なるほどソプラノの美しい歌を僕のために唄うってくれた。僕も日本の民謡で、「貝殻節」「五木の子守唄」「木挽き歌」などを披露した。楽しい訪問だった。家庭に招待されるなんて、それも有名なソプラノ歌手の家だ。もう竜宮城に来た気持ちになった。家を出たのが10時半をまわっていた。Livさんの見送りはだいぶ辞退するのだが、一緒に送るといって車にのりこんでくれた。ホテル前で別れるとき、彼女をおもいっきり強くん抱擁した。こんな嬉しい、寂しい別れはない。車の窓を開けて車が消えるまで手を振ってくれていた。涙が出る思いであった。なんて素晴らしい夜になったことか。
ところが、今朝26日の朝5時頃パソコンを開いてみたら、帰宅されてから、すぐメールを打たれ、「明日、都合がよければ4時頃ホテルに迎えに行き案内するところがある」とゆうではないか。どこまで親切な方なのだろう。

こんな一日がったが、昼はまた、彫刻公園でたくさんの人々と知り合うことができた。
英語教師の女性 ()
さん今年1年たっただけの経歴
動物医者の獣医の学生であと4年学ぶとゆう
幼稚園の先生 ()
以上3人のグループ。
おなじ公園で カップルの男性はコンピュータープログラマー27歳()
カップルの女性はデンマーク人で今日デンマークからきている。おたがいに行き来している。1時間の飛行機だからいつでも会えるとゆう。建築家の学生で日本の木造建築の古い建物の写真を送ることにする。ognaja@hotmail.com 彼らはデンマークデノフェスチバルに行った時知り合ってもう2年になる。
次は20歳の女子学生の二人、経済学生は、将来経営者になるつもりだとゆう。()
もう一人は設計技師をめざし、船を設計したいらしい。()

これらの人々のほかに、48歳の夫妻で建設機械ユンボの技術者と話すことができたが、彼はパソコンをつかっていないからアドレスがとれなかった。いずれの人々も日本語で僕が送信し、翻訳は彼らが自分の国の言葉に翻訳して読んでもらうようにお願がいしておいた。
本日の受信、ワシントンのDCマダムさん
私達家族は、ワシントンDCに戻りました。こちらは、秋のような涼しさになっています。明日から、息子は中学2年生の新学期が始ります。
二日前に自然が奥深いアイスランドから帰りこちらで日常生活に戻ると、アイスランドの旅は、
もう夢のような感じです。
アイスランドは、自然の奥深い素晴らしい国で、感動の連続でした!家族で、島全体を世界遺産にしても良いよね、と話しています☆
火山、溶岩、氷河、湖、滝、温泉、珍しい海鳥、羊などなど。。。全部いっぺんに見られるところが、すごい国ですよね!
さて、宮崎さまのブログを拝見させて頂きました。今は、オスローなのですね!毎日、楽しいことや知り合いになる人達がたくさんで、
とっても幸せですね!
いろいろなハプニングも、それが旅の醍醐味で、楽しいことだと
思います。
堺のNさんより
お返事とブログをしっかり読んで、宮崎さんがお元気なことを知り安心しました。トラブルに見舞われたのは災難でしたね。そういえば、以前にわたしも海外に滞在しているときに、自分のメールアドレスが使えなくなるということがありました。素敵な出会いがいつもあるのは、本当にうらやましいです。ありがとうございます

今日はそんな一日であった。






 
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by akinishi1122 | 2013-08-26 18:19 | Comments(0)

オスロ近郊を列車で

(35)2013年8月24日 オスロ郊外に列車で日帰り
新学期女子留学生の晴れやかさ 希望に燃え、勤めを辞めて女子留学生がきた
今日は駅まで歩いてみた、ホテルから10分ほどで行けるから、このホテルはほぼ中心を顕がとってくれていた。中央大通りに面しているし、国会議事堂は2分、市役所は5分だから乗り物に乗らなくても行ける。
中央駅まで歩いたら今日は駅を出発点にして、ここにいる外国の国々の子供たちが軍楽隊やチヤガールを先頭に民族衣装を着て行進を始めたところにであった。日本人もでるのだはないかと待ったが30か国ぐらいが行進しているのについに出てこなかったところをみると、あまり日本人は住んでいないのかもしれない。
駅に出てみたら、急に列車で郊外に出てみたくなった。発車が近いのに乗ってみた。駅員にキップを尋ねたら乗車してから買いなさいとゆうので25分の距離で沢山降りる人がいるから降りた。結局乗る時も改札がないし、列車の中に車掌がくることも無いから無賃でおりることになった。
どこといって目的があったわけでもなかったし、都会でないところの人々の暮らしに直接接してみたかったからだが、郊外では、日本でゆところの高級住宅地のために、人が外で歩いていないのである。
各々の家は庭が広くおそらく500坪ぐらいのばかりである。そして庭にはリンゴや梨のような果物が植えてあるのが大部分である。リンゴが芝生の上に落ちている風景とゆうのは安らぎがでるものだ。
また夏の太陽をたくさんいれるために窓が大きいい、その窓にはピンクの花がどの家にも窓の外にあふれている。日本では花のある家と無い家、それに窓が小さいのが日本的だとゆうことに気付いた。
日本の家は庭があってもその庭は塀で囲み、外から見えないようにするのが都会の一般的な、高級住宅地の風景だとゆうことがわかる。これもここにきて日本の住宅の特徴を知るのだから、考えさされるものだ。
日本は持ち主によって家のスタイル、大きさ、デザインが違いすぎるのではないか。だから外からみると窮屈にさえおもえる。
日曜に外で、裸になって寛ぐとゆうこともわれわれではできないのだが、庭にテーブルが置かれ、外で食事ができるとゆう生活は日本では見かけないものだが、ここでは食事を外で楽しむことが普通の設計の庭の設備になっているところばかりだ。
われわれが外で食べるといったら、キャンプに行って知らない人たちがいるところでしぃ食事はするものだ、とっゆう習慣が見についてしまっているのである。
この郊外の家をみて安らぐ気持ちになれた。
帰りの列車では駅で知り合った女子大生と一緒に話ながら帰る。彼女は大学の映画演劇を学んでいるらしい。女優になりたいのか、と聞いたら、演出家をこころざしている、日本について聞いたら、寿司、トヨタ、とあげてくれたが、自分はベジタリアンだから、肉や魚は食べないから、寿司も食べることがないが、友達がよくたべているから知っているといっている。彼女はパソコンをもっていないとゆうから、メールの話はしなしなかったが、大学生にしてはめZっずらしい。
ホテルに帰ったら、日本人女性がきている。一緒に夕食にでることにして寿司を食べる。彼女は愛知県から、留学に昨日着いたところとゆうが、日本では、歯科衛生士をしてもう5年になり、自分でお金を貯めて、病院も辞めてきたとゆう。語学も勉強だが、外国の’生活を学ぶのが主な目的とゆう。こんな目的の人には未来があるようにおもう。語学とゆうのであれば、ここよりも本場はイギリスのはずだが、ヨーロッパの社会を学ぶとゆうのだから、この国の社会保障をまなぶことになると思うから、将来の生き方としてはなかなかいい判断はんだんだ、と励ましておいた。医療の無料化、女性の地位の高さがなぜなのか、を学んだらきっと帰国後は新しい生き方が選択できるとおもう。これだけ決意できるのは、彼女が技術をもっていて、帰国しても仕事の心配がいらないからできたことである。こんな判断だ自由にできる国になるのはどのくらい先になるのだろうか。
だが親たちは反対したようだ。25歳だから結婚が遅れるとの心配のようで、日本の親はおおかた同じような理由で反対すると思う。そのことにも僕は反対の意見を参考意見として、彼女の決意の方を評価しておいた。
パソコンに、北海道の医師のW先生が昨日のブログについっと、
大阪同友会の中村氏からメール。宮崎さん、アイスランドからノルウェーですか。ノルウェーはアイスランドより温かいんですね。原語で送り翻訳機能で話し合った方がいい場合があるんですね。面白い発見です!

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by akinishi1122 | 2013-08-25 12:43 | Comments(0)

オスロ ヴィーケラン彫刻公園

(34)2013年8月23日 オスロのヴィーケラン公園 パソコン復元
秋晴れの鴎と共のランチかな  港湾の近くの鴎はランチのおこぼれにありつきたいらしい、港の風景である 
パソコンの送受信ができなくなったことで、気力を失いかけていたが、顕が日本でいろいろ工夫してくれたのだろう、新しいパスワードを作り、メールができるようにしてくれた。家族とゆうものの有難味がこんなに感じたことはない。本当によくやってくれた。僕の旅行はパソコン無ではもう考えられないのである。旅の様子を知らせたり、連絡がきたりを見て行動が決まるといってもいいのだったことが、パソコンの送受信ができない2日間でしみじみと知ることができた。
今朝4時ごろに新しいパスワードで開けて、いままでのメールを開いてみた、北海道の総合病院のW先生とゆう僕は会ったことがないのだが、おそらく僕の本を読んでくださったのだろう、本の写真つきでフェイスブックに感想がきている。そして毎日ブログを読んでくださっていることがわかる。ブログをその日にフェイスブックに乗せてくださっているのだから、知らない人がこんなにも読んでくださることを知り励まされる。そしてご自分が哲学の勉強されていて、高村よしあつ先生の言葉を引用されているのを知った。僕も哲学者高村よしあつ先生の本を数年前に読んだことがあるのっで、そのことを知らせておいたら、そのことを先生に知らせてくださったようで、高村先生からも僕にメールがきた。(今やっている哲学講義のレジメがきた)
そんなことがこのパソコンが開けない間に進んでいたのである。W先生から6通の便りがきていた。
もう一人は文学阪神の大和氏から、心配してアドレスが消えているようでしたら、文学関係のアドレスだったらお送りしましょうか。ともきている。また昨夜港であった女性から自分のボーイフレンドと一緒に撮った写真とメールがきている。それも日本語に翻訳しての便りだから、僕も交信が安心して日本語でおくれる、第1号が彼女となったわけである。
その彼女が、今日観光するのだったらと、是非見てくれ、と紹介してくれた場所に行くことにした。地下鉄で2駅のところに来てみたら、なんと昨日きた彫刻の公園ではないか。推薦してくれるのに十分僕も理解できる素晴らしい公園であるが、昨日おおかた回ったので、今日はもう人との会話を中心にしようと決めた。
今日はなかなか暖かい、よく晴れた日でたくさんの人々が芝生に寛いでいる。犬を連れた婦人にはなしかけたら、看護婦で今日は休日で家族の犬ときた。と犬との生活らしい。32歳とゆうが、いままで3人のボーイフレンドと生活をしてきたが今はこの犬が家族だとゆう。こんなに会う人ごとに結婚はしていないのにボーイフレンドとの同棲が多いのだが、ここではこれが普通である。なかなか気持ちのよい美人で、名刺もくれた。
次に合ったのはデンマークから来ているとゆう女性3人がスナックをたべていて、仲間に入れてもらい話を聞いた。オスロに仕事できているとゆう。デンマークより働く場所が多いから6か月のアルバイトで、外国といった感じをしなくて、気軽にこれるようだ。日本では近い国韓国あたりにアルバイトなどで行くとゆうことはないが、ヨーロッパはあまり国境とゆう意識をせずに人々が移動できるようだ。日本は島国だから国の違いを意識してしまうのだろうか。それと国の政策が労働力の移動について厳しいのが日本かもしれない。
すぐ近くのベンチにいた日本人の’ような婦人と話したら、ハンガリーからきてもう30年になり、舞台監督をしている、とゆうから、日本ほど国と人との違いを意識しないのかもしれない。だから日本でゆう国際結婚とゆう名称もヨーロッパでは使われないようだ。
もう一組の女性で26歳の会計士さんとおなじく看護師さんとも話した。会計士さんは子供が6歳だが、結婚はしてなくてボーイフレンドと一緒にいるから子供ができたとゆう。子供ができたら、1年間の休暇がでるし、給料の80%もらえるから子育てには問題ないとゆう。いま幼稚園に預けているが、迎えに行く時間ではないのか、と聞いたら、今日はボーイフレンドが行くことになっているから、自分は楽しむ日だそうだ。
結婚はしてなくても二人の子供に違いないのだから、結婚とゆう法律の制度と結びつける必要がないとゆうのだろう。
もう一人の看護師は同じ年だがやはり同棲しているとゆう、僕は女性ばかりと話しているが、男性はどのように考えているのだろうか。彼女に前の彼とは別れるとき問題はおこらないのか?ときいたら、おたがいに、もう別れていいな、と思うようになって別れるのが普通だから、その後友達としてつきあっている、と看護師がいっている。
このような男女の関係がうまくいくものだろうか、日本とゆう習慣からみるから理解が困難なのだろう。彼らは子供のいる家族の生き甲斐と喜びをまだ知らないから、こんな生活をしているのだろうか。
夕食を済ませて昨日と同じ公園に行った、やはり同じルーズベルト アメリカ大統領の像の前のベンチに中年のカップルがいた。女性は歌手で、クラシックとポピュラーの中間ぐらいの歌をうたっている、この近くのシアターとか、ローカルにもでかける歌い手らしい。46歳で子供が22歳がいるが、ボーイフレンドには3人の子供がいるが、こどもはそれぞれ独立しているから、彼と二人で暮らしているとゆう。おそらく両方とも離婚したか、結婚しないままの、この二人なのだろう。
この前来た時は国立劇場の女優とあったが、今度は歌手とあえてなんて知名人とうまく会えるのだろう。
ホテルに帰ったら、彼女からメールがきて、写真も添付してある。この人とも日本語で文通しお互いに翻訳して理解しあうことになった。

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by akinishi1122 | 2013-08-24 13:31 | Comments(0)

オスロ観光バス

(33)2013年8月22日 パソコンメールアドレス消える
物忘れするのも増える旅の秋 今日も暑いので服を脱いで、カメラまで脱ぎ置き忘れてしまった
今朝1時半ごろ秋子から携帯電話にあっかってきた。日本は朝の8時すぎだろう。僕にメールをいれたら不能と出ているが、何かあったのか、とゆうパソコンの異常に気付いたらしい。僕も受信、送信ができずに、困っていることを伝えたら、なにか悪用される可能性があるから、すぐ顕に連絡するように、とのことだ。
僕もあらたにアドレスを作ろうと試みるのだが、うまくいっていない。昨日メールが3通届いているから、それを開くためにパスワードを打ち込むのだが、いつものパスワードを入力しても「間違っています」とでたのがはじまりだ。新しくアドレスを取得するために試みるのだが、どうもうまくいかない。
フェイスブックは開けるし、ホムページも開いて、打ち込むことはできるのだが、フェイスブックは登録している人しか見れないから、それでは不便でしかたない。第一メールを打電した人が応答がないから心配するであろう。
そして毎日新しい友人ができているのに、通信ができないし、今日から、友人ができても、僕のアドレスを教えることができないので、相手と即交信をしなければ、忘れられてしまうであろうから、はがゆい思いでいる。
オスロは、7年前に来た時、ホテルで一緒になった日本人のピアニスト2人が世界ピアノのコンクールに出るから、にわか応援団になり、オスロ大学に行ったことがある。彼女らは、たしかハンガリーとオランダに留学していて、そこからコンクールのためにきていた。ハンガリーからは5年ぐらいの留学だから、相当な弾手にちがいないのだが、もう日本では活躍していることであろう。
だが驚いたことに、ピアノコンクールといっても、審査員6人いるだけで、聴衆は僕だけの音楽室で弾くのである。世界大会にしてはものたりない。あっけにとられてしまった。翌日審査結果をきいたが、入賞は果たせなかったようだった。名前も忘れてしまった。二人とも30歳にちかくだったから、その後の動静も知りたいものだ。
今日は午後から、市内の観光バスに乗る。先ず降りたのはヴィーゲラン彫刻公園である。ここに降りてヴィーゲランとゆう人は世界的な彫刻家らしいが、この公園に自分だけの彫刻しか置かせないとゆう条件で製作したとゆうほどの実力者であったらしい。僕も一人の作家の作品をこれだけみたことは初めてだから、できるだけ沢山写真に納めることにした。おそらく彫刻では世界一多い作品であろう。ここをみるだけで今日の観光の値打ちがあった。この公園の広さは甲子園球場の20倍はあるだろう。1942年に亡くなっているから、近代の作家といえるが、僕だけ知らなかったのであろうか。もっと広く知られてよい彫刻家だとおもう。日本では佐藤忠良の帽子シリーズが好きだが、こんなに沢山はとても製作していないだろう。
外国では国や自治体の文化に対する度量の深さの違いでこのような作品ができるのである。帰国してからじっくり鑑賞してみたい。裸婦や親子、男女の愛の営み、抱擁一人の作家でよくもできたものだ。巨大な20m位の石の塔にもたくさんの女性とのからまった姿が彫られている。ルーブルの彫刻とはちょっと違ったダイナミックである。
つぎにビクドイとゆう民俗博物館で古代から近代の木造の舟をみた。この船で地中海やアフリカあたりまでよくも航海できたものだと思えるぐらいの、板を継ぎ合せたものでできている。やはやはりバイキング時代は文化や資源を狙って造船技術も発達したのだろう。船の発達の歴史を知ることができた。
次には海洋博物館も南極探検の船が展示されていて、木造で長さ70Mぐらい、幅20M、帆柱で南極に探検したときの服装や機械、道具、犬や白クマなど展示されていて、氷で閉じ込められたらどうして脱出できたのだろうか?
観光バスが来たとき、暑いから服を脱いでいて飛び乗ったらカメラを置き忘れてしまった。
あの彫刻公園ノフイルムは抜いていたから、この海洋博物館と民族博物館の写真が無いことになる。残念だが、またやってしまった、とゆう感じである。幸いに予備のカメラがあるから、明日からはこれにしなければならない。
夕食を済ませ歩いて市役所前の湾の公園にでた。もう9時近くだったがまだ明るい、この前来た時、国立劇場の女優とあった公園、それにフィリピンから来た看護師、詩をかいている女子大生と話したこともここであった。
アメリカのルーズベルト大統領の像が何故ここにあるのか、と二人の女性がその前のベンチにいたので聞いたが、その理由は知らないとゆう。だがそれを契機に話がはずんだ。27歳といっているが、日本については、「ムラカミハルキ」を読んで大変好きだとゆう。昨年発売前から行列がでるほど日本でも話題になったが、世界でも読まれているとは驚きだ。僕は読んでないから少しはずかしい思いで話題にはいっていけなくて残念であった。日本のカラオケにも行くし、寿司も大好きだからよく食べにゆく、いたるところで寿司も食べれるが、自分はつくるきとはできない、食べる専門だといっている。日本との関わりがでてくるものだ。
ふたりともボーイフレンドと同棲しているとゆう。もう3年になるが子供は産まないことにしているし、結婚するかもまだわからないとゆうのだから、日本では考えられないと言ったら、ここちらではこれが普通ですよ。当たり前のように話してくれる。
散歩だったから、カメラを持っていなかったから写真を撮ることはできなぁつたが、名刺をもらったので、メールの友人にもなってくれることになり、日本語で僕の世界の旅を送信するから、翻訳してよんでくれ、あなたがたも英語でいからいろいろ質問したらノルエーの生活など教えてもらうことを頼んでおいた。普通の事務をしているとゆうし、ことに彼女たちの家庭についてや、子供についての考えを聞きたいとおもう。離婚率も50%といっているから、これで国全体はどのように運営できるのだろうか。


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by akinishi1122 | 2013-08-23 16:12 | Comments(0)

ノルウェーノオスローに着く

(32)2013年8月21日アイスランドからノルウェーのオスロへ
温かき国に帰る想いやノールウェー  日本と比べて温かいはずはないのだが、折り返しになったからの気持ちかもしれない
昨夜は空港の近くのホテルで、今朝は4時半んに朝食が出た。空港を利用する人のためのホテルだから、その人に合わせて朝食も用意されているシステムになっている。そして30分ごとに空港まで車で送ってくれるから有難い。僕は5時30分にホテルから送ってくれた。同じ時間に僕も含めて5人だった。
昨夜のホテルでのパソコンを開いたら、いつものパスワードを使うのだが、「間違っている」と出るのである。だから昨日の日記が送信できかないでいる。
これはオスローノホテルでも同じでメールは来ているのだが、僕のパスワードが違うと表示されて開けないでいる。だから明日から様子を知らせたり、メールを開いたりすることができないので、送信も返信もできないから、心配をかけるかもしれない。
新しくアドレスを取得したいのだが、それもうまくいかないでいる。
レイキャベック空港で待合しつに日本人のような女性がいたので聞いてみたら、中国人でアメリカのコネチカットの大学生らしい、彼女は21歳とゆうが、もう一人で7年も留学しているとゆうのだから、中学をでたら高校からの留学とゆうことになる。経済と数学を学んでいるらしいが、一人娘なのにボーイ、とゆうのだから、親たちも期待と違う方向にすすまれたら、こんな現象が中国ではやがて問題になるのではないだろうか。
彼女はアイスランドに降りることなく、どこからかの中継の乗継であるようだ。アメリカのクラスメートに早稲田、東大、京大、甲南大学の日本人がいるから、日本語を片言話すことができる。ここにいながら、中国人と知り合いになることができた。僕も今後旅の日記を日本語で送り、相手に翻訳機能で理解してもらい、それで交流が深まることを発見できた。相手からも、母国語で送信してもらい、僕もパソコンで翻訳をできるから、こうりゅうに言葉の問題がうまくいけそうだ。
だから、日本文化も翻訳をせずに相手にじぶんの国の言葉で日本文化を知ってもらうことで、僕も前以上にフランクに付き合いができる。
これは昨日のレイキャビックの哲学を学ぶ学生と話すなかで発見した話法である。(今後知り合った人々はアドレス専用のメモ帳を作ることにする)
レイキヤビック発、7時50分、オスロー着10時20分だった。2時間半でオスロに着いたが、時差が2時間ほど進むから、オスロー時間は12時20分とゆうことになる。日本との時差は7時間とちじまった。
オスローに着いたとたんに空港が暑く感じる、そして長袖はいらないくらいだ。
ホテルは空港バスで終点に近いところでダウンタウン。さっそく市内をあるいてみた。見覚えのある建物も近くにあるから、ここは、前に歩いたような気がする。レイキャビックからここに着いたとたんに、なんか安心したような気になるのは、何故だろう。もう帰るコースに向かっているからなのだろうか。
朝が早かったから、7時にはベッドに入った。

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by akinishi1122 | 2013-08-22 06:41 | Comments(0)