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ペテルブルグにて

(9)2013年7月30日 エルミタージュとペテルグラード観光バス
夏の夜や幸せを知る迷い道 ペテルブルグ で道に迷よい親切な婦人に助けられ、幸せとはこんなことか
ペテルグラードでは、なんといってもエルミタージュ博物館が大きな目的であった。フロントで聞き、次の相談のために「戦艦ポチョムキン」が展示されている場所を聞くのだが、若いフロント嬢は「戦艦ポチョムキン」ととゆう名前を知らないとゆうのだ。1917年の革命の時、戦艦ポチョムキンの兵士が決起して、武装蜂起して革命の発端となったと記憶しているのだが、その歴史をここの若者は知らないとゆうのだから、日本では60年ぐらい前のが忘れられない名前である。
エーゼンスタイン監督が、無声映画で、この作品で映画を芸術まで高め映像革命とまで言われた監督であつた。
もう100年近く前は映画は無声で、しかも幻灯と言われた時代にいきなり農民や兵士の首が切られ血が飛び散りその迫力で人々に衝撃を与えるとゆう技法で映画を芸術まで高めた。
ペテルブルグは活気がある。17世紀、18世紀の首都でヨーロッパ文化がこの港からそのまま移入されバルト海沿岸や、パリの文化が毎日数千人がここにきてロシヤの奥地へ文明が普及したそうである。だからパリと違って黒人がいないのを除けばパリの雰囲気である。
上海と北京、香港と北京、ホーチミン市とハノイとの違いといった感じである。街に活気がある。日本ももっとサンクスペテッログラードを注目していいのではないかと思う。
エルミタージュ美術館はルーブルに匹敵するぐらいおおきい。26万点に及ぶコレクションだし規模もルーブルと同じぐらい大きい。残念ながら、写真が禁止され、目に記憶させるだけで写真は本を買うしかないだろう。3時間半ほど歩きまわったが、足がもう動けない。ピヨトール大帝とゆう名前はよく聞くが、王族の宮殿だから、広く部屋も作れるし、絵画の収集も金にあかしてできたのであろう。ここの解説によると、王族の娘たちは殆んどがフランスやヨーロッパの王族に嫁いでいるとゆう。これは国王になれば、戦争を防ぐこと領土を、広げる手段であって、どこの国王もおなじことを考えるものだなと思う。日本の歴史でもおなじことをずっとくりかえしたきたものだし、昭和の時代に天皇家が満州に嫁にだしたことなど記憶にあたらいのだから。
エルミタージュには古代の土器や道具、ここでなければ存在しないマンモスの親子などはみものである。本当は裸婦のスターチュアがみたかったのだが、もう足が動かない。残念だがきりあげた。
エルミタージュの前に観光バスがあったので
4時から6時まで市内をめぐることができた。ちょうどパリの市内観光のような華やかな人々と商店街がいっおぱいである。
日本語の音声解説があったからよくわかった。ここはヨーロッパにいるようで、ピヨトール大帝の残した遺産のゆかりあるものがのこっている。
気温も暖かだし、屋上からの観覧も気持ちよい風である。
帰りにホテルの駅に着いたまではよかったが、ホテルまでの道を忘れて間違った方向に歩いてしまったようである。たくさんの人に訊くのだが、ホテルの住所をみせてきいても知らないとゆうから、おなじような建物がいっぱいで、自分は間違いないと思うのだが、聞く人々が反対の方向を教えるから、その意味を信用できないでいる。自分の頭の中で想いこんんでいるとゆうことは怖いもので、人が間違って教えているのだ。と思うのだから、5人目ぐらいの婦人の二人ずれに地図を見せてつれてもらったが、おそらく2Kぐらいつきあってくれたと思う。
その人たちの連れてくれるのにの信じられないなまま歩いたら、ホテルが見えて自分の錯覚をやっと納得した。すると僕が感激しているあいだにこの婦人たちは、さっさと消えていくではないか。ぼくと反対の方向に消えたから、もう追いかけてお礼をゆう気力もなくなっていた。本当にありがたく、今日も涙がでそうになる親切な婦人にであうことないなった。
あとで考えてみると、今朝は地下鉄の駅まで歩いてる婦人に連れてもらい、自分でさがしたのでないから、記憶がちがっていたことと、地下鉄の改札と出口が違う場所にあるから、入口の風景の記憶であるいたから、方向が反対のほうにむぁって歩いたことの間違いであったようである。
今日も不安のところで親切な婦人に助けられた、世界にはなんて素晴らしい人たちばかりなのだろう。この感激を味会うために僕の旅は続いているのかもしれない。今日もそんな一日だあった。

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by akinishi1122 | 2013-07-31 14:12 | 旅行 | Comments(0)

サンクスペテログラード

(8)2013年7月29日 モスクワからペトログラードへ列車
親切が涙ふきでる暖かき 見っ知らぬ土地で、見知らぬ美人の親切に涙する
10時30分に旅行会社から、迎えの車がぴったりの時間に迎えに来てくれた。これはどうゆうシステムになっているのだろうか。ホテルとは関係なさそうだし、列車とも関係ない、ただ駅まで送るのだから、レニングラード駅まで着いたらすぐドライバーは消えてしまったのだ。ともかく、有難かったので50ルーブルをチップとして気持ちをわたしておいた。殆んど英語は喋れないのだから、送迎専門の会社に日本から手配してくれたのであろう。25分ほど走ったからタクシーにしたら相当のメーターになるだろう。
ここロシヤでは、駅の名前が路線の終着駅の名前が付けてあるらしい。レニングラードとゆう名前は1992年までだった。革命後レーニンの名前がつけられていたのが、ソビエトロシヤが崩壊した後市民投票によって旧帝政時代の名前に復活したらしい。
これはどのように理解したらいいのだろうか、長い伝統のある名前に戻し、革命指導者の名前を外すとゆうのだから、よほどスターリン体制に市民が馴染まなかったのだろう。革命が終わり肩を怒らせたような名前にいつまでも縛られたくないとゆうことからの反応だったのかもしれない。
そうであれば、ヴェトナムのサイゴンが革命によってホーチミンと名前を変えたのだが、その後の政策が国民から支持されないとなると、このように復活しないとは言えないから、上からの政策的な名前の強制では国民の心は掴めないとゆうことであろう。
レニングラード駅発が13時30分となっていたから、2時間半も待たねばならないが、僕の列車のチケットを見せても駅員が何番ホームから出るのか解らないとゆうのだ。仕方がないから待っている婦人に聞いた。さいわいに英語ができる人で、僕の列車番号と出発時間を見て、調べてきてあげるからここで待っていなさい。と言って地下の事務所まで行き調べてくれ、3番ホームで待ちなさいとゆうことになった。
2時間も待たねばならないのでお礼を言って待合室に座っていたら、20分ぐらいして、この女性が僕を呼びにくるのである。「貴方の列車の時間が12時30分に変更になったから、すぐ並びなさい」とゆうのである。待合室までは大分離れていわざわざ僕を探しにきてくれ、その変更のことを知らせに来てくれたのである。所定の時間より1時間も早くなるとは、こんなことってあるのだろうか?
僕にしたら、大分前に手配したから、時刻の変更になったのだろうか。と解釈して、彼女が言うままにゲートに行ってみると、なるほど列車番号158、時刻12時30分と表示されている。僕は彼女が教えてくれなければ乗り遅れてしまうところだった。
だから彼女の親切に涙が出るくらいだった。どんなお礼の言葉よりも、彼女を忘れなためにい写真を撮らせてもらったり、一緒に写真に納めたりささせてもらった。わずかな時間だが、彼女はリトワニヤの人で、仕事は旅行関係の仕事をしていて、38歳とゆう。まだ結婚はしていないらしいいが、なかなかの美人である。よかったらメールの友達になってもらえませんか。と聞いたら喜んで交流しましょうとメールアドレスも書いてくれた。ロシヤに来て初めてのロシヤ人との会話だし、この親切は心に沁みる嬉しさである。日本の土産の扇子をプレゼントしておいた。夜ホテルで写真を見たらなかなかの美人であり早速お礼のメールを出しておきたいと思う。
そんなわけだったが、列車は予定時間に発車したのだが、改札が1時間前とゆうことだったようである。
13時30分発で全て指定席、急行らしく、4時間25分でサンクトペテログラードに着いた。
列車では隣の席に若い青年がいたが、離れた席にゆうじんんがいるらしく、荷物だけおいて、ずっと席には戻らなかったから、僕だけの席になっていた。車掌がキップの点検に来て、2枚あるキップの1枚をもっていってしまった。するとあと1枚はヘルシンキ行のだろうから、残してくれたのだろう。と判断してい残りのチケットを見てみたら、29日の今日のチケットが残っている。それが旅行者の日本語に書いてあるから解ったのだ。だから慌てて車掌におかしいのではないか。と聞きにいったら、問題ない。とゆうので、そんなものかな。と思っていたら、1時間ぐらいして、別の車掌が前渡したチケットを僕に返しに来た。
僕にしたら、ロシヤ文字はわからないので、車掌を信じてそのまま渡していたのが、ヘルシンキ行のチケットを前の車掌は持ち去ったのだった。
僕がまかせっきりにしていたら僕はヘルシンキへ行けないことになっていたのであった。やはり任せっきりとゆうので、相手も間違うこともあるとゆうことである。冷や汗ものであった。
CDの日本民謡を聴いていると、外の景色が白樺だったり、湖だったり、民家がポツポツとあるのを眺めながら聴く日本民謡、ことに九州の民謡がこの景色にぴったりの感情をひきだしてくれる。色々の人との想いでが次々と浮かんでくることでこの荒野を走るのに日本民謡はぴったりだと発見したものだ。隣にだれもいなかったから、こんな味わいができたのであろう。もう一度このようにシベリヤ鉄道を日本民謡を聴きながら走ってみたいと思う気持ちがわいてきた。おてもやん、や日田のコツコツ節、長崎のブラブラ節など心に沁みる。一人旅がこんなに楽しいものとは。
列車は4つぐらいしか止まらなかった。
サンクスペテルグラード駅では迎えの人が来るはっずだったのに、降りたホームで待つように案内があったが、僕が最後になるまで迎えがこなかったので、少し心配したが、ホテルの場所が解っているから、さほど心配もしなくて、15分遅れてやっと迎えが来た。
殆んど英語も出来ない男性で大男である。テキパキと荷物をトランクに積み、ホテルのフロントまで届けてくれた。モスクワと違いここは相当温かい。ポカポカしていて、大分南のようだ。
ホテルは大分古く格式がある。古いから、モスクワの近代的ビルとは
違い、部屋も豪華とゆうことはない。ともかく今日から6日間ここを起点に安心しながらの観光になる。とにかく昼食をパンだけですませていたから、このホテルのレストランで少し豪華なものにしようとステーキの定食とビールを注文した。
すると、このステーキは2枚あったが、なかなか肉が固くてナイフで切るのに苦労する。口に入れても歯でかみ切れない、丁度生ゴムを噛んでいるみたいだ。味はおいしいのだが、もう辛抱できなくなりボーイに肉を切ってもらうようにコックに頼んでくれと言ったら、ボーイが自分で苦労しながら、切ってくれた。こんな固い肉は日本で食べたことがない。ここの肉とゆうのは、原野からそのまま肉にするから、こんなに固いのだろうか。これが普通となると、腹にまるまま入って消化できるかどうか心配になったが、歯で噛切れないから、最後はのみこまねば仕方ない。
日本の肉は素晴らしいことがわかった。
8時を回ったがまだ明るいから、散歩に出た。公園に若者がいたから、話しかけると25歳の大学生である、少し英語ができるから一生懸命質問に答えてくれる。自分がビールを飲みながらひまわりの種を噛んでいるのを僕にも食べろといってくれる。となりに若い女性も話にくわわってくれた。話していると、煙草が吸いたくなったのだろう、歩いて遠くにいる人に1本煙草をもらいにゆきそして吸っている。知り合いではなさそうであるのに、もらいにゆけばもっている人が1本与えてくれているのである。しばらくしたら、他の人が紙コップをもってきてビールを飲ませてくれ、とねだりにきていて、その人にビールを注いでやっているのだ。こんなことがあちらでもこちらでもこの公園でかわされている。
また60歳ぐらいの女性がどうやら、手相見ている。そして祈祷のようなことをし、肩をたたいて何やら諭している。こんな風景はモスクワでは見かけることがなかったのは、ここが暖かだから、外で夜遅くまで語りあいができるのであろう。若い学生はフェイスブックをやっているから、お互いにメールで交換しようといってくれた。彼の父は46歳とゆうから、僕の孫ぐらいの年齢である。
10時になったが、まだ明るい、彼に何時に寝るのか?と聞いたら2時になったら眠たくなるから、帰るとゆう。今日か彼女は仕事だから、一人で夜をすごしに来たといっている。
ホテルでパソコンを開いたら、作家の風見梢太郎さんが「こんどはモスクワですか、新聞の「本と人」欄にでていたのを楽しく読ませてもらいました。同じ作家の柴垣文子さんから、「わくわく、好奇心と向学心の旅を想像しながら読んでいます」とか高校の同期生山崎さんから、日記6号まで読ませてもらったが、何か解説の本でも持参しているのですか?あまりにも多方面のロシヤについて書かれているから、おどろいている。熊本同友会の山本氏から、ぼくのトマトの日記について、日本では泥のついたトマトなどもうないですね、10月に障害者問題全国研究集会の実行委委員長を引き受けているから、いま準備に忙しいこと。ホーチミンであった中島さんから、宮崎さんの日記は楽しく、ロシヤについて新しい見方と興味がでてきた。南アフリカのケープタウンのRieさんから、ロシヤについて全くといいほどしらなかったので面白くたくさん教えられることになった。同友会の編集委員西岡さんから、自分のロシヤの知識と比較しながら、読んでいる。大阪民報の記者から、出発前の取材した記事の原稿ができて送られてきた。山の会の事務局長から、残しておきたいから、携帯に来てい最後まで読めないから、普通のアドレスに送信してほしいなどがきていた。
このホテルはモスクワと違い部屋が暖かだから、窓を開けて網戸だけで寝ることにした。

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by akinishi1122 | 2013-07-30 16:38 | 旅行 | Comments(0)

モスクワNO6

(6)2013年7月27日 モスクワトレチコフ美術館
ジイードとも会話したかり肌寒さ  今のロシヤをジードは予感していたようで、彼と会話しているような気持の美術館である 
今日は本当はヴォリショイサーカスを見に行く予定だった。フロントで下車駅を書いてくれたのだが、そのとおりに降りても誰もヴォリショイサーカスとゆう名前すら知らない風である。ヴォリショイとゆうのは世界的に有名と思っていたし、ヴォリショイバレーもよく聞く名前なのだが、どうやら僕の発音がおかしいのであろう。ヴォリショイといえばヴォリシビキといって共産党の名前でもあったように思うのだが、共産党の名前すら忘れられているのかと僕の発音がおかしいのは棚上げして不思議におもったものだ。
しかたがない、明日予定していた、トレチホフ美術館に急遽変更した。
ここは一番大きい美術館らしい。200ルーブルだったから、600円である。写真もフラッシュなしであればOKとゆうから、目にとまるののはどんど撮っておいた。たくさんの写真に撮ってゆっくり見たい。おそらく300枚ぐらいはとったと思う。僕は美人画よりも、人々の生活の場面で数人が、なにか会話をしている表情のあるのを中心に撮った。そこにはその時代の文化を探すことができると思う。戦争と革命以前のが収納されているようだ。地下鉄の彫刻は戦争と革命のばかりだったし、戦争にたいする国民のさまざまな思いが地下鉄駅の展示である。
ロシヤ革命は1917年で1990年のソビエトロシヤ崩壊まで。73年続いたが、あの革命によって世界の世論に相当のショックを与えたのは間違いなかろう。第一労働者や農民が権力を握った国は世界にまだなかったのだから、い一般に労働者や働くといえば日の出から日の入りまでが普通だったし、奴隷労働も普通であったのが、ここでは王を倒して地主や国王の土地を農民労働者が所有したのだから、ロシヤばかりでなく、他の資本主義国、王制の国などはおおおきな恐怖にさらされたのだろう。各国は革命のロシヤを叩き潰すために日本も含めて新生ロシヤに出兵したものであったが、農民や労働者の悦びの力には潰すことができずにみんな撤退したのだった。
フランス革命は市民とブルジヨア革命であったので、私有財産の移動違っていたのだった。フランスの革命の場合、芽生えはじめた資本家など市民がおこしたものであるから、根本的にロシヤ革命とは違ったのであったから、社会のシステムはあまり変化はなかったが、ここロシヤ革命は天と地がひっくりかえったのだから、世界中にショックあたえたものだ。
8時間労働制を労働者に与え、時間中心に規制が初めて法律で決められたことも、世界中の資本家を驚かせ、労働者には勇気と目標を与えたのだから、この話が世界中に広まり、一斉に労働運動がイギリスを中心にひろまり、労働者の権利を主張するメーデーとなって労働運動がこのロシヤをモデルにしたものになったようである。
また婦人の平等が初めて認められ参政権が実施されたので、世界の女性婦人が目覚めはじめたのは、厚生大臣にコロンタイとゆう婦人が選出されたのだから、婦人の平等であるとゆう姿が目の前にあらわれて、せかいの世界の女性がめざめる動機をあたえたのであった。
社会保障とゆう新しい制度で医療や教育が無料になったことも功績であるし、資本主義国では考えすらつかないことであつた。社会保障が国がするものであるなど、旧来の世界では想いもよらないことだったと思う。
またレーニンの政策で被圧迫民族の独立を提唱し、すべての植民地をロシヤみずから解放し、独立させたのだから、西洋の植民地所有国もわが身に火がついたように慟哭したのであった。
このように世界に衝撃的な政策をうちだし、世界の世論が民主主義とゆう思想が昔は空想であったロバートオーエン、サンシモン、フーリエが唱えただけだったのが、現実に目の前にあらわれたのだから、レーニンによって社会主義とゆうのが科学的になったのである。
世界から関心がたかまってきた新しい国であったのだが、レーニゆうイメージを作ってしまったのであった。
そして73年の社会主義とゆうロシヤ型の体制が崩壊したのだった。たしかに新しい社会制度や考えを生み出し国ではあるが、資本主義に逆戻りでもなさそうである。
僕も現在のロシヤをどのように見たらいいのかわからないでいるのが実情である。
教会存続は族しているし、信者も多いところをみると、政治で心まで変えることの困難さをみることができる。ヴェトナムにしろ中国、カンボジヤ、ラオスでもいぜんとして宗教に心の救いを求めている人々が社会主義体制のもとでも多いとゆうことは、心の問題を政治によって簡単に変えることが困難であることを感じるものだ。
フランスのジードが「ソビエト旅行記」で書いていたが、この理想と矛盾を見抜き、ロマンローランの愛情をもった訪問記と対照的にソビエトがスターリンのもとでは近い将来変化するだろうと予感していたことが的中しているようだ。

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by akinishi1122 | 2013-07-28 16:05 | 旅行 | Comments(0)

モスクワにて

2013年7,8,9月の旅 (1)
(ロシヤ、スカンジナビヤ、ヴァルト3国、アイスランドの)
熱中症の妻に詫びての旅出かな 熱中症で退院すぐの妻を置いて旅に出る心苦しいが、妻は毅然として[行きなさい]と言ってくれた
この旅に出る前の18日に出版社からの取材があった。何故旅に出るのか、旅の楽しみについての質問がだされたが、僕はこれと言って僕でなければならないとゆう特別の考えがあってのことではないから、なんと答えたらいいか取材の前は考えてしまうのである。
だが話し出すと次々に想い出してくるものだと自分自身でも不思議なくらいだ、だいたいが初めて行く国だから、僕にしたら、驚くことばかりの毎日で、それを記録しておくだけでも面白い。だから毎日が発見だったり、若返ったりで自分の歳を思うことすらないから、外から見たら、相当事前の計画があるのではないか、と思われているのかもしれない。
そんなことで、今回の旅も「あらかじめ計画があったのだったら事前に知らせてほしい」と息子にそのたびに言われている。計画がたてていないので思い付きだから、説明のしようがない、とゆうのが本当のところのである。
旅程については、毎年のことで、同友会の全国経営研究集会が2月にあるから、それに出てからであり、夏は同友会の年度総会と研究集会、2日目の午後から同友会の全国囲碁大会を開いているし、それが済んでから出かけることになっているのである。今年は、7月11,12日宮崎で総会だった。
今年は宮崎だったから、昨年亡くなった兄の墓参りを兼ねて天草に行き、3日ほど鬼池に泊まり、それが済んで21日は参議院の選挙だったから、これには是非投票せねばならないと自分に制約をかけていた。
ところが、天草から帰宅してみると、秋子が15日に熱中症とゆうことになり緊急に入院していたのであった。だからもうこの旅は中止せねばならないと心に決めたのだったが、秋子は僕の計画を中止させてはいけないと、予定通り旅は行なさい、とゆう。秋子によると、金曜日に退院させてほしいと先生に頼んだとゆうのだから、明らかに僕の旅行を崩さないための心遣いである。秋子はそんな人間である。いつも重要な時、僕のために決意してくれるのが秋子である。一般的にみると僕の甘えは妻に対して非情である、姉などはそのことをいつも僕に諭してくれる。
このようなことを秋子も知っていて、ブログの日記には書かないようにと言っているのだが、僕にしら、このことが一番重要と思っているから、書かないわけにはいかないのである。結局僕の出発の用意の身のまわりの用意するための早期退院であったのである。
そんな経緯があっての出発であった。
参議院議員の選挙が21日であったから、それを済ませてからの出発
昨日、開票が自民党の一人勝ちの結果を車の中で新聞を読んで空港についたから、どのように動き出す政権なのか、僕がみるところだけで、景気が良くなるはずがなく、第一、法改正で、企業の解雇の自由になる法律までできたのだから、国内の消費が伸びるはずがない政策で、景気は期待感であって結局バブルとみている。安倍氏が本当に狙っている、消費税値上げ、憲法9条の改廃、憲法96条の改廃、原発の再稼働、沖縄米軍基地の据え置き、TPP加盟などはいわば隠して、騙しの選挙だったから、今後動き出せば国民との矛盾が急激に吹き出てくるのは間違いないだろう。
そんなバブルを演出して選挙したのだから、近いうちにはじっけてしまうであろうとみている。

5月にホーチミンで買ったパソコンがワードのソフトがついてないために、昨夜顕にとりつけてもらった。これで安心して日記が書ける。
昨夜山の会の事務局長に2か月の欠席の通知をだしたら、「リトワニヤ」に行かれるのでしたら、戦前の日本大使がナチスのユダヤ人強制収容に送られようとするユダヤ人を独断で命を救った、記念の場所があるから、ユダヤ人から最高の感謝をされた記念碑があるから、是非みてきてほしい」とのメールがはいっている。
また、南アフリカのケープタウンの女性の1級建築士RIEさんから、いま建築をやめて国際交流の事業を始めていること、いつも旅日記を楽しく読み、学ぶところが多いから、楽しみにしています。とある、早速新しい事業への飛躍を歓迎することと、事業についての僕の参考意見も時々送信して、事業家としての交流を深めたいと返事しておいた。
彼女のメールでけいことお知り合いだったのですね、とフェイスブックに出ている人は、違う人物のようだと返事したら、その人は名古屋工業大学の先生だったようで、彼女の先生にあたるらしいが、僕がラオスでであったのは、同じ名古屋工業大学でも違うようだった。
ソウルで2時間半ほど乗換の待ちで、モスクワに向かって着いたのは、約10時間半ほどだった。
飛行機では、CDでドボルザークと日本民謡をずっと聴いて時間をつぶしたが、僕には日本民謡が一番ウキウキできていい。
モスクワはホテルからの手配で迎えの車が来ていた。空港からは相当遠く、50キロ以上はあるのではないかと思う。クレムリン広場の近くのようで、あの綺麗なクレムリンが近くに見えている。
車は冷房をいれて走ったから少し肌寒い感じ、ホテルは28階ぐらいあり、僕の部屋は16階である。無事モスクワに着いたことを携帯で知らせておいた。
時差は5時間ほどらしいから、こちらの時間で9時でも日本は2時だから、風呂にはいってすぐ寝る。


(2)2012年7月23日 HIS支店・モスクワ・赤の広場
青春をなんでもかんでも想いだし ここモスクワは学生時代に読んだ本や学生運動の祖国としても想いださせてくれる
モスクワ時間は日本より5時間遅れているが、目が覚めるのは、やはり日本時間だから、目覚めは、朝の2時ころになってしまった、さて今日は何をしようかと考えてみたが、さしあたってどれを先にとゆうことがないので、HISのモスクワ支店に行き、相談したいのだが、日本の薫に電話をいれ、モスクワ、ペテルグラード、ヘルシンキ、ストックホルム、オスローの各支店をパソコンンで送ってもらうことを頼んだ、やはり家族は有難いもので、朝食が済んだころにはもうHISの支店を調べて送信してくれていた。
モスクワの朝は7月といえどもさすがに肌寒い、これでは外出に長袖でなければなるまい。
まずHISでロシヤの旅行を相談するために、出かけることにした、住所がわかったので、フロントで地図をだしてもらい、地下鉄の駅のルートも教えてもらった。
パソコンはホテルにあるのが開けるのだが、見るのはできても日本語の文字打ちと送信ができないのでその操作がわからないから昨日の日記が送信できないでいる。いずれ誰かに相談してみなければ、通信できなくてストレスになるだろう。
地下鉄はすぐ近くで5分ぐらいだが、外に出てみたら、なんかこの前来た場所のような気がする。4年前シベリヤ鉄道でモスクワに着き、このホテルに泊まった記憶がなく、外に出てみて思い出したことになる。
地下鉄はいきなりエスカレーターで、乗った位置からは最後が見えないくらい長いから、おそらく地下4、50mぐらいはあるのだろう。僕が神戸地下鉄の工事に携わったときが地下38mだったが、それよりも長いことはたしかである。社会主義といっていた時代に建設されたからであろう。すべて国営だったから、コマーシャルがなかった。そのかわり、当時の世相を反映してナチスドイツとの戦争に民兵を含めた戦闘姿の兵士や婦人などが、武器をもって闘かっている彫刻が多い。
いまでは美術館として地下鉄駅やホームには芸術彫刻が各駅に展示されている。だが日本のような明々とした照明がないのは蛍光灯を使ってないからだろう。美術の鑑賞としてはよいのかもしれない。
地下鉄の乗客の風景も日本のように照明が明るくないし、乗客の服装が女性の華やかさがない。そして女性の、ことに中年がスタイルや顔の骨格がごつごつしているし、どちらかといえば、労働のたくましい姿の女性姿を感じさせる人が多い。
若い女性でも日本で感じるような化粧した姿がすくない。今日街でみかけることがなかった。
HISの支店には、全て日本語ができるスタッフらしいが、僕に対応してくれた女性は日本人で、まだ30になってないようだ。彼女の説明によると、モスクワでは観光バスがないようで、各旅行会社でチャーターして団体客は案内しているが、個人旅行の場合は日本人ガイドが空いてるかどうかによっての観光しかできないようだ。また次に行くペテルブルグにはHISの支店がないので、まず行く先の目的を決めてから、そこに自分で行くしかないそうだ、
とりあえず、モスクワは「赤の広場」「トレチコフ美術館」「モスクワ川クルーズ」「救世主教会」「モスクワ大学」「雀ガ丘」「プーシキン美術館」などを紹介してもらった。
午後から先ず「赤の広場」に行くことにした。ソビエト時代はメーデーの時にここで軍事パレ行進する姿が全世界に放映し、アメリカに対抗するための威力を誇示したものであった。
レーニン廟が中央にあり、いまでもレーニンがそのまま眠っているようである。この前は、おそらくこのレーニン廟に1000mぐらい並んでいた。このレーニン廟と同じように革命の指導書を敬うためのモニユメントとしてこの国だけではなく、社会主義をめざす理論的指導者たちはそのままミイラで安置されている。一昔前まではスターリンもおなじように廟が作られていたようだったが、スターリンは独裁の未熟さがあり、危険性すらあったとゆう。その未熟さを権力によって弾圧し抑圧して、政権を維持してきたことがわかり、スターリン廟は撤去されたとゆう。
これらのことは、フルシチョフが最初に言いだし、現在では広く知られるようになったのだが、今のプーチン大統領などはこのレーニンやスターリンをどのように思っているのだろうか。スターリンについては、およそ批判的な材料がそろっているが、レーニンについてプーチンがどのように思っているかは、今後のロシヤの方向判断してみると、レーニンも否定的に見ているのではないかとすら思えるのである。
レーニンの1917年のロシヤ革命時に公表されたのは、たしか、領土不拡大、植民地の完全独立を呼びかけて、その実行もしたと記憶しているのだが、現在のプーチンはスターリンが行った日本の北方領土の略奪などをそのまま容認しているし、その話し合いにも現在のところ、応じていないどころか、クナシリ島などを視察さえするほどだからである。
僕な学んだのだったし、それは人類の立場としても否定さるべきものである。とゆう論旨に納得したものであった。国父であるレーニンの思想をプーチンがすこしでも受ついでいれば、北方領土などを占有することはレーンの教えに背くことになるのである。

赤の広場でレーニン廟をみながら、そのことを考えたものである。この赤の広場ではメーデーがいつも開かれているのだが、最近では国際的にメッセージを送ることがなくなったように思うから、この赤の広場も話題性が少なくなったものである。
それにしてもこの広場ことばをかわしたひとが、フランス、ドイツ人であったところをみると、やはり観光での一番のスポットであるようだ。
この広場の裏手がクレムリン宮殿で政府のあらゆる機関が はいっているそうだ。
僕のロシヤ語は大分前だが、講座で「モスクワ郊外の夕べ」とゆう歌を習ったが、その歌詞と曲は忘れないでいる。また間違っているかもしれないが、曲だけはしっかり覚えている。

モスクワ郊外の夕べ
ニエズエスレッセドーダル ヌーデーシー
ソージヤーミヤラ ワーダーダオダラー
エスビーナルビ ダスマクドラギー
アーバス ドーリニクヤク
ベーツセラー

(3)2013年7月24日をし、
 モスクワ川クルーズ
日本では蚊と闘い終えてモスクワへ 出発前まで庭の草刈をし蚊と散々たたかって
朝、HISにパソコンの接続方法を聞くのだが、要領がえないので、パソコンを持参して直接聞くことに頼んだ。正午前だったが、貴方のホテルに電話で聞いたところ、貴方の部屋でファイファイをつなぐことができると言ってました。と僕の要件にたいして、準備してくれていた。僕にしたら、今回の旅はHISを使っていないのに、感激である。いわば日本人であるとゆうだけでの親切ではないか。本当に感激した。
これでパソコンが使えるとなれば気分がすっきりし、パソコンを持ったまま、モスクワ川のクルーズにまわることにした。
キエフスカヤとゆうメトロの駅は3つ目の駅で、料金は450ルーブルである、乗客は殆んどがロシヤ人のようだ。川は奥の山から流れる泥水である。岸部は切り立った石積やシートパイルでへだてられているから、歌の「モスクワ川の夕べ」とゆうイメージの場所がみえない。川幅は10mから500mぐらいのが蛇行していて、おそらくモスクワはこの川に包まれているのではないかとさえおもえる。日本の川は水が美しいが、テームズ川やパリの川、ヴェトナヌやカンボジヤでも同じであるが、たくさんの奥地から土をはこんで流れているからで平野では土地が肥えてているため、人々が生活するための条件ができて、一様に、文化が栄えるのであろう。
森の彼方にモスクワ大学が聳えたっている。おそらく世界一の大きさの大学である。この前来た時遠くにみえるが、
ここモスクワ大学は思い出として、僕が生まれた1934年ころの事件だから今でも忘れられないでいる。
日本の大スターだった岡田嘉子が雪の国境を越えて映画監督の杉との亡命し、杉はスパイとみなされ、銃殺になり、岡田は助かったが、世間の話題になったが、その岡田嘉子が戦後に日本ソビエト友好協会の大山郁夫氏が初めて訪問したさいに岡田嘉子の映画にたいする情熱を知り、大山郁夫のはからいでモスクワ大学の演劇科に入学したとゆうことで僕は印象に残っている。愛しあった二人が、理想の国として亡命したのにソビエト政権はその気持ちをふみにじり、一方を銃殺とゆうむごいことをし、あとで謝罪をしたものの、許せない、スターリン時代の弾圧が日本の民主的な映画監督まで銃殺にしたことはいかにスターリンが暴政であったか、理想の国として国境を越えてもとめた国で殺されるとは、杉監督の心を想い僕にはスターリン体制に怒りを持ち続けているのである。
岡田嘉子はモスクワ大学を出たあと立派な舞台監督や映画監督をっしたり、日本の劇団民芸の宇野重吉などが日本に呼び、日本の映画にも出演していたものである。だが杉監督との死の脱出、理想の国を求めてたどりついた国ソビエトについての彼女の言葉はついに聞くことはなかったものである。
昨日歩いた赤の広場の塔やクレムリン宮殿の城壁が舟からゆったりと眺められたのは気持ちがよい。
終点の船着場まで焼く1000mぐらい人々が並んで歩いているのはなんだろう。ロシヤは演劇の国だし、芸術の街だから、劇場かスポーツの会場までの人波だろうかと思う。そうみているとこの号列が、街に溶けこんだ人の行列である。
大きな砂を運ぶ船がゆっくり運航しているが交通の運搬手段としてもまだまだ役にたっている川である。大きな川モスクワ川はやはり「モスクワ郊外の夕べ」の曲の心だなーと思う。
ホテルに帰りパソコンを利用したいとフロントに相談したのだが、部屋で使えるのだが、日本語の操作説明が読めないから、と 接続を断念されてしまった。
だからこの日記も日本へは遅れないままになる。いつになったら使えるのだろうか。

(4)2013年7月25日 モスクワの地下鉄駅の彫刻美術品めぐり
パソコンの使用できる、3日分の日記送信

長袖をTシャツに替え昼モスクワ 朝は肌寒だが、昼になると日本とおなじ暑さになる 

4年前シベリヤ鉄道の旅でハバロフスクの駅にいたところ、モスクワ放送の日本向け放送のアナウンサーにインタヴェウされたことがあった。日本人で岡田さんとゆう人だったが、20年前に初めて来たとき、ハバロフスク空港の近くの公園を一人で散歩していたら、飛行機が時間を早く出発することになり、空港職員が僕を公園まで探しに来てくれ、そして僕のために待機してくれた空港に僕の手をひいて載せてくれたことがあったことなどシベリヤは印象が深いし、職員の親切が嬉しかったことなど話したら、それを日本向けの放送でながしてくれたそうである。そのご日本に帰ってから、中継のことばを放送しました。とメールで知らせてくれていた。
そのことがいまだに僕の名前を検索すると、モスクワ放送の項目にでているから、モスクワ放送については良い印象をもっている。
また岡田嘉子さんがモスクワ放送のアナウンサーをしていた1955年ころ日本の平和運動についてのニュースなどをモスクワ放送で岡田さんの声をよくきいたものである。その頃からしばしばモスクワやレニングラードの地下鉄は有名で、芸術作品の彫刻が各駅のホームに展示されていることを聞いていたから、今日はじっくりと各駅をまわり、写真に納めておくのもいいだろうと考え出かけた。
各駅の壁や床がことごとく大理石や御影石で仕上げてあるところをみると、この国には大理石が豊富に埋蔵しているのであろう。石の種類も駅ごとに違ったのを使用している。
ホームの広場には大きな彫刻作品が展示されているが、今から70年ぐらい前のナチスドイツのモスクワ近くまで侵攻してきたのと闘いの最中だったから、国民が武器をもって闘う姿や、工場で働く労働のさまざまな職種の労働のがえあがかれている。
なかでも婦人の労働や子育てのさまざまな姿も国防一色だったり、犬とともに戦地の向かう兵士などがあるが、それぞれ何らかの物語があるのだろう。
団体の客がそれらの作品の前で解説している。目にとまるのは、若い母親が乳飲み子をかかえて、夫を戦場におくりだすものや、老人が農作業をしながら鉄砲を持っている姿などは戦時体制下ならではの記念になる。心に残るものである。
この地下鉄美術作品は戦争一色だから、やはり国民の戦意高揚をねらった芸術とみたほうがいいだろう。
僕が降りた駅は10か所ぐらいだったが、おもに環状線で古くからの駅で300枚ぐらいは写真におさめておいた。
日本やヨーロッパの地下鉄では企業の広告が多いが、やはり社会主義の国だったから、美術品が保存されているのだろう。だが最近エスカレーター横の壁に広告がではじめているところをみると、資本主義経済の姿が押し寄せてきてるようだ。コカッコーラ、マクドナルドなどの広告やロシヤの企業も宣伝が広がっているのは、資本主義化が押し寄せているといった感じである。
今日も地下鉄でたくさんの人々の貌や服装を見たが、どうも若い女性でも美人と言える人をみかけない。だから僕の美人とゆう見方が違うのであろう。何故ならそれぞれがみんな恋人がいて、結婚し愛しあっているのだからである。僕が好む顔とこちらのひとたち好む顔は違わねばならないはずである、となれば僕の美人とゆう判断基準がここではおかしいとなるのである。
国によって女性や男性にたいしての感覚は好みとゆうことで、「美」とゆうのではないようであると気付いたものだ。
女性は結婚するととたんに肉がついて太るようでこれは食べ物のせいだろうか。体を重たそうにして歩く中年の女性がじつに多い。
貌も骨格が張って、ロシヤではこのような女性ばかりだから、男性の好みもそんなところに魅力を感じるのであろうか。
ここにきて僕の女性を見る目と、国によって大分違っているように思う。それでみんな幸せなのだから。

最後に降りた駅は「赤の広場」にしたのは、先日たくさん撮った写真がみんな没になってしまっていたからである。今回のためにカメラを買ってきたのだが、どうゆうわけかパソコンに移す時なのか、写真が見つからない、そしてカメラが動かなくなり、バッテリーを充電してとりかえてもカメラが作動しなくなり一番きれいな広場やレーニン廟が残っていないのである。
だからもう一度広場にゆき、写真をとるための下車となった。ところが、今日は広場には入れないようにフェンスがはりめぐらされていて、この前のようには撮れなかった。
ホテルに帰り、パソコンの無線の操作を相談したら、パソコン相談員が応対してくれ、難なく僕のパソコンが使用できるように接続してくれた。
これで胸につかえていた日本へ旅日記3日分を送信することができた。
ロシヤでは僕のメールアドレスを打ち込むのだがロシヤ文字になるから、繋がらないのであり、その切り替えをしてくれたようである。


(5)2013年7月26日 モスクワ観光バス、プーシキン美術館、
朝寒や四通メールに早起きす 一人旅は日本からのメールが嬉しい、想いをこめて返信がまた楽しい
文学阪神の岩本氏、妙さん、柴垣さん、定邦さん、金谷氏からメールのメールが届いた。僕の送信した日記の①②が文字化けしているらしい。それは、妙さんからのにも書いてあるから、想いあたることもあるから、少し工夫して送りなおさねばならないが、正直なところ、まだ完全にはパソコンが繋がらないで、もたもたしながら、うまくインターネットが繋ぐことにも手間がかかっているから、少し時間をかけて繋がっているうちに急いで処理まで手がまわらないでいるのが実情である。
家には携帯でメールを俳句で知らせておいたら、すぐありがとう。と返事がきた。
阪神文学の岩本氏から、支部推薦作品に霜村みづきさんの「サクラサクラ」と
評論では「近代文学の中の小林多喜二」と決まったとゆう。僕も全く依存がないどころか、この二つの作品に非常に学ぶところがあり、今月の例会には出れなくて残念だった。われわれの支部にこんな優れた作家評論家がいることに誇りを感じたい。
妙さんについては彼女が6年半オーストラリヤに滞在し、しかも親戚とゆう親近感もあり、天草の古い、いわば日本の習慣を背負いながら、近代の女性の生き方についてどのように生き方の選択をしていくのだろうか、と関心があったからと、それを打ち破る新しい生き方を期待していたから、「日本一の妙さん」になることを期待してメールしていたが、僕の期待以上に女性の置かれている立場の認識、そして日本の教育制度の欠陥、人を評価しなくて、テンプレート型人間の育成への批判的認識、それに対する外国の人を評価して育てる教育とゆう視点が矛盾として認識していることへの驚きである。地方にいる立場でありながら、僕と全く認識が同じであることを知らせてくれている。日本の古風な習慣がじつは一番遅れている地方で変革が進みつつあるのではないか、と衝撃的に感じ、そして明るい希望を発見したメールであった。ぜひ励ましてやりたいと思う。
弁護士である定邦さんからは、妙さんのこの考えを容認どころか、むしろ評価するような言葉がきているから、新しい天草が変化しつつあり、大いに希望を持ちたいと思う。
柴垣さんは新聞連載ちゅうの忙しい最中でありながら、僕の旅に励ましと期待を送ってくださった。連載が完結して本になったら、感想を送りたいとおもう。
昨日地下鉄の彫刻美術の写真をパソコン操作で決してしまっていたから、もう一度地下鉄を少しまわり、「赤の広場」にも出て写真を撮り直した。こんな無駄をよくするがそれも長期の滞在であればこそできることである。それにしてもこんなに大勢の観光客がいるのに、日本人におめにかからないとは不思議である。
広場前から市内カンコウバスに乗った。主に赤の広場やクレムリンの周辺だが、その中にプーチキン美術館に入ってみた。ルーブルには及ばないが、彫刻や、エジプトの王のミイラやロゼッターストンのようなものが集められていて、とても1時間では唱歌できるような数ではない。おまけに写真のフラッシュが取れないのだから、頭に記憶だけでは残念である。
この観光バスに日本人の家族が乗ってきた。40歳ぐらいの旦那で、子供が中学生と小学4年ぐらいに奥さん。夏休みだから、ロシヤに単身赴任して2年になるご主人に会いにきたらしい。日本の企業はなんて酷いことをするものか、と思う反面、奥さんにしたら、子供の教育は日本で、とゆう心情はわからないでもないが、日本の教育を絶対視する日本的な教育観に家族や子供たちが一緒に生活できないことの我慢をいつまでしなければならないのだろうか。
旦那はあと2年は工場建設にかかるだろうといっておられたが、その家族は離別の生活がまだ続くのである。
個人の生活と幸せが置き去りにされて企業が海外へ進出することに圧殺される社会がいつまで続くのであろうか。

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by akinishi1122 | 2013-07-27 14:41 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

本当の自己発見や夏選挙 地鳴りがする予感の選挙だった、歴史は動きつつあるようだ、

今日からロシヤへの旅が始まる

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by akinishi1122 | 2013-07-22 04:19 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

妹がピアノ褒めてる夏休み 昨日六年の姉のピアノ発表会があった、小学2年の妹が、「練習の時よりも上手だったよ」と褒めていた
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by akinishi1122 | 2013-07-21 07:43 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

妻退院記念となりし新車かな  退院の日に車がトラブルになり、新車を買うことになった
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by akinishi1122 | 2013-07-20 07:59 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

妻留守に投票依頼夏選挙  選挙ごとに遥か彼方から60年前の同級生とゆう婦人から電話がくる
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by akinishi1122 | 2013-07-19 06:16 | Comments(0)

今日の一句

退院の決まりて決める夏パジヤマ 脱水症状で入院した妻も退院の日が決まり、パジヤマを新調している
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by akinishi1122 | 2013-07-18 06:19 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

救急車留守中に妻脱水症 九州に行って留守中に妻脱水症で入院している。本日は全国的に患者がでているらしい
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by akinishi1122 | 2013-07-17 17:36 | 俳句 | Comments(0)