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カンボジヤ通信

19)2013年5月25日 シエムリア市内単車タクシーと普通タクシーで観光
クメールは太陽の土太陽の水 カンボジヤにきて、赤土が太陽が作った色であるように見える、暖かさがあるのはこの赤土だかからであろう
カンボジヤのホテルの近くを散策しようと歩いていたら、バイクの後ろにボックスの着いたタクシーが声を掛けてきたので、歩くよりもこれを利用するのも面白い経験になるなと思い、1時間半ほど乗ることにした。
乗ってみるとなかなか便利で気にいった所、どこでもストップして写真が撮れるし、ドライバーに写真を撮ってもらえる。オープンカーだから涼しい。
街全体の感じが寺院がたくさんあり、その寺院がレンガ、オレンジで統一されたカラーで心和む色である。ホテルにしろこのカラーであり、街全体が気にいった。
ドライバーも日本語は全く解らないし、英語もわからないがジェスチュアーだけでも人のよさそうで、僕のホストをしてくれる。
アンコールとゆうのは、王家とゆうし、ワットとは都市を意味するカンボジヤ語らしい
カンボジヤの歴史に資料が残るのは九世紀初めの頃らしいが、やはり仏教やヒンズー教の文化で宗教をもって人民を統治したようだから、どこの国でも権力者は自分が神といちばん近いし、生きた神様とゆうことを人民に思わせることで、統治の手段スタイルを考えるもののようだ。「現人神」(アラヒトガミ)とゆうのが一番考えつく統治手段である。日本でもつい1945年まで僕たちも天皇をアラヒトガミ、現代に生きている神様だと教えられていたのだから、考えることは現代まで続いているものだった。
天皇陛下が「私は人間でした」といわゆる「人間宣言」をされた時、われわれは「そんなことわざわざ言われなくても知っていましたよ」と小学生である我々が言っていたことを思いだす。国民はみな知っているのである。
その考えで寺院をつくり、一番頂上に神と王が会話するための祭壇をつくってきたのに象徴されるのが、ここアンコールワットの遺跡らしい。
その後26代の国王が代わったらしいが、すべて前の国王より、より神に近い寺院を作るのがその権力を示す伝統だったので、この森の中に世界最大の寺院ができた理由のようだ。
ここへきて、知ったのだが、日本人が1632年に森本右近大夫一房とゆう人物がここに来たとアンコールワットの遺跡の壁面に墨書きで「御堂を志し数千里の海上を渡りここに仏四体を奉る」と記してあるとゆう。今から382年昔である。書いてあるように、幾千里の海上を経て、陸を歩き森の中のこのアンコール・ワットに来たとゆうことの訳を知りたいものだ。また宿題ができた。
写真のパンフレットにあった。クメール、ルージュ・ポルポト政権が崩壊したとき、シアヌーク殿下が、クメール。ルージュと組んで社会主義を掲げ強行しようとし、たくさんの人民を殺害した資料館を案内してくれた。
僕の認識では、ポルポトとゆう指導者は植民地からの独立の闘士ではあるが、人民を権力で従わせ結局短期間のうちに崩壊してしまったようである。
現在の政権がどのような方向に進んでいるかとゆうことが僕にはわからない。シアヌーク殿下とゆう王朝と社会主義の中国が組んで、王と社会主義思想との共存とゆう変んな国のように思う。シアヌーク殿下は長い混乱の間北京にいたようで、ポルポトが倒れてから帰国したが、ポルポトとも交流があったように記憶しているから、いまだにこの国がどんな国か判断できないでいる。
ポルポトが人民を殺害した資料館には、幾百とゆう骸骨がガラスの箱で前面に積み重ねられ、展示されていて、ホーチミンで見たアメリカの残虐行為と同じことを、国内の指導者ポルポト政権がやっていたのであった。社会主義と標榜すること自体おかしい、政権であったようにみれる・現在の政権がどのような方向にすすんんでいるかは僕にがわからないが、クメール、ルージュへの反応は顔っをしかめてNOとゆうことがドライバー、市民の反応のようだ。だが資本主義の方向ではなさそうである。インドシナ三国が独立したとき、ヴェトナムが独立を支援したように思うから、ヴェトナムとの関係が現在どのようになっているのだろうか。
今日みるかぎり、僕はこのカンボジヤの宗教の寺院が柔らかいオレンジ、レンガ色で好きで心が和む風景である。
昨日のタクシーのドライバーが3時に湖を案内してくれる約束だったので、車で1時間ほどの往復を案内してもらった。先ほどみた寺院風景はなく、湖での漁をする人々の地面から立ち上がった足3mもの柱の上に立ったあばら家が沿道にずっとならんでいる。台風でもくれば吹き倒れそうなバラック建てがいっぱいだから、農村地帯はまだこのような生活が多いのであろう。
明日は朝5時から、アンコールワットからの日の出の時間に、昼に乗った単車のタクシーが案内してくれることになった。

夕食はホテルの近くにコーリヤンレストランがあったので、食事を注文したら、キムチが9種類もついてきたし、御飯にまたキムチ4類類ついてきて、もうこのキムチだけでビールを飲めば満足である料である。僕にはこの韓国料理が一番のご馳走である。
パソコンに山の会の機関紙部の宮本氏から、6月号の機関紙に「ヴェトナム通信」として載せてくれるとの連絡が来た。大阪同友会の機関紙部の西岡さんから、宮崎さんの交友の広さに驚いています。とあった。

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by akinishi1122 | 2013-05-26 07:06 | 旅行 | Comments(0)

(18)カンボジヤへ

(18)2013年5月24日 ジヤカルタから。ホーチミン。カンボジヤへ
殿下だけ知る国ば椰子の門  シアヌーク殿下だけはよく覚えている国で椰子やバナナにつつまれたホテルに迎えられた
今度は間違わないように、早めに空港に着いた、すると、おととい世話をしてくれた、JALの現地の女性がカウンターにいてくれた。そして、ホーチミンでの乗換、荷物はカンボジヤで受けれるように手配もしてくれ、これで安心して、今夜カンボジヤに着くことができる。親切な日本語の話せるインドネシヤ女性だから、忘れないように写真に納めとおいた。
待時間が3時間ほどあるから、インドネシヤの青年に話かけたら、彼も同じ便でホーチミンに行くとゆう。35歳で農業の機械をヴェトナムに販売に行くらしい。彼がパソコンをやっていたから、接続を教えてもらってこのメールを書いているところだ。お礼に僕が買っていたコーラと日本のコケシをプレゼントし、一緒に写真も撮り、お互いの文化を今後交換したいと頼んだら、喜んでくれ、即座に僕のパソコンにテストメールを送信してくれ、ちゃんと着いた確認までしてくれた。子供も2人いるらしいし、さしずめ僕の孫と彼の子供の写真を交換することから始めようとなった。
搭乗口がD1とゆうことで2時間もあるから、吉開那津子さんの本を読み始めた、吉開さんは、僕の所属している民主文学の会長を昨年までしておられたが、僕はまだ彼女の小説は読ことがなかったので、今回の旅行で初めて長編の「緑なる山河」を読むことにした。柴垣文子んの「星につなぐ道」を昨日っ読み終わったのでこれに取り掛かりたいと思う。
本に夢中になっていたからか、搭乗ゲートに誰もいなくなっているのに気付かなかったのだろう、空港の係員が来て「あなたはホーチミンに行くのではないですか?とう、それは搭乗口が変更になったのですよ」呼びに来てくれた。E2番になったとゆう。日本人が誰もいなかったので、教えてくれる人もなかったからであった。次の時間まで待っていて、「ここはホーチミン行き場ですね!」と英語で尋ねたらその人が日本語で、「間違いありません」とゆう。日本語が上手で、愛知県の春日井市に3年半職業研修生として、仕事と日本語の勉強をしたからだとゆう。現在はホーチミンで日本ヴェトナム、カンボジヤ、フィリピン、インドネシヤとの経済交流のためのコンサルタントの仕事をしているとゆう。37歳で事務所の名刺もくれた。僕が会社を経営していて、大阪の経営者団体で役員もしていたことを話すと、是非何か一緒にアジヤと日本との経済の交流をやろうではありませんか。と積極的である。僕は現役を退いているが、経営者の友人は大阪にかぎらず、日本中に知っているから、今ヴェトナムやアジヤに中小企業も関心をもっている企業が多いから、日本の企業家もこの話をしたら、何等かのお役には立てるかもしれない。と話しておいた。
話しながら、日本の友人を何人か頭にうかんできた。なかなか活動的な青年で、日本語ができるから、僕も何か彼との関係での仕事もできるのではないかとゆうき気がしてきた。
現地での事業所の開設手続や、工場の建設、人の雇用の仕事もお世話できるとのことである。春日井市ではコンピューターの会社で研修していたらし。
ホーチミンには丁度3時間かかり着いた。カンボジヤはジャカルタとの時差は無いらしい。だから日本との時差は2時間で、日本が2時間早い。
ホーチミンからカンボジヤまではちょうど3時間で到着。もう暗くなっていた。
カンボジヤで気になっているのは、ホテルにたどり着くこと、そのホテルが本当は2日前に予約しているのに、2日遅れて着いたから、部屋がキャンセルになってはいないだろうか。とゆうこと、もう一つは、夜の9時過ぎだから、タクシーの交渉がうまくゆくだろうか、また騙され、そして観光相談する予定のHISがもう夜だし閉まってできない。そして明日が土曜、日曜と休みが続くから、観光の短い滞在になるが、相談ができないこと。いくらほど換金しておかねばならないか、それは、インドネシヤの銀行でカンボジヤの金に換金しようと頼んだら、カンボジヤの金にはインドネシヤでは換金できないといわれたから、カンボジヤの通貨はあまり信用されてないのではないか?だからあまり多く換金したら、今度余ったどこも換金してくれないのではないだろうか?などの心配を持ちながらの入国だった。
でもとりあえず、2万円を換金した。すると、682,600になった。だから、何か払う時は34で割れば日本円になることになろう。
タクシーでホテルまでたのんだら、28000とタクシー案内所でチケットを発券してくれ、それだけで、ドライバーには何も払わなくてよかったので、第一の関門は無事通過できた。やはりどこの国でもタクシーのトラブルで、いやな思いをすることと、貨幣価値の判断に戸惑うことの不安がつきまとうのだが、ここではこれがスムースにできて、なによりだった。ドライバーは30歳の独身で少しだけ日本語ができる。そして「明日の朝アンコールワット遺跡の日の出が5時だが、それに案内したい」と言ってくれたが、きょうの夜が遅いから、朝の5時は無理だ、といったら、次の日にしませんか・あくまでも誘ってくれる。
ホテルに着いたのは20分ぐらいの距離だった。そして、昨日泊まれなかったのに、ちゃんと部屋はとってくれてあり、これも心配が解消できた。
ホテルは玄関も内部も全て木の板で仕上げてあり、クラシッカルであり、気分がいい。
部屋もすべて木製のチーク材仕上げで安らぎがあるから、気にいった。パソコンも自分のがコードで接続できるから、使用できる。これがなによりだ。
家に安全にホテルにも到着できた、とメールいれておいた。
「文学阪神」の大和氏から、昨日送った4通の通信にそれぞれ、個別の感想を書いてきてくださった。俳句会の淑子さんから、「旅日記の本、茂子さんと話になり大変面白いと話題になりました。出版社の奥村さんから、無事通過おめでとうございます、続けて待っています。ときている。

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by akinishi1122 | 2013-05-25 13:03 | Comments(0)

(17)友人からの手紙

(17)2013年5月23日 ジャヤカルタのホテルで休1日休養
足止めも役にたつもの夏休み  カンボジヤ行で失敗したので、ちょうど良い夏休みにしたところだ
今日はホテルで一日休んで、いままで受け取ったメールの編集をするのに使ってみた。体調を整えるのにちょうど中間のタイミングにもなるし、こんな機会でなければ、せっかくきたのだから、とつい動いてしまうものだから、負け惜しみでない理屈をつけて、休息することにした。

山の会 事務局長 N氏より
こんにちは。フランス軍を破り、世界最強の米軍を叩きのめした歴史を持つ偉大なベトナムの人民が
戦後復興に取組んだ国民の現状は如何ですか?多くの日本企業が進出しているようで、反日感情を政治・経済に悪用して国民の目をそらして世論コントロールする中国(日本の右翼政権の問題もありますが)を嫌い更に人件費の安いそして安定した東南アジアに企業進出が増えているようです。
表層の観光でなく、ベトナム人民の目線で社会主義建設を目指し、成長を続けるベトナムの貴重な体験記を心より楽しみにしています。
道中、健康管理にはくれぐれもお気をつけください。

中小企業家同友会全国協議会前会長 赤石義博さんより
 お早うございます。昨夜、福岡の50周年記念式典から帰宅したところです。立派な本が届いていました。頭の中ですらすらと考えて書いたものではなく、一文字一文字に実際の積み重ねの全てが打ち込まれていることなので、大変重みのある内容と感じました。有難うございました。じっくり勉強させて頂きます。更なる旅を期待しておりますし、その為にも、益々健康でありますよう祈念申し上げます。宮崎信敏万歳!万歳!

同友会しんぶん編集者 Fさんより
初めてメールさせていただきます。
中小企業家同友会全国協議会の事務局で
中小企業家しんぶんの編集を担当している冨永と申します。
以前ご依頼がありました
「第9回同友会全国囲碁大会のご案内」の記事を
5月15日号のしんぶんに掲載しました。
中小企業家しんぶんへのご協力ありがとうございました。
御社宛に掲載誌をお送りします。
ご確認お願いいたします。
囲碁大会が盛大に開催されることを祈念いたします。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
同友会全国協議会 政策委員長 O氏より
おはようございます。
遅くなりました。
宮崎さんから頂いた「世界紀行」(宮崎信敏著)、4月末の上高地散策の旅で読ませていただきました。
豊かな人間性をバックボーンにして、常に様々な世界を訪ね学習し、自及び他を観察し客観的に捉えて、自分と客観的的世界の関係を再考し、自分の考えを表現する宮崎さん。驚嘆。
7月の大会でお会いできることを楽しみにしています。

作家の 柴垣 文子さんより
「70歳からの留学、77歳で56ヶ国ひとり旅」届きました。
ありがとうございます。
充実した人生がいっぱい詰まっている本だろうと期待しています。
記念すべき持ち重りのする本をいただき、感謝の念でいっぱいです。

「月刊大阪同友会誌」編集委員 Nさんより
大変な旅ですね。いちいち面白いです。読ませていただきました。
(1)、(7)、(8)を受け取っております。
私が行ったフィリピンはリゾート地のセブ島のみで、マニラを通った時は治安が悪いと車から降ろして
もらえませんでした。市場の横を通って、これがマニラの市場だよ...というわけです。
アキノ大統領政権交代の頃で、テロの心配もあったと思います。
宮崎さん、自分が映った写真を撮ってきてください。今度はアジアシリーズを掲載します。
日本では見られないような、風景、スナップもいいですね。私が編集します。
とにかく無事に帰ってきてくださいよ

岡山の総合病院長 同友会全国協議会副会長 D先生より
    連絡が、遅くなりました。 毎日メール見っていなかったので、東南アジアへの旅立ち、宮崎さんの旅行鞄にはいって
    旅をしたいと思います。ベトナムにも行きましたが、戦争とはむごいものだと思います。戦争は駄目です。理由が何であっても。
    「こそ丸」の服用が必要です。

大阪同友会女性社長 Aさんより
 メールありがとうございました。
  「僕は世界の国の人々と友達を作ることに旅行の楽しみをしている、と言って友人になることを頼んだら、喜んでおつきあいしたい。とアドレスもかいてくれ、夜遅くホテルに帰ってパソコンを開いたら、早速メールが届いていた。」 
  こんな文章、いつか書いてみたいです。 かっこいいでございます。
「宮崎さんの鞄に入って世界旅行しているみたい」 同感でございます。
お身体お大事に、濃厚なる旅の日々をお過ごしくださいませ。

ホーチミンで一緒だった大阪堺の若奥さん
旅日記、いつも送ってもらいありがとうございます!ほんとにためになりますし、内容が深いから、毎回プリントアウトをしてじっくり読んでいます。
時々、ハラハラしますが、日記がまた届くということは、乗り越えているということと、ホッとしています。

文学阪神(大阪大学)中路氏より
ベトナムの日記拝読しました。
 外国へ行って日本の現状がよく分かる、実感するということに旅の意義を再発見させていただきました。
 拙作「どきどき五七五」より、
 「恥ずかしき首長のもとでくらしをり」
 わが日本の大阪では、橋本市長の慰安婦問題での暴言(軍隊をコントロールするには慰安婦が必要だったetc。)が続いています。大阪の恥、日本の恥、と昨日の報道にありました。一刻も早く市長を辞めさせなければと思いました。
 橋本市長の暴言にノーコメントの安倍首相も同罪でしょう。
 「東西で右側通行響きあい」
 ・・・お元気でよい

大阪同友会の S女性社長より
大変楽しそうなお話をありがとうございます。
違うターミナルに到着してしまったというくだりは
どうなるのかとはらはらしましたが、
楽しそうで何よりです。
海外へ旅行されるとお腹の調子が悪くなることが
多いのですが、宮崎さんは大丈夫みたいですね。
もうしばらくゆっくりお楽しみになられてくださいね。

随筆集団『飛翔』編集室長  田中 より
  本件拝受しました。
次号98号・99号に連載の方向で
  編集させていただきます。校正文は一度 
  ご確認いただきますようお手元にお送りします。
  
同友会入会について
よろしくお願いします。
平井(神奈川)

ホーチミンで一緒に観光した若いご夫妻の女性 Nさんより
違うターミナルに到着してしまったというくだりは
どうなるのかとはらはらしましたが、
楽しそうで何よりです。
海外へ旅行されるとお腹の調子が悪くなることが
多いのですが、宮崎さんは大丈夫みたいですね。
もうしばらくゆっくりお楽しみになられてくださいね。

高校時代の同期生 山崎さんより
こんにちは 19日予定通り退院し昨日(21日)は抜糸も終りました。足の痺れはとれ腰の痛みも無くなり手術は成功しましたが、2週間も病院に居た為、足の筋肉が衰えサッサとは歩けない状態で鍛練が必要です。メール受は携帯でも長い文章が入っても読めるよう空け、パソコンで変換しなくても読めています。アジアも欧米と違った良さがあるのですね! (14)のメールで「人間の幸せは物質文明が豊富とは別次元」「…では生きることは当たり前、食べることの心配がない。… その国の幸福感は国の環境で違う」を実感として感じられたことでしょう。旅行中に水と食あたりには注意され充実した楽しい旅をしてください。山崎

文学阪神(大阪大学)のY氏から
旅行記 (1)~(16)まで読ませて頂きました。
(1) 2013年5月7日 ヴェトナムと5か国の旅 ホーチミン
(2) 2013年5月8日 南部ホーチミン海のリゾートブンタウ
「ミン君に失業率はと聞いたら、、失業とはどう有意味ですか?と逆に聞きかえす。「ヴェトナムには失業者はいません」・・・」は色々なことを思い考えさせられます
(3)2013年5月10日 ホーチミン市
「消費税の値上げ、TTP参加による農業、・・・一方このヴェトナムにおいては、失業者がなく、将来に希望をもっていきている、とゆう点では現在生きていることの意気ごみが違うように思える。」は宮崎さんの憂いと希望をに共感をおぼえます。
以前、「テレビで戦争より経済戦争の方が大変だ」と言っていたのを思い出しながら読ませて頂いています。
(7)2013年5月13日(月)フィリピン大統領選挙で休日
「・・・と愛妻ぶりをも聞かせてくれた。だから子供たちに日本からもってきた、コケシのホルダー、奥さんには扇子をプレゼントしておいた。」
「コケシのホルダー」と「扇子」に旅行通だけでなく人に対する思いやりを感じます。
「タクシーの中でのコミユニケーションによって人人も変わるものだと発見した思いだ、」は宮崎さんの心です。
 「道々に乞食もいる。子供がお金をねだるのもいる。これはヴェトナムとの違いだ。」には何となく分かるような気がします。
(8)2013年5月14日マニラの観光プラン、パソコン仕様再開
「フェイスブックに音楽評論家、作詞家の湯川れい子さんんから友人になることの承諾」には宮崎さんの活動範囲に驚きです。
(9)2013年5月15日 マニラ市内見学
「リザルといえばスペインの統治時代の1896年に独立運動を起こし、・・・指導者が殺害されて49年後の1945年になってやっと独立が達成されたのは、・・・」フィピンの歴史については皆無ですが「リザル」の名前は覚えました。
(10)2013年5月16日 ジプニー工場とTAGAYTY山
「ガスの溶接機やハンマーなどの道具類をたくさん使いこなして仕上げていくのだ。」日本にも昔は沢山そうゆう人がいたのでしょう。
(11)2013年5月17日 マニラからジャカルタへ
(14)2013年5月20日
「日本の物質文明が遅れていると感じることもあったが、・・・人間の幸せとは何かとゆうことが必ずしも物質文明が豊富であることとは別の次元であることに気付かされたものである。」実際に見られ感じられた言葉に重さを感じます。
「だから自分の文化を違った文化を持つ人に押し付けようとすると争いになるの
である。今イスラエルとイスラム教文化が戦っているのの原因は、そこにあるようにおもえる。・・・」には、どれだけ血が流され、これからも流され続くことに暗澹とした思いになります。
(15)2013年5月21日 ヴァンドンの温泉とタンクーパック火山
(16)2013年5月22日 大失敗でカンボジヤに発つ飛行機便・・・
「こんなにして少しずつ賢くなると思えば、勉強になるとゆうものだ。人生はまだまだ長いのだから。」は日頃感じている、宮崎さんの前向きな楽天性をみました。
旅行記 (4)、(5)、(6)、(12)が抜けています。良ければお送り下さい

日本民主主義文学会 新会長田島氏から
 お元気でご活躍の由、嬉しく存じます。ヴェトナムの旅、素敵ですね。私の方は大会後の諸事項に追われていまして、羨ましいかぎりです。ご健筆を願っています。



 



 






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by akinishi1122 | 2013-05-25 13:01 | Comments(0)

(16)大失敗の巻き)

(16)2013年5月22日 大失敗で飛行機(カンボジヤ行)に乗り遅れる
暑さボケ飛行機便の読み違え 大失敗でカンボジヤに発つ飛行機便を読み違えし2日かんの足止めになってしまった
カンボジヤに発が夕方7時半とは、えらい遅いように思ってホテルで、のんびりして、それでも昼食を済ませてからでも7時間もある。そう思いながら、でも早めに空港に行って待とう。そう思って1時過ぎに着いた。そしてヴェトナム航空のカウンターに行ったら、もう飛行機は飛び立ちました。とゆうのである。そうしてチケットを調べてくれたら、チケットの止めてある書類に全く別の欄に、ホーチミンに行き、そこから、乗換でカンボジヤに行くことになっていることで、僕はホーチミンからカンボジヤに行くチケットだけを見て、その時間が7時半とゆうことの読み間違いであった。ジャヤカルタから、ホーチミンまでのチケットが行程表から切り離されていたのを見忘れしたのが原因であることが後でわかった。
HISの行程順番に番号が本来は4番にいれるべきところを抜かしてあるから、その抜けているところがHISの順番通りに動いtたための乗り遅れであった。
単純にHISが順番を間違えていたからといえないのは、僕もおかしいと気付き調べのだから、やはり僕の注意力がなかったことを恥じなければなるまい。こんなことが一人旅の陥りやすいところで、自分の判断力がもろにでてくるものだ。こんなにして少しずつ賢くなると思えば、勉強になるとゆうものだ。人生はまだまだ長いのだから。(HISにチケットの説明を聞きに行ったら係員が休暇で休んでいて、かわりの人が説明と順番をとじてくれていたからこんな順番間違いがでたのであった)
ヴェトナム航空の事務所に行き、次の便は今日、明日にないものか、ときいたが、明日はなく、次の金曜の同じ時間にとることはできるが、このチケットは、もう使えないとゆうことだ。仕方がない2日延長し、その便を予約することにした。(ジャヤルタから、ホーチミンまでが、日本円で1万円、ホーチミンからカンボジヤまでが3000円を日本円で支払った)
ヴェトナム空港の事務所長は一人のようで、隣にJALの事務所があり、そこから日本語の解る女性を呼んでくれ、これらの手続をしてくれた。だから、僕はホテルに帰ることにしたが、この事務員さんが、念のため空いているか、と電話をしてくれたら、今日明日はもう満室だとゆう。いくつかのホテルに電話して、くれ、やっととれたのは、昨日まで泊まっていた同じ経営のホテルがとれることになった。
そしてホテルまでのタクシーに乗り場まで一緒に行ってくれ、ドライバーにメーターで走るように指示もしてくれた。こんなに親切にしてくれるのはなぜだろうと思っていたら、自分はJALの職員で、ヴェトナム航空とは業務提携してるからだ、と教えてくれた。
インドネシヤのお金がほとんどなくなっていたが、また両替しなければならないことになり、彼女に訊いたら、ホテル代も4500円ぐらいだから、1万円変えておけば十分ですと教えてくれた。
ホテルまでは1時間半ほどかかるといっていたが、乗っていて、渋滞にまきこまれ30分ほどノロノロ運転だったが、降りる時のメーターでは96000ですんだから、前のホテルより近いようだ。
昼時間待ちしている間にたくさんのゆうじんんい、「カンボジャに向かっています」とメールしていたが、もう訂正するほどのこともないだろうと、家にだけは、カンボジヤに行くのが2日伸びた度だけ知らせ、内憂は明日の日記をみてくれ、とかいておいた。

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by akinishi1122 | 2013-05-23 12:38 | 旅行 | Comments(0)

インドネシヤ。ヴァンドン

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by akinishi1122 | 2013-05-22 13:10 | 旅行

一日休養  ジャカルタ


(14)2013年5月20日旅行が丁度半分になり一日休養す旅る)
旅日記冷房つけて書く日なり 今日は休養の日にし、冷房をつけて日記を書く
今日は体調を整えるために休養ときめていた。部屋で日記を書いたり、本を読んだりして、午前中は部屋にいる。
体調についてはさして心配はないが、日本からでも、5月3日から長野に4日家族旅行していわばこの旅は3日から乗り物ずくめとゆうことになっているから、疲れが少しは感じないこともない。
だけども、同じホテルに5日間滞在としているから、荷物を持ち歩くことがないので、荷物を重たいと思ったことがない。これは僕なりの旅の工夫といえるかもしれない。
暑い国ばかりであるから、毎日洗濯しなければ、肌着はいつも汗まみれになっている。良いホテルを顕が日本からっすべて予約してくれていたので、探す手間と心配がいらないから、楽だ。そして安いのはアジヤだから、円の力が強いので、安く感じられるのだ。
ヨーロッパの旅では、生活文化が高く、日本の物質文明が遅れていると感じることもあったが、このアジヤでは、人間が生きていくうえで自然をそのままに一体となって暮らす生き方に教えられることが多い。すなわち、人間の幸せとは何かとゆうことが必ずしも物質文明が豊富であることとは別の次元であることに気付かされたものである。
ヴェトナム、フィリピン、インドネシヤでは生きることの闘いとゆうことを考えること必要がなく、生きていけることは当たり前なのである。考えること自体無いはないかとさえいえる。それは食べることの心配がないからである。日本では「食べていけない」とゆう言葉があるが、おそらくこれらの国ではそんな言葉も、意識もないのではないだろうか。外にでれば、いたるところに果物のバナナやたくさんの食べ物があり、生きていく上に必要なたべものがいたるところにあるのである。
だから日本の憲法には基本に生きる権利とゆうのをうたわねばならないのであるが、この国々では生きるのは当たり前で法律に書く必要がないのである。この違いを見ると、幸福感とゆうのはその国のおかれている環境によって違うのである、と考えられるように思えてきた。だから自分の習慣からして相手の国が幸せかどうかとみることは、次元が違うところで判断していることになるのではないか。
僕によく、いままでたくさんの国をまわられて、どこの国が一番良かったですか?と聞かれることがあるが、そのたびにまともに答えられないでいるのは、このことだったのだな、とゆうことに気がついたものだ。
今と泊まっているホテルの隣に立派な冷房のついているインド料理のレストランがあるから、夕食はそこでしているが、ここではイスラム教でアルコールを置いていない。そんなことに気付かずビールを注文したら、ウエイターがそのたびに外に買いに行ってるようである。3回目にそれを気付いた。お客さんには出すのだが、自分の理念で自分からアルコールを置いて商売をすることはしないとゆうのだから、アラーの神にたいして忠節を誓うのである。これも理解すべきであると思う。このように文化は他人にその価値を押し付けないことで維持され、発展し護られてきたのであろう。
その地域社会ではその文化が似合うとゆうのは、それで社会が平和に維持されてきたからであろう。だから自分の文化を違った文化を持つ人に押し付けようとすると争いになるのである。今イスラエルとイスラム教文化が戦っているのの原因は、そこにあるようにおもえる。彼らにとっては死をも恐れないほどに自分の文化に馴染まないことを許さないのである。

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by akinishi1122 | 2013-05-21 20:33 | 旅行 | Comments(0)

インドネシヤ ジャカルタ

(11)2013年5月17日 マニラからジャカルタへ
汗忘る修道女の話かな マニラの修道院スターと知り合いになりはじめての話ばかりに興味わく
昨夜早寝たので、17日の深夜に目覚めた。今日は9時10分発のインドネシヤのジャカルタへ飛行機だから、日記と、パソコンに移してない日記をうちこんんで、時間を待つことにした。
ホテルのパソコンを開いてみたら、日記と、前にパソコンに移してない日のをうちこんんで、じかんんを待つことにした。高校の同期生の山崎純一郎さんからメールで、いま病院であること、手術をするとは聞いていたが、驚いている。家にいれば、見舞いをしなければならない人である。僕の本に推薦文もかいてくれているし、旅の日記も丁寧に読んでいただいているのだから、感謝している人だ。。もう手術が終わり順調に回復しているようでよかった。僕の通信が携帯電話についているようだが、退院しなければ全体の文章が読めないとゆう知らせである。
もう一つは同友会の雑誌の編集部西岡さんから、通信が歯抜けにとんでいるから、抜けた分を送ってください、今度はアジヤ通信として編集したいのです。ときている。
歯抜けになっていることは、清風堂の編集からもきているが、僕のパソコンが故障て打ち込でなかった事情を知らないからのためであるので、早く仕上げなければならない。
ホテルを5時20分に出る。タクシーに国際線に着けてくれ、とたのんだら、降ろしてくれたのはいいが、搭乗手続をしようとしたら、ジャカルタ行はターミナルが違う、タクシーで移動しなさいと女性職員さんが言って、ターミナル(2)へ行くタクシー乗り場まで連れてくれる。そして、タクシーに「ターミナル(2)へ100ペソでゆってください」とまでゆってくれたのである。僕にしたら、国際線とばかり思ってドライバー指示したのが間違いだったのである。ターミナル(1)からはまた町並みを通り走るのだから3キロぐらい走ったと思う。こんな失敗があったが、親切な女性空港職員さんで助かった。これがギリギリについていれば乗り遅れるところだった失敗である。空港では荷物オーバーとして、800円ぐらいとられた。日本を出るのと重量は変っていないのにきちんととられた。
そして、出国ゲートでまたお金が必要で、もっているフィリピンの金を全部だしたのでやっと通過できた。これで全くフィリピン通貨がなくなり、朝食をとろうと売店にいったら、VISAカードでは売ってくれない、日本円でもダメだとゆう。仕方ない飛行機の中で食事がでるだろうからそれまでがまんしなければなるまい。
搭乗になったら、係員が座っている僕を呼びに来て、一番に入れと通してくれるのである。これはなぜだろうか。他に車椅子の人が僕に続いたから、僕を相当高齢者にみたのだろうか。
座席の隣がフィリピンの2人の女性である。ジャカルタに研修に行くとゆう。どんな研修かと聞いたら自分はランだとゆうランとはわからないから聞くと、宗教の会議とゆう。修道女らしい。36歳といっていて、結婚はしないらしいが、ボーイフレンドは4人いるとゆう。美人とゆうほどではないが、話せばチャーミングである。マニラには修道女は21人いるらしい。とゆう言葉が理解できなかったので辞書をひいたら、SISTERとでたので分かったのである。
僕がブログを書いているといったら是非開いてみるとゆうことになった。俳句とゆうポエムを毎日書いて更新しているから、その解説をメールですることにした。日本語はわからないが、翻訳機能があるから、大丈夫といっている。僕もフィリピンにしかも修道院のシスターが友達になれてキリスト文化に接することが楽しめる。
彼女はすぐテストメールを送信してくれるらしい。
インドネシヤへの入国カードとビザ申請カードを彼女が書いてくれて助かった。
ジャカルタには1時30分、日本時間3時30分についた。ちょうど4時間かかった。食事も機内ですぐ出たからよかった。
空港で2万円の両替をしたら、1、860、000ルピアだから値段がでらたら、93で割れば日本円になるから、感覚がわからない。いインフォーメイションでタクシーをHISの事務所までたのんだら、200,000ルピアだった。HISで明日すからの観光のプランをたててもらったら、明日は午後から、市内観光、19日はジョクジャカルタに飛行機の日帰り、次の日は休養のため僕だけえ市内を歩く、21日はまた案内人がつきジャカルタの見どころを案内してもらうことになる。その支払いはドルでカード決済である。
ホテルまで送迎してくれることになっているから、あまり心配していない。
ホテルで嬉しいことに、自分のパソコンをインターネットに接続してくれたことである。これだとジャカルタにいる間はパソコンで通信できるからありがと比較しながら、たい。
東京の同友会政策委員長の大橋氏から、「旅行記、連休に上高地に持って行き全部読み終えた、よその国の文化を素直に吸収し自分と比較しながら温かく学んでいることに感嘆しています。7月の総会でおあいすることを楽しみにしています」ときていた。
夕食は隣のレストランに、なんとはなしに入ったら、インド料理である、来ている人はインド人ばかり、でもエビフライ、ゴマメ、ピーマンの味噌煮、で御飯もついておいしく食べれた。ピーマンの味噌煮はすきだったから、少々味噌よりも辛目だったからおいしくいただけた。




(12)5月18日 ジャカルタ郊外の公園まわり
夏帽子サリー被る目の涼しかり みんなサリーの帽子だが、若き娘たちの目は輝いて涼しげだ
午前中は日記の書き残しの整理、昨日の日を書いた。ゆっくり体調を調整しておいた。
ヴェトナムで一緒だった、平井さんに同友会を薦めることと、神奈川同友会の代表理事に平井さんを紹介するメールを送信しておいた。
また昨日飛行機で隣になったキリスト教のシスターにも写真と挨拶で、インドネシヤとキリスト教について教えてください。一緒の写真をそえて送信しておいた。
午後からケン君とゆう48歳の男性が市の郊外の公園を案内してくれるためにきてくれた。この国はイスラム教が85%だとゆうから、ほぼイスラムの影響をうけて、女性はサリーの頭にまくスカーフをかぶっている。
この国は、オランダが1596年から350年にわたって植民地にし、その後イギリスが1811年から16年までの5年、日本が3年の統治をして、抑圧され続けて、まとまった王朝もなく、各地の部族が小さく集団を作っていた歴史だとゆう。
僕が印象に残るのは、スカルノ大統領と中国の周恩来首相がアジヤの国々をまとめアメリカ、ソ連の勢力に対抗するための中立政策の平和五原則をとなえたことを覚えている。軍事同盟にはいらない中立、領土不可侵、平等互恵、紛争の平和的解決などで崇高な目標でアジヤをまとめるリーダーとして尊敬したものである。
その頃はスカルノの強力な支えをインドネシヤ共産党が200万の党員で支え、ナンブーデリパット書記長が急速に力をつけたものだった。当時ハリヤンラッカットとゆう共産党の機関紙がスカルノの政策を普及する力にもなっていたものだった。スカルノは20年間にわたって政権についていたが、アメリカの後ろ盾の軍人のスハルト将軍がクーデターを起こしスカルノは政権の座からひきずりおろしたのであった。日本ではデビスカルノとしては現在は日本のテレビのタレントとしてよく出ているが、ここにきてデビ夫人の本当の名前根本直子とゆうのをインドネシヤ人から教えられ知ったところである。デビ夫人は岸信介首相が世話して第3夫人になったとゆうが、その裏には、戦後の賠償金で岸は日本から賠償とゆう商売をして、日本の金で商品買わせ、建設を請け負わせていわば国民の税金を使って裏で商売をして財界を大きくするルート作りをしたのが岸総理であったとゆう。
現在はジャカルタでビルの建設ラッシュだが、それの施工は70%以上が日本のゼネコンが請け負っているとゆう。僕も来る前はは殆んど知らなかったが、これらが後進国を¥復興す支援とゆう名の援助資金での工事らしい。また地下鉄も建設計画がなされているがやはり日本のゼネコンに決まっているとゆう。
こんな国の貨幣制度で儲かるのが不思議だったが、ここにきて海外援助資金で受注しているのだから、日本は国の予算ではわからないが、工事や物品を日本円で購入しているから、ワンクッションおいて還流し、それが政治家にも還流するとゆう仕組みも見えてきたとゆうものだ。
そのホスト役を根本デビはやったとゆうことである、
スカルノには10人もの妻をもっていたのは、イスラム教徒だからできたことで、デビ婦人もイスラムの大統領だから夫人になれたのであった。
スカルノを倒したスハルト将軍は、すこぶる評判がわるいらしい。彼は中学しかでていなく、英語もしゃべれないが、金儲けに長けている、ちょうど田中角栄のようだといっている。大統領になってからはどんどん自分の身内の企業を作り、貯めた金はスイスの銀行に蓄財していたことがわかったから、いまでは評判がよくないとゆう。スカルノは建築家でたくさんの建築物を残こしているとゆう。紙幣に顔写真まで乗っているとゆうことは、国の独立をしたからでありろう、
インドネシヤには島が15、000あり、その中で5000には人が生活しているらしい。
郊外の公園を案内してもらったが、その中に博物館が30ほどもある、植物、魚、民芸、鳥、蝶、トカゲなどたくさんある、民族博物館に入ったが、民族衣装は各部族によって違うが、みんな華麗である。農耕、繊維の歴史遺品にはわれわれが子供のころ使用した鋤、鍬、斧など、万国共通で発達しているものだ。民族服を着た女性といっしょに写真に納めておいた。
今日の知識はタクシーのドライバーとケン君の解説で知ることができた。>



(13)5月19日 ジョクジャカルタ飛行機で日がえり、世界遺産二つ
お土産の扇子に集るサリー嬢 世界遺産のブロンドールで写真のお礼にプレゼントした扇子にサリー姿の女子高校生がわっとあつまってきた
今朝は飛行機で9時に日帰りのジョクジャカルタだから、空港に7時までに着くのに緊張していたら、2時に目覚めた、モーニングコールが3時半にあり、タクシーも4時に来てくれた。
タクシーにターミナル(1)につけてくれと頼んで降ろしてもらったのだが、搭乗手続をしていると、ここはターミナル(2)だと空港職員が教えてくれた。すぐタクシーで移動しなさいと言われた。何故こんなところに降ろすのか腹がたつが、そんなこといっておれない。タクシー乗り場に並んでタクシー案内人に訊いたら、50、000だとゆう、100,000出したら、このタクシードライバーは世話した案内人にお金をいくらかお礼にだしていた。だから本当はどのくらいかかったかわからないが、ターミナル(1)に10分ほどで着けた。
時間の余裕があったから、いけたものの、何故僕が言ったターミナル(1)に着けてくれないのかがわからない。
出発の時間待ちしていたら、日本人のような顔の男性に話しかけたら、この人と同じ飛行機に乗る人だから、よかった。62歳で半分仕事みたいで同じジョクジャカルタに行くとゆう。仕事はもう離れているが、Dr Swantoraと
Hospisuの仕事をしていたとゆう。其の時はどんな仕事か説明しようといろいろ話てくれたが、後で考えてみたら、日本でも最近動き出した、死を迎える人に、相談や助言をする仕事の人だと思いだした。どうも大学の教授だったようである。僕は世界の国の人々と友達を作ることに旅行の楽しみをしている、と言って友人になることを頼んだら、喜んでおつきあいしたい。とアドレスもかいてくれ、夜遅くホテルに帰ってパソコンを開いたら、早速メールが届いていた。友達になれて嬉しい、よい旅を続けてください、とあったから、僕もさっそく一緒に撮った写真と喜びの返事をだしておいた。
奥さんや家族の写真も携帯電話の中から見せてくれ、お互いに文化を知らせあうことにした。奥さんも美人で理知的である。
ジョクジャカルタには9時に着き、空港にはHISのガイドが出迎えてくれた。コシマシ君といって、47歳、日本語はここの学校で学び、日本には行ったことはないそうだ。だけどもたくさん日本人のお客さんに接しているのが何よりの勉強になるとゆう。
最初プランバリー遺跡に行、日曜でも、たくさんの人でである。ここはカンボジヤのアンコールワットのような感じで、石ばかりで積み上げられ、高さも47mとゆうから、ピラミッドのような規模である。これが紀元640年から100に年にわたって建設されたとゆう。この年代は日本の聖徳太子の時代だから、その技術たるや驚くばかりである。数10万の石の積み上げとその運搬手段がどのようなもので運ばれたのか、集められたのか、非常に強い信仰心が人々を動かしたのである。ここはシバ神とゆう神がまつられていて、王様でないところに、宗教の力に脅威すら感じる。神は絶対で人々の力をも動かすことを不思議に思う。シバ神とゆうのは、善、悪、楽といったことをつかさどるらしく、それぞれの教えが、基礎の石に彫刻されている。文字がない時代に、は彫刻で人々に教えることしかないのである。ひとつも文字が見つけることもなかった。それでもシバ神の教えが言葉と彫刻で、悪いことをしたら、神によって裁かれる。良いことをしたら、神が報いてくれる。ことを何千とゆう彫刻で教えている。
こんな文化があるのに、自然との闘いがなかったために、人々はのんびりしてい西洋の商品社会のために植民地にされたのであろう。人間は環境と戦うことで、自然や環境を変革する文化を生み出してきたのだな、と感じとれる、
西洋文明はいわば環境との戦いから生まれた文化なのであろう。自然に恵まれたこのような人々は外部と戦わなくて生きることができたから、もっぱら、神との共存で隣人との調和をはかってきたのだろう。戦う文化の武器で征服されてきたことに、このような立派な文化がありながら、征服されたことを気の毒に思う。同時に誇りを持つてもらいたい期待をもつ気持ちになった。ここから遠く50キロぐらい離れている火山が爆発したためこの遺跡も地震で崩れ大部分が復元されないままに野ざらしにされているのか残念である。
次に行ったのは国王の宮殿跡だ。国王も地域的だったので、1945年の独立とともに、象徴になり、権力を持つとゆうことはないらしい。この宮殿はまだ百年の歴史だから、新しい建築と言える。
午後に行った遺跡もブロンドール寺院といって、やはり宗教の遺跡である。ここも740年から、824年にかけて建設された石の寺院で、世界遺産の54番目とゆうから、石で100mぐらいの高さまで積み上げてできている。ここも宗教の教えのための寺院である。
日曜とあって、小学、中学の団体が見学に大勢きてい、僕は彼らの表情とサリーの美しさをたくさん写真に撮った。子どもたちは、喜んで一緒に収まってくれるから、土産がたちまちなくなってしまい、今後もっともってこなければ取り合いになって気の毒な思いもした。
其のなかで女子中学生のアドレスも聞けたので明日でも写真を送り、彼女たちと今後友達になれたらいいな、と思う。
昼食は山の中腹にある高級ホテルのレストランになった、ここでは遺跡で会った日本人の男性が韓国人を連れてきていて、韓国に派遣されているから、韓国人のお客を接待で連れてきているらしい、日本企業が日本と同じように外国でも接待する商売のスタイルになっているのか、と国際化した商売を知ることになった。
帰りに宝石加工の工場に寄り、日本の天皇の美智子さんが立ち寄って買ったとゆう銀のブローチを安く値切って買い、薫に土産とすることにした。
帰りはジャカルタに着いたのが10時でホテルに着いたのが11時だった。
岡山の土井先生から、「宮崎さんの鞄に入って世界旅行しているみたい」と文学阪神の中路氏から ベトナムの日記拝読しました。  外国へ行って日本の現状がよく分かる、実感するということに旅の意義を再発見させていただきました。
またホーチミンで一緒だった神奈川の平井氏から、同友会に入会のための電話連絡先を知らせてきていた。
 

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by akinishi1122 | 2013-05-20 15:28 | 旅行 | Comments(0)

フィリピン

(10)2013年5月16日 ジプニー工場とTAGAYTY山
涼風や家族弁当に入れといふ  山頂で10人ぐらいの家族が弁当持参できていて、中に入れと誘ってくれた
朝食に降りたら、フロントに日本人がいた。僕のひとり旅の話を聞きたいという。自分も一人旅を結構しているが、57か国と聞いて驚ろいていられる。近く定年になるから、参考になるから、是非メールで詳しく聞きたいとゆう。僕が70歳で語学留学をしたことに興味があるようだ。自分は京都大学の教授をされているらしい。
人を待たせているから、アドレスだけでも聞かせてくれと、あわただしく出かけられた。
9時にHISの昨日のガイドが迎えにきてくれた。先ずジプニー自動車工場である。この国では人々の交通の利用には、ジプニーに乗るのが一番多いそうである。
一定の路線を運行する小型バスで特徴はどこでも載せるしどこでも降ろす。しかも乗降口が後ろでいつも開かれいて、扉がないのである。運賃が6ペソとゆうから、12円とゆうところだ。市内に限らずどこでも走っているが、路線と行く先だけがきまっている。停車場、バスストップがないのである。だからこの街の地図を十分知っていなければ、僕には乗れないことになる。特徴は車体の外装がそれぞれデザインが違っていて、それも装飾的カラフルのデザインである。その工場に来ている。日本の自動車工場は流れ作業の代表的であるから、ロボットや各部分の専門分野に人がいるだけだが、自分の部分しか知らないことになっているのに、この工場では、なにからなにまですべて自分ひとりで組み立てや溶接をしているのだから、日本の自動車工場とは全く逆である。すべて手作業だから、職人が作る自動車工場といえる。職人も自分が作った車に愛着がああるだろう。街を走っていれば、自分のか他人が作った車かわかるのである。
この工場はいちばん大きい工場だが、広々とした工場にそれぞれの職人が一人で仕上げしている。だからすべて工程が違うのである。エンジンだけは日本のスズキを使っているらしい、こんな自動車工場は日本にはないはずだ。職人はボヂーを組立るから、ガスの溶接機やハンマーなどの道具類をたくさん使いこなして仕上げていくのだ。もっとも近代的自動車に、もっとも職人的労働の工場が存在するのに驚いた。
。僕はこの現場を見て、今後の中小企業の生きる姿が見えてきたような気になった。いわゆる個性ある企業である。お客の顔が見える作品が今後中小企業の生きる道だと、同友会の考えかただが、その姿を見た思いだ。
職人だから、自分が一人前になると独立していくから、工場を持つ人も現れだしたとゆう。だから大規模な会社になれないそうである。現在の日本は大企業ばかりがより大きくなり、中小企業は、その下請けだったことで、中小企業の危機は生まれているのだから、これは日本の中小企業の行く先を示しているのではないかとさえ感じられる。
次は、マニラから1時間半ほど走った山にむかった。おそらく1000mぐらいの高さはあるだろう。TAGAYTAY山である。雑踏の街を抜け、高速道路を走ったらしいが、僕はウトウト眠っていたようだ。
この山は遥か遠くから頂上にテレビ塔が光って見える。ほぼ頂上についたら、入山料がとられ、さっき見たジプニーに乗った。初めてだが、天井が低く向かいあった座席である。乗客はJirry君と二人だけだった。頂上だから涼しく眺めながら気持ちがいい。この山は小富士山と形容ができる。360度の展望だ。あの悪名のラモス大統領の時代にできたらしい。軍事施設、テレビ塔が目的だったが、いまでは観光地になっている。
遥か下界を見渡せば、大きな湖があり、その中に小さな島がいくつか浮いている。静で絶景である。風も涼しい。観光客もたくさんきている。家族ずれの10人ばかりにカメラを向けたら家族の昼食弁当に僕にも入れといってくれる。大きな御飯桶にいっぱいのごはん、それにおかずもいっぱいで見せてくれた。楽しく食べている。親みをしめしてくれた。これらを見ただけで今日は満足である。この山で湖を見下ろすレストランで昼食にした。3人のギターをもった歌手が各くテーブルに歌や演奏してくれた。なにか日本の歌を、と言って歌ってくれたが、僕は知らない歌だったが、チップを100ペソわたしておいた。一緒に写真にもおさまてくれた。

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by akinishi1122 | 2013-05-20 15:25 | 旅行 | Comments(0)

フィリピン マニラ

(7)2013年5月13日(月)フィリピン大統領選挙で休日

この日記は、パソコンが使えそうになったので、第7日から家族にはじめてて送れることになる。以前のはまだパソコンに打ち込めていない、
暑い国暑い心に触れにけり タクシーのダライバーの温かいこころに触れた
朝食は昨夜のうちにメニューの中から注文しておかねばならないシステムになっている。御飯、ハム、卵のスクランブルにしたが、ここの米はヴェトナムのと違って、あまりおいしくない。いわゆる、日本の外米に相当するのである。だから、梅干を食べながらにした。明日からは、パンにしたい、
朝いちばんにHISの事務所でマニラの観光をしようと思ったが、日本人客の近藤氏がいたから、その計画を言ったら、「今日は大統領選挙の日だから、ホリデーになり、おそらく休みですよ」と教えてくれた。僕にしたら、観光会社だから、ひょっとしたら、、と自分に都合の理屈で考え、ホテルのフロントに電話してもらった。やはり電話も出ない、なるほど、ホテルの前の事務所も皆しまっている。日本だと、選挙は日曜と決まっているのだが、ここは、ウイークデーの選挙について、投票率など考えにいれないのだろうか。ホテルにいても仕方ないから、街を見るだけでもいいから、HISまで行ってみることにした。フロントで聞いたら、150から200ペソぐらいだろうとゆう。それが、どんな距離であるかもわからない。乗ってみて休みだったら、引き返すつもりで、ドライバーに訊いたら、200ペソだとゆう。メーターは倒さないで走るから、もし、休みだったら、すぐに引き返すから、待っていてくれるか?と言って頼んだら、何分だ、とゆうから、10分だ、といったら、それなら別のタクシーにしてくれ、とゆうから、3分にきめるから、どうだとゆうと、しぶしぶ了解してくれた。
走りながら、彼の子供が2人いて、上が7歳下が4歳とゆう。奥さんはいくつかと聞けば、22歳とゆうから、奥さんが15歳の時に子供ができていることになる。本当か?とたしかめたら間違いないとゆう。日本でも民法では確かに15歳では結婚できることにはなっているが、日本では僕か見たことがない。でもとても愛していて自分はサウジアラビヤに出稼ぎにいっていたが毎日おくさんに電話で声をきいていた。と愛妻ぶりをも聞かせてくれた。だから子供たちに日本からもってきた、コケシのホルダー、奥さんには扇子をプレゼントしておいた。
乗っていると相当な距離で、僕が家から、伊丹空港までタクシーで行くと4500円ぐらいかかるのだが、それ以上の距離を越している。この150ペソとゆうのはそんな値打ちの金額なのだととても気になる。着いたらスコールの大雨だ。ビルの2階だったが、ガードマンは拳銃を持っている。そして、今日は休みである。待たせていたタクシーで引き返えした。このドライバーは僕がビルの中に消えたのに、片道だけの請求もせず、タクシーの番号をまちがわないように返ってきてくれ、と僕を信頼してくれている。
タクシーには警戒心を持っていたはずだが、心が和んで嬉しくなる。そして、僕にしたら、4500円が片道の料金ぐらいだと思っているから、相当な価値を、信頼して待ってくれるのだから、やはり、タクシーの中でのコミユニケーションによって人人も変わるものだと発見した思いだ、だから、往復で400ペソと言っていたのを、僕は500紙幣を渡して、お釣りはいらない、とチップのつもりにした。しかも、気持ちの良い乗車になった、チップとゆうのは、こんな感謝の気持ちから始まったのかもしれない。
今日も携帯電話を掛けようとするのだが、圏外とでて、日本へつながらないままである。ホテルのパソコンを開いたら、一昨日別れた堺の中島理奈さんから「おはようございます日本語ができないようですね。私たちは、帰国した翌日から、主人とともに、お腹を壊してたいへんでした。」ときている。僕が英語で返事をだしていたから、事情を知ってのことだ。
日本には、会社の薫に連絡ができない事情を英語で発信しておいた。
10時ころホテルからいちばん近い商店街ビルに歩いてでた。ここはヴェトナムと違い人の動きがバイクではなく、自転車の横にボックスを付けたタクシー、バイクの横にボックスをつけたタクシー、それに、乗り合いタクシーの10人乗りぐらいのを人々は利用しているようだ。面白いのは、乗降口が後ろが空いていて、そこにいつでも飛び乗っている。この車が無数に走っているから、おそらく行き先の表示でみんな乗るのであろう。スピードもゆっくりだから、走行中でも飛び乗っている。これはインドでも同じようなのが走っていたが、インドでは三輪者であった、大型バスも走っているが、こちらは乗客は少ないようである。僕の見たところでは、自転車タクシーやバイクタクシーよりも小型タクシー相乗りの方が乗客の利用が多いようにみえる。
今日は休日だから、人は少ないのだろうが、フィリピンの人口は、マニラだけでみると、東京に匹敵するのではないことおもえる。明日でも確かめてみなければならないが、人口は7億ぐらいだと近藤氏は言っている。
道々に乞食もいる。子供がお金をねだるのもいる。これはヴェトナムとの違いだ。
大きなデパートのような入口に2人の拳銃を持ったガードマンがいて、持ち物の検査をする、ちょうど空港にはいるのとおなじだ。だから道路の店とは客筋が違うから、入れば安心する雰囲気である。外とは別世界のようだ、いわゆる心斎橋を歩るいているとおなじ感覚だ、昼食に「栄」とゆう回転寿司屋にはいった。日本人の経営ではないのかもしれない、味が馴染めない、味噌汁もあつたから、一応我慢の範囲内とせねばなるまい。
このところ、5月に入って3日から、長野の白馬から7日のヴェトナムと車と飛行機ばかりで行動しているから、疲れを感じる、今日はちょうど休日になったから、ホテルに1時半に帰り、シャワーをあびてから、昼寝した、疲れているから、5時まで眠っていた。そのごいままでの写真をパソコンに移したりした後夕食。ホテルのレストランでメニューは写真にでているから、海老と野菜の鉄板焼き、米はよくなかったから、パンのトーストにした。だからおいしくいただけた、(鉄鍋でまだグツグツにたっている)ビールは選挙の日だから、禁止になっているとゆうから、やはりまだ騒動がおこる国柄だからの警戒のためなのだろう、





(8)2013年5月14日マニラの観光プラン、パソコン仕様再開
マニラとは一日3回衣更え 暑い国36℃では外に出るたびに着替えをしなければ汗で濡れてしまう
朝食に8時に降りていったら、近藤氏が僕を待っていてくれた。彼は明日朝4時に日本へ変えるから、会えないからだとゆう。近藤氏にはフィリピンの国柄や、心得などいろいろおもしろく教えていただいた。彼は62歳とゆうが、奥さんんとは早く別れ、日本でもフィリピン女性と暮らしていたし、こちらでも彼女がなにかとお世話してくれているらしい、だからどちらに住もうが彼にとっては、ど問題なさそうである。フィリピンでの生活をするために日本で働くといったようなものらしい、日本人だが、家族制度など気にしない、いわば国際人かもしれない、
フィリピンの生活をした人でこのような生き方をしている人がかなりいるとゆう、だが国籍をもたねば、永住できないから、日本人のまま、往く来して、ここでは、日本との経済格差に助けられてうまく年金だけで夫婦だけでも楽なくらしができるとゆう、これは為替差益のメリットを利用しているのであるが、フィリピンの人には失礼な気もするから、本来の生き方ではなから、いつまで続くかわからないのが、今日本の置かれている国際的な立場ではないだろうか、彼はあまり英語は堪能ではないが、それでも生活になんの不自由もなさそうである、そのことでも、外国語とゆうのは、あくまでも道具であって、本当は人間は、心、意志であって人間関係はできていくものであることを、彼は教えてくれているようである、
朝食を終えてHISに向かった、そこで観光プランをたててもらったが、今日の午後はもうないとゆう。15と16日はできるが、一人だと個人のガイドになるから、高くつくとゆうが、仕方ないから、明日15日はマニラ市内を個人ガイドで案内してもらい、16日も山を個人ガイドで、ホテルまでの送迎と昼食付きを企画してもらった、
マニラSITEツアーが6656ペソ、16日の山が9984ペソである、日本円にしたら、38000円になるらしい、それをカードで支払った。
そこえちょうど日本人の若い女性が来たので、パソコンにワードの導入の仕方を教えてもらった。こんなこともあろうかと、自分のパソコンを持ってきたからよかったのである。これでワードができるようになったから本当にうれしい。日本への連絡もできる。日記も送れるし、万歳したくなる気分になった、彼女は夫が駐在員だから、来て1年半になるが、会社から車が支給されているから、まだタクシーや、バスに乗ったことがないとゆう。僕のタクシーの失敗についての助言もできなにのです。といっている。子さんが子供いるが、毎日メイドが来てくれていて、二に不自由もないとゆう。これも経済格差のもたらす恩恵であろう。
ここで昼食を済まし早速ホテルに帰って、昨日の日記で近況が一番わかるだろうから、それを打ちこんんだ。それを家や友人にたくさん送信することができた。これで僕の胸につかえていたことがすっきり解決した。
薫には英語で知らせていたが、他の人々には現在の旅の様子がお知らせできないでいたから、明日からはその反応も期待できるであろう。
薫から、一度電話をいれてください、とメールがきているが、携帯電話が圏外になっているから、それもできないでいるのを知らないでいるようだ。
フェイスブックに音楽評論家、作詞家の湯川れい子さんんから友人になることの承諾と「マニラにいらっしゃるのですね、私の兄はフィリピンで戦死しましたから、何回かマニラにも行ったことがあるのですよ」ときている。湯川さんは、日本の代表的な音楽評論で、音楽家9条の会の呼びかけ人にもなっていられる方で、かねてかた、尊敬していた人であり、友人の中に入れていただくだけで光栄である。、



(9)2013年5月15日 マニラ市内見学
炎の地リザルも子規も変革者 リザルは独立の父であり、変革者はどこでも迫害されて、歴史に業績の炎だけが残るものである
昨日送信ができたので、今朝返事がきている。文学阪神支部長から11,12日東京で定期総会があり、出席してきました。会長に島田、副会長に仙洞田、旭爪事務局長に能島、編集長に乙部とゆう役員が選出されました。なかでも若き女性作家の旭爪さんは宮崎さんがファアンだからより一層親しみがでるのではないですか。また、日刊紙に14日から柴垣文子さんが「校庭に東風おきる}とゆう連載が始まりました。とあった。同友会の秋田さんから、「ブログ読ませてもらいました。素晴らしすぎます」とありホーチミンで一緒だった中島理奈さんからやっとパソコンが仕えるようになってよかったですね、私フイリピンはあまり関心がなかったのですが、マニラ通信を読ませてもらって、行ってみたい国になりました」とある。夕方には、薫から「隣のビル建設についてのアドバイスありがとう。さっそく明日ビルのオーナーに届けておきます。あまりパソコンに凝らずゆったりと観光もしてください」ときている。
9時にHISからTerryさん48歳が運転手つきで、マニラ市内の案内のために来てくれた。
フィリピンはルソン島、ビサヤ島、ミンダナオ島の大きな島を中心に、7107の島からなっているとゆう。ここの人口1億5000万の15%がこのマニラに住んでいるらしい。
一昨日選挙があったのは、国会議員選挙で、完全な比例だそうだ。上から順番に12人までが当選んだが、トップの得票は女性で13548886票と新聞に出ている。7位までが1000万以上の得票である。今回は半分が改選とゆうから、日本の参院と同じやりかたのようである。だが国会議員がたった24名とは少なすぎるように思うが、国民のいろいろの要望を決めるには少なすぎではないのだろうか。1位の女性は若く見えて40代ではないかと思える美人である。新聞の一面におおきな顔写真がでている。アキノ大統領の親戚らしい。大統領は前が女性のアキノ氏であったが、今は息子が大統領になっている。
まずリザル公園に着いた。リザルといえばスペインの統治時代の1896年に独立運動を起こし、まだ独身だったとゆう。青年指導者でスペイン統治者が捉え監獄につなぎ、見せしめのために銃殺された人だとゆう。監獄から、銃殺の現場までの約400mぐらいまで彼の靴跡が金属プレートで埋め込まれている。そして銃殺の現場に銅像が建つている。その一帯が国立公園である。そのリザルはうちの会社のS君とそっくりの顔で鼻ひげまでおなじである。
どこの国でも植民地が独立するときは、このような若い指導者が生まれるものだ。そして、徹底的に弾圧されるし、日本も朝鮮の独立の運動者をスペインがやったとおなじように弾圧、殺害したものだった。伊藤博文は弾圧する側だったのでこのような独立の意気にもえている青年によって殺されたのだから、そのことがダブって思いだされた。監獄は政治犯がたくさん収容されていて、その塀は高くそして塀の外は川になっている。逃げられない場所にある。これが独立の象徴となっている公園である。国立公園だからよく整備されていて、ちょうどヴェルサイル公園ぐらいの大きさと美しさである。指導者が殺害されて49年後の1945年になってやっと独立が達成されたのは、世界の歴史の流れの波にも助けられたのかもしれない。第2次世界大戦後はその気運が吹き荒れて、たくさんの国が独立した時期でもあった。彼は医者だったとゆうから、おそらく世界の歴史の動きをヨーロッパで体験してその影響をうけたのだろう。ヴェトナムのホーチミンでも、中国の孫文、魯迅、日本では堺利彦、幸徳秋水、片山潜などもこのような流れを感知して社会変革にとりくんだのが共通しているようだ、。
この公園の外の川の水が悪臭を放っていて、これはいただけない。川の岸にいまでもトタン屋根だけで生活するひとたちがいて、生活用水をたれな流していることと、沿線の工場排水がまだインフラ整備されていないことによるようだ。きれいな公園とは対照的である。
ここフィリピンで僕の印象にあるのは、米国の軍事基地で極東最大だったのを、ラモスとゆう軍事出身の大統領がアメリカに通告するだけで撤去させたことだ。ラモスについてはクーデターをおこした将軍だから、あまり良い印象ではなかったが、米軍に基地の撤去を要求し通告だけで実現させたとゆうのには驚き、また教えられたものだった。日本がいまだに沖縄の基地を存続させ続けているのは、安保条約の10条には、ただ通告だけでフィリピンのように基地はなくすることができるのだが、日本の政府は自分たちの権益を守ってくれることをアメリカに期待しているからに違いないと思う。
フィリピンには7000余も島があるから、言語も70以上あり、公用語としても生きているらしい。裁判など法律に問題は起こらないのだろうか。
学校では、英語しか使わないから、英語が一般的だがその次がタガール語で市民は会話しているとゆう。言語があれば、文字もあるはずだが、アルファベットで読むらしい。文字はあったのだろうが、保存されていないだけだと僕には思えるのである。文化が簡単になくなるはずがないと思う。
博物館ゃ教会も案内してもらったが、皆スペインの統治者の邸宅跡だから、比較的新しい。博物館になっているのは、堅固な建造物がなかったからではないだろうか。教会もすべてがスペインからの建築様式である。せいぜい400年の歴史史跡である。




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by akinishi1122 | 2013-05-20 15:18 | 旅行 | Comments(0)

ヴェトナム ホーチミン

(4)2013年5月10日 ホーチミン市
汗絞り三つの市場値踏みかな ホーチミン市には大きな市場が三つもあり、それぞれの値段をつけているから面白い
HISがホテルに迎えにきてくれたのが、8時40分だった。バスには18人の日本人の先客があり、北海道、東京、関西から集まったているが、本日初めて会ったとゆう人ばかりである。ガイドは智さんとゆう中国の呼び名をつかっている。ヴェトナム人であるが、かなり日本語がうまい。先ず旧大統領官邸跡に行く。前に来た時もここでは大変ショックを受けた。解放戦線の砲弾がこの官邸に打ち込まれたたのが、南の政権の崩壊の直接の原因になったようだ。
もう解放戦線に包囲されていて、最後は外出もできなくて、遊びのマージャンをするにも、映画を見るにも外には出られない状態だったらしい。ゴージンデム大統領が暗殺され、その後の大統領もこのように敗北を目前にして、辞任し、最後の大統領はたったの43時間の大統領だったとゆう、ここから、米軍のヘリコプターで米国の艦船に逃げだしたとゆう。そのときのテープで敗戦をを告げたから、解放戦線は当日から、翌日までラジオでその肉声を流し続けて、国民に勝利したことと、戦闘が終わったことを知らせ続けたらしい。
すると、今までの政府の職員や警察官、実業家までが実は解放戦線のメンバーだったことをつぎつぎと言って、「君もそうだったのか」とゆう人々がいっぱいだったらしい、官邸の中には、映画館や談話室、それにバカラとばく場もあったとゆうから、大統領や、その家族、職員は遊ぶことでも末期には外にでれない状態だったらしい腐敗と孤立でアメリカに守られていただけだったのであった。末期政権は孤立、孤独だったのである。大統領が脱出したヘリコプターが官邸の屋上に展示されている。これは、国民が勝利感を実感するための展示だろう。官邸はそのまま残されていて、観光客や小学生の歴史の勉強の教材になっている。毎日数千人が訪ずれるらしい
ガイドの智さんは、まだ日本にいったかとがないらしい。日本に行くんには、最低20万円必要だから、自分の給料の1年分ぐらいかかるから、とても行けないと言っている。こんなことを聞くと、僕らはどのように考えたらいいか、迷ってしまう。なぜなら、僕がここに来れたのは、僕が特別に努力したからでもなく来れたのに、ヴェトナムの人々は日本に行きたいと思っても、1年の給料をかけても行けない、とゆうのはどうしても異常ではないのか。
国際間の為替の差によって、ヴェトナムとの格差がでるとゆうのは、日本がおかれている通貨の利益とゆうのは、僕が努力して作ったものではないのだから、僕と智さんがこんなに違うとゆうことは、本来おかしいのではないか。
智さんは、国内で そんなに不満は無いと思っているだではなく、貧しいなりに、人々はいずれ良くなるだろうと希望的な楽観をしている、とゆうのが、僕にとっては救いである。一方僕の立場を冷静にみれば、日本国内で、将来について、希望的楽観できる材料があるだろうか。日本の経済との政治の流れは、未来について、希望よりも不安の材料がどんどんできてきているように思える。
消費税の値上げ、TTP参加による農業、漁業、医療保険制度の破壊、憲法を変えるための96条の改定、憲法9条の改定で戦争のできる国ずくり、年金を下げる計画、原子力発電の推進、賃金の上昇の停止、高齢者保健低下、これらが皆将来に国民の負担が大きくなることばかりを抱えているのが我々ではないのか。一方このヴェトナムにおいては、失業者がなく、将来に希望をもって生きている、とゆう点では現在生きていることの意気ごみが違うように思える。
これが外国旅行で意識さされる意味があるように思う。
ホーチミンの人口は900万、そしてバイクの台数が400万台とゆう。働いている人は勤め人と自営業がほぼ同じ割合らしい。社会主義の国といっても、ドイモイとゆう政策をうちだして、資本主義の形態である、個人の働く意欲に期待して、経済を発展させるとゆうことのようだ。政府はもっぱら公共事業、軍事、外交などの仕事と役目を二分してるようだ。だから人々に貧しいなりに活気がある。バイクの動きが町中に、各家庭にあふれている。道を横断するには、僕一人ではできない。智さんの後をついていかねば、とても怖いバイクが道にあふれている。
道路で商売してる人や道路で丼ブリ飯を食べている人を写真に撮ろうとしても、拒否されることがない。それが日常だからなのである。むしろ親しみをもって笑顔をみせてくれるのだから、日本的な感覚で貧しい姿を撮るから悪いのではないか、とゆう恥部ではないからである。
街のメインの道路が50mぐらいの幅で、側道に植木が整備されているが、これは日本の大林組によって完成したとゆう。こんな貨幣価値の違いなのに儲かるのかと思うのだが、これは日本からの海外援助資金らしいから、日本の国家予算でで作られているのだ。大企業はちゃんと国の予算で外国でも儲かるように生きているのである。
この国の道路の車線は、いちばん端がバイク専用、真ん中がバスとトラック、一番左端が普通車と区分けして走らねばならない。
街が活気を感じるのは、自営業者は旧の正月しか休まないからである。
個人営業には、店舗を持つのと、道路でリヤカーや屋台、そして天秤棒を担ぎながら移動販売をする各種のやりかたでやっている。原則は道路は禁止なのだが、なにか必要な時、警察が注意するだけらしい。その時移動すればよい許容範囲らしい。
今日は昨日見た歴史博物館も案内があったが、解説付きだったから、よくわかった。。ヴェトナムがなぜ細長い国か、とゆうのは、高い山がカンボジヤとラオスに接しているところが国境である、
また南部は自然の豊かな食物が多いから、自活がやりやすく、生活危機がないとゆうことで、自由さがある。どこの国王でもだが、子供をたくさん作り、子供を配置することによって国を治めるのが常で、1000人ぐらいの妻をもっていたとゆう。サウジアラビヤは今でもこの形態でやっているので、僕がケンブリッジの学校でも皇太子がクラスメートでいたから、よくわかる。
昨日買ったパソコンのワードが自分でできないから、きょう一緒の大阪の若い女性にワードの出し方を教えてもらった。だから、これで日記が書けると思うが、日本語に変換まではまだできないでいる。大阪からの女性は心斎橋でネーリストとゆう爪の装飾専門店に勤めているといっていた。
また食事の時隣の席の40代の夫妻は横浜の人で、専門学校を経営していられるらしい。企業家を作るための学校らしいから、同友会を進めておいた。この人は夜さっそくメールがきていた。同友会で交流ができるかもしれない。またもう一人の81歳とゆう茨城の夫妻は、英語塾の講師とゆう名刺をいただき、僕が本を出したと言ったら、本屋で取り寄せ読んでみたいといっていただ
いた。



(5)5月11日 クチトンネルとメコン川
暗き穴心は炎燃えさかり  クチトンネルからの米軍基地を包囲し勝利に導いた兵士の志気は炎と燃えていたのであった
7時40分ホテルを出発、HISの灰君が案内人で、横浜の永井夫妻(40代)と大阪堺の中島夫妻(30代)の5人で一日観光だ。どうちゅうで、日本文化がヴェトナム化されたとゆうのにホンダが車ショップの代名詞、味の素が調味料、おしんはお手伝いさんとゆうのが代名詞になっているとゆう。また数年前までは、若者が日本企業で働くことが憧れだったのが、最近では欧米や韓国企業へと人気がかわってきたとゆう。日本企業が魅力がなくなったわけは、競争が激しくなってきて、韓国などに追いつかれつつあるから、日本の企業の支配人が代わるたびに労働強化と働く人への管理が厳しくなってきているからだそうだ。日本人は業績とゆうことを最近はくちにするようになって働きずらくなっているらしい、そうゆうことで魅力をうす失いつつあるとゆう。
このことは、僕がアメリカやヨーロッパで感じたことが、ここでも動きだしているようだ、このままだとおかしくなるような感じがする。たとえば、トヨタが燃費が落ちたと新聞に出たとき、トヨタの支店長が「ヴェトナムは道路が悪いからだ」と発言したため、一斉に反発の世論がわき、あまりいばるな!と販売がガタ落ちしたとゆうのである、国民感情を逆なですることで、その受け皿が韓国などが狙っているのである、あまり驕りたかぶっていたらこんなめにあうのではないか、と灰君が世論の動向を紹介してくれた。
だが日本の技術や仕事の段取りなどは勉強になるとほめていた、これからは、こくみんの感情を大切にしなければ、日本国内でやっているような、サービス残業などといっていたら、世界から総スカンをくうことを覚悟しなければいけないのではないか。また日本人にいついては、メモをよくとるとゆうことが今のヴェトナム人にはないから、学ぶ点だ。との評価もまだまだある。
今のヴェトナム人が政府に対する考えは灰君の目から見ると政府は、働く人農民労働者のための政策と言葉ではゆうが、庶民のみるところでは、公務員や警察にワイロがはびこっていて、管理ができていないとゆう。共産党に入ろうと思えば、日本円で50万ぐらいか、コネを使わねば入れないと噂されているとゆう。これでは共産党が特権の手段ではないか、それこそ、理念が違うにではないか、と国民が思っているようだ、それだから、この灰君は選挙に行ったことがないとゆう。もう最初から決まっているのだから、とゆうのである、そんなことが目に見えるのがまかり通っているとゆうのだから、末端の庶民んが政府を思っているとゆうことは、相当の改革をしなければ、社会主義の建設とか、理想は掛け声だけになるようにに見える。国民の意志とゆうのは、噂とゆうものでひろがり、混乱もおこりかねない、と思う。
かんじんんお警察が法律を守らなく交通違反を摘発するのだが、裏でコーヒー代をくれと見逃し代を要求するのが普通とゆうのにはあきれてしまう。
昨日も戦争博物館でアメリカの残虐行為を全国民は知っているのだが、それは過去のこと、今はパソコンでアメリカの良い所、悪い所を若者は知っているから、戦争も過去の物として忘れられているようだ、アメリカに憎しみとゆうよりも、アメリカの生活に憧れれるといった気質になってきつつあるとゆう。これはヴェトナム政府が抱えている大きな課題だと思う。
兵役については、一人息子や高校以上の学生は免除されているらしい。、灰君の話だと、兵隊に行くのは貧乏人たちだとゆうのだから、ちょうど日本も戦前に似たような雰囲気だ、兵隊に行けば飯が食えるとさえいったこともあったのだから。兵隊検査で農村の青年たちが多かった時代は貧困の逃げ道としての軍隊とみられたこともあるから、その日本とダブッテ考える。
あの解放戦線で闘いとった独立の理想はド声いったのかとさえ思えることだ。
灰君の子供は、

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by akinishi1122 | 2013-05-20 15:13 | 旅行 | Comments(0)