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NO16

(16)2012年8月2日アメリカの旅(16)
ユタから、デンバー・ニューヨークへ

3時の目覚めて、2日間日記の書いてなかった分を書いた。日記というのは感激したのを書くというのが僕の書方なので、やはり感激は薄れるものだ。もうひとつの理由は、自分のパソコンがここの家で接続してもらっているから、書いておかねば日本にも知らせることができないそのことも理由である。
書いた日記を会社のパソコンと、顕におくり、他にも送ったのが9時をまわっていた。
僕には旦那のJYONさんが朝食を用意してくれたが、朝はいつのトースト2枚と牛乳である。JYONさんによると、ジャネットさんは膝の手術をしたので病院通いをしているという。10時半にJENIFERが子供2人つれてきた。秋子から送ってきた夏物浴衣の上下、女の子のMIAちゃんには最近はやりのワンピース、裾にはフレアのついた黒い服を着せてきた。僕に見せるためであり、秋子にも送信してほしいのがわかる。写真を撮りパソコンのデスクトップに乗せている。
僕にしたら、それも送りたいのが山々だが、自分の日記を送っておきたい。
JENIFERは仕事はしてないのか?と聞いたら、「仕事はしたいとき時々している」というのである。自宅を会社
にしているから、それでいいらしい。道理で旅行先にも電話がかかっていた。どんな種類のしごとかというと、「エンターテイメントだそうだ。おもに子供向けの遊具の設営やレンタルをしているという。
子供3人もいて家庭でできる商売というのは美味く見つけたものだ。
つぎに行くスイスのヤスミンのお父さんも自宅を会社にしていた。アルミ関係のしごとをしていて、別荘を2つ
モ持っていたが、自宅でできるなにのところまでついてきてくれるのである。なにかヒントが得られるかもしれない。
今度、スイスでBARRYに聞いてみたい。この家を1時30分の出発だから、気になっていたが、ぎりぎりに帰ってきてくれた。空港では、テキパキどころか、カウンター係りに親しく話かけている。
そして僕の荷物検査係りまでついてくる。傍にいたJYONさんが「彼女は人気者で、ユナイテッド航空に勤めていったからだ」と説明してくれた。検札ゲートでご夫妻とわかれたが、僕のためにことにJYONさんは警察でありながら、4日かんも休暇をとってくれて気の毒だった。
 1時30分にデンバーにむけ、そこで乗り換えて、ニューヨークまで向かう。21時15分とでていたが、ニューヨークはユタから2時間進む時間になり、僕の時計では3時間半ほどでついた。
でもニューヨークはやはり夜の9時すぎだ。もうすっかり暗くなっている。ホテルは予約しているから心配はしていなかったが、インフォーメイションが場所を知らなくて、結局シャトルバスに@した。ところがこのシャトルバスもホテルではないところで、この近くだから、じぶんでさがしてくれ、とおろされた。
もう10時をまわっているし、地下鉄の次の駅とだけ教えてくれたが、だれもきいても知らない。タクシーに@乗ったら、高速に入ったから、これは騙しだな、と感じ、すぐおろしてくれ、といったがもう14ドルの表示になっている。
住所を示しても余所者を騙すのだ。仕方ないもう11時をまわっているから、タクシーのドライバーに安いホテルは知らないか?と聞くのだが、ホテルと書いてあるところに止めるのだが、高級ほてるは、予約以外の深夜の客はことわるようだ。いる。もう12時をまわったので、夕食にサンドイッチを食べながら考えた。ホテルとして住所もあるのだから、この住所に行ってもらうしかない。時計は3日の深夜2時を指している。
こんどのタクシーにはユースホステルを確認してやっとたどりつけ、野宿をせずにすんだ。
ここはちゃんと予約も取れていることもかくにんできた。
汗だくだったから、シャワーを浴び寝た瞬間から足が痙攣しだし、片方がなるとまた片方と痛みが続く。このぶんだともう旅行は続けられないな。と思ってしまう。
そんなことで4時ちかくまで痙攣の繰り返しで苦しんだ。

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by AKINISHI1122 | 2012-08-27 13:48 | Comments(0)

NO17

(17)2012年8月3日アメリカの旅(17)
ニューヨーク市内観光バス

昨夜、といっても今朝の4時前にホテルに入ったから、ゆっくり11時まで寝ることにした。
昨夜の痙攣には、この旅びが続けられるかどうか、というぐらい両方の足が痙攣し、これでは明日のボストンへも行けるか心配していた。だが目覚めてみると、痙攣はなくなったし、やはりグランドキャニオンなど1000キロを走ったからの疲れであったとおもう。
それにしても、シャトルバスがいつもだったら、ホテルまで送り届けてくれるのだが、昨夜は近くでおろし、ホテルは自分で探せと下ろされたのが深夜のパニックに なったというわけである。
ホテルにしたら、ちゃんと予約は取ってあったし、深夜にホテルを探すとなれば、こんなトラブルが起きるということの教訓である。そして病気まで併発してしまったのであった。

ニューヨークは観光バスにした。その集合場所まで行くのに、地下鉄に乗ろうとしたら、黒人の40代の男性が、日本語で、「何かお手伝いしましょうか?」といってくれたので、キップの買い方や目的地までの説明を日本語でしてくれたのでたすかった。
ラジでの他国の放送の仕事で東京に2年いたという。ここでも、取材をして放送しているとのことだここでも放送にの仕事だと名詞をくれた。
 観光はエンパイヤステートビルを中心に、国連本部など有名な世界産業のトップクラスの企業群をすべてみせてまわってくれたが、おそらく今日一緒だった人々は他国からのひとたちがほとんどであろう。
ウオール街はさすがに僕も緊張せしてみた。ここでは世界の相場を操作して、日本も大きな損害をこうむぁったりアメリカの尻馬にのってもうかったれしたことで、めに焼き付けておこうと思う、ここでの操作が簡単に手の届かない時代になってほしいものである。
僕にしたら、ここを観光にくる世界の人々の感想や気持ちがより知る鯛のだが、カンコウバスではそれが期待できない。、ビルをみるだけでは興味はわかない。だから、昨夜の疲れから半分ぐらい眠っていたかもしれない。
 
ホテルに帰りあす7時のボストンに発つのであれば、3時40分シャトルバスに迎えにきてもらうことに手配してもらった
「民主文学」の作家で幹事の風見さんから、「旅日記」を大変興味深く読ませてもらいました、自分も一緒に旅しているみたいです。とあったからうれしい。
高校の同級生だった山崎純一郎さんが、シルクロードの旅をしたこ、花のエベントの企画などしていることの知らせがきていた。

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by AKINISHI1122 | 2012-08-27 13:46 | 旅行 | Comments(0)

NO18

(18)2012年8月4日アメリカの旅(18)
ニューヨークからボストンの稲田さんのお宅へ

早く起きねばと緊張していたら、2時に目覚め、もう寝過ごししてはいけないと、昨日のたくさんの書かねばならない日記を書いて時間をつぶすことにした。シャトルシャトルバスが3時40分に迎えにくる手配をしてくれたので、ぎりぎりまで1階のパソコン室で待った。このホテルは250人も収容できるのに、ついに日本人と合うことはなかった。ここアメリカ最大の都市でも日人の数か少なくなっていることを感じる。
シャトルバスには僕が一番で、次々とホテルをまわり、ピックアップして9人になって、ケネヂー空港に着いたのは5時ん少し前だった。23ドルである。
ボストン行きは7時15分と予定されていたが、だいぶ遅れ手5時55分の出発となるが楽になったことを感じる。。この飛行機にしたのは、が、稲田さんからのお知らせで、ニューヨークからボストンまではバスだと5時間以上かかりますよ。そしてボストンの見所が時間的にみじかいような気がする。と教えていただいていたから、サンフランシスコについてHISの支店で飛行機の往復をとってもらったので、早い便に@なったのである。
ボストンに着いたのが、9時40分ぐらいで、荷物を受け取る前にもう稲田さんご夫妻が出迎えてくださった。
この旅で初めて不安から逃れて安心の観光になる。と気持ちを感じる瞬間だあった。
日本語が通じるご夫妻の課をを見た瞬間にそのことを感じ、いままで緊張してきたのだな、と知ることになった。
稲田ご夫妻とは、3年前にイタチヤのシチリー島から、ローマに向かう列車に中で知り合い、3じかんちかく語りあい、そして文通が始まり、僕のブログも丁寧のよんでくださり、僕のたびについての失敗などもまるまる知っていただいていて、、アメロカの国籍を持っていられ、日本の大学を出られたあと、アメリカの大学を@出られ、あめりか航空局?で世界の人工衛星の追跡をやられている、学者であることなどをしっていた。だから、国防の重要な仕事の一部を担っていられ、奥さんは滋賀県の出身、ご主人は三重県上野のお生まれでああることも知っていたし、日本に来られたとき大阪でお会いした仲でもある。
そして、僕の旅日記を読んでくださり、感想もいただく仲であるから、昨日の僕の痙攣で苦しんだことも僕の日記でご存知だった。
だから、今日は僕の体調を考えゆっくりした、観光をえらんでくださった。これが日本自適な心を読み取ってくださる暖かさを伝わってくる。
車の中で知ったのだが、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学はこのボストンに所在し、しかも
ガメイカで最高の権威の大学という。まずマサチューセッツ工科大学に案内していただいた。今日は土曜日でしかも夏休み中だったが、ここからアメリカの技術部門や、人工衛星が企画、けいかく
打ち上げなどをされている。その関連の研究のスタッフであるから、稲田さんが、ボストンに住まわれているということが理解できる。
ここのがk性気質といえば、分からない問題を自分で研究するから、教授に教わるというより、問題を追求型の学生だという。それは世界の大学を卒業したりして専門分野を研究するために入ってくるから、自分の研究分野については教授異常で、逆に教授に教えることすらあるというのだから、世界の工学関係の最高峰にあるというのだ。日本のノーベル賞をもらった刀根さんがここをでてここの教授をされているという。人々も多数
面白いのを案内する、いお行って、ベルが斜めやでこぼこに立てられているのがある。なにか理由があるのであろうが、これも外からみえるユニークさである。あまりユニークなので雨漏りがするというおまけがついている、という
ののを出た学生は先端技術を作る人が多いため、卒業したら、じぶんの会社を作り、たちまち世界中に技術で4制圧することをやr人たちが20台30台ででているしたちまちにして、世界の長者になったひとたちがたくさんいるという。
だから、私立大学でありながら、卒業製の寄付が多く、財政的にはありあまるほどの金を持っているという。
そして、世界に出かけ、優秀な研究ねっしんながくせいを集めてまわるほどだというのだ。
ノーベル賞をとった人々も多数いるという。
すぐ近くにはハーバード大学がある。世界のトップの大学で、ここからはまたアメリカの大統領がほとんどここの大学出身だとい。いまのオバマ大統領もそうだし、ここからは、のべる賞学者が30人もでているという。
学生は4000人いて、人種、国など問わなくあつまっているが、女性が50%をこしているというのが興味不快し、女性の地位ががくもんの世界では関係ないということだ。
もちの仲の学舎があり、ここも私立という。それで世界一というのだから、学問の自由を保障していれば企業も期待し、資金面で4も潤沢になったり企業との共同権旧もさかんだという。
今日は休みの日だが、観光客が
、ことに中学生やこうこうせいなどがこていた。
この大学はケンリッジ地域というのは、やはいイギリスの植民地であった名残であろうし、学問が栄えているのもそれに由来しているのであろう。
昼食は日本の焼魚とサラダ,:スープなどでうれしい昼食を選んでくださった。まだまだ見せたい場所があるいおいっておられたが、昨日の疲れ、今になっていて、朝の早い出発などを考えてくださり、4時にはお家に連れてもらった。
 郊外で1500坪ぐらいの土地に、庭の向こうは森になっていて、リスなどがくるから、と再演には編みをめぐらせてある。20畳ぐらいのテラスげご主人と話しながら、ビールをいたがく。
日本では、ことに西宮ではこんな豪華な住宅と庭があるのは数えられる数しかないであろう。本当に稲田さんはアメリカを選択された国とされたことに理由を聞く必要のないことを感じんる。
これまで荷できるということはやはりアメリカ社会のハイレベルの仕事やそれに伴う収入があったれば子祖だとおもう。
息子さんは制約会社でその議事湯津の高さのため日本の武田制約が買収したため、にほんの会社に入っているといった研究をされているという。
娘さんは大学の教授をされているらしい。学者一家である。
夕食に伊勢えびの形をしているはさみの大きいえび、これだけ食べたらもう満腹感になぁうた。またなすび野間r焼き、庭でとれた、トマト、さやエンドウ、ご飯にふりかけ、すべて、日本料理である。ほんの3年前まではまったく知らなかった人、それもボストンでこんなお世話になることんおは奇跡というしかない。
もう意外性の感激というべきしかいいようがない。
僕もむかしからの知り合いである以上に親近感を日本でも感じていた、僕の旅日記への感想をいただくことで親しみをもっていたが、こんなことが以外に早く実現したことが嬉しい。
奥さんは書道をされていて、居間におおきな掛け軸を掲げてあるし、短冊に俳句を書いてかけてある。お人柄からその趣味もぴったりであるから、秋子などがお付き合いしてか仲良しになれるタイプの方である。
今日お会いしてからずっと咳が続いていたから、日本製の咳止めの薬をいただいたら、すぐにぴたりと泊まったから、
日本の我が家にいるようだし、心遣いもまったく日本の家にいるようで、旅の途中でよい急速をとらせてもらった一日だqった。

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by AKINISHI1122 | 2012-08-27 13:45 | 旅行 | Comments(0)

19

(19)2012年8月5日アメリカの旅(19)
ボストン美術館とタワーなど稲田ご夫妻に案内うける

フリカケで真ともなからだ咳消える 朝食に、ふりかけ海苔に梅干のはいったおにぎりを4個もいただいた

午前中稲田家でゆっくりさせていただいたおかげで、体の疲れがすっかり回復した。朝食におにぎりが5個食卓にでた。感激し「もうひとついただいていいですか?」と嬉しさのあまりお願いした。「どうぞどうぞ」と奥さんが、こんなんでよかったら、といった気持ちの返事だった。僕にしたら、僕の気持ちを理解していただいて、日本のおにぎり、しかもふりかけで外側にゴマ、塩などでつつみ、中には梅干が入っているとは、日本を離れて3週間ちかくなった今日の僕の気持ちを知ってのことであることに違いない。日本人の心に接した朝の一番の出来事だった。昨夜頂いた風邪薬ですっきり咳も止まり、もう普通のからだにもなったような気がしてきた。
日本人の行き届いた心というのは体調まで変えてくれるものである。
午後からご夫妻の案内でボストン美術館につれてもらった。その途中にボストン交響楽団があり、そこで小沢征爾が25年の指揮をしていたという。僕は小沢征爾が外国で指揮していたことは知っていたが、このボストンだったことまで知らなかった。そして松坂投手がここボストンレッドソックスに100億円で契約して入団した球団の地であることも知った。
松坂については、彼が高校の時甲子園で報徳との試合でバックネット裏で観戦し、彼に負かされたのでその後もあまり好きでなかった。というのは松坂が投げ、報徳が打つのに、センターの観覧席から報徳のバッターに鏡の光で目を眩ます卑怯な手段などを使った相手だった印象が残っているからだ。
その松坂もボストン市民が期待していたのに、あまり活躍しなかったので、どちらかというと、稲田さんとしても日本人としてボストン市民に肩身の狭い思いをしていたそうである。
アメリカの野球は何故満員ですか?と聞いたら、ほとんどの席を年間を通じ買い取っている企業や個人がいるから、入場券がなかなか手に入らないそうである。
稲田さんがバックネット裏の席を譲ってもらって観戦したことがあるが、近所の席の人はみんな知り合いで、「今日は何故○○さんは来ないのだろう?」などもうすっかり馴染みになっているという。だから席に荷物を置いたまま離れても全く心配ないという。
ボストン市とケンブリッジ市という町が隣り合っているのはチャールズ川を境にしているという。ケンブリッジという名はイギリスの入植者が多かったためで、そのまま真似でイギリスの町だが、肝心のイギリスのケンブリッジよりも人口が多くなっているようだ。ここに世界のトップクラスのハーバード大学、マサチューセッツ工科化大学があるのだから、いまや大学の町といっていいように思う。
稲田さんは日本から留学されたのがドルが360円代だったころで、500ドルしか持ち出せなかった。9ヶ月の予定が、こちらの大学からの資金援助で長期に留学されることになったのは、相当優秀な学生さんであったのだろう。
大学院まですすまれ、そしてノースウエスト大学で博士号を取得、イリノイ大学の教授にまでなられたのだから、語学のハンデーを克服の上だから、たいしたものである。
定年までの仕事は世界の人工衛星の追跡センター勤務だから、アメリカの世界戦略にかかせない仕事をされていたことになる。
ここボストンは日本ではボストンマラソン、松坂のレッドソックス、小沢征爾のボストン交響楽団ぐらいしか知識がかったが、アメリカがイギリスから独立する契機になったのは、イギリス本国があまりにも強権的で差別待遇やイギリスが決めた法律で犯罪者を作り、農民たちを虐待したことへの反発から、イギリスからの独立の戦争に立ち上がった。その地がここレキシントン地区だったそうである。それが発端となりその後100年してからアメリカの独立戦争で勝利するまでの苦難のきっかけがこのボストンであった、ということは、歴史上非常に重要な位置をしめていることも知った。
僕の疑問に奥さんが即パソコンで歴史的資料をコピーしてくださり、その対応の機敏さにも感激である。
ボストン美術館にも案内してもらった、特に日本の資料を展示してあるフロアーを中心にみせてもらった。
明治の初期に日本にきたイギリス人が日本画に興味を持って、買い集めてのが沢山展示されている。北斎などの絵、浮世絵などが100枚以上展示されている。この外国の文化人が評価しなかったら、まだうずもれていたのかもしれない。外国のルーブルや大英博物館にも北斎や浮世絵が収納されているから、日本にあるものをあわせるとどれだけの枚数を描いたのか驚嘆である。
ヨーロッパの絵ではひと目みればわかるゴッホの絵や「収穫たちの小休止」有名な「種をまく
人」がここに所蔵されていたことも見ることができた。ミレーの「蓮池」も知っていたが、ここにあったのである。
夜はタワーの200mから、展望し、ボストン、ケンブロッジの全夜景もみせてもらえた。そして、帰宅してから、全てのシャツをだしなさい。といって、今日着ていた下着をすべて洗濯 乾燥していただいた。
きっとこの恩返しに我が家に招待したい気になっている。
きっと秋子も歓迎することに@間違いない。

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by akinishi1122 | 2012-08-27 03:04 | 旅行 | Comments(0)

20

(20)2012年8月6日アメリカの旅(20)
ボストンからニューヨークへ
出発の途中にこの国の独立のきっかけになった広場に案内いただいて、そのときの農民民兵の銅像をみることができた写真におさめた。民兵でイギリスの軍隊と戦うために農民の服装のまま、抵抗にたちあがったから、パルチザンといえる。すぐ撃退されたというが、その撃退により農民たちの怒りはより深くなり、独立のためのエネルギーを新しく、強くかきたてることになったという。独立戦争というのは、どこでも最初は弱く鎮圧されるのは同じパターンである。中国の五四運動が日本にたいする運動だったし、韓国の運動も同じく鎮圧された歴史、フランスの市民革命も最初は鎮圧されるが、かえって油に火を注ぐものであったというのは、時間の長短は違うが抑圧し武力で抑えるということは必ず失敗するものであり、その最初の動きが記念日としてどこでも残されている。
3時5分の出発の改札ゲートまで稲田ご夫妻が付き添ってくださった。別れるときは胸にこみ上げるものがあった。こんなこと随分ん長い間日本では感じたことがなくなった。
ボストンの2日はこの旅のもっとも充実した、時間であった。稲田さんのご主人は学者であるが、親しみが感じられ、ひとつも気兼ねすることのないように接っしていただいた。今後おつきあいを深めていきたい人柄である。
出発前には僕の洗濯していただいた肌着をたたんで部屋においてくれてある奥さんの心遣い。人間の幸せを感じるというのは、なんでもない日常が自然に営まれるということだな、と発見した。
ニューヨーク空港には5時前に着く。シャトルバスを探したがインフォ―メイションで地下鉄をのりつげば行けると丁寧に書いてくれた。
電車では、うまく日本人の留学会社の支店の女性がいて、その人がまた乗り換え駅の説明もしてくれたので、7,5ドルでホテルに着くことができた。この女性は留学生の受け入れを毎日やっているが、貴方のような年齢で一人歩きをされている人にお初めて知り、羨やましい。といっていた。
行くときのシャトルバスは23ドルだったが、時間があり自分で電車に乗れば、安くいけるものだ。
最初にホテルに来た4日前のあのパニックがうそのように簡単にこれた。
夜パソコンを開いたら、山の会の野津さん、文学阪神の中路さん、久保さん、同友会の浅野さんからメールがあいっていた。浅野さんが同じ天草出身だということも初めて知った。
薫からは明後日チューリヒで会うからもう会社にはメール送らないでいいですよ

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by akinishi1122 | 2012-08-27 03:03 | 旅行 | Comments(0)

21

(21)2012年8月7日アメリカの旅(21)
アメリカからスイスへ
朝から、山の会かじかの野津さん、や坂口さん、大滝さん、それに文学阪神の大和さん、岩本さん、久保さん、同友会の鋤柄さん、名古屋の加藤弁護士などに日記メールを送信しておいた。
ニューヨークのホテルを12時に出る。ホテルでシャトルバスの手配を頼んだら、それはやっていないという。そして、近くの地下鉄と列車を1回乗り換えたらその方が便利だし、安いし早いということだ。
メモをもらって、ホテルから200mぐらいで地下鉄があるし、そこから10駅ぐらいで、乗り換えの鉄道である。鉄道案内員が「65歳を過ぎていますか?」と聞くから77歳といったら、「オーワンダフル」うちの父はまだ70前だがとても、一人の旅行などできない、それを今からスイスに一人で行くなんてすごい、父に教えてやる。といって列車の老人座席をとってくれた。そして待合室で待っていなさい、私が時間になったら、呼びにきてやる。というのだ。そしてシニヤ料金も買う機械まで連れてくれ、買い方まで教えてくれた。この駅員は150キロぐらいはある黒人で、まだ40歳にはなっていない感じ。日本では自分でできるから、介護のいる人や外人などはありがたいし、旅の人に僕が知らないだけで随分社会奉仕の制度がなされているのだな、と知ることができた。外国で判らないで困っていたら、こんなに助けてくれる交通サービスがあるから、あまり心配することはない。
くる前に調べるのにはきりがないから、体験して知るしかないと思う。
ニューヨークには三つの空港があるらしく、このニューアーク空港は一番遠く離れている。だから列車で来なければならなかった。だが僕は料金もシニア料金にしてくれたので、地下鉄もふくめて7,5ドルだから安かった。
列車にエアヤポート駅があるかれ、迷うこともない。そして、乗り換えは空港の電車が隣接しているから、自分のターミナルで降りたらいい。
ユナイテッド航空のチユーリヒ行きで300人ぐらい。日本人は一人もいないから、まさに僕だけの旅をしている、という感じである。
6時38分発の時刻表だが、乗り込んだあとなかなか動かなく、2時間たってうごきだした。その間なんの説明もないのだから、日本だったら、誰か文句をゆう人が出るのではないかと思うほど静かに機内でまっているのだから、こんなことがたびたびあるのかもしれない。
スイスには朝の8時10分に着くよていである。果たして実際の乗る時間はどのくらいかかるのだろう。
チューリヒではBurryが迎えにきてくれることになっているから、心配しちない。薫

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by akinishi1122 | 2012-08-27 03:01 | 旅行 | Comments(0)

22

(22)2012年8月8日スイス・ヨーロッパの旅(22)
スイスのチユーリヒで孫たちと会う

化粧した妻がスカイプの中にいる  チューリヒに着きスカイプで声と顔を22日ぶりに見る

チューリヒに着く予定が8時39分だったのが、ニューヨークを発つのに2時間遅れたので、日本から落ち合うようになっていた薫、きあらが先に着いたということを出迎えの
BURRYが教えてくれた。
BURRYがいるからヨーロッパの旅は心強い。8年前の僕のイギリス留学の時でも、何かあったらすぐ飛んでゆくから、知らせなさい。との保護者の役割をしてくれていて、日本にいる家族たちも安心してくれていたのである。顕のイタリヤ留学のクラスメートだったから、もう27年の付き合いになっている。
薫、きあらはイスタンブール経由だったが、うまく合流できてよかったな。きあらはよく眠れたらしいから元気な顔だった。
この前は2年生で体力も弱かったから、行動を、きあらにあわせたので薫の買い物などが自由にできなかったので、今回は薫にもある程度自由に行動してもらえると思う。
空港からBURRYの家までは45分ということで、彼は毎日この空港に通勤していて、電話をいれていた通りだったのでYASUMINNが昼食の準備して待っていてくれた。ELENA13歳、EVANA10歳も夏休みでみんなそろっての昼食だった。
YASUMINNはおおきな身振り、顔いっぱいの笑顔で迎えてくれた。
この家は、花でいっぱいの窓や庭を、YASUMINNが好きで手入れしているらしい。いったいに、スイスの家庭には花が多いが、この家はそれ以上に多い。花は次々の古くなった花びらになるからその摘み取りが大変なはずだがひとつも古い花びらをのこしていないのだから、その愛好者ぶりが想像できる。
丘の上の明るい住宅地でみんな500坪以上の敷地の家々ばかりである。遥か向こうの丘もなだらかでおそらく2キロぐらい向こうにあるし、高くない、なだらかな丘である。
部屋が広々として、ピアノ、バイオリンを二人の娘が習っていて、この前来たときも演奏してくれた。ERENAは背がたくなってもうお母さんにちかずいている。EBANAはきあらとおなじ10歳だからすぐ仲良しになり二人で遊んでいる。ドイツ語のEVANAと日本語のきあらがすぐ仲良くなり遊ぶのだから、言葉の違いはあまり関係なさそうである。
夕食前家からずっと下り、湖の出口になった場所に小さな城があるところにつれてもらった。水が豊富に流れているから、直系5mぐらいの水車小屋がある。それは穀物を粉砕するのに使われていたのであろう。またパン粉もこの村の人々の全てをまかなうために十分の働きができるであろう。水は大きな湖から流れてくるからとまることがない。
城は1500年代に建造されているが、ここスイスは戦争をしない国として知られているが、その当時はどうだったのだろうか。
夕食は、羊、豚、牛、鴨、海老などの肉類と豊富な野菜、ポテトなどもりたくさんの食卓であった。それをYASUMINNがテキパキと作ってくれた。
日本に電話してくれ、スカイプで日本の家族の顔を見ながら話す。きあらが元気に着いた顔をみれたから、由紀子さんも安心したであろう。
明日からの旅の寝台車の予約を全てBURRYがしてくれた。

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by akinishi1122 | 2012-08-27 03:00 | 旅行 | Comments(0)

23

(23)2012年8月9日スイス・ヨーロッパの旅(23)
BURRYの近所の遊園地、夜10時40分寝台者でウイーンへ

10歳でありし原爆今日のわれ  10歳で今日、長崎の原爆を遠くから見る
その当時落下傘爆弾といっていた

今日・はゆっくり起きて子供たちの休養にとおもった。YASMINNとERENAは、同級生のお母さんが死んだ葬式に出るということで10時過ぎに教会にいった。
きあらとEVANAは起きたらすぐ、二人で遊んでいる。ここの子供たちはなかなかうまく育っていて、きあらを中心に遊んでくれているから、きあらも外国に来た気がしないでいる。旅のストレスがないようだ。
BURRYが日本に電話をかけてくれたら、今夕食の最中だといって、まなが「おねえーちゃんだ!」といって大きな声でみんなに知らせていて、やはり遠くの国に行っていることに子供なりに寂しさと、少しは不安もあったのだろう。きあらと話たいらしいがふざけてた声で不安お表現をしている。
秋子は、きあらや、薫の留守中は顕のマンションにいることになったらしい。やはり一人では買物やごみをだすことが大変だし、なにか体調でもくずしたら対応に困るから、それがいいと思う。
午後から、みんなで遊園地に連れてくれた。あくまでもきあらのためである。きあらはシーソーゲームやゼットコースターなどにここの子供たちと遊んでいた。
その間に僕は芝生にねそべったりして時間をすごした。
夕食のあと、今までにメールが来ているのを、コピーしてもらい、読み返し記録することにする。
山の会かじかの野津さんから、
「こんにちは。このメールが着く頃は夜中なんでしょうね。毎回楽しい旅先からのメールありがとうございます。一期一会を実践されていますね。始めのゴールデンブリッジや、サンフランシスコ議事堂横の博物館での講和条約締結時代はまさにアメリカが日本占領を進めていくためにアメリカ言いなりになり、英語に堪能だというだけで、総理に指名されたのが、その経緯だつたようですね。歴代総理がアメリカ一辺倒、一人だけがそうでなかった。それはあの田中角栄だったようです。独自で日中国交回復し、台湾を切り捨てた・・・アメリカの「台湾が中国を代表する政府」との路線に真っ向から反対した唯一の総理でその後、例のロッキードのピーナツ事件で失脚させられました。もうあのような国や未来のことを考えて、大規模なデモは無理だろうと思っていたら、毎週金曜日の官邸前デモ(200人から10万人を超えるデモ)脱原発では17万人が整然とした国会包囲デモ・・・今こそ燎原の火のように広がったこのうねりを更に広げねばと思っています。
どうぞ、健康に気をつけて新たな出会いと発見を楽しんでください。お元気で
 今日は夜ウイーンに向かうのだが、夜の10時40分チューリヒを発つから、みんなシャワーを浴びて送ってもらうことにした。
ユーレルパスは今日から使用開始になる。疲れないように夜行寝台車にした。ファーストクラスの列車だったのだが、BURRYが間違って2等寝台の手配をしてくれていたので、変更の手間もかかるし、もう遅いから手続もややこしいようで、そのまま2等寝台にした。4人部屋だから、先に一人乗っていたし、僕が下に薫ときあらを上のベットに寝あせた。
さすがに疲れているのであろう、きあらはすぐ眠りについた。
隣は32歳のスイス人男性、4日間の休暇でウインに行くという。グラフイックデザイナーでコンピュータでアニメなども制作しているという。
部屋はスチームで暖かく僕も日記は書かずに休む。

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by akinishi1122 | 2012-08-27 02:55 | 旅行 | Comments(0)

24

(24)2012年8月10日スイス・ヨーロッパの旅(24)
オーストリヤ・ウイーンの一日

ウイーンに着いたのが朝7時30分だった。ホテルは顕がなるだけ駅に近い、そして繁華街のところを選んでくれていた。インフォーメイションで薫が聞いたら地下鉄で4つめというし、荷物があるから、タクシーにした。
今回の行動は全て薫に任せることにするつもりでいる。10歳のきあらの体調を第一に考えるのはやはり女性でなければきずかないし、子供の関心事は僕が見せたいと思うのとはだいぶ違うこともあると思うから。
スイスの家を出る時、「もっとここの家にいたい、動きたくない」と言ったというから、僕らが考える、もっともっとみせるべき処を見せたい。というよりも、今、友達になったIVANAやERENAともっと遊んでいたいというのがきあらにとっては関心事のようだ。
大人のように(お世話になるというよりも新しい国の新しい友達と遊ぶ楽しみから離れることの寂しさ)が重要なようである。IBANAにしても、教会に姉がいくのに自分はきあらと遊ぶことを選んで一緒に遊んでいる。
大人たちが考える(せっかく、来たのだから)という考えは大人が考えることで、子供は「今の友達、今の楽しみ」というのが一番大事なのだと教えられた。ドイツ語が分からなくても子供はそれで友達になれるものだ。
なんでも大人の先を考えた提案をしたがることを反省しなければならない。
寝台車では良く眠れたようだが、朝食がでたのは食べたくないと食べないでいる。
タクシーで10分ぐらいでホテルに着いた。ウイーンの街の中心だから、中世期では一時オーストリヤ帝国が今のドイツ、フランスなどを支配していたほど古い国の中心地だから、建物は古いし、石の建物が連なった建物だし、建物と建物の間の路地も石畳である。その中のホテルだから、外見の派手さがない。外装は変化させない政策で16世紀の建物を保護することで誇りを保つ現在の政府の政策とみてよいだろう。
中に入れば近代的な仕上げの内装だが、部屋の天井が高い。現代の建築では一般的に2,5mから2,7mというのが近代建築の基準になっているが、ここはむかしのままで4,5mぐらいの天井の高さはあるだろう。そして部屋の周囲から天井にすこしカーブの額縁になっているから、圧迫感がない。
3人部屋で広々としているが、ここはクーラーが無く、扇風機が1台あるから、少し暑い気がする。扇風機が動かないが、とフロントに言ったら、夕方になるいと窓を開けたら涼しくなるからいらないだろう。と薫にいったという。朝の8時ぐらいに着いたので荷物だけ預けて観光にでた。 
僕は議事堂やオペラ劇場、公園など記憶が少し戻ったが、薫が案内ブックを見て歩いているから、その後について歩くことにする。記憶よりブックが正確だからだ。
公園のモーツワルト像ぐらいまでは案内できたが後の道順は薫にまかせた。きあらはモツワルトよりも、その像の前の楽譜のシャープの文字を花で型どった果断の方が、ピアノをやっているから、それが身近に感じるのだ。まだ作曲家よりもピアノ練習のときの楽譜の花壇が注意をひくのである。
2時間ほど歩いてまわったら、ホテルの近くに戻って来たので僕ときあらはホテルのロビーで休憩し、薫にホテルのテエクインの時間まで街の様子を調べてきてもらうことにした。
僕はその間に昨日の日記、きあらは、もってきたゲーム機で遊んで時間をすごすことになった。
2時にチエックインを済ませ、昼食に出る。寿司の店を見つけきたというので、そこで寿司を思いきりたべる。
午後はメインの繁華街をあるく、15mぐらいの道幅が追い越せないくらいの人混である。街頭でのパントマイムをきあらは喜んでいる。結構人々がお金を入れるものだ。3年前、日本の音楽大学女子学生が琴の小型化したのを持ってローマで演奏していたのを応援かたがた見たことがあったが、たくさんの通行人がお金を帽子に投げこんでくれていたのを見て、生きていくためには、こんな方法もあるものだ、と庶民の街頭演技者への暖かい援助の心があるものだ、と感心したことがあったが、これもひとつの文化としてあるのであろう。いいものだ。日本ではまだこれほど普及はしてていないが、いずれ普及する日もあるであろう。
路面電車にのり郊外にまわったが、ドナウ川沿いをゆっくりとはしる。24時間のフリーチケットだから、明日のベネチュア行きの時間まで使える。
街を歩くのは疲れた。きあらは大林のおばあちゃんや、のんなばあちゃんに絵葉書を買って今夜書くという。
疲れて早く寝たから12時に目覚め「文学」の7月号の「闇の口」高橋英男を読み終えた。
今回の東北大震災の福島原発に勤務している夫(総務課長)と、保育園の保母をしている房子の、夫婦の立場、原発の当事者との心の葛藤を描いた優れた作品である。
立場によって市民感情と、仕事上で、早く家族を避難させるべきか、避難さすことで世間の批判を恐れることの葛藤。原子力技術者の家族はその放射能の怖さを知っているためか、早々に家族を避難させる姿、など、危機にさいしておそらくありうるだろうことがリアルに伝わってくる作品である。
文学会にはいり、これらの人々とやがて親しく言葉を交わすことができるだろうと思うと楽しみができた。

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by akinishi1122 | 2012-08-27 02:53 | 旅行 | Comments(0)

25

(25)2012年8月11日スイス・ヨーロッパの旅(25) 
ウイーン市内観光、夜寝台車でイタリヤベネチュアへ発つ

荘厳でありし心や三秋雨  シュテファン寺院に入り外は雨で記帳簿のこの句を記入した

がイメージでいたいものである。
ダニューブを見下ろす岸辺でにぎり寿司を食べた河をhashiru 走る風は少し涼しく感じるくらいだ。
まだ若い乞食が若い女性に食べ物を乞うのであるが、無視されてもつぎから次へともらいにまわっている。働けばいくらかでも稼げる若者にたいする断固とした姿勢には拍手でも送りたい気持ちになる。
子供たちをホテルに見送って別れ、僕は公園にでた。この公園にはすぐヨハンストラウスの金色の銅像に彼がバイオリンを弾いている。やはりここの名士であるからだけではなく、がいし世界中にドナウ河を紹介したからともいえるからであろう。
その他に数名の音楽にかかわる銅像が森の中の池のそってたてられている。音楽のまちである。ウインの森の物語9という映画もたしか60年ぐらいあったことでも知られている。この憧れの地をゆっくりと一人で歩くのも嬉しいものだ。
ホテルに帰り子供たちと馬車に@乗る。小雨だから俄か幌馬車になった。3人で20分60ユーロである。馬のひずめの音が響くのは、道路が玉意思の埋め込み石でできているからである。2頭が歩いたり駆け足したりで引くのだが、よく訓練されて、車や人がせっきんんしても驚かないし、またわき見ができないように、目が横見できないようにふさがれたカバーでおおわれている。
馬糞も道の落ちないようにぽうに受け皿をつけている。がんじがらめにされながら、外見は着飾ってくれているで。きあらはよろこんで写真を撮りまくっている。
降りたあとでは、騎士の席の乗せてもらい、たずなをもってポーズもとらせてもらった。
きあらにしたら今日の最大の思い出写真になったであろう。
「文学阪神」の久保さンカラメールで(この猛暑の中で目のまわるようなスケジュールをこなされていますね?体調は如何ですか?あたかも人生を数倍、いや数千倍・数万倍生きていらっしゃるようですね。やはり屈強な体力としなやかな精神力のたまものですね。14、15、16の研究集会については、支部誌のニュースに感想を掲載してくださいね。楽しみにしています。さて民主文学9月号の支部誌同人誌評には、阪神支部の霜村みずきさんの「デナイアル」と槇村哲朗さんの「理性への説得ー宮本顕治」がとりあげられました。喜ばしいことです。貴方の紀行文も是非、「民主文学」の掲載分野にとり入れてほしいものです。)とあった

ホテルからタクシーで駅にでてウイン中央駅で夕食に焼き飯、きあらはマクドナルドだったが。薫はおなかが空いてていなきと、水だけだった。
列車は夜8時40分発のいたりやベネチュア行きである。僕ら3人にフランスのリオン大学の男性である。彼はやはりベネチュアの遊びに友人に着くというから、12とだった。化学の学生で2年だといっていたが、難しそうな化学の本をずっと読んでいる。
明日は朝8時30分着というから、12時間である。
明日の朝食の飲み物を聞いてきた。列車の中の朝食のパンは美味しいからなれてきた。

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by akinishi1122 | 2012-08-27 02:52 | Comments(0)