<   2012年 07月 ( 25 )   > この月の画像一覧

元気な百歳の会の人々

b0150946_6845.jpg
b0150946_685268.jpg
b0150946_693499.jpg
b0150946_6101592.jpg
b0150946_610473.jpg
b0150946_6112040.jpg
b0150946_6115610.jpg
b0150946_6123191.jpg
b0150946_6131119.jpg
b0150946_613548.jpg
b0150946_615089.jpg
b0150946_6153632.jpg
b0150946_6164153.jpg
b0150946_6172542.jpg
b0150946_618997.jpg
b0150946_6185486.jpg
b0150946_6195151.jpg
b0150946_6203016.jpg
b0150946_621871.jpg
b0150946_6214060.jpg
b0150946_6221141.jpg
b0150946_6224648.jpg
b0150946_6232040.jpg
b0150946_623556.jpg
b0150946_6244720.jpg
b0150946_6253555.jpg
b0150946_6261899.jpg
b0150946_62704.jpg
b0150946_627551.jpg
b0150946_6283215.jpg
b0150946_629798.jpg
b0150946_6301145.jpg
b0150946_6304171.jpg

b0150946_637899.jpg
b0150946_6385798.jpg

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-18 06:30 | 百歳の会 | Comments(0)

今日の一句

梅雨終わる出で立ち良き日になればいい  今日から70日の旅に出る、今回はどんなドラマを創れるだろうかとワクワクする出で立ちである
[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-18 06:00 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

3,11を語る集いや秋保梅雨  宮城の秋保温泉で文学の集い「3,11をどう書くか」の研究集会にでた、相応しい土地である  7月14日

秋保月青葉と梅雨が隠しけり  今年の梅雨はこの東北にも毎日の豪雨で月の姿などいつまで待っても期待できない     7月15日

海の日やまだ金槌の1年生   孫娘はまだ金槌だという。この夏にじじいの家で教えてもらうらしい
7月16日

この夏も球児期待を叶へけり  本日県予選の3回戦を応援に行き、コールドで勝ってくれた。明日以後
はアメリカでニュースを知ることを楽しみたい。  7月17日   
  

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-17 21:29 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

阿蘇の川津波のごとき大梅雨  12日はここ長良川も泥の激流、阿蘇では相当の死者がでているらしい

岐阜の梅雨初優勝や碁大会  第9回同友会全国囲碁大会でBクラスの優勝ができた記念日だ
13日

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-14 06:27 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

大梅雨わが階段は滝となり 下駄を履いて新聞受けに行かねばならない滝となって階段を流れる水は初めての経験だ

b0150946_84354.jpg

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-12 08:04 | 俳句 | Comments(0)

日中経済交流訪問団

2010年10月12日日中国経済交流訪問(2)蘇州タカラ産業など
朝食はバイキング料理である。昨夜中華料理の豪華セットだったから、今朝はお粥にした。中国のホテルにはお粥がつきものだが、やはり朝はこれがいい。 
8時半ホテルを出る。朝から雨摸様である。不動産の事情を観る人が3人はタクシーで出かけ残りの21名のメンバーである。
中国の文字はところどころ解ることがあるが、「地面道路」と表示されているのは日本で言う高速道路が2階を走るからそれに対して地面を走るという一般道路のことをこの様に表現してあるのは、なるほどと納得できるというものだ。
これだけの発達した上海だからもう日本となんら変わらないような生活ではないかと思うのだが、大学卒の初任給がだいたい4万円というから、日本の5分の1ということらしい。
たくさんの中国人が日本に観光に来ているが、電気炊飯器が人気があり、土産にたくさん買って帰るのは、ご飯を食べるのに中国の炊飯器はまだ日本の水準にないようで人気があるようだ。見たところ何でも出来、なんでも作れるように思うのだが、炊飯器はまだ日本のような性能に達することができないらしい。だがその程度の遅れというところまで日本並になっているということだ。
バイクや自転車が多いがその車が殆ど掃除がされていなく、汚れたまま、自転車などは錆たままで走っているのだが、これは若い娘さんなどもそうなのだが、みんながそうだから恥ずかしいという気持ちは起こらないのだろう。
各部屋にコンピユーターがあるが、僕は昨夜自分の持ちこんだのに接続を試みてみたのだが繋がらない、他の人はちゃんと繋がり、送信も出来たらしいのだがどうゆう訳なのだろう。そして今朝の日記を校正しようと思いバスの中で開いたら、せっかく3時間もかけて打ちこんだ日記が保存されていない、これが残念でたまらない。日記というのは一日延ばせば大体忘れてしまうから、昨日のことは、宝物を落としたような気持ちでいる。
最初に訪問した工場はイタリヤの会社で機械の部品を製作している工場で完全にロボット化されていて、その機械が台湾の製品だという。そして納入先が日本の東芝であり、来年の8月までの仕事が確保されているらしい。イタリヤの会社が中国で生産し、その機械は台湾製、出来上がった製品は日本の東芝に納入、最終の製品は世界の市場に流れるというのだから、経済はもう一つの国にとどまらず、動いていることが具体的に、この工場を見ることでわかった。
次はこの訪問団の団長のタカラ産業である。樋爪氏はもう20年以上前僕も参加した訪中団のメンバーだったが、彼は即行動を起こし、ここ蘇州に工場を設立した行動派の人である。僕よりも18歳も若いのだが、彼の頭の閃きはあの当時から特異なものを持っていた。
この工場には現在230人の従業員がいるがピーク時は300人いたらしい。その当時は人の手作業でその安い労働力に頼っていたが、いまでは自動機械とコンピユーターを導入することで、人手から機械にうつる部分が多くなったため、生産は増えたが人員は減ったというのだから中国の発展とともに工場のスタイルも変わってきている。ちなみに日本の本社の人員は80余というのだから、中国は完全に工場としての役割の国と言える。
工場の敷地は7000坪というから日本の大企業なみであるし、内部の機械は一台500万ぐらいなのが41台もあるしその外にもたくさんの機械が動いている。24時間機械も止まることがないようで勤務体制もそのようになるため昼食夕食も社員のために100人規模の食堂も設置されている。
工場の作業員がわれわれ訪問者に対して目礼歓迎してくれている、これは樋爪氏の社員教育が浸透しているなと実感した。また研査室は頭から足先まで完全な白衣で包まれ、そこでは仕上がった製品にロットごとに抜き取り検品しているが、その中で一つでも不良品が発見されたら、生産部に全部返して再生産し直すという厳しい点検がされている、こんな現場を日本からの発注者が見て信頼をして注文がくるというほど徹底した品質管理がされている。これを見て中国での生産が以前のように安かろう、悪かろうというイメージが完全に払拭された。
もう繊維品などは中国からの輸入が日本製品の80%というのだから、うなずけるし、信頼できる製品になっている。
社長室が50畳ぐらいもあるが、その机が豪華で大きく、日本円で買うとしたら、100万するようなチーク材で、これがなんと中国では三万円で買えるらしい。
この工場は日本で営業し製作をした商品を日本に輸入するというのが目的でなされているが、このような設備をみると僕でもまた何か開発し建設現場に必要な商品ができそうな気がして、なんかむらむらと開発の意欲がでてきた。
これまでにたどった工場の経意は何回も移転をかさね、それは中国の経済の発展にあわせて工場地帯も変遷してきたらしい。
現在の中国の経済は積極的に外国の技術を取り入れ、企業を誘致して外国の力を利用して輸出し、世界第2位の国になったことがわかる。
もう一つの同友会の企業も同じく工作機械の製造でここは日本で使っている機械と同じ機械を設置して、ここでも100人の人たちが働いている。敷地も工場地域として設置されて新築されて積極的に工場も近代的だ。
そしてその社員たちも日本の企業と同じ教育され、われわれ来客にたいして礼儀ただしく挨拶もしてくれる。
日本は中国を意識せずして経済はなりたたないのではないかとさえ思える。アメリカも日本も、もう世界貿易で輸出や輸入の割合が一番の国になったのだから。


2010年10月14日 日中経済交流訪問 (4)万博見学
蘇州を9時の新幹線で発つ。新幹線の車両は通路を挟んで両側に席が3個ある。蘇州ではもう沢山の人が乗ってきていて、我々の席は予約してあるからここで降りた人の後に用意してある。僕がトイレに立った間に何人もの人が「空いていますか?」と来たらしい。列車の繋ぎ目にはたくさんに人が立っているほど混みあっている。乗っている人は服装は地味で、華やかさは殆どみられない。日本のように男性はネクタイに背広、女性はの若い人でも華やかな服装ままだみられない。茶髪に染めたりしている人は見掛けない。ましてパアマなど殆どないのは車両の近代的な日本の新幹線と同じなのに風景は違っている。
やはり女性は化粧して華やかなのが気持ちがいいのだが、そこまではまだ一般化されていないようだ。
上海にわ30分ほどで着く。そこから万博会場までバスである。少し雨模様だったが濡れてえも差し支えない程度だ。だけども万博会場にはたくさんの入場者が並んで待っている。万博といいながら白人はポツポツだ。11時から4時まで2~3人ぐらいのグルプで行動するように坂元さんからの指示で行動にうつる。1号入場門に4時に集まるようにして、各々に行動は任された。僕は4人のグル-プに所属した。
会場は恐らく日本の万博の数倍はわあるだろう。会場を廻る専用のバスが運行している。
最初に日本館を通ると3時間待ちと表示され、沢山の行列だ、中国館やアメリカ館は時間待ちだという。これでは我々の半日コースではとても人気パビリオンには入ることはできない。とりあえず昼食を一緒にとりながら考えたが僕はこの強行軍に少々疲れたのでもう皆について行く自信がなくなったので、帰りの集合場所の近くのパビリオンだけ観ることにしてグループに了解してもらった。
僕の入ったのは「城市古墳博物館」が人があまり並んでいなかったから入れた。日本の高松塚の絵と同じような顔、持ち物、服装などがある壁画がここにそのまま移動して展示してある。高松塚と違って幅は30m、高さ3mぐらいもあるし、ここが高松塚のルーツではないかと思う色彩の絵の具で書かれている。
絵の曲線が殆ど高松塚のスタイルだから、今から2000年ぐらい前の理想像や高貴な人たちの服装である。またどちらかといえば仏像の女性の仏の顔に近い。だが鼻髭をかすかに生やしているから、男性の高貴な人にちがいない。
人間の理想像はやはち温和が期待像であるのだろう。その高貴な人々を守るのが仁王立ちになった毘沙門天というのが相場のようだ。
洛陽の兵馬用からの兵士の写真も展示してあるし、発掘された出土品の中には土器や鋤、鎌、弓、矢など世界の国々の考古博物館にあるのがどこも共通して人類は発展したのだなと理解できおる。昨年シベリヤ考古博物館でも南米のコロンビヤ、ペルーの博物館、それに日本の橿原でも共通だ。ただ数千年の発達の速度の違いはあるかもしれない。
猿が人間に変る段階での道具の発明はみな共通しているのがわかる。
その発展に応じた貴金属、それに地球儀、と時計も共通である。
その外数点のパビリオンをみたが、やはり人々はよく知っていて閑散としたぱびリオンは印象に残るのは少ない。だから上海万博を観たといっても中国の考古博物館しかみなかった時間しかとれなかったことになる。
夜は夕食を早く済ませて、上海のサーカスを観にはいった。サーカスは中国とロシヤのボリショイが有名だが両方とも古規模が大きい衣し技もスケールが違う。
これもよかった。

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-12 07:29 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

各地かた妻の交友j夏野菜 和歌山、奈良、大分、城ノ崎から夏野菜や夏の魚が着いた
[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-12 07:27 | 俳句 | Comments(0)

日中経済交流訪問団

2010年10月11日 日中国経済交流訪問 (1)上海、から蘇州へ
今回の訪中は同友会の日中経済交流研究会の毎年派遣しているシリーズの一環としての募集への参加である。関空から13時の出発のため家を10時にでた。
参加メンバーは24人で、団長は樋爪氏である。樋爪氏は25年前の最初の訪問の頃から参加していて、即行動に移されもう工場を設立して25年近くになるようだ。
あの頃、細川勇氏が音頭をとり、大阪にいた中国の代表部に肝いりでたしか15人ぐらいの参加だったと思う。僕もたしか2度目ぐらいにメンバーとなって、上海、蘇州、南京などを訪問し、各々の副市長が歓迎して晩餐会を開いてくれたほどで、たしか、毛沢東が死去し紅衛兵騒動が納まり、登小平氏が改革開放政策をうちだし、後の中国国家主席になった江沢民氏が上海市長であった頃ではないかと思う。大きな体育館で目の前を江沢民氏が群衆に手を振って演説した場面に遭遇したように思う。
その頃は上海の道路は自転車で溢れていて、こんな沢山の人が何処から出てくるのだろうかと、驚嘆したものだった。
自動車などポツポツとその自転車の中に浮いて見える状態だった。住宅は古びた瓦がすすけていて、細い路地で丼におかずの入った飯を立ったり木製の椅子で食事している姿が上海の風景だった。そんな上海に20数年ぶりに訪問するのである。
 上海に着いて先ず感じたのは空港が凄く綺麗になっていて、ちょうどベルリンの新駅を思わせる近代ビルになっちぇいる。壁や床など大理石で仕上げてあるから、東京や大阪と比べても遜色ない。だが照明の明かりが暗い。埋め込みだからか、通路で読み書きが必要ないとの考えなのだろうか。誰かが「時々全体の電気が止まることがあるらしい」と言っていたが本当だろうか。これだけの人込みでまさか電気が止まることはないと思うのだが、病院などや空調、エレベーターなど、困るはずだから、電気が止まるとは過去のことだろう、とまた外お誰かが疑問をなげかけていた。
まだ4時前というのに薄暗い、どうも曇りというより、煙突の煙と黄砂ではないだろうか。空港からすぐリニヤモーターカに移動した。30数キロで上海の中心駅らしいが、大阪の最新式の無人地下鉄のような、3両客車である。間もなく動き出したが、白人がスピード表示電光板の下に掛け寄った。何かと思ったらこれは世界最速列車ということでどんどんスピードを上げていくと日本の新幹線ののぞみの300キロを簡単に3分ほどで越え、みるみるうちに431キロに数字は表示された。次々に我々のグループもこの記録表示板をバックにシャッターを切りあっている。とても日本ではこんなに直線で路線を敷設することは無理だろう。
土地が国家の物だから立退きなど面倒がないからほとんど直線で走る。車両の外は20階30階のビルが建ち並んでいて、昔の面影は殆ど無くなっている。こんなことがよくも短期間でできたものだ。昔の建物といえば、寺院はそのまま残されているだけである。
この沿線には全く古い、いわゆるパールバック「大地」の小説の面影はなくなった。
上海の中央駅まではわずか7分で着いた。
上海といえば確か内山書店という日本人の経営する本屋があって、孫文や魯迅、周恩来などの人々を日本に留学させるときの資金や保証人になった人がいたはずである。そして戦後中国との国交回復のための尽くしたように記憶しているが、その書店が沢山の中国の指導者を育てたように思う。孫文などは毛沢東以前の近代化の国民党の総統で、後に蒋介石も孫文の弟子で確か孫文の妹宋美令と結婚したようだつた。そしてその姉さんが中国の副主席だった宋慶令と思う。だから姉妹で台湾と中国本土での対立する関係であった。
日本の侵略軍に対して蒋介石国民党軍と毛沢東の指導の8路軍は共同して闘っていたが、そもそも孫文の弟子であった蒋介石が孫文の「三民主義」を放棄したことで毛沢東と決別したのだった。どちらかといえば毛沢東の方が孫文路線に忠実であっちょうだ。
それで中国の父として今でも「中山」として孫文は尊敬され、各地に「中山道路」名があるし、銅像も建っている。そんな中国近代化の人物を育て援助したのが内山鑑三氏であったように記憶している。
そんな上海の歴史を思いながら上海にむかった。
 上海駅前に我々の乗る貸切バスが待っていてくれた。ここから200キロぐらい離れた蘇州に向かう。
バスガイドは二人で男女である。日本には行った事が無いというから、やはり日本語の発音がなんとなく子音が聞き取りにくい。だが大学で4年間学んだだけあって、質問にも答えるのに不自由はない。60年前の革命だったから、彼らはその時代のことはあまり関心はないようで、紅衛兵のことなどについての質問にも関心を持っていないようだ。ただ毛沢東については各地に肖像画や紙幣に印刷されているから、知っているのであるがあまり政治のことは話たがらないようだ。
今、日本では問題になっている尖閣列島の漁船衝突問題についても全く触れないところをみると、我々に気を遣っているのか、関心がないのか、日本で心配しているほどのことは全くない。
夜はホテルが桃園度假村という大変立派で、もうこれ以上何も必要ないというほど全てが整っていて、二人部屋を一人で3日間僕が使用することができるらしい。
ホテルには大きな庭園や池があり独立した2階建てで広々とし、庭園にはスターチユがヨーロッパの彫刻像でいくつもたっている。おそらくオリンピイックや万博のために、世界からのお客のために建てられたのであろう。
夕食は中華レストランで、5階建で全てがレストランになっていて、玄関から廊下全て大理石、それにテーブル、椅子など調度品は全てチーク材に手造りである。ここの社長は樋爪氏も親しくしているらしく、ご夫妻を日本の観光に招待するほどだから、われわれに挨拶にきてくれた。
上海蟹はなかなかで、僕の好物、子どもの頃田舎で今頃の時期に食べて懐かしい。もう中国でなければ日本では見かけなくなったので感激だった。

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-11 08:18 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

役退きて17年同友会の盛夏かな  もう役員を退きて17年になるが、この目覚ましい発展で5万人を目指す勢いの総会になってきた。
b0150946_8334090.jpg

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-10 08:33 | 俳句 | Comments(0)

コロンビヤ・首都ボゴタにて

b0150946_846955.jpg
b0150946_8465457.jpg
46/|mid|500|375#]
b0150946_8483399.jpg

b0150946_851281.jpg

[PR]

by akinishi1122 | 2012-07-09 08:48 | 旅行 | Comments(0)