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インドの旅(29)

(29)インドの旅(29)2011年2月19日ボンベイ市内めぐり後帰国の途へ

昨夜12時半につきホテルに入ったのが1時半、ベッドに入ったのは2時になっていた。

最後にふさわしい良いホテルを世話していただきこれで全ての旅行が終わりになる。

それでも8時頃目がさめて、昨日の眼まぐるしい一日を丹然に記録していたら10時になった。5時の出発だから少なくとも1時頃までは時間が使えるから、朝食をぬきでタクシィーをチャーターシ市内観光することにした。

2時間でボンベイの市内をまわり、1時にホテルに帰ると十分時間がとれるから、2時間で300ルピーで交渉できた。

この町は商業の都市のようで、中央には高層のビルが立ちならんでいる。だけども大きな池だが水が真っ黒く浄化槽どころか、そこにゴミが捨てられているから、その臭気がまち中にただよい、まるで公衆トイレに居る感じある。面白いのはやはり古くからの寺院の習慣で、そこに寝そべっている人たちがいっぱいある。石の上だが何回も箒をかけていても黄砂が吹きよせてくるから、清潔とはいえない。そんなところに憩いをもとめて集まるり、その信者からの恵みをえようとまた沢山の子供連れの母親などがあつまっている。なかには真白い服装のターバンをまいた紳士がお参りのあとに一人ひとりにみんなに紙幣を用意してきて渡している光景にもであった。それにバイクに乗っている青年が交差点で老婆にわざわざポセットからたしか50ルピー紙幣も渡している。

僕などは社会保障がまだまだだなと思いがちだが、けっこう助けあいの心があつて、貧しいひとたち分け与え助けているから、僕も少しは考えてみなければなるまい。こんな善意のひとたちがたくさんいることを冷ややかな目でみることばかりでなく、ボランチアの人たちをも育つていることも感激しながらみた。

うちのきあらちゃんやまなちゃんぐらいの子供を持つ母親には僕もつい出すきになった。

ドライバーと一緒に蜜柑の即席ジュースを飲むことにしたら2人分にリンゴぐらいの大きさを10個も絞ってくれたのがうまかった。値段も2人分で40ルピーだから1パイぶんが40円の計算になる。

日本のテレビやバイク、自動車などがたくさん走っているが日本の値段でこちらに換算してみるととても我々のホテルの部屋にクーラーやテレビがあるのが設備投資としては支払うホテル料金だけでは簡単に採算がでないと思うのだが、インドやヴェチナムなどには特別に安く売のではないか、とさえ思える物価

安さである。であれば国内には高く売り外国には安く売るというおかしなことをやっている気がしてくるのである。

 空港までのタクシーをホテルで呼んでもらったら、350ルピーというし。送ってもらうことにした。

 5時の出発だが40分ぐらいは遅れている。よく交通が遅れるもんぽだとおもったら、黄砂などで霞んでみえないことを市民が理解しているから、怒る人は居ないとのことだった。

 日本に人の26人の関西からのツアーが日本人がいるだけで、7日間をデりーを中心に観光したと言っていた。

 この飛行機ハデリーに行き、そこから関西空港にむかうことになる。デリーに8時頃に着き、11時半に出発と表示された。





暑き国飯に馴染めず三十日  ついにインドの食事に馴染めず帰国となった。

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by akinishi1122 | 2011-02-28 18:48 | 旅行 | Comments(0)

インドの写真

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by akinishi1122 | 2011-02-28 18:41 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

雛の衣を着せればなんでも解りそう

ひな祭りを早くして、5歳と8歳の孫に着せたらもうなんでも解るような気になる

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by akinishi1122 | 2011-02-28 13:03 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

申告税医療領収の厚さかな

年々医療費の領収書の厚さが目立つようになった。

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by akinishi1122 | 2011-02-28 11:39 | Comments(0)

インドの旅

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by akinishi1122 | 2011-02-27 17:55 | 旅行 | Comments(0)

インドの旅(25)

(25)インドの旅(25)2011年2月15日エルナクラム市をタクシーで廻る
今朝は腹の調子がおかしい。ゲリというわけではなく、どうも昨夜食事の時、4種類のスパイスが出たので、それを全部使ってみたのが効きすぎたのかもしれない。食べている時からどんどん汗が噴き出て、出してあるテイシュでは足らないぐらいの熱さだったから、腹の中でまだ刺激を続けているのかもしれない。朝食に降りたがバイキングが僕の食欲がでない出ないものばかりだから、オレンジジュースにトーストを注文した。
このホテルは少し上等なので、トイレにはヲッシュレットのシャワーがついている。だから気持ちはいいが、やはりペーパーは備えつけがない。自分のトイレットペーパーを持ち歩かねばならない。
昨夜からエヤコンを22度にして寝て、天井からは大型のファンを回しっぱなしに寝たから快調である。
パソコン店に行って日本のニュースでは、小沢一郎が民主党の全員協議会で党員権停止を決議されて、活動できなくなったという。10億円もの不正献金がありながら、この程度の処分しかできないのが民主党の悲しい小沢の金で勝ち取った先の選挙だからであろう。
昨日のドライバーに午後1時に来るように約束したのに、こない、仲間のドライバーが電話して聞いたら30分遅れるというのだから、待機している別の車でまわることにした。
値段は3時間で300ルピーでいいというら、昨日は3時間で400ルピーだったのだから、交渉しだいでは安くなるということだ。
このエルナクラムは陸地になっていて、観光は2ツの島に主な見どころがあるしい。随分走ったがみるのは船着場と海に面した防波堤沿いに公園がぐらいである。町にはいたるところに共産党の旗と指導者の写真、それにスローガンがかかげられている。
何故こんなに多いのかとドライバーに聞いたら、世話焼きに熱心でいたるところに相談所があるし、そこに旗が立っているというのだ。そして教育に熱心だからインドで一番教育水準が高いといっている。また失業率もすくないのは一番で公共の掃除や下水、道路工事や高層住宅をどんどんたてているのが失業率の少ない理由らしい。
なるほど今までみた街に比べると浮浪者が極端に少ない。街も埃が少ないのは道路整備が他より進んでいることだからのようだ。
ドライバーも支持者らしいので共産党の事務所に案内してあげると連れてくれた。ここの政権党にしてはえらい古びた建物で普通の長屋でどちらかといえば、日本の安アパートといったところだ。今日は所長はいなかったが、副長ぐらいの人がいた。隣の部屋に機関紙の支局になっていて、女性を含め3人のスタッフがいた。その中の30代の記者が日本についての質問をしてきた。日本や外国からも労働組合関係の人は来たことがあるが、あなたのように経営者が来たのは初めてだ、言っていた。
僕も率直にいままで観てきたインドの印象で、衛生状態が悪いから病気にならないか心配だ、またビニールや生活汚水などがいたるところにあり、ハイテク技術の高度とアンバランスのように思う。でなければこの環境では相当時間がかかるのではないか。と意見を言ったら、全くその通りでどれから手を付けるかで、いま失業を減らすことにケララでは力を入れているのだ。という。
しかにケララは他州より衛生や道路整備、それに交層マンションの工事が盛んであるから、今の中国の上海や蘇州のような伊吹は感じられる。ここの指導者も認識してるようだ。日本の中小企業の実態を話し労働力が中国、ヴェトナム、それにインドへと向かいつつるから危惧していて、日本は別の意味でインドに注目していると話しておいた。
日本の中小企業についての今後取材をしたいときメールで相談したいとも言ってくれた。
宣伝部の50代の人だったが、この人が町に旗やポスターを掲げる責任者といっていた。
別の部屋では10人ぐらいの人たちに講義がされていた。
夕食は隣の高級ホテルにある魚の料理店にいった、焼き魚を注文したのだが、白味の魚をソーセージのようにすりつぶしてフライにしてあるが、辛くて高かったのに旨くはなかった。パイナップルジュースもとったが、なんとこれが80ルピー。隣の店でケーキ、菓子、など4個で45ルピーなのにジュースだけで80ルピーとた高い。やはり高級ホテルだからであろう。
夕食後、船着場まで散歩しての帰り、沢山の集会にであった。入ってみると、婦人の正装がめだつ。300人ぐらいが椅子にすわり演壇の女性の演説を聴いている。ヒンズー語の演説である。全く解らなかったが、共産党の演説会
らしい。しかも女性が最後まで演説している。この人はここの中心人物であろう。演壇の中央の彼女の席が空いている。なかなか迫力のある演説で時々さかんな拍手がわいていた。

16日、今夜9時に列車でベンガルーに向かいます。

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by akinishi1122 | 2011-02-27 11:57 | 旅行 | Comments(0)

インドの旅(11)

(11)インドの旅(11)2011年2月1日 カルカッタからプーリへ列車で
2時25分の列車でベンガル湾沿いに行くことにしている。9時パソコン店が開くといっていたからそれまでに昨日の日記を打ち終わった。ところが、この保存をしたつもりが、保存場所がどうしてもみつからない。これを送るつもりでいたのに肝腎な日記がないので、日本のニュースをみるだけとなった。
一番の関心事は選抜高校に報徳が選ばれいるかだったが、兵庫からか加古川と2校が選ばれていてほっとしている。今年も甲子園に応援に行く楽しみができた。
ホテルを出るときに感想を書いてくれというので、今回の旅の中で一番の成果は清潔でフレンドリーで気持ちがよかった。と書いておいた。だが夕食の料理が毎日同じ種類のおかずで種類は5品目あっても少渉飽きがきていたが、それは書かずにおいた。4日間もの滞在の人は少ないだろうから、おおかたインド人のお客がほとんどだろうから、僕の個人的んな感じはかくべきでないと思うからだ。
11時にタクシー乗り場までボーイが送ってくれたで、小銭はすべて彼にチップとして渡した。駅までの料金を交翔渉もしてくれ、160ルピーということだ。来た時は300ルピーでしかもインフォメイションの手配だったのにこの倍ぐらい払ったのだから、ありがたかった。そんなことで、この国はなんでも交渉しなければ高い金を払うことになってしまう。このホテルのボーイである少年は中学卒業したばかりぐらいで、給料は殆どもらっていなくて、食べるのと寝るのでホテルのそう掃事をしている。それに寝る場所が食堂に4人が毛布をかぶって寝ている。こんな低賃金の国でしかも優れたハイテク技術との混在している特異な国である。
駅には2時間半も前に着いたが、ホームに駅員がいないから自分の行き先が終点なのか途中下車なのかを知らないから、たくさんの人に聞くのだが僕のように長距離の人はそんなにいないから自信をもって教えてくれる人がいない。
2時間も同じホームに待っていても沢山人はいるのに、ついに日本人とはだれもあうことはなかった。
ホームにいたら家のきあらちゃん8歳、まなちゃん5歳ぐらいの女の子がはだしで、姉のほうが、この子にお金を恵んでくださいとくる。最初は断ったが動かないから、タクシーも安くなったことだし10ルピー渡してやった。こんなに旅行しているとやはり孫のような子供がくるとつい可哀そうになってくる。< /div>
 20輌ぐらいの列車だがファーストクラスは1輌しかない。そして乗客は僕も含めて7人である。
そんな空いているのに僕の隣の席に2人がきた。その一人がまだ30歳にはなっていない大男で大きな声で携帯電話をかけ、それがずっと5時間ぐらいも、男がかけたり外からかってきたりだ。僕にしたら1等にしたのはゆったりしたり、安全だったりを期待して選らんだのにこんな迷惑は予想もしなかったハプニングであった。
どうも相当込み入った技術の話のようだからおそらくハイテク関連の戦士であるらしい。さっきホテルのボーイとこの青年技術者とのアンバランスを一日で目の前で見た思いだ。このような若い人たちが新しいインドを作っているのだなと思う。
だから本を読むのにずっと後ろの席に移動し、補聴器も外して避難しなければ本など読めたものでなかった。
読んでいるのは同じ「文学阪神」の仲間の山本いちろうさんの「漂流者」だが大企業で会社にとって好ましからざる人物「安田」さんは停年までまだ少し間があるのに会社が彼を辞めさすためにどんな手段をとったか、そしてその辞めさすために自分も加坦したかのいきさつ、安田さんが辞めざるを得ないような、事故を起こさざるをえないような仕事につかせる。そして事故によって会社が損害を被った金額で安田さんに責任を追及する。そして始末書を書かせる。その内容には「損害を与えたときには、会社の処分についての一切異議は申しません」と書き印鑑を押してあるのである。工場長は学生運動の闘士だった過去をもっていて、安田さんの気持ちもよく理解しているのだが、自分の転身に負い目をもち、それを逆の立場で安田さんが反抗できないように、退職金と損害賠償金と比較しながら、懲戒解雇でなく「穏便にして退職金がもらえるように自己退職」をすすめるのである。
そして安田さんを自己希望退職へと追い込むストーリーであった。非常にリアルだし、山本さんの素晴らしい観察眼に圧倒された。こんな仲間がわが文学会にいることに感激した。
 列車の外は平野を走り左手がおそらくベンガル湾である。だが海は見えない。田圃では田植えがぽつぽつ始まっている。日本と同じように苗床がまだたくさん残っているからいまから始まるのである。
日本の田植機械を買うだけの費用よりもまだ労賃の方が安いのである。
家に携帯のメールをいれたら、返事がきた。「カメラがあったようですね。毎日家を探していたのでほっとしています。泊まるところが決まると気が楽。でも気をつけて起きると とにかく補聴器を付けること。髪をきちんと はつらつと 旅をしてください! メールありがとう」。
列車に乗る前にYHAのホテルの予約ができていたが、「地球の歩き方」本に日本語の話せるホテルで日本人専用のホテルがあると出ていたから、そこの電話番号に掛けるのだがなかなかかからないから、さっきの青年に掛け方をきいたら、0081と0を外してその土地の局番を4桁ぐらい押してその跡ホテルの電話番号を掛けるのだと教えてくれた。
そんな難かしいのでは僕では無理である。案内電話にこんな親切でないのがあるからやはり土地の人に聞くのがいちばんだ。
この1等車は次から次にサービスが来る。先ずミネラルヲーターの1リットルのボトル、次にお菓子、とチョコレート、紅茶、それから昼食にサンドイッチ、鶏の煮込み、カレースープ、味付けご飯、マンゴウのジュース、ヨーグルトである。
夕食は7時半に同じパターンで魚がついてアイスクリームがあとででた。
 プーリー駅に着いたのは9時50分だった。降りた途端に客ひきが何人も次から次へとついてくる。タクシーに案内してリベートをもらうのだろう。僕は逃げるようにしてレストランを通るのだが先回りして出口に待っていてタクシーのところまでついてくるのである。ここには三輪タクシーしかない。タクシーに乗り込むとこの客引きは自分が連れてきたお客だと言い張るのである。そしてドライバーの横に乗ろうとするから、僕も怒って「Get out!」と怒鳴りつけてやった。
ホテルのマスターからタクシーの料金は40ルピーだしてくださいと電話で聞いていたからそれだけ支払った。
ホテルについたら日本人ばかり10人ほどいて、相当ながくの滞在や、マザーテレサの財団などの奉仕活動などしてるらしい。部屋は僕は個室に頼んでいたから久しぶりでフロにお湯を入れてはいることができた。
個室には自分のパソコンが使えるようにコードまでついている。ありがたいことだ。12時に寝る。

一足もふた足も早し田植えかな  まだ縄張りをしてもうインドの田植えが始まっている

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by akinishi1122 | 2011-02-27 11:51 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

 新年の手帳にも早や忘れ物

新年になって手帳も忘れ、書くのも忘れの2ヶ月が過ぎる    
                                 
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by akinishi1122 | 2011-02-27 11:18 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

飯旨しとまではならぬインド風邪

インドで腹痛、風邪になり飯の旨さを知らずじまいであった。

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by akinishi1122 | 2011-02-25 20:28 | 俳句 | Comments(0)

インドの旅(17)チエンマイ市

(17)インドの旅(17)2011年2月7日チエンマイ市をJohn氏と巡る
昨夜は一人で早く寝たが、夜中1時ころ蚊にやられて目がさめた。昼窓を開けてあったようだ。それから長袖に着替えて寝るのだがまだ痒くて4時にまた目覚めてしまった。同室のJohonu氏は天井からの扇風機をまわして寝ていたが、自分の上で回せば蚊は人に止まれなくなるのだが、と教えてくれたのだがもう遅かった。
Johon氏は62歳でケララ州から来ている。自分の娘が孫と一緒に会いにくるらしい。
朝食を僕が昨夜買ってきていたのを二人で食べた。今日は娘が孫をつれてくるので会うまでに、それまで僕を案内してくれるという。力車に乗ろうか、と言ったら、私に任せなさい、といってバスの一日フリーに券を買って僕にもくれた。最初に行ったのは海岸にある教会であった。この教会で丁度結婚式があるのでカップルがインド流の式服を着ていたので写真を撮り、参列者の服装も写真に収めておいた。僕と新婚カップルも一緒にJohon氏が写してくれた。ここは先のインドネシヤ地震の「津波」が来て死者が大分出てたという。「ツナミ」という日本の言葉がこちらの言葉として教えてくれたから、こちらでは初めての津波だったので、言葉も日本のそのままに使われているようだ。
そこからバスで海岸を走ると、なるほど海が遠くにあるのだが、遥か彼方にしか見えないほど海と砂浜が平だからベンガル湾の海面が上がると海水が瞬く間にこの町を襲うことはすぐ理解できる地形になっている。
バスで相当走っても砂浜は続いているし、砂浜で生活している人々がいるのだから、死者がその放浪者などがどれくらい死んだかわからないという。堤防の外の砂浜が見透視ができないくらいひろがっている地形だ。保養地になっていて、夜になると人々がたくさんあつまってくると解説してくれた。
Johon氏は停年後香辛料の輸出の商売をやってるようで、僕にも日本への手がかりになってくれと頼んでいた。自分の名刺をくれたが、パソコンのアドレスがないから、まだ本格的ではないようで、息子にメールさすといっている。ここの貿易センターに僕もつきあわされて、商談の場面に1時間ほどお応接でみていた。そこに僕に話しかけてきた青年が、自分の弟が日本にいるといい、何所で何をしているのか?と聞いたらよくわからないといいながら、自分の携帯でその場で日本へ電話して僕にかわるように聞いてくれ、というのだ。たいした話でもないのに、わざわざ国際電話するのだから驚いた。そして僕に代わって、聞いてくれ、というのだ。筑波にいて、建築設計の勉強をしているという。僕が建築の会社だというと、自分は土木の勉強をしているから、日本で土木の仕事があれば仕事させてください。というのだ。日本語も上手に話していた。
Johon氏にお世話になったから、どこかレストランに連れてくれ、僕が今日のオーナーだと言ったら10階建てのビルの中にあるレストランに案内してくれた。僕は中華で、彼はインド料理だった。美味しくいただいて清算したら、280ルピーになっていたので500ルピー紙幣を支払ったら200ルピーしか返してもらっていないのを彼は見ていたのだろう。食事が終わってから、精算書を貸してくれ、といってそれを持ってレジーに行き、さっき釣りが少なかった、ちゃんと清算しなおせ、とでも言っていたのだろう。いくらかの返金してもらって僕に返してくれた。なんでもないようだが、こんなことも注意して見ているのだなと感心してしまった。
市内を観光中に僕は昨夜あまり寝ていないから眠くなりうとうとしていた。2時頃ホテルに帰りパソコンをしていたら、彼は娘に会ったあとホテルには帰らないからと挨拶にきてくれ、ケララに来たら是非の自分の家にきてくれ、と熱心に名刺と地図まで書いてくれた。
彼が今夜もこのホテルにいると思ったからもう1晩泊ることにしていたが、彼がいないとなると、もう別のホテルを探して移動したい気になった。
それと昨日の日記が今日はパソコン店が閉まっているから送信できずにいるし、他を探がさねばならない。一つはみつかったが、日本語がでてこない店だ。もっとあるだろうとどんどん歩いているうちに、ホテルがあったので泊まりたい気になり、訊ねるのだが、今日は満室だという。外のホテル、近かくにありませんか?と聞いたら半キロぐらい先にある、と教えてくれた。もうパソコン店でもホテルでもどちらでもよかった。
やっと辿り着いたホテルで、今までと違った小奇麗なホテルがみつかり、部屋を見せてもらったらなかなかいい。個室もあるという。その部屋も見せてもらったら、2ツのベットがあり、これを個室として独りで使ってもいいと言ってくれた。料金も750ルピーというし、明日からでいいのだが、今日からでもよいというから、ここを3日間借りることにした。本来ハユウスホステルに今日までの支払を済ませているのだが、昨夜のような蚊に襲われたらかなわない、1日分の金よりも、気持ちよく寝れることが体にいい。
ここに7,8,9の3日お願いすることにした。もう嬉しくてたまらなくなり、早速荷物を取りに帰らねばならない。もうあたりは暗くなってきた。3輪タクシーを止めて、前のホテルに帰るにしても住所がわからない。だがこんなこともあろうかと今朝Johonさんが乗せてくれたバス停の近くの十字路の地名を若い女性に書いてもらっていたので、それを見せて往復してもらう交渉をした。ドライバーは料金は言わずただ乗れというから、メーターの無いタクシーだし、やはり金額をきかねば心配だから聞いたのだが、「貴方はいくら出してくれるのか?」と逆に聞くのである。僕が解るはずがないから、貴方が言ってくれ、と言ったら、100ルピーという。それで走ってもらった。
ところが、ドライバーは書いてある交差点の近くにきたので、そこを左に曲がってもらったが、違う。もとに戻ってもらい、もうひとつを左に曲がってもまた違う。3回目も違うから、こんどはドライバーが勝手にどんどん走りだした。どうも僕の思っている方向と違う方へ走るのである。どこか違う場所に連れていかれるのではないか、と恐怖を覚えてきた。だから僕は元の大通りえ帰り降ろしてもらい、料金は約束通り払って、自分の足で探す気になっていた。すると見覚えのある店が見えたから、そこを基準にたどりユースホステルに辿りつけた。料金も倍払うことで了解してもらって、ユースの前で待機してもらうことにした。
荷物を整理するのだが、スーツケースの鍵の番号を回すのだが、全然開かない。壊れたのだろうか、仕方がない、今だしている物を全てビニール袋に詰め込み、ホテルには他に代わるとだけ言って、出た。すると昨日から僕に話しかけてくれていたボランチアの2人の青年が僕の慌てた様子をみていたのだろう、タクシーのところに来て、心配したのだろう、次のホテルの名前を教えてくれ、とたずねてくれたが、自分すら名前もしらないで契約したのだから、彼らの気持ちがうれしかった。
新しいホテルで夕食をゆっくりできる気分になった。ここはビールはおいていないし、飲み物はコーラにしたから、本が読める。
今度文学会の例会で芥川龍之介の「トロッコ」の合評会があるからその小説を読んだ。
これは僕の子供の頃の関心事と同じようなことを芥川も思っていたのがよくわかる。子供のころはなんでも初めて見るものに関心がでて、トロッコ押しの作業員になりたいのである。作業員になればあのトロッコに乗れるし、乗りたい一心でトロッコ押しの手伝いをする。そうして遠くに行ってしまったので夜路を一人で泣きながら帰るのである。
僕も懐かしく、漁師の船に乗せてもらったことがあり、興味と不安というものが子供が育つときは誰にでもあるものらしい。
ところが、僕にはいまだにこの冒険と不安が抜けきれずにいることに、この小説を読んで気付く。ひょっとすると大人でもそんなことがあるのかもしれない。

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by akinishi1122 | 2011-02-24 13:32 | 旅行 | Comments(0)