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9条の会ニュース

障害のある人の教育や福祉について学んでいます。生存権を定めた二五条がないがしろにされるような流れといっしょになって,憲法九条が変えられようとしていることに対して,何か目に見える形で言わなければと,東大で会をつくることを呼びかけました。これまでたくさんの人が一生懸命に守り育て,様々な成果を支えてきた憲法を,今ここで投げ捨てさせたくはないです。
(丸山啓史・大学院教育学研究科博士課程)

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by akinishi1122 | 2010-09-30 21:46 | 九条の会 | Comments(0)

ワンワールド世界旅行(5)

ワンワールド世界旅行(5)
1月25日(金)ケープタウンへ
昨夜7時には寝た。時差ぼけで眠たくなったし、早かったので目覚めたのが2時だった。昨日の日記をパソコンに打ち終わったら4時になっていた。
一人の部屋だから電気をつけても気遣いない。携帯に信顕と理香から僕の昨日のメールを見たとの返事がきていた。
4時からまた眠りにつき次に目覚めたのが6時半だった。マスターが8時に空港まで送るといってくれていたので、それまでに今日持って行く荷物の整理をしておかねばならない。朝食を一人で済まし、整理にかかっているとすぐ8時になった。もう8時の車の人は出ていってしまったから慌てたが、やがてマスターが帰ってきて僕の出発時間をみて、まだ十分時間はあるというし、それからケープタウンのホテルの予約もしてくれた。空港からの近くで、到着したら僕を迎えに出てくれているらしい。2日間の予約したが、料金もこのホテル並とのことで安心した。送ってくれたので感謝の気持ちでチップを30ランド渡した。タクシーを頼んだら80ランドするのだからこれでも安い。帰りも電話したら迎えに来てくれるとのことだ。昨日の宿泊代を支払おうとしたら140でいいという。僕はスーパーで50ランドぐらい買ったのだがマスターが全部支払ってくれたのにそんなに安くていいのだろうか。
空港で帰りの予約を1人日延長の変更を頼んだら、日曜だからなかなか無いという。時間も違うし追加で840ランドかかるというから、予定通り明日帰るようだ。自分の名前が頭文字が違えば急ぐ時などでは見過ごすかもしれない。これが漢字であればそんな間違いはおこりにくいのだが、文化の違いがこんなとこにもでてくる。
ケープタウンへの出発は10時15分の予定が10時55分と遅れた。隣には女性でケープタウン大学教授でいまヨハネスブルグでの研究会に来た帰りだという。教育学部の教授という、「僕は第2次世界大戦の終了時10歳で勉強は出来なかったし、戦後は食べる物が無くて勉強などした記憶が無いので教育と聞けばコンプレックスを感じる、だからあの時の知識欲をいま少しでも取り返したいために英語や歴史などを読んでいる」と話したら、「教育というのは、若いからやるというものでなく、生きている間はいつまでも知識欲があるのが人間です、だからその気になれば誰でも、その瞬間から学べるし、やる気持ちになれば死ぬまで知識と意欲はでるものなのですよ」と言ってくれた。有り難い言葉で嬉しくなる。
2月号の「民主文学誌」を持ってきたので、短編の「レモン」というのを読んだ。大学を出て契約社員になっている男女の同窓会の帰りの話だが、男女とも好意を持っていながら、好きであることを表現できないし、「今度合う時には本心を話すことができたらいいね」と言って別れていくという筋書きである。文学というのは直接の言葉を使わなくて、使えない心を表現することで読者に考えさせるものだなと感じた。これは俳句にも言えることで心の深みができるように思う。
ケープタウンでは出口で「MOBUTOSHI」と書いた紙を掲げてくれていたから、一度は通りすぎて、もう一度読み返したら、NとMが違っている。電話での聞き違いだったものだ。
空港からホテルまでは20Kぐらいは走ったと思う。なかなか良いホテルである。下車するとチップを請求するから、ホテルの社員でないことが分かる。チップだからと20ランドを渡したら、少ないという。「140ランドくれ」というから「そんなに金は無い」といったら、ホテルでチエンジしなさいというではないか。そして着いたホテルも「いくらなのか?」とドライバーに聞いているところをみると、あきらかにホテルと契約している白タクのようだ。
ホテルにはプールもあり、パブもある、部屋には6人部屋で二人の女性が昼寝しているから、前からの宿泊らしい。パブで昼食はサンドイッチとビールですます。
市内観光バスをホテルで予約し、支払いが100ランドで、ほぼ一周する地図をもらった。素晴らしい海岸と山が聳えているから、観光客が集まるはずだ。街には地中海沿岸のような、白亜の建物が段々と山の中腹まで建っていて、雲のない太陽が白壁を輝かせている。飛行機から見ていると郊外には大きな庭がある緑の中に建物がある集団の高級住宅地が相当広い範囲にわたっている。いわゆるアパルトトヘイト地域なのだろう。それとは別にコンテナハウスのようで屋根、壁などすべてトタンでテレビのアンテナも電線の引き込みもないましてテレビもない無宿者といわれる集団が空港の近くや、オフィス街の周辺に密集している。これが、いわゆる米国流の新自由主義の結末のようだ。「強者はより強く」「敗者は努力不足」という烙印を押される新自由主義格差社会の未来の姿を見た思いだ。
ホテルはYHで6人部屋、オランダの若い女性、オーストラリアの大学男性、ニュージランドの男子大学生である。僕は9時に寝たから彼らはまだ深夜まで起きていたに違いない。

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by akinishi1122 | 2010-09-30 20:53 | Comments(0)

今日の一句

900回登山達成天高し

登山900回の達成は故里の天神山だった

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by akinishi1122 | 2010-09-30 20:49 | 俳句 | Comments(0)

9条の会ニュース



 天 木 直 人 さん 
     元駐レバノン大使
     イラク戦争支持に抗議して辞職


 昭和20年8月敗戦。当時11歳、小学5年生の私は、台湾台中市にいた。2ヶ月前までは、軍港のある基隆近くの町に住んでいた。沖縄開戦の1年前は、米軍は台湾攻撃に入り、毎日、B25機の空襲で防空壕住まい。通学途中、グラマン戦闘機の機銃攻撃を受け、夢中で溝に飛び込み、九死に一生を得たが、学友数人は死亡した。
 昭和20年、父が病死。同年8月敗戦。日本に引き揚げのため、収容所へ。帰国船を待つこと6ヶ月。アメリカ貨物船で10日間、21年4月和歌山県田辺港に帰国。船中、マラリア等の病死者も続出。毛布に包み、夕暮れ船尾から海中へ。汽笛がボーッと鳴る。今でも耳に残っている。
 母の生家、羽倉崎にたどりついたが、当時の食糧不足は深刻で、母と5人の子どもでは生活ができない。口べらしのため長男の私は、父の故郷の鹿児島へ。10年間、家族と会うことがなかった。
 戦争が普通の市民にどれだけの悲惨を強いるのか、戦争体験者が少なくなっていく中で、孫子に生命の大切さと不戦を訴え続けていきたい。
         (「九条の会・泉佐野」No.1から転載)

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by akinishi1122 | 2010-09-27 05:11 | 九条の会 | Comments(0)

世界の旅(4)

ワンワールド世界の旅(4)
1月24日(木)南アフリカ. ヨハネスブルグ
香港を0時20分に離陸、隣の席が一つ空いて窓際にインド人のような女性が窓際にいる。僕は通路側にしてもらっている。もう深夜だが一時間もせずに食事が出た。ビールをもらってすぐCDを聴きながら寝る。椿姫、日本民謡、世界の青春叙情歌、日本のうたごえ灯火、野田淳子歌集、科学的社会主義講座などを掛けっぱなしで眠った。
ヨハネスブルグに着いたのは6時43分だった。外は14度と表示されているからやはり暑い。早速米ドル100を交換してもらったら、550ランドぐらい、それに香港で南アフリカ貨幣に変えたのが60ランドで合計の持ち金が610ランドとなる。
空港に出たら、早速客引きのタクシーやポーターが寄ってきて勧誘する。勿論すべて黒人だ。だが真っ黒というわけではなく少し明るい肌の人たちが多いように思う。ポーターが「ミヤザキさん」と呼びかけてくる。さすがポーターだけあって僕のスーツケースに書いている文字を読みとっているのだ。かまわずに今日のホテルがタクシーで3分と書いてあるからそうしようと思っていたら、日本人の青年がいて、「このポーターに少しのチップを渡しインフォメイシヨンや明日の予定などを聞いたらどうですか?」と助言してくれたので、この人が日本人だということばかりを頼りに彼に案内してもらうことにした。日本人の青年から、「YOHANNSUBURUGは何にも見るべき所はないですよ、ケープタウウンがきれいだ」と教えてくれたので明日はケープタウンに行くことにした。ポーターの案内で国内線のカウンターに行き、ケープタウンの飛行機の往復券を買う。往復で税込み2124ランドである。VISAカードで支払う。横にポーターがついていてくれたので助かった。それからタクシー乗り場だ。そこまでのつきあいで20ランドくれと請求された、どのくらいがチップの相場なのか分からないが、100米ドルを550にもなったので五分の一とみればそんなもんでいいかとの判断で渡した。すると少々不満げだったが次の客を探すためだろうさっさと去ってしまった。
次がタクシーだ。ホテルを見せたがここのタクシーにはメーターがついてない。5分ほどで着いたら80ランド請求された。これも乗る前に料金を聞くべきなのだろうが、行き先も確かでないから、聴き様がないから請求されたまま支払った。
ホテルは空港のそばで飛行機の機体も見えているぐらい近かった。
ホテルといっても哲顕に頼んでYH並を探してもらっていたから
大部屋で8つのベッドがあるが僕一人で使用できる。支配人は白人で奥さんは黒人、ホテルに勤務していたが4年前に独立してここを経営しているという。イギリスから来たというがなかなか親切で、明日の空港までは車で送ってあげると言うし、夕食の買い物にも車で送ってくれるという。午後から市内観光には「自分の友人に案内させる」といってくれる。お礼は100ランドでいいとのことだ。
ホテルの庭は1000坪ぐらいもある広大な敷地である。木造の2階建であり今は暇の時期のようで、沢山の部屋でもほぼ一人で使っていけるようだ。
プールもあり、プールサイドにいた白人に話しかけたら、58歳でオーストラリヤ、シドニーからきたという。勝新太郎に似た人で歴史の教師をしていたがもうリタイヤして2ヶ月のホリデーで世界旅行の途中とのこと、もうひとりドイツの人もプールサイドで新聞を読んでいる。これだけが昼までに見かけた客である。
1時になって観光案内してくれるフランクという青年がきた。外出するのに僕の身なりだと危険だという。携帯電話、カメラ、ポセット、これも持たないほうがいいという。パスポート、トラベラーズチエックまで預かるという。持ち物は現金だけだ。電話やカメラは青年が預かり、必要なとき渡すというのだから危険の度合いが極端にきついのだと怖くなった。目に見えているものはひったくられるらしい。極度の緊張のなかでフランク君と出発した。
最初が中型の15人乗りぐらいの車に乗る。どんどん人が乗りこんできて満席になったら発車した。やがて僕のフランク君が20ランド出せというから渡すと各々も後ろの座席から順番にお金を手送りで一番前の運転手の横の人がまとめて運転手に渡している。これは乗り合いタクシーなのかバスなのか看板もない、座席の数で運転手も料金は分かっているのだろう。また客が僕に料金は渡したか?と言うからフランク君の方を指差して彼が払ったとジェスチュアーで示した。乗客どうしで料金もチエックしてるらしい。勿論乗客は黒人ばかりだが、ここはイギリスの植民地だったから英語が通じる。
たしか独立したのはまだ10年ぐらいではないかと思う。独立運動の闘士であるマンデラが獄中数十年繫がれていたと思う。それほど独立運動を弾圧し、しかもアパルトヘイトといって黒人の居住区を区別していたのだった。こんな差別と管理を徹底した結果民衆の心は荒んだのであり、治安が悪いのはその名残であろう。
街の中心までは50Kというからかなり遠いが途中まではポツポツと住宅らしい平屋があり緑の中に赤土がいっぱいみかけられる。空は曇りで美しいとは感じられない。乗る前に危険を大分吹き込まれていたのでバスの中でも緊張しっぱなしだった。一番後ろの座席だったから女性の耳に金のネックレスをほとんどつけているのは服装に比べてさすが金の産地だなと思う。
沢山の高いビルがあるのにあまり道を歩いている人が少ない。やがて高いビルに案内してくれた。50階の展望台がある最大のビルだ。ここから全市内が見渡せる。何故こんなに沢山のビルなのかと思ったら、展望台にこの国の金やダイヤモンドの発見から開発の歴史が展示されているから理解できた。
金や ダイヤモンドの産地で世界の金が集まってくる、いわばアラブの石油と同じで財宝の原産地だからとわかる。展望台から下を見ると赤土がいたるところで掘りだされているから、まだ発掘は続いているのだろう。一方に宝を発掘して財宝を築くのにその生産物を発掘する労働者は貧困だから民衆の不満が窃盗や強盗となり荒むのは貧富の差がもたらしたものであろう。
ここのビルの地下には立派なショッピングがあるし結構にぎわっている。だが大きな街でもダイヤモンドの貿易などの事務所で見るべき遺産はないようだ。
帰りは雨になったが、そんなにきつくはない、一日に2・3回は雨らしい季節という。だから殆どの人がビニールのカッパをすぐ出して着ている。フランク君に傘をさしかけたら、すぐ止むからいいという。帰りもおなじように乗り合いバスでかえる。小学生の帰宅時間だったが、さすがに白人の学生は見かけない。いまだにアパルトヘイトで白人の居住地は別なのだろう。
独立解放運動の父、マンデラはさすがにあらいる商店に顔写真が展示されている。たしか2期ぐらい大統領を務めて今は別の人になってると思う。
ホテルに帰ったらすぐにスーパーに連れてくれた。すぐ近くだというから歩いて行けると思ってたら10K以上もあるところだ。オーストラリア人も一緒に乗せてもらった。ビール、チキンの丸焼き、 ポテトマ・ヨネーズ、バナナ、桃、パン、牛乳などを買って、帰りもマスターと一緒だった。これで50少々
だったが、マスターがレジーで支払い明日清算するとのことだ。
 昼食を食べてなかったので6時前に食事した。そのとき、黒人の奥さんに子供は何人ですか?と聞いたら「3人で上が貴方を案内したフランクで下が6歳の今一緒に買い物にいった娘」とのことだから、この奥さんは2回目かもしれない。フランク君は黒人の顔だが、下の6歳はハーフだとわかるスキンをしているのだから。だからここのマスターがフランク君のことを僕に友人と紹介したのかもしれない。
 夕方こちらの6時は日本の深夜1時だから眠たくて食事を早くすませて寝た。

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by akinishi1122 | 2010-09-27 05:04 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

ノーベル賞は神戸から天高し

坂田昌一、益川英敏などは旧制甲南高校からで京大素粒子論は神戸のここが発祥のようだと知る

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by akinishi1122 | 2010-09-27 04:59 | 俳句 | Comments(0)

作家 朴慶南

朴慶南   
作家       
朝鮮半島を初めとするアジアの国々(人々)、そして在日の私たちにとっても憲法九条は日本が再び軍事国家にならないため絶対に大切で必要なものです。ともに!

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by akinishi1122 | 2010-09-26 10:14 | 九条の会 | Comments(0)

世界旅行(1)





ワンワールド世界旅行(1)
2008年1月21日(月)香港へ
香港は時差が1時間日本より遅い。関空を発つたのが、10時、離陸したのが10時23分だった。
今日は近畿地方は初めての雪で、空港から見える山々は、真っ白である。車も6時の気象情報では関空までが交通止めとでていたので慌てたものだった。高速を降りて難波から電車に乗るつもりで、難波の近くになったら、通行可能と出て、すっかり開通してくれて助かった。
信顕は僕らを空港に降ろしてすぐ、仕事があるためにトンボ帰りした。
佳子と理香がゲートまでつきあってくれた。関空の見送は愛想なしで、いつ飛行機に乗るのか、出発がまったく見えないので、せっかくの見送りに気の毒だ。
今度の旅は、アフリカや中南米で、治安もあまり芳しくないということで、心配してくれているのがよく伝わってくる。僕にしても、完全に安全だという気持ちでないので、もしものことがあれば、今日は最後となりはしないか、との思いが心の片隅にないでもないのだった。
香港には1時13分に着いた。約4時間かかっている。着いたとたんに、汗がにじんでくる。やはり大分暑い。早速コート、とチョッキを脱がねばならない。同じようにみんなも脱いでいる。今年で一番寒い大阪から、いきなり南に降りたのだから、こうせざるをえない。そしてえらいスモッグである。
まさか、オリンピックがあるからの埃が飛んでくるわけがないのだが、もう数十年も大阪ではこんなスモッグにあったことはない。
100米ドルを香港ドルに両替したら、721、1ドルとなった。いきなり沢山の紙幣だ。これで荷物を預けたり、バスに乗る準備ができた。
荷物は香港では小さなリックだけにして、すべて大きなスーツケースは荷物預所にあずけた。23日夜までの3日間で200ドルということだ。
これで身軽になり、次はホテルまでの交通手段である。空港行きの車の案内が見つかったので、尋ねてみたら、ホテルまで送るというから、リムジンバスであろうか。ホテルの案内では鉄道とでていたが、探す手間がいらずに済むので、ここに頼むことにした。130ドルだというが、450円相当だから安いと思う。
10年前ぐらいに来た時はそんなに感じなかったのだが、空港からえらく遠い。香港といえば、小さな街というイイメージだったが、ホテルまで45分ほどかかった。山もあり、山には家は建っていない部分も多いから、ビルでかたまっているわけでもないことがわかる。街に入ったら、高層ビルが凄い、目算してみたら七〇階建てぐらいのペンシルビルが、200ぐらいはあるように思う。25階ぐらいは低く見えるのである。そして、工場と書いてあるのでもビルの中にあるのだ。日本には10階建ての工場などおそらくないのではなかろうか。
僕のホテルは、Stanford Hotertoといい、街の中心地である。といっても何処を見ても殆どすごい人々でどこでも中心地といえるような賑わいである。そしてロビーにはいるとなかなか洒落たシャンデリアの装飾で一流ホテルだ。これで9000円というから満足だ。25階建の11階が僕の部屋。シングルルームで、言うことなし。
暫くしたら、Airisから電話がきた。6時30分に行くから、とのことだった。僕の到着もちゃんと計算済みのようで、さすが旅行会社に勤めている人だなと、その段取りのよさに驚いた。
信顕の結婚式に来てくれた時に合って以来だが、7年前とちっとも変わっていないばかりか、あの時より若く、美しくみえる。信顕のイタリア時代のクラスメートで、もう20年ものつきあいとは、有り難く、息子の友人なのに僕までもてなしてくれるとはなんて好い友達なのだろう。
早速中華レストラントに連れてくれ、ビルの10階ぐらいの展望もできる豪華な店であった。彼女はビールは飲まないのに僕には2本もとってくれた。豚の甘煮、海老フライ、鯛の丸煮、野菜炒め、スープ、ご飯、デザートをだしてくれたから豪華である。
僕の旅の計画を話したら、73歳とは思えない元気だ、自分の両親はほぼ同じ年代なのに二人とも寝たきりである。とのことだ。旅行会社だが、香港に来る世界からの観光客を案内することを主にする会社にいて、そこで内勤の事務をしているという。
子供の時から、英語ができ、イタリア語ができるから、すごいキヤリアである。なんでこんなにもてなしてくれるのか、日本人ではありえない友情である。これは、スイスのBarryからの依頼が大きいのではないだろうか。あまり忙しいので子供はできないでいるらしいが、「もう歳だから産む気はない」といっている。信顕より1歳上で、Burryと同じらしい。これだけの若さだとまだ産めるように僕には見えるのだが。
彼女の旦那は繊維関係の輸出の仕事らしく、今大変忙しいらしい。写真もみせてくれ、美男子で良いカップルだ。彼女の朗らかな人柄で僕も自然に会話が弾めて楽しかった。是非日本に招待してお礼をしたい気持ちになる。
明日は、9時半にホテルに行くから、朝食はせずに待っててくれとのことだ。明日は休暇をとって案内してくれるらしい。自分で観光するからと辞退したのだが、もうそのつもりで休暇をとっているから、気にしなくていいと強くいってくれる。
食事が済んだら、港の夜景へとタクシーで連れてくれた。昼ではとても見れない湾岸のイルミネーションでこちらも向こう岸も広告のライトアップが美しい。おそらく世界一の夜景ではなかろうか。夜の道頓堀の数100倍の規模である。丁度良い時にめぐりあえた。いま中国は正月の祝いの季節という。湾を豪華な観光船が周遊し、おそらく食事しながらの遊覧だろう。ジャンク船もやはり灯りをつけて観光船として浮かんでいる。
彼女はコートを着ているが、僕はシャツだけで快適な気温である。湾岸の散歩道には沢山の夜景を見にきた人々だ。丁度ハリウッドの街路のように、ここの映画、芸能人、それに世界の芸能人の手形をはりつけてある。ジャッキーチエンなども銅像となってあり、僕の知らない芸能人がスターチユとして刻まれている。それにSONY HITATI  SANYOの赤いイルミネーシヨンが大きく向こうのビルの上に光っている。歩いている人々の顔が日本人と全く同じだから、緊張することがない。おそらく豊かなのである。第一乞食や者もらいがいないのだから、安心だ。
帰りは地下鉄に乗り3つ目の駅だった。Airisuが水と大きな蜜柑、大きなピーマンの形をしたフルーツを買ってくれた。お茶も誘ってくれたが、もう大満足だから辞退して早く帰宅してもらわねば、と気になった。
旦那は料理が好きで、私はもっぱら食べる係りだと、旦那の食事には心配ない。と僕の心配をそんな言葉で安心させてくれている。ほんとうに素晴らしい友人にめぐまれて幸せな夜だった。
8時半に別れた。家は、ここからバスで10分ほどのところらしい。
日本から持ってきた、「千鳥屋」の饅頭、それにAIRISが日本へ来たとき鰻の蒲焼を好んで食べていたから、関空で買ったのをお土産にした。

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by akinishi1122 | 2010-09-26 10:09 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

夏雑草枯れて明日を待つといふ

タンポポは夏に枯れて根のなかで春を待つという

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by akinishi1122 | 2010-09-26 08:40 | Comments(0)

9条の会 音楽評論家



第1回 日下部吉彦さん(音楽評論家 呼びかけ人・関西代表)
  講演などに呼ばれていったとき、本題に入る前に会場に向って私は必ず、こう問いかける。
 「このごろのテレビ、面白いですか?」
  それに対して返ってくる答えは、きまって「面白うなーい!」の大合唱。
  出てくる顔が決まっている。どのチャンネルに回しても、必ず何か食べている。タレント
 の女の子のせりふは3つしかない。「おいしーい」「すごーい」「ウソー!」要するに、ワ
 ン・パターン。
  さらに、近ごろのはやりは、政治ネタの「ショウ化」。ここでもお決まりの政治家や評
 論家らが出演していて、互いに怒鳴り合う。討論なんてものではまるでなくて、声の大き
 いものが勝ち。そして、なぜか「笑い声」(テープ出し)が入る。
  政治や社会ネタを娯楽番組にすることは、必ずしも悪いことではないが、問題はそのや
 り方。事件の本質とは無関係の「バトル」で、つまらないギャグで番組は終了。
  小泉前総理によって、政治は「ショウ」になったが、その視聴率通りに選挙結果が出る。
 国民は、メディアによって、完全に踊らされているのだ。踊る国民が悪いともいえるが、
 政治まで視聴率化させてしまうメディアの責任は、もっと大きい。
  そういうわけで、最近は、地上波テレビを全く見なくなった私だが、テレビに対するブ
 ーイングの声を、もっと上げるべきだと思う。
  昨年あたりから、急速に盛り上がっている「九条の会」の動きなども、地上波では全く
 報じない。やむを得ず私たちは、自らのホームページによって、広く同志に呼びかけるこ
 とにした。
  「音楽・九条の会」は、昨年(2006年)1月26日、大阪いずみホールで「旗上げコンサ
 ート」を開いて以来、その賛同者の総数は、全国で2800人を超えた。今年中には1万人を
 超えさせたいと念願している。
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by akinishi1122 | 2010-09-25 13:38 | 九条の会 | Comments(0)