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軍事優先が目に見える沖縄で

亀山統一
琉球大学・林学
軍事優先が目に見える沖縄にいて、これで日本国憲法を「改正」させたらどうなるか、と恐ろしい。必ず守り抜きたいと考えます。

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by akinishi1122 | 2010-08-31 10:41 | 九条の会 | Comments(0)

ボストンの IN夫妻からの便り

楽しい旅行記とカプリ島でのお写真ありがとうございました。
今頃はお元気にお家にお帰りになった頃でしょう。
1ト月の長旅(私には長いです)を物ともせず、訪ねられたその土地での観察が鋭く、
更にあちこちでお友達と会って興味深いお話をされているのを私達も楽しんで読みました。

確か一番最初に貴方にお出会いしたのはシシリー島のパレルモの駅でしたね。それは去年の10月でした。
シシリー島から海峡を渡る時には汽車がフェリーの船底に入るのはめずらしいでした。、そして渡った次の駅でお別れしました。
それから貴方は確かローマに向かわれ、一方私達はポジタノに向かいそこで1泊しアマルフィ海岸を巡りました。
その後ソレントに5泊して、そこを基点にして、ポンペイ、エルコラーノ、ベスビアス火山、ナポリ、
そして貴方の泳がれたカプリ島に行きました。トルコブルーの海から急な斜面が聳え立ち、
そこに真っ白な別荘が点在し、それはそれはきれいな高級リゾート地でした。青の洞窟では船頭さんが
オーソレミヨを歌ってくれました。10月でしたから泳いでいる人もいましたが、お写真の程多くなかったです。
観光客はいっぱいでしたから、それは1年中みたいですね。
ソレントは起伏に富み、歌のとおりのきれいな町でした。狭くて賑やかな街中を夜遅くまでまでぶらぶらしました。
港の近くの魚のレストラン、街中のきれいな中庭のあるレストランととてもおいしくてすっかり気に入りました。
もう一度行きたいです。
ナポリにはソレントから日帰りしました。国立考古学博物館では巨大な彫刻やポンペイの遺跡から発掘された本物が置いてありました。
ごちゃごちゃした街には人が多くてあんまりきれいではありませんでした。でもさすが本場ピザは飛び切りおいしかったです。

ヨーロッパを旅行していると行くとこ行くとこローマの遺跡に出会います。そしてそのローマ帝国の最盛期の頃のサイズには改めてびっくりします。
北は英国のバスの古代浴場、西はスペインのセゴビアには信じられないような巨大な水道橋が2千年たった今もしっかりと残っていました。
その土木技術のすばらしさには驚嘆しました。あれだけの物を造るに必要な人力は征服した土地から駆り立てた奴隷が担っていたのですね。
確かに今普通考える奴隷というのとは違っていますね。
東ではトルコのエフェスの遺跡には円形劇場、競技場、体育館、図書館等がよおーく残っていました。
当時の人達がエクササイズをして競技を競い合い、芝居や音楽を楽しみと今と変わらぬ生活をしていた事に驚きました。

充分休息取られて、次の計画を練ってください。
私達はまだ思案中です。
お元気にお過ごしください。

                                  ボストンの I N

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by akinishi1122 | 2010-08-31 10:31 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

夏草にすまぬすまぬと言って抜き

夏草もこの猛暑に耐えて頑張っているようで、それを抜くのに気の毒なきもしながら抜く

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by akinishi1122 | 2010-08-31 10:11 | 俳句 | Comments(0)

大阪犬山城

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by akinishi1122 | 2010-08-30 07:11 | | Comments(0)

協力を惜しみません

青木志郎
東京工業大学名誉教授
「九条の会」発足感謝します。微力ながらご協力を惜しみません。

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by akinishi1122 | 2010-08-30 07:00 | 九条の会 | Comments(0)

今日の一句

夏草や庭も帰国を待ってをり

1月振りの帰国で、僕の担当の庭も、帰国を待っていてくれたようである

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by akinishi1122 | 2010-08-30 06:55 | 俳句 | Comments(0)

ザンビヤの瀧

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by AKINISHI1122 | 2010-08-29 11:30 | | Comments(0)

(30)帰国の途へ

(30)旅日記 10年8月26日ローマから帰国の途へ
帰国の日程は決まっているから、今日の日に合わせてローマを5日間滞在にし、少しぐらいのトラブルは吸収できるようにした。でも最後の最後まで緊張が解けることはない。目覚めたのは3時であり、明ける5時までの時間がやはり待ち遠い。3人部屋だが、あとの二人は若いのでいつも10時近くないと起きないから、電気を点けて本を読むことはできない。仕方ないから、シャワーを浴びて、パソコンを持ってロビーに下り、昨日の日記のうちこみをする。いつものメンバーに送信しておいた。
昨日は「帰えれソレントへ」の歌詞が思い出せなかったが、やっと気憶が戻ったので、書いてみると、昨日見たソレントの海岸はやはりぴったりのイメージの詩と曲である。
帰えれソレントへ

麗しの海は
うつつにも夢みつ
君に声のごと吾が胸をうつ。
オレンジの園は
ほのかにも香り
恋に嘆くこの胸にぞ染むや
あわれ君はゆき
吾はただ一人
懐かしの地にぞ
君を待つのみ
帰り来よ
吾を捨つるな
帰れ ソレントへ
帰れよ
昨夜の法政大学のE子が7時に起きてきた、昨日、日本から着いたばかりなのに、時差ボケはないのだろうか。今からナポリに出て、ポンペイの観光ができるからだ。やはり若いから回復も早いのであろうか。
 大阪大学の中桐氏の便りでは、まだボランチアで大学院の学生の指導に当たっているという。理学部の先生が文学をやられるというのも珍しいのではないかと思っていたが、先の「文学阪神」では「僕の芥川賞」と決めたぐらい感動の小説を書かれている。
先日の便りでは哲学の「自然弁証法」もやられているし、もっともっと深くおつきあいを願えればたくさんのことが教えられる人だ。また僕の旅日記もフォルダーを作り全部保存して読んでいただいているとは嬉しいかぎりだ。
 5時の出発だが、ゆとりをもって11時にホテルをでた。
食事には空港でのバイキング料理で、ステーキのボリュームのあるのを焼いてもらった。
搭乗手続に並ぶとなんと70%ぐらいが韓国人である。そして日本人は見当たらない。どうゆう訳なのだろう。しかもその大部分が学生である。その中の一人で日本語を上手に話すひとがいて、しかも美人だったので、「韓国では女性の美人が多いが、誰かに聞いた話だが、女性が20歳になると、両親がお祝に整形手手術してあげる、と聞いたのだが本当ですか?」と聞いたら。「そんなことはないですよ、ただ瞼を二重瞼にするとか、鼻の形をすこし変えるとかの整形をする人がたまにはあるけど、そんなことだったら日本人もやるのではないすか?たしかに日本より安いということを聞いたことがあります」と話してくれた。そんなに整形が一般的ではないらしい。だとすると、韓国人の顔のスタイルが美人型だということになりそうだ。
土産は何にするかがいつも悩むところだ。今回は孫たちには子供用のバッグ、をそれぞれに、香梨、と優紀には婦人用バッグ、秋子にはショールを買った。哲顕にはウイスキーを買おうとしたら、カタール経由のチケットではアルコールは持ちこみ禁止ということで、売ってはくれなかった。どうゆわけなのだろう。家族の土産はスーツケースに入れて預けた。
 ローマからカタールまでは満席で、隣はイランの建築技師である。イランについての知識は殆どないから、昔モサデイク首相の名前を知っているし、僕にとってはイラン革命を国王制から共和制に変え、国外に亡命していたモサデイク氏が帰国し、国王を追放したのではなかっか?またアメリカや外国資本に支配されていた石油産業を国有化して、一時、緊張したことを覚えていたと聞いたら、「自分はそのころまだ生まれていなかったからモサヂク首相についても貴方の知識ほどくわしくない」とのことだ。もう55年以上昔になるらしい。
その後またホメイニ師が大きく改革したが、このホメイニ師も20年前の人であるらしい。
ドーハで2時間ちかく待ち、関空行きに乗りつぐ。
ここはほとんど日本人であり、僕は4人の席で一人で横になることができた。

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by akinishi1122 | 2010-08-29 08:51 | 旅行 | Comments(0)

(29)イタリヤ最大の港

(29)旅日記 10年8月25日 イタリヤ最大の港Civitavecchia
阪大の中桐氏からのメール
(中桐です。楽しい写真(24)旅日記8月20日~ペルージヤ観光から(27)ナポリローマ観光バスまで読ませていただきました。「現代短編小説選」を忘れたとありましたが、楽しい感想が残念です。「現代短編小説選」の高橋篤子「ウッソルを送る」の感想を読ませていただきました。益々「現代短編小説選」を読みたくなりますが、他にも読まなければならないものがあり、悩ましいところです。先日から週に一回程度ボランテイアで前の職場で大学院生の実験装置の制作の相談にのっています。装置作りの考え方から製図の書き方まで教えるのですが、多少の失敗と大きな苦労をしてもらっています。
弟2回全国文学研究集会の写真が出来上がり、例会に来られた折りにお渡しします。ほんの少しだけ楽しみにしてください。貴方が質問している写真もあります。お便りまで。
 今日はピサの斜塔を観に行こうかと列車に乗ったのだが、日本人でローマに20年住んでいる男性と列車の中で会い、ローマからだと、5時間はかかり、見学に2時間、帰りに5時間かかるとなれば相当厳しいから、途中に世界遺産でローマよりも古い遺跡があるから、そこにするか、イタリヤ最大の港湾もあるし、そのどちらかにされたほうがいいのではないでしょうか?と教えてくれた。僕も明日が帰国になるから、あまり無理しないほうがよかろうと、ピサの斜塔は前にも観たことだから列車のなかでの助言に従うことにした。
この方は40歳半ばで、1等に乗っていられるから、仕事も順調にされていられるのだろう。自分で事業をされていて、日本の自動車の各社の展示会や、イタリヤオペラの日本での公演の企画、それにイタリヤ絵画の日本展などを定期的にやっていられるらしい。
奥さんはイタリヤ人で日本の大学を出て語学留学の時知りあったという。
イタリヤの教育制度は高校までは無料であるが、高校を卒業がなかなか厳しいいのだが、そこでの卒業が無事済めば希望の大学にも進めるし合格すれば授業料は無料だという。だから卒業も難しいらしい。
医療も原則無料で、それは外国人についての旅行者も無料だという。ただし緊急の人のみだが、長期の治療が必要の病気の場合順番を待たねばならない。無料の必要要件は、必ず自分の専任の医師への登録が必要で、その登録医師が専門医を紹介すれば、どこまでも無料であるらしい。だが緊急を要しない病気の人は早く治療してもらいたいために、国の制度でなくお金をだして早く治療をしてもらう人々もかなりいるらしい。
年金については65歳以上は最低6万ぐらいが支給されているが、企業で年収に応じて掛け金を35年すれば最高で月に40万までもらえるというから、老後については日本と比較にならないほどの安定しているようだ。
 1時間ほどピサの方向に走り、イタリヤ最大の港のあるCivitavecchia駅に下車した。
さすがに外国観光船が岩壁に10階建のビルのようなのが停泊している。そこにその客のために送迎バスがたくさん動いている。
暑くてたまらないから、市内巡回の子供用の列車に乗ったが、ビルの谷間であまり期待しすぎて、それほどではないので、泳ごうかと思ったが、帰国を明日にひかえいままで無事にきたのに事故でもしたらいけないと、は止めてきりあげてローマに帰ることにした。
ホテルに日本人女性が8時頃揃ったのでみんなで夕食に行く。
法政大学の4年で就職が決まって3週間のE子、名古屋大学医学部、H子、会社を退職して6月の一人旅で29歳、今夜の夜行でスイスに発つS子である。
このホテルは地球の歩き方に載っているらしいから、日本人がよく集まる。どうやら今までの旅は事故もなく過ごせたようだ。

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by akinishi1122 | 2010-08-29 08:46 | 旅行 | Comments(0)

(27)ナポリとローマ

(27)旅日記 10年8月23日 ナポリトローマ観光バス
「ナポリを見ずしてイタリヤを語るなかれ」と言われるが、僕は過去3回来ているが、ポンペイや港から出る沖の島があまりにも衝撃的な美しさだったので、ナポリ市内についての印象はす少なかったので、今回は時間があるので、市内観光のため朝からナポリへ行くことにした。TGVだから予約なしで乗ったら、18ユーロとられた。ナポリは近距離だったら、普通でよかったのだが、乗った以上しかたない。
そのかわり1時間でついたから、ゆっくり観光の時間がとれた。昨年は観光バスに乗らず海岸ばかり歩いたので、全体像が今日でつかむことができた。ナポリというところは、港の景色が美しいところの世界で3番目ぐらいらしいが、なるほど湾を囲んで絶壁の山があるから、奇麗である。地中海の交通の要路であるし、ここを征服することで地中海に面した国々に影響を及ぼすことができるから、たくさんの外国が次々に支配し、ここを首都としったこともあったので、その時々の王の遺品が国立博物館にあるという。最初の支配国はやはりギリシャであって、紀元前4世紀ぐらいだから、「親都市」というのがギリシャ語からつけられたそうである。「帰れソレントヘ」という歌はたしか中学の音楽の本で覚えたと思うが、よっぽど素晴らしい土地かと思ったが、昔は漁村であり、その魚の賑わいの町だから、住宅はこみあい、その路地には洗濯物がいっぱい、家と家との間を紐ではられて干し物で漁師の生活がまだ残っていて、歌とのイメージが合わずにいたが、今日ナポリ全体からみると、それも含めて歌も理解しやすくなった。
たしかに急な斜面に段々の建物があり、しかも明るい白に近い色だから、上にいくほどリゾート地として好まれていることがうなずける。
 やはり世界の3大景観といわれるだけの価値を今日認めることになった。
昼までにナポリを終わったので、ローマに帰り、市内観光バスに乗る。日本語の説明が僕は耳がわるいので、声が小さくて殆ど説明は役にたたなかった。でももうローマについての名所は見ているから、下車してまではみなかった。
今日知ったのだが、ローマというのは奴隷制度がもっとも発展した社会だったという。紀元バチカンで昨年サッカー選手の写真を撮っていたら、イタリヤのどこか地方のサッカアーの選手だろう、僕をみんなで胴あげしてくれたことを思いだしながら、眺める。そとから眺める風景でも日本人の観光客がめっきり少なくなっている。
ココローマは前3世紀や2世紀には大量の奴隷が農業や手工業・鉱山などは奴隷たちの労働でささえられていたらしい。また優福な家では様々な雑用や子供の教育までやられていたというのだから、奴隷のイメージもすこし違うことがわかった。奴隷たちはなかには進んだ文化を持っていながら、戦に負けたばっかりに、奴隷にさされているばあい、そんなこともありうるのだと分かる。
豊富な奴隷は絶えず戦があり、はるか遠いところから、白人の奴隷が輸入されてもいたという。これはローマ時代にもう相当な生産と流通が始まったということだろう。自国民だけが人間として自由であり、征服された人々は奴隷として使われるのはそんなに不自然ではなかったようだ。だから金のかからない労働によって、現在にも残る貴重な建築物なども残っているようだ。奴隷というと黒人のイメージだったが、黒人奴隷は比較的新しいく、コロンブスの大陸発見以後だから、これは古代ローマからの延長で征服者が奴隷を使うというのはながいあいだ続いたのだから、白人の奴隷で、僕はポンペイ遺跡の時衝撃をうけていたが、その時はまだ認識が浅かったのであった。
日本でも戦国時代は他の領地の農民などが、農奴として働き,にたようなものであったとからありうるだろう。
夜はテルミネ駅(ローマではこの名前が多く使われている)の近くで中華の焼き豆腐と牛肉の鉄鍋でグツグツ煮ながらのを食べる。なかなか旨い。
夕方日本人がホテルに来たが、値段が3000円ぐらいとホテルで説明していたら、「高いから次を探します」といって出ていった。こんな夜に探すことができるのだろうか、と気になる。
秋子から電話メール
(楽しい旅をしている様子、安心しています。海水浴、泳いでいるの?無茶をしないで、帰るようになって足が痛くならないように心配しています。あまり自由にやらないこと、年も考えること。これからも楽しい旅を長くするために。空港には香梨ちゃんが行きます。忘れ物しないように気をつけてね)とあったが、ポーランドで眼鏡ケースを忘れ、先日は
「現代短編小説選」の本をおそらく列車の中に忘れていると思う。眼鏡ケースは買ったが、本の方はまだ3分の1ほどが読み残しているから、残念だ。帰国までには読み終えるつもりだったのに。

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by akinishi1122 | 2010-08-29 08:43 | 旅行 | Comments(0)