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PARI

旅日記 2010年7月27、8日カタールから パリへ(1)
今回の旅は秋子の体調が気になり決断もなかなか難しかった。だけども「私は足が痛むが体は大丈夫だから、あんたが元気の間に行ける時は行ったら」と言ってくれたから少し後ろ髪をひかれる思いで出かけることにした。
香梨は送ってくれるとは思っていなかったが5時ごろに帰宅したのでびっくりした。会社を早退してくれたのだった。社長に僕の旅のことを話していたらしく、「気をつけ行ってください」とことずけがあったらしい。
出発が関空を11時45分だから、孫たちはとても無理だと思っていたが、夏休みで明日は寝坊してもいいだろうと親たちの判断で見送ってくれることにしたようだ。だから全員での見送りとなった。
今回はカタール航空だからあまり馴染みがない国だから少し調べてみたら、ペルシャ湾に面した小さい国で、ドバイと近くである。やはり石油や鉄鉱石の資源の国でフランス、アメリカあたりに採掘権をあたえて、その石油利権で経済が成り立っているらしい、そして国王がいて独裁で政府の機関の責任者は殆ど国王の一族によって支配しているらしい。また国会議員の30%が国王の任命というから、まだこんな国があるのだと今回知ったことである。
 今回からちえちゃんも3年生になったから携帯電話を持たせてもらっているから、通信は一人増えることになる。
 隣の席に大阪の大学に来ている娘さん、その母親で大分の臼杵からという婦人がいる。トルコに行くらしいからイスタンブールや世界遺産になっているアカプリコの話に興味があるらしいので、昨年の僕の経験を話しておいた。僕は昨年訪問するまでトルコについての知識はなかったが、この親子はよく下調べをして、ここに決めたというから、一般には僕みたいに訪問したあと調べると云う人は無いようだ。
洞窟の中のホテルなども知っていて、それが憧れだというし、絨毯の国だというのも調べていて、僕はそれぞれの実体験や世界の旅を話すことで娘さんも、もう身を乗り出して訊いてくれていた。旅は道ずれというのは昔から旅人の話は利害がないし情報が得られるいいチャンスでもあるし、同じような旅だからお互いに話もはずむものだ。僕も楽しい気分になってつい喋りたくなる。だから昔から「旅は道ずれ」とうちとけるのは自然の流れだったのであろう。
ドバイ上空を8時45分に通過したがここで着陸も2回経験したが空港でカメラを禁止されて、えらく緊張したことだった。おそらく軍事施設が近くにあるのだろう。そして砂漠の中に近代的な高層ビルが立ちならんでいたようにもおもつた。またオックスフォード時代に同じくらすにアブドラという青年がいて、顔中黒々とした鬚、それに眉毛が繋がるぐらいの青年がいたが、彼を想いだした。彼はオックスフォードで法律を学び、弁護士の資格をとるまで7年ぐらいオックスフォードに居るといっていたから、まだイギリスにいるだろうなと懐かしく想いだした。
カタールのドーブ空港には28日朝の9時10分(日本時間)についた。ここから日本から来た沢山の旅行者は各地に乗り継ぎするようで、千葉から30人ぐらいの高校生のサッカー部員がブラジルに対外試合に行くといっていたし、サッカーブームが高校まで加熱がしているとは驚きである。
また72歳の夫妻がここからケニヤのサファリーのツアーに出かけると言っていたが、日本からの90%ぐらいの日本人はパリへのゲートには殆どみなかなってしまった。おそらくパリへは成田からの直行便で行くのだろう。僕の場合は安い航空券を選んでもらっていたから、途中経由のドーハで途中下車という感じである。時間も急がないし沢山の経験や体験も僕の目的の一つだからこれも苦にならない。
だが5時間ぐらい何もない空港での待ち時間はなにか工夫しなければならない。秋子、理梨、哲顕、ちえちゃんに、いま着いたことを携帯でメールした。海外用の電話だからこの前から使っていなかったから、昨夜の出発前に再度の特訓をうけたから、今日は全て漢字にも変換できて送信できた。もう自信ができた。
待ち時間に一人の日本人男性に話かけたら、東京から来た人で成田、関空と乗り継ぎらしい。1週間の休暇でフランスに行くという。35歳ぐらいでコンピューターのソフト開発する仕事でドイツの会社で東京支社に勤務してるらしい。そのマネージャーだが会計のソフト開発で日本の超一流の企業へソフト開発提供しているらしい。
「パナソニックなどは自分のところでもコンピューターは制作しているのに何故外国のソフトに頼らねばならないのですか」と聞いたら、ハードとソフトはまた違う技術らいいのだ。
彼は自分の父さんは63歳だが僕の一人旅を見て、75歳の人が一人旅をしていることを是非父に話してやりたいと、帰国したら、僕のブログをみて元気の秘訣をみて教えてやりたいと言っていた。
ドーハ空港は砂漠の中にありここからは高層の20階ぐらいのビルがたくさん、しかも幽かに見えるだけで、緑は見ることはない。本当に石油を売った代金で水までお金をかけて地下から汲みだしているといった様子である。こんな国はいまに太陽光発電ができてエネルギーが石油に頼らなくて済む時代になったらどうするつもりなのだろう。国王の地位もなにも国自体の生存も危ないのではないかと他人事ながら気になる。
ドーハからは、がらっと乗客が日本人がいなくなった。300人ぐらいのなかにおそらく10人ぐらいしかいなくて、
ここから約6時間ぐらいでパリだがドーハ空港で約5時間、そしてパリまでをいれると11時間ぐらい、関空からの9時間をいれると20時間ぐらいでパリということになる。
僕は通路側の席を希望していたので、窓際に外国人がきた。「どちらからですか」と聞いたら、なんと日本語でフランス人ですと言うではないか。しかもなかなか外人の発音ではなく、日本人とまったく変わりない発音である。「私は日本に2004年まで7年間いて電通に勤務していました」というそして母親が日本人母ですとも自己紹介してくれた。道理で上手いはずだとわかった。現在は国際的なサッカーのプロヂューサーをしていて、今南アフリカでの世界大会の企画に参加しての帰りで、75日南アフリカにいたという。名刺をくれ、日本テレビのパリでの代理店のようなこともしているとのことだ。
35歳というが見たところ40歳以上に見えしかも日本人の肌色はまったくないし髪もブラウンだ。こんどはシンガポールで世界サッカーの試合があるための広告宣伝の仕事にとりかかっているらしい。おそらく電通と組んで日本むけの放送や宣伝の企画になるだろうとのことである。
日本の現状についての話で派遣村社員、偽装請負、自殺者3万人、結婚制度の日本との違いなどをずっと語りあった。
日本に居た頃はまだ派遣社員の問題は話題にならなかっが、現在ではフランスでも派遣社員や偽装請負と言う問題が時々話題になり、その原因で自殺者が3万人が続いていることも知られているようだ。フランスの場合失業しても自殺という現象にはならなくて済むのは、2年でも働いたら1年ぐらいの失業保険があり、そんなに悲壮感はないという。なんとかなるという気分はフランスの国民の間にだれでももっているという。そして残業というのは全く個人の権利で選択できるから、家庭中心の生活を企業側も当たり前と思っているから、日本のようにいわゆるサービス残業などは起こる余地のない社会であるそうだ。
また「フランスが1昨年非婚者の出産が50%を超えたそうでうね。日本で驚きの報道があったが」と少々失礼かと思いながら尋ねたら、彼は「昨年は52%になりました」とさも当然といわんばかりの言葉である。「日本では不道徳といった意識があるのだが」と言ったら。「フランスでは恋人同士はまず同棲し、何年かたって結婚してもいいなと思うようになったら結婚するのが普通だから子供が先で結婚が後ということは不思議でもない、ずっと前からその習慣だからちっとも不思議ではない数字である」というのだ。
そんな話から、日本の家族制度の話になり、つい65年前までは、女性の人権は認められていなかったこと、離婚の申し立ては女性からはできなかったこと、そして家の財産の相続は妻でなく長男で、他の子供も相続権がなかったことなどを話したら、「そんな前近代的なことがよく反対する人もなく続けられたものですね」と驚いている。その彼のお母さんは日本人であるのにそんなことまでは彼に話していないようである。
なるほど彼が驚くのも無理はないと思う。現代の日本の若者も驚くに違いないと僕もふと気付いたのである。
また彼が日本人は兄弟の仲が悪いのですか?と聞くからそんなことはない、と言ったら、「私のが日本に居る時、母の姉さんを頼り訪ねてみたらもうとっくに亡くなっていた、兄弟が死んでも兄弟に知らせないということだったようだが驚いたものだった」それは日本では父母が死んだら遺産の相続で争いがおこることはあるが、全て仲がわるいということではないから、誤解しないように注意しておいた。
たしかに我々はあまり疑問に思っていないことが、改まって問われたら外国人に説明しにくいことがたくさんあるものだ。こんな話をしながらの6時間だったから退屈しないどころか、沢山の考えなければならないことを与えてくれた時間で僕にとっては非常に有意義であった。
また同じ飛行機に日本のMBSのヂレクターが3人でフランスを取材に来ていた。どんな目的の取材か計画なしで、行きあたりばあったりで取材するというのだから、驚く。僕の場合は計画無いので他人に影響を与えることはないし、第一すべて自分のお金で自分の責任でのフリーの旅だから比較的じゆうが許あsれているのだが、手r5海老局テレビ局となるとそうはいまないと思うのだが、そんなこともあるのだなと知った。なるほど外国では見る者聞くものすべてが新しいことだからそんなこともなりたつのかもしれない。
同じマスコミ関係だからMBSのスタッフに紹介しておいた。
空港から降りてバスにのり、一応オペラ座前で降り、JCBのパリ事務所に寄った。明日からの予定を相談するためだ。ここは昨年も来たし、昨年もフランスの旅行など相談になってもらうためだ。明日は一人で列車に乗りフォンテデブローガよかろうといわれ、30日は僕がロワール城めぐりをしたいと頼んだらJCBの会員だから133ユーロのところ120ユーロと割引してくれた。
日本料理店の十時やに行き夕食を日本料理えすました。
ホテルはシャンジェリジ近くて安いのを哲顕に予約してもらっていたから、地図を頼りに歩いたら、若い青年が90度間違えて道を教えてくれたものだから、後戻りしたりして結局10人ぐらいの人に聞いてやっとタボリ辿りつけた。一つのホテルを昆んあにたくさんの人に尋ねたのは初めてであった。
ホテルは個人部屋ですべて室内にあるから助かる。部屋代は3日で114,72ユーロ、それをカードで支払った。

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by akinishi1122 | 2010-07-30 03:37 | 旅行 | Comments(0)

本日からヨーロッパを寅さん流の旅にでます

本日から1月の予定で
ヨーロッパに出かけます
明日からは旅先からの日記になりますのでよろしく

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by akinishi1122 | 2010-07-27 10:14 | 旅行 | Comments(0)

見輝男

見輝男
茨城大学名誉教授
日本国憲法の平和条項を守ることこそが真の国際貢献である。

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by akinishi1122 | 2010-07-27 10:11 | 九条の会 | Comments(0)

ヨーロッパ自転車で

ヨーロッパ自転車の旅へ(34)
8月12日(日)
 えらいことが起きた。パスポート、クレジットカード、それに帰国の航空チケット、日本円88,000円が紛失した。今朝は11頃ホテルを出て、市内観光をするために、シャンジェリゼ通りを、凱旋門からずっと下り、コンコルド広場まで走り、エリジェー宮殿を一周して、グランドパレ、ブテイパレの間を通ぬけて、セーヌ川を渡ってところで、トイに行きたくなった。
たまらなくなったが、公衆トイレがない。仕方ないから人の少ないところで公園の大木の陰で用をすませた。だが、大のほうがたまらなく迫ってきたので、
ホテルに帰ることにした。シャンジェリゼ通りは、なだらかな坂になっているから、もう汗びっしょりだ。ところが、凱旋門まで来たのだが、この門から放射状に道が走っていて、その角の建物がみんな同じ造りだから見分けがつかず困った。ほんのすぐそばだが、植木やベンチまで同じ造りである。何を基準にしたらいいかと思うのだが、凱旋門とエッフェル塔の線を結ぶものだと考えていたが、それも焦点が似ている。ホテルの地図と番地を示し観光バスの止っている荷物のポーターの黒人に聞いたら、あと2つ先だという。ところが、いわれた通りに進み、右へ曲がったが、どうも景色が違う。だからまた、白人の40歳ぐらいの男性に聞いたら、まったく反対の方向を4ツ目の角から下がったところとわかった。さっきの人は違ったことを教えてくれたことになる。
それか、僕の聞き違いなのか。もうたまらなくなり急いで部屋に入り、用を済ます。汗びっしょりだから、全て脱ぎ、シャワーを浴びる。さっぱりしたところで、又出かけた。
部屋は片付けないまま、タオルなどもそのままにした。だから、着た物全て水洗いした。ロッカー、窓、シャワールームに干して出た。昨夜洗濯したのは、まだ乾いていないから、これで、全て着替えして最後の物を着てでた。
すぐ近くに地下鉄メトロがある。ホテルを出たところで、昨夜の寿司店のマスターに出会った。地下鉄にも自転車が積めるというから、キップを買った。自転車用改札は別にある。キップは入れなかったが人が中から開けてくれたから、キップはなくても入れたことになった。エッフェル塔まで行くのに地下鉄の乗り換えの方法を教えてもらった。2人の青年に聞いて大体、色で区別されているのが違う路線と、番号である。目的地にその色と番号をたどりながら乗り換えればいい。これは20年前にも経験したことがあるから、思い出した。大阪の地下鉄でも同じ方法だからそんなに難かしいものではない。
エッフェル塔の駅でもキップは入れずに、手で押したら扉は開いて出ることができた。だからキップを一度も使わずに乗り降りできたことになるが、きっとどこかにキップは通さねばならないはず。
2時過ぎだから、中華店で牛肉のすき焼きのようなのの、ご飯にかけてあるのを注文、それにビールの大缶、これで9・5ユーロだった。まあ中華は日本料理に近いから満足だった。
それから、エッフェル塔に歩いて登る。4ユーロ、これが行列で、30分ほど待たねばキップが買えない。階段には10段ごとい番号が書いてあるから、数えなくても分かる。650段だったから、130mの高さで歩くだけの人はここで展望所になっている。自分の足だから、エレベーターよりも実感が湧いて、いいものだ。650mに到達したら、大雨と雷が一緒にきた。暫らく待っていたら、日が照ってきたから、素晴らしい虹が出た。こんなチャンスはめったにないだろう。雷も何回も響いたが、この危険はちゃんと対策はあるのであろうから心配はしなかった。

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by akinishi1122 | 2010-07-27 10:00 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

いでたちの夏は孫もろともに関空へ

深夜のいでたちになったが孫も夏休みで送りにきてくれるという

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by akinishi1122 | 2010-07-27 09:55 | Comments(0)

今日の一句

冷房の効く阪神地震資料館

炎暑の登山の途中に阪神地震資料館で体を冷やすために入館した。
我々の他は誰もいなかった

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by akinishi1122 | 2010-07-26 07:33 | 俳句 | Comments(0)

詩人 秋村宏

秋村宏
詩人
憲法九条は私のなかの大樹ですので、さらに大きくしていきたいと考えています。

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by akinishi1122 | 2010-07-26 07:06 | 九条の会 | Comments(0)

オックスフォード


ふたたびのオックスフォード(16)
07年7月24日(火)
昨夜、朝3時ごろパソコンに日記を打ち込んでいたら、マザーが「音がうるさくて寝られない」といってきた。隣の部屋だが、壁に仕切られているのにそんな音が出るはずは無いと思うのだが、おそらくトイレに起きた時電気が点いているから、あまり早く起きられると迷惑だという意味なのかもしれない。
音と言えば、地図を広げる時の音がそんなに廊下まで聞こえるのだろうか。こんなことでも注意されるから、いっぺんに嫌になってきた。
だが朝、顔を合わせ「おはよう」と言ったらニコニコ顔が返ってきたので、まんざら悪い人ではないかもしれない。そう思い直した。
やはり生活習慣が違った人が一緒に暮らすとなると小さな習慣の違いがしばしばギクシャクする元になるものだ。これはやはり文化の違いとして受け入れることが留学して異文化を学ぶという「理念第一」としなければならないと自分に言い聞かせなおした。
 今日コンピューウター室で3ヶ月前から来ている東京の智美さんという女性に、「異文化を学ぶことは、英語を学ぶこと以上に大事にしたいと思う」などと話していて、自分が言っていることと日常の感情がずれがあるものだ。話ながら自分が気付く。
 昨日きたに日本人女性は奈良の富雄の小学の教師らしい。休憩時間にコンピューウターの使い方を教えてくれというので、メールの送信方法を教えてやった。自分のアドレスを忘れたというから僕のアドレスから送信してやった。他の友人も一緒に留学したらしく、その人にメールしてやった。小学教師も英語が必要になってきたのだろうか。耳にしたことがあるが、小学から英語を取り入れる方向に文部省が動いているため先取りして来ているのかもしれない。
 今週からは、イランの女性、サウジアラビアの男性、それに韓国女性、日本人の拓也君、ヤスコさんの5人が増えた。これだけ外国人と接するチャンスが多いのだから、これからは積極的に他国の青年と会話し、日本に帰ってからの交流を続ける関係をつくる工夫をしようという気になってきた。そのためにも英語の会話力をつけるために気持ちを変えなければならない。
 それは、世界のイスラム教国が急速に変化しつつあるから、ここに注目しなければ、世界の動きの理解が難しい気がしている。サウジのKhalid君も法律家になると言っているし、それぞれの国に帰ったら彼らは国で相当の力を発揮することになるだろうから、特に友人関係を深めておく必要を感じてきた。
 僕の今までの留学についての観点は「旅行目的」と自分に言い聞かせてきたがこれからのチャンネルは世界の動きを知るための英語、そして直接他国の人たちとの、なまの文化、それも動きつつある文化を知るための英語にチャンネルを一つ増やすことに決めた。これはロマンがある。彼らが帰国した後の活躍を知るロマンである。それを追い続けることは楽しいではないか。
 昨日図書室で、うちのマザーがなぜ僕の学校に来たのかなと思ったが、僕に軽く会釈してくれた婦人がてっきりマザーと思っていたのだったが、昨年ここで同じクラスだったポーランドの女医師だったのに気が付いた。また今年も来ていたのには驚いた。彼女に「昨年あなたと別れてから僕はポーランドに行ったのですよ」といったら「そう!」といって目を丸くしていた。
 午後から小旅行に出掛けようと駅に行ったら、まだ全面的に列車が動いていない。相当な雨だったのだろう。線路がおそらく見えないくらいの水つきなのである。駅の裏を流れている川に行ってみたら、凄い流れだ。これだったら低い土地は水に沈むことが推測できる。
 MRCの大谷さんからのメールで、僕の日記を読んで「楽しそうですね、羨ましいです」とあったから、次の日記も送信しておいた。

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by akinishi1122 | 2010-07-26 06:58 | 旅行 | Comments(0)

オックスフォード

ふたたびのオックスフォード(15)
07年7月23日(月)
今朝も雨だ、ビニールの雨具をかぶって登校した。
幸いに小雨だったが、最近はよく降るものだ。新入生が4人入ってきた。その内の一人は先週から顔を見たことのある高校生で、慶応高校の3
年という。「もう入試が忙しいでしょう」と言ったら、「いいえ、僕はそのまま大学へ行けますから」という。「では高校に入る時相当勉強したのでしょう」と聞いても
「いや、中学から上がってきましたから」と慶応もエスカレーターで大学まで進めるらしい。T君といって、2週間だけで帰るらしい。彼は髪がばさばさして、無造作に伸び放題に見えるが、こんなのが若者には流行っているのだろうか。
3時間目には、女性の50代の人で、奈良で小学の先生をしている、ヤスコさんという人が入ってきた。彼女も2週間だけらしい。
 かじか会の坂口修二さんからメールがはいった。こちらから発信したのが届いたらしい返事である。これでかじか会にやっと一人交信が出来たことになる。
来てからの様子を14日までの1週間分記録を送信しておいた。
理香の誕生日に旅行にでたためお祝いのメールが打てなかったので、今日になってしまった。携帯電話が急に使えなくなったこと、「圏外」と出るから、何故なのか、どうしたら復元出来るか、をソフトバンクに聞いて返信して欲しいと頼んでおいた。
午後から、小旅行に出るため、駅に行ったら、列車が全面運行停止中である。このところ、大雨が続いているから、線路が水に浸かっているらしい。この前の土曜だとエジンバラ方面だけが止まっていたが、今日はロンドンまでも不通だという。
学校で買ったランチを駅のテーブルで食べ終って、学校に帰ろうと思っていたら、Y子さんとばったり会った。彼女は今朝メールで午後から駅に行くと書いてあったが、こんなにタイミングが合うなんてビックリした。また、昨夜忘れていたジャケットも持ってきてくれていた。彼女はこの週末に湖水地方に行く時間を確認するため来たらしい。Informaition デスクで話しているのを横で聞いていると、さすがに英語教師をされていただけあって、きちっとした英語を話していられる。何の不自由もなさそうである。
そこえ、「英語は不自由なさそうですが、何かお手伝いできることがあれば言ってください」と白人女性が上手な日本語で話しかけてきた。「それは有難い、ではこの(Brit Rail pas)はドーバー海峡に使えますか?と聞いてくれませんか」と聞いてもらったら、「これも、ユーレルパスもドーバーを渡るには、お金を払ってもらわねばならないそうです」との返事を聞き出すことが出来た。

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by akinishi1122 | 2010-07-26 06:54 | 旅行 | Comments(0)

オクスフォードからホワイト島

ふたたびのオックスフォード(14)
7月22日(日)
朝食が8時45分というから、えらい遅いなと思う。リゾート地だから勤め人がいないからだろう。大方の人が老人で身なりも綺麗にしている。夜のパーチーに出るような服装の人達もいる。食事は卵の目玉焼き、ベーコン、ソーセージ、それに大豆を甘く味つけしたもの、パンをフライしてあるもの、魚の白身のフライなど皿いっぱいを持ってきてくれた。他にバイキングでの果物、ジュース、牛乳、トーストも、持ってきてくれた。僕には多すぎるくらいである。
イギリスの食事は下宿だから簡素だが、一概に下宿先の朝食が一般のイギリスの朝食と判断したら間違いだともいえると思う。
 昨日失くした帽子が落ちていないかと思いながら、昨日来た道を帰ることにした。だが見つからなかったので、駅の近くに丁度雑貨店があったので「Isle Wight」と正面に文字の入った濃紺の、落としたのに近い感じのを選んだ。(3・99£)
終着駅のShanklin を9時17分発、昨日の港駅Ryde 着9時40分だった。駅は7ツである。
昨日歩かなかった街だが、やはりこの島で一番の賑やかな様で、随分ホテルも建物も多いし、海に面したホテルは高級なのが多い。ここからイギリス本島のポーツマスの街並みが見える。そして丁度干潮だったのでずっと砂浜が広がり、水際までは遠いところで400mぐらいも汐が引いている。
 子供の乗る汽車が道の上を沿岸沿いに走っているから、それに沿って走った。左手に海を眺めなが随分走り、2k以上もある。これが対岸を見たり、右手には森林や公園などがあるから、リゾウトとしてはなかなかのものだ。気分も良い。
 僕は3kぐらい走ったところで、砂浜の水際まで自転車を押しながら出てみた。どうしても、海育ちだから海辺の石を起こしてみたくなる。日本の石の下にはたいてい蟹や海老などがいるものだが、ここには貝のサザエの小さいのがいるだけだった。これは魚の餌にしても魚が食いつかないのであまり上等でないものである。
 体長50cmぐらいの死んだフカが打ち寄せられていて、烏が2匹でつついているのに出会った。この干潮の時の砂浜は広大で満潮になるときは遊んでいれば 逃げ帰るのに怖い思いをするかもしれない。汐が追いかけてくるだろう。
遥かの対岸には点々とポーツマスから離れて点在している。「島に来た!」という気持ちを味合うことが出来た。「ホワイト島」とはこの砂浜の白から名付けられたのだろうか。
 僕の乗って来たのはゼット船だったから、高速で11時45分に発ち12時に着いた。他にもフェリーが出ているが、これを追い抜かすスピードである。フェリーは少し離れた港のようだった。
 どちらを向いて帰ろうかと考えたが、ロンドン行きが3つ続いて表示されているから、ロンドンといっても、色々コースがあるらしい。だから一番早い列車に乗ることにした。12時17分発である。来た時のコースと違っていることを、暫くしてから気付く。見慣れない駅を通るから、隣の人に聞いて別のコースだと知る。
 ロンドンには2時半頃に着いた。ヲオータールーと言う駅で、昨年ヨーロッパからユーロ列車で帰りついたところで、ヨーロッパへの始発駅でもある。ここで駅の案内に僕のイギリスのBrit Rail パスとユーレルパスとどちらを使うのかと聞いたが、ドーバー海峡はイギリスとフランスのどちらの管轄になるのか聞きたかったのだが、混んできて聞き出すことができなかった。「何時のツのか?予約か?」というだけで、途中で打ち切られた。いずれだれかに確かめねばなるまいが、たいしたことでもないから、まあいいか。
 自転車でビッグベンへ向いて走ったら、15分ほどの距離だが今日は日曜日とあって、ビッグベンの対岸の水族館広場はえらい賑わいである。自転車は押して歩かねば、乗れない状態である。街頭の蝋人形や音楽家、芸人などがいっぱい。それを囲む人々である。
ビッベン・バッキンガム宮殿・ハイドパークなどを通ってパデントン駅についた。どうも遠周りしていた感じがする。次からは地図を見てバッキンガムから直通で来たほうが良いかもしれない。
 ホームステイに何か土産でも買おうかと思ったが、食べ物だとなんか今の食事に不満だから、催促ともとられたらいけないから、食事などは出される物を有り難くいただくのが、コミユニケーションがうまくいくかも知れないと判断して止めた。
駅はオックスフォード行きが4時42分と4時46分とがあるのだが、どちらが早く着くのだろう。若い女性に聞いたら「42分です」と断言するから、14番ホームに走った。念のために駅員に聞いたら、時刻表や表示テレビを調べてくれ、「10番ホーウムの46分が早く着く」と教えてくれたから、また慌てて引きかえし走った。やはり念には念をいれたことがよかった。急行だったことも解かり助かった。
 夕食時間は6時過ぎだから、気になって着いたら、マザーはソファーで横になり昼寝
しているから助かった。よほど電話をいれようかと思ったが、6時15分にこの状態だから7時ぐらいまでは許容時間内でいけるのかなと思う。
 夕食後Y子さん宅に行ったらK子さんと旅の打ち合わせの最中であった。Y子さんはなかなかはっきりした性格で、「私の質問に、貴方は応えるだけでいいの!」ずっと主導権を持って発言しているから、K子さんが、たまりかねた様に、「そんなに喧嘩ごしの言葉は使わないで下さい」とついに反応していたが、Y子さんにはその意味が通じないらしく、やはり同じ調子で会話が続いている。
何かセークスピア劇を観にいく時間の打ち合わせのようだった。
 僕が寄ったのはコンピューウターで僕のリムーバルデスクから写真を移しておいたが、僕の個人的な住所録などが入っているのを消すためだった。その用件がすんだから、すぐお暇した。

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by akinishi1122 | 2010-07-25 17:19 | 旅行 | Comments(0)