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再びのオックスフォード

ふたたびのオックスフォード(32)
8月10日(金)授業終了
荷物を、5時頃整理にかかり、Louella 先生に預けるスーツケースと、旅行に持ち歩く荷物に分けてみた。下着、上着類は各3枚にし、頻繁に洗濯しようと思う。重たいのはパソコン、髭剃り、それに電気類のトランスや接続器具、これは各国によって、電圧が違えば、使用できないから必需品だ。ヨーロッパの旅行案内書が重たい。日記2冊に大学ノート、「歴史を開いた哲学」「ユースホステル名簿」「ヨーロッパ交通時刻表」「憲法改正の動きの全体像」などの本がかなりボリュウムがある。それ以外は重くないし、今度は自転車の荷台の横にリックケースを繋げるから、肩に負担はかからないと思う。
マザーの出勤するのが、6時30分だから、やはり目の前で荷物を出すのは失礼かと思い、彼女が出掛けてすぐに、Y子さん宅に、スーツケースを歩いて押しながら持って行った。
7時前であったが、彼女はいつも5時には起きていると聞いていたから、気にはしたが、早く行った。気持ちよく預かってくれ、今日の午後に、Louella
先生が預かりに来てくれることになっている。「宮崎さんと知り合って私も気持ちよく1ヶ月が過せました」と言ってくれ、日本茶を入れてくれた。
「過去日本人と3人ばかり付き合ったが、他の人とは、あまりしっくりいかなくて、今後もつき合おうと云う人はいなかったが、宮崎さんに合えてよかった」。
と云っている。
 K子さんとも、湖水地方を一緒に廻ったが、どうもしっくりいかなかった様で、自分とは合わない。といっていた。僕もY子さんと、合うというわけではないが、「こんな人もあるのだなあ、と反発をしたことが無かったのが、良かったのかもしれない。
 8時にY子さん宅を出て、学校に着いたら、Y子さんからメールが入っていた。「カメラを忘れてありましたよ、授業が終わる12時半頃に学校に届けます」とある。ウエストポーチから、何か落ちたが拾った積もりだったが、椅子の下に落ちていたらしい。見た積もりだったが、ソファー椅子の下にころがっていたらしい。急いで引き返し取にかえった。危機一髪で、見えにくいところを、よく見つけていただいたものだと感謝している。いただきに寄るときに、何かお礼をと思っていたのに、土産類の扇子、デザインのある日本式手提げのがあったから、2枚ずつ持っていったら、大変喜んで、「あなたの心は、温かい」と言ってくれた。
 学校から、休憩時間に、「オックスフォードの生活は、貴方と会えたから、話を聞いたり、聞かせたりで、私の生活が充実することができました。これは、貴方のお人柄によるものです。沢山のことを学ばせていただきました。高知に帰省される折は、是非、西宮へお立ち寄り下さい。きっと妻も喜んでくれます。妻は、お客様が来て頂くのを喜ぶ人ですから、お待ちしています」とメールをいれておいた。すると、夕方学校に寄ったら、「私のほうこそ、貴方のように良い方とお近かずきになれて、私のオックスフォードの生活が楽しく過せました。これを機に、末ながく是非お付き合いお願いいたします」と返事がきていた。
 28日にLouella先生に会うために、27日の夕方までにオックスフォードに帰り、先生が28日の何時でも都合のいい時間に来てもらえるようにと思い、YHAホテルに行って、27日も予約してきた。これで段取りは全て完璧だ。
 今日は最終の授業で、13人のクラスのうち、今週で終わるのは、僕だけのようで、僕のためか、3時間目は、それぞれの国の唄の時間になった。僕の番になったら「ノブのフィシャマンの唄がいい」とあの「貝殻節」をやれと云われ、これで3度目になる。みんな、それぞれの国の唄を披露してくれた。サウジは4人の合唱だった。先生も歌ってくれ、イギリスの唄を白板に歌詞を書いて、歌唱指導つきである。これはビデオに納めテおいた。イタリアの男性、スペインの新入女性は僕が撮った写真が欲しいと、午後の授業を休んで、コピーしていた。
 ポーランドの女子学生は、なかなかの美人で、心理学を専攻しているらしく、今日は僕の隣の席にいて、問題がすいすいできる、答えを僕に書いてくれて手伝ってくれた。全員のアドレスも交換しあい、沢山の友人ができ、暖かく見送ってくれた。
 奈良の先生の佐々岡和恵さんは、明日からパリに行くという。僕と同じで、3日ほどのパリだが、「万一困ったことがあったら、電話しますから、助けてくれますか?」と言って、僕の携帯を控えていた。「僕は助けるほどの知識はないが、すぐ近くのスイス航空の友人がいるから何かの役にはなるかも知れない」と言っておいた。
 日本人の女子学生も一緒に食事の時、集合写真を撮った。
今日は、最後の夜だから、下宿に、お礼の積もりでビール4本買って帰り、3人で乾杯した。
今日のパソコンに、岡山の土井先生から「フランス、スイスの旅、楽しそうですね、我が家の悠平は今月で満1歳になりますが、もう歩きはじめました」とあった。僕は昨年やはりオックスフォードでお子さんの誕生を知って、名前を聞いたのだったが、「悠太ちゃん」と間違って記憶していて、先のメールルで間違った名前を書き大変失礼をしていたことを、今日知り、大変申し訳ないことをした。
 かじか会の坂口修二さんにずっとメールしていたのだが、未送信の欄に出ていたので、失礼していた。最近の様子を送信しておいた。
今朝も電話が通じたので、明日から、パリに行き、その後スイスのBarryが迎えに来てくれる駅の時間を調べてから、Barryへも電話する、と秋子に伝えておいた。お世話になるから、何か日本から送ってくれたそうである。佳子の体調はいいとのこと、声もはっきりしてきた声だから、安心した。

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by akinishi1122 | 2010-06-30 11:09 | 旅行 | Comments(0)

日本こどもを守る会 中村博

中村博
日本子どもを守る会、絵本作家
帝国憲法で育ち、日本国憲法で教師になり、国民こそ主人公の子どもを育ててきた元教師です。戦争反対をつらぬきたいと今もこれからも…その決意をこめて。

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by akinishi1122 | 2010-06-30 07:42 | 九条の会 | Comments(0)

今日の一句

夏選挙高齢者集う宵までも

参院選挙たけなわである、演説会場には高齢者がめだつ

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by akinishi1122 | 2010-06-30 07:32 | 俳句 | Comments(0)

バルパライソからサンチヤゴへ

ワンワールド世界旅行(70)
3月29日(土)バルバライソからサンチヤゴへ
今日は移動日で、4時にバスがでるから、近くを歩くことにした。国会議事堂がここにあり、政府機関はサンチヤゴにあるのだからやはり首都の機能を両方で分け合っているらしい。一時首都であったから産業、貿易、防衛の機能のあるこの街を尊重してのことだろう。
市場の通りを歩いていたら初めてスリにあった。ポセットのファスナーが開かれたのを素早く気付いたら、中年の身なりの綺麗な服装の男性が自分のセーターを半分広げて僕の前のポセットを覆うようにし、外から見えないようにしてファスナーを開いたのであった。おそらく僕を暫くつけて狙っていたのだろう。幸いにお金はズボンの後ろに入れていて被害はなかったが、そのスリの人物を見ることができた。僕が、市場の人込にカーボーイハットをかぶり、背中にバッグ、前にポセットをしたスタイルであれば、すぐ旅行者だと分る格好であるから、狙われるのも無理はないと思う。
やはり人込は覗きたいし、旅行者のスタイルを急に変えるわけにもいかないし、そこらがどうしようもない矛盾である。
この街は、コンピューター店が多いので探すのに楽だ。面白いのは電話が公衆は少ないがこのコンピューター店にたくさん設置してありそこを利用している人がおおい。また沢山の露天の個人販売店が大きな通りに沢山あり、道にござを敷いいての販売である。だから高級品はない。使いふるした靴やカメラなどありとあらゆる品が並べられているが、商売人でない人も不用品をだしているのではないかとおもえる人もいる。安いのであろうが、あまり売れている光景には出会わなかった。日本ではもう見かけない風景だが昔「廃物利用」という言葉で急成長の前の日本でこんな時代もあったことを思いだす。
骨董品も沢山でていて、家にもあった明治時代の蓄音機で、針でならしていたが懐かしい。こんなのを見てあるくのも面白い。なにか懐かしい思いがたどれるし、珍しい物はないっかと探す気持ちになるものだ。
ホテルに預けていた荷物を取りに行ったら夫妻がいて、僕の部屋で3人で写真を撮った、おばさんが両方の人指し指で目の下を下げて別れるのが寂しい、というジェスチュアーをしてくれ、抱擁もしてくれた。大きい人で丸まる肥えているほほをあて、こんな抱擁は日本人は少ないから、なんか硬いマットを抱くような感じである。そして旦那とも抱擁したがほほをあてたら髭でざらざらする。こんなことを外人は毎日しているのだが、若い女性とならまだしもあまり馴染まないものだ。
だが、たった4日間だったのに、こんなにしてもらって忘れられない思い出になる。
バスは6時にサンチヤゴについた。ホテルまで地下鉄に乗ったら、2つ目までの車内で女性の大きな悲鳴が聞こえた。そして「電車を止めて」というような声だろう。満員でなかったが人々がその声の次の車輌を見に動く。なにが起こったのだろう、やがて電車も止まる、女性が運びだされてホームに倒れている、それをホームで見ていた若い女性が顔を覆って泣いているようだ。すると30代の男性が上を裸になり何か大声で倒れている女性の方にかけよろうとしていると、別の男性がそれを引きはなそうとしている。やがて警官がきたが裸の男は警官の手をふりきって抵抗している。電車は動かないし爆弾騒ぎにでもなったら怖いなと恐くなる。逃げるべきかそのまま座席にいるべきか、聞くにも言葉がわからないし困ったが、10分ほどした電車も動きだしてやれやれだった。言葉がわからないということはこんな時の対応がむずかしいものだ。
ホテルで明日の早朝6時半にタクシーを手配してもらい、今夜の部屋代22,000ペソ(4,630円)カードで支払う。
パソコンが容量が少なくなったとの表示が出ているので心配だ。たくさん写真を収納しているからかもしれない。

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by akinishi1122 | 2010-06-29 21:48 | 旅行 | Comments(0)

日本がどんどん悪い方向に

田岡美也子 
俳優       
日本がどんどん悪い方向に進んでいることを実感しています。気がつくととんでもない事になっているような恐怖感があります。マスコミの力も期待出来ない今、このすばらしい「第九条」のこと、大きくアピールしたいです。

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by akinishi1122 | 2010-06-29 07:43 | 九条の会 | Comments(0)

ナポリ

ヨーロッパかけある記(53)
9月2日(日)ナポリへ
ホテルの朝食後すぐ出た。神戸大学のY君と一緒だ。10時40分発ナポリ行きと日大のIM子が言っていたが、同じ列車だから、先に行き、列車の確認することにした。Y君は、今日から夜行でスイスに行くという。僕が良いと思ったマッターホルン、ルッチエルン、ライン瀑布などで、僕のスイスの案内本の全ページをプレゼントしておいた。彼が水の大型ボトルに、日本茶のパックを入れていると教えてくれたので、これは良い方法だと僕も早速実行した。
列車に乗ったら、M子も隣の車両に乗っていたから移った。彼女は、創価学会員で、祖父母がそうだったから、自然に入信したという。選挙の時は一生懸命活動するらしく、僕に「松たかこ議員を知っていますか?」と、しきりに議員の実績とやらを話してくれた。「日中国交回復が出来たのは、池田大作先生がコキントウ首相と相談して、田中首相を動かしたのですよ」と説明してくれる。創価学会の内部教育というのの実態を知る事が出来。面白かった。
 たしか、田中首相と国交回復の調印したのは、周恩来首相ではなかったかと思うのだが、彼女は現在の中国の首相と混同しているし、池田大作氏が中国との国交回復したと本当に信じているようである。
 宗教の内部教育というものを初めて知り、この人たちが、選挙になると上からの間違った知識で、力をだすのだから、気味がわるくなった。
ナポリに着いたら、明日の行動計画を立てねばならない。13時25分に着く、弁当はホテルで買ったパン、ヨーグルト、卵などで駅のベンチで済ます。ギリシャに行くために、バリの港へ行く時間を調べてもらったら、明日朝8時17分、8時55分があり、途中の乗り換えがあり、大方6時間かかることがわかる。スイスのバリが船の時間を調べてくれたのをみると、バリ港発が、夜の22時になっているから、バリ市内周辺の観光も出来るかもしれない。
これで計画は出来た、船賃が150ユーロかかることもバリが調べてくれていたから、お金を出しておかねばならないから、駅にあるキャッシャー機で引き出そうとしたら、何回しても現金が出ない、日曜だからなのだろうか、だがほかの人はそれぞれ引き出している。これは困ったぞ、現金が出ない、となると、ギリシャ行きの計画が狂ってくる。市内観光バスが出ていないか、と英語で聞くのだが、どうも「shighteesig bus」という言葉が通じない。
イタリア語で何と言うのか知らないし、兎に角ホテルに行くことにした。地下鉄に乗り4ツ目Mergelloina駅で降りたら、すぐ裏であり判り易かった。幸いに一人部屋があり、22ユーロであった。暑かったから、シャワーを浴び、2階窓から、下を見たら、姫路の花岡一家がホテルに入るところだった。後で聞いたら、ポンペイの観光を済ましてきたらしい。僕でもそんな時間が取れたのを知ったが、明日の時間を調べていたから、とれなかったことになる。
 夕食は、7時30分というから、海岸へ向かったら、5分ほどで港に着いた。ナポリ港は素晴らしい景色だ。ヨットがいっぱい繋がれていて、湾の向こうには、バスビオスの山や、連峰が見え、こちらの丘には、白とレンガ色の綺麗な家並みが急斜面に段々と建てられている。来てよかった。ナポリ中央駅はあまり綺麗ではなかったが、リゾート地は僕のホテルの周辺だから良いところに来た。
突堤まで歩いて、「対岸の山のどれがバスビオス火山ですか?」と女性に聞いたら、なんと日本語で返事が返ってくるではないか。白人で50歳ぐらいの人である。ナポリのアジア東洋大学の教授で、東京大學に留学していたらしい。専攻は中国、朝鮮、日本の16世紀の歴史と文化を研究し、学生にも教えているという。僕が「先日ヴァチカンに行き、日本の遣欧少年使節団が1680年代にここに来て、直接文化に接したから、感慨深かった」と説明したら、彼女が「少年使節団が来たのは、1582年でしたし、正確には1612年にも来たのですよ」と訂正までしてくれて教えてくれた。
「日本の鎖国制度というのは、私は、完全な鎖国と見ないのですよ」、と自分の見解を持っているようだ。本当に16世紀の日本をよく知っているのに驚いた。長崎の平戸、島原、天草にも行って調査をしたことがあるらしい。そして島原の乱の遺跡発掘にも少々たずさわったというのだ。大感激だ。「隠れキリシタン」の天草についても知っているし、「貴女の研究に役立てば、天草に関するキリスト教や16世紀の天草や日本の状況の資料を送りますよ」と言ったら、大変喜んでくれた。そして、大學の研究室や自分のメールアドレスも書いてくれた。この先生のもとに、毎年、東洋史を学ぶ学生が150人いるというから、僕も手伝いができたら嬉しい。彼女が、明日天気がよければ、「海のメトロ」といわれる対岸を是非廻ってみてください。景色が素晴らしいから。と推薦してくれたから、一日延ばす気になった。日本にもしばしば来るというから、是非家にも来てくれたら、関西を案内しますよと招待しておいた。東京大學の日本歴史の教授は自分が留学していた頃の同級生が多いらしい。
夕食していたら、姫路の花岡婦人がきて「今日はノブさん見えないね、と食事しながら話していたんですよ」と話に来てくれた。明日ローマから日本に帰るという。

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by akinishi1122 | 2010-06-29 07:35 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

忘れてた百合一本の立ち上がり

植えた記憶がなかったが、この梅雨に高々と立ちあがって咲いてくれた

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by akinishi1122 | 2010-06-29 07:21 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

蜘蛛の糸に驚いた児の早起きかな

朝早く蜘蛛が糸を張るのを見ると早起きしてきた。

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by akinishi1122 | 2010-06-28 22:04 | 俳句 | Comments(0)

平和と民主主義の最後の砦

磯村英樹
日本文芸家協会・日本現代詩人会会員
憲法九条は累卵の危きにある「平和と民主主義日本」の最後の砦です。アジア太平洋各地で戦死した戦友たちの慰霊のためにも、アメリカの無差別爆撃で焦土と化した日本全国47都道府県400市区町村で無念の被爆死を遂げた95万人の無辜の魂の慰霊のためにも守り抜きたい。

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by akinishi1122 | 2010-06-28 21:57 | 九条の会 | Comments(0)

元泉佐野市長と元駐レバノン大使




戦争の悲惨さ、生命の大切さを、訴え続けたい

 向 江 昇 さん
    元泉佐野市長、
   「九条の会・泉佐野」よびかけ人
憲法9条は平和外交の原点だ

 天 木 直 人 さん 
     元駐レバノン大使
     イラク戦争支持に抗議して辞職


 昭和20年8月敗戦。当時11歳、小学5年生の私は、台湾台中市にいた。2ヶ月前までは、軍港のある基隆近くの町に住んでいた。沖縄開戦の1年前は、米軍は台湾攻撃に入り、毎日、B25機の空襲で防空壕住まい。通学途中、グラマン戦闘機の機銃攻撃を受け、夢中で溝に飛び込み、九死に一生を得たが、学友数人は死亡した。
 昭和20年、父が病死。同年8月敗戦。日本に引き揚げのため、収容所へ。帰国船を待つこと6ヶ月。アメリカ貨物船で10日間、21年4月和歌山県田辺港に帰国。船中、マラリア等の病死者も続出。毛布に包み、夕暮れ船尾から海中へ。汽笛がボーッと鳴る。今でも耳に残っている。
 母の生家、羽倉崎にたどりついたが、当時の食糧不足は深刻で、母と5人の子どもでは生活ができない。口べらしのため長男の私は、父の故郷の鹿児島へ。10年間、家族と会うことがなかった。
 戦争が普通の市民にどれだけの悲惨を強いるのか、戦争体験者が少なくなっていく中で、孫子に生命の大切さと不戦を訴え続けていきたい。
         (「九条の会・泉佐野」No.1から転載)  米国のイラク攻撃は歴史に残る誤りであった。その米国のイラク攻撃を正しいと世界に公言し、平和憲法を踏みにじって自衛隊をイラクへ派遣した小泉首相に、私は異を唱えた。その結果、私は外務省を去ることになった。しかし私に悔いはない。外務省を去ってはじめて私は憲法9条の本当の尊さを知ることになったのだ。
 ブッシュ大統領の米国は戦争国家になり下がってしまった。戦争国家の唯一、最大の目的は戦争に勝つ事だ。その為にはあらゆることを犠牲にする。自由も、人権も、そして人命さえ、戦争に勝つ為に犠牲にされる。
 そんな戦争国家の米国と同盟関係を強めていく事が正しい外交であるはずがない。それは日本を米国の戦争に加担させ、安全であるはずの日本を危うくするのだ。
 戦争の惨禍を経験した我々は再びあのような過ちを繰り返さない事を決意し、紛争を解決する手段としての軍事力を永久に放棄することを世界に誓った。
 米国の軍事力が世界を対立的な方向にどんどんと進めようとしている今こそ、日本の平和憲法が世界に輝いて見えるのだ。平和憲法こそ日本が世界に誇る最大の安全保障策なのだ。
その憲法9条の精神が小泉首相の手で今まさに捨てられようとしている。政治家もこれを許そうとしている。これを国民の手で食い止める、それこそが今我々に緊急に求められている。

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by akinishi1122 | 2010-06-25 12:12 | 九条の会 | Comments(0)