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70歳の語学留学ケンブリッジ(4)

(4)2005年7月13日(水)午後からロンドンへ
朝早く家を出るために食事をとろうとしたがミッセルは起きてこないし、食事を探していたが、何もない。コーンフレークなどがあるはずなのだが、「朝は好きなように食べなさい」と言っていたのに、何もないではないか。あるのはフルーツだけだ。冷蔵庫を見ても何も無い。だから牛乳だけ飲んで出ることにした。他の生徒はどうするのだろう。一人で出掛けるのだから7時に出たら、迷ってもなんとかなるだろう。隣の人にケンブリッジ駅はどこだろうと聞いて、このバスで間違い無いこと、2回ほど聞かねば不安だった。だがもうこれで一人で通学できる自信がついた。
駅のコンビニに入ったら寿司があるから昼食用に、それにフルーツセット、水など買った。これで55フランだった。これで大方毎日の要領がつかめた。
お金の札はわかるがコインが4種類の釣銭でたまったのが、どれが高いのやらサッパリ解らない。コンビニでもコインを全部出して、その中から店員にとってもらった。だがこれもいつまでも続けられないから、早く覚えねばなるまい。1ポンドは200円相当だという。
教室には、昨日午後休んでいた中国女性も来ている。息子がいてこちらの学校にいるという。18歳の青年というが、この婦人は2ヶ月の勉強らしい。仕事を持っているのに英語が必要なのはなぜだろう。
日本から土産に持ってきた扇子を全員と先生にプレゼントした。日本では、家で100円均一の店で買ってきてくれていたので助かる。僕も初めて開いてみたがなかなか良い仕上げである。だからみんな喜んで早速使ってくれている。隣の夫人はよく英語わかるようだが、主人がフランスにいて、フランス語が出来るから、英語も理解が早いのだろう。
サリーを着ている婦人は6人で、全てモーリタニヤだという。だいたいアラビックは金持ちが多いということだ。石油の産地だからである。*
授業で毎日の生活を質問された中で、僕の番になったら、「4時に起きて日記を書き、百歳の会員にメールを毎日送信している、」と言ったら先生もびっくりしていた。日記を書いている人は居ないようだ。「奥さんに見られたら困るのではないか?」と質問がでた。だから「多分妻は見ないだろう、人の日記を読んでもあまり良い感じをするものでないから」と言っておいた。だが「信じられない!」とわいわい喋っている。彼女らは人に見られると困るから書かないとということらしい。女先生もそんな意見だった。それにしても、毎日百歳の会通信をだすというのは驚きだという。写真を送信するというが、会員はどんな人なのか、またその中に女性は何人いるのか。外人も入れるのか、など聞かれた。外国人が入れるかとの質問は新しい考えとして面白い。
ぜひ門戸を広げたいものだ。日本の中小企業家が中心だが世界に広めてもいいなと気付く。この質問はモーリタニヤの生物の女性教授だった。
昼食用の寿司を買ったのはいいが、食べてみると、米がブツブツで寿司とは外見だけである。サーモンと巻きの中に魚が入っているが、こんなのが寿司といえるか。これを外人が初めて寿司と思い食べたとしたら、おおきな誤解を与えることになるから、店に出して欲しくない、少々腹がたつ。外見ばかりの寿司である。これには日本人は関与していないだろう。見様見真似でどこかの工場で作っているのだろう。
今は真夏だからでもあるのだろうが、若い女性が肌着だけで、腰と上との間にヘソを出して、胸のおっぱいがいまにも見えそうで、半分ぐらい出して歩いている。なかなか魅力的だが、若者の90%はこれである。ロンドンもケンブリッジもそうだ。だが50歳ぐらいの婦人がこんなんで歩いているのに出会ったら、いただけないものだ。しかも黒人ときたらもっと凄い。黒人も結構多いが、口紅を赤くひいているのに、赤がめだたないのにやはり赤の口紅がいいらしい。黒人女性でクラスに20代の女性がいるが、いつもガムを噛みながらの授業をうけている。目が大きくぱっちりとして美人だ。歯が真白くて美しい。黒人の二人とも綺麗。
女性たちはサリーを毎日着替えてくるが、柄だけ変わって形は同である。暑くないのだろうかと思うのだが、頭から腕、足先まですっぽりと着ているが、その上から、僕がプレゼントした扇子を使っている。
今日ロンドンの留学事務所に行きメールや電話のかけかたを習った。これで日本との交信も出来るし家も安心してくれると思う。

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by akinishi1122 | 2009-11-30 11:43 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

風をほめ石を称える紅葉径

昨日姫路の奥の増位山に登ってきました。紅葉や大きい石の貫禄に楽しい汗をながしました。

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by akinishi1122 | 2009-11-30 11:39 | 俳句 | Comments(0)

70歳の語学留学ケンブリッジ(3)

(3)ケンブリッジ語学留学 7月12日(火)一人で初の帰宅
昨日昼寝を4時間ほどしたので、今日は3時半頃目覚めた。日記を書き、それでも(旅日記に2時間)まだ十分余裕があった。朝の明けるのは日本と変わらない。4時過ぎにはもう明るくなっている。夜の暗くなるのは9時過ぎてからだから、夜の短い国だ。学校からの帰り道もバスが30分ぐらいくねくねして解りにくいからやはり今朝もヤセド君に一緒に行ってもらうように頼んだ。
8時30分ぐらいに出たらいいのかなと部屋に居たら、彼がもう登校の準備して僕を待ってくれてるらしいから、慌てた。彼は朝食は家ではとらないらしい。ミッセル婦人は起きてこない。そういえば、朝食はこれでしてくれ、と沢山のコーンなどを出してくれていたが、やはり勝手に食べたら悪いように思い、ミッセルが起きてくるのを待っているのは間違いらしい。言われたそのまま遠慮せづにするものらしい。
7時頃散歩に出た。同じような家ばかりだが、庭には緑がいっぱいである。道路も緑だから気持ちがいい。何の花だろうか、紫が多くバラ、そして西宮の家にある花もいっぱいある。サクランボだろうか大木に実がいっぱい稔っているが、どうやら食べてる様子ではない。この木の下でラジオ体操をして体調を整えることにした。庭は共用で広いが人影は一人もいなかった。バス停は家から2.3分程であるから便利であるが、この路線に乗ってからが地図を追ってもくねくね曲がる運転だから、覚えるのに時間がかかりそうだ。結局二人で出発したが、ミッイセルは起きてこなかった。学校は9時始まり、今日は新顔の女性で50歳ぐらいの人が僕の向かいに座った。「貴女日本人?」と聞いたら「Im,Chaina」ということだ。上品な顔をしていて、竹下景子を思わせる。休憩の時間に聞いたら、山西省の炭鉱に勤めているいという。「雀君鳴」と僕のノートに書いてくれた。Jun minng Cuiと発音するらしい。中国語の発音はオーチーチミンと発音するらしい。煤炭COAL INDASTUY MANAGERというから、炭鉱の所長のようだ。大幹部である。日本だったら大企業の社長並みである。2000人ぐらいの社員がいるという。写真にも納めておいたが、英語についてはあまり得意でなさそうだ。GAVAMENTOというのが解らないといっているが、僕の発音のせいかもしれない。石炭については地下資源を日本と争っているな、と僕が表情で示したら、そうだ、そうだと笑っている。この人とは仲良くなれそうだ。午後の授業では来なかった。午前中だけの授業をうけるらしい。教師にテキストブックを借りれないか。と質問していた。「私は金がないから」と率直に言っているから、中国の元はやはり外国との格差で大分損をしてるのだろうか。
輸出するには得なのだが、いざ外国で生活するとなると、大分損な勘定になるようだ。だから僕と同じ家の中国少年は、父が貿易会社を経営しているというが、個人経営では自由に使えるらしいが、国の職員との金銭の遣い方は大分違うようだ。中国経済のヒズミを目の前で比較できて面白い。中国は社会主義の中でこのように矛盾をはらみながら動いているのだな、とはからずも知る。
我が家の李意君は16歳で留学できるのだし、国の炭鉱の経営者は教科書代を始末するのだから。
今日の授業、朝2レッスンは女性教師、所有格の一人称、二人称、三人称を繰り返しやる。午後は男先生で家族との関係、自分が祖父母と父母、兄弟などの関係を説明するのに必要だから、これらのことを英語で説明できるように教育である。
例によってアラビックは私語が多い。全員がアラビヤ語を喋るから、先生の説明のに「アラビヤ語でいえば。。。。。だね」などと言っているのだろう。
国は違っていてもアラビヤ語が全て通じるのだから、そうなっても当たり前かもしれない。先生が「静かに」と何回も繰り返す。僕だけはポカーンとしている。10人の中の一人だから。
3時15分に授業が終わり、今日は一人で帰宅することにした。ヤセドには大丈夫と言っておいた。自信というのはないが、いつまでも彼にお世話になるわけにはいかあにからだ。
時間も十分あるから、駅まで歩き、学校で地図をもらい説明を聞いたから、その事務員さんは僕の家の近くらしい。バス停も一緒で、「今朝あなたをみかけた」といっていた。だから、下車、と乗るバス停の番号も教えてくれた。
駅前でCity 1に乗ったがくねくねとあまりに曲がるから、どこを走っているか解らない。暫らく走ったところで、運転手に「私の下車するこの住所は、何処で降りたらいいですか?」と聞いてみた。すると「あなたは逆の方向に乗っている、すぐ降りなさい、そして反対の向きのバスに乗りなさい」ということだ。同じCity 1バスでも、巡回するから、必ずしも同じ方向とは限らないようだ。下車したら、またたくさんのバス乗り場があり、地図を見せて3人に聞いてやっとたどりつけた。だから、まだまだなれるまで時間がかかりそうだ。City 1でも行き先が書いてあるらしいから、その行き先が大切だ。この分だと明日は何処行に乗らねばならないか、聞かねばなるまい。同じ学校に行くにも今日と昨日は違うバス停だったのだから。そんなことまでヤセドに聞くことはしなかったからだ。それでも念のために運転席の近くにいて下車停を教えてもらうことにしていたら、ちゃんとここだ、と指示してくれて到着だった。
ミッセルに今日の間違いを説明したら、「あなたは逆の方向に乗ったのね」と笑っている。
朝は少々冷えるが、昼近くになると暑くなる。道を歩くにも木陰を伝わねば、日本以上に暑い。ところが、木陰に入ると爽やかだから面白い。
早速風呂に入り頭を洗いサッパリした。夕食は5人だ。今日からメキシコから2人の高校女生徒が入ってきた。だから都合6人のホームステイになる。焼肉、野菜サラダご飯が出た。僕はご飯は残すぐらい多い。メキシコも高校生だから全部20歳以下の生徒と一緒にいることになる。
まあ体調を崩さないために早く寝ることにする。夕食は9時からだから、遅いようだが、外はまだ明るいから、大分日本と違う感じの夕食である。
息子のToshuaは昨日も今日も裸だ。人なつっこく話かけてくるが、さっぱり解らない。だが遊びはドッチボールをして遊んでやったら、風呂までついてきた。遊んでほしいのである。

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by akinishi1122 | 2009-11-29 20:30 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

三文判忙しくなり年の暮れ

宅配便やなにかと三文判の出番が多くなる年末になってきた

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by akinishi1122 | 2009-11-29 20:26 | 俳句 | Comments(0)

今日の一句

早寝して闇の音聴く神無月

たまに早く寝ると、闇の中で音楽を聴くのも楽しいものだ、少し外は寒いのがいい

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by akinishi1122 | 2009-11-28 10:54 | 俳句 | Comments(0)

70歳語学留学ケンブリッジ(2)

(2)ケンブリッジ留学2005年7月11日(月)初登校
朝は4時前に目覚めた。日記を書いていたら、まだ書きおえないのに、8時前になってしまった。急がねばならないと慌てたがまだ誰も起きていない。
なぜだろうと、後で聞いたら、まだ早いという。僕の時計がアムステルダムの時間になっていて、1時間早かったのだ。ミッセルが朝食を箱に入れたコーンや色々出して、7種類ぐらいの中でどれを食べてもいい、また毎日変えても自由ということで、牛乳と皿をだしてくれた。こんなのが普通の朝食らしいが、たくさんメニューがあるから、好きにとれるから気楽だ。とりあえづ今日は1種類で食べてみた。おいしいものだ。これだと朝食には問題なく慣れそうだ。最初の登校だから、サウジアラビヤの同宿のYazeed、ヤセドと発音していた、ヤセドとは日本語で痩せというのだが彼は逆でまるまると太っている小、小錦のようだからおかしくなった、いずれ、本人にも日本語の意味を教えてやろっ!と
彼は17歳という、もう2週間ここに滞在してるらしい。彼に僕を学校まで送ってくれるようミッセルが頼んでくれた。
8時半に家を出た、バスは20分ぐらい乗るが、市内循環バスで(sity 1)というのに乗るそうだが、切符は1週間単位がよかろうと、回数券を買った。95ポンドだが、これを運転手が販売している。今後は見せるだけでいいらしい。同じバス停に日本人女性がいたので、彼女は来て1週間になるらしい。別のバスに乗りこんでいった。日本人の学生も大分いるようだ。
バスの中にはレンブラントの絵のような美しい学生が乗りこんだり、僕の前の席の娘も素肌の美しい、鼻がツンとして鼻の穴が少々上を向き、大きい鼻だが実に美しい。ここは若者の街だ。学生がほとんどで小学生の女の子がまた可愛らしくて素肌と眼が良い。なんて素晴らしい所に来たことか。と思うことばかり。
街道が緑がいっぱい、空気が綺麗、同じような家並みだが、全然気にならないし、むしろ、これがこの街を美しくしている。何回も曲がり、まがりしたから大変だ。降りてからも曲がり曲がりして10分ほど歩いて学校に着いた。これではとても一人では帰れないだろう。だいいちバス停まで帰れるか、そしてどこのバス停で下車したらいいのか、ヤセドが連れてきてくれてよかった。
Regento Canbuligi の看板は娘がいたブライトンと同じで、日本の学校といったイメージではなく、邸宅のようだ。
もう学校では僕の名簿が出来ていて、今日のクラス分けテストが用意されていた。15・6人いる生徒は全て白人で男性はもう一人の少年だった。
40問ぐらいの質問に、AからDまでの答えを○で囲むのだったが、後半は意味が解らず、完全にはできなかったから、多分一番下のクラスになるだろう。それは覚悟していて、それからやり始めなければ、僕の英語は幼稚だから、それにしても、こんな白人が英語の勉強に来るとは、どこの国の人だろう。どうもペラペラ会話しているところをみると、レベルの高いクラスかも知れない。だから喋っている言葉が英語なのかどうかも解らない。若い女性たちばかりで、おそらく高校か大学生ぐらいの感じだ。
レベルが決まって行ったクラスは、さすがに、さっきの生徒たちは一人もいなかった。
僕のクラスはサリーを着た婦人が5人、黒人の婦人でTシャツが一人、男性は僕以外に3人合計10名のクラスになった。じ自己紹介を一人一人したがモーリタニヤということが聞きとれただけで、特定できる人は一人も覚えられなかった。だが全てアラビックに違いない。高齢で多分60歳に近い女性のサリーの婦人は、教師だということはわかった。40代の女性でいずれもサリーが3人、それ以外の女性は黒人だが、20歳前後だろうと思う。サリーの女性で、向かいに座った婦人の写真を撮ろうとしたら駄目といわれた。宗教的な点があるのかもしれない。
第一授業は、女の先生で、一人称、二人称、三人称の使い方だった。午後は別の先生で、always,,samtime,usually,never,の使い方だった。なるほどと思う、日頃よく会話に使うことばかりで、基本になるからだろう。授業中よく喋るのはアラビヤ語で互いにやっているから、娘の留学でも報告があった、ガヤガヤはこれだな、と解る。アラビヤ語は20カ国同文字、同音だから、なんでも通じあって話している。国が違っても言葉や文字が共通していれば、こんなアラビックを相手にキリスト教文化のアメリカがどんなにイラクを叩いても彼らの共通の宗教と言葉がこれだけ密接なのに、心をつかめるはずがないと感じる。アメリカ、イギリス、日本などは、ドンキホーテみたいな感じがする。
昼食はどうしょうかと、一人で歩いて入った店に丁度ヤセドとそのグループに居た。
そこに同席させてもらったらイラン人の店だという。イラン料理だから、ヤセドに任せることにした。すると自分たちのは辛いから、と僕にはハイシラシスみたいなのを注文してくれた。肉が入っていて、やはりハイシライスの感じだ。それをご飯にぶっ掛けて食べる。美味しいとは思わないが、食べれないことはない。これにファンタを1缶とって5,5フランだった。ヤセドとその友人の分を払おうとしたが、受け取ってくれず、全て個人精算でしてくれた。ヤセドの仲間はそれぞれ国は違っていても、言葉で通じあえて、友達になったのは、ここに来てかららしい。ドバイからという生徒だけは自分で教えてくれた。また僕のクラスのサウジアラビヤも一人入っている。写真を撮ったので各人に送ることにした。ヤセドが帰りは一人で出来るか?と聞いてくれたので、自信ないと言ったら、授業が終わったら玄関に待っていなさいといい、つれて帰ってくれることになった。外は暑いしとてもバス停まで帰れる自信、がない。またバスに乗れたとしても、家のバス停がどこなのかそれもはっきり覚えていない。もうこの際ヤセドに頼るしかない、もし彼がいなければ、タクシーしかなかったかも知れない。帰りは違うコースの道を歩きバスに乗る。鉄道の駅前だ。ここは今朝来たところと違う、だから、また混乱した。こんなんだったら明日もヤセドに連れてもらわねばならないかもしれない。
ケンブリッジがこんなに大きな町とは驚いた。日本みたいな派手な看板や広告がないから、目印になるものがない。いずれの建物も古い似たようなものばかりだ。帰宅したのは4時ごろ、子供のToshuaが一人でテレビを観ていて、僕にしきりに話かけてくるのだが、さっぱり解らない。ここの子との会話がスムースに出来るようになったら、一人前になるのだろうが、子供は僕の語学力などお構いなしだ。だから勉強にはなるかもしれない。可愛い白人の7歳の坊やだ。
眠くてたまらないので、5時に床についた。目覚めたのは9時だった。時差ボケである。ミッセルがすぐ夕食を作ってくれた。鶏肉と野菜炒、それに味つけご飯。この家の脂は苦痛にならない。オールドパーを持ってきたから、水割りで飲んで食事した。蜜柑やバナナもあるから、自由に食べなさいといわれたので安心だ。ヨーグルトもいただいた。食事はこれで十分だ。他の生徒はそれぞれにもう夕食は済んだらしい。
ロシヤ人のステファン16歳、中国の李意16歳、彼はドイツ語も習っているらしい。英語は大分出来るようだ。中国語だから筆談だったら彼とは通じあえる。僕の電子辞書の7ヶ国語をみせたら、「なんだこれは、メイドイン、チャイナと書いてあるではないか」。と言っている。ここで2年間勉強してできればケンブリッジ大学に入りたいらしい。ロシヤのステハンは総合技術を学んでいるらしい。シベリヤから来たという。背が高く180センチはありそうだ。ここに来るのだから、父は相当な収入がある家族に違いない。李意君はお母さんがドイツ語ができるらしい。まだあどけない顔をしているが、好感の持てる少年だ。これらの会話はすべてミッセルが助言しながら、解説してくれたから、ホームステイの値打ちがこんなところにある。学校で学びこの家庭で実使用を訂正してくれる、こんな好条件は日本ではとてもできないから、来てよかった。毎日これが続くのだから、効果は相当期待できると思う。学校ではエクスカーションといって毎日小催や土日は小旅行を計画してくれるらしいから、慣れたら是非参加したいと思う。

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by akinishi1122 | 2009-11-28 10:45 | 旅行 | Comments(0)

70歳ケンブリッジ語学留学

ケンブリッジ語学留学 2005年7月10日(1)

まずヒースロー空港に着くまでに、座席の隣にIM子さんという女性が居合せたことが考最高の幸せだった。彼女は家の娘とほぼ同じ年代のようである。イギリス人と結婚し7歳と5歳の子供がいるという。ロンドンの郊外に住んでいて夫が高校の教師をしているらしい。自分は子供が学校の間パートのようなのを二つばかりしていて、育児の資格があるから刑務所の受刑者の女性用施設で入所している受刑者の子供を育てる仕事。他にボランテイアの資格がありそれで家庭を夫と共に支えているらしい。
「イギリス滞在中で困ったことがあれば、いつでも来てください」というので「電話でよければ相談させてください」と頼んでおいた。僕が70歳で留学することで自分の父は1944年生まれだが、とても比較にならない。と驚いている。だから役にたつことがあれば手助けしたいという本当の心遣いである。
今度の帰国は祖母の危篤のためで、今日も含めて3日間の日本滞在だという。祖母は88歳で昨日亡くなられ、今夜が通夜だというが、意識がある間に会えてよかったという。子供をイギリスに残しているため、急いでの帰国である。だから昨夜は寝ていないので、少し話しただけでアムステルダムに着くまで眠っていた。なかなか好感のもてる人である。
アムステルダムで乗り換えが気になっていたが、一緒に乗り換え搭乗口まで連れてくれ、出発1時間前に落ち合うことになった。
その間に僕は空港のカウンターバーで、日本人が経営するにぎり寿司とビールを飲む。日本円で2800円だった。まあまあ美味しい。時間つぶしだった。外人も次々にカウンターに座り、寿司も一般化されてるようである。
いつも海外では、飛行機の食事が僕にはあわないのだが、今回の機内食は豚肉をご飯の上に載せ、ちょうど鰻弁当のような味であったので美味しくいただけた。
待合場所に行ったら岩重さんも帰っていた。時々飛行機の時間や場所が変更になるというが、案内板に次々に表示されているから、間違いないということだった。大きな空港でそんなに歩かなくても表示板がたくさんあるから、僕のはHrowと掲示板にはでていて、それがいくつもある。だから岩重さんがいてくれて本当に助かった。アムステルダムのその待合室で出発ギリギリで彼女と一緒の写真も撮らせてもらった。一人旅でこんなに親切にしてもらった最も印象に残るであろうこの人は残しておかねばならない。
アムステルダムからイギリスまで1時間15分ほどだが、彼女はずっと前の席で、僕は真ん中ぐらいだった。「ヒースローに着いたら出迎えの人が来るまでお付き合いします」と待ってくれた。また自分のアドレス、Emeiruも全て書いてくれた。そして「いつでも来てください、お役にたつことがあればいつでも電話ください」と重ねて言ってくれた。7月31日から8月28日まで家族全員で日本に帰っているから、それ以外であればいつでも、とのことだった。大変心強い保護者ができた思いだ。
スイスのBurryからも出発前からメールがくるし、本当にみんなで見守ってくれていることが嬉しい。この岩重さんは今日知り合ったばかりなのにこんな親切だとは、この旅の成果が大成功するだろうとの予感だ。ヒースローでは日本人スタッフが迎えにきてくれ、社のマークで僕もすぐ見つけることができた。タクシーの運転手も一緒だという、ロンドンの事務所のこと、地図など手際よく説明してくれ、タクシーにはもうチップは払ってあるから、なにもする必要はないという。
ケンブリッジまで約1時間半100㌔を走ってくれるというから相当な金額になるだろうが、留学会社Wishuに頼んでよかったと思う。この話を見ていて岩重さんは出迎えに主人と子供たちと、「さようなら、気をつけてください」と挨拶しに来てくれた。
7歳の女の子は大変可愛らしい子だ。下は5歳で男児だったが、主人には気付かなかった。女児は本当に可愛らしく「おしん」のような顔をしていた。
タクシーの運転手は50歳というから、随分老けて見える。鼻髭もはやしている。1時間半ほどの車の中だが、自分から話し掛けてこないから、僕が次々に質問したら、応えはしてくれる。小麦畑が続き高速道路なのだが、この小麦というのを引き出すのに苦労した。ブレッドの草か?とか、畑のことをフィールド、とかアースとか、グラウンドとか、生えている植物は何か、などと質問してやっとパンの原料元だというところまでたどりつけたのだから、運転手も大笑いである。
ケンブリッジまでの距離は100㌔ぐらいというが、平原が続いて一面が小麦畑だ。空から見ると土の色をしているから何だろうと思っていたら、小麦が色づいて黄色になっているということだ。一面の小麦だから土に見えてくる。そして背はあまり高いようには見えない。パン食の国だから小麦が多いのは、さもありなむといえる。日本の方が異質ということだろう。日本人は毎日パンを食べていながら、パンの原料を知らないで過ごしているうかつさを知る。
ケンブリッジに着くまで交通信号がほとんど見当たらないほどの農村地帯だから、なぜ交通信号が無いのか?と聞いても返事がない。何回も聞いたら、それは、車が農村では少ないからそんな必要はない。という、ガソリンがイギリスではいくらするのか?聞いたが、どうもガソリンというのが通じない。僕はガソリンというのは英語だと思っていたら、ペトロのことか?と反対に聞きかえすのだから、こちらではペトロと言うらしい。解らないはずだ。ケンブリッジには公園が多く、空気が濁っていない。本当に来てよかったな。ケンブリッジに決めて良かったな、と街に入って意を強くした。
ケンブリッジ大学のキャンバスは公園の中に見える。僕の学校も公園の中にあるようである。「ここがあなたの学校だ」と教えてくれた。僕の下宿はどんなところであろうか、ワクワクして走る。
家に着いた。Ms Mishellさんが笑顔で迎えてくれた。この瞬間から、この人は僕とうまくいきそうだ、と感じた。親しみに満ちている。話してくれるのがゆっくり、僕が解るように話してくれる。中国人、ロシヤ人、サウジアラビヤ人が一緒の家で、いずれも語学学校生らしいことも説明してくれた。そしてサウジの生徒が僕と同じ学校だから、明日あなたと一緒に行かせる。とも言ってくれた。
ミッセルは43歳で子供が7歳の男児であるらしいが、まだ合っていない。
夕食を僕のために作ってくれていたが、皿洗いは自分でしようとしたら、「残飯を捨てるだけでいい、洗うのは私の仕事だから」と言ってくれ、気持ちが楽になった。
その後彼女の友人が訪ねてきた。その人にも挨拶して、日本から持ってきた団扇をプレゼントした。するとこのお客さんが、僕の部屋まできて、
コンセントの使い方など教えてくれる。だから随分親しい関係なのだろう。ミッセルに、家で用意してくれた日本の浴衣、下駄、帯などをプレゼントした。着てくれるかどうかは解らないが、大変喜んでくれている。彼女の年齢は聞かないように信顕から言われていたから、聞かないようにした。信顕の話によると、結婚しなくて、子供だけ欲しいという婦人もいて当たり前の時代だからだそうだ。子供にも浴衣をプレゼントしておいた。
部屋は1階で冷房もいれてあり、快適だ。洋服掛け、整理棚もある。洗濯物入れがあり、ここにいれておけば、何日かごとに洗ってくれるらしい。
洗濯は気になっていたが、これも解決。だが下着だけは自分で洗おうと思っている。
理香からメールが入って「アムステルダム、ヒースローからのメール着いたけど、こちらからのは着きましたか?」
と着ていたので、ぼちぼち携帯メールを自由に使えるように練習しなければなるまい。

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by akinishi1122 | 2009-11-27 18:21 | 旅行 | Comments(0)

今日の一句

後ろ向きでバイバイする児寒空に

孫は後ろむきのままバイバイと父の車に乗り込み寒い夜の中に消えていった

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by akinishi1122 | 2009-11-27 09:15 | 俳句 | Comments(0)

私も決意しよう  小6年 高山唯

夏休みには戦争に関する本を読もうと思うっていた私は、図書館で「ガラスのうさぎ」という題を目にしたとたん、6月に修学旅行で訪れた原爆資料館で見た光景が思いだされたからだ。
主人公の敏子は、そのとき天皇への忠誠と戦争に勝つことを第一とする教育が行われる国民学校6年生だった。
「日本の国は米英軍からアジヤを守るため戦っているのだ。一億一心となって米英軍の侵略を防がねばならない。みなさん国を思い、天皇陛下に忠義をつくせ」とおしえられていたので、敏子はただ純粋にそう思っていたのだそうだ。
私は、私と同じ6年生の敏子たちが同じことを考え、同じ行動をしていることにおもわずぞっとしてしまった。もし私がその時代に生きていたら、私も敏子と同じように何の疑問も持たず、忠義をつくすのが当たり前と思いこんでしまったかもしれないと考えると、急にこわくなってしまった。
戦争が始まると、食べ物の配給制度がはじまった。米は一日に一合、およそコーヒーカップ一杯ぶんしか渡されなかった。もちろん衣服も自由に買えなくなった。
今の時代に、また戦争がおこったとしよう。今のように真っ白いお米が食べられるのだろうか。肉も魚もおなかいっぱい食べることができるだろうか。衣服も自由に買えるのだろうか。
私には、手をのばせばいつでも欲しいものが手にはいる今の生活が無くなるなんて、とても考えられなかった。
1945年3月10日の東京大空襲で12歳の敏子は母と妹を失った。その焼け跡には、ガラスのうさぎが燃えさかる炎に身を焼かれながらも戦争の悲惨さを見つめ続けていたという。そのガラスのうさぎを想像するたびに、私は広島の資料館でみた光景を思い出す。
っ原爆の熱線で焼けこげたボロボロになった洋服、真っ黒にこげてしまったお弁当箱、ぐにやりと曲がり、溶けてくっついた一升ビン。
それらは、ものを言わないけれど私の心に戦争によって苦しんだり、悲しんだりしたした人の思いをうったえてきた。東京、広島、場面は違っていても、戦争がもたらすものはどこも同じなのだ。
家族を失った敏子は、決意している。
戦争は人と人との殺しあいだ。私たちが大人になった時の政治は、みんなで話あって決めよう。
戦争はどんな理由をつけようともやってはいけないのだと。
私はいままで言いたいことがあっても、何も言わずにすませてきた。誰かが代わりに言ってくれるのを待っていた。私も敏子と同じように決意しよう。私の周り何かあったとき、勇気を出して、みんなの前で、自分の意見を言う努力をしたい。
その第一歩が戦争をやっていけないという敏子の思いにもつながるような気がする。
この本を読んだ今は、それができそうな気がする。

(毎日新聞読書感想文阪神版11月25日より)

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by akinishi1122 | 2009-11-26 09:25 | 九条の会 | Comments(0)

今日の一句

又来てと孫帰したり寒き夜

夜遅くまで帰りたがらない孫を帰すのも淋しいものだ

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by akinishi1122 | 2009-11-26 08:38 | 俳句 | Comments(0)