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フランス・スペインの旅(33)

フランス・スペインの旅(33)3月5日 地中海沿岸バレンシア
バルセロナをTGVで10時30分に乗る。4人掛けの席にスペインの婦人と一緒だったから、今日のバレンシアのホテルは決まっていないし、早速彼女にホテルに電話して予約してもらった。丁度彼女もバレンシアの人というから町の様子も詳しいし、僕のホテルも歩いて行けるところだ、と地図で歩くコースまで示してくれた。
地中海沿岸を左手に、右手は畑や山、住宅が多い。13時丁度に着く。
すると駅前がえらい人混みでなんか祭りのようだ。なかなか歩けない。爆竹のような音とともに、音楽隊であろうか、その行進らしいのを人垣を作っているから、僕にはその様子すら見ることができない。
ホテルまで、15分ほどで着いた。4階に案内してくれた若い女性は、僕の大きなスーツケースを一人で運んでくれた。部屋は4人部屋で、なかなか明るい。ベッドも清潔、それに安く、15ユーロである。
早速市内観光バスに乗る。14ユーロ。目につくのは駅のすぐ隣にある闘牛場だ。ここはすスペインでの一番大きいらしいし、スペインといえば闘牛が象徴されるぐらいだから、外から建物を観るだけでも大きいし、甲子園まではいかなくてもそれに近い人が入る建物だ。ここはマドリードから一番近いビーチリゾート地帯らしい。たくさんの教会や美術館がある中に、最近企画された近代建築のミユージアムも大きな敷地で沢山の近代アートの外観がある。日本語の解説がテープで説明してくれているが、カテドラルという大聖堂は世界遺産というが、下車していないから、あまり記憶にない。
夕食はご飯に黒貝、海老、などが豊富にはいり、味のついた熱々の料理にビールを飲む。なかなか美味しい。信顕が時々作ってくれるあの、米から炊き上げる料理だが、信顕の作る調理のほうが美味い。だがこちらではパン食べているから、熱いのがなによりの御馳走だ。
夕食後ホテルに帰ると、昼駅前で会った日本女性が一人で食事していた。彼女は駅で見たとき大きい物を持っているから、聞いたら、「琴」だという。そして、街頭で演奏するためにきたという。驚いたが、まさか一緒のホテルに来たとは偶然だ。
彼女が食事終わるのを待って、外でビール飲みに誘った。
なるだけ大勢の賑やかなパブに行こうとしたら、さっき僕が食事したパブだった。彼女は29歳で音楽大学で琴を学び、世界に演奏旅行もしてるという。そして天草の御所浦に友人がいて、天草に何回も演奏に行ったことがあるという。大きな琴を持参するから、車で天草まで行き、天草の本渡、下田、鬼池も知っていた。こんなスペインで天草の関係なある人と会うなんて奇遇だ。
両親が音楽家で父はフルート奏者、お母さんは作曲家らしい。いま彼女はヨーロッパの演奏を街頭でしているが、これはおそらく日本人で彼女だけだろう。この勇気に感激している。最初どこで演奏し始めるかの判断や勇気がいるらしいが、それは、僕がホテルの予約のキッカケをつかむための話かける時の心の状態と同じだし、僕が企業を起こした時の心境と全く同じなので、僕の経験を披露し参考にしてもらってもいいのではないかと、話がはずんだ。
彼女の話を聞くと、僕の物事にたいする考えと非常に似かよっている。彼女は今、街頭でしかも外国でやっているが、これは必ず大成功するだろうと思う。大体経営者の成功する人たちを観てきた経験からすると、考えがいつも積極的で、行動的だし、そのパターン
で動いているから成功間違いないだろう。
ホテルに帰って大分遅かったが、彼女が琴の演奏をしてくれたが、これは大した演奏で街頭で弾くのは勿体ない。イギリス、オーストラリヤの若者も感激している。これでみんながなかよくなった。
そこえ早稲田大学院を卒業する2人の青年もきた。一人は生物学の専攻で製薬会社で薬の開発が決まり、もう一人はコンピューターの専門で銀行の管理部門にきまったという。
なかなか良いで出会い
のホテルだった。
明日地中海をもっとポルトガルの方向に進もうと思ってホテルを探してもらったが、田舎にはユースがないらしいから、もう1日ここにいて明日は日帰りで行ってくることに変更した。

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by akinishi1122 | 2009-03-30 09:51 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(

フランス・スペインの旅(32)3月4日 バルセロナ市内観光
TGVでサラゴザを発ったのが10時55分、バルセロナに着いたのは12時45分だ
った。雨である。南に来たはずだったが、少し冷える。バルセロナのホテルについては列車のなかから、自分で予約ができた。
駅前に市内観光バスが来たのでとりあえず1時間半ほどの観光にでる。バルセロナは1880年代と1992年の2回オリンピックが開かれていて、そのために市民がボランテアで会場を建設したという、市民にとっても誇りにしているらしい。僕はフランコ独裁の軍事政権だったころ、スペインについては、あまり良い印象でなかったから、スペインに関することは、あのドンキホーテの人物を、社会を見るとき、無知のセッルバンテスが、が風車に向かってた戦いを挑むという極端な話で風刺として社会をみるときに例として使かったことがある。k君の結婚式の挨拶でドンキホーテ的な勇気と世間を知らない情熱の純粋な人間として褒めることが半分を意味したとき引用したことがあった。
万博やオリンピックのために整備された都市区画を中心に、ずっと下車することなく、バスだけで、バルセロナ名物のサグラダ・ファミリヤ教会もバスの上から観るだけになった。
フランコ独裁政権時代はカタルニヤ地方の言語を禁止していたから、その反発を表示していまではその反動として、スペインでありながら、看板など宣伝物にはカタルニヤ語を使っていることが多いらしい。
ホテルに着いたら、日本人の青年と二人のだけの部屋だから、気持が楽だ。10時頃パソコンを打っていたら、4人の日本人だけで飲んでいたから、僕も中間ンに入れてもらった。一人の女性は彫刻家で28歳、いまイタリヤミラノで勉強していて、ホリデーできている。もう一人の男性はグラフィックデザイナーをめざし、各地に美術館をまわり、勉強中。早稲田のK君は大阪の船井総研に就職が決まり、コンサルタントを学ぶらしい。関西大のT君は建築学部を出たが、デザインの会社に就職がきまっての卒業旅行らしい。
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by akinishi1122 | 2009-03-30 09:44 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(32)

フランス・スペインの旅(32)3月4日 バルセロナ市内観光
TGVでサラゴザを発ったのが10時55分、バルセロナに着いたのは12時45分だ
った。雨である。南に来たはずだったが、少し冷える。バルセロナのホテルについては列車のなかから、自分で予約ができた。
駅前に市内観光バスが来たのでとりあえず1時間半ほどの観光にでる。バルセロナは1880年代と1992年の2回オリンピックが開かれていて、そのために市民がボランテアで会場を建設したという、市民にとっても誇りにしているらしい。僕はフランコ独裁の軍事政権だったころ、スペインについては、あまり良い印象でなかったから、スペインに関することは、あのドンキホーテの人物を、社会を見るとき、無知のセッルバンテスが、が風車に向かってた戦いを挑むという極端な話で風刺として社会をみるときに例として使かったことがある。k君の結婚式の挨拶でドンキホーテ的な勇気と世間を知らない情熱の純粋な人間として褒めることが半分を意味したとき引用したことがあった。
万博やオリンピックのために整備された都市区画を中心に、ずっと下車することなく、バスだけで、バルセロナ名物のサグラダ・ファミリヤ教会もバスの上から観るだけになった。
フランコ独裁政権時代はカタルニヤ地方の言語を禁止していたから、その反発を表示していまではその反動として、スペインでありながら、看板など宣伝物にはカタルニヤ語を使っていることが多いらしい。
ホテルに着いたら、日本人の青年と二人のだけの部屋だから、気持が楽だ。10時頃パソコンを打っていたら、4人の日本人だけで飲んでいたから、僕も中間ンに入れてもらった。一人の女性は彫刻家で28歳、いまイタリヤミラノで勉強していて、ホリデーできている。もう一人の男性はグラフィックデザイナーをめざし、各地に美術館をまわり、勉強中。早稲田のK君は大阪の船井総研に就職が決まり、コンサルタントを学ぶらしい。関西大のT君は建築学部を出たが、デザインの会社に就職がきまっての卒業旅行らしい。
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by akinishi1122 | 2009-03-30 09:40 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(31)

フランス・スペインの旅(31)3月3日 サラゴサへ
10時22分の列車に乗る。今までの列車と違い、なんか、古びているし、ファーストクラスでも座席に備えつけのテーブルが無いからパソコンが打てない、それに座席もフランスの普通車並みである。席は空いているから自由に座ることができる。それなのに座席指定の料金が10,5ユーロと高い。
通路を隔てた隣の席に上品な60歳ぐらいの婦人がいたから、サラゴサのホテルの予約をお願いするためには、最初のタイミングが大切だと思っているから、すぐ話しかけた。するとこの婦人もサラゴサ行きらしい。英語はあまり出来ないが、僕の要件はなんとが理解してくれ、「僕はスペイン語が出来ないから、このホテルに予約お願いできませんか?」と言って、僕の電話をさしだして頼んだら、丁度車掌が通りかかり、車掌は英語ができるからホテルとの電話中に彼が通訳してくれた。ユースホステルが休みなので、安い次のクラスに電話してもらったのだから、少しぐらい高くても仕方ないと思っている。すると朝食もなしで35ユーロで決まった。この婦人も心よく電話してくれ、助かった。少々強引でも自分でこみ入った話は英語でも出来ないから、まして相手がスペイン人だから、機敏に、しかもあつかましく、でなければホテルが取れないことの方が問題が起こる可能性が多いから、強引さは勘弁してもらうことにしている。だが、相手も嫌がる人は一人もいなかったから、現地の言葉が喋れない人に頼まれたら、世話をしてくれるのは、こちらが気にする程はないということがわかる。要はこちらがもたもたしていることが返って相手に対して変な気持を与えると思う。そのために日本の漢字のはいった靴下のプレゼントが役にたっている。彼女も辞退していたが、「グラシアス」と言って笑顔で受け取ってくれた。
これでサラゴサでの泊るホテルが確保できたから、そのことを家にメールしておいた。
今日は雛まつりだから、きあら、まなちゃんへ「きょうはおひなまつりで、みんなとおいわいしてるでしょうね、みんなのたのしいえがおがみえるようです、のんのより」とメールを入れておいた。
列車の外はフランスよりも暖かそうで、畑や野原に緑が幾分でだしてきた。

野焼草風に色付けたなびけり    畑の野焼が、のんびりとするものだ
春来ると百姓野焼活きてをり    ぼちぼち畑仕事にとりかかる準備か
グラシアス小春日街の二度三度   ありがとう、という言葉を使っている
春の風風車を止めて休みをり    スペインも風車が多いが今日は止まっている

サラゴサまでは4時間ほどで着いた。進行方向の左側の遠くに山脈があるが、ピレネーかと聞いたら、違うらしい。ピレネーは地図で見ると相当遠いし、もっと高いに違いない。
右の高い山には随分雪が積っている山もあった。フランスでは見かけない風景である。
サラゴサの駅からは、市内までタクシーが便利というから、乗ると案内に書いてあった通り7,5ユーロで行けた。
市の中心のピラール広場に面したところにホテルはあると書いてあるから、探すのは楽だった。
ピラール広場がメインらしいが、さすがに大きく長さ150m、幅50m、高さ30mぐらいあるし二つの教会が繋がっているような作りである。そして屋根がドームになっているのは、イスラム文化との混在であるらしい。そのドームの屋根はタイルで出来ていて、カラフルで青い銅の色をしている。ここは古くて紀元40年に最初の建造があつたらしく、その石の一部で柱のことをピラールと言うらしい、早速市内バスに乗り、市全体の様子を見ることにした。
人口が59万というからかなり大きい、スペインの第5番目の都市らしい。昔は独立していて、フランスの侵入もあったというから、日本と違いヨーロッパは国境が幾たびか、変わることが多い。たしか1934年ころ選挙により、人民戦線の内閣ができ、王が退任したのに、軍部がクーデターを起こし王を復活させたように歴史で学んだ記憶がある。それが20年ぐらい前まで軍事独裁が続いたと思う。だからいまでも国王がいるはずである。地図を観ると列車が4ツの方向に発車するから、交通の要点でもあるようだ、マドリード、バルセロナ、ビスケー湾などにも分岐している。だが日本では僕はこの土地の名前は初め聞く名前であった。
部屋は一人部屋で、全て完備され、完全に自由に使えるから、35ユーロとしては安いと思う。それにしても日本のホテルは高いように思う。ユースでなくても日本円で4000円しないのだから、日本のホテルも考えなければなるまい。
夕食にハンバーガー、生ビールをとったら、5ユーロだった。10ユーロ以上はすると思っていたが、安い。面白いのは、立ち飲みしている人は、もっと安く支払っているようにみえる。
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by akinishi1122 | 2009-03-30 09:36 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(30)

フランス・スペインの旅(30)3月2日
今朝ホテルのカウンターでスペインのホテルが予約できないか、と聞いたら、すぐ手配をしてくれた、国境を超えるから、どうかな、と思っていたが、ここから10kも離れていないほど近いからだろうか、僕の電話は使わずにホテルの電話でやってくれた。だから即スペインへ発つことに決めた。今朝は雨だし、本当はもう1日ここにいて、スペインでのホテルなどを決めてから、ゆとりを持って動こうかと思っていたが、頼んでみるものだ。ホテルからは「坂を上らねば駅まで行けないので、タクシーを呼んでくれないか」と頼んだら、ここの女性支配人が「タクシーは高いから、内のスタッフに送らせますよ」と言ってくれた。雨だし本当にありがたい。僕にしては、ホテル代は安いし、これ以上サービスなど期待もしていなかったので涙がでるくらい嬉しい。
国境を超える列車だから、少ないのか、2時間ほど駅で待たねばならなかったが、昨日の日記などパソコンに打ちこんだり、ビールを飲んだりして駅のレストランで時間を潰すのにいい具合であった。
国境の町まではTGVで45分ほどで着き、そこからいよいよスペイン行きの電車だ。この電車の終着駅がスペインに入った初めての駅である。入国管理人も来ないし、全くどこが国境だかスペインに入ったのか気がつかない。これがヨーロッパ統合EUのいいところであろう。それだけこの国々が信頼しあっていて、経済も格差がなく、バランスが取れている証拠であろう。このEUが成功したので、東南アジヤ経済圏ASEANや中南米経済圏などの動きに進展したのであった。このようになれば、戦争や争いも起こらないし、早くこうなりたいものだ。同じ国のように、フランスの学生や、おばさんあたりでも自由に往来しているが、「貴方がたはパスポートは必要ないのか」と聞いたら、学生が「パスポートなど使ったことない」という返事だ。
ただTGVでは終点で小さい電車に乗り換えねばならなかった。TGVの車掌に乗り換えを聞いたら、終点から3分ほどのところに駅で、そこまで案内してくれるのだから、これも親切だ。日本でこんなことがあるだろうか。日本は時間に規制されて、人情の入り込む時間やシステムがないのからこんな暖かい触れ合いができないのだろう。
また僕が国境を超える電車に乗り込む時、尋ねた女性は離れた席にいたのに、「自分は先に降りるが、この人は○○駅まで行くが、誰かその駅まで行く人はいませんか?」と僕の降りる駅まで行く人を探してくれる。
外国旅行は景色を観るのも楽しみだが、毎日知らない人のこのような親切がそれ以上に心に残るから、僕の場合の外国旅行の魅力はここだとおもう。
スペインに入った。雨である。「地球の歩き方」本によると、(駅から24番のバスに乗って終点で降り、そこから歩いて5分)と出ていたホテルなのだが、その24番のバス停がなかなか見つからない、雨だし、傘をさしてのスーツケースは歩きにくい。それに昨夜食べたピザが原因か、少々お腹の調子がおかしく、トイレが近くなっている。
だいぶあちこち探していたが、若い女性に24番のバス停を聞いたら「自分は知らないが、近くに警察署があるから、そこまで案内してあげる」といって連れてくれた。
僕の行き先を説明して、バトンタッチしてくれたかと思うと玄関に置いていたスーツケースを僕のところまで運んでくれたかと思うとそのまま去っていくのだ。
警察も親切で地図を持ちだし、詳しい地番まで調べてくれ、「バス16番に乗り、ここで降りなさい」と印をつけ、乗るバス停まで教えてくれる。
この地図を持ってバスに乗ったら、僕のホテル前でちゃんと止めてくれた。こんなリレーで僕を送り届けてくれたのだった。
ホテルの受付は僕を見るなり「ヨウコソ、イラッシャイマシタ」と日本語で言って、にこにこして迎えてくれた。今は居ないが日本人が時々くるらしく、その若者に聞いたらしい。
ホテルの外見はスイスの民家みたいな、柱や筋違いなどが壁から露出した造りだ。坂の中腹の道沿いに建ち、部屋からは、今通ってきた湾が見える。なかなか良い位置にある。
湾の真ん中に島が浮いている。地元で「ビスケー湾の真珠」と呼んでいるらしい。19世紀にはハプスブルグ王家の保養地だったというから、湾を砂浜で囲んでいて、湾の両端には高い丘があり、そこにはケーブルカーがついて、観光客を集めている。あいにく曇りだったので空と海のコントラスオの美しさというのは見られなかった。砂浜沿いに歩いたら、公園の裸木に新芽が膨らみだしている。もう春であろうから、日本とそんなに変わらないのではないか。
人口は18万というから、かなり人が多いし、パリなどのビルと何ら遜色ないと思う。
街の中心は川を挟んでビル街だが、そこの中心にはやはり教会がある。
柳の芽吹き出している佳き日かな  
この句を献納してきた。
中央駅で明日の予定のサラゴサ行きの列車の予約をしてきた。バルセロナまでだと夜の7時半ぐらいに着くし、ホテルを探すのに困るから、途中で一泊することにした。ところが、ホテルが取れるかどうかまだ分からないのだが、なんとかなるだろうと思い、宿に帰ってサラゴサのホテルに電話してもらったら、3月休暇で開いていないという。これは困った。だから明日は第一番にホテル探しだ。
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by akinishi1122 | 2009-03-29 20:40 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(29)

フランス・スペインの旅(29)3月1日 ボルドーからビアリッ
朝立ちにコック林檎を持たせけり  昨夜のコックさんが青林檎と飴を一握りもたせてくれた
居ぬはずの妻の姿や春の駅     駅に着いたら向いのホームに佳子に似た外国婦人にびっくりする
ボルドーから45分も離れたホテルだから、ボルドー市内には寄らずに次の街へは行くことにした。昨日着いた駅の駅員さんが、今日の時刻表を作ってくれたので、9時15分に乗りボルドー駅、10時29分発で30分の待ち合わせ、大西洋沿岸をスペインの国境へ向かう。
気になっていたのは、昨夜のホテルは事務員さんが週末の休暇らしくていなかって、コックさんだけだったから、今日のホテルの予約が取れていなかったことである。だから今日の列車の中で次の街やホテルを探さねばならない。だから座席に着いたらすぐ前にいる老婦人に話しかけて、「国境のサンジャンドリウス町に行きたいのだが、」と聞いて話のきっかけを作ろうとしたのだが、英語が全然通じないでいたら、通路を挟んだ隣の黒人の若30歳ぐらいの女性が英語で話しを聞いてくれた。
そして僕のあらかじめ予定していたホテルのある街の地図を見せて、このホテルは駅からの交通は何を利用したらいいだろうか。などを聞いた。すると彼女の言うには、「貴方の泊まるホテルは貴方が行く駅の一つ手前だから、荷物を預けて観光してから、引き返したらいかがですか」というのだ。そんなことで話しやすくなり、僕にしたら、まだホテルは予約もしていないし、ついでに彼女にホテルへ電話してもらい、「僕はフランス語が出来ないから、この電話で予約をしてもらえないだろうか?」と頼んだら。心よく予約までとりつけてくれた。こんな時自分の電話があると便利である。彼女は黒人でも少し白人の血がまじっているようで、スタイルもいいし、なかなか感じのいい婦人だった。
彼女は先に降りたが、下りるときに僕の席に寄り「できたら3ツの街は、すぐ近くで続いているから、全部観たらいかがですか」とまで教えにきてくれて降りていった。印象に残る美しい女性だし写真も撮らせてもらった。
国境のサンサンドリウス駅に着いた、彼女がすすめてくれたように、駅で荷物を預けようとしたら、ロッカーは無いという。今日は日曜とあって駅前のほとんど店は閉まっているし、仕方ない大きな荷持を持っているし、タクシーで一巡するか、とタクシー乗り場に待っているが、タクシーも来ないのである。
相談するにも人も歩いていない。仕方ないから、中華レストランに入りワインでも飲もうかと、尋ねたらワインはやってない、と断られ、ここで1時間40分待たねばならなかった。
引き返しホテルのある駅に着いてホテルを探すために駅員に聞くと「真っすぐ行って左だ」と言うからそこらへんで、若い男性等に地図を見せて聞くと「付いてきなさい」といってまた大分坂道をスーツケースを押して歩いて、「あそこだ」と言って彼らは引き返して行った。ところがそこに着くと「いやあなたは早く曲がりすぎている、もう一つ先を左に曲がるのだ」と今度は地元の住人らしい老人が教えてくれた。これでやっとホテルに辿りつけたのだが、荷物が重たいので汗がびっしょりだ。やはり道というものは、聞く人が土地の人とは限らないから、親切でも間違って教えてくれる人もあるということだ。
ホテルは大きな敷地で庭も広い。だが6時にならないと受付しないというから、荷物だけ預けて街へ出ることにした。
駅前からバスに乗ると15分ぐらいで海岸に出る。最初に見えたのが大きな波で高さ5mうねりが30mぐらいもあるだろうか。どぎもを抜かれた。そこにたくさんのサーフィンの若者が波乗りしている。こんな高くて幅の長いうねりだから楽しかろう。
大西洋の荒波を初めてみることができた。昨年行ったノルウェーは夏だったせいか、6日間の外洋の船旅だったにもかかわらず、ここと反対に全く静かな海で鏡のような海面だったことを観たからこのフランスで見れるとは想像もしなかった。驚きである。砂浜が湾の岸に続き、ゴミの一つもない。調べてみると、ここには外国の国王がみんな別荘の保養施設を持っているという。
さすがに豪華なホテルか、王家の家らしい建物のきらびやかで、落ち着いた建物ばかりである。大きな岩が点々と沖へ浮かんでいるようで、その岩に5mの高さの波が被さるのだから、白波が絶えない。それが美しいのである。
やはり一番突堤の岩にはキリスト教のマリヤ像がキリストを抱いて立っている。
それに1933年から、1945年までの第2次大戦で戦死した戦士の名盤と反戦の祈りの母性像が大きく目立つ。
ここで2時間ばかり散歩したが、ここでも日本人を見かけることはなかった。
この町の教会に入り俳句を献納
何想ふ 初老の夫婦 春霞   祭壇の前でじっと永い祈りをささげている
この町に来る時松林が半分ぐらい真中ほどからなぎ倒さていて、2月に台風があったらしい。相当きついが、クヌギだけは葉が無いから、倒れていないし、家は瓦も飛んでいないから、日本の台風とは性質が違うようだ。
土井先生からメールが入っていて、旅日記楽しんでいます、今日は横谷さんと彼女仲間の画家の個展を観に行きます。病院に絵を寄贈して下さるそうで楽しみです。とあったから(旭東病院の廊下がますます素晴らしい芸術廊下になりますね)と返事しておいた。

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by akinishi1122 | 2009-03-29 16:38 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(28)

フランス・スペインの旅(28)2月28日 ボルドーの宿
トウールーズ駅を9時22分のボルドー行きに乗る。今日の列車は指定席では無く、皆セカンドクラスらしい。地中海と大西洋の中間に近いところから、大西洋沿岸に出るが、殆ど停まることはなく、丁度2時間でボルドーに着いた。ホテルの予約はボルドーとばかり思っていたから、駅員に所番地を見せて聞くのだが、知らないという。そして次の列車に乗って4駅目だという人もでた。これは一体どうなっているのだ。ボルドーといったら、知名度は高いし、路面電車も走っているのに、なんでボルドーから4駅も離れたホテルを予約してくれたのだろう。大きい街なのだからユースホステルぐらいありそうなのに、と僕は少々不安になった。4ツ目の駅で45分かかるという。そして着いた時間からするとい1時間45分もここボルドー駅で待たねば、次のホテルのある駅へは列車はないという。何かの間違いではないだろうか。
不安のまま4・5人の人に聞くのだが、やっぱりそれまで待たねばならないらしい。待合室で昼食をとり、今度は20分前になってホームの表示がでた。C番線というから、C番線で待っているのだが、1時5分発の5分前になっても、このホームにそれらしい乗客が来ないではないか。50歳ぐらいの男性に「僕はBLANQUEFORT駅に行くのだが、ここで間違いないだろうか?」と聞いたら、英語のできる人で、「同じC乗り場でも奥の方で一番先頭に行き、次の右にあるのが貴方の列車だ」と教えてくれた。だから100mぐらいスーツケースを押して走り、やっと発車前に辿りつけた。もしこれに乗り遅れていたら、また2時間ぐらい待たねばならなかったかも知れない。危機一髪であったが、なんでこんな危機一髪ばかりで成功するのだろう。自分の幸運に驚いている。
この列車に乗ったら僕の荷物を手伝ってくれる人がいた。急ぎなさいという意味である。なるほどこの列車はローカル線で、2輌しかなく、乗っている人もまばらで里帰りするような感じの娘さんや学生が週末に田舎に帰る風にみえる。路線も単線で、地図を見たら、どうも岬へ行く半島に向かっているらしい。4ツ目の駅と聞いていたが、2ツ目でUターンしだした。そしてスピードもゆっくり走る。日本でもある田舎の路線である。こんな田舎だから古いしょぼくれたユースホステルだろう。本当に僕の予約したホテルがあるだろうか?などと不安が続いた。
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by akinishi1122 | 2009-03-29 16:25 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(27)


フランス・スペインの旅(27)2月27日 トウールーズ市内観光
10(日本時間6時)時頃、佳子と理香から電話が記録されていたから、何か変わったことでもあつたのではないかと気になり家に電話いれても誰も出ないから、信顕にしてみた。すると、皆で夕食に出かけているところだという。何も変わったことなく、皆元気だから安心しといて、とのことだ。賑やかに、きあらちゃん、まなちゃんの声も聞こえているから安心した。
この町の一日フリーの乗車券を買おうとしたら、ここは2日通用がフリーの券らしい。6ユーロだったが、券売機は紙幣は効かないらしく、僕が訊ねた女性が自分のカードで買ってくれ、僕は彼女に紙幣を渡して買うことができた。親切な人たちばかりだ。自由にバスと地下鉄に乗ると駅からすぐのところに大きな川があり、今まで観た美しい川に劣らない。奇麗で日本ではあまり聞いた街ではないのに、豊かな流れ、教会の高い塔が水に映えて、二つもある。橋も400mぐらい長い。そして石橋の造り装飾も美しい。建設されたのが12世紀というから、古い町であるのに、日本では話題がないようだが、僕は気にいっている。人通りはパリのシャンゼリゼに匹敵できる人混みなのに日本人に一人も会うことがなかった。だからここは僕のぶらり歩きのヒットだ。
5回ぐらいバスと地下鉄に乗り、教会だと思い入ったら美術館だった。「地球の歩き方」のブックに載っていない美術館で、それがたくさんの女性裸体の彫刻に観惚れてしまった。たくさん写真に収め、僕にしたら、ルーブル以上の彫刻に出会ったと思う。名前は「アウグスチヌス美術館」という。絵画も美しい。ルネッサンス以前の作ばかりのように思う。
5時ごろスーパーに入ったら、なんとベーコンの400グラムぐらいなのが2ユーロ、ビールハイネッケン大が1,3ユーロ、フランスパンの60センチぐらいのが0,9ユーロ、トマトの日本で昔懐かしい匂いのあるのが4個で1ユーロ、それにオレンジジュースの特大なのが2ユーロこれで10ユーロから釣りがきた。
フランスは消費税が高いというが、食料品にはかかっていないようだ。だから生活にはゆとりがあると思う。
明日のボルドー行きの時間を聞いたら9時22分で、ここから2時間らしい。ボルドーのホテル予約してもらったら、明日だけで、日曜は満室らしいから、一日泊になる。
同室のナイジェリヤの学生は語学の勉強でパリに来ているが、5カ国語が喋れるだけでなく、その語源を研究してるという。まだ若いのに大したものだ。
俳句会の淑子さんから、「フランスからの便りを私一人じめにするのは勿体ないですから、皆さんにもコメントください」とあったから、俳句会の皆さんに一人づつのメッセージを書いて送信しておいた。
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by akinishi1122 | 2009-03-29 16:21 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(26)


フランス・スペインの旅(26)2月26日 ニースからトウルーズ
昨夜立命館のM 子さんが今日のトウルーズ行きの列車時間表を僕のパソコンで調べてくれた。彼女は交換留学生だからフランス語で調べてくれたので、僕はホテルで次のホテルの予約をしてもらいさえすればよかった。駅発が9時26分だから30分前に着いて、TGVの座席指定を頼んだら、ファーストクラスは26分発は空いていないというから、「普通でもいいから」と言っても無いという。だから次の便を予約した。
1時30分だというから、とりあえずその時間を指定で抑えておこうと4ユーロ払って確保した。
だが僕がいつも乗るファーストクラスでは満席になった経験がないし、もし無なくても普通席でも空いているのではないか、と自己判断して乗り込むことにした。この列車でとりあえずマルセーユまで行ってみよう、そこから後はなんとか目的地まに少しでも近づいておこう。そんな考えで車掌に「この列車はマルセーユを通りますか?」と聞いたら、「行く」、というからとにかく乗りこんだ。だから、指定券4ユーロを請求された。トウールーズに着くのは、乗り換えて、16時18分というから、マルセーユに着いてから考えよう、と自分で判断した。指定券は1時の分が無駄になるがそれよりも明るいうちにホテルに着くのが先決だ。少々無理でも自分の判断に賭けてみよう。
乗車してみると満員のはずが、なんと20%ぐらいしか乗っていないではないか。ぎりぎりに頼んだから、面倒くさくなって満員だと言ったのだろうか。見たところ普通車も空いているではないか。そして2時間半ほどでマルセイユに着いたのにほとんどそのままの乗車率で空席が80%である。こんなことってどんな解釈したらいいのだろう。不思議だ。
マルセーユに着いて、乗り換え、時間が40分ありその列車もファーストクラスもやはり乗車率20%である。だから僕の予定通りの列車に何ら問題はなかったのに、満員だとはおかしい。善意に解釈すれば、均等にお客を捌こうとするとすれば、こちらとしたら、時刻表に従って動けないではないか。この乗り換えで指定料金が10ユーロ車掌にしはらった。だから、今日は指定料金の無駄を払ったことになった。
マルセーユで乗り換えて、地中海沿岸を1時間走ったころから、山手の方向にはいる。山手になると緑が多くなり、放牧の牛や羊がぽつぽつと出だし、民家も離れ離れになって、のんびりと気分がよく、ゆったりできる。南フランスは旅するのであれば誰にでもお勧めしたいところだ。佳子が体調が回復したら一緒にきたいところで、きっとより一層元気になると思う。
伸びるべき枝悲しからずや冬葡萄    葡萄畑が続くが、みんな高さ50㌢ぐらいの高さに伐りこんである
今日のトウールズ町は目的のボルドーまでの中間地点で、7時間の乗車だから、休憩のための宿泊としてとったつもりであるが、着いてみると、地下鉄もあるし、結構駅前も賑やかである。駅の案内にホテルの場所を聞いたら地下鉄の一駅だというから、また改札で地図を見せて女性に、乗り場を聞いたら、反対のホームを教えてくれたらしく、ひと駅で降りたら、二駅戻れというから、また間違えてしまった。
着いたホテルは3人部屋で、チュニジヤのパリへの留学生、もう一人はフランス人だが、部屋の先輩としていろいろ教えようとして呉れるのだが、全てフランス語、英語が全く通じない。だからなにをやってる人かも年齢も分からないが、多分40歳ぐらいだ。
このホテルは自分のパソコンが使えたから、句会の淑子さんから「、最近いかがですか、メールが途絶えていますがお元気でしょうか?」と来ていたから、この5日分の日記を送信しておいた。
夕食はここのレストランでバイキング。美味しい肉のカレー風のや、
サラダ、プリン、フランスパン、オレンジジュース、ビールなどで済ます。なかなか美味しい肉だった。これで8・2ユーロだから1000円しないのだからやはりユースは親切だと思う。
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by akinishi1122 | 2009-03-29 16:18 | 旅行 | Comments(0)

フランス・スペインの旅(19)

74歳のヨーロッパ一人旅(19)2月19日Raphael町トウーロン町
ホテルのフロントで紹介してくれた町に行くため、都立大のAY君、KH君と一緒にホテルを出た。彼らは12時発だが、僕は駅で時間を調べねばならない。
10時59分の列車に乗る。地中海の沿岸をモナコの方向へ向いて走る。やはり海が見えると気持ちが旅の気分になるものだ。家からの電話メールが着ていて「無事着いて良かったですね、こちらはみんな変わりありません」とあった。今回は、毎日パソコンで日記を送信しているから、僕の行動計画を分かってくれているから、この前と違って安心しているのだろうか。
昨日は、SS君から「ニースノホテルでお会いした島田です、大変私にとって刺激になるお話、ありがとうございました」という便りだった。
1時間半の間にパソコン日記を打っていたから、アッという間にRaphael駅に着いた。海岸までは5分もかからない距離で砂浜に着く。ここは和歌山の白浜のようにホテルが並んだ先に砂浜が広がっている。太陽が、各ホテルを明るくしていて、海水浴の季節には海も混むことだろう。やはり砂浜を残すことは海水浴ができることと、柔らかい気持ちになるものだ。
レストランでは大きな黒い貝を盛り沢山にした料理を食べている。海の幸を期待して集まるのだから、美味しい料理に違いないと思うが、僕はやはり変わった料理には手をださないことにしている。
この黒貝については伊勢の海岸で沢山獲り、たしか鶴舞団地のとき大変お腹をこわした思い出があるから、なおさら警戒する習慣になっている。
教会に入ったら牧師が片隅デバイブルを読んでいる。この姿もいいものだから、写真におさめた。ステンドグラスも変わっているから、同級生の小川君がステンドグラスの個展を開くと案内が来ていたから、こんな変わったステンドグラスは参考になるのではないか、と思い、これからの訪問する教会では撮影して、機会があれば送信でしてやってもいいな。と考えるようになった。
名も知らぬ 地中海教会に牧師とともの手をあわせあふ
次に帰る列車の駅にセザンヌの住んでいた町があるので、そこに下車した積りだったが、車掌が「次の駅だ」というものだから慌てて降りたらその一つて手前の駅だったことがわかった。
バスの案内所で聞いたらセザンヌの作品があるというかその場所も地図で教えてくれたのだが、その教えをもとにバスのドライバーに「そこで下車させてくれ」と頼んだのに、彼はどんどん走り終点に着いてしまった。「あなたに言うのを忘れていた、すまなかった」と謝るのである。そして「帰る時間まで6分あるから、この辺は奇麗な場所だから写真でも撮りなさい、待っているから」というのだ。あきれてしまったが、そのお陰で海岸の美しい眺めを納めることができたので僕にさたら、幸いでもあった。
このバスに乗るとすぐ3人の私服のバスの乗車検査員が乗りこんできて一斉に検札を始めた。僕は運転手に現金を払い、席に着いたら、後ろの座席から男性が僕の肩をたたき、「今もらったキップを検査機に挿入しなさい」とジェスチュアーで示してくれた。(お節介な人もいるものだ)と僕は思っていたら、すぐあとにこの検察だ。もしその人が教えてくれなければ、僕は検札員にとがめられて罰金を払わされたかも知れなかったのだ。たしかひっかかったら数十倍の罰金らしい、昨年ドイツで日本の女子学生が罰金を取られたと聞いたことがある。このお節介と思っていた人はなかなかの親切な人だったことになる。
そういえば乗車する人が必ず検札機に挿入している。感心だなといつも感心していたが、こんな検札が抜き打ちにあり、罰金を払う場面を目撃しているのだろう。
そんなこともあったが、結局この下車した町は違う町で、セザンヌのアトリエは見ることなく帰ることになった。
この町で中華料理店があつたので4種類のおかずを買って帰えった。ホテルの食堂にフランスに留学している早稲田の学生が食事していたので、僕の中華料理を半分たべてもらうことにした。彼はもう食事は終わっていたが、炒飯や中華が嬉しいと食べてくれた。
彼は交換留学で1年間の滞在らしいが、フランス語の授業だから最初は聞くことが難しかったようで、もう6か月になるからほぼ理解できるようになったという。政治学の専門の授業をフランス語でフランス人と同じ勉強をするとなると大変だろうと思うが、若いから相当勉強もハードなのだろう。1年の留学でも日本の一年の授業の単位とみてくれるらしい。
彼の名はHA君といった。明日は早くホテルを発つらしい。
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by akinishi1122 | 2009-03-29 16:14 | 旅行 | Comments(0)