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この前の戦争にわれわれは反対しなかった

元東京大學総長 矢内原 伊作
われわれはこの前の戦争にはっきりと反対しなかった。心で反対したとしても、はっきり口に出して言わなかった。言わなかったことは戦争に味方したことである。親し者たちが戦争にかりだされおびただしい生命を空しく絶え、日本が破滅へ急ぐのを、政府が言論の自由を奪い、大衆を抑圧するのを、特高警察が平和主義者を拷問するのをわれわれは手をつかねて見ていたのである。どうしてわれわれは抵抗することができなかったのか。

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by akinishi1122 | 2008-10-31 15:00 | 九条の会 | Comments(0)

ドイツの旅(56)ケルン

イツの旅(56)9月11日ケルン
9時50分発、ケルンに12時20分着。乗車していたのは九州大学院生という青年だけが日本人で、僕が1等で彼は2等だったから、15輌も離れていたから、探しだすことができなかった。ケルンに着いたら市内でぱったり出会った。もう帰国の途だったので残念だった。彼は博士課程には進まず、就職が決まったらしい。
ホテルは中央駅から地下鉄の4ツ目だった。驚いたことに、ケルンは昨年来たということを、駅前の巨大な教会を見て思いだした。昨年はたしか、オーストリヤのウイーンからミユンヘンに下車し、ビール祭りでミユンヘンのホテルがとれなかったから、ハードなスケジュールで夜の9時ぐらいに着き、ホテル探しに難儀した思いがあった。この教会は巨大である。高さが150mぐらいの塔に、その敷地も50段ぐらいの石段の上にあり、その上に敷石、広場の上に教会の本体が建っている。街は先の大戦で連合軍にことごとく破壊され、殆どが新しくなっている。この教会も一部破壊されたが、復旧されたという写真がでていた。やはり教会は爆撃しなかったようで、戦争というのは、ヨーロッパ連合軍もキリスト教という共通の宗教だからなのだろうか。キリスト教国同士が戦争をしなければいいという思うのだが、それぞれ都合の良いところだけ宗教を掲げるのもこっけいに思う。
ここにもライン河が流れているから、ドイツの交通や物品の流通はこのラインが動脈になって発展したのだろう。自動車など100台も乗せた船がひっきりなしに、往来している。それに混じって観光船だ。川は波が無いから今にも沈みそうなぐらい甲板ぎりぎりまで水がきている。だから大きな波でも来たら心配だ。それほど目いっぱいの積荷がある。川の交通ルールなのだろうか、赤と青のブイで通行区分がされている。川だから岩が多いが船長は相当の熟練がなければ航行は難しいと思う。市内は、このライン河と巨大な教会が観光のメインである。ほかは観るべきものは少ない。僕は体調を守るために強行軍は避け、5時半にホテルに帰る。
すると同志社大の3年で金井舜吾君という日本人は一人のようだ。彼と一緒に夕食をとる。ここの夕食は凄い、ビフテキ、野菜の味噌煮、魚のフライ、それ以外にもたくさんの食材が用意されていて、これで5Eである。金井君は一晩だけで、明日はベルギーに行くという。文学部心理学科というが、僕が人間の心理について僕の考えを話したら、熱心に聴いてくれた。彼からホテルのインターネットの開き方を教えてもらった。彼はYAHOOでやっていたが、別の開き方を教えてもらった。開いてみたら土井先生と谷川さんからついていた。二人とも僕のストックホルムの日記を、自分たちが30年前に行ったことを懐かしむ返信だった。
家からメール「地図で地名を探しているが、どこを見てよいか、ちなみにこれからは、国名を書いてください」。僕も昨年のケルンを忘れたぐらいだったのだから無理もなかろう。だからドイツに本拠を置いて、フランス、ベルギー、オランダに行くのだと返信しておいた。
ホテルの同室にスエーデンの大学生でコンピューターソフト開発をやっている青年が一緒になった。彼の入学金が700E、そして月謝が半年で500Eという。日本に換算すると、入学金11万9000円、月謝が半年で8万5000円だから一月1万5000円となる。ちょうど同志社大学の舜吾君がいたから彼の授業料を聞いたら月8万円だという。入学金は90万だったといっている。スエーデンの大学がいかに安いかに驚いた。その借り入れ金でも奨学金として、国から借りれるというのだから、実質的には学生は学業の間は不要だというのだ。そして奨学金は無利息という。これでは日本と天と地との開きだ。小学から高校までは完全に教育費は無料だし、この制度の違いをもっと日本の学生は知ってもらいたい。そして彼等の社会福祉とはどう有るべきか
を日本で考えてもらいた。

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by akinishi1122 | 2008-10-31 14:34 | 旅行 | Comments(0)

ドイツの旅(55)wurzburg街

ドイツの旅(55)9月10日Wurzburg
出かけにフロントで明日からのKolnの予約をしてもらった。ここは沢山鉄道の交差地で、僕の旅に便利ということ、それに少しずつ帰国のヘルシンキに近づくためでもある。1軒は満室だったが次がOKになった。やはりユースホステル同士だと色々情報も分かってくれるし、それに無料で予約電話もしてくれるからいい。
今日の行き先はWurzburgだが、全くどんな処か知らない。第一このスペルの発音すらわからないのだ。ただ沢山の鉄道の交差地点だから、人々も建物もあるだろう、素晴らしいことは後で自分で発見しようと決めた。
朝食をしていたら良い時間になった。9時45分発、Wurzburg着11時03分、やはり来てみたら路面電車もあるし、駅から賑やかだ。1日乗車券を買ったら5.5Eだった。これで電車もバスも乗れるから安いと思う。地図を貰ったが充分時間があるし、路面電車に乗ってみた。2つ目ぐらいでもう人込みが見えてきたから下車。教会や街並みを歩く。するとすぐ近くに大きな河がある。そこから丘を見上げると、城が2つあった。一つはノイスバンシュタイン城のように山の中、もう一つは丘の上から街を見下ろす位置にある。その下を河が流れ、綺麗な古風の橋がある。予定しないこんな美しいところが見れるのは僕の発見だ。だから僕の街といっていいだろう。ここでは日記帳が満杯になったからノートを買う。これも記念品ということになる。
帰国したらこの街について調べねばならない。宿題としておこう。(レントゲン博士の研究所があるらしい)(また城は世界遺産という)
 フランクフルト駅近くでカメラからUSBドライブに移す作業をしてもらった。だがこの店は日本語の説明を読めないから、カメラの残存写真を削除することができなかった。だがUSBに収納してもらえただけで充分だ。
ホテルの近くで川釣りをしている老人に魚を見せてくれ、と言ったら擬似魚のエサを見せてくれたから、「あなたはこれを家でブロイルしたらいい」とひやかしてやったら「全くそうだ」と大笑いだ。僕に近い歳だろうと思ったら65歳で、8歳も若い。まだ仕事してるのかと聴いたら「今年リタイやしたばかりだから年金暮らしの始まりだ、今から魚釣りの勉強をしてこれで食いつなごうかな」とジェスチュアーいっぱいで話してくれた。僕が73歳と言ったら「自分の友人では貴方みたいな元気な人はいないよ」と褒めてくれ、「65歳でエベレストに登った」といったら「良い人と会え元気がもらえた」といって抱擁してくれ、「楽しい旅をしてくれ」と励ましてくれた。
すぐその近くに日本人女性がベンチにいた。若い人だから、カメラのフイルムの削除を尋ねたら、なんなく削除してくれた。これでまた明日から安心して写真が撮れる。彼女らは東京外大生で僕が英語の70歳出始めたことなどを話して後悔した。すると「私たちはフランス語の専攻だから英語はあまりできないんです」と慰めてくれた。東京外大だから高校の時英語を十分こなせないと外大には入れるはずがない。記念に写真を一緒に撮ったが彼女らの名前はきかなかった。僕のホームページに旅日記を書いていると紹介しておいた。
夜はユースホステルで会った里美さんと一緒に夕食とビールを飲みに近くのパブに行く。外の椅子で飲むことにした。ドイツ人と同じ生活を体験しビールの味もここでは清潔感のある夜である。
部屋に帰ったら、龍谷大、東大生が同じ部屋だった。「地球の歩き方」の本を貸してもらい、ドイツについての解説を調べることができた。
家からのメール「まだまだ夏日和、すっきりと秋とはなりません。まなちゃんの運動会は20日、きあらちゃんは27日、きあらちゃんのには行きましょう。そろそろ帰る飛行機の何便か、どこから乗るのか、乗る日は変わらないか」とあった。予定通りで帰る積もりでいて、なるだけヘルシンキには余裕を持って行くつもりでいる。
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by akinishi1122 | 2008-10-31 11:45 | 旅行 | Comments(0)

憲法は守るもの  イラク支援ボランテア 高遠 菜穂子

「私にとって憲法は(守るもの)というより(実践するもの)です」
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by akinishi1122 | 2008-10-29 12:14 | 九条の会 | Comments(0)

ドイツの旅(53)ルクセンブルグ

ドイツの旅(53)9月8日 ルクセンブルグLGEL
朝食は京大の翔太君、宣彰君、それに同室の東大生と一緒だった。「昨夜の話大変感激しましたから、本にしてください」と言ったから、「ホームページに日記として毎日更新しているから、覗いてみてください」といっておいた。自分の良いところの2000の記録は実行してみる。といってくれている。彼等がそれぞれの分野で活躍してくれたら、楽しみだ。これも旅の中で若い友人を作る楽しみとなってきた。
駅の案内所で、4箇所ぐらい日帰りが出来る場所を作成してもらったから、あまり待ち時間をとらずにルクセンブルグへ行けるらしいから、、それに決めた。
9時50分発ルクセンブルグのLGEL町という、ここからの一番近くまで行くことにした。少々列車は遅れて3時15分に着いた。その途中で1等に日本の婦人が二人乗っていたから、隣に座った。一人は大阪八尾市、もう一人は和歌山の橋本市からという。多分50歳を少し過ぎていると思う。松田さんという八尾の人が英語が出来て、芝野さんは連れてきてもらったらしい。僕の旅のスタイルや「百歳の会」の話をしながら楽しく過ごした。旅日記と「9条の会」のホームページを開設していると言ったら、「私たちも9条の会をやっています」もっと早くそのことを言われたら、話しが弾んでいたのにと帰国したら、是非ホームページ開いてみます。と言っていただいた。そこで彼女らは乗り換えて別れたので僕も残念だった。どんなグループの9条の会だろう。もっと時間だあれば、御互いに経験の交流ができただろうに。
別れた後ずっとライン河沿いに走り、1時間ぐらいずっとラインを眺めていて、大きくゆったりした河にブドウの段々畑。もう収穫が近いのではないか色ずいていた。15年前に徳岡さんの経営するブドウ畑やワイン工場を見学に来たことがあるが、ここの近くのようだ。見覚えのある岩だな、と思っていたら、やはり「ローレライの岩である。慌ててカメラに収めようとしたが、果たして映っているだろうか。
ライン河橋まで届くブドウ棚
河の両岸の山がブドウ畑になっていて気持ちいい。なんにも考えない旅に慣れてきて、これは中々いいものだと思うようななってきた。日本にいれば列車で走りながら、何かを考える習慣になり、ボケーッとすることは、何か悪いことのようになってしまっている自分を思いだした。誰に悪いという訳でもないのに、無駄な時間が勿体無いと思う自分になってしまっているようだ。ここに来て、自分を完全に思い通りに管理できたことになんとも嬉しい思いになるのだから、滑稽である。
ドイツの国境の町に着いた。そのまま乗り換えずにいら、ルクセンブルグと違う方向に走りだした。隣の人に聞いたら、次の駅で引き返しなさい、という。その人が又別の人に話して、僕が行こうとしているルクセンブルグに行く方法を駅員さんに訊ねてくれている。こんなバトンタッチで3人に教えてもらった。みんな親切な人ばかりだ。この親切を毎日体験するのも海外旅行の魅力である。毎日が感激があり自分で目的地まで到達したら感動にかわる。景観で感激するのは少ないが、人の親切は心に残るものだ。その親切を通じて景色が思いだされてくるのがいい。だから人とのかかわりで思いだされてくる景色が印象に残る。僕の旅である。
乗り間違えたから、列車が無いので、急遽バスにした。国境の町Trier から30分ほどで終点だ。バスでも国境が何処なのか、確かに国境を越えたのにバスの中はなんのそれらしき動きもなかった。ただ家屋のつくりがドイツとは違う。木造が多くなり、外壁が左官仕上げ、その上を塗装仕上げが多い。どうもドイツの方が豊かな感じ。また連棟が多い。日本の30年ぐらい前までは多かったタイプの民家だ。今までの目的無しの旅ではあたる当たり外れはなかったが、ここで初めての外れになった。
人口もこの住宅の点在では多くはあるまい。目立つ建物が少ないから、パラパラと写真に撮ったから、他の風景とはっきり違いが浮き出てくるだろう。
ここで印象に残ったのは、ライン河のベンチで男の老人同士でボソボソ語りあっているのがとてもラインの豊かさに似合う風景だった。
ホテルに帰ったら日本人学生 翔太 駒大、唐 法政、栄太 千葉大などで、夕食を一緒にした。
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by akinishi1122 | 2008-10-28 21:49 | 旅行 | Comments(0)

ドイツの旅(53)9月7日フランクフルト

ドイツの旅(53)9月7日 フランクフルト観光
12時前にフランクフルトに着いて荷物をホテルに預けて早速観光観船に乗る。大きな河であるが岸辺に美しい建物が少ないので、ストックホルムやその他の都市に比べて物足りない。市電に4回乗ってみても、あまり古風な建物が無く、教会が数箇所あるのだが、地下鉄や路面電車があるのだから、相当の人口はあるのだろう。
繁華街はさすがに賑やかである。ここも調べて来たわけでないから、誰かに訊かねば何が有名なのか解らない。フランクフルトとはよく訊く名前だが、日本でのファーストフードで聞く名前だからなじみがあるが、そんな程度の知識である。ホテルに着いたら夕食に日本人の京大生2人がいて、食事を一緒にした。三宅君は法学部3年、奥田翔大君は大学院に進むらしい。僕の持論の「人間誰もこの世にかけがえのない人間だ」などから、これからの社会に求められている人物については、全ての人のそれぞれの能力を発揮することの出来る職場のある会社がこの急激な変化の時代に必用だということ、君たちが就職する職場の上司や先輩には君たちの大學や東大卒業などで占められているはずだ。そこで学生時代に経験してなかった社会の仕組みや慣習に直面するだろうし、そこで挫折や自信を失う経験、醜さなどに直面するだろう。その時、心がけてもらいたいことは、「自分を愛することだ」と話す。そのためには、(人には絶対に言わない、見せないという自分だけの素晴らしいと思うことを2000書いてみよう)そうすれば、この世でどれだけ自分が大切で必要な人間であるかを自覚することができるはずだ。たとえ結婚しても相手にも、子どもにも言わなくて自分だけで思っていることだ。などと話した。そして今の自分をお金に換算したら幾らぐらいと思うか?と問いかけたら、1000万とか1億とか言っていたが、「では貴方と同じロボットを作ろうそしたら幾らかかると思うか?」「日本の国家予算の85兆円をかけも貴方が明日からの行動や判断をできるロボットができるか?」と問うと二人とも「出来ない」という。「だろう、貴方はいままで22年間育だってきたのはそんな値打ちの人間なのだ」最低でも85兆円の値打ちのある価値判断をするに相応しい判断をするのが自分の尊厳なのだ。ということを2時間ばかり話した。そして「今日から自分の優れた点を2000書いてみよう」と提案した。彼らはやってみると決意したようだ。「こんな話し初めて聞きました。この話しを本に書いてくださいよ」ともいっていた。
そして、」内容は別としていま自分がどれくらい書きとめたかをメールで知らせてくれることになった。彼等がどんどん自分らしいか輝く人間になっていくのが楽しみななってきた一夜の語らいであった。
彼等は明日スイスに発つらしい。もう一人青森出身の東大生も同じ部屋に遅く入室してきた。
家からのメール  「夕べきあらちゃんが泊まったので、迎えに来て夕飯を食べて今帰りました。元気で暴れていたのに、帰りたくない、学校に行きたくないと泣きなき帰っていきました。頑張って行ったら、金曜日にはお泊まりしてもよいと約束」とあった。なんか可哀想になる。もう競争社会に組み込まれているらしい。さっきの京都大生はクラスでいつもトップだったから、勉強も本人は努力したと感じていなかったらしい。他から「追いつかれないように、トップを守り続、他人からもそう認められることで、そんなに苦労と自分では思わないようだ。その子の良いところを発見し伸ばしてくれる学校であれば楽しく勉強もできるのだろうが。
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by akinishi1122 | 2008-10-27 10:11 | 旅行 | Comments(0)

ドイツの旅(52)フランスStrasbourg日帰り

ドイツの旅(51)フランスのStrasbourg日帰り
明日からフランクフルトに行くためホテルのフロントに頼んでホテルの予約をしてもらった。いままでホテル探しが一番の心配だったが、前回からフロントに頼んだら、快く手配してくれることがわかった。今日も朝出る前に頼んだところだった。やはりユースホステル間の便宜を図ることになっているのだろう。
地図で見て、フランスとの国境の町かと思ったら、ギリギリでフランス領だと着いてみて分かった。一昨日駅で時刻表を作ってもらったのだが、週末は変更になっているらしい。出発時刻の9時11分まではよかったが、乗り換え便が無いので、Offenburg駅で1時間の待合となった。後で気付いたのだが、その前の8時54分の直通列車でTGVがあったのだ。新幹線のようで、ユーレルパスがきかないのではないか、あるいは予約が必要ではないかと迷い次の列車9時11分にしたのがわるかったのである。
ドイツからフランスに入ったのに、入国手続にも来ないし、どこが国境だったのかも分からずじまいだった。多分大きな河があったから、あそこがそれだったのかもしれないと自分で解釈している。中国人の留学生で、里帰りして来週から授業が始まるからという青年と一緒に時間つぶしの1時間である。彼は高校を出てフランスの大学に留学中という四州省出身だが、技術・エンジニヤ学を専攻しているという。身なりは汚れているから、帰国したにしてはえらいTシャツなど汚れているが、両親は服装などかまわなかったのか、それともまだ中国ではこんな服装が一般的なのだろうか。いづれにしても彼の技術を学ぶ姿勢と情熱には日本の50年ぐらい前の青年と同じような姿をみた思いだ。日本人の留学生は語学留学が多いのだが、中国や韓国は専門の技術を学ぶ学生が多いことに気付く。「6年計画で博士を取得してから帰国する」と言っている。
夜同室になった中国の青年もやはり同じく、情報処理を学び3年になるといっていた。中国はこれらの青年たちが活躍するようになったら、また一段と飛躍するような気がする。
ドイツとフランスはこんなにも違うものかとすぐ分かるのが建物だ。企画された街並み、小パリといった雰囲気で、歩いている人の服装にセンスがある。洒落ている。そして当たり前だが、途端にフランス語にかわるのだから驚く。路面電車が美しい形をし、内装も綺麗だ。一昨年イギリスからフランスに入った時との感じが同じ思いである。こんなに国が変われば文化が違うのかと、フランスは違いがはっきりするものだ。
路面電車(トラム)のキップで何回も乗り換えてまわったが、やはり駅前はパリと変わらない風景だ。日本人女子学生が3人歩いているのと出会った。
同志社女子大 大角末和 (Eail記録)大阪教育大 服部真依(Email記録)京都産業大 中西慧(Email記録)彼女らも日本人に合えて驚いていた。「写真一緒に撮らせてもらっていいですか?」とやはり僕のような一人旅には日本では珍しいという驚きなのだろう。多分まだ2年生ぐらいで、感激の表現が気にいった。
ホテルに帰ると今日は僕以外の3人全員が新入室だ。中国人の留学生の一人がコンピューターの技術を学んでいるというから、見てもらったがやはり駄目だった。一人は55歳のイギリス人「精神的技術開発コンサルタント」というから、大學の先生か、ときいたら、企業の社員の精神的コンサルタントらしい。東京、京都などにもきたことがあり、たくさんの写真をパソコンで見せてくれた。僕も日本のいいところを写真で送るように約束しておいた。
(Email記録)
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by akinishi1122 | 2008-10-24 11:35 | 旅行 | Comments(0)

三木睦子 三木前総理大臣 婦人

どうか皆さん、あの忌まわしい戦争を「私がしたんじゃないから」と言い捨てないでください。つらいことですけれども、私たちの先祖があの戦争をしたのです。その償いのためににも、日本は軍隊を持たない静かな平和な国になっています、ということを世界に言い続けて欲しいのです。戦争を経てきた私たちに言えることは、どうしても戦争を拒否していかなければならない、ということ。だからこそ憲法9条なのです。
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by akinishi1122 | 2008-10-24 08:55 | 九条の会 | Comments(0)

ドイツの旅(50)スイスとの国境の山

ドイツの旅(50)9月5日Singen城に登る ベンツ本社
Singen町に向かう駅で、日本人がいて、ここには出張で来ているというが、この街の見所を教えてもらった。ベンツの本社がここだという。「その博物館は見るに値する」と教えていただいた。なるほど中央駅のビルの上にベンツの大きいマークが掲げてある。街全体がこの会社で成り立っているらしい。
まず、Singen駅を10時45分発で、着いたのが11時48分。列車の中に日本婦人の姉妹がいて、こちらに住んでいるという姉さんが、Singenでは城が有名と教えてくれたので、行くことにした。着いた駅で親切に城を教えてくれたのはタクシーの運転手で、バスの時間まで調べてくれた。
バス停からは歩いて山頂まで丁度1時間、僕だけしか歩いていない。山道だし、一人歩きは危険ではないか、引き返そうか思っていると、一人ぐらいしか歩けないような本当の山道になったので、少々不安も解消できた。ここで会ったら1対1だから、いつもの山歩きだから、前や後ろの人の動きも分かるから、対応が出来ると自分に言いきかせ、せっかく来たのだから、頂上を目指すことにした。
今日は晴れていて、それに暑い、上着を全て脱ぎ裸になった。それでも汗がふきでてくる。この山は平野の中にポツンとあり、だからその山頂に城が築かれている。誰も住んでいない崩壊した城跡である。紀元600年代から築城されたらしいが、展望がいいから観光客が来るのだろう。僕は下から登ったが、途中まで車道があるから、観光客は来れる。城下町というのは大分遠くにあって、平野に集落としてあるようだ。遥か彼方でだから眺めがいい。久しぶりの登山だから気分もいい。この旅で初めての登山である。山の名前はFestugsruin・Hohentwiel山で、高さは190mらしい。
近くに湖もあるらしいが、下山後、ビールが飲みたくなり、一番賑わっている店を選び、道路に出してある椅子に、人の並みをみながら飲んだ。隣の女性がビール片手にアイスクリームを食べている。そんなビールの飲み方もあるのかと、僕も同じように食べてみた。なるほど美味しいものだ。これはここでの発見だ。この街からスイスまで2kというから、Burryの国の近くまで来ている。家に知らせたら、「せっかくだからBurryの家に寄ってきたら?と言うに決まっている。だからメールを今日は止めた。僕の計画が狂いそうだからだ。
スタットグラードに帰ったのは5時半過ぎていたが、二駅ぐらいでベンツ博物館というから、行くことにした。9時まで開いているというから、行ってみると、なるほど郊外はベンツの工場が続く。中央駅だけにいたら、気付かなかっただろう。
駅から歩いて10分ぐらいで、ベンツのミユージアムがある。8階でモダンな設計の総ガラスの外壁で、全館がベンツの生い立ちから全車種が現代まで展示されている。これはさすがにトヨタでは出来ない歴史というものだ。おそらく世界最古の自動車メーカーだろうから、全ての自動車の歴史がここで解かる。自転車に発動機をつけたのが始まりだ。大方全部写真に納めた。最近では宇宙での月面車まで見ることができた。今から200年ぐらいの歴史だからトヨタよりはるかに古い。来ることが出来て、本当に良かった。
家からメールが入り「晴れてよかったね。写真は暗い」とだけあった。こんなメールが自由に出来るように出来るようになったのには、相当の練習、努力があったのだろう。僕が日本を出る前は全て理香にやってもらっていたのだから。たいしたもんだ。

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by akinishi1122 | 2008-10-23 22:24 | 旅行 | Comments(0)

大阪9条の会呼び掛け人 大阪市立大學名誉教授 宮本憲一

こんごの人類の目標は、平和、環境と自然の保全、民主主義、基本的人権の確立、思想表現の自由と多様な文化の共生という「維持可能な社会」をつくることです。これは現憲法を守ることから始めなければなりません。
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by akinishi1122 | 2008-10-22 16:00 | 九条の会 | Comments(0)