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スカンジナビヤ

スカンジナビヤの旅(5)
ユヴァスキュラ 087月22日(火)
ユヴァスキュラという所は「地球の歩き方」本によると、湖水や島々の景観が楽しいとあったので、行くことにした。8時に中央駅に出て座席の予約をしたら9時6分発だという。日本人の若い夫妻がまなちゃんぐらいの子供を連れ、神戸から来たという人とあう、それにベンチに座っていた人に「日本人ですか?」と聴いたら「あーらミヤザキサン!」というではないか。飛行機の隣にいた仙台の福原さんのお母さんである。「ヘルシンキは狭いところらしいからどこかで会うかもしれませんね」と言っていられたのが本当に現実となった。彼女らは昨日エストニヤに船の日帰りだったらしい。「大変綺麗な古い街で、街全体が世界遺産になっているからお勧めしたい」とのことだ。僕も明日の予定をまだ考えていなかったので即明日はエストニヤに行くことに決めた。
この前写真も撮ってなかったので一緒に撮ることができた。そして今後の旅の情報を知らせあうことにし、メールアドレスも交換した。彼女等は9時3分、だからどこか別のとこらしく、一泊するためにスーツケース持参していた。(娘福原裕子さん)
 列車はよく空いているらしく「1等にしますか?」と窓口嬢が聞くから、僕のユーレルパスは1等に乗れるらしい。座席指定も1等だと高いだろうからセカンドクラスにした。4・8ユーロであった。
列車は昨日行ったタンペレまでは同じ路線を走り、タンペレからは進行方向が逆になり、別の路線に別れて走る。タンペレまで来ると昨日と同じように雨が降りだしている。やはり湖水地方というのは雨が多いから湖が多いということだと思う。
座席が空いているから話す相手もいないからずっと外の景色を眺めることができ、のんびりだが僕には物足りない。列車から眺めると麦の穂が出揃っていて、芝生みたいに見える。スピードも速いから、日本の特急並の速さで果たして麦の高さはどのくらいなのだろうか。それに菜の花もいまが盛であり、山が無いからなだらかで心が和む風景だ。これに雨がなければ申し分ないのだが。
ユヴァスキュラ に着いたのが12時半である。やはり雨だ。雨の中で日本人の青年と会った。京都の工業繊維大学生で建築を学ぶために来たという。ここは世界的建築家のアルヴァ・アアルトの生まれた街とその作品が町中に50軒ぐらいある。それを観にきたらしい。僕はクルーズにしようかと思ったが帰りの列車に間に合わないから歩いて丘の上にある展望所ビルに登ることにした。50mぐらいの丘に30mぐらいの博物館ビルがありその上が展望台になっている。傘さして登ったが窓越しで街全体も雨のためうまく撮れなかった。工科大学がこんな田舎にあるのはやはりアルヴァ・アアルト教授のいわれであろう。
沢山の建物があるが雨のため建築作品を歩くことすらできなかった。
幸いにインターネット店があったので列車時間の5時半までホムページ書き込みや囲碁の対局で時間をすごす。
ところが席を立とうとしたら腰が痛みだした。やはりパソコンを持ち歩いたことが原因であろう。このところ数年痛みは無かったのだが、明日からが歩くのが気になる。ホテルに帰ってサウナに入り森光子体操をして気にしながら寝る。


一つだけボート浮べし湖水かな
白樺を抜ければ次もまた湖水
一軒で一つの湖水鳥一羽
菜種咲く隣の柵に馬親子
麦穂波真ん中に朱きトタン屋根
湖になりきっている夏の雨
緑麦に消えて無くなる道路かな
大雨にたたかれ東西見失い
あて無しの旅の畑に菜種咲く
あての無きといえど丘まで麦穂波
山のあなたの煙突に夜の8時半陽はあたり
7時半といえど明るき麦穂波

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by akinishi1122 | 2008-07-25 02:50 | 旅行 | Comments(0)

写真

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by akinishi1122 | 2008-07-25 02:43 | 旅行 | Comments(0)

スカンジナビヤの旅(5・6)

スカンジナビヤの旅(6)
エストニヤへの日帰り 7月23日(水)
 昨日の夕方から腰が痛みだしたから、今日はパソコンは持たないで歩くことにした。おそらくパソコンの重みが原因だろうと思う。日本への通信のためには出先でパソコン店に寄り、送信が必要だからだ。
エストニヤ行きの船が8時と聞いていたからタクシーを呼んでもらった。船着場は昨日福原さんから聞いて大体分っているつもりだったが、タクシーに乗るとどうやら僕の感違いだったようで大分遠いから、タクシーにしてよかった。メーターはあったが少し前で10ユーロに止めてくれたのは、ホテルからの指定だからおそらく固定にしてくれたのだろう。やはりホテルに頼むことは安心だということを知る。
豪華な客船でビルにしたら10階ぐらい海面から浮いている。やはり国際航路だからであろうか。船賃は往復で30ユーロである。後で気付いたがひょっとしたらユーレルパスが使えかもしれなかったが、1000人ぐらいの乗客が並んでいるので買うのに急いでいたからそれどころでなかった。出国だからパスポートが必要である。えらい人で殆どが僕と同じような旅行者のようだ。子供連や老人夫妻が多いのでうかがえる。
8時丁度になったら動きだしたが外の景色の動きでそのことが分るほど、動きだした感じがしない。さすが大型客船だ。
動きだしたらすぐにビールなど飲みだしている人ばかり。フインランドのビールは美味い。僕がいつも飲んでいるアサヒよりも少し麹の味がする、なんかまろやかで、僕には合うようだ。相席になったフインランド夫妻は67歳という。奥さんがよく喋る人で旦那は船員だったらしい。いまでもそんな服装が好きのようで一目でわかる。旦那は胸の病気で手術をしたし、奥さんも乳がんの手術をしたがこのように元気に旅ができるという。そして年金ぐらしだが大病の手術だったのにお金はいらなかったらしいから、日本とえらい違いだ。どうやら生まれはロシヤらしい。兄弟はロシヤに住んでいるが、自分はロシヤが嫌いだといっている。その話をする時は顔の緊張が怖いほどになっていたから、何かあったのだろう。
船ではちょっとした演奏の舞台があって、早々からダンスが始まっている、踊っている人はみんな老人夫妻だ。日本でも社交ダンスは公民館などでやっているがみんな老人ばかりだが、これは日本と似ているものだ。上手もあれば下手もいるのは微笑ましい、下手の踊り手でも旦那にうっとりと抱かれて踊るのをみていると、自分は上手に踊っていると思っているのだろう。ビールを飲みながら見物するのもいいものだ。
ほかに日本式のカラオケもやっている。イギリスでも「karaoke」というバーが出来ていたから日本からの文化がここでも定着しているのが面白い。
カラオケの席に行ってみtら70歳夫妻と孫娘15歳の高校生の隣になった。日本の東京、大阪、京都、奈良、広島に行ったことがあるという。日本といっいたら必ず広島がでてくるのは、やはり原爆が世界に知れわたっているからだろうか。
日帰りでエストニヤに孫を連れていくのだから年金生活でものんびりと、こんな老後に日本もなりたものだ。この家族とは帰りも一緒になって、向こうから声を掛けてくれたから気付いたのだった。
帰りはダンスしていた夫妻と同じ席になり、この夫妻はダンスの中で一番下手な組だったから印象にあるが、先方も僕がエストニヤの教会の階段で休憩していたのを知っている、と話てくれた。そういえばエストニヤでは沢山の観光客でごったがえしていたのに、日本人らしい人には合わなかったから日本人として僕も珍しく目に着き易いのかもしれない。60歳を過ぎているがタクシーのドライバーといっていた。ヘルシンキから列車で30分のところらしいが2ヶ月の休暇があるらしい。こんなにたくさんの人出なのはやはり冬は昼が短いし寒いから夏場にどっと出かけるのだろう。
エストニヤには3時間ちょうどの11時についた。ヘルシンキでは青空が無かったが、ここは青空が澄み切ってそれに暖かだ。空気も綺麗な感じがする。1000人の人々が街に向ってあるきだした。いきなり昔からのレンガ造りの煙突が目にはいる。高さも20mぐらいあり、ビールの工場ではないかと思う。緑の中に印象に残る。エストニヤというところはつい10年前まではたしかソビエト連邦の一員だたうたのだが、街に入ったら、いきなり高い教会のとんがり塔が際立って高い、そして銅版だからグリーンである。それ以外にたくさんの教会がおそらく20ぐらいはあるだろうか。街全体が世界遺産になっているらしい。街には近代的なビルが殆どないから黄色の瓦が街全体を明るくしてくれる。道も狭いし道は丸い石の埋め込み、しかも直径が10cmぐらいのだからでこぼこで、車はスピードだせない。そこえ世界からどっと観光客だ。ここはバルト海の交通の要所らしく世界からの船が立ち寄るから港が沢山の人々を集めるところらしい。そのため、ロシヤやスエーデン、などの植民地としてながく利用されていたようだ。そのためにその時々の支配者がそれぞれの文化にもとずいた教会が建てられ、たくさんの教会がそのまま残っているらしい。それが幸いして現在の街が世界遺産となったというわけだ。
感じとしてはイタリヤのペルージャの街に似ている。細い路地の坂道にこの国の文化工芸の店が、いまでも陶器やガラス細工を職人が作っていて、そのまま販売している。教会もキリストの十字架の絵が少しずつ違っているのだから面白い。それぞれの時代と国によって教祖様の描きかたが違うのだから、フォイエルバッハが言った「神が人間を創ったのでなく、人間がその必要に応じて神はつくられる」といったことの現実が目の前にみれるというものだ。
ユーロ貨幣が使えると聞いていたから換金しなかったから、さすがトラム電車には乗れないらしい。店でタリンの写真集をかったらユーロでいけた。日本人を見たら「日本語の説明書がありますよ」と若い娘に呼び止められたから、それで街の解説が得られた。
解説書によるとギルド組合はここで最初に誕生し世界にひろまったらしい。そのギルド(職人組合)の頭が黒人だったというから、アフリカからの職人がここで家具などの製造して相当ながく組合が産業の発展に貢献したようだ。技術の発展により協業が必然的に発展して製品になるのだから、その指導者が黒人だったとは興味深い。日本でも幕府が期待していなかった商人がやがて幕府を倒すまでの資本主義の基礎を作ったのだから、最初は思いもよらない階級がやがて国の屋台骨を倒すのは歴史の必然のようだ。
ロシヤに対して塩の供給がこの地で重要な交易であったのは、食物貯蔵に塩が大きな役割を果たしたので、塩の仲介によって栄え、ロシヤはここが大切な窓口だったから、20世紀の最近まで独立させなかったのが分る。ついソビエトが崩壊するまで、連邦の一員であったのだから。
街全体を写真でみると随分イスラム教の教会らしいドームも残っているから雑教の街ではないかと思える。
街には観光客が多いのについに日本人とは合わなかった。
帰りの船は5時30分だったが来たときの客が殆どのようで、ダンスホールでは朝のメンバーがまた踊っていた。僕はダンスを見ながら日本の歌曲の管弦楽をCDで聴いていたから、踊りの曲と違った音楽で観ていたことになる。だから踊りがちぐはぐに見えることもあったが楽しい3時間の船旅だった。
インターネットカフェでメールを見たら油谷氏から英文の手紙だ。「あこがれのヘルシンキからの便りを楽しみにしています、自分も是非バルト3国に行きたいと思っている」とのことだ。
また報徳学園が滝川第二にコールド勝ちし25日に神戸広陵との決勝戦になるらしい。
船の中で話した人がトウルクの人で海岸が綺麗だから是非と薦めてくれたから明日行くことにしたい。クルーズがお勧めだったが、とても時間がとれないから観光だけにしたい。だが一番古い街らしく、この国では第3番目の都市らしい。
今日は遅くなったが10時30分現在まだ外は明るい。

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by akinishi1122 | 2008-07-25 01:18 | 旅行 | Comments(0)

ヘルシンキ付近にて

最近の俳句

一つだけボートの浮きし夏湖水    タンペレ      t     

白樺を抜ければ次もまた湖水     タンペレ

大雨にたたかれ東西見失ひ      タンペレ

一軒で一つの湖水鳥一羽       タンペレ

菜種咲く隣の柵の馬親子        ユヴァスュラ

緑麦の真ん中あたり朱き屋根     ユヴァスュラ

緑麦に突き刺さりたる道路かな    ユヴァスュラ

湖になりきっている夏の雨       ユヴァスュラ

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by akinishi1122 | 2008-07-22 22:09 | 俳句 | Comments(0)

写真タンベレ地方

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by akinishi1122 | 2008-07-22 21:43 | 旅行 | Comments(0)

ヘルシンキ(4)

スカンジナビヤの旅(4)
タンペレ第2の都市7月21日(月)
 列車で旅することにした。ユーレルパスの使用開始である。窓口に手続を頼んだら10時からの受付だという、(キップを買うのに10時からとはおかしいではないか)と思い別の窓口に行ったらなんのことはない、直ぐ使用開始のスタンプを押してくれた。おかしいと思ったらやはり別の人に聞いてみるものだなと行動してみることだ。
今日から2ヶ月で9月20日までの使用ができる。タンペレTampereというのはヘルシンキに次ぐ都市で湖水地方というし、急行列車で2時間だから日帰りができるから第一番の訪問地に選んだ。昨年のユーレルパスの時は予約しないで、来た列車に乗り車掌が検察に来た時見せるだけだったが、ここでは予約と座席の指定がいるらしい。その指定料というのを3・8ユーロとられた。待っている間にドイツからきた人と話していたら、どんな仕事してるか聞いたら、「もう70歳だから年金暮らしだ」という見たところまだ50歳ぐらいに見えるからこんなにありたいものだ。一ケ月の保養にきたというのだからドイツはやはり豊かだなと思う。もっとドイツの老人の生活話を聞きたかったが、号車が違い残念だった。
9時6分の発車だからホームを駅員に聞いたら、8番というから待っていると表示板が変更になったらしく、さっき教えてくれた駅員さんがわざわざ変更になったことを知らせにきてくれるではないか。えらい親切である。
座席は指定だから日本人が乗車しているか知りたかったが動けないから車内を動くわけにいかなかった。見たところ僕だけのようだ。もう夏休になったから学生がきてもよさそうなものだが、日本人に合えない。北欧はあまり人気がないのであろうか。列車からの景色はなるほど緑と湖が続く、そしてなだらかな平野でところどころに白樺の林がある、山が無いようで、今は牧草だけで穀物はすべて終わったようだ。こんなに土地が広いのに農家の住宅というのがあまり大きくないのは何故だろう。
ここはヨーロッパの最北端で北極圏に属してるらしい。今は僕も半袖でよいが果たして8月になってこのままの服装でよいのだろうか少々気になる。
タンペレに着いたらすごい雨になっていた。ここはおおきな湖が2ツあってその水位の差が18mもあるというのだからいつでもその落差を利用して水力発電が
安心らしい。この湖水めぐりが景色もよいらしいし、たくさんの詩人が生まれているらしいが、8時間もかかる観光船らしいからとても日帰りには無理だ。
せっかくきたのだから湖の畔ぐらいみたかったのだがこの大雨では行動できない。
幸いに歩いて10分ほどに市立レーニン博物館があった。何故レーニンというロシヤの革命家が市立の博物館になっているのか不思議だったが、入ってみるとフインランドは帝政ロシヤの植民地だったらしい、そこに独立運動の人々とのかかわりでロシヤ革命の前の1905年から1907年まで帝政ロシヤの弾圧を逃れてこのタンペレで研究や執筆などしていたらしい。「国家と革命」などの執筆などもここでなされたらしいから、革命の理論などもここで準備されたのだろう。その書斎や机、椅子がそのまま残っている。フインランドが何故レーニンを大切に恩人としているかは、1917年10月の革命成功によって、すぐに分離独立を認める書名をしたからである。
資本主義国で自分から率先して独立を与えたのはレーニンが初めてということだ。植民地の独立はほとんど民族の血を持って弾圧に抗して闘いとるというのが普通のところであるが、その後でも血をみない独立というのは無かったのだから歴史的快挙で永遠に残る記録で尊敬されるわけである。
その署名のなかに5番目あたりにスターリンの署名もあった。レーニンがいたころのスターリンはまだまともだったのであろう。
こんなことでフインランドが東西の対立の激しかった時代にも中立を保ち、ソビエトとの関係も保たれていたことが理解できた。ここにきて初めて歴史をみなおすことができた。地図をみると、なるほど北の方はロシヤに接している地系だ。来館者名簿に日本人は半年前に一人だけいたがあまりここまで来る人は居ないようだ。
すぐ300mぐらいの並びにやはり市立ムーミン図書館がある。ここはさすがに子供ずれの賑やかさだ、原作者は女性であることも知った。日本でもテレビで子供たちに良く知られているし、日本語の本も沢山陳列してある。ここの自然から夢のある物語がどんどん生まれたのわわかるような気がする。イギリスの湖水地方でピーターラビットが生まれたのと環境が似ている自然である。僕にも馴染みのある絵が沢山原画でみることができた。
外に出たら大雨で靴までずぶ濡れだ。湖の18mの落差からくる河の流れの橋を通るとさすがに渦をまいての急流だ。もっといたかったがずぶ濡れのために帰ることにした。
帰りの予約列車の料金が5・5ユーロもするのは行きと帰りが何故違うのか不思議な気もする。どうやら1等車に乗せてくれたのかもしれない、座席の品格が違っている。そしてこの車輌には4人しか乗っていなかったから。
ヘルシンキに着いたら雨もあがり、青空さえ見えてきた。相当地理的に離れているし、湖水地方といわれるだけに雨が多いタンペレであるようだ。
パソコンカフェに寄りホームページに日記を書きこむ。理香と由希さんから電話のメールが入っていた。昨晩は信顕宅で理香の誕生パーテイをしてもらったらしい。その写真を添付とあったが、どうしても写真が開けないでいる。出発のとき教えてもらったはずなのだが、いい加減な理解だったようだ。

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by akinishi1122 | 2008-07-22 21:38 | 旅行 | Comments(0)

ヘルシンキの写真

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by akinishi1122 | 2008-07-21 23:15 | Comments(0)

写真

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by akinishi1122 | 2008-07-21 22:49 | 旅行 | Comments(0)

写真

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by akinishi1122 | 2008-07-21 22:42 | 旅行 | Comments(0)

ヘルシンキ(3)

スカンジナビヤの旅(3)
ヘルシンキ 7月20日(日)
 朝食に下りたら日本人女性が二人いた。大阪と京都からで、昨夜7時に着いたらしい。そしてもう今日の5時にはスペインに発つとのことだ。10日間の休暇だからここの観光は一日しか出来ない、日本人はこれが普通であろう。どこがよいか聞かれたから、昨日見た感想で僕のお勧めは船着場あたりがよいのではないかと言っておいたが、僕にしてもまだ一日しか観ていないのだから他を知るよしもない。多分30歳ぐらいだが、バイキングだから皿に何回もお代わりをして喜んでいる様子だ。
 ホテルで日記を書いたり今日の計画をしていたら10時になってしまった。パソコン喫茶を紹介してもらい地図をもらったら、中央駅の近くである。歩いて行ける距離だが、その近くで観光バスが来たのでとりあえず飛び乗る。2階の展望台は殆ど満席である。24ユーロであった。間もなく港湾に出たら昨日見たのとは別の豪華客船で、オランダ・アメリカラインとあるから定期観光船で何日か停泊するのだろう。数人の人が乗ってきた。夏休みだから家族ずれもいる。また相撲の曙ぐらいの大男老人が奥さんと一緒に杖を付きながら乗ってきたが、おそらく70歳は過ぎているようだが手を繋ぎながらの観光である。やはり日本人と同じようで奥さんがなにかと世話をして労わっているが、どのようなことを考え感じての旅なのだろうか。僕はまだ多少仕事を持っているから、何か得るもの、仕事に生かせるものがあれば、社内新聞にでも書きたいし、社会保障の進んだ国の人々の生き方などを見たり聞いたりし、日本国憲法の素晴らしいことの国際的な比較などを知りたいという目的もあり、帰国してからの「経営者9条の会」運動に役立てたい気持ちもある。だからこの老人の生き方など聞いてみたい気もする。
海岸に緑がさしかかっていて、どこにもヨットが繋がれている。日本人とヨットとなれば相当の裕福な人の遊であって、庶民の生活とは縁遠いのだが、これだけのヨットの数だとたくさんの人が親しんでいるのではないか。
 ヘルシンキ大聖堂は真っ白の建物で、100段ぐらいの石段の上にある、その前が大広場になっていて、北京の天安門や日本の宮城前広場といったこの国の象徴的な広場である、聖堂の中のパイプオルガンは僕の見たなかで一番大きなように思う。高さ10m幅20mぐらいのオルガンだ。ありがたかったのはトイレがちゃんとあったので助かった。いままで、たくさんの教会に入ったが教会の中にちゃんと設置されているのは初めてだった。僕にしたら、神聖な教会でトイレを貸してもらうなんて不遜なことかな、とどこでも自制していたから、特に印象に残るというものだ。
観光バスで廻るとほぼ市の全体がつかめたようだった。
パソコンカフェに行き、ビールの大を注文したら4ユーロ、そしてホームページに2日間の日記を挿入しておいた。ここは飲物をとると、パソコンの使用料はとらないからありがたい。
高校野球の兵庫大会は報徳が今日伊丹北と対戦し11:2で勝ちベスト4になったことがわかった。あと2勝で代表になれる。甲子園に出るのだったら、いくらかカンパをしたいと思う。僕の楽しみだから。
これで家族も今日までの経過をつかんでくれるだろう。
理香は今日が誕生日だから、携帯電話でお祝いのメールを送信しておいた。今ごろちょうど皆でパーチーをしている頃だろうね。と

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by akinishi1122 | 2008-07-21 22:37 | 旅行 | Comments(0)