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社内新聞

第5634号 日々新聞 2015年12月29()

行く年来る年いろはかるた

(世相批判)

い 一度でもいいから当たりたい年末10億宝くじ

ろ ロシア国北方領土に知らぬふり

は 破壊するだけし放題イラクやアフガンのアメリカ兵

に 日本だけは戦争しない国だと信じたが

ほ 法律が憲法の上にたつ不思議  立憲主義を破壊

へ 兵隊、軍隊失業救済という大臣  仕事がなければ経済的徴兵に

と 東京のような都にしたい大阪維新群 名前を変えてでています

ち 小さくても世界一のナデシコジャパン 結城スケートも

り 理屈より現実が証明アベノミクス 経済は下降、不正規労働者4000万

ぬ 盗人のような居ぬまにブルと銃剣で盗った普天間基地 アメリカ

る 留守番は要注意下着泥棒大臣  下着泥棒の前歴が大臣に

お 大阪は維新で再度市を府へと 

わ 「私は知らない秘書に任せた」と言えばよい みんな同じセリフです

か かあちゃんも父ちゃんも派遣社員です 二人働いてやっとの生活

よ 与論より少ない議員で戦争法 戦争反対の与論はどの調査でも政府は無視

た 台風が今年は20個も  観測史上初の台風記録

れ レッテルは変えても同じ橋下、松井族

そ 総理より日銀、法制長官、NHK交代指名人 テレビキャスターをも下す

つ 通常の法律以下の憲法以下に解釈し 憲法などそこのけそこのけ

ね 念願は常任理事国になりたいが 世界の大国常任理事国になりたいが

な 内閣が憲法解釈破る例  憲法を内閣が解釈するという法律無視

ら 来年は選挙の年だ本音は言わぬ憲法改正  選挙がおわるまで無言の改憲

ぬ ぬかるみのIS戦争のお供とは 兵站支援とは戦争そのものテロの脅威国内にも

う 上(大企業)に減税庶民には10%の消費税

の 農民や漁民は死ねというTPP関税撤廃 農民はコスト以下では生きられない関税撤廃

く 苦労してたが慰安婦で韓国への謝罪  慰安婦に政府がかかわったと認めた12月28日

や 山あり川ありの一年だった戦後70年

ま 前へ進む若いパワーやママさんが来年こそとたちあがりだした


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by akinishi1122 | 2015-12-31 17:33 | 社内新聞 | Comments(0)

僕らは

第   号 日々新聞  2015年10月1()

僕は黙らない   奥田愛基  

「黙ってはいかん。殺されてもいけないけど、でも、黙らない」

 奥田知志さんは、怯むことなく、きっぱりと、そして明るく言い切った。
 すでに報じられているように、SEALDsの中心メンバーである、奥田愛基氏が殺害予告を受けた。それだけでも卑劣で許されないことだが、さらに卑劣なことに殺害予告は、奥田愛基氏の家族までをも標的にした。
 本サイトで先日指摘したが、奥田氏の家族までターゲットとなった背景には、「週刊新潮」の父親バッシングがあったと思われる。「週刊新潮」は愛基氏の父親である奥田知志さんがホームレスの支援をしていることを「近所で迷惑」、かつて小泉首相の靖国参拝に反対したことを「反天皇主義」などと悪し様に書き立て、テロを煽ったのだ。
 さらに愛基氏が28日にツイッターで殺害予告を受けたことを公表して以降、奥田親子に対するバッシングは、ますますエスカレートしている。
 この異常な状況をどう受け止めているのか。本サイトは父親の奥田知志さんが都内で安保法制に関する講演に出席するという情報をきき、会場で直撃した。殺害予告についてたずねると、知志さんは率直にそして非常に明晰に語ってくれた。

***********************

 ハッキリ言って怖いですよ。殺すって言われると。
 息子は、一層つらいと思いますよ。自分だけではなく、「家族も」ということを言われている。彼にとって、いちばんイヤなことだと思います。電話したときも、第一声は『申し訳ない』でした。おとといも会って話しましたけど。

 でも、「怖い」の中身は何かというと、もちろん「殺す」ということの怖さがあります。でも、もうひとつ別の怖さもあります。
 送られてきた殺害予告の手紙には、なぜ殺されるのか何も書いてないんですよ。言葉がない。なんのために我々が殺されなければならないのか、という理由がないんです。つまり、問答無用ってことでしょ。そこには、一切の対話や言葉を介さないという。
 手紙っていうのは言葉のやり取りなんだから、ふつうはもうちょっと書くでしょ。これこれこういう「理由」でと。例えば安保法制に反対しているから、というなら、理解できるし、対話もできる。しかし、それがまったくないのが、すごく怖い。

第   号 日々新聞  2015年10月2()

僕は黙らない (2)奥田愛基

page: 2

 この怖さは、憲法がないがしろにされている今の状況を象徴していると思います。
 つまり、言葉がない。議論がない。反対意見は封殺される。
国会での議論を見ていても安保法制についても「政府が総合的に判断する」のひと言だけで何も説明しない。憲法を解釈で変えてしまい法的安定性は関係ないと強弁する。説明もなければ議論も不十分であることは否めない。当然、国民の多くは理解できないままです。いや、そもそも国民の理解を得るための説明がどれだけ必要と思っていたのか疑問です。ことばを大事にしない。憲法は、ことばに対する信頼です。
 そういう時代をこの手紙は象徴しているように思います。問答無用という感じがします。一方的に、ともかく「黙れ!」と言われている。その理由さえ問うなという。

 家族の命の問題がともかく心配ですが、このままだといろんな人が黙らされていく。ほかの人にも殺害予告が来てもおかしくないように思います。
 安保法制が成立して「戦争できる国」になったわけですが、戦争状態とは何か?ってことを考えると、他国と戦いを交わすということ以前に、我々の日常が壊されるということだと思います。我々の日常を守っているもの、それを担保しているものの大元が憲法だと思います。つまり、憲法は私たちの権利を保障しており、それに基づき日常が成立していると思います。でも戦争になると、自由にものが言えなくなり、自分の持ち物も国に差し出さなくてはいけない、行動も制限されるわけです。憲法で守られているはずの我々の権利が制限されていく。対話もなく、一方的に、です。
 そう考えると、今回の問答無用の手紙は、対話がない”“言論が封殺されるという状況を示している。その意味で、既に戦時中みたいな感じがします。
 だから、黙ってはいかんと思うのです。当然殺されてもいけないし、殺されたくない。けれど、ここで黙ると、この時代の危険な空気をますます推し進めることになりかねない。だから黙るわけにはいかないと思います。

 僕は牧師です。だから、神様を信じるし、人間を信じたい。あらゆる方と対話できればと思います。こちらの意見に反対なら反対の意見をきかせてほしいと思います。
 そもそも僕と息子だって意見は一致しているわけではありません。彼は立憲主義を重んじている。一方で「じゃあ、改憲すれば、戦争してもいいのか?」と常に議論しています。ちがう意見の人に対しても、黙れと言わないのが、日本国憲法です。
 手紙を出してきた人とも、対話できると僕は信じたい。


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by akinishi1122 | 2015-10-08 15:40 | 社内新聞 | Comments(0)

社内新聞6月

第5512号 日々新聞 2015年6月18日(木)

1.集団的自衛権はなぜ違憲なのか

 64日の憲法審査会で、参考人の憲法学者が集団的自衛権行使容認を違憲と断じた。このことの影響は大きく、政府・与党は釈明に追われている。もっとも、集団的自衛権行使容認違憲説は、ほとんどの憲法学者が一致して支持する学界通説である。まずは、「なぜ学説が集団的自衛権違憲説で一致するのか」確認しておこう。

 日本国憲法では、憲法91項で戦争・武力行使が禁じられ、92項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。

 「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。

 では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。


第5513号 日々新聞 2015年6月19日(金)

1.集団的自衛権はなぜ違憲なのか(2)

 つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。

 では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。

 また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。

 つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。

 以上のように、個別的自衛権すら違憲と理解する憲法学者はもちろん、個別的自衛権は合憲と理解する憲法学者であっても、集団的自衛権の行使は違憲と解釈している。憲法学者の圧倒的多数は、解釈ロジックを明示してきたかどうかはともかく、集団的自衛権が違憲であると解釈していた。さらに、従来の政府も集団的自衛権は違憲だと説明してきたし、多くの国民もそう考えていた。だからこそ、集団的自衛権の行使を容認すべきだとする政治家や有識者は、改憲を訴えてきたのだ。

第5514号 日々新聞 2015年6月22日(月)

戦争とは

最前線から娘の風邪を心配する年若き父親

久子、1225日はもうすぐです。こちらは「クリスマス」です。

「クリスマス」とはどんなことをするのかお父さんはまだはっきり知りませんが、お友達を招いてご馳走をして楽しく遊び、又プレゼント(おくりもの)を贈りかわしたり、まあ日本のお正月のようなものでしょう。

クリスマスには「サンタクロース」の白い長いひげをしたおじいさんが夜中に雪の降る中を犬に引っ張られて大きな重そうな袋をかついで、その中には子供の好きなたくさんのおみやげを持ってくると言います。これは絵本でどこかで見ましたね。しかしかしこくない子供にはおみやげをやらず、この袋の中に入れて連れて行くのでしたね。

この中の美しい手紙はフィリッピンで、お友達どうし招待をするあいさつ状で、まあ日本の年賀状のようなものです。これはサンタクロースのおじいさんが重たい袋をかついで犬にひっぱられてきた所です。もう1枚秀子宛に送りましたのはサンタクロースのお爺さんが時計の振り子のブランコにぶら下がってニコニコしている所です。ブランコを静かに動かしてみなさい。時計の針も動きます。お正月も近く寒いでしょう。かぜをひかぬように。

昭和181212日 父より 久子(長女)

UC 昭和19728日  ニューギニアにて戦死 34歳 陸軍伍長

故郷の愛娘に書いた手紙。クリスマスのことを丁寧に説明している。

戦地にいるといえ、まだ心に余裕があるようだ。しかしお父さんは7か月後にニューギニアで亡くなる。34と一番脂ののってきた年齢である。

さぞ悔しく、さぞ無念だったろう。子供たちのためにやりたいことは山のようにあったろう。無意味な戦争に駆り出され、誰を恨んでニューギニアに死したのだろうか。お父さんは死ぬが、お前たちだけは平和な日本で生きてくれと思って戦っていたのではないだろうか。

第5515号 日々新聞 2015年6月23日(火)

人の事を喜べ  脇坂勝幸

私たちは自分の事はよく喜び悲しみ、苦労などよく解るものですね。それは利害が直接すぐ解るからでしょう。そして毎日が自分の幸せのために苦労や困難を克服するために生きているのです。

ですからその自分やそれに近い関係の家族の幸せについても本能的の敏感になるものです。

これは大変大事なことで、人間のエネルギーの根源として最も大切な事と言えるでしょう。

だが時々私たちは何によってその幸せがもたらされているか、ということを考えることも必要があるのではないでしょうか。

わたし達の幸せは一人では獲得できるものではないと気付くことでしょう。

人間は誰ひとり自分だけで生きてきたのではなく、生まれてからは両親や兄弟、近所の人々、学校では同じ年代の友達とともに社会性を身につけてきました。

そして人々との関係の中で現在の自分ができてきたのでした。いわば社会からの産物としての自分がここにあるのですね。

社会からの産物としての自分はまた自分も周囲に影響を与えてきた立派な力と能力を持っているのです。

このような自分を認め、誇りに思うことも忘れているのが大方の人々の日常ではないでしょうか。

自分のことは良く分かりますが、おなじように他人も同じ考えで生きてここまで来たということも知ることは大切ではないでしょうか。

自分にとって良いことも不利なこともあるのが日常なのです。それをひとつずつ克服するところによって私たちの現在があるのです。

人間は集団の中で育ち、今後も集団から離れて生きていくことは在りえないのです。

自分と同じように周囲の人々も考えて生きていることを知り、自分とおなじように人々の考えを知り、そして人々の行為で良いところを歓び学ぶことでその人の社会的活動が評価され、尊敬されるものです。

人のことを喜べる人間とは社会に役立つ度合いが大きいことだし、自分の人生も生き生きとして前向きの人生となるのではないでしょうか。

第5516号 日々新聞 2015年6月24日(水)

何故集団的自衛権は憲法違反か?

憲法9条を無視するからである

憲法より上にこの法を置くからである

兵站(ヘイタン)地域は相手国が最も叩きたい地域である

弾薬、燃料、食料の輸送がこの法の目的

自衛隊員が狙われて戦死者がでる

反撃を許す武器を持ち込むからである

一発撃てば戦争になるからである

日本のためでなく外国のための戦争地に行くからである

戦死者がでれば自衛隊員に応募する青年がなくなる

戦死者が出れば自衛隊員を止める隊員がでる

隊員不足をカバーするために徴兵制になる

徴兵は青年を強制的の動員する

戦争になれば軍隊に「軍法」を作る

軍法では軍人は逃げ出せば刑罰死刑になる

軍隊は相手を殺すことが最大の任務である

戦争になれば秘密が増える

秘密の取り締まりが全国民にいきわたる

国民が政府に厳しく監視される

日本国内に対しても相手国がテロをしかける

世界のどこでも日本人が狙われる

経済が軍事優先になり軍事予算が増大する

同盟国とはアメリカである

アメリカは常時世界のどこかで戦争している

アメリカの今やっている戦争のかたがわりを要請してきている

日本が攻撃されてなくても戦地に行く

日本を守るのではなく、アメリカを守る戦争に

巻き込まれ参加することになる

日本の若者の戦死者がでる

第5517号 日々新聞 2015年6月25日(木)

何故集団的自衛権は憲法違反か?(2)

歴代の法制局長官が「憲法9条に違反する」と指摘

テレビ朝日系(ANN 622()1145分配信

 国会では、安全保障関連法案に関する参考人質疑が行われ、元内閣法制局長官らが「憲法9条に違反する」などと指摘しました。政府・与党は、9月下旬まで会期を大幅に延長して法案成立を目指す方針です。

 (政治部・白川昌見記者報告)
 これまで「集団的自衛権の行使は認められない」とする政府見解を積み上げてきた歴代の法制局長官からは疑問の声が相次ぎました。
 元内閣法制局長官・宮崎礼壹氏:「集団的自衛権の行使容認は限定的と称するものを含めて従来の政府見解とは相いれないものであって、これを内容とする今回の法案部分は憲法9条に違反し、速やかに撤回されるべきものである」
 元内閣法制局長官・阪田雅裕氏:「ホルムズ海峡の機雷封鎖、これなどはどう考えても我が国の存立を脅かし、国民の生命自由及び幸福追求の権利を根底から覆すような事態に至りようがない」
 一方、森本敏元防衛大臣は「周辺諸国の脅威を考えると、現状は国の安全を守るには不十分だ」として法案の必要性を強調しました。
 森本敏元防衛大臣:「私は基本的に我が国の安全保障にとって極めて重要な意味と役割を有する法制であって、一方、この法制に対する十分な国民の理解と支持を広げることが何よりも必要である」
 安保法案を巡り、違憲、合憲という議論が続く状況を受け、政府・与党は国会の会期を9月下旬まで大幅に延長するという決断をしました。当初はお盆前の法案成立を目指していましたが、与党幹部は「憲法学者の違憲表明ですべてがおかしくなった」と嘆いています。午後には自公の党首会談を行い、夜の本会議で正式に延長を決定します。


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by akinishi1122 | 2015-06-24 05:45 | 社内新聞 | Comments(0)

6月の社内新聞

第5499号 日々新聞 2015年6月1日(月)

頭で思うな、心で思え  脇坂勝幸

私たちの日常の行動は、仕事で考えることと、仕事に関係なく考えることではちがっているのが自然の習慣になって出ています。

仕事以外では、いままでの生きて来た習慣で考えることがあまりなく体にしみついた考えや行動で周囲とかかわるのですね。これを個性がでるというかたちに見えるのです。

習慣で行動や会話には自己の個性が出てそれが魅力になることも多いのです。そしてその個性で仲間も信頼して交友ができているのです。

もう一方は仕事で考えるというのは、社会人になったら、その属する会社、団体などの目的に叶った発言や行動が必要になるのです。

主として経済社会のルールを理解しての発言や行為でなければならないのです。それは社会的な常識といわれるものですね。

わたしたちが心で考えるというのは自分や会社が目的のためになにを基準にするべきか、ということを会社が理念や計画として、日常では社長の言葉として教育し、共同の利益目的を達成するために行動、活動すべきなのですね。

それは共同の利益になるからなのです。

心というのは寄るべき精神として、理念、精神といえるものです具体的には社長の言葉、上司の指示です。

簡単なことばで「考えろ」ということをいつもスローガンにして日本一になった電気部品のメーカーの(株)未来工業というのがありありますが、そこでは、「会社の理念を頭に入れて自分流に考えろ」というのです。

頭に入れて個別の現場ではあくまで自分流で考えなければ、現場は全て違うのですから、あくまでも自分の考えをもって基本(理念)に忠実でなければ、心で考えることにはならなく、その成果は自分の技術や能力、あるいは自信にはならないものです。

人々の行動は自分が考えて納得したことが、力として成果にでるものなのです

第5500号 日々新聞 2015年6月2日(火)

新聞5500号記念

戦争は「平和」を掲げてやってくる

東京大学名誉教授(政治学)石田雄

私が20歳になり軍隊に入ると、人を殺さなければならないことに気付きました。しかし自分には銃剣や軍刀で人を殺すことはできない、海軍ならば遠くから撃つだけだろうと思って、海軍を志願し、結局陸軍になりました。

しかし軍の教科書を読むと、軍は戦闘する組織で、上官の命令は絶対です。命令の是非を論じたり理由を問うことは許されない。

人を突き刺す突撃訓練をしながら、理由もなく殴られる、それをたたき込まれます。いつでもだれでも命令で人を殺す。命令に従わず殺さなければ陸軍刑法で最高死刑でした。

言われたことに問いかけが許されない状況に追い込まれまれ、たとえば「平和のための戦争」に異を唱えられない一方的な関係になると、人の思考能力が失われ、組織や社会全体が動かなくなります。

戦争と軍隊は思考能力を奪う。言葉の意味を問うことを許さない軍事的社会と戦争は、人の理解力を奪ってしまうのです。

さらに言論が統制され人々の行動の範囲が狭くなるので「特攻隊を志願する者は?」ときかれると競って前にでるようになります。そのような忠誠心の競争が起きると、最後は自縄自縛にして、いったん始めた戦争をやめるにやめられないことにもなる。実際、戦争末期にはそうゆう状態になりました。

第5501号 日々新聞 2015年6月3日(水)

戦争は「平和」を掲げてやってくる(2)

東京大学名誉教授(政治学)石田雄

今、特定秘密保護法や政府のゆうとおりに教科書を書かせる、日の丸、君が代の「強制などが起こっています。安保法制を「戦争法制」と批判したら、議事録から削除という脅しもありました。これらの言論統制、思想動員の動きは、戦前の教訓からみて非常に警戒すべきです。

安倍首相にとりまきがいて、右翼的な世論を煽るって人気をとろいとするけれども、それは自縄自縛に陥って、首相自身引っこみがつかなくなる危険もあります。戦前と比べ、現在はより悪くなったところもあることに注意を向けたい。

日独伊三国同盟の中で、日本は決してドイツに従属した訳ではありません。しかし現在日本はアメリカに従属する安保体制のもとにあり、四月末のガイドライン(軍事協力指針)でも世界の中のどこへでも出かけてアメリカに切れ目のない戦争協力をすることになっています。

恐いのはグローバル化した世界でアメリカの武力行使に加担すれば世界中での報復を招く。日本が世界中でテロに遭う危険が高まることです。国内50カ所以上の原発が狙われれば、核攻撃を受けるのと同じです。今までより報復に危険が大きい。危険になるのは自衛隊員だけでないのです。

一方戦前との決定的な違いもあります。戦前は天皇主権だったのに対し、現在は国民主権の時代であり、平和憲法を武器にして国民が声をあげていけば、充分に抵抗していくことができます。みんなで声をあげ、行動し安倍政権の戦争政策を批判することです。

さらにいまさしせまっているのは、憲法9条をどうするかという当面の闘争の問題です。

重要なことは、9条はそれだけでは書かれた文字に過ぎないが、それを生かすのは主権者の力だということです。

第5502号 日々新聞 2015年6月4日(木)

思うな、自分だけ、自分だけと 脇坂勝幸

自分のことは良くわかることで、他人と比較して、劣等感をもったり、苦労しているのは自分だけだ、と思うのは誰でも思うものです。これは自分に困難な問題が起きたときだれでも思うものです。そしてその時は他の人達のことを考えないものも同じです。

だから、何故自分だけに、こんなに厄介な問題がふりかかるのだろう。自分だけ苦労せねばならないのだ、と思うものです。

そうすると、その問題を他の人と協力して、あるいは他の人の力を借りて克服しようか、という考えが起きにくくなるものです。

こんな状態を孤独と言うのです。人間は孤独ということでは生きてこれなかったし、今後も孤独では生きていけないものです。社会的な協力や、社会の人々のお世話になったり、自分も役にたったりして、生きているのが人間社会なのですね。このことを困難に遭遇した時は忘れてしまいがちなのです。

これを解りやすい物語として書いたのが「ロビンソン・クルーソーの漂流記」は教えてくれていますね。

「自分だけ」と考える時は社会の中で生かされているということを忘れがちなのですね。

ということは自分が社会的な人間の一員であるということを忘れるということではないでしょうか。

 でもこの社会的な人間であるということを忘れるのは人生のなかでは極瞬間的であって、普段は自分は社会的に生きている、と皆思って生きているのです。そして社会的にそれぞれ立派に役立ち、貢献して生活しているのです。

「自分だけ」と思うことを考えの基礎として生きている部分が多いか、その度合いの問題なのですね。

問題は困難に直面した時、「自分だけ」でないのだ、という意識を如何に思いだすか、といういわば人間の本質である、人々と共にこの問題は解決するべきだ、という心に刻みこんで置くことが孤独や苦労を解決していく道筋だと思いだすことではないでしょうか。孤独になるな、孤独ではなく問題は周囲の仲間に頼り共に力を合わせて乗り越えていくものなのです。

人間は一人で解決できない問題が多いのです。

第5503号 日々新聞 2015年6月5日(金)

一つを皆で創ろう   脇坂勝幸

私たちの一日、私たちの一月、私たちの一年これを現在の仲間で創ることはどれだけ人生を豊かにするものであろうか。と誰でも心に持つものです。

心に持つということは、共同で何かの目標に共に取り組めたらいいな、という願望でもあるのです。

 人々は孤独から解放され、仲間と協同で何かに取り組めたらどんなに生き甲斐を感じられるだろうか、と常に願っているものです。だがお互いにそれが何なのか、ということを語りあうことをしないでいるために、孤独になりがちですね。

 本来は同じ会社で働いていれば、大きな共同の目標に向かって活動すれば、成果は全体の物になると知っていながら、一つ一つの活動が協同の目標に貢献しているのか、ということが意識しないままに活動しているのです。

 この心で各人が思っていることを一つの心になれないものか、と思うことは、話してみなければ、他の人がどう思っているかということが分からないものです。

職場に会話する機会はなかなか少ないですが、まづ今日会った仲間とふたりだけでも語りあうことで、相手がどのように考えているかが分かり、自分だけではなかったのだな、と知ることに役立つものです。三人いれば、また違った考えも聞けるでしょう。「三人寄れば文殊の知恵」と諺で知っていますね、話せば知恵と力、それに孤独から解放されるものです。

 人々はやはりみなそれぞれに一生懸命に考えているのだな、と知ることができ、そして自分の視野も広がるものです。

 一人ひとりは違っていても、みんなそれぞれに自分の分野で頑張っているのだなと知ることで、それら全体が私たちの新しい業績が創られている。

そのことを知ることで共通の目的にみなが動いていることを知れるのです。先ず仲間とあえば言葉をかけあうことから共通の認識が得られ、自分だけが頑張っているのではなき、連帯意識が生まれ、信頼も生まれるものです。そして共同の目的の成果として自分も役にたっている、この世に新しい物を創りだす一員であるという誇りになるものです

第5504号 日々新聞 2015年6月8日(月)

来年1月からマイナンバー制度

国民みんなに大きな問題あり

資産把握して負担増へ

この制度は国民の生活全ての面を政府が把握して、生まれ、経歴、写真、勤務先、学歴、家族構成、そして健康保険、生命保険の加入状況、銀行預金の全て、個人の収入、アルバイト、内職も含めて全て国が記録、また、身長、体重、胸囲、のほか腹囲、薬使用歴、喫煙、血液検査、に残すというのですから、国民の生活を丸ごとつかむということで、隠し預金や隠し収入まで税務署が税金をかけるような準備を進めています。

これは安倍政権が国民を徹底的に管理する、税金逃れを逃がさないという政策ともいえるものです。

このようなことが国民にはあまり知らされてないので、自民、公明で決めてしまつたのです。

このようなことがドンドン国会で通過する自民、公明の政権運営には絶対多数の力で強行されていのですから、国会の法案は関心をもたねば、取り返しのつかないようになります。

第5505号 日々新聞 2015年6月9日(火)

悩む明日は晴天  脇坂勝幸

悩むということは、問題があるからですね。問題というのは、より良い明日のためなのです。だが悩む時は明日の成果というのがはっきり見えないからなのです。それが原因なのだと思えます。その後の成果がかならず見えている事には、たいしては悩みはおきなくて、解決、克服の糸口が見えないために悩みは生まれるのではないでしょうか。

では悩むことを悩みでないようにするにはどんな条件が必要なのでしょうか。

それは、一口に言えば、化学的、合理的に考えができていないときに起きるものではないでしょうか。

それは、こうすれば、こうなるという道筋のことですね。その道筋が解らないために悩むのです。

人間は古代から、解らないことがおきるごとに、いろいろ工夫してきました。それは、人間が集団の経験で得た知識をだれでも知る方法として、考えの糸口を教えてきたのが子どもの発達に応じた教育でした。こうすればこうなるということは人類の経験の財産ななのですね。

その時代にどうしても解らないものはどこの国でも「神」が決めたことにしたり、占い師がきめたりしたものです。これらは科学がその分野でまだ解明されてなかった時代は仕方がなかったといえそうです。

世の中で一般的な知識として万人が認め、その知識でもって取り組めば解決できる基礎を教えるために学校で一般的な知識を教えているのです。

だが私たちの悩みというのは、個別的な特殊のことがら、例えばこの現場というように、一般的知識で解決できないのが瞬間的のおきるものです。

その時にはやはり人類が知識や解決してきた手法である、先人や周囲、先輩に教えを乞うという人類が解決してきた方法に頼ることです。特殊な方法は特殊な現場で経験した先輩に聞くというのが解決の糸口になる人類の原則の解決策なのです。

その職場、現場では先輩が解決の教えを助言してくれるでしょう。あるいは経験を教えてくれるでしょう。

誰に聞けば、という糸口も教えてくれるでしょう。

物事は「解決の糸口を内部に秘めながら表れてくる」といわれるように、悩みは必ず解決の方向を職場の周囲の人々が示してくれることです。

糸口がわかれば、それに進むのみです。そして明日は晴天がそこまで見えてきているのです。

第5506号 日々新聞 2015年6月10日(水)

戦争への危機

「非国民」にされる空気   半藤一利 作家・歴史学者

20156月9日毎日新聞夕刊)

「この1年で国は随分変わりましたね。(戦争の芽)は指ではもうつぶせないくらいに育ってしまったようだ。戦後70年の間で、今ほど国会で(戦争)が論じられた日が過去にあったでしょうか。70年間、常に平和を論じてきたはずなのに」

 再び会いたくなったのには理由がある。海外で自衛隊の活動の拡大を図る安全保障関連法案が閣議決定された5月14日夜、安倍首相は記者会見で「米国の戦争に巻き込まれることは絶対ない」と断言した。迷いの無い言葉を聞いて、ふと、「絶対」という言葉を使わない作家の存在を思い出した。

 東京大空襲の焼け跡で14歳だった半藤少年は「絶対に日本は正しいとか、絶対に神風は吹くとか、全てうそだ」と知った。それ以来「絶対」という言葉は使わないと決めた。

そんな半藤さんは安倍首相の「絶対」をどう聞いたのだろう。

 「絶対」などと何故言いきれるのか。あの言葉にこころから安心できた人がいたでしょうか。

国会で審議中の自衛隊法改正案など11の安保関連法案の一覧や武力行使できる新旧「3用件」の相違点が書かれていた。「要点が分かりにくいのでメモを持ちあるいているのです。国会中継を見ていても、武力行使と武器使用とは違うとか、後方支援は武力行使に当たらないとか論議がよくわからない」

「分かりにくさは意図されたものだ、という「安倍さんが語るのは理念だけ。集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」を説明するのにも具体的な「仮想敵国」ひとつ挙げない。確かに国会で議論になっている具体的な地域といえば「中東ホルムズ海峡」や「東シナ海」しかおもいだせない。

「朝鮮半島や日本近海での有事を語らない。国民が戦争を具体的にイメージし、恐怖や不安を感じはじめるのを巧妙に避けているようじゃないですか」

第5507号 日々新聞 2015年6月11日(木)

戦争への危機(2)

「非国民」にされる空気   半藤一利 作家・歴史学者

20156月9日毎日新聞夕刊)

分かりにくい理由のもう一つは、安保法案の一括審議だ。

「麻生副総理が2年前、改憲について(ナチスの手口に学んだら)と発言したことで、立法権を国会が政府に委任した(全権委任法)が話題になりました。しかし実は、同法より前、ヒットラーは国会決議を経ない閣議決定で大統領緊急令を発令させ、ワイマール憲法を空洞化し、いくつかの法を一束にしてまとめて変え、民衆の自由を制限しました」「安保法制の進め方も似ている」

わたし達民衆がかってどんなふうに政府に「だまされ、あるいは同調し、戦争に「向かったのかをどうしても書き残しておきたい。

 戦前の民衆の暮らしがじわりじわりと変わるという様子が描かれる。昭和2,3年頃は盛り場をモダンガールと歩いた男性が、7,8年後には官憲から「非常時にイチヤイチヤするとは何事だ」と「批判される。軍縮や対中国強硬論反対をぶっていたはずの新聞が読者の期待に沿うように(勝利につぐ勝利の報道)へとかじを切り、これがさらに読者の熱狂をあおる。「銃後」の言葉の下、女たちが自主的に兵士を見送りや慰問を始める、、、(決して流されているつもりはなくて、いつか流されていった)そんな一文にドキリとした。

「昭和の最初、米英批判は極端な意見に過ぎなかった。ところが人々が其れに慣れ、うけいれるうちに主流になった。リベラリストが排除され、打倒米英を本気で唱える社会となっていった。国定教科書改訂で(修身)が忠信愛国の精神を強調し数年後には(日本臣民ケライ)が続々と世に増えました。

あのころだって日本にはヒトラのような圧倒的な独裁者がいたわけではなかったのです。

第5508号 日々新聞 2015年6月12日(金)

戦争への危機(3)

「非国民」にされる空気   半藤一利 作家・歴史学者

最初は政治家が世論を扇動するようでも、途中から民衆の方が熱くなり、時に世論が政治家を駆り立てたんです。

では、私たちはどうすればいいきといえば、「隣組を作らないことでしょうか」この国に今直ぐ戦前のような隣組ができるとは思いませんが。でも今回の安全保障法が成立すれば、(非常事態だ、存立危機事態)だと人々の暮らしが規制され、できるかもしれませんよ、隣組が

 「仮に自衛隊が海外に派遣されると、(わたしたちのために闘いに行く彼らを見送ろう)などと声があがるでしょう。見送ることは悪いことではないから批判しずらい。しかし見送りに参加しなければ「非国民」と呼ばれかねない空気が段々醸成されていく。ありえることではないですか。

今異なる言論にたいする許容度が極端に落ちている。「閉鎖的同調社会になりつつあるのではないでしょうか。似た考えの仲間だけで同調しあい、集団化しその「外側にいる者に圧力かける。」外側にいる者は集団から圧迫を感じ取り、無意識にじぶんの価値観を変化させ、集団のいけんに同調していく。そのほうが楽に生きられるから、隣組はすぐその先だ。

「今はまだ大丈夫。こうして私たちが好き勝手なことを話し、書けているうちはね」

 「だから異なる考えを持つ人と語り合い、意見が違っても語りあえるだけの人間関係を築きましょう。物言えば唇寒し、と自分を縛らず、率直に意見を述べ合い、書いていきましょう」

第5509号 日々新聞 2015年6月15日(月)

指を折る、楽しい予定 脇坂勝幸

第46期の中間地点を過ぎました。非常に順調に目標に向かって好調な業績を上げています。これは皆さんが自分で決めた目標を着実に意識し、自分の実力を知ったうえでの目標設定だったから、予定を上回る実績をだしているといえるのです。

今までの年間目標は到達できないのが当たり前というのが普通でしたが、今年度はどこが違うのでしょう。

一口に言えば、自分の目標が与えられたものではなく、会社の方針に自分の力、能力を計算にいれ、それに向かってと取組をしてきたからでしょう。

それは、何故そうなったか、というのは、やはりやる気になってきた、それが全体に共通にやる気がでているからではないでしょうか。

指を折って、楽しい計画、予定を出来るということは、一人だけではとても出来る物ではありません。みんなが同じ方向に向かって共通の目的で協力してきたことの成果と言えるものです。

各人はあまり意識していないかもしれませんが、毎月の会議で皆さんの努力が数字として全員が見えるように表示されている。それが、「僕だけではないのだな、皆頑張っているのだな」という意識を示し教えてくれているからなのでしょう。

これだけの成果だけではなく、私たちに協力していただいている関係業者も宮崎工務店と一緒に仕事をすることは安心できる。と思っているからです。それはもう30年ちかく支払現金で支払い、それも一度の遅配もなくやられてきたからです。そのような会社、ことに建設業界では他にないからです。

そしてお得意先が全て一流の企業ばかりで、先ず安心して仕事が出来るからです。

このように、全てに渡って信頼できる材料を築いてきたのは皆さんの力なのです。

ですから、私たちは計画が立てやすい材料を持っているのです。指を折って計画ができ、それが達成できる明るい目途があるために、楽しみながら働くことが出来るのです。

その成果がこのような順調な業績になっているのです。

その誇りを持っていいのです。

指を折る、楽しい予定 ができるのです

第5510号 日々新聞 2015年6月16日(火)

楽しみは自分で創る 脇坂勝幸

「なんて僕には災難や苦労が降りかかるのだろう」。と思う人、反対に「なんて僕は幸運に恵まれているのだろう」この人々の考えを持つ人は、自分の生き方にマイナス面を頭に残す人と、同じことでも、積極的に自分にプラスの面を見つけそれをとりいれ、自分の生き方に生かすということからきていて、物を見る時の視点の置き方にあるようです。

 どんな問題でも、すべてが自分にとって良い事とは限らないのですが、問題から意識的に避けたり、逃げたりすることによって、問題は一つも解決しないどころか、いつまでも問題が着いて回るのだ、ということをみんな経験で知っているのです。だが、問題の瞬間からは逃げたり避けたりしたいというのが万人の共通の気持ちですね。

まづ第一に、逃げることを止めることから始めれば、思っていたほどではなかった。ということも経験しているのです。ですから、第1番目の逃げないことが、人生の分かれ目ということを自分で知る、決めることから始めてみようではありませんか。

逃げなければ、正面に向かって見つめることになるはずです。すると、問題の本質が見えてくるものです。本質が見えれば、もうその対策をどうするか、という手段になります。対策、手段は自分では解らないことのために、逃げ、避けということになったのですから、困難は自分だけで解決をするということを考えないことです。

知らないこと、知らない技術はにわかにできる物ではないのですから、「知っている人に聞くことです」人々の知恵と技術にを学ぶこと、これが大切ですね。これで謙虚さを学ぶことになります。

 もう一つは、問題が起きたときは「これは自分がやらなければ誰かがやるはずだ」「だから僕がその誰かになろう」という気持ちと決意です。

この世の中に解決出来ない問題はわたしたち提起してくることは無いのです。解決の糸口は問題の中に秘めているのです。解決の「糸口を秘めながら問題は発生するものだ」とアインシュタインの言葉を思いだしましょう。

 このようにすることは、自分で楽しみを創ることになるもので、自分自身も180度前向きの人間に変わっていくものです。

こうして自分を創りだすことで、環境も自分で創りだされていくものです。


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by akinishi1122 | 2015-06-24 05:39 | 社内新聞 | Comments(1)

社内報創業46年の歩み

日々新聞  2013年 3 月9日

創業46年の歩み(3)

当社を支えた協力会社のメンバーは巻野板金で、雨漏りや樋の仕事をしてくれて、35年ぐらいの協力をしていただき、70歳ぐらいまで元気でした。次は電気のイサオ電気の山本勲さんです。山本さんは現在も現役でコカコーラなどの電気工事には欠かせない存在です。山本さんが創業当時からの一番の古参です。次は小西左官の小西一男さんでした、小西さんは長いあいだ協力会の会長をしていただき戦前からの建設の歴史や技なども教えていただいたし、大工の広戸勇一さも紹介してくれました。そして清水ビルの塗装にきていた立石塗装、そこに努めていた杉本さんが20年ぐらい塗装の職人として当社を支えてくれ、杉本さんの亡くなられた後をその職人だった小西さんが引き継いできました。太平シャッターの谷本さんもシャッターの新設や修理、それに小さい鉄骨工事も任せていました。創業の時から水道の工事は岡田さん、タイル工事は立野タイルなど、また内装では鈴木さんがながく貢献してくれました。

それぞれの時代を支えてくれたのですが、もうこの世にいないひとが大部分になりました。


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by akinishi1122 | 2015-06-22 02:41 | 社内新聞 | Comments(0)

社内新聞

日々新聞  2013年 2月20日

君に限界無し

数年前日本人がイラクで人質にとられた時、政府の担当者が「自己責任」だと国民を突き放すような発言をして、物議をかもしだしたことがありますが、それ以来個人を見る目に自己責任とみる考えが広がつているようです。

自己責任とゆう考えには、相手を育てる心や、励ましたり相手の可能性や能力を見つける目、相手の成長する可能性を見落とす立場になりがちのようです。

そのような立場では、教育や、可能性を発見できないし、相手にも尊敬されない心をもたせるようです。

人間はだれでも無限の可能性をもっているし、そこを認めてやることによって無限に発展していくとゆうのが現代心理学になっています。君には限界がなく、可能性があると指導者がその芽を発見し、ひきだし、励ましてくれたら、限界なく自分で発展していくとゆうのが、現代の教育の理想とされているのです。

自分は無限の可能性がある、と高橋尚子さんも自分に言い聞かせていて、そして世界一のランナーになったのでした


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by akinishi1122 | 2015-06-22 02:37 | 社内新聞 | Comments(0)

コンプレックスはマイナスか?

第5360号 日々新聞  2014年10月28日(火)
コンプレックスはマイナスか?
私たちの生活の中でコンプレックスをもっていない人は一人もいない。ということを聞いたことがありますか?東京大学の教育学部長の太田尭という先生で、元日本教育学会会長を務められた人が、東京大学の学生を、コンプレックスについて調査されたことがあるということです。
その結果によると、調査した全員がなんらかのコンプレックスを持っているという結果がでたというのです。世間では、東京大学に入るのだから、みんな頭がよくて、コンプレックスな無いものと思いがちですが、実態はそうではなく、東大の学生ほどコンプレックスを意識することの強いということが解ったというのです。
どうゆうことか、というと、コンプレックスというのはある特定のことで、自分が劣っていると自覚した人皆が持つものらしいのです。
人間である以上万能ではなく、成長すればするに従って自分欲望や希望、理想というのが沢山できて、その理想に自分の力の無さを意識し、自分が持っていない能力を持つ人に対してコンプレックスが生れるというのです。ですから人間が発達し、欲望や理想が増えていけばいくほどたくさんのコンプレックスは発生し、今後もだんだん増えていくということになるだろう、ということです。
コンプレックスということは人間である以上、欲望や希望や理想を持つ人間には必ずうまれるもので、それは文明の現れであり、文化との各人の価値観の違いからくるもので、もっとも人間らしいといえるというのです。
ですから、このコンプレックスというのは、その人の理想や価値観の大きさのあらわれであるし、コンプレックスが大きければ大きいほどその人の理想が大きいし、その人にとっての価値も大きいということになるというのです。
これは逆にいえば、自分への課題と目標を具体的に自覚させてくれていることで、その人にとっては、良いテーマを凝縮して知ることになるようです。
それと同じように、他の人々も同じようにコンプレックスを持っているが、貴方の優れた点に対してのコンプレックスかもしれません。
私たちは、このようにして、文化を身につけようとしているようで、自分も他の人々から目標にされたり羨望されたりしていることを知り、役にたっているところをもち、誇りをもつことは、コンプレックスと同じくらい社会に貢献しているということなのです。コンプレックスと同じだけの誇りをもっているのです

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by akinishi1122 | 2014-10-28 13:05 | 社内新聞 | Comments(0)

10月27日

第5359号 日々新聞  2014年10月27日(月)
人間の価値とは
人間の価値と言うことについて考えたことは誰でもあると思います、そして自分は価値があるだろうか?とも考えたことがあると思います。
そして自分なりに生きていく価値を見つけた人もあると思います。ところが、自分の価値、生きる価値について自分以外に発言する人は少ないと思います。何故でしょう。それは自分の考えている価値と世間が考えている価値とのあまりにも違いがありすぎるからではないでしょうか。
自分が価値のある人間だったり価値のある考えや技量があることと、世間が見る価値が違うのは人間である以上当たり前であるのに、その違いを発言、表現ができないということは、その人がいきている社会の現状から一般的考えとみられないからなのでしょう。
では世間が見る自分に対する価値の基準というものは一体どんなものでしょう。それはその社会の一般的価値観からみているからなのでしょう。
では社会一般からみて共通の価値観というのはどんな基準からみているのでしょうか。
それは現在の社会の仕組みや秩序を維持し守るための考えや技量をもとにしているからということになるでしょう。
では世間一般の価値観で全てが動くとなれば、新しい考えや技量は生れないでしょう。
私たちはノーベル賞を受賞した人々を眺めてみると、この一般的社会の共通の考えを覆すことをした人々であることを気付くものですね。
ノーベル賞を受けて初めて世間から評価されたり認識されるということは、本来逆なことではないでしょうか。
ノーベル賞の人々は全くその考えが当たり前でありそれと反対の世間の認識が間違っているからと思っていたに違いなのです。
このようにその時代の常識というものが真実から離れた認識をしている場合が多いともいえるのです。
わたしたちの会社は、「人がやらないことをやる事」を常に念頭にしていたため、長い間世間からは評価もなかったのですが、48年も続けてきて、続けられてきて、その存在価値がようやくなくてはならない価値の会社となっていると言えるのです。
価値とは個人でも会社でも他人と競争しなく、独自の道を迷わず進み続けると言えるかもしれません。
これが人間の価値だと言えるのではないでしょうか。


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by akinishi1122 | 2014-10-27 11:48 | 社内新聞 | Comments(0)

「仕掛け」をつくる

第5337号 日々新聞  2014年9月24日(水)
御客さまがワクワクする「仕掛け」を用意するのです
文化堂会長  後藤せき子
商売は「仕掛け」ともいえると思います。お客さまに売りに行くのではなく、来てもらわねばなりません。そのためには「この日に文化堂に行かなければ損をする!」「良いニュースがある」と思って足を運んでいただけりょうな「仕掛け」が必要です。
文化堂が取組んでいる、曜日対策もその一つです。たとえば毎週日曜日は朝9時から朝市、その他の曜日も、青果の日、魚の日、肉の日、パンの日など曜日サービスを実施して売り場を大きく変えています。お客さまにワクワクしてもらえるような「仕掛け」。常に改善をおこたらず、これを続けていくことが、お客さまをあきさせない、地域密着の商売だと思っています。
もっとも「仕掛け」には常に斬新な工夫が必要です。又タイミングも必要です。
昭和37年戸越銀座商店街の一角に、御菓子と食品のセルフサービス方式を取り入れたモデル店を開設しました。当時は珍しかったセルフサービス方式学がお客様をワクワクさせることが出来たのでしょう。開店初日には約200人のお客様が行列をつくりました。戸越銀座商店街始まって以来の賑やかさを呼び大成功しました。
いまでこそ、どこにでもあるセルフサービスですが、当時は近隣ではどこもやっていませんでした。いちばんにやったからこそ、お客様に喜んでいただけたのです。「買い物が楽しい」という付加価値を提供できたのだと思います。
お客様が、今求めているものは何か、今不満に感じているものは何かそれをとことん追求し、そこに思い切った「仕掛け」作るのです。新しい取り組みであってもそれがお客様にワクワクさせるという確信があれば、思い切ってチャレンジすることです。外れることもあります、しかし、失敗を恐れることなく、お客様の期待に応えていく姿勢を崩すさないことです。それが発展にかならずつながるのです。

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by akinishi1122 | 2014-09-24 11:01 | 社内新聞 | Comments(0)

社内新聞

第5327号 日々新聞  2014年9月8(月)
同友会前会長 赤石義博
労働者をパートナーと捉える
 昭和三七年十月に熱海で第三回全国活動者会議が開かれました。全国に同友会はまだ三つしかありませんでした。五~六〇名が集まりました。当然私は労使問題の分科会へ出ました。当時二九歳。熱気ある面々の中で口も挿めませんでした。明け方、意思統一されたことは、我々は確かに店や工場を持っており、資本家には違いないが、何ほどの者かと。皆と同じ釜の飯を食い、暮らしをなんとか維持する程度だ、資本がどうのというものではない。ただ一点、給料を決めて払う側と決められてもらう側という利害が相反することははっきり認めよう。その上で、最も信頼できるパートナーとなっていくにはどうしたら良いかを考えていくことになります。
 翌年、「春闘に際して訴える」という文章から、労資の「資」を「使」に変えました。今ではこれが一般的です。
経営指針は社員とともに作る
 労使見解の一番最初が経営者の責任という項目で始まっているのはご存じの通りです。経営者である以上、いかに環境が厳しくとも時代の変化に対応して経営を維持し発展させる責任があります。その次に「経営者は企業の全機能をフルに発揮させて、(中略)何よりも実際の仕事を遂行する労働者の生活を保障するとともに高い志気のもとに」と続きます。この「志」は経営指針とつないで考えて理解していただきたい。「士」を使わずに「志」を使ったのは、理念を共有するという意味を強く込めているのです。田山さんも、経営指針を、「社員の知恵を集めて」と書いています。  
 最終的な決定は社長がやるとしても、理念に基づいた行動の具体化をする時に、経営指針の企画段階から社員が参画することが、より深く理解し参加の意識をもつことになります。社長がすべて作りあげてから、意見があるか、無いなら賛成だなと決めて、反対が出なかったのだから計画を遂行するのは全員の責任だと言っても押し付けになってしまいます。あげく自主的にやれ!と怒鳴っても自主的にはやれないでしょう。自らの気づきをどう持たせるかが大事なのです。
 先ほど申し上げた渡辺トクさんにこんな話がありました。八二~三歳のころ、身障者の方が八〇名ほど会社の宿舎にいて一緒に暮らしていました。食堂で全員一緒に食事をします。ある時、無意識にふと、「社長をやっているのが疲れちゃった」と言ってしまった。業界の情勢が変わる中で新鋭機の導入に億単位の設備投資をしなければならないのに銀行がうんと言わない。そんな時期にふと、「疲れた」と出てしまった。これは「社長を辞めたい」につながるわけです。すると周りの人たちが箸を置き、あっと言う間に食堂内の全員がシーンとなった。私としたことが、なんということを言ってしまったのかと思ったが、口から出てしまったものは引っ込まない。思わず立ち上がって両手をあげて歌って踊り続けた。すると一人立ち、二人立ち一緒に踊り出し、皆にすーっと安堵の表情が出てきたそうです。それだけ慕われていた。
 トクさんは皆にものすごく自立を要求した方でした。絶対に甘やかさない、だけど社員と共に命を全うしていく。自分は企業家として妥協しない。身寄りのない従業員の為にお墓も作りました。そして、社長が先に行っているからね、あんた達は頑張って頑張って生き抜いてそして終わった時に社長の所へ来るんだよと言っていました。
 八〇歳半ばで億単位の設備投資をした後、お訪ねしたら工場には、企業秘密だということで入れてもらえませんでした。あの歳になっても企業の先行きを見ている。先に行っているからね、社長の所においでと言い切れる凄まじさ。これが本当の意味の人間尊重です。自主性を重んずるくらい、人にとって厳しいことはない。これを社員に認識させるような育て方をしていく必要があると思います。

第5328号 日々新聞  2014年9月9(火)
子どもの心

はってあげた
利始ちゃんの日記

ゆうべおとうちゃんと、おかちゃんが、
なんでかしらんけど大げんかした。
おとうちゃんがおこって
おかあちゃんのかわいいときの
しゃしんをやぶってしもうた。
おかあちゃんがないたので、
ぼろぼろにやぶけたしゃしんを
ひろってセロテープで
はってあげた。


ふく
やすえ

おばさんが
「きていきなさい」っていう
ようふくは
あたしがあんまりすきじゃないの
だけどおばちゃんの
いうことをきかないと
おかあさんが
「おまえににている」って
おこられるから
あたしがまんして
きるのよ。







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by akinishi1122 | 2014-09-09 11:53 | 社内新聞 | Comments(0)